15.そのためには、なんだってする
王子を薬で眠らせ、頃合いを見て寝所で始末する。幸い王子は、武芸がほとんどできないポンコツである。
簡単なことだ。
女官に扮した暗殺者は、ゆっくりと寝所の扉を開けた。
すると、女にとって想定外のことが起きていた。寝所には王子の護衛がいたのだ。
(なぜこいつが寝所に。こいつら、できているのか?)
王子は眠そうに頭を振っているから、薬は効いている。護衛だ、護衛が邪魔だ。
(この護衛――確か、年の割には上のほうの階級だったはず)
構えからは、まったく油断が感じられない。
(これは――まずいか?)
撤退か、決行か。
護衛は丸腰だ。行ける。
(まずは護衛)
そのあと、王子だ。
護衛の首を掻っ切るように払った短剣は、あっさりとかわされた。胴に蹴りが飛んでくる。それを膝で払い、もう一度短剣を振る。次は腹だ。これは、少しだけかすった。
「慧さま、剣を構えて」
護衛は言うが、それは無駄だろう。そんなことを言われた王子の瞼は、今にも落ちそうだ。
護衛が突進してきた。狙いは短剣だ。奪わせるはずもない。
(いや、奪わせるか)
もう一つ、短剣は帯に隠し持っている。
「あっ!」
手首を弾かれ、短剣を取り落とすふりをする。護衛に回収されると面倒だから、なるべく遠くへ、短剣を投げ落とす。
護衛から、少しだけ緊張が解けた。
もう万策尽きたふりをして、へたり込む。帯に手を忍ばせて。
護衛が無防備に近づいてきた。
(よし!いける!)
「琳華っ!!」
王子の緊迫した声。
護衛がもう一度緊張を取り戻す。――が遅い。
握りしめた短剣を、腹へ向かって振る。血が散った。護衛がうずくまる。
「琳華!」
眠気と戦っていたはずの王子が、カッと目を見開いている。
(次はお前だ)
王子はガタガタ震えながら剣を構えているが、まるでなっていない。
間合いを詰め、振りかぶる。胸へのフェイントを一つ入れ、首へ。
(入った!)
そう思った一太刀は、王子の剣に弾かれた。
(こいつ……!まぐれか?)
もう一度。次は腹だ。上段に蹴りを入れ、体勢が崩れたところで腹へ。
これも、王子の剣に弾かれる。
(なんだ、こいつ)
相変わらず、ガタガタ震えている。息は情けなく乱れている。落ちそうになる瞼と戦っているのか、真っ赤な目を見開いて、こちらを見ている。
「琳華……琳華ぁ……」
護衛の名前だ。
(やっぱりこいつら)
「お前も、女のもとへ送ってやるよ」
最後だ。
深く踏み込もうとしたそのとき、後頭部に大きな衝撃を受けた。
「な……」
何とか振り返る。護衛が腹を押さえながらも、蹴り飛ばしてきたらしい。
(やばい。倒れる)
膝がかくりと力を失う。
「慧さま、よく踏ん張りました」
護衛の声が聞こえたところで、女は意識を手放した。
◆
「琳華、琳華!」
慧が、琳華に飛びついてきた。
「慧さま、少し痛いので、そのあたりで」
慧が琳華の腹の傷を見てハッとする。
「琳華、ごめん、俺のせいだ、琳華……」
「大丈夫ですよ。これがお仕事ですから。たいして深くはありませんし。それより、ご無事でようございました。よく頑張りましたね」
「うん……」
慧は異様に眠そうだった。薬を盛られたのであろう。
「さあ、もうお休みなさい。琳華の膝でなくても寝られますか?」
「それは……どう、か……な……」
そう言っている間に、慧の瞼が落ちた。
「お休みなさいませ、慧さま」
その癖のある髪をなでてやる。そうして琳華は立ち上がり、外の使用人を呼ばわった。
◆
次の日は事後処理に追われ、出仕どころではなくなってしまった。
縛り上げた暗殺者を治安部へ引き渡し、事情聴取も受け、傷の手当てをし、自分の代わりに来た護衛に引き継ぎをしていたら、あっという間に夕方だった。
(疲れた――)
琳華はやっと一息ついた。
腹の傷はあまり深くはないものの、数日の療養が必要とのことだった。
(でも、守りおおせた)
自室で書物を読んでいると、慧が訪ねてきた。
「いけません。こちらは使用人の棟。慧さまがいらしては」
「じゃあ、バレないように、ササっと中に入るね」
こういう知恵が回るところは、昔と変わらない。思わず笑ってしまい、傷が痛んだ。
「琳華、傷はどう?」
「触らなければ、どうということはありません。大丈夫ですよ」
「俺のせいだ。ごめん……」
と、主人はうつむく。
「俺……もう七試やめるから。もう頑張るのやめるから……こんなこと起きないように」
「どういう意味ですか?」
話のつながりが分からず、琳華は首を傾げた。
「だって、目立てば狙われる。だから今まで頑張らないようにしてたのに。ちょっと頑張ったらこれだ。たった一つ合格しただけなのに。なのに、こんな怖い目に。俺、怖いよ……。琳華だって死んじゃうかもしれない。そんなの、耐えられない」
少し、意味が分かってきた。七試に合格し、王族の中で力を持てば持つほど、暗殺されるリスクが増える。それに怯えているのだ、この王子は。
(だから、今まで頑張らないように)
「主上も東宮さまも、何度も命を狙われている。あの人たちは強いし、周りにも強い護衛がたくさんついているから、何とかなっている。でも俺の護衛は――琳華だけだから。琳華が危なくなるのは、嫌だ……」
王子は今にも泣きそうだ。
「そのように、考えていらしたんですね。でも、頑張らないというのとは、別問題でしょう」
「琳華は、王族じゃないから分からないんだ!」
「――分かりません」
琳華は首を振った。
「ほらやっぱり。琳華には分からないんだよ、この怖さは」
「違います。愚かすぎて、本当に意味が分からないのです。なんという情けないことを、考えておられるのです」
相変わらず甘ったれだ。本気で腹が立ってきた。息をふうっと吐く。
「そんな甘ったれたことをぐずぐず言っている暇があったら、武芸をお磨きなさい。あなたのお父上も兄上も、ご自分の力で跳ね返してこられたのでしょう?あなたにも、できましょう。さあ剣を持って、さっさと素振りでもしていらっしゃい」
慧はぽかんとしていた。
(伝わったのだろうか……)
彼はしばらくまばたきをしていたが、ふっと笑って立ち上がった。
「分かったよ、琳華。行ってくるね」
「くれぐれも、おひとりで行動なされませんよう」
◆
慧は庭で素振りを始めた。
(琳華――)
なんとまっすぐな言葉を使うんだろう。
自分がずっと感じていたことを吐露したら、信じられない言葉が返ってきた。
――愚かすぎて、本当に意味が分からない。
こんなこと言われるなんて、思ってもみなかった。
琳華だって危ない目にあって怪我までしたのに、そんなことを少しも感じさせない。彼女は相変わらず、気迫と覇気に満ちていた。
(琳華は強い)
その言葉、考え方、眼差し。
眩しさにくらくらする。
自分の力で、現実を跳ね返す。
(そうすればいいんだ)
強くなれば、自分も琳華も守れる。もう彼女を、危ない目に合わせることもない。
(ありがとう、琳華)
琳華は光だ。
厚い雲が垂れ込めたこの心に差す、まぎれもない光。
ずっとそばにいてほしい。
(そのためには――)
なんだってする。
慧が打ち下ろした剣は月光を受け、きらりと光った。
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