12.例えば、禁軍の将軍とか
翌朝――。
「慧さま、おはようございます。一緒に朝廷へ行きましょう」
と、琳華は主人に声をかける。
まずは、勤務態度の改善。遅刻をなくすところから、始めなければ。
「まだ行く気になれない」
朝食を終えた慧は、そのままだらだらとお茶を飲んでいる。
「慧さま。琳華はお仕事があるので、もう行かなくてはなりません。一緒に行ってくださいますか?」
「そうなの?琳華のお仕事は、俺のお世話じゃん」
「あなたが仕事の時は、私も仕事です。あなたの部署、兵部の警護を仰せつかっています」
「そうなんだ」
慧は立ち上がった。
「分かったよ。琳華を遅刻させちゃ悪いよね。じゃあ行こう」
その腰には、相変わらずねじねじの帯が巻かれている。
「慧さま。帯はこちらにしてください」
そう言って琳華は、慧の帯をさっさと解いた。代わりに、自分が持ってきた帯を締めてやる。
「これは?」
「私のです。女物ですが、色は地味なので、まあ大丈夫でしょう。伸び縮みする生地なので、着け心地も良いかと」
「ふうん」
慧はされるがままだ。
「私のものなので、ねじらないでくださいよ」
「分かった。ありがと琳華」
と、抱きしめられる。まだ、帯を締め終わっていない。ここは、へそを曲げられないように、好きなようにさせたほうがよいだろう。
琳華は抱きしめられながらも、帯を結ぶ。そして、衿をきちんと整えた。
「はい、できました。では、朝廷へ行きましょう」
「待って!亀!」
「亀さま――亀くんは……琳華が職務中に散歩させて鍛えます。慧さまは、ご政務に集中を。いいですね」
「うん。それならいい」
(出発するだけでこれだ)
(先が思いやられる……)
◆
「今日から、こちらの都尉を務めさせてもらう琳華です。よろしく」
琳華は慧の警護も兼ねているため、部署替えとなった。慧が務めているこの兵部が、今日から琳華の職場だ。
(ここでは私が一番上。しっかりしなくちゃ)
「あの――都尉殿」
一つ下の立場である校尉が話しかけてきた。
「なんです?」
「その亀は、いったい……」
琳華は一瞬瞑目し、天を仰いだ。どうしたら、威厳を保ちながら、この亀の説明ができるだろう。
「警護に必要なものです。さあ、配置について」
――何がどう必要なのか。
琳華にも分からないことが、校尉に分かるはずもない。とにもかくにも校尉は、首をかしげながらも、見習いたちに指示を出し始めた。
(私は――なるべく慧さまから遠いところで、亀の散歩だ)
あの王子はあまり近づくと、気安く話しかけてきそうだ。
◆
一日は、何事もなく終わった。心配していた慧の奇行も、ほとんどなかったかのように思う。
(一日目だもの。慧さまも、ちょっとは気張ってくれたのかしら)
二人はそろって、屋敷への帰路に就いていた。
「今日、兵部に暁殿下がいらっしゃっていましたね」
琳華が襲撃を阻止した、東宮の弟だ。
「うん。来ていたね」
「どういったお立場なのですか?」
自分が見たときは、地理部の司長だった。
「今は、兵部尚書だよ」
「えっ……そんなに」
その上には、尚書令と丞相しかない。年齢は、自分より十歳ほどしか上に見えなかった。
(なのに、ずいぶんと早い出世だ――)
「兄上は――ちょっと女癖は悪いけど、勉強がすごくよくできるんだ。それに人当たりがよくて人気者。俺と違ってね」
「そうなのですか。でも裏を返せば、慧さまにもなれるお立場ですよ」
「俺は――いいよ、そういうの。頑張って偉くなったって、いいことないもん」
「そんなことありません。慧さまはまず、七試ですね。帰ったら、地理の勉強をしましょう」
「うーん……やだけど、分かった」
「ふふ……」
少し、まともになってきている。
「そうだ、琳華。琳華って、清河領から来てたよね」
「ええ」
「そこの、霍都督って――」
「私の父です」
(どうして急に、父上の話題が)
役目が終わったら、故郷に帰ると約束をしておきながら、手紙一枚で反故にしてしまった。その負い目から、ほとんど連絡を取っていない。
「やっぱり!今日、そのことが兵部で話題になってた」
少し不安が広がる。どうしたのだろう。
「最近、海のほうから、偵察艇みたいなものがよく来ているらしいんだ」
「……知りませんでした」
「それを、霍都督が見事に追い返したって」
よかった。良いほうの知らせだった。
「すごいんだね、琳華の父上は」
「ええ。自慢の父です」
身内を褒められるのは嬉しい。ずっと気になっていた父上の活躍を聞くのも、なんだか誇らしい気分だ。
「じゃあ琳華。俺と結婚してほしい」
「……昨日、お断りしたかと思いますが」
この王子はまた、何を言い出すんだ。前日に断られたばかりなのに、また同じことを言う神経が分からない。
「だって、琳華の父上は水軍の都督で、しかも活躍している」
琳華はふうっと息をはいた。
「……殿下、ものの道理をもう少し学んでください。活躍した程度で、身分が上がるわけでもなし」
「そっかー。いけると思ったんだけど。じゃあお父上が、どのくらい武功を積んで出世したらいいと思う?」
けろりとしている王子を見て、この人は何を考えているのだろうと思う。
(あり得ないことを言えば、あきらめてくれるかしら)
「そうですね。例えば、禁軍の将軍とか」
禁軍は、王直属の精鋭軍だ。都を守る四つの隊に分かれ、それぞれを一人の将軍が率いている。
将軍になれるのは、ただ武芸に秀でているだけの者ではない。王家から厚い信頼を得ている名門の出で、なおかつ、軍で大きな功績を挙げた者。それほどの身分と軍功を兼ね備えて、ようやく届く地位だ。
地方の一武官が、どれほど武功を重ねたところで、簡単になれるものではない。
「禁軍の将軍かあ……」
そう言いながら、慧は空を見渡した。琳華もそれに倣う。
父は強い。特に水軍を率いたら敵うものはいないと、殿も周りの人も褒めそやしていた。
(だからといって)
さすがに禁軍の将軍というのはあり得ない。そもそも禁軍は陸兵のみの構成だ。地方の水軍所属の武官が、禁軍へ行く理由がない。
(少しは身分差というものが、理解できたかしら)
屋敷に着くと、慧は椅子にだらしなく座り、さっそく衿をはだけた。
「あー、窮屈だった!」
「そういえば今までうかがっていませんでしたが、慧さまはどうしてそのように、衿を乱すのですか?」
「ここだよ、ここ」
と、彼は首の後ろを示す。
「ここが、なんか布がざりざりして、すごく嫌なんだ」
「なるほど、首の後ろが。では、明日のお召し物は、衿を柔らかい素材に変えておきましょう。それで一日、過ごしてみてください」
そう言って、琳華は使用人に指示を出す。
「帯はいかがでした?」
今のところ、ねじられていないようだ。
「うん。この帯、着け心地よかったよ。これ、ちょうだい」
「差し上げるのはちょっと……。同じようなものがいくつかありますので、引き続き貸して差し上げましょう」
(自分のものにしてしまったら、たぶんまたねじってしまう。私のもの、ということにしておこう)
これで少しずつ、服装が改まっていきそうだ。服さえきちんと整えれば、誰もが振り返る美丈夫なのだから、こんなことで損することはあるまい。
「俊足は少しは早くなったかな」
と、慧は亀を抱きかかえた。
亀は、王子さまから直々に「俊足」という名前を頂戴していた
「うーん……亀は長生きと聞きます。おそらく成長もゆっくりかと。引き続き俊足くんには、鍛錬を頑張ってもらいましょう」
さすがに一日中、亀の世話をするわけにはいかない。亀は、結わえた紐を庭の石に括り付けて、自由に歩かせておいた。池で泳いだり、甲羅を干したりしていたから、俊足くんにとってもそれなりに楽しい一日だったであろう。
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