第5話:黒服の男と、地下への直滑降
だだっ広いホールの奥から響いた、場違いなほど乾いた拍手の音。あたしたちの前に姿を現したのは、真っ黒な軍服に身を包んだ、銀縁眼鏡の男だった。
「いやはや。まさか絶対防壁のイージスゲートを正面から破り、さらに内部構造を物理的に破壊して、ここまで最短ルートで来るとは」
男の口元には、あたしたちを明確に見下すような、酷薄で冷たい笑みが浮かんでいる。
その整った顔立ちはどこか神経質そうで、レオンのような「とりあえず筋肉で解決する」タイプとは真逆の、知と狡猾さで相手を追い詰めるタイプの匂いがした。
「……誰よ、アンタ。この要塞の管理人ってわけじゃなさそうね」
あたしは両手に二丁の魔銃を構えたまま、じりじりと間合いを測る。ただの古代兵器の暴走だと思っていた。だが、この男の存在は、この異常事態が人為的なテロリズムであることを明確に示している。
「失礼。私の名はスナイダー。……まあ、所属する国と部隊の名は、ここで明かす必要はないでしょう。あなた方のような野蛮な冒険者に知られたところで、意味のないことですから」
スナイダーと名乗った男は、中指でスッと眼鏡のブリッジを押し上げた。
「野蛮とは失礼な。俺はいつも紳士的に、必要最小限の振りかぶりで敵を両断しているつもりだが」
「アンタのその大剣の時点で紳士もクソもないわよ! 黙ってて!」
レオンの的外れな反論を即座に叩き潰し、あたしはスナイダーに銃口を向けた。
「アンタがどこの誰かはどうでもいいわ。でも、この要塞を動かしてるのがアンタなら話は別よ。今すぐ要塞を止めて、王都への進軍を白紙に戻しなさい。さもないと、その小綺麗な軍服ごと、あたしの魔銃で消し炭にするわよ」
「……消し炭、ですか。ふふっ、面白い冗談だ」
スナイダーが鼻で笑った。
「あなた方の力は確かに規格外だ。モニター越しに見ていましたが、あの防衛ゴーレムの群れを力技で突破するとは恐れ入る。だが、ここは私が完全に掌握した要塞の中枢前。あなた方のようなチンピラが、どうこうできる場所ではありませんよ」
「チンピラ……ッ! あたしみたいな清楚で可憐な天才美少女に向かって、チンピラって言ったわね!?」
プチッ。
あたしの中で、何かがキレる音がした。
ただでさえ莫大な借金を背負わされて腹の虫の居所が悪いというのに、こんな嫌味なインテリ眼鏡にまでコケにされて、黙っていられるほどあたしは人間ができていない。
「レオン! やっつけなさい! あいつをギルドに突き出せば、要塞の件とは別で特別ボーナスが出るかもしれないわ!」
「ガハハ! 任せろ! 金の亡者と化したマールは誰にも止められんぞ!」
レオンが床を蹴った。
その巨体からは想像もつかないほどの爆発的なスピード。十メートル以上あったスナイダーとの距離を瞬時にゼロにし、身の丈ほどもある大剣が、一切の躊躇なく男の脳天へと振り下ろされる。
「シィィィッ!!」
空気を切り裂く鋭い呼気。間違いなく、鋼鉄の防衛ゴーレムすら真っ二つにした必殺の一撃だ。
「甘いですね、脳筋剣士」
だが、スナイダーは避ける素振りすら見せなかった。
彼が軽く指を鳴らした瞬間――。
キィィィンッ!!
大剣がスナイダーの頭上数センチのところで、見えない壁に激突して火花を散らした。
「なに!?」
レオンが驚愕に目を見開く。
先ほどのイージスゲートと同じ、いや、それ以上に強固な、高密度の魔法障壁がスナイダーの周囲を覆っていたのだ。
「遅いッ!」
あたしはレオンが弾かれた隙を見逃さず、左手の『フリューゲル』の引き金を引いた。
放たれた風の刃が、レオンの大剣が削った障壁の同じポイントへとピンポイントで着弾する。物理と魔法の連続波状攻撃。
しかし。
「無駄です」
スナイダーが手のひらをかざすと、空間そのものが歪むような錯覚が起き、あたしの魔法弾は明後日の方向へと逸らされ、背後の壁に空しく穴を開けただけだった。
「古代の空間歪曲シールド……ッ!? まさか、この要塞の防衛システムを完全に自分の魔力とリンクさせてるっていうの!?」
「ご名答。私は今、この要塞そのものと同化している。つまり、私を倒すということは、この山のように巨大な要塞そのものを削り切るのと同じこと。あなた方の持っている手札では、到底届かない」
スナイダーは余裕の笑みを浮かべ、手に持っていた小型の端末を操作した。
「それに、私はあなた方とまともにやり合うつもりはありません。私の目的は、この要塞を王都に直撃させること。あなた方はイレギュラーでしたが……ここで時間稼ぎの相手をする義理もない」
『ピキュキュキュッ!! 警告! 警告! 床面ノ構造ロックガ解除サレマシタ!』
レオンの頭の上にしがみついていたナビコが、突如として狂ったように赤いランプを点滅させ、けたたましい警告音を鳴らした。
「……え?」
あたしが足元を見た瞬間。
ガコンッ! という重々しい機械音と共に、あたしたちが立っていた巨大なエレベーターホールの床板が、中央から真っ二つに割れて開いたのだ。
「なっ!?」
「おっと」
足場を失ったあたしたちの体は、重力に従ってふわりと宙に浮く。
眼下に広がったのは、一切の光が届かない、底なしの暗黒の縦穴だった。
「ごきげんよう、闖入者諸君。古代のダストシュートの居心地を、最下層でたっぷりと味わうといい」
見上げる視線の先で、スナイダーが嘲笑いながら手を振っている。
「ちょっと待ちなさぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
あたしの絶叫を残し、床板は無情にも完全に閉じきった。
そして始まる、完全なるフリーフォール。
ヒュオォォォォォォォッ!!
猛烈な風切り音が耳をつんざき、胃袋が口から飛び出しそうな強烈な浮遊感があたしを襲う。
「きゃああああああっ! 落ちる落ちる落ちるぅぅぅっ!!」
「おお! これはすごい風だ! マール、空を飛んでいるみたいだぞ!」
「呑気なこと言ってんじゃないわよこのバカァ! このままじゃ最下層の床に激突して、あたしたち二人仲良くトマトケチャップになっちゃうわよ! 何か、アンタのその馬鹿力で何とかしなさいよ!」
空中でバタバタと手足を動かしながら、あたしは隣を落ちていくレオンに怒鳴りつけた。ナビコに至っては「ピキュゥゥゥゥ……」と完全に電子音を裏返させて、レオンの髪の毛に必死にしがみついている。
「仕方ない! 壁に剣を突き立ててブレーキをかけるぞ!」
レオンが空中で体勢を捻り、壁面に向かって大剣を突き出した。
ギュイィィィィィンッ!!!
剣先が要塞の壁に食い込み、凄まじい火花と金属音を撒き散らす。
しかし、落下速度が速すぎる上、壁の合金が硬すぎる。大剣は壁を削りながらも、あたしたちの落下を止めるには至らない。
「くっ! 摩擦熱で剣が駄目になってしまう! マール、お前の魔法でどうにかならんのか!」
「やってるわよ! でも駄目なの!」
あたしは何度も下に向かって風属性の魔法を放ち、その反発力で落下速度を殺そうとしていた。だが、放った魔法は壁面に吸い込まれるように消滅していく。
「このダストシュート、魔法のカスや危険物を捨てるためのルートなのよ! だから壁全体に強烈なアンチ・マジックコーティングがされてるの! あたしの魔法が全部吸い取られてるわ!」
「ピキュ……! 地上階層カラ、地下第十二層・廃棄物処理エリアマデノ直滑降デス。着地マデ、アト十秒……九……」
ナビコの無機質なカウントダウンが、死へのタイマーのように響き渡る。
「嘘でしょ、まだ借金、少しも返してないのに、こんな暗くてカビ臭いゴミ捨て場で人生の幕を下ろすなんて、絶対に嫌ぁぁぁぁぁっ!!」
「八……七……」
「マール! 俺に掴まれ!」
レオンがあたしの腕を強引に引き寄せ、その大きな体であたしを包み込むように抱え込んだ。
「レ、レオン……?」
「俺の筋肉がクッションになれば、お前だけでも助かるかもしれん。……いくぞ!」
「ちょっと! そんなことしたらアンタが……!」
「三……二……一……」
暗闇の底が、急激に迫ってくる。
あたしは思わず目をギュッと瞑り、レオンの服を強く握りしめた。
ボッフゥゥゥゥゥゥンッ!!!
けたたましい衝突音ではなく。
何か、とてつもなく柔らかくて、そして……信じられないほど臭いものに、あたしたちは全身から突っ込んだ。
「……ぐぇっ」
肺から空気が絞り出される。
痛い。全身の骨が軋むほどの衝撃はあった。だが、生きてはいる。トマトケチャップにはならずに済んだようだ。
「ぷはっ! ははは! どうやら助かったようだな、マール!」
レオンが身を起こし、豪快に笑う。
あたしもフラフラと立ち上がり、周囲を見渡した。
そこは、見渡す限りのゴミの山だった。
古代のガラクタ、謎のスライム状の廃棄物、そして数百年の時を経て発酵しきった、鼻がひん曲がるような異臭を放つ謎の堆積物。あたしたちは、そのド真ん中に深々と突き刺さっていたのだ。
「……臭い」
あたしは自分の服にべっとりと付着した、謎のヘドロ状の物体を見て、顔面を蒼白にさせた。
お気に入りの冒険者用のコートが。昨日、王都で奮発して買ったばかりの、ローズの香りの香水が。すべてが、この古代の悪臭に染め上げられている。
「……殺す」
あたしはギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「ん? マール、何か言ったか?」
「あのインテリ眼鏡……絶対にブチ殺すわよ!! 借金を倍にして、このクリーニング代と精神的苦痛の慰謝料を乗せて、身ぐるみ全部引っ剥がしてやるんだからぁぁぁぁぁっ!!」
あたしの怒りに満ちた絶叫が、地下廃棄場に空しくこだまする。
かくして、あたしたちの華麗なる要塞潜入ミッションは、最底辺のゴミの山から再スタートを余儀なくされる。
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