第2話:断れば即・投獄!? 提示されたのは絶望の紙切れ
冒険者ギルド『酔いどれトカゲ亭』の喧騒の中、あたしは冷たい木のテーブルに完全に突っ伏していた。大袈裟ではなく、口から魂がエクトプラズムとなって半分くらい抜けかけている状態だ。目の前が真っ白である。
「おいマール、せっかく頼んだ山盛りオーク肉の串焼きが冷めるぞ。食わないのか? 脂が乗っていて美味いんだが」
隣では、この世のすべての大惨事の元凶であるレオンが、実に呑気に、かつ幸せそうに肉を頬張っている。咀嚼するたびにジュワッと美味そうな音が響くが、今のあたしにはそれが悪魔の咀嚼音にしか聞こえない。あたしは首だけをギチギチと機械人形のように動かし、彼を地の底から這い出るような視線でジロリと睨みつけた。
「……アンタのその、単細胞をすり潰してさらにハッピーパウダーをまぶしたような無駄にポジティブな脳みそ、本当に羨ましいわ。この状況でよく肉が喉を通るわね。あたしなんて胃酸が逆流して口から魔力が漏れそうよ」
あたしたちの目の前には、さっきから一枚の分厚い羊皮紙が置かれている。そこには、先ほどの「ささやきの森」における地形変動に対する、目玉がソケットから飛び出て王都の外壁まで吹っ飛ぶような額の賠償金が、これでもかとばかりに生々しい数字で記されていた。
金貨、五千枚。
一般家庭が一生遊んで暮らせるどころか、ちょっとした城の補修ができるレベルの金額だ。
「なぁに、マール。気にするな。オークの群れは一網打尽にできたんだ。目的は達成したじゃないか」
「達成してないわよ! あたしたちの受けた依頼は『生け捕り』! アンタが地形ごと消し飛ばしたから、残ったのは炭ですらないただの灰! ギルドの依頼は失敗! 報酬はゼロ! その上でこの請求書よ! どこをどう解釈したら気にするななんて言葉が出てくるのよ、この脳筋バカァ!」
あたしがテーブルをバンバンと叩いて激昂していると、頭上から地鳴りのような笑い声が降ってきた。
「ガハハハハ! 相変わらず若いってのは良いな! 景気が良くて実に素晴らしい!」
ドスン、と地響きを立ててあたしたちの前の席に座ったのは、このギルドを束ねるマスターだ。顔に無数の戦傷を持ち、熊を素手で絞め殺したという噂もある筋骨隆々の親父。その筋骨隆々の親父が、顔中をクシャクシャにして満面の笑みを浮かべている。
――その笑顔の奥の目が、ミリ単位も笑っていないのが最高に恐ろしい。
「マ、マスター……。これ、何かのドッキリですよね? ほら、王都の劇団とかがよくやる、新人の度胸試し的な。請求書のゼロの数が、あたしがこれから一万年くらい不眠不休で働いても届かない気がするんですけど……」
あたしは震える声で、一縷の望みをかけて尋ねた。
「間違いなわけあるか、この大馬鹿野郎どもが!」
親父の怒号がギルド内に響き渡り、周囲の冒険者たちが一斉にビクッと肩を震わせる。
「森の管理者である精霊教会からの、一点の曇りもない正式な請求書だ! ささやきの森はな、貴重な薬草の宝庫だったんだよ! それをクレーター一発で禿げ山にしやがって! 払えなきゃ、お前ら二人揃って地下牢の最深部で、数十年は奴隷並みの強制労働だな。お前のような小娘は、毎日ツルハシを持たされて魔鉱石の採掘だ。手がボロボロに荒れて、お肌の艶も一発で消し飛ぶぞ?」
「ひ、ひえええええっ……!!」
強制労働。お肌ボロボロ。
その具体的な恐怖のイメージに、あたしの背筋がゾクリと凍りついた。うら若き自称・天才美少女魔術銃士が、薄暗い地下牢で泥にまみれてツルハシを振るうなんて、そんなのプライドが許さないというか、普通に嫌だ。絶対に嫌だ。死んだ方がマシだ!
「マスター、俺は地下牢での筋トレも悪くないと思うぞ。重いツルハシを毎日振るえば、広背筋がさらに鍛えられそうだ」
「アンタは黙ってて!! 誰もアンタの筋肉の成長具合なんて聞いてないわよ!!」
レオンの的外れな自己完結にツッコミを入れつつ、あたしは涙目でギルドマスターにすがりついた。
「マスター! お願いです、何か、何か他に方法はないんですか!? あたしたち、腕だけは確かです! どんな雑用でも、どんな危険な魔物の討伐でもやりますから!」
すると、親父はフッと鼻で笑い、肉食獣のような鋭いギロリとした目を向けた。
待ってました、と言わんばかりのその表情。あたしは本能的に察した。あ、これ、嵌められたな、と。
「ただし――だ」
親父は丸太のような太い腕を組み、テーブルの上に身を乗り出してきた。
「お前らに、この五千枚の借金を一発で帳消しにするチャンスをやらんこともない」
「ほ、本当ですかっ!?」
あたしは現金にも勢いよく顔を上げた。地獄で仏、蜘蛛の糸とはまさにこのことだ。隣のレオンも、串焼きを口に咥えたまま、珍しく真剣な表情で親父の言葉を待っている。
「ああ。実は今朝、王都の防衛軍の最高司令部から、緊急の『超高難易度・国家防衛級』の依頼が我がギルドに転がり込んできてな。条件は『とにかく腕が立ち、どんな無茶苦茶な状況でも生き残る、命知らずのトチ狂った冒険者』。これを聞いた瞬間、俺の頭にはお前ら二人のバカ面しか浮かばなかったわけだ」
「褒められてる気が全くしないんですけど、その依頼を受ければ、この悪魔の紙切れは破り捨ててくれるんですね?」
「ああ、約束しよう。軍からの報酬をそのまま賠償金の支払いに充ててやる。お前らの懐には入らんが、地下牢行きだけは免除だ」
親父はそう言うと、懐からさらに分厚く、今度は金色に縁取られた仰々しい依頼書を取り出し、テーブルに叩きつけた。
「ターゲットは、王都から遥か西方、不毛の荒野から突如として起動し、現在王都へ向けて絶賛爆進中の『古代魔動要塞』だ。お前たちの任務は、奴の内部に潜入し、その最深部にあるコアを物理的、あるいは魔法的に完全に停止させることだ」
「……は? 古代魔動、要塞?」
あたしは我が耳を疑った。
その単語には聞き覚えがある。というか、歴史の教科書の『失われた古代魔法文明の脅威』という章で、絶対に試験に出る重要赤文字として太々と書かれていたやつだ。
「ちょっと待ちなさいよマスター! 古代魔動要塞って、あの数百年前の大戦で一国を数日で滅ぼしたっていう、山みたいにデカい自律型の自動殺戮兵器のことよね!?」
「そうだ。現在、時速二十キロという、あの巨体にしては信じられないスピードでこちらに向かっている。このままだと、あと三日もしないうちに王都の外壁は文字通り紙屑のように踏み潰され、数十万の市民がペシャンコだ」
親父は淡々と、しかし恐ろしい事実を口にする。
「そんな国が滅びかねないヤバい大事件、なんでただの冒険者に回してくるのよ! 国家防衛軍の精鋭騎士団とか、宮廷魔術師団とかを総動員して突撃させなさいよ! あたしたちの仕事じゃないわ!」
「軍の主力は現在、運悪く北の国境での小競り合いに対応するため、十中八九出払っていてな。王都に残っているのは留守番の二線級ばかりだ。おまけに、その要塞の防衛システムが尋常じゃなく厄介でな。大軍で近づけば、長距離魔導砲の餌食になって近づく前に一網打尽にされる。だからこそ、軍のレーダーに引っかからない少数の、それも規格外のバカげた突破力を持った遊撃部隊が、隠密に内部へ侵入する必要があるんだよ」
親父の視線が、あたしの腰の二丁の魔銃「カノン」と「フリューゲル」、そしてレオンが背負う身の丈超えの大剣へと向けられる。
「……なるほど。軍の大規模な兵力では近づけない場所へ、少数の精鋭として切り込むわけか。つまり、俺たちの森を吹き飛ばすほどのバカげた火力が、今度は国を救うために必要とされている。面白い、腕が鳴るなマール」
レオンがふんふんと腕組みをして、一人でやけに熱く納得している。
「納得しないでよ! 死ぬわよ! 相手は動く山なのよ!? 隠密に潜入って言ったって、あたしたちのどこに隠密要素があるのよ! アンタの戦い方はいつも『正面突破の大爆発』じゃないの!」
「気にするなマール。敵がすべて消え去れば、それは実質的にステルスだ」
「それはステルスじゃなくてただのジェノサイドよ!!」
あたしの必死のツッコミも、レオンの鋼鉄のポジティブメンタルにはかすりもしない。
「ま、嫌なら断ってもいいんだぞ?」
親父がニヤニヤしながら、腰の後ろからガチャリと、魔法のルーンが刻まれたごつい対魔術師用の手錠を取り出して見せた。
「今すぐここでその美味そうな肉の家宅捜索をやめて、地下牢の暗闇でおネエ言葉の看守たちと仲良く暮らすか。それとも、一か八か動く山をぶっ壊して英雄になるか。選ぶ権利はお前ら冒険者にある。さあ、どっちだ?」
選ぶ権利なんて最初から無いようなものだ。あたしは目の前の羊皮紙の「金貨五千枚」という数字と、親父の手の手錠を交互に見つめ、それから隣で「早く行こうぜ」と言わんばかりに目を輝かせている相棒を見た。
はぁ。どうしてあたしの人生は、いつもこう、崖っぷちのさらに先端に追い詰められるようなことばかり起きるのかしら。
「……分かりましたよ、やればいいんでしょ、やれば!」
あたしは血の涙を流しながら、親父の差し出した金色に輝く依頼書に、愛用の羽ペンで叩きつけるようにサインをした。
「ガハハハ! 聞き分けが良くて助かるぜ! 出発は今すぐだ。要塞は現在、王都の西にある『乾いた嘆きの荒野』を通過中だ。馬を飛ばせば半日で追いつく。お前らの馬代と最低限の兵糧は、特別に俺のポケットマネーから引いといてやるからな!」
「結局借金が増えてるじゃないのよーーーっ!?」
ギルドの天井が抜けんばかりのあたしの絶叫を最後に、あたしたちの借金返済と、ついでに国家の命運を懸けた、最高に最悪で絶望的な超高難易度ミッションが始まる。
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