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殺し屋は詐欺師に跪く  作者: 男鹿七海
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静寂の襲撃

 三日前。

 君下雪都は、偽情報の回収で追い詰められていた。男はそれが偽物だと気付き、容赦なく距離を詰めてくる。逃げ場はない。

 ──その時、七条が現れた。

 男は偶然にも七条の標的だった。交差は一瞬。ナイフが沈み、男は声もなく崩れる。

 七条は何も言わず、傷だらけの君下を肩に担ぎ、神崎の煙草屋へ向かった。

 そして、それから三日後の夜。

 静かすぎると逆に音を増やす。七条はそう思っている。完全な無音は存在しない。だからこそ、擦れや、呼吸の癖や、床材の軋みがやけに大きく響く。

 今もそうだ。古びた雑居ビルの三階。看板は消え、テナントの半分は空。残りもまともに息をしていない。

 そんな場所に、標的はいる。──いるはずだった。

(……多いな)

 廊下の角で、七条は足を止めた。

 扉の向こうの気配が一つではない。一人は椅子に座っている。それを中心に、左右に二つ。更に奥に一つ。合計、四つ。

(聞いてない)

 依頼の情報は“単独”。つまり、これは追加か、あるいは最初からの嘘か。どちらでもいい──。

(面倒臭いだけだ)

 帰りが少し遅くなる。それだけの話だ。ドアノブに触れるも、鍵はかかっていない。

 ──分かりやすい。

 七条はそのまま、静かにドアを押し開けた。

 部屋は明るい。白い蛍光灯が、隠れる場所を殆ど残していない。中央の椅子に、男が一人。そして壁際に散った影が三つ。視線が一斉に集まる。

「遅かったな」

 振り返らないまま、椅子に座っている男が言う。七条は音を立てずに扉を閉めた。

「人数増えてるぞ」

 責める調子でも、驚いた調子でもない。そう、唯の確認。

「用心しているだけだ」

 その言葉の終わりに空気が動く。七条は振り返らない。半歩だけずれる。

 それだけで、背後をかすめた何かが空を切り、壁に鈍い音を残した。そのまま前へ距離を詰める。

 横から腕が伸びる。視界の端で捉えるだけで、対応は終わっている。

 内側に入り込む。触れた、というより擦れた程度。息が詰まる音。次の瞬間、床に崩れる気配。一人──。正面からすぐに次が来る。椅子に座っていた男が立ち上がる。同時に奥の一人が動く。

 挟む形に七条は一度、足を止めた。

 わざと遅れる。その一瞬に、意識が集中する。だから崩れる。

 椅子の男が先に来る。踏み込みが速い。

(甘い)

 七条の視界が狭まる。次の瞬間、距離は消えている。伸びきる前の腕のその内側へ。近すぎる距離で、衝撃は音にならない。

 遅れて、湿った感触が頬に触れた。男の身体から力が抜ける。二人が崩れた──。

 奥の一人が遅れて踏み込む。焦りが混じっている。七条は振り返らない。

 背中越しに位置を測り、最小限だけ体を動かす。空を切る音。次いで、足音が乱れる。距離が近付いた瞬間だけ、七条は手を動かした。それで終わる。倒れる音が一つ。三人──。

 最後の一人は、もう来ない。壁際で、息を殺している。七条はゆっくりと視線を向けた。

「まだやるか?」

 問いは軽い。答えを待つ前に、距離を詰める。短い音。それで全てが終わった。部屋に残るのは、消えていく呼吸だけ。

 七条は暫く動かない。唯、余計な音がないかを聞いている。

 ──静かだ。

 本当に、何もない。

「帰ろ」

 そう小さく呟く。頬に触れれば指先に、乾ききっていない感触が残る。

 視線を落とせば、シャツにも、ジャケットにも、暗い染みが点々と広がっている。

 派手ではないが、無視できる量でもない。手の甲で顔を軽く拭う。だが完全には落ちない。寧ろ、少し伸びただけだ。どうせ帰るだけだ。だからどうでもよかった。

 部屋を出る前に、一度だけ振り返る。誰もこちらを見ていない。明かりの消えた廊下に出て、七条は歩き出す。

 足音は、来た時よりもに重い。服に残ったそれが、少しだけ現実を引き留めていた。

『ご利用ありがとうございまーす!殺し屋御用達処理屋です!』

 受話口の向こうは、場違いなほどに明るい。湿り気を帯びた空気の中に、その声だけが浮いている。七条は一瞬だけ、耳を遠ざけたくなる衝動を覚えたが、特に意味もないと判断して、そのまま聞き流した。こういう軽さの裏で、仕事だけは正確だということを知っている。

「霞崎か」

 名前だけを置くように言う。確認でもあり、呼び出しでもある。

『えー!九薙伊澄くん!?伊澄くん、何、仕事?今から向かうよ!』

 間髪入れずに返ってくる声に、七条は視線を落とした。足元に残るもの、壁に残るもの。それらを一つずつ切り離すように、意識を外していく。長居する理由はない。急ぐ理由もまたない。唯処理が来るまでの、短く切り詰められた時間。

「北側にある雑居ビルの三階」

 必要な情報だけを並べる。説明も補足もいらない。向こうはそれで辿り着く。

『おっけー!』

 軽い応答のあと、通話は途切れた。機械的な無音が戻る。先ほどまでの気配とは違う、何も手触りのない静けさ。七条は端末をしまい、もう一度だけ室内を見渡したあと、今度こそ背を向けた。


 ◆


 帰路は短かったはずなのに、妙に長く感じられた。靴底にまとわりつくような感覚が消えないせいかもしれない。玄関の扉を開けると、室内の光が広がる。人の気配はある。しかし視界には映らない。

 七条は靴を脱ぎながら、顔をしかめた。普段なら、気配と同時に姿もある。そうでないだけで、余計な想像が入り込む。

 その直後、脱衣場の方で水気を含んだ足音がした。続いて、引き戸が開く音。

 湯気を背負うようにして現れた三剣は、頭に無造作にタオルを乗せ、体には最低限の布しか纏っていない。まだ乾ききっていない水滴が、鎖骨から腹へと細く流れている。

「龍二、おかえり」

 声をかけるより先に、体が動いていた。距離を詰め、そのまま抱き寄せる。乾きかけた血の匂いが、遅れて自分に戻ってくる。柔らかい温度に触れた瞬間、それがやけに際立った。

 弾かれるように、タオルが床へ落ちる。軽い音が一つだけ響いた。

「龍二?」

 名を呼ばれる。違和感を含んだ、短い声。

「…又居なくなったかと思った」

 七条はそのまま、肩口に額を預けるようにして呟いた。言葉にするほどのものでもなかったが、口に出した方が収まりがいい。実際に何かが起きたわけではない。唯、視界にいなかった。

 三剣の体温は、さっきまでの場所とは違っていた。確かに生きている温度で、余計なものを少しずつ削ぎ落としていく。

「流石に家にまでお仕掛けられたら、困るなぁ」

 軽く言っているはずなのに、冗談には聞こえなかった。

 七条はようやく顔を上げ、床に落ちたタオルへ一度だけ視線をやったあと、もう一度三剣へと戻した。


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