第六十六話 「本当の気持ち」
「――ッ!?」
とてつもない悪夢を見たせいか、吹き出た汗により肌着だけでなく制服までべたべたになっていて、気持ち悪さと夢の衝撃とで反射的に智也は飛び起きた。
必然、胸部に走る痛み。
それに顔をしかめながら胸の下辺りを抑え、ゆっくり枕に頭を預ける。その流れで、壁掛け時計に目をやった。
――七時三十五分。
昨日より更に遅い目覚めとなったのは、間違いなく朝練に行く必要がないと考えたことが影響しているだろう。
本来なら目覚ましをかけることなく好きな時間に起床できるのだから、こうして寝坊していることこそが、まさに意欲低下の現れである。
「はぁ……」
また長い一日が始まる。
そう考えると胸の中で重苦しい何かが膨れ上がってきて、ため息と共に吐き出そうとするも、その『何か』は晴れてくれない。
元の世界なら暇を潰すためのゲームが山ほどあった。
それらがあれば何時間でも何十時間でも退屈を凌ぐ自信があったが、ここに智也を満たしてくれる物は存在しない。
結局、今後の方針も決まらず仕舞いだ。
目的を失い、夢を諦め、そのうち居場所までなくすことだろう。そうなってくると、いよいよこの世界にいる意味が分からなくなる。
――帰りたい。
そんな気持ちが日増しに強くなっていった。
✱✱✱✱✱✱✱
静かで淀んだ空気の満ちる部屋に、秒針の音だけが小刻みに鳴っている。いつしか外の景色を眺めることにも飽きた智也は、何も考えることなく呆然と時計を眺め、まるで機能しなくなった脳にその音を延々と響かせていた。
何もかもを忘れ、何もかもをなかったことにして、ただただ延々と、一点を見つめていた。
――あれから、三日間ずっとである。
つまり初めて学園を休んだあの日から、もう四日が経とうとしていた。
けれど今の智也には、もうなにもする気力が起きなくて。自分の存在意義が感じられず、最悪このまま一生を終えていいとさえ思うこともあった。
ただ、変わらず新井さんが食事を運んできてくれるので、智也はそれを慣れたように部屋の中に運び、一応の栄養は摂っていた。
要は、何をするにしても覚悟が足りないのである。
そうして中途半端に現状を維持して、無為に時を過ごしていたのだ。
このままでいいのかと――そう思わないでもなかったが、三日間ずっと秒針を眺めていると、いよいよ思考力も落ちてくる。
惰眠を貪り適当な時間に起きて、腹が空いたら飯を食い、そして眠くなるまで時計を見つめる。そんな生活を繰り返していた。
念のため一度は風呂に入ったので、体臭はそこまで気にならない。ただその際に寝間着に着替えて以来、もう制服を着ることすらなくなってしまった。
あれほどまで意欲に燃えていたことが、まるで嘘のようだと自分でも思えた。
でも智也は何も変わっちゃいない。元々こういう人間なのだ。そうならなかったのは、ずっと智也の尻を叩いてくれる存在がいたからである。
――あんなに目障りに感じた存在が、今や恋しいとすら思えた。
そうやって今日も無意味な時間を過ごすはずだった智也の一日に、初めて変化が訪れる。
虚無の世界に身を置いていた智也の耳に、外界から二人の話し声が聞こえてきたのだ。
「そっちはどうだったっスか?」
「んー、見当たらなかったよ。もしかしたらこの街には住んでいないのかな」
思考力の低下した頭でも、それが七霧と国枝の声だということは知れた。
小窓に近付き、こっそり外の様子を窺えば、辺りをきょろきょろと見回す二人の姿が見える。
後ろを一瞥して時計の針を確認するが、昼前のこの時間はまだ授業中のはず。
ではどうしてあの二人が広場に――と熟思黙想して、久しぶりに頭を使ったからか締め付けられるような痛みを感じた。
「おかしいっスね~、先生は居るはずだーって言ってたっスけど」
「……そうだね」
と、二人と視線が合いそうになり、智也は咄嗟に身を隠した。
妙な動悸がして胸が締め付けられ、頭は圧迫されたように鈍く痛み、終いには二人の制服姿から藤間を連想して、心身共に深く刻まれた傷が疼いて呼吸も苦しくなる。
「もう、めちゃくちゃだ……」
「――ほんと痛々しくて、見るに堪えませんよ」
身も心もぐちゃぐちゃになって、夢もプライドもズタズタにされて、半場泣きそうになりながら呟いたその声を、誰かに拾われた。
心臓が跳ねて、もう一度窓の外を見やるが、あの二人に聞こえているはずもなく。諦めたように去っていく後ろ姿が。
なら誰が。そう思った智也の視界の端、まばゆい光が在った。
ソレは夜空を照らす月のように美しい黄金と、まるで暗闇そのものを孕んだような漆黒を兼ね備えていた。
細い肩紐で吊るした袖のない上着に、膝上までしかない短いズボンを穿いたその者は、憐憫の眼差しで智也を見つめている。
――そう、紛うことなきこの世界へと連れ出した張本人だ。
「お前……なんでここに!?」
「お久しぶりですね、智也様」
あの日と同じ笑顔を浮かべた少女の姿に、信じられないものを見るような眼差しを向ける。
咄嗟に部屋の入口を確認したが、扉が開いた形跡はない。
その既視感ある光景に、智也は眉をひそめた。
「そんな中身のない挨拶は不要だ。どうやって俺の居場所を……いやそれよりも、今までどこで何してたんだよ」
「そんなに私との再会が待ち遠しかったのですか? なんだか照れちゃいます」
勝手に異世界へ連れ出しておいてほとんど何の説明もなく姿を消し、今の今まで行方をくらましていたのだ。智也には物申したいことが山ほどあった。
それを曲解し、口元に手を当てながら恥じらう少女にあの日と変わらぬ白い目を向けて、
「わざわざ姿を見せたんだ、お前だって何か用があるんだろ。だったらこっちの話にも付き合ってもらうぞ」
「今は特に、これといった用事はありませんよ。本当ならもっと後にお会いする予定だったんですから。……そうしたら感動の再会になったのになぁ」
言いながら、腰掛けたベッドの上で脚をぶらぶらと揺らしている。そんな少女に依然、智也は訝しげな表情で。
「……。本当ならもっと後にお会いする予定だったんですよ。そうしたら感動の再会になったのになぁ」
「二回も言うな」
片目を閉じて、悪戯に笑う少女。
それから「話というのはなんでしょう?」と、偉く素直に聞き入る姿勢に入ったので、これはチャンスだと智也は踏んだ。
「まず、なんで俺をこの世界に連れてきた」
「言いませんでしたっけ? 貴方にお願いしたいことがあるからです」
「それは俺である必要があったのか」
「はい、貴方と私は運命共同体ですから」
「俺は真面目に聞いてるんだぞ」
「私も真面目に答えていますよ?」
どこが真面目なんだと智也はため息をこぼすが、少女は心底不思議そうな顔をしている。
暫し見つめあったあと「まぁいい」と諦めて、仕方なく次に移行した。
「そのお願いってのはなんなんだよ。いい加減教えてくれてもいいんじゃないのか」
「うーん、今の貴方に頼みごとができるようには思えませんが」
痛いところを突かれて思わず苦鳴が漏れた。たしかに、自堕落な生活を送っていた奴になにかができるとは思えない。
本当は頼みを聞いた上でそれを遂行し、その見返りを以てこちらの意に従ってもらう算段だったが、浅はかな企みはいま潰えてしまった。
いきなりの手詰まりに、どうすればいいか分からなくなってしまう智也。いつもならもっとマシな形で働きかけていただろうに、あろうことか明け透けに、なんの恥じらいもなくそれを口にした。
「……正直俺は、もうこの世界で生きていく自信がない。結局、環境が変わっても俺は俺なんだよ。あの日、馬鹿みたいに夢見てたことが滑稽に思えるだろ?」
「……」
今の自分がどれだけ醜く映っているのか、理解できないまでに智也は零落していた。
惨めで、情けなくて、プライドも男らしさの欠片もない、唾棄すべき姿。そんな姿を熟視する少女の前で、さらに智也は恥を上塗りしていく。
「あのときお前は元の世界には帰れないって言ったけど、それは俺を拘束したいがための虚言だったんじゃないのか? やっぱり本当は、自由に行き来ができるんだよ」
「嘘じゃありませんよ」
「いまの俺なら断言できる。あのときのあれは、転移魔法だ。この短期間で似たものを数回だけ目にすることがあったが、どう考えても高度な魔法だった。それが世界を移り渡るなんて馬鹿げた規模の仕掛けともなれば、相当な魔力を消耗したはず……。だからお前は今まで力を蓄えていた」
そうに違いないと確信めき、声を大にする智也。さながら光明を見出だしたかのような振る舞いだが、少女は変わらず否を突きつける。
「いいえ、あれはもう使えないんです」
「あぁわかった、今はまだ回復しきってないってことか。全快したらまた使えるんだろ? どれくらい待てばいい?」
「もう使えないんですよ!」
少女の声が、耳を劈いた。
久しぶりに感じた大きな音に鼓膜がビリビリと震える。その衝撃を受けて反射的に智也も声を荒らげた。
「なんで……お前が連れきてたんだろ!? だったら責任もって帰してくれよ!」
一瞬だけ、今の発言を後悔した。とてつもなく悲しそうな顔が映った気がしたからだ。
だが、沸き上がってくる負の感情が、濁流のように押し寄せてそれらを攫っていった。
「こんな惨めな思いをするなら、異世界なんて来なければよかった。ずっと温かい家の中で好きなことをしていた方が、よっぽど有意義だった!」
「それが貴方の本心ですか? それが一番の望みですか?」
打って変わった夜風のような声色に、冷たさとうら悲しさを感じて頭が冷やされる。それでも智也は「あぁそうだよ」と我を通して。
「――がっかりです。どうせなら、なんで異世界人の俺に魔法が使えるんだーとか、なんで俺には魔武器がないんだよーとか、そういう質問をされたかったなぁ。でもまぁ、生きる意味を見失ってしまったんだからそうなりますかね」
「なに……?」
まるで全てを見ていたかのような物言いに、智也は困惑を隠せない。
そも、「見るに堪えない」だのなんだの言って現れたということは、少女はずっとどこかで智也のことを監視していたのだろうか。
「そんなに驚くことでしょうか。『陰ながら応援しています』と、そうお伝えしたはずです」
と少女は口にするが、それにしたって知りすぎている。その件については甚だ不可解ではあるが、いまはそんなことどうだっていい。
危うく流れを塗り替えられそうになりつつも、智也は再び腹の内に熱を灯した。
「とにかく、俺はもうここには居たくないんだよ」
「そうやってまた逃げるんですか?」
瞬間、灯した熱がたちまち全身に広がり、はち切れそうなほど脈打った。
図星だったのだ。
そのせいか、なにも言葉を発することができなくなってしまう。
「それで貴方は本当に満足できるのですか?」
「それは……」
「魂に染み込んだ惰性や志は、たとえ器が変わろうと消えることはありません。貴方自身が変わらない限り、貴方は一生そのままですよ」
「……俺のなにを知ってそんなことが言い切れるんだよ」
「知っていますよ。全部見ていましたから」
「だからなんだ。一度決めたことを簡単に諦めるなとか、努力は報われるから最後まで頑張れだとか、そういう自分の価値観を押し付けたいだけの、ただのお節介だろ」
「違います」
「違わねぇ。お前に俺の気持ちなんて分かるはずが」
「分かりますよ!」
否定なんて許さない。何も知らない他人にとやかく言われる筋合いなどない。そう思って少女の言葉を払い除けたはずなのに、その上から更に被せられて思考が鈍る。
――嫌な視線だ。
真っ直ぐこちらを見つめて離さないその力強い眼差しに、智也は思わず目を背けてしまう。
そうして怯んだのをいいことに、少女は無遠慮に心の中へ土足で踏み入ろうとしてきた。
「恵まれない環境下にあっても、貴方は前向きに歩もうとしていました。変わろうとしていました。凄いじゃないですか、充分頑張っていましたよ」
「それでも、勝てない相手には勝てないんだよ」
「勝てなくちゃダメですか? 一番じゃないとダメですか?」
「そうでなきゃ、積み重ねた努力の意味がない」
「果たしてそうでしょうか。確かに形が残るのは結果ばかりですけど、そこに至るまでの過程も大事なんじゃないですか?」
「どれだけ過程を積んだところで、結果が出せなきゃ評価はされない。ゼロとイチとじゃ、まるで意味が違うんだよ」
言い解いて歩み寄ろうとした少女を前に、智也は心のバリケードを張り巡らせる。
それで返す言葉を失ったのか、小さな口をぎゅっと噤んで俯いた少女に、智也は少し安堵した。
「……」
テーブルの上に放置してあった硬貨を見て、何を思ったのか少女はそれを縦に積み始める。
何をしているのか、などと興味は湧かず、ただ不可思議なその奇行を横目に見た。
腹いせに掠め取られるのではないか、なんて見当違いなことを考える智也の傍らで、次第に硬貨で築かれた二つの塔が積み立てられていく。
といっても枚数が少ないため大した高さもなく、奇数ではアンバランスな外形にしかならない。こんな児戯的な行いに何の意味があるというのか。
「九枚と十枚の塔。確かに見た目では前者が劣っていますが、その差は僅かです」
「何を言うかと思えばまだその話か。実際に俺が感じたアイツとの差は、そんな硬貨一枚分どころじゃなかったはずだ。『見ていた』なら分かるだろ」
くだらない、と鼻を鳴らして背を向ける智也。それでも少女は気を引こうとしてか、やにわに指を鳴らそうとした。
相変わらずの、理解に苦しむ行動だ。
そのうえ大して上手くもできずに、指の擦れる不愉快な音だけが何度も繰り返される。
募る苛立ちに堪らず視線を誘導されれば、そこに見えたのは積み重なった九枚の――金の硬貨だった。
何かの手品のつもりか。視線を外した隙に入れ替わっていた硬貨の色に、智也は顔をしかめた。
「見掛けが劣っていたとしても……貴方が積み重ねてきた時間や努力、その過程によって『価値』は変わります。結果が出なくても、間違いなくあなたの中には経験という力が備わっているんじゃないですか?」
「何度も言わせるな。過程がどうとか経験がどうとか、そんなの関係ないんだよ。俺は……結果が欲しかったんだ」
「だったらなんで結果が出るまで頑張ろうとしないんですか? なんでそうやってすぐに諦めるんですか?」
またしても急所を突かれ、気圧されるが、すぐさま拳を固めて切り返す。
勢い付けて叩いたテーブルが揺れ、二つの塔が瓦解した。
「仕方ないだろ! どう足掻いたって勝てない奴には勝てないんだよ!」
腹の底から湧き上がってくる激情を抑えられない。
つい数分前に同じ言葉を放っているにも関わらず、智也はまた、無意識にそう叫んでいた。
「壁っていうのは越えられないから壁なんだよ。易々と乗り越えられるようなものを、壁とは呼ばない」
「壁の定義についてお話しているんじゃありません」
「だったらなんだ。何を知りたいんだよ。俺に何をさせたいんだよ!」
「貴方の、本当の気持ちですよ」
一瞬、完全に思考が停止した。
本当の気持ちってなんだ。
それを聞いて、何になるっていうんだ。自分でも分からないその感情を、どうして知った風な顔で聞いてくるんだよ。
混乱を極める智也に、少女は続ける。
「本当は、諦めたくなかったんじゃないですか?」
「……やめろ。勝手な憶測で語るな」
「貴方は今でも諦めきれていないんですよ。そうじゃなきゃ、おかしいです」
「……お前の価値観を俺に押し付けるな」
「貴方のその顔は、全てを諦めた者の顔じゃありません。だから心にわだかまりを抱えている」
「――やめろ!」
一歩、また一歩と詰め寄ってくる少女から逃げるように後ずさる。
体格差があるにも関わらず、壁まで追い込まれた智也はそこで気を呑まれて尻餅をついた。
「ずっと後悔してたんですよね? だからそんなにも辛そうな顔をしているんですよね?」
目の前の少女が言葉を投げかけてくるたび、その言葉を否定すればするたびに、智也の胸は得体のしれない何かに締め付けられて悲鳴を上げる。
ずっと感じていたソレを理解してしまいそうで、こんな名前も知らない他人に諭されそうになっているのが気に入らなくて、智也は胸を押さえながら、ひたすら首を振り続けた。
「違う、そうじゃない。俺は……違う、仕方なかったんだ。だって諦めるしか……」
「分からないなら教えてあげますよ。――貴方のこの胸の中にあるものは、未練と悔しさです」
そう言って、少女は智也の胸に手を重ねてきた。
それを振り払うこともできず、智也はただただ黒瞳を見開くばかり。
「勝てない相手には勝てない。結果が出せないと意味がない。壁は越えられないものだ。なんて、貴方が溢した言葉は全て、諦められない気持ちと悔しさの裏返しじゃないですか」
「仕方ないだろ……才ある者に比べて、凡人が手にすることのできる幸福は限られてるんだよ」
「そうやって仕方がないと諦めることで、貴方は自分の気持ちを隠してきた。人一倍負けず嫌いなくせに」
「じゃあどうしろっていうんだよ。負けたくないからって現実は甘くない。諦める以外に何ができるんだよ……!」
「努力を続ければいいじゃないですか!」
心の臓に届くくらい鋭く、その声は智也の身に沁み渡った。
「たかが二週間、たかが二年。それで足りないからってなんですか? 足りないならもっと頑張ればいいじゃないですか!」
「簡単に言うなよ! それで夢が叶うなら、誰だってやってんだよ!」
「えぇそうですよ。途中で投げ出すような人はみな、口を揃えてそう言いますね。常套句ですよね」
「なんだと……?」
小馬鹿にしたような物言いに腸が煮えくり返った。
聞き捨てならない発言だ。それを追及しようと喉まで出かかった言葉が、不意の大声に驚いて引っ込んでしまう。
「本気で! 最後まで死に物狂いで戦って、悔いの残らないほど全力を出して、何度も限界を越えて挑戦して、諦めずに立ち上がってなお、それでも夢破れてから口にしてください。――貴方にはまだ、時間も気力もあるはずです」
「ッ……」
「そこまでやって夢破れたならば、私は貴方のことをカッコ悪いとは思わないでしょう。きっと、取り零した夢の変わりとなる価値あるものが、備わっているはずですから」
「くっ……そ、なんなんだよ……!」
綯い混ぜになった感情が、腹の中で渦を巻いている。
もはや勢いに任せて熱を吐くこともできず、悔し紛れに悪態をつくのが精一杯だった。
勝ちたかった。成し遂げたかった。もう一度、自分の存在意義を感じ取りたかった。
諦めたくなかった。挑戦したかった。今度こそ、限界を越えるまで戦い続けたかった。弱い自分を変えたかった。
――心の奥底に隠していた気持ちが表に溢れ出てきて、歯を食いしばることで堪えようとしたが、抑えきれなかった思いが次々とこぼれ落ちてしまう。
何故こうも痛いところを的確に突かれるのか。自分さえ気付いていない深層心理が求めているものを、どうして彼女に分かるのか。
心を読まれたという次元の話ではなく、それは本当に心の全てを理解しているかのようであった。
「なんで、お前なんかに……」
「言ったはずですよ、全部見ていましたと」
そう言って組んだ後ろ手をこちらに向ける少女。
智也は、必死に込み上がってくる嗚咽を隠した。
「大丈夫、きっと貴方は変われますよ。私が保証してあげます」
「お前にそれを言われても嬉しくねぇよ、くそ……」
優しい笑みを湛えて振り向いた少女に、智也は滲んだ視界を乱暴に右腕で拭いつつ、せめてもの抗いとして弱々しくも毒を吐く。
「えー! 今のは感動するところだと思ったのになぁ」
「あの人の言葉を汚すな。そもそも、なんでそこまで焚き付けてくるんだよ。俺が目標を達成することと、お前の頼み事になにか関係でもあるのか」
「まだごねるんですかぁ? うーん、頭でも撫でた方がよかったのかな……」
「やめろ、触るな、そして話を逸らすな」
黒髪に視線を向ける少女を手で払いつつ、返答を求めてその顔を注視する。
少女は一時だけ思考を巡らすように目線を外したあと、すぐに智也を見つめ返し、こう言った。
「貴方の一生懸命がんばる姿に、心惹かれたからですよ」
屈託のない笑顔を浮かべる少女を、小窓から入り込んだ陽光が照らす。
そうでなくとも美しい黄金色の髪は、光に照らされたことで何倍も艶やかに映えて。
しかしその美しい髪ではなく、智也は少女のその笑顔に目を奪われてしまった。
――キラキラ輝く光が、暗い世界に色をつけていく。
何物も、何者も存在しなかった虚無の世界が色付いて、元の景色を取り戻した。
ひび割れて、欠損して、崩れ落ちて泥になり、傷だらけになっていた心が、確かに癒えていくのを感じて。
「……なんだよ、それ」
なんて、もはや意味のない照れ隠しだと分かっていながら、智也はそう呟いた。




