第六十七話 「夜明け」
意識が覚醒し、眠りから覚める。
いつものように伸びをしてから体を起こそうとした智也は、そこで自分の腕に何か硬い感触を得た。
「んん……」
邪魔くさい、と朧気な意識で考えながら何度か押してみるが、壁の硬さとはまた違うようだと分かる。
不思議に思いながら上体を起こすと、同時に横から妙な声が聞こえた。
寝ぼけ眼で声がした方を見やると、そこにいたのはあどけない寝顔を晒す少女の姿だ。
「……何やってるんだ、お前」
「んむ……もう朝ですかぁ……?」
当然のように同じ布団で寝ていた少女に智也がゾッとしていると、少女はまだ眠いと言わんばかりの表情で、目を擦りながら同じように体を起こす。
「なんで当たり前のように横で寝てるんだよ」
「えへへ、新婚夫婦みたいですね」
「縁もゆかりもない他人の間違いだろ……」
「ひどいです、傷つきました」
なんて言いながら唇を尖らせる少女を捨て置いて、智也は壁掛け時計に視線をやる。
数日間不規則な生活を送っていたせいか、予定よりかなり目覚めが遅くなった。
――それでも、
「今から急いで準備すれば、七時には間に合う……か」
「行くんですか?」
「まぁ、な。身勝手な行動で、迷惑をかけてしまった人がいるから」
「……良かったです。あのままいけば、きっと貴方は廃人になっていたでしょうから」
「否定はしないが……」
黒瞳に安堵の色を浮かべていた少女の顔が一変、何かを欲するかのような、あざとい表情に変わる。
意図的に繰り返される瞬きに、口角の上がった唇。そうして強請るように向けられた眼差しが、何を求めているのかすぐに智也は察した。
「二度は言わねぇよ」
「えー!」
子供のように――というより、見た目相応の反応を見せる少女にしかし、智也はせかせかと身支度を整えていく。
「悪いがお前に構ってる暇はない。朝は忙しいんだ」
「……大人ぶっちゃって。昨日ボロボロ泣いてたのは誰でしたっけ?」
「うるせぇ、その話はやめろ」
こんな名も知らぬ少女に励まされ、自分の抱える痛みを理解された挙句、情けなくも涙を流してしまったのだ。智也としては、黒歴史に残るほどの恥である。
とはいえ、そのおかげというのは癪でも、事実こうして前向きに行動できるくらいには立ち直れている。
――たかが二週間、たかが二年。それで足りなければ、事足りるまで頑張ればいい。
敗北を恐れ、逃げてばかりいた智也に少女がかけた言葉は単純明快で、しかしずっと心のどこかで求めていたものでもあった。
不安で震える背を優しく支え、怖じ気づけば喝を入れて押し出してくれる――そんな言葉を。
だから智也は今一度頑張ってみようと思った。
身の回りの問題は何一つ解決しておらず、これまで通り歩む道はぬかるんでいる。
それでも、やってやるぞという志を黒瞳に宿して。
「少しはこちらの世界にも慣れてきましたか?」
「……まぁな」
「そうですか、それは何よりです」
時折そんな会話も交えて。なんだかんだ少女を無下にできずにいた智也の、その反応を楽しむように少女はまた笑っていた。
そうして朝の時間はあっという間に過ぎて、身支度を整えた智也が、最後に苦戦しながらネクタイを締め終える。
「俺はもう行くけど、結局お前はどうするんだ」
「んーそうですね、まずはお洗濯とお掃除をして、それから中央広場で買い物を済ませたあとに、美味しいご飯を作って貴方の帰りを待っていますよ」
「その変な設定をやめろ。第一、それだと呼び方が別の意味に聞こえてくる」
「では智也様。ということで、メイドと主人という設定はいかがでしょう?」
「別に設定は要らないんだよ」
見えないスカートを摘まんでお辞儀してみせた少女の頭に、智也が手刀を入れる。
それで不服そうな眼差しを向けられるが、叩いてくれと言わんばかりに頭を差し出したのが悪いと、智也は主張しておく。
「くだらないやり取りするならもう行くぞ」
「では、いってらっしゃいのキスを」
「……」
上を向いて目を瞑る少女に冷めた視線を向けたあと、智也は音を出さないように静かに部屋から抜け出した。
「はぁ、朝から疲れた」
余計な誤解を生まぬため、下宿屋の人には見つからないようにしろと念を押してあるが、果たしてどうなることやら。
そもそも今までずっと監視していたのなら、学園にも来ていたことになるはずだが――と考えて、智也は頭を掻いた。
気付かれないようそっと扉を閉め、階段を下りて食堂へと向かう。
そこに居るはずの姿を探そうとして、ちょうどテーブルを拭いていた新井さんと目が合った。
「……おはようございます」
驚いたように目を見張る新井さんに、智也は気まずさを覚えつつ話しかける。
新井さんも最初こそ驚いて声も出なかったようだが、すぐに「おはよう」と言葉を返してくれて、顔に皺を寄せて笑ってくれた。
「あの……」
「体調はどう? 良くなったかしら」
突然部屋に閉じこもった智也に対し、新井さんは事情を聞くこともせず、今のように体を気遣って食事を用意してくれていた。
そのことに関して触れようとしたのだが、またしても先を越されてしまう。
「……はい、もう大丈夫です。あの、ありがとうございました」
「何のことかしら?」
そう言って新井さんは微笑むと、食堂のテーブルを一つ一つ丁寧に拭いていく。
その様をぼんやりと眺めて、智也は自分が何も見ていなかったんだなと今になって思った。
食前や食後の挨拶は交わすものの、その実ただの習慣となっていて、本当に感謝していたのかさえ自分でも分からない。
ただ出された食事を腹に入れ、それを用意してもらえることすら当たり前のように思っていた。きっと母親も、こうして智也が食べ終わったあとのテーブルを綺麗にしてくれていたのだろう。
それなのに智也はまともに会話もせず、ゲームのことばかり考えていたのだ。
「なんて親不孝なんだ……」
もう会うことはできないと再認識して、途端に罪悪感がこみ上げてくる。
テーブルの一つや二つ、自分から名乗り出て拭いたことがあっただろうか。
嫌々手伝うのではなく、自分の意思で、少しでも楽をさせてあげようと思ったことがあっただろうか。
今更後悔したってもう遅いが、せめてこの人生を全うしたとき、育ててくれた両親に胸を張って会えるようになりたいと、智也はそう思った。
「新井さん、俺も手伝わせてください」
「あら、いいのよ別に」
「俺がやりたいんです」
「――そう。じゃあそっちをお願いできるかしら?」
何の罪滅ぼしにも親孝行にもならないが、智也は気が済むまでテーブルを拭き続けた。
✱✱✱✱✱✱✱
「じゃあ行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
新井さんに見送られて下宿屋を出る。六日ぶりに吸った外の空気は、特に何も感じなかった。
それよりも新井さんを見ていると母親のことを思い出し、泣きそうになってしまう方が深刻だ。智也は、考えないようにするので必死だった。
勝手に自己満足を終えたあと、ゆっくり朝食を頂いていたのもあって当初の予定よりかなり遅れている。件の人物は、今日もあの場所で修練を積んでいるのだろうか。
と、謝罪しなければならないもう一人の人物を思い浮かべながら、重い足取りで中央広場を抜ける。
「こんなに高かったっけ……」
久方振りに目にした、高々と伸びる階段。
まるで天国まで繫がっているのではないかと思わせるような風貌に、上る前から額に汗が滲んだ。
六日ぶりの運動としてはもってこいだ、と前向きに捉えようとしたが、否が応でも毎日上らなければならないので、効果は薄かった。
そうして息を切らしながら長い階段を駆け上がり、乱れた呼吸もそのままに、智也は第一体育館へと向かう。
「……開いてる」
扉に鍵がかかっていないことを確認して、恐る恐る中を覗けば体育館の中央で鎮座する、紺色の道着袴を着用した男の姿がそこにあった。
背筋を伸ばし、膝を揃えて座っていたその男は、傍らにあった太い竹刀を手に取ると、片膝をついて立ち上がる。
「――――」
集中しているのか微動だにせず、得物を中段に構えたまま、静寂を身に纏う。
張り詰める空気。男の周りに漂うただならぬ気配。
これから何をするのか、智也はおおよその検討がついている。思えばあのとき初めてソレを目にしたのも、このくらいの時間だっただろうか。
「ふー……」
細く長い息を吐いて、灰色の双眸が見開かれた。
上段に構え直した竹刀に釣られ、智也の視線も自然と上を向く。
手製か、或いは特注か、なんにせよ竹刀と聞いて思い浮かべるであろう大きさの、およそ五倍ほどのものをそこに実見する。
柄はもちろんのこと、刀身に当たる部分がバカみたいに太い。もしあの中に重りまで入っていたとすれば、その重量は想像もつかない。
――気付けば、あのときのように智也は男の一挙手一投足に釘付けになっていた。
間もなくして、男はそのバカでかい竹刀を振り下ろす。
さすがに智也も一度は経験しているため、咄嗟に体育館の扉に張り付いて、来る衝撃に備えた。
――男の手中にあった得物が、一振りの間に跡形もなく焼けて灰となる。
「な……!?」
得物の一振りで風が巻き起こるでもなく、吹き荒れた風に建物が悲鳴を上げるでもない。ただただ目の前の事象に、智也の心が揺れ動かされた。
一貫してその場は静寂に包まれている。
そんな空間に場違いな声を出して驚く智也を、灰の眼の男――降魔恭吾が視認する。
「――黒霧」
自分とはまた別の意味で驚いた顔をする先生を前に、なんと話を切り出すべきか一考して、歩み寄った智也は勢いよく頭を下げた。
「すみませんでした!」
「……」
「自分で頼んでおきながら、何も言わず、勝手に休んですみませんでした……」
その懺悔に先生は黙って耳を傾けてくれていて、それが分かった智也は、ゆっくり言葉を紡いでいった。
「模擬戦で藤間に負けたとき、俺じゃこいつには勝てないんだと思って、それで諦めました。どれだけ努力したって……勝てないヤツには勝てないんだって。正直今でも、その不安は拭えていません」
何の力も持たない自分の軟弱な手のひらを見つめて、「でも」と言葉を続ける。
「諦めるにはまだ早すぎたと、そう気付けました」
一度黒瞳に先生の姿をしかと映して、智也はおもむろに、しかし力強く、足を折り曲げて座り込んだ。
そのまま揃えた膝の上に両手を置き、正した姿勢でその人を仰ぎ見る。
「……未熟でした。浅はかでした。でも、もう二度と諦めたりはしません。先生みたいに強くなるために、どんな努力も惜しまないつもりです」
頭と両手を勢いよく床につけ、智也は思いの全てを叫ぶ。
「身勝手とは思いますが……でも、どうか、どうかもう一度――俺を強くしてください!」
「――黒霧」
先生がどんな顔で自分を見下ろしているのか、智也には分からない。
ただ、一声呼ばれたその声色には優しさが帯びていて、顔を上げた智也の体が、不意に大きな温もりに包まれる。
「よく帰ってきたな。悩んだだろ、苦しかっただろう。お前は人一倍負けず嫌いだから、きっと辛かったはずだ。けどな……絶対帰ってくるって思ってたぜ」
「はい……すみませんでした」
身に着けた道着のゴワゴワした肌触りと、少し汗が混じった先生の匂い。そして耳元で囁かれた優しい声色に、抱きしめられて伝わる温もり。
それらを肌に感じながら、智也はぼろぼろと涙を流した。
「言ったはずだ。お前が前に進もうとする限り、俺はいつだって手を貸してやるってな」
そう言って口の端を吊り上げる先生に、智也は何度も何度も感謝の言葉を口にした。
一頻り泣いたあと、智也は授業が始まるまでの時間を先生と共に体育館で過ごすことになった。
本来参加するはずだった模擬戦の反省会や休んでいた間の授業内容などを聞いて、ただでさえ人より遅れている身としては、惰眠を貪っていたあの五日間が尾を引かないか不安になった。
とはいえ、前向きに捉えるのであれば、あれも必要な時間だったと言えるだろう。万が一それで周囲との差が更に開いたのならば、その差を覆すほどの努力をすればいいだけだ。
なんて考えながら、降って湧いたように思い出した疑問を智也は口にした。
「そういえばさっき、竹刀が燃えてなくなったように見えたんですけど、あれって……」
「あぁ、あれか。ちっとばかし試したいことがあってな。『創作魔法』の試作だよ」
「おりじなるまほう……?」
これまで何度かその類いの名前を耳にしているが、まだ別の種類があったのかと怪訝な顔をする。
そんな智也を一瞥すると、先生はおもむろに体育館の床に魔法陣を展開させた。
「知っての通り、魔法ってのは言霊と魔法式によって形成されている」
「……魔法式を組んで言霊で発現させるから『言霊魔法』、ですよね」
「そうだ。そしてこの魔法式を弄って組み替えたものが『改造魔法』。それに対して『創作』ってのは、一から自分で魔法式を作ったものだ」
魔法陣に描かれた複数の文字や記号に触れながら説明する先生に、智也の眉間の皺が深くなる。
「そんなことできるんですか……?」
「心配すんな。『創作』を教えるのは、お前らが一人で『改造』できるようになってからだ」
「アレンジですら難しかったのに……魔法って奥が深いんすね」
「だから言ったろ?」
そう言って不敵に笑う先生を見つめながら、智也は先の一幕を思い出した。
振り下ろされた竹刀が柄の部分から発火して、一瞬の間に灰となって消えたあの現象を。
「あれが『創作魔法』か……すごいな」
「いや、燃やすつもりはなかったんだよ」
「……どういうことですか?」
「本当は木刀でやるつもりだったんだが、うっかりな」
頭に手を回しながら、まるで失敗談を語るかのように恥じらっているが、まるで何を言っているのか智也には理解できなかった。
「竹刀でも木刀でも、別に変わらないんじゃ……」
という疑問を口の中で呟いて、智也はとりあえず適当に苦笑いを浮かべておいた。
✱✱✱✱✱✱✱
「もうこんな時間か……」
昨日までずっとだらしのない生活を送っていたからか、今日はやけに時間が過ぎるのが早い。
道着袴からいつもの正装に着替え、何故かホワイトボードを引っ張り出している先生を見つめながら、智也はそう思った。
二人で過ごした貴重な時間。普段なら何らかの稽古をつけてもらっていたので、ああしてのんびりと語り合うのは初めてだった。
――明日から、智也は朝練を再開することになる。
もう模擬戦は終わってしまったが、それでも学園生活はまだ先が長い。
聞いた話によれば、クラス対抗戦のような行事は定期的に行われているらしい。であれば、智也が活躍できる機会だってまだあるかもしれない。
そのときまでどうにか食い繋ぐことができれば、きっと恩返しだってできるはずだ。
なんて考えていると、いよいよクラスメイトが登校してきた。
元の世界ならまずは教室に向かうところだが、実技の多いこの学園では、直で体育館や訓練室に向かうことが多いのだ。
「――あれ、もう先生いるじゃん」
「ほんとだ~おはようございます。あ、黒霧くんもおはよ~」
一番最初に体育館に入ってきたのは、千林と清涼の二人組だった。
仲睦まじげに手まで繋いでいるそんな二人を見つめながら、智也は自分の鼓動が早くなるのを感じていた。
と、まるで昨日も会ったかのような軽い口調で清涼が手を振ってくれる。それに対し動揺しつつ、智也も軽く手を挙げて応じた。
「おはよ」
「あ、あぁ」
続いて千林の方も短く挨拶を交わすと、清涼と共に先生の方へ歩いていって、何やら楽しそうに会話を始めた。
――正直、なんで休んでいたのか聞かれるのではないかと思い、智也は変に緊張していたのだ。それが何事もなかったかのように振舞ってくれた二人のおかげで、少しほぐれたような気がしなくもない。
単に、二人とも智也に関心がないだけかもしれないが。
「……」
言ってる側から、智也の横を素通りしていく者が一人。
紫色の髪を背中まで伸ばし、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出している七種だ。
その背を目で追うと、早速体育館の隅に移動してひとりの空間を作り出していた。
失礼ながら、七種も自分と同じであまり心を開けないタイプなんだなと、智也は思った。
「智也くん!」
突然の大声に首を横に向ければ、亜麻色の髪の女生徒が入口に立っていた。
微かに揺れる青い瞳。その眼差しには、果たしてどんな感情を秘めているのか。
「大丈夫なん……?」
「……あぁ、なんとか」
歯切れの悪い返事となったのはやはり、この五日間のことを探られるのではないかと身構えてしまうからだ。深い事情は抜きにしても、そもそも年下の女の子に泣かされたなんて話、言えるわけもないが。
そんな智也の心情を察したのかどうか、紫月は深くは切り込もうとしなかった。
「そっか、良かった……」
ほっと胸を撫で下ろす紫月。しかしその瞳はまだ憂いを帯びており、まじまじと見つめられては反応に困った。
沈黙と共に気まずい空気が漂い始め、まだ授業は始まらないのか――と視線を巡らせるが、全員は集まっていない様子。
そんなとき、ちょうど体育館に入ってきた雪宮を見て、智也はチャンスだと思って目配せを送った。
が、それをどう捉えたのか。彼は何故か軽く会釈すると、そのまま近くの壁に凭れて座り込む。
「違う、そうじゃない」
心の中でそう呟いて、いっそ彼の隣に逃げようかと一歩踏み出したところで何かが突っ込んできた。
「うぇーい! おひさー。元気してた?」
「痛ってぇ、叩くな」
気まずい空気をぶち壊してくれたのは良かったが、やけに馴れ馴れしい態度が癇に障る。不愉快だ。疎ましい。
前より、更にウザさに磨きがかかったのではないかと思いながら、智也はその銀髪の男を見やった。
「お前……」
よくもまぁ平然と話しかけてこれるなと、そう言いたかった。
実際、智也と神童が最後に言葉を交わしたのはもう一週間以上も前のことで。しかもあのとき神童は、例の黒ローブの連中と密会していたのだ。
現場を目撃した智也が理由を問い質したが、結局答えははぐらかされたまま。あれから、智也の疑念はまだ晴れていない。
「まぁまぁ、久しぶりに会ったんだからそんな怖い顔すんなって。な、未奈ちゃん」
「うん……?」
「そんなことよりさ~今日の俺、どこか違うと思わない?」
「え、なんやろ……洗髪剤変えたとか?」
「惜しいぃぃ! 洗顔料変えたんだよ! ほら、ツヤツヤしてるくね??」
クソほどどうでもいい話を聞かされている間に、何人かの生徒が合流する。
座り込んでいた雪宮の側には、何故か正反対な性格と思わしき東道と栖戸のペアが寄っていて。一緒に登校してきたのか、久世と虎城の二人がこちら――主に神童に向けて冷ややかな視線を送っていた。
「あと来ていないのは……」
見当たらない二人の姿を探し、入口から外に顔を出そうとして、誰かが智也の横を通り過ぎた。
――瞬間、首元にナイフを押し当てられたような息苦しさと、条件反射で冷や汗が湧き出てくる。
茶色の髪に黄土色の瞳を持った、獣のように恐ろしく、そして強い男。
その姿を無意識に目で追って、智也は自分の呼吸が認識できなくなるほどの恐怖を覚えていた。
無理もない、夢にまで見るほどのトラウマを植え付けられたのだ。立ち直れたとはいえ、そう簡単に恐怖は打ち消せない。
そんな風に怯えていた智也の背が肘で小突かれ、白雪を思わせる人物がすれ違い様にこちらを一瞥。何も言わずに去っていく。
「……?」
今のが水世なりの挨拶なのだと智也が勝手に解釈したところで、ずっと待っていた二人の声が、渡り廊下から聞こえてきた。
「黒霧さん早く来るといいっスね」
「そうだね……」
「今日もまた探しに行くっスか?」
「いやー、でもこの街にいるかどうかが」
言いながら、正面を向いたまま国枝が立ち止まる。その挙動に首を傾げた七霧が同じように前を向くと、金の瞳を宝石のように輝かせながら、こちらに向かって走ってきた。
「黒霧さん!」
「お、おう」
「急に居なくなったから心配したんスよ!」
「悪かったな……ってこら、抱きつくなよ」
「嫌っス! 離れないっス!」
まるで久し振りにあった恋人かのような反応を見せる七霧に、智也は苦笑しつつ丁寧に体を剥がした。
しかし口ではそう言っても、内心では変わらぬ距離感で接してくれたことに救われていた。
「――久し振り」
「あ、うん。大丈夫なの?」
執拗に抱きついてこようとする七霧を止めつつ、その後ろに立つ国枝へと声をかける。
昨日、二人が心配して街を探し回ってくれていたことを智也は知っている。もしかすると、気付いていなかっただけであの日以外もそうだったのかもしれない。
その申し訳なさと感謝の言葉を口にしたいという気持ちが前に出て、口を開けるが言葉が纏まらない。
「あ……えーっと、一先ず大丈夫だよ。――悪い、なんか色々迷惑かけたみたいで」
「――。そっか、良かった」
「迷惑なんてとんでもないっスよ! ほんとに、居なくならなくて良かったっス」
たった五日間顔を合わせなかっただけでこんなにも心配してくれて、そして再開を喜んでくれる友達がいるのだと、智也は改めて実感した。
一時的とはいえ、そんな二人のことを忘れて自暴自棄になっていた自分を、智也は内心で咎める。
――こんなことになるなら、異世界なんて来なければよかった。
もう二度とあんなことは考えちゃいけないし、間違っても二人の前では絶対に口にしちゃいけない。自分には、こんなにも大切な存在がいるのだから。
この先もずっと彼らと仲良くしていきたいと、改めてそう思えたから。
「迷惑、ね……」
そんなことを思う傍らで、一人呟いた誰かの声が、周りの喧騒に呑まれて掻き消されていた。




