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幻想の晶  作者: 詩乃なかば
一章
27/31

斜陽 10

 


 ミハイルの部屋を出た二人は、廊下で待機していた部屋付きの侍女に階下まで案内され、大広間とは反対の回廊を使ってカイリの部屋まで戻った。


 カイリはミハイルの侍従に促されて先に部屋へ戻っていたようで、考え込むルイスの代わりにユーリが地下道でのことや獣の正体についてなどのいきさつを簡単に説明する。


「王家が絡んでるのか…思っていた以上に危機的状況だな」

 カイリは神妙な表情で息を吐いた。


「諜報部隊がテレジアに潜入していたことも踏まえると、ベリゴールに避難したテレジア市民はもちろん、テレジア兵の中にも準備が施された人が混ざっていると考えて良いと思います」


「だけどさ、無理やり血を与えられたってわけではなさそうだよね。そうなると、やつらは一体どういう手段で準備をしたんだろうか?」


「水か、あるいはそれを使用した食べ物を利用した可能性が高いです」

 ぼんやりと考えごとをしていたルイスが答える。


「ぶっ…」

 カイリは思わず口にしていた水を吐き出した。


「敵対国の、兵士も含む大勢に対して一人ずつに準備を行うことは現実的に考えてあり得ません。ですが経口摂取であれば、確実かつ誰にも気づかれずに蔓延させることが出来るのではないでしょうか?例えば人々が毎日欠かさず口にする水に忍ばせることが出来れば?精製水ならば自然魔力の影響を受けずに”獣”化の血がそのまま体内に取り込まれますから食品よりも確実かもしれません」


「なるほど、非接触で効果を出すならそれしかないですね。毒と違って基本匂いも味もしませんから特定の相手を狙って口にさせることも出来る」

 ユーリは賢いやり方だなぁと感心しながら頷く。


「ちょ…ちょっと、あの、もしかして、俺も危機的状況な感じ?この水は大丈夫?俺、お菓子とか結構食べたんだけど…」

 カイリは唇を震わせながら顔を青ざめさせた。


「そんな心配する必要ないでしょ。死ぬまで発動しないんですから、死ななきゃいいんですよ」

 ユーリはあっけらかんとした様子で備え付けの水を飲み干した。


「いや、それは、そうだけどさぁ…死んだらまずいってことだよね、俺に限らず、テレジア市兵は…」


「テレジアどころか、ジュラの全都市ですでに摂取している可能性もあるんじゃないですか?アランドールでも獣化の事例あったでしょ?ミハイルさんの推測ではアランドールは最初に標的にしてたはずだって言ってましたから。『(つるぎ)』は一度その衝動に駆られたら戦意が消えるまで絶対に止まらない、当然ジュラもアランドールも全部飲み込むでしょう」


「…そう言えば、ユーリ」


「ん?」


「『剣』は人の手に余るとは言われておりますが、当然所有者にも制御できないと言うことですか?」


「ええ。争い、奪い、血を見る衝動に突き動かされます。所有者と、それを取り巻く人間、そして国ごとね。闘争心や残虐心、所有欲、と言った感情を増長させる力があるんです。だから人ではなく、土地や建物、感情のない巨大な無機物に固着させて管理するのが最適だと言われていますね」


「では、それはオリクトの力の影響によるもので、所有者の意思ではないのですよね?」


「んー…、どうでしょう。特殊な例を除いてオリクトは所有者の意思を奪うことはありませんから、所有する側の気持ち次第なところもあります」

 ユーリは言いながら眉をひそめた。所有者本人にどれほどの意思があるのか、それによって『剣』の脅威度は全く異なってくる。


「所有者が望んでいる可能性もあるのですね。では、まずこの獣になる状態をどうにかする方法を考えないと…。このままではテレジアの奪還どころか、侵攻されても対抗する術がありません。王太子が戦線に復帰する前に何とかしなければ…」


 ルイスの危惧することにカイリも深く頷いた。

「うん、これで大体の状況は分かった。国へ戻ってこの事実を親父と話してみるよ。オリクトが使用されたのは確実だからアランドールが介入する動機としても十分だ。となれば、俺は明日国へ帰る旨を国王に伝えよう。ガーランドの水が合わなくて蕁麻疹が出たってことして。お互い一度戻って事の次第を報告、その上で手を組んで対抗できないか模索していこう」


「はい」

 ルイスとユーリは頷いた。


「あ…」

 簡単に荷物をまとめようと立ち上がったカインがふと何かを思い立って立ち止まる。

「そう言えば、アシュフォード宰相って地下水道へは自分から行ったんだよね?だとしたら、ルイスとユーリは俺の従者だって知らずに選んだのかな?行方不明になったら大問題になると思うんだけど…」


「さあ?別に死んでも困らないと判断したんじゃないですか?」


「いやいや、困るでしょ。他国の客人の護衛が城内で二人もいなくなるなんて国際問題だよ。俺を城から出すつもりがないわけでもないのなら、そんな軽率なこと…」

 するはずがない。

 そう言いかけて、つまりそう言うことなのか、と三人が腑に落ちて目を合わせた時には廊下から誰かがこちらへ走ってくる音が耳に入って来た。

 すぐにドンドン、と激しく扉が叩かれる。


「……」

 ユーリは扉に近寄ると、廊下の様子を気配で確認した。扉の外にいる者が何者か分かり眉をひそめた。ルイスにこちらへ来るようにと手招きをする。

 ルイスは慌ててベールを手に取りユーリの背後に隠れた。


「え、なに、やばい感じ?」

 異様な空気を感じてカイリは身構える。


「……」

 ユーリはどう判断するべきか迷いながら、時間をかけては逆に怪しまれると思いカインに扉を開くように仕草で指示した。

 開かれた扉の陰に体を隠し、室内にはカイリしかいないように装う。


「夜分遅くの無礼をお許しください。私は王国軍少将リーン・フィブリオと申します。カイリヴェーダ王子殿下を至急お連れするようにとオレド王太子殿下より命を承りましたので御迎えに上がりました」

 リーンははきはきとした口調で一気に言い切ると、ざっと室内を見渡してカイリに深々と頭を下げた。


「オレド王太子が、至急と?」


「はい。軽装で構わないとのことですので急ぎお支度をお願いいたします」


「…分かった。下履きだけでも着替えたいので一度扉を閉めてくれ」

 カイリがそう言うと、リーンは素直に畏まりましたと扉を閉めた。

 カイリはすぐにユーリとルイスと視線を合わせる。


「…」

 カイリは何か言いかけたが、すぐにユーリがしっと指を口に当て声を出さないように、と指示をした。

 リーンならばわずかな話し声でも室内にカイリ以外の人間がいると気付くことだろう。諜報員として長くテレジアに潜入していた実力は侮れない。

 予想通り、向こうはカイリをアランドールへ帰す気はないのだろう。

 ユーリとルイスを地下道に誘い込んだ『剣』の所有者と結託しているであろう王家側の人間に二人が地下道から無事に抜け出していることが知られればカイリの立場どころか命さえ危うい。

 カイリの従者二人はこのまま行方不明のままにしておく方が城から脱出するにしても動きやすい。ミハイルもそう考えて部屋へ戻る際に誰とも顔を合わせないですむ廊下を使わせたに違いない。

 ユーリは声を出さずに「不明」と口を動かした。そうして自分とルイスを指さす。続けて、外を指さし、「庭園で」と動かした。不測の事態が起きた際には庭園で合流しようと言う意味だ。

 カイリは着替えながら理解して頷いた。

 二人が地下道へ呼び込まれた件と王太子からの急な呼び出しと言う時点で、もうすでに不測の事態とも言えるが…。


 カイリは支度を整えると扉に手をかけた。

 ふと、ユーリの方へ振り返り声を口を動かす。

 言葉を読み取るとユーリは頷いて再び扉の陰に隠れてカイリを見送った。

 カイリたちが去っていく足音。しばらくの沈黙の後、辺りに人の気配がなくなるのを待ってユーリはルイスにカイリの言葉を告げた。


「朝までに戻らなければ二人で逃げろ、とのことです」


「…カイリさん…大丈夫でしょうか…」

 嫌な予感がする。夜中にわざわざ王太子が呼び出してくるなど、よくない話としか思えない。


「さあ、何とも。ミハイルさんと同じことを言う気はないけど、私たちはこれ以上この問題に介入するべきじゃない。貴方がいま考えなければならないのは自分のことですよ」


「分かっています…。まずはジュラへこのことを…」


「!」

 人の気配に気づいてユーリはとっさにルイスの口を塞いだ。

 気配を消して部屋へ近づいてきている。先ほどとは違う、諜報に長けた者の足取りだ。三人、足運びの感覚からこちらにはまだ気付いていない。

 カイリの従者である二人は地下道で死んだという確認を取りに来たのかもしれない。万が一にも戻っていたら口封じに殺すつもりなのは間違いない。

 カイリが去った後わざわざ来ていると言うことは室内をくまなく確認するのだろう。隠れるだけでは見つかってしまう。この部屋にいるのはまずい。


 ユーリはルイスの手を引いて、壁に取り付ける国旗の鉄心を手に窓へ向かった。

「揺れますが動かないでくださいね」


 ルイスはユーリが何するのか分からず、不安に思いながらも二回頷く。

 静かに扉が開いた。人が入ってくる瞬間、ユーリは窓に足をかけて上に飛んだ。

 思わず叫びそうになるのをこらえて、ルイスはぎゅっと目をつぶる。

 飛び上がる感覚のあと、すぐにガクンと体が下に引っ張られるように止まった。


「外から何か音がしたか?」

 見知らぬ男の声が下の方から聞こえてくる。

 強い風が顔に吹き付けた。

 ルイスがそっと目を開くと真横に外壁があった。

 体が宙に浮いている?

 体を動かさないように視線だけ上げると、城壁の隙間に突き刺さした鉄心に、ユーリがルイスを抱えてぶら下がっていた。

 窓の上部の出っ張りにつま先を引っかけてバランスをとってはいるが、腕一本で自分とルイスの体を支えている。

 これまで見て来たユーリの身体能力から考えるに、この状態はそれほど苦ではなさそうではあるが、動かないほうが良いのは確かだろう。

 ルイスがごくりと喉を鳴らして呼吸を抑えると、下は見ないほうが良い、とユーリが囁いてふっと笑った。


「飛び降りるはずもないか…」

 窓から顔を出した男は下や周りを確認したあと、首をかしげながら窓から離れた。


『衣裳棚、カーテンの陰、人が入れそうな場所は全部確認しろ』

 ユーリとルイスは室内の探索をしている男たちの会話に耳をすませた。


「リーンさんの声ですね」

 ユーリが囁く。


『やはり誰もおりません。あの地下道に送られて戻れるはずなど…』

『俺もそう思うが、廊下であの侍女の匂いがした。念のため隣の部屋も調べておくぞ』

 そう言うとリーンたちは部屋から出て行った。


「…におい?……あの、私…臭いますか?」

 ルイスは何とも言えない表情でぽつりと呟く。


「たぶん、その臭いじゃなくて…。ベールか髪に香りがついてたんじゃないですかね。微かにビャクダンの香りはしますから」

 ユーリはルイスの表情を見て笑いそうになるのを必死にこらえた。


「確かに薬瓶にビャクダンの精油はありましたが…それほど強い香りではないのに…」

 ルイスは思うわず自分の匂いを嗅いでみる。特に匂いがするとは感じない。自分だけなのだろうか。


「普通の人には分からない程度の匂いですよ。リーンさんは職業柄鼻が利くから気になったんでしょう」

 ルイスは少し腑に落ちないながらも自分を納得させようとふう、と息を吐いた。


「わざわざ私たちが戻っていないか確認しに来るなんて、嫌な予感がします…」


「あれでも一国の王子ですし、下手なことはしないでしょ」


「だとは思うのですが…。そう言えば、王族の居室は上の階にありましたよね?」

 ルイスは顔を傾けて上を見上げる。


「そうですね」

 頭上には上の階のテラスのへりが覗いている。


「少し支えていてもらえますか?」

 石壁の隙間と出っ張りを少しづつ登れば這い上がれるかもしれない。



「まさか、登る気?」

 ユーリは眉をひそめた。


「大丈夫です、木登りは一度も落ちたことがありませんから」

 ルイスは謎の自信を持って頷く。


「それは、すごいですね…」

 ユーリは顔を引きつらせながら、へえ、と唸った。

 得意だとしても垂直に切り立った石の壁と木では全く違う。それなりの高所、強い風が吹きつければ掴まっていられずに吹き飛ばされかねない。

 とは言え、このまま壁に張り付いているわけにもいかないので、身動きのとりやすい夜のうちに庭園へ移動する方が得策ではある。

 そうなると下へ降りるか、登るかしかないわけだが、それならば登るほうが安全か、とユーリは息を吐いた。


「分かりました。まずこの鉄心の上へ私を伝って登ってください」

 ユーリは左足を壁の隙間に引っかけて膝を曲げると一度そこにルイスを座らせた。鉄心を掴んでいる手を利き手から持ち替える。


「靴のままですみません」

 ルイスはユーリの肩に掴まりながら体勢を整えて膝の上に立ち上がった。

 手を伸ばすとどうにか鉄心に手が届く。鉄心をしっかりと掴んで膝から肩へあがる。

 ユーリはルイスが体勢を崩して飛んでいかないように腰ひもを掴んで上へあがるのを手伝った。

 問題はここからだ。どうやって細い鉄の棒まであがろうか。


「上の方にへこみがあるの見えます?私が足を押し上げるから、あそこに手をかけて」


 強い風が吹きつける。薄い仮装着のままのルイスは身震いしながら頷いた。

 風が収まるのを待ってからユーリはルイスの右足を掴んで上へ押し上げた。へこみに手が届き、ルイスは棒の上へとあがる。

「ふう」

 ここまで来れば上階のテラスまですぐだ。しかしルイスの身長では手を伸ばしてもテラスのヘリには届かない。もう少し上へ登る必要がある。

 何か手をかけられるようなへこみはないかと探す。

 指が引っかけられそうな角を見つけて手を伸ばすと、突然、鉄心が石壁をえぐるようなぎしっと言う音と共に軋んで揺れた。

 急な揺れにバランスを保てずに手が滑る。


「!」

 落ちる!と思った瞬間、何かに手を掴まれた。

 見上げると、いつの間にかユーリが自分より上にいた。どうやら先ほどの揺れはユーリが鉄心からテラスまで飛び上がったために起きたものだったようだ。


「このまま引っ張り上げるから手すりをつかんで」

 ユーリは軽々とルイスの体を手すりが届くところまで引っ張り上げた。

 ルイスは左手も伸ばして手すりを掴む。手すりにまたがってテラスの中へ。


「落ちるかと思いました」

 まだ心臓がどきどきしている。風でめくれ上がった服を直しながらルイスはふー、と息を吐いた。


「木登りさせるのは得意なので、落としませんよ」

 背中に差していた刀を腰に差し直しながらユーリは不敵に微笑んだ。


「手は痛めていませんか?ユーリからすると私はどれぐらいの重さになるのでしょう?」

 ふと湧き上がる疑問。苦痛を感じているようには見えないが、それでもやはり負担をかけてしまっていないか心配になってしまう。


「んー、冬場に着る厚手の外套ぐらいですかね?いや、厚手でもないかな?手を痛めるほどの重さではないのは間違いないですね」


「……」

 ルイスは絶句した。

 まさか人の重さと言う感覚ですらないとは…。


「さて、とりあえず一度まともな服装に着替えないと…。室内に人はいないようです」

 寒さで唇を震わせながらぽかんとしているルイスを見て、ユーリは窓の中を覗き込んだ。

 取っ手のある個所のガラスを探して、肘で軽く突く。窓ガラスに蜘蛛の巣状にひびが広がった。

 砕けた箇所をもう一度軽く小突いて窓ガラスに穴を開け、そこから手を差し入れて鍵を外した。


 室内へ入るとユーリはすぐに扉へ向かい、廊下の様子を探った。

 人の気配はない。大丈夫だ。

「随分と殺風景な部屋ですね。王族の居室ではなさそう?」

 ユーリは部屋を見渡して衣裳棚やキャビネットの引き出しを開ける。

 ルイスも室内を見渡して衣裳棚を覗き込んだ。

 綺麗に仕立てられた深い群青色の騎士の正装に、平時に着用している真っ白なシャツが並んでいた。


「王族に近い臣下の方が使う部屋でしょうか」


「ちょっと大きいかな?」

 ユーリは衣裳棚のシャツや隊服を勝手に取り出してルイスの体に合わせた。


「…?私が着るのですか?」

 ルイスは目を瞬かせる。


「そうですよ、ずっとこんな格好ではいられないでしょう」

 ユーリは自分にも服を当てながらいくつか適当に取り出した。サイズはユーリにもルイスにも合わないが今の目立つ格好よりはずっとましだ。


「どなたかの衣類を拝借するのは心苦しいです…」

 ルイスは申し訳なさそうに眉をひそめながらしぶしぶ着替える。

 長すぎるシャツの袖はまくって手袋をはめて隠し、丈の長すぎるズボンは元々履いていたブーツの中に入れて折り込んでしまった。


「でも新品ですよ。まだ誰も着ていないんだから気にしなくていいんじゃないですか」

 ユーリは新品なことに満足した様子でてきぱきと着替えていく。

 ルイスとは逆に袖も丈も短いが、腕はあえて肘までまくり、ズボンは同じようにブーツをはいて隠した。


「上着は?」

 ルイスは上着を出して見たがすぐに元に戻した。さすがにこれは誤魔化しようがない。ルイスには大きすぎて不格好になってしまうし、ユーリは小さすぎて着られない。

「うーん、シャツだけではさすがに…ベストで何とかなるかな?」

 軽装用のベストを取り出して羽織る。背中のベルトで調節出来るタイプのデザインだ。これならばベルトを最大まで広げればぎりぎりボタンも止まる。

 腰回りをすっきりとさせることが出来て見た目はそれなりになった。

 ルイスは最小までベルトを絞り、王国記章の入った肩掛けをつければ肩回りのだぶつきは隠せる。あとは元々つけていた作り毛を少し短く切りそろえて後ろで結わえばどこかの貴族出身の入りたての新兵に見えなくもない。


「ありがとうございます」

 ルイスはそれなりに親衛隊らしく見える姿に満足そうに頷いた。


「じゃあ行きましょう。とりあえず目立たない格好をしているだけなので出来るだけ見つからないようにね」

 ユーリは言いながら、洗濯物として回収される箱の奥に着ていた衣装を押しこんだ。ここに入れておけば一か所の集められてまとめて洗濯される。他の仮装者の衣装と紛れてしまえば誰が着ていた物かも分からないし怪しまれることもないだろう。


 扉を開ける前に念のためもう一度廊下に人の気配がないか確認する。

 変わりない。人の気配はなし。

 静かに扉を開いてユーリは廊下に顔を出した。

 視覚でも確認したがやはり誰もいない。見張りの巡回隊士の気配すらない。人がいないのは助かるが、さすがに妙だ。ミハイルやカイリと言った他国の賓客が訪れているのだから普段以上の厳重な警備を行っているはずなのに…。


「見回りもいないのは変ですね」

 横から顔出したルイスも異様に静まり返った雰囲気にうす気味悪さを感じた。

 この階も階下と同じ造りで、中央の吹き抜けをぐるりと囲むように廊下が一本でつながっており、西側と東側に同じ数の部屋が並んでいる。

 王家の居室は北側にある別の棟へと繋がる回廊の先だ。


「ひとまず外への経路を確認したいけど…」


「確か庭園に出られる階段が奥にあったと思います。賓客用の居室の方から見に行ってみましょう」


 二人は廊下を出て北へ進んだ。突き当りを曲がった先の、北の棟と繋がる回廊には見覚えのある階段があった。ミハイルの居室から戻るときに使った階段だ。その脇を通って北の棟へと進む。左右に分かれる廊下を左手に進めばミハイルの居室。

 ユーリは角で息をひそめて先の様子を伺った。この先の廊下には先ほどの建物とは打って変わって人の気配がたくさんある。光源は最小限に落とされてはいるが遠目にも分かるぐらい巡回の兵士が見回っていた。

 どうですか?と覗き込むルイスに、ユーリはこちらはだめだと首を横に振って答えた。向こうを見てみます、とルイスは反対側の廊下へ向かう。

 ユーリは巡回兵士の人数を確認してからルイスの後に続いた。

 廊下の奥を確認していたルイスが、はっ、と体を隠す。追いつくと、すぐに小声で謝られてユーリは察しがついた。見つかってしまったようだ。

 こちらへ近づいてくる人の気配がする。

 人数は一人。騒ぎ立てる様子はない。甲冑のこすれる音も柄と刀身がぶつかる音もない、余裕のあるゆっくりとした歩幅だ。上等な靴に、上質なベルベットの生地がこすれる音。あえて武器を帯刀していないと言うことは、近衛の上官よりもずっと、上の位にいる者に違いない。恐らく老年の、高い地位にいる手練れ。

 ユーリはルイスに頭を下げるように手で指示して自らもその場に跪いた。


「おまえたち、ここで何をしておる。隊士の立ち入りは禁じられておるはずだが…。所属は?」

 その気配の主は角を曲がってくるなりそう言い放った。


「お騒がせして申し訳ございません。我々はカイリヴェーダ王子殿下の護衛を任されております」

 ユーリは努めて冷静に適当な答えを返した。


「ふむ、アランドールの王子殿下の…?顔を上げよ」

 老年の男は顎のひげをさすり、ユーリとルイスをじっくりと観察した。


 ー明らかに不審な、若い二人組ー

 男は、所属がカイリの護衛と言った時点で嘘を言っていると言うことは見抜いていた。

 どこかの国か組織の工作員だろうと予測を立てる。

 着ている隊服は確かに護衛が着用するものだ。不格好なのは護衛の誰かから奪ったものだからかもしれない。しかし、妙なのは任務明けに城下に飲みに行くかのような出で立ちということ。城内で要人の護衛の任に就く者ならば上着を羽織るのが最低限の礼節であり、変装して城内へ紛れ込むならばその程度の情報も知りえないのはおかしい。

 黒髪の方は、声色、口調は年相応、焦っている様子はなく堂々とした気配はこういった状況に手慣れているからだと分かる。体つき、肌の色、容姿からしてエノテイアではないがジュラにしては余りある。ではアランドールかと考えるが、そうなるともう一人の方があまりにも不釣り合いだ。

 背の低い栗色の髪の方は何も言葉を発しないが成人前の幼さが感じられる。潜入者と言うにはあまりにも体が細く、身体的に心もとない。

 食事と本をめくる以外の作業などしたことがないのではと思うほどの繊細な指先は、当然隊士でもなければ工作員でもないのは明らかだ。到底陽の下できつい訓練など受けたことがないであろう白い頬は刀傷一つさえなく、汚れ仕事を経験したことなど一度もないような澄んだ瞳をしている。


 その澄んだ瞳を見て、男は、何かを思い出すようにはっとした。

「!!」

 髪色と違う、薄い金色のまつ毛が紫色の瞳にかかっている。薄暗い灯でもはっきりと分かるほど美しい紫の発色。庭園の池の片隅にひっそりと咲く菖蒲(しょうぶ)にも似たこの色を、男はよく知っていた。

 そして納得した。

 あの方の幼い頃によく似ている、と。椿の印がされたあの手紙は、そういうことを意味していたのか、と。


「あの、閣下…」

 無言で二人を観察し続けている老騎士に、ユーリはたまらず声をかけた。

 不審がられている。このまま対峙し続けるのは危険だ。どうにか着ている隊服がおかしいことなど一目瞭然。早くこの場を切りぬけなければと気が急く。


「いや…。王子殿下の護衛の配属は先ほど変更があった。おまえたちは別の任に就いてもらう」


「…え?は…はあ?別の、任務、ですか…」

 ユーリとルイスは困惑して視線を合わせた。

 どういうことだ?適当にこの場を切り抜けるだけの嘘だったのに、通じてしまっている?


「そう緊張することはない。これまでとそうは変わらぬ」

 老騎士はふっと笑った。

 それは慈しみを湛えたとても穏やかな笑みだった。

 ルイスはその優しい眼差しを見て、不思議な感覚に襲われた。

 まるで、エリオスが自分にそっと微笑んでいる時と同じような優しさを感じる。

 この御仁は、一体誰なのだろうか?



 二人は老騎士に連れられるがまま、廊下を奥へと進んだ。

 突き当りの扉の先には、王族が使うであろう螺旋階段があった。

 下へ、下へと降りる。庭園へ出られる扉を横目に通りぬけて、さらに下へと案内されるがまま続く。

 上階よりさらに薄暗い、地下層まで降りると、白い大理石造りの道が奥へ伸びていた。

 綺麗に掃除がされ、左右に美しい装飾品と共に青い花が生けられている。

 冷たく静謐(せいひつ)な空間。この先が王族の墓所に通じていると理解するのに時間はかからなかった。

 墓所への道の手前に、簡素でありながら高級感漂う装飾の施された扉が一つ。

 老騎士はその扉を開いて、二人を中へと招いた。

 爽やかな、薬草を燻しているような香りが室内に立ち込めている。

 地下なので窓もなく、ランプも最低限。煙が充満しているせいで視界も悪い。

 家具がほとんど置かれていないが豪華な部屋だ、と言うことだけは分かった。


「奥の寝室にはさるお方が休まれておる。おまえたちはしばしこの部屋でその方の護衛をするのだ」


 さるお方?貴賓の誰かだろうか?こんな墓所の手前の部屋で?

「…、畏まりました」

 誰なのか聞きたいところだが、一介の隊士がそんなこと訪ねてはさらに不審がられる。ここは我慢だ。


「護衛と言っても、私以外の者がここへ来ることはないだろうが…」

 老騎士はどこか寂し気に息を吐く。

「それと、奥の部屋には立ち入らぬように。しばし城内が騒がしくなるだろうが、今宵は月の光は雲に隠される故、貴公らは事態が落ち着くまでこの部屋から出ぬようにな」

 老騎士はそう言うとルイスを一瞥し、部屋を後にした。


「……」

「……」

 階段を上がる音が遠ざかっていく。


「ふう」

 ユーリはとりあえず切り抜けられたことに安堵して息を吐いた。

 扉の鍵は開いている。

 庭園へは階段を上がればすぐだ。

「頃合いを見て部屋を出ましょうか」

 ユーリがルイスの方へ振り替えると、ルイスは神妙な顔で扉を凝視していた。

「どうかしましたか?」


「あの御仁、最後に”貴公”と…」


「そう言えば。気付かれてた?不審に感じてたはずなのに何も言いませんでしたね」


「…月の光、雲が…」

 ルイスは老騎士の言葉を反芻する。


「ふむ?何かの隠語でしょうか」

 ユーリは意味が分からずに眉をひそめた。


「あぁ、隠語!…もしかすると、印章のことかもしれません」


「王家の人が成人すると選ぶってやつですか」


「ええ、正確には王家とそこに連なる者ですね。確か父上に近しい騎士に雲の印章を封じた方がいたような…」


「ふむ。じゃあ月は?」


「月はライナ王妃の印章です」


「と言うことは、月の光ってルイスのことを指してる?さっきの御仁がその雲だとすればルイスの出自を知っていて、我々に気付いてここに匿ってくれたんでしょうかね」


「そうかもしれません…。父上は私の出生についてはガーランドでも信用できる縁者だけが知っているとおっしゃっていましたから」


「今夜は騒がしくなるって言ってましたね。下手に外へ出るより一晩明かすのが得策か…」


「カイリさんが呼ばれた理由は分かりませんが、もしかすると、王家側に何かしらの動きがあるのかもしれません。ミハイル兄上に色々と対策を取られてしまう前に先にアランドールを、と考えている可能性もあります」


「……」

 ふと、ユーリは僅かな風の流れを感じた。

 隣の部屋を見つめて耳に意識を集中させる。


「ユーリ?」


「…隣の部屋に誰か入って来ました。向こう側にも入り口があるみたい」


「墓所側から?どなたかを護衛するようにおっしゃっていましたが、その方のことでしょうか?」


「いや、今は、二人います。…ちょっと生気がなさすぎて気付かなかったけど元から人はいたみたい。そこへもう一人来た」

 ユーリは足音を立てないように隣の部屋へと繋がる扉の前へ行き、聞き耳を立てた。


「ああ」

 ユーリはそれが誰か分かってルイスを手招きする。

 音が出ないようにそっと扉を開くと、ルイスにも話し声が聞こえて来た。


『…我が祖先が物言いに現れたのかと思えば、アシュフォード宰相でしたか…』


(アシュフォードと言いましたか?…ミハイル兄上?)

 ルイスは声を出さずにユーリに問いかけるように口を開いた。

 ユーリはうん、と頷く。



『今の貴方からすれば似たようなものではありませんか』

 ミハイルはふっと微笑むように答えて、傍の椅子に腰かけた。


『…すべて知る所となりましたか…』


(話している相手は誰でしょう?)

 ユーリは、さあ?、と首を傾げる。


『ええ。現国王にはこの事態を収束させられるほどの時間も力もないと判断いたしました』


『…『剣』はもうこの手を離れてしまった…』


『事の収拾は私に一任と言うことでよろしいでしょうか』


『我が許可など得ずとも、貴国の方針に変わりはありませぬでしょう』


『ガーランド国王自身の遺志は確認しておく必要はあります。…では、ブライズ王家は宗主国エノテイアに対する謀反を認めたものとし、『剣』の返還、および王国の解体、王家の断絶をもって制裁といたします』


(ガーランド国王?!)

 ルイスは目を見開いてユーリを目を見合わせた。

(晩餐会では体調が良さそうに見えましたが、国王が何故このような地下の部屋に…)


『…貴殿が、ヒイラギ堂主聖下とはお考えが別にあると見込んで、一つ頼みがあります…』


『何でしょう?』


『…あの子らを、どうにかして許して頂くことは出来ませぬか…ルーナは、まだ何も知らない幼子…』


『彼女にあれほどの意思があるとは思っていません。オレド王太子については見るも明らかではありますが』


『…すべては我のせい。あれもただ幼い妹を救おうと必死に足掻いておるだけで、エノテイアをどうこうしようなどと言う野心など欠片も持ち合わせてはおりませぬ…』


『なるほど。貴方は父親としては子を思う良い親でしょうが、一国を担う王としては愚かとしか言いようがありませんね。無能な王が与えられた玉座から静観しているだけだった故に、王太子が動くしかなかったことが分かりませんか?王太子は責任も罪も、すべて背負う覚悟がある。このような地下に逃げ、ただ死を待つ貴方とは違ってね』


『……』


『父王の清算は王太子が行うでしょう。王女については状態次第となります。利用されるような事態になっては困りますから、それなりの処置が施されるとは思います。それでもよろしいのであれば善処いたしましょう』


『…いえ、それで十分。感謝申し上げます…』


『……』


 静寂。

 ふう、と息を吐いたミハイルの視線がすっとルイスとユーリの方へ向く。この部屋に入った時から気付いていたのだろう。

「一目見ておく?」

 ミハイルはにこりと微笑んだ。ルイスへ向けて言った言葉だ。


 ユーリは立ち上がると扉を開いた。

「どうします?」


「……」

 ルイスは一寸悩んだ。

 会っておきたいような気もするし、会った所で何か話したいことがあるわけではない。それは向こうも同じだろう。


「大丈夫、もう死んでいる。気にする必要はない」

 ルイスの考えていることを読んだかのようにミハイルが答える。


「死んでいる?でも今まで会話を…」

 ルイスは驚いて立ち上がった。


「ああ、元から息をしていなかったんですね。気付かないわけだ。『剣』の庇護で思念だけが残ってた」


「……」

 ルイスはゆっくりと寝台に歩み寄った。


「!!」

 豪華な布団の上に横たわる、やせ細った白髪の老人の姿に驚く。

 晩餐会にいたオルガノ王とは全くの別人だ。あれは影武者だったのか?

「こちらが本物のオルガノ王…?」

 髪は真っ白で所々抜け落ち、頬の肉は失われ落ちくぼんでいた。

 骨と皮だけになった皺だらけの手が絹の衣の上に棒切れのように横たわっている。


「随分と年老いてますね。エリオスの弟なのでは?」

 ユーリは首を傾げた。

 仮に実際は年上で、形式上弟と言う形をとっているだけだとしても、あまりにも年を取りすぎている。ルイスの祖父と言われた方が納得出来るほどだ。


「『剣』への贖罪として生命力を捧げているのでガーランド王はいずれこうなる」


「贖罪ですって?対価ではなく?」


「対価ではない。これは我々と国王だけの秘匿だったがもう隠す必要もないから教えてあげよう。…かつて、この一帯を治める戦が行われていた頃、ヒイラギの従者であったブライズの名の者が『剣』を持ち出す重大な罪を犯した。『剣』は戦に投じられるとその性質を止めることは出来ない。故に、ヒイラギは『剣』を封じておくための牢獄としてガーランド王国を建国せざるを得なくなった。ブライズなる者を王家とし、国王にその命を捧げて『剣』を制御し続ける牢獄の管理者として贖罪を行わせることになったと言うわけだ」


「ガーランド建国にそんな秘密が…」


「その贖罪とやらは国王だけが?縁者も当てはまるんですか?」


「いいや、国王だけだ。国王の戴冠と同時に血の入れ替わりが行われ、前国王の縁者は贖罪の対象から外れる。そういう意味ではルイスが影響下に置かれることはないから安心して良いよ」


「今度はオレド王太子がそれを担うと言うことですか…。この贖罪と言うのはいつまで続くのですか?このまま血縁が絶えてしまえば終わるのでしょうか?」


「ブライズ家はあくまで贖罪としての役目を担っているだけ。『剣』にとって、それが誰の血、誰の命であるかは関係ない。この戦によって起きる幾千幾万の犠牲をもって大人しくなるのかもしれないし、ならないかもしれない。所有者がいる『剣』の結末は誰にも分かりはしない」


「……」


「じゃあ、その所有者は分かったんですか?」


「そうだね、ほぼ確定はしている。何故この事態が引き起こされたのかもだいたい把握出来たよ」


「なるほど…」


「ガーランドの細かい事情も判明したし国王への告示も済んだので私はそろそろジュラへ行こうと思う。君たちもジュラへ戻るのならば同行させてもらえないかな?是非ともあちらの代表と話をしてみたい」

 ミハイルはルイスの顔を覗き込んでにこりと微笑んだ。


「!」


「は?!やめてくださいよ、ジュラがより混乱するだけです」


「そう?むしろより良い方へ向かうと思うけれどね。ジュラに引きこもる弱気な老人どもをこのままにしておけばあの国はあっという間に『剣』に飲み込まれるだけだ。ああ、そうだ、代わりに印化を解除する手伝いをするというのはどう?それならば君たちにとっても悪くはない話だろう?」


「解除が可能なのですか?!」


「原理も解明した、所有者も判明している。となれば後は容易(たやす)い」


「どうやるんです?」


「知りたい?では、同行に同意したとみなして良いね?」

 微笑むミハイルを前に、ルイスとユーリは顔を見合わせた。


「私はこの人を全く信用出来ないしあまり関わりたくないと言うのが本音ですが、印化の解除については興味があります。返答はルイスに任せますよ」


「ユーリ、ありがとうございます。兄上の情報でジュラの人々が救われるのなら、ぜひお願いしたいです」


「良い返事をもらえて何より。では早速着替えてもらおう。その姿で国外へは出られないから」

 そう言ってミハイルは棚に置いてあった衣装箱から二人分の衣服を取り出した。

 サイズの合わない隊服を継ぎはぎでどうにか着こんだ時とは違ってそれなりに体に合ったサイズだ。まるでこのことを予測し、初めからそのつもりで用意していたかのようである。


「ユーリ君は御者、ルイスは私の侍女だ。私は夜明け前に帰国する手筈になっているので門外に馬車を用意してある。着替えが終わったら向かおうか」


「私たちの荷物はカイリさんの部屋に置いたままで…」

 ルイスはエノテイア洋装のボタンを留めながらどうしようとユーリを見上げる。


「ああ、カイリ王子を部屋へ送り届けた時にすでに回収してあるから大丈夫」

 ミハイルは衣裳ケースから取り出した外套を羽織り襟を正した。


「…もう完全に最初からそのつもりだったんじゃないですか…」


「いかなる時も常にあらゆる可能性を視野に入れて先に行動するのは当然のことだろう」


「私たちの意思すら操作してるんじゃないかと思えてくるんですけど」

 ユーリは顔をひきつらせてルイスにしか聞こえないほど小さな声で呟いた。


「まさか…。あの、兄上は私たちがここへ来ると見越してすべて準備していたのですか?」

 ルイスはさすがにそんなはずはないだろうと、疑問を投げかける。


「見越してなどいないよ。そうなるよう誘導はしているけれどね」

 ミハイルは爽やかな笑みを浮かべてさらりと答えた。


「ほらね?!」

 ユーリは目を見開いて顔をしかめる。

 ルイスは苦笑いするしかなかった。



 支度が終えると、三人は地下の部屋を出て、階段を上がった。

 地上階まで上がると、庭園へ出る門は開け放たれ門番も警護兵もいなかった。ミハイルが手はずを整えたのだろうか。

 そのまま庭園まで出ると、城内が異常に騒がしく、ランプの灯も明るくなっていることに気付いた。

 鎧をまとった隊士たちの走る音、ざわざわと何人かが話している声。上階を見上げれば廊下を何人かの給仕が右往左往している姿も見える。

 もう数時間もすれば空が白みだすような深夜にこれほどの騒がしさは尋常ではない。


「国王の崩御が王太子から発表されたのだろう」

 ああ、それで先ほどの老騎士は城内が騒がしくなると言っていたのか、と二人は納得した。


「国境で足止めを食うといけないから急ごう」

 ミハイルは城の様子を気に留めることもなくさっさと庭園を歩いていく。


「あ、兄上待ってください!カイリさんと庭園で合流することになっているのです。カイリさんも一緒に…」


「彼は来ない」


「?!カイリさんに何かあったのですか?」


「いや…詳しくは後ほど話すよ。『(ふみ)』が私の動向に探りを入れてきているから、何かを勘繰られて出国を阻まれたら面倒だ」


「分かりました」

 ルイスは横目に城の上階を見上げながら、庭園を足早に進むミハイルの後を追った。


 庭園の隅をぐるりとまわって生い茂る木々を抜ける。

 そびえ立つ城壁が見え始めると、荷運び用の通用扉のあるひらけた場所へ出た。開け放たれた扉の向こうにはミハイルの侍従が馬車を用意して待っていた。ミハイルはその侍従と一言二言会話を交わすとユーリを呼んで地図で説明を始める。

 ルイスがそのやり取りを見ていると、ミハイルの侍従が手を差し伸べて馬車へ乗るように促してきた。

「えっと…」


「あ、初めまして、レイシェン・ダニアと申します。先日のアランドールのお衣裳もお似合いでしたが、やはりエノテイアの装いの方がよく映えていらっしゃいますね」

 レイシェンと名乗った侍従は差し伸べた手を握り締め、じっとルイスの瞳を見つめた。


「ありがとうございます…」

 ルイスは複雑な表情で笑みを浮かべる。


「あ!賛辞のつもりでしたが気分を害されたのでしたら申し訳ございません」


「いえ、気分を害すなど、とんでもありません」


「わあ、お優しいお方なんですね」

 レイシェンはにこにこと微笑んだままルイスの手を離さない。痛いと言うことはないが、さすがに振り払うわけにはいかない。すでに馬車に乗り込んでいるのに、何故離してくれないのだろうか。

「あのー…手を…」


「ああ!失礼いたしました!何だか懐かしさを感じてしまって、ついつい」

 レイシェンは少し大袈裟にぱっと手を放して頭を下げた。


「いえ…」

 握られていた手に妙な感覚を覚えながらも、ルイスは座席に腰かけた。

 馬車内は暖かく、座ったことで体が安心したのか急にとてつもない眠気に襲われる。小さなあくびを一つ。

 馬車へ乗り込んで来たミハイルがそれに気づいて、ふふっと微笑む。


「ルイス、話は後でも出来るから少し眠ると良い。国境を出る頃には起こすから」

 そう言ってミハイルは自身の座席に積まれたクッションをルイスの横に並べて横になるように促した。

 自分だけ眠るわけにはいかないと思いつつも、体はすっかり眠る気になってしまったのか吸い込まれるようにクッションに頭を預けて横になる。そうなってしまえば眠りに落ちるのは一瞬だ。意識の抵抗など何の意味もない。体の疲労は限界を迎えていた。


 横になってすぐ静かな寝息を立て始めたルイスにミハイルはブランケットをかける。


「閣下、お願いですから大人しくしててくださいよー。閣下からは片時も離れるなって指示されてるのに、怒られるのは僕なんですからね」


「どうにでもかわし様はあるから気を揉むことはない。それよりも可能な限りカイリ王子の傍で鼠たちの動向を見ているように頼むよ。判断に困るような事態が起きた時はセレオに合流してくれて構わないから」


「可能な限り善処いたしまーす」

 不服そうに返事をするレイシェンに、ミハイルはやれやれとため息をついてそっと扉を閉めた。

 二人のやり取りを尻目にユーリが手綱を引く。馬車はゆっくりと動き出した。



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