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幻想の晶  作者: 詩乃なかば
一章
28/31

斜陽 11


 センジュ湖中央大橋 ガーランド王国 ー ジュラ連合国 国境



 ガタン。

 停車した馬車の衝撃でルイスは目を覚ました。

 分厚いカーテンの隙間から差し込む陽の眩しさに目をこすると、座ったままうたた寝をしていたらしいミハイルが向かいの席で小さくあくびを掻いた。


「…国境か…」

 外から聞こえる話し声にミハイルはカーテンを指でめくって様子を確認した。


「関所は手配されているのですよね?」

 ルイスはまだ眠気の残る重い体を起こして髪を整えた。

 陽の高さからして昼を少し過ぎたぐらいだろうか。


「ふむ、ユーリ君が何か話し込んでいるね」


 ルイスは気になってカーテンの隙間から外の様子を覗き込んだ。

「あれは、クライドさん?いつの間に国境の配備に…」

 ルイスはユーリの話し相手の顔を確認して目をぱちくりとさせた。

 クライドは城内でカイリの親衛隊長の任についていたはずだ。要人の親衛隊長となればそれなりの地位にいる者が担う役目で、それが昨日の今日で突然関所の警備に転属させられているのはおかしい。

 カイリの件と何か関係があるのだろうか。


「クライド・ウィンダムか…顔見知り?」

 ミハイルは興味津々にルイスに視線を向ける。


「はい、ガーランドへ来たばかりの頃にお会いしまして、その後も交流があります」


「それは面白い。巡る(えにし)を感じるね」

 ミハイルは何か含みがあるような言い方をして微笑んだ。


「??」

 意味が分からないルイスは再び目をぱちくりさせた。


 そうこうしているうちに会話が終わったのか馬車がゆっくりと動き出した。

 ミハイルは馬車の窓の外で過ぎていくクライドと視線を合わせる。

 気付いたクライドが返事をするかのように軽くお辞儀をし、真剣な表情で関所を抜けていく馬車を見送った。




 センジュ湖下流の大橋を馬車は進んでいく。

 この中央の関所はジュラとガーランドの国境であるとともに、物流の重要な架け橋として重要視されており、一度も戦禍に晒されたことがない暗黙の不可侵領域となっている。

 この関所を封鎖すれば自国に不利益が生まれることを理解しているこそ、戦時下であろうとも商人や職人など、国から身分証が発行されている者の出入りは許可されている。それは今日でも変わらない。

 


「このままベリゴールへ向かわれるのですか?」


「いや、ジュラの情勢を少し把握してからにしようと思っているよ。ベリゴールへ着くなり尋問に遭うことになっては困るからね」

 そう言ってミハイルは御者側にある小窓をコンコンとノックした。

「ユーリ君、アサンテ市へ向かってもらえる?」


「アサンテ?ここから近いんですか?」

 ユーリが不満そうに小窓を開いて答える。いつまで御者をさせるんだと言いたげだ。


「このまま道なりに街道を西へ進めばすぐに見えてくると思います」

 すかさずルイスが答えた。


「よろしく頼むよ」


「はいはい」

 ユーリは小さく鼻から息を吐いて窓を閉めた。


「アサンテに着く前に軽く昼食をとろう」

 ミハイルは座席の横にある収納から布袋に包まれたサンドウィッチを取り出してルイスに手渡した。


「わあ!とてもお腹がすいていたので助かります」

 ルイスは喜んで受け取ってサンドウィッチを頬張った。

 パンの間には好物の鶏肉の香草焼がはさまっている。口いっぱいに広がるローズマリーの甘く爽やかな香りに目元がほころぶ。


「昔からその味が好きだね」


「え?ええ」

 はて?香草焼きが好物だと話したことなどあっただろうか?とルイスはきょとんとした。


「不思議と、ずっと変わらないな」

 ミハイルはサンドウィッチを頬張るルイスを見つめながら目を細めて微笑んだ。





 ジュラ連合国 アサンテ市 ー 正門前


 ジュラ連合国アサンテ市。

 東にガーランド国境、南にアランドール国境を眺める三国間で貿易を行う商業都市である。

 貿易の拠点としてはもちろんのこと、センジュ湖からなる漁業を取り仕切る町としても連合の建国以前から栄えて来た。

 裕福な町ではあるが、人の流れが激しく、行き交う人々は他国の人間が多いせいかジュラ出身の定住者は少なく、テレジアが陥落していようとも基本的には普段と変わらない生活を送っている者ばかりだった。むしろ戦争特需にあやかろうと言う感覚の方が強く、領土問題にはまったく興味がない。連合が王国になろうが、代表が国王と名乗ろうが、彼らにとって重要なのはどうやってその懐に入り込み、いかに金を稼ぐかだけだ。よく言えば自由、悪く言えば無関心とも言える。



 ほどなくして近づいてくる賑やかな声に、アサンテ市に到着したのだと分かった。

 テレジアやベルゴールと違って攻められることが想定されていないので魔物や獣が紛れ込むのを防ぐ程度の防壁があるのみだ。門もそれらの侵入を防ぐための簡素な造りでしかない。

 さすがにテレジアが侵略されたため門の開閉には許可が必要だったが、ミハイルが所持してきたエノテイア貴族の身分証だけで入ることが許された。この町では貴族と言うだけで身分が保証される。

 テレジアから距離があるためか避難民の姿はほとんどなく、ベリゴールと違って陰鬱とした雰囲気はない。

 市民性から現状は予想していたものの、別の国かと錯覚するほど活気に溢れた商人たちの姿はルイスを何とも言えない気持ちにさせた。


 まずは厩舎を探そうとユーリが辺りを見回していると、すぐに手慣れた様子の案内人が声をかけてきた。

 他国から立ち寄る商人や旅人は馬車持ちであることが多いため、厩舎は基本的に宿屋と一体化して経営していると言う。馬を休めるには先に宿を決めなければならないらしい。

 様々な国の馬車を見てきた案内人は、馬車の装飾からすでに予算の見積もりをつけているらしく、ご丁寧に一番高い宿を提案してくれた。ミハイルの二つ返事でその宿に決定すると、案内人は御者を代わりますよと嬉しそうにユーリの隣に飛び乗った。今にも小躍りしそうなほどである、さぞや仲介料がたんまりもらえるのだろう。


 案内された宿は、一番奥の坂の上にあるアサンテ一の広さと豪華さだと言う旅行者向けの三階建ての宿だった。ジュライア城を模して造られた様相で、小さな城のようでもある。

 最上階の、三部屋の個室に専用の浴室までついたかなり豪華な部屋に通された。やはり旅行者は激減しているらしく空き部屋がほとんどだ。

 従業員も暇を持て余していたのだろう、部屋に入るや否や給仕の者が数人部屋を訪れてティータイムの用意をしてくれた。

 三人はソファーに腰かけてまずは一息入れる。


「私は約束があるので少し部屋を離れるよ。夕食の時間までには戻るから。君たちはどうする?」


「私は備品の買い出しに店を回って来ます」

 ユーリはそう言うと紅茶を一気に煽って立ち上がった。


「あ、私もご一緒します」

 ルイスも慌てて立ち上がる。


 しかし、それをユーリが手で制止した。

「せっかく浴室もあるんですからルイスはゆっくり体を休めてください。無理をすれば足の怪我が酷くなりますよ」


「!!…分かりました…」

 ルイスは驚いて、大人しく着席した。

 足が擦れて怪我になっていることにいつから気付いたのだろうか…。


「どこかで怪我をしたの?」

 ミハイルが心配そうに首を傾ける。


「いえ、そうではないのですが、長距離を歩くのに慣れていないせいか指が腫れてしまって…」

 ルイスは恥ずかしそうに視線を下げて横髪を耳にかけた。


「あぁ。それはかなり痛むだろう。ここまでよく我慢したね。医務員を手配しておこう」


「だ、大丈夫です!そこまで酷いものではありませんから!」


「そう?無理強いはしないけれど、私といる間は身の回りのことを気にする必要はないからいつでも言いなさい。ではユーリ君、外まで一緒に行こうか」


「はい、ありがとうございます。先に休ませてもらいます」

 ルイスは出ていく二人を見送った。



 部屋を出て、ユーリは開口一番大きなため息をついた。

「あまり甘やかすようなこと言わないでくださいよ」


「うん?誰を?ルイスのこと?」


「ええ、そうです。靴擦れなんかで医者呼んでどうするんですか」


「でも痛むのであればかわいそうだ」


「軟膏でも塗っておけば治りますし、靴擦れを繰り返すことで足の皮は強くなっていきます。多少の痛みぐらい我慢出来るようにならないと、私たちはいつも馬車に乗れるわけではないんですから」


「うん、一理ある。けれど差し伸べられる手があるならば差し伸べるのは構わないだろう?時にはその手を頼り、時には自分の足で立ち上がることを選択していくことも成長の過程で必要なことだとは思うけれどね」


「…貴方なりに考えがあるなら結構です」


「ふふ」

 ミハイルは口に手を当てて笑った。


「何です?」

 ユーリは苛立たし気に眉をひそめた。


「あの親子にはずいぶんと懐柔されたようだ」


「は?別にされてませんけど、何が言いたいんです?」


「そのままの意味だとも。ヒイラギが見たら、”人外になり果てたと思っていたが随分と人間味を取り戻しているじゃあないか”と笑うだろうな」


「……」


「その変化が良い方向へ繋がると信じておこう。それでは、私は馬車で移動するからまた後で」

 ミハイルは楽しそうに微笑みながらユーリに手を挙げて去っていった。


「……」

 ユーリはミハイルの背中を見送ってため息をついた。

 言い返す言葉が出てこなかった。絆されたのは間違いない。そんなものは誰よりも自覚している。

 これまで数えきれないほどの人の道行(みちゆき)を見てきたが、自らの考えを変えるほどの何かがあったことはなかった。そもそも感情を出すほど他人に近付いたこともない。あらゆる関わりを断ち、情を殺し、思考さえも停止させてきた。そうしなければ、自らが行う行為は無関係な多くの命を危険に晒すことになるからだ。

 そうあったはずなのに、今は人間らしく生きていたあの頃に戻って行っている気がする。まだ幼く、甘い幻に酔いしれてしまっていたあの頃だ。

 思い出に浸ろうとすればひどく胸が締め付けられる。思い出したいけれど思い出したくない。穏やかな安らぎと共にある悲哀と絶望の記憶が、深く刻まれた傷を容赦なく(えぐ)るから。

 あの頃に戻れたらと願いながらも、もう二度と戻りたくないとも思う。

 ユーリは記憶に蓋をするように深く息を吸い込んで吐いた。気持ちと思考を切り替えて宿を後にする。




 ユーリとミハイルが出かけ後、ルイスは言われた通り浴場で体を休めることにした。

 温かい湯が張られた大きな浴桶まで完備されているとは、さすが一番高い宿と言うだけのことはある。

 これほどきちんとした浴場で体を洗い流したのは本当に久しぶりだ。カイリについて訪れたサンティ城以来かもしれない。

 湯船につかり、痛みを和らげるために巻いていた布を解いたら足が赤紫に腫れ上がっていたので驚いた。湯から脚を上げて傷の様子を確認する。布をきつく巻いていたせいで血が滞留していただけのようだ。しばらくするとだいぶましになったが擦れて皮がむけた患部は血が滲んで赤い。体が温かくなるにつれてじわじわと痛みが増してくる。薬湯を効かせた湯は足の傷に沁みた。

 そうしてしばらく湯船の心地よさに浸っていると、うとうとと眠りそうになってしまったので重い体を何とか叩き起こして浴場から上がった。

 体と髪を簡単に拭いて備え付けのガウンを羽織り、痛む足をかばいながら何とか談話室のソファーに横たわる。その後はもう何も覚えていない。一瞬で眠りに落ちてしまった。

 ふと、何かに抱えられているふわふわとした感覚だけが意識の片隅に残っていた。



 

 どれほど経ったか。意識が目覚め始めた時、腹がすいていることに気付いてルイスはまだ重い瞳を開いた。

 もう夜になってしまっただろうかと窓の方へ視線を移す。

 真っ暗だ。隙間から漏れる光さえない。ずいぶんと寝てしまったらしい。

 扉の横でぼんやりと灯るランプの光を頼りにルイスは辺りを見渡した。

 ここは…寝室のベッドの上だ。ソファーで眠りこけているのを見かねてミハイルかユーリが運んでくれたのだろうか。

 まだじんじんとする足の痛みに警戒しながら、ルイスは慎重に床に足をつける。

「?」

 足の裏に感じる不思議な感触にルイスは驚いた。毛足の短い柔らかな絨毯の感触にも似ている。すぐに足に何か巻かれているのだと分かった。

 前かがみに足元を覗き込んでみると、足の裏から指まで包帯がまかれていた。足裏の重ねられた布地からは爽やかな薬草の香りがする。

 この香りは消炎作用のあるベンダーだ。煎じて良し、煮だして良し、食事に混ぜても良しな万能な薬草である。

 きっとユーリだろう。ベッドに運んでくれたのもそうだ。ミハイルならばこの傷を見たら医者を呼んでいたに違いないから。

 嬉しくてルイスはふふ、と笑った。


 トントン、と、扉が軽く叩かれて手にトレイを持ったユーリが入ってくる。

「ああ、目が覚めましたか。食事の用意を持って来たんですけど、こっちで食べます?ミハイルさんも戻ってきてます」

 ユーリはトレイを左手に持ったまま談話室の方を指さした。


「ちょうどお腹がすいて目が覚めた所でした!そちらでご一緒します」

 ルイスはスープのいい香りに誘われるようにベッドから立ち上がろうとすると、


「包帯が汚れるからそのままで」

 ユーリがそれを手で制止してつかつかとルイスに歩み寄った。


「片手がふさがってるから自分で掴まってくださいね」

 ユーリはルイスの傍にしゃがみ込むと右手を背中に回して、自分の腕にルイスを座らせるように抱え上げた。


「あぁっすみません!」

 ルイスは慌ててバランスをとるためにユーリの肩にしがみつく。


 部屋から出るとミハイルが気付いて振り返った。

「おや、お姫様のお目覚めだ」

 何ともかわいらしい光景に、ミハイルはくっくっと笑った。

 過保護にしているのは一体どちらなのかとユーリに問いてみたいものである。


「…冗談を…」

 ルイスは恥ずかしそうにしながらも眉をひそめてミハイルを睨んだ。


「ふふ、さあ、話しながら食事を楽しもう」


 ユーリはミハイルの向かいにルイスを下した。

 目の前の大きなテーブルには所狭しと豪勢な食事に果実水、ワインが並んでいた。肉料理やスープなどはまだほかほかと湯気が立ち上っている。今しがた運ばれてきたばかりなのだろう。

 トレイに取り分けていた食事をテーブルに並べ直して、ユーリはルイスの横に腰を下ろした。机に並んだ高そうなワインを品定めして自分のグラスに注ぐ。


「気にせず好きなものを食べなさい」

 ミハイルはルイスにまっさらなナフキンを手渡した。


「はい、頂きます」

 ルイスは自分の膝の上に広げたナフキンをかけると、お腹がすきすぎて痛みさえ感じつつある胃をびっくりさせないためにまずは温かいスープを手に取った。

 一口。喉の奥から胃へ、じんと温かさが降りていく。

「ふう」

 もう一口飲んで、まじまじとスープの中身を見つめた。

 香りと見た目からオニオンのスープだと思っていたが、予想していた味と違う味付けに驚いた。こんな味わい方もあるのかと、どんな香草を使ったのか興味が湧いてくる。


「それで?」

 ユーリはミハイルの目の前にある羊肉の詰めものにフォークを指し、紅茶をくるくるとかき混ぜているミハイルを見上げる。


「うん、カイリ王子のことだね。私も昨夜聞いたばかりだが、アランドールのイシュヴァ王が暗殺されたそうだ」


「国王の…っ、暗殺ですって?!」

 驚きのあまりスープが喉の奥で詰まる。


「…間が悪いですね。それじゃあ、カイリさんを王城に置いてきたのはまずかったんじゃないんですか?」


「本来ならば。だがガーランドの情勢も変わったので彼はガーランドに残る方が安全だと判断した」


「ガーランド国王の崩御…。オレド王太子が国王となることでルーナ王女が王位継承者第一位となるからですね?」

 ルイスはパンを口に運びながら困惑した瞳でミハイルに視線を送った。


「そう、つまりはカイリ王子が王配となる可能性があると言うことだ。イシュヴァ王の暗殺を聞かされて彼が真っ先に考えるのはアランドールに残るラーマ王族の安否。国王の暗殺は間違いなく内輪の仕業だから、ラーマ王族に手を出させない強固な地位を得るためにはガーランドに残りルーナ王女と正式な婚姻を結ばなければならない。懇意にしてきたジュラと敵同士となってしまうだろうが、彼の立場を考えれば迷う余地はなかっただろう」


「家族のことを思えばそれが最善ですね…」

 ルイスは俯いて唇をかみしめた。

 父の暗殺を聞かされ、カイリは悩む暇さえなかったはずだ。私情や理想のすべてを切り捨てて、即座に王子として決断しなければならなかった。同じ状況に立たされたら、きっと自分もそうする。

 もし、いつか戦場でカイリと相対することになったとしても、同じく民を導き守る立場にあるマルシュもレーゲンも、それを理解出来るからこそ責めはしないだろう。

 だからこそ、誰も責めないからこそ、きっとカイリは良心と、立場と、本心の呵責の間で苦しむことになるかもしれない。カイリの苦悩する姿が想像できてルイスの心は痛んだ。


「そう言えば、シオン…『(ふみ)』の印が王族の身分証でアランドールに入国してるんですけど、関係あると思います?」


「ああ。この件には間違いなく『史』が関与している。アランドール国宝と謡われる王の盾と王の槍を退け、どうイシュヴァ王を暗殺したのかと考えてみると、答えは簡単」

 ミハイルはちらりとルイスに視線を送る。


「まさか!!”獣”?!」

 ルイスは眉をひそめて即答した。

 テレジアで見た光景がそのまま、王の間で起きたであろうひどい惨劇として目に浮かぶ。

 顔見知りの、ましてや信頼する部下や家族の死を目の当たりにしながら、今度はその死んだ者が起き上がり襲い掛かってくるのだ。イシュヴァ王が死を前に直面した絶望と悲しみは計り知れないものだったことだろう。


「アランドールの”獣”の進行はジュラよりも深刻だ。王宮の使用人を一人殺すだけで死はあっという間に広がっていく。一人が二人、二人が三人、三人は六人に…そうして、周りがすべて”獣”となり、王の盾も槍も飲み込まれて、最後には国王がその手にかかる。ジュラに対して友好的だったイシュヴァ王が亡くなり、次の王はガーランドと手を組んでいて、カイリ王子もガーランド側の人間となったことでジュラはアランドールと同盟を結ぶことが不可能となった。ガーランドはジュラの後に控えるエノテイアとの戦に向けて予備戦力も補えると言うわけだ」


「じゃあ、ジュラはこれからガーランドとアランドールの両国と敵対することになるんですか?」


「いや、アランドールが即座に動くことはないだろう。イシュヴァ王の影響力が強すぎて新体制への移行はかなり時間がかかる。ラーマ王族を根絶やしに出来ていれば掌握するのは簡単だったのだろうが、カイリ王子の婚約が進むことで迂闊にラーマ王族にも手が出せなくなったから国内では反発が強まり、アランドールは再び内乱に悩まされることになるかもしれない」


「なるほどねぇ…」

 めんどくさそうな事態が予想出来てユーリは鼻から息を吐いた。


「あの、兄上」

 肉詰めを頬張りながら何事か考え込んでいたルイスは真剣なまなざしでミハイルを見据えた。


「うん?」


「エノテイアは、この事実を知った後どう対処されるか決まっていますか?」


「そうだね、アランドールの動向に関係なく今は軍を投じる段階ではない、とだけ。オレド新王の考え次第と言ったところではあるけれどね。ああ、そう言えば私がガーランドを離れる代わりにセレオが派遣される手筈になっているよ」

 ミハイルは川魚のハーブオイル漬けをきれいに切り分けながら答える。


「何故セレオ将位が?!」


「略式にはなるが戴冠継承式はエノテイアの立ち会いが必須。本来ならば私かアトラが執り行うはずの所を私がセレオを指名したから」


「指名って…。余計な面倒を招かなくても貴方がやれば良いじゃないですか」

 ユーリは、はぁーと大きなため息をついた。


「私はそんなことに時間を使っているほど暇ではない」

 ミハイルはあっけらかんとした様子で答える。


「左様ですかー…」

 友好国の国王戴冠式を”そんなこと”扱いとは、ユーリは呆れてそれ以上は何も言えなくなった。

 ミハイルにとって心底どうでもいいことなのだろう。どうせこの代でなくなる国、誰が王になろうと関係ないし、戴冠したところで何の意味もないとでも思っているに違いない。


「セレオ将位が入国されると言うことは、捜索隊も一度招集されるのでしょうか…」


「彼らも戴冠式に合わせて一度グランシュへ入城する手筈になっている。セレオにはアランドール側の牽制も任せてあるから、捜索隊もしばらくはアランドールを中心に行動するだろう。おかげで我々はずいぶんと動きやすくなると言うわけだ」


「そちらの根回しは有り難いですけど、そもそも貴方は大っぴらに何かするつもりでもあるんですか?」


「しないとは言い切れない。君がしっかりと守ってくれるのであれば煩わしい事態になることはないと思うけれどね」


「兄上はまだ宰相に就任されたばかりですし、ジュラの陣営にも顔を知る方はいらっしゃらないと思いますから大丈夫ですよ。マルシュさんたちには私の兄と紹介すればさほど違和感もないかと」


「いやいやー…うーん、まあ、そうですね」

 貴方の存在がもうすでに違和感ありまくりなんですけど、と言いたかったがユーリはぐっと言葉を飲み込んだ。

 ユーリが言いたい言葉が分かったミハイルは、ルイスとユーリを交互に見てくすくすと微笑んだ。ルイスの世間知らずが改善されるのはまだまだ先になりそうだ。


 しっかりと腹ごしらえを済ませたルイスはユーリに手伝ってもらいながら自力で薬を塗り直し、まだ疲れの残る体を休めるために早々に寝室へと戻った。

 ユーリは夜の街の様子を見に、ミハイルは浴場へと向かい、一見穏やかで平和で思えるアサンテの静かな夜は更けていった。



 

 翌日、正午。


 ルイスは人の話し声に目を覚ました。

 換気のために少しだけ開かれた窓から爽やかな暖かい風が舞い込んでくる。外はかなり明るい。ちらりと空を覗くと太陽は頭上からやや下で輝いていた。

 自分がかなり寝すぎたと気づいて、ルイスは急いで着替えを済ませた。

 足は腫れも引いて痛みも昨夜ほど感じない。靴を履いて、状態を確認するためにゆっくりと立ち上がる。

 うん、大丈夫だ。

 出来るだけ無理をしないように気にしながら歩き出した。

 扉を開くと、すでに気付いていたユーリが声をかける。

「おはようございます」


「おはよう。ゆっくり休めたようだね」


「おはようございます。夕方にも眠ったのに、また随分と眠ってしまいました」

 ルイスは恥ずかしそうに髪を整えながらソファーに腰を下ろした。

 机にはルイスの分だけのサンドウィッチと果物、燻し肉が皿に取り分けられている。

 二人はすでに昼食を終えていたようで、ミハイルは食後の紅茶を、ユーリは地図を広げて何かを確認している所だった。


「携帯用の夕食を用意してもらっているから準備が整い次第出発する予定だよ」


「っ、分かりました」

 ルイスは燻し肉を飲み込んで返事をする。


「そう言えば、二人はアランドールにはサンティ城の国境から入国したの?」


「はい、カイリさんの案内で…」

 ルイスはサンティ城に居住し、管理している住人達のことをふと思い出して顔を曇らせた。彼らはどうしているだろうか…。


「では王の盾とは面識ある?ラーマ王族直属の親衛一族でトリシューラと言う。カイリ王子も一人連れていたと思うのだけれど」


「あぁ、ラージャさんですね。ガーランドへの入国前までは同行していました」


「そう、素行が悪く王の盾の粗悪品などと社交界では揶揄されている青年だね。朝方に聞いた話だけれど、その彼がサンティ城からここへ逃げ延びて来ているらしい」


「え?!ラージャさんが?!」


「話は出来るんですか?」


「いや…」

 ミハイルは首を横に振った。

 とても面会などできる状態ではない、と、沈黙で返す。


「国王が暗殺されて、その親衛が無傷でいるはずもないか」

 ユーリは視線をそらした。

 親衛とは、剣を握る手を失おうとも歩み寄る足を失おうとも、命が尽きるその時まで王家を守るのが職務であり責務であり、誇りである。王の暗殺を許し、むしろよく生きてここまで辿り着いたものだ。何らかの偶然が重なって助かった命だとしても、彼らからすればそれは最大の恥辱とさえ言えるだろう。


「ですが、生きてはいらっしゃるのですよね…」

 ルイスはぐっと唇をかみしめた。


「とりあえずは、だね。この後、医院を訪ねてみると良いよ。私の名を伝えれば中へ入れるように話は通してある。私は準備を整えて門で待っているから」


「っ、はい、ありがとうございます」

 ルイスは慌ててサンドを口に押し込んだ。大雑把に咀嚼(そしゃく)して、果汁水で流し込む。


「すぐ行きますか?」

 身支度をしながらユーリが声をかける。


「ええ、容体が気になりますので…」

 ルイスはナフキンで口元を拭いてすぐに立ち上がった。


「!」

 ぴりりと痛みが走って体勢を崩す。指に力を入れたからだろうか。ソファーに手をつきかけたが、すぐに気づいたユーリが腕を掴んで引っ張り上げてくれた。


「力を入れると痛むかもしれませんね」


 ルイスはうん、と頷いてユーリに手渡された自分の鞄を肩からかける。

 二人はミハイルに軽く挨拶をして足早に部屋を後にした。




 ミハイルは二人が出て行くのをゆっくり見送って、指に嵌められた青紫の魔晶石に触れて呟いた。

「レイシェン、子鼠は戻って来た?」


「”はい。かなり消耗してましたけど。閣下の動向を含めてアサンテへ入るみたいですよ。どうします?片足ぐらいへし折っておきますか?”」


「いや、必要ない、どうせすぐに使い物にならなくなる。鼠についてはセレオが入城した後でどの程度の対処をするか検討する」


「”畏まりましたー。王家は閣下の予想通りに事が進んでますよ。新国王はセレオ将位が入城される前に一度戦線に復帰するつもりみたいです”」


「私が戴冠式を欠席しセレオが入国することになって慌てているのだろう。とは言え、あの王太子は自ら最前線で剣を奮いたい方が勝っているようにも見えるけれど」


「”それがアレの衝動ですか?”」


「いや、彼の元の性分だろう」


「”ふうん?”」

 レイシェンは興味なさげに返事をして、では、と通信を切った。


「……」

 ミハイルは腕を組んでとんとん、と指で叩いた。

 考え事をするときの癖だ。

「こちらも駒を整えてもらわなければいけないか」

 ミハイルはそう呟いて立ち上がった。




 アサンテ市役所通り 


 二人は宿屋の案内人に医院の場所を聞いて、役所通りを西に向かって歩いていた。

 テレジア市ほどの面積はないこの町では、通りに出れば大きな建物は目視でほとんど確認できる。


ふと、何かを思い出してルイスが、あ!と声を上げる。

「昨夜は湯上りのままうっかりソファーで寝てしまって…ユーリですよね?手当てまでして下さり、ありがとうございました」


「お気になさらず。でも次からは不調があれば必ず言ってください。手当が早いほうが治りも早いんですから」


「以後、気を付けます。色々なことがあるうちについ後回しになっていました」

 ルイスは素直に頷いた。


「今は痛みは?歩くのに支障はないですか?」


「はい!塗り薬のおかげで!無茶をしなければ問題ないかと」


「ミハイルさんと一緒ならしばらくは馬車移動でしょうから大丈夫だと思うけど、夜に塗り直してくださいね。鞄にルイスの分を入れておいたから」

 ユーリはそう言ってルイスの鞄を指さした。


「私の分?ですか?!」

 ルイスは驚いて鞄を漁る。見知らぬ小瓶が手の中に転がってきてすぐに分かった。

 昨日、買い出しに出かけた時に花屋で練ってもらったのだろう。

「わあ!花の絵柄がかわいらしいですね」

 花の絵付けがされた白い薬瓶を手に取って目を輝かせた。

 ベンダーの花はあらゆる場面で重宝する。炎症止めや化膿止めだけでなく、ただ香りを楽しむだけでも心を穏やかに、そして頭をすっきりとさせてくれる。

 紅茶としても美味でありルイスも好んでよく飲んでいる。雪には弱いので温かい時期にたくさん摘んで保存する過程もまた楽しみの一つだった。

「ベンダーは大好きな香りなのです。ありがとうございます!」

 ルイスは薬瓶から微かに漏れるベンダーの透き通る香りを嗅いで満面の笑みを浮かべた。


「いえいえ」

 嬉しそうにはしゃぐルイスを見て、ユーリも満足そうに微笑んだ。

 くすぐったいような心地よい気持ちが込み上げてくるのは、きっとベンダーの香りのせいだろう。



 医院にはすぐに着いた。

 避難民でごった返しているのでは、と思ったがそんなことは全くなかった。

 どちらかと言うと、がらんとしている。待合に二人、アサンテ市民らしき老人とその孫らしき少年が座っているのみ。

 医務員の数もとても少ないのか、そもそも受付に人がいない。

「すみません。どなたかお話しが出来る方はいらっしゃいませんか?」

 医院内の奥に向かって声をかけたが、返事はない。


「医者は出払ってるんですかね?」

 ユーリとルイスは顔を見合わせて首を傾げた。


「すみませんー!」

 ルイスはもう一度奥に向かって声をかけた。患者のことを配慮し大声は控えたが、先ほどよりも大きめに。


「なんだいあんたら。今は医者はおらんよ」

 突然、老人が微動だにせず話しかけて来た。


「!び、びっくりした…。えっと、ではどなたかお話しできる方をご存じではありませんか?こちらに運び込まれたと言う青年とは面識がありまして、容体を伺いにまいりました」


「…ふむ?しらんのぅ」

 老人は座ったまま視線だけルイスとユーリの方へ向ける。


「ミハイルって言う名を出せば通じるって聞いてきたんですけど」

 ユーリは老人の方に向き直り睨んだ。この手の年長者と言うのは絶対に知っていながら知らんぷりをしてこちらを試してくる。見た目だけで自分の方が立場が上だと判断するや、何をどう説明したところで信じもしなければそもそも話を聞きもしないことが多い。


「ミハイルさんのぅ…」

 老人は顎髭を触りながらうーむ、と喉を鳴らした。まだしらを切るらしい。


「こちらにいらっしゃるのはラージャさんですよね?私たちは彼を追ってきた者ではありません。どうか一目だけで良いので会わせて頂けませんか?カイリさんのことをお伝えしたいのです」


「!」

 老人はカイリの名を聞くと驚いて立ち上がった。

「あんたら、カイリ殿下がどうなったかしっとるのかね?!」


「は、はい。あなたは…」


「ひとまず会いなされ。話が出来るような状態とは言えんが…」

 老人は大きなため息をついて横の少年の肩をポンポンと叩いた。

 少年は、はーいと返事をして椅子からぴょんと飛び上がると、ルイスの手を引いた。

「お兄ちゃんたちこっち」

 二人は少年に案内されて奥へと進んだ。


 突き当りの階段を下りた先にある扉の前まで来ると、少年がここだよ、と言い残して、さっさと老人の元へと戻ってしまった。


 扉には晶石が掛けられている。不用意に開けていいものなのか心配になる。

「これは?」


「ミハイルさんが地下道で使ってた遮断の魔晶に近いものですね。この場合、何者かを遮断すると言うよりは、外気と循環を行わないようにしているものかと」

 ユーリは扉の向こうから感じる気配を察して顔をしかめた。この空気は何らかの魔晶による汚染を受けている気配だ。


「それは…」

 どういう意味か、と言いかけてふいに扉が開かれた。


 そこには中年の男性が立っていて、ルイスとユーリを交互に確認する。

「ミハイルさんのお知り合いの方ですね?どうぞ、お入りください」

 男性はそう言って二人を招き入れた。

 その風体はどこからどう見ても医者ではなかった。魔晶による傷や循環不全などの汚染症の治療を専門に行う治療士だ。彼らは痛みを和らげたり、自己治癒力を高める治療を主に行う。

 医院に運び込まれた患者の治療に彼らが立ち会っている場合は、魔晶による汚染症の治療であるか、或いは医者の手に負えないほどの状態であることを意味している。


 部屋の奥へと進むと、そこはカーテンが引かれていた。

 男性がカーテンを開くと、ラージャらしき男が治療台に横たわっていた。


「…!!」

 その姿の異様さにルイスは目を見開いた。

 体中、血の滲んだ包帯だらけで、髪の色、半分だけ見えている顔の形からラージャだろうと認識できる程度だった。包帯から露出している肌は錆色に変色していて、まるで錆びた金属のようにも見える。


「腐食か」

 ユーリはやはり、と息を吐いた。

 これは確かに医者には手の施しようがない。

 腐食魔晶は武器や道具に使われるもので、それを体に受けた場合は耐晶療法を行わなければ患部から徐々に腐食していく。

 毒と同じようなもので即座に適切な対応を行えば問題はないが、ラージャの状態を見るにすでに二日は経過している。治療と言う段階はとうに過ぎた。もう何をしたところで手遅れだ。せいぜい進行を遅らせる程度の緩和処置しか出来ることがないから、医者ではなく治療士がここにいるのだろう。


「私では何とか進行を遅らせることしか…」

 治療士の男性は己の無力さに打ちひしがれるように椅子に腰を下ろした。

 彼にはただずっとこうして腐食を遅らせる緩和魔晶をかけることしか出来なかった。

 ラージャは耐えがたい痛みに意識を失うのと、その痛みで覚醒するのを繰り返していると言う。いつ体力が尽きて死んでしまってもおかしくないほどひどい状態だった。


「治せないと言うことですか?」


「……」

「……」

 ユーリも治療士も口をつぐんだ。


「そんな…ラージャさん…」

 ルイスは目に涙を浮かべてラージャの手に触れる。


「…ぅ…」

 ふと、ラージャの意識が戻る。


「ラージャさん?!分かりますか?ルイスです!」


「…ぁ…あ、…生き…、か…」


「はい!カイリさんも無事です。ただ一緒にはいられなくなってしまいましたが…」


「…いい…、…生、さえ……ば…」

 ラージャは視点の定まらない瞳でどこか空を見つめて微かに微笑んだ。

 そしてすぐに再び意識を失ってしまった。


「……」

 ルイスは唇を震わせて手を握り締めた。

 彼を死なせてはいけない。カイリが、カイリとしてアランドールに戻るにはきっと彼が必要だ。激動に飲み込まれ己の目指すべきものを見失ってしまったとしても、カイリの戻れる場所を失わさせてはいけない。

 この戦争をただ失うだけの何も残らない虚しい争いにしてはいけない。強くそう思った。



 二人は治療士と少し会話した後、老人と少年が座っている待合まで戻って来た。

「ご老人、ありがとうございました…」

 ルイスは硬い表情のまま老人に挨拶をする。

 ミハイルの説明から、ラージャの状態が絶望的であることは覚悟していた。けれど、懸命な治療によってもかしたら回復する可能性もあるだろうと、どこか淡い期待も抱いていた。本当に何も治療の術がないと分かるまでは…。


「わしはアサンテの代表を務めておる、ヤンと申す。カイリヴェーダ殿下とは仲良くさせてもらってきた。ガーランドへ潜入すると言う話は聞いておったが、我が友カイリが今どうなっておるのか教えてもらえんだろうか」

 ヤンはそう言うと、しっかりとした表情でルイスを見上げた。

 先ほどまでの呆けたふりをしていた時とは覇気が違う。なるほど、高齢であっても代表を務めているだけはある。


「ご老人がアサンテの…。カイリさんは、ルーナ王女との婚姻のためにガーランドに残りました…」

 ルイスは唇をかみしめた。


「…そうか…それは、さぞ苦しい決断であったろうなぁ…」

 ヤンは乾いた瞳を潤ませながら俯いた。

 他国で父親の暗殺を聞かされ、きっと誰よりも早くアランドールに駆け付けたかったに違いない。それでも感情のすべてに蓋をして、ラーマ王族の最後の王子として己の価値を最大限利用して残ることを選んだ無念さを思えば、息が詰まる思いだった。

「ラージャの状態を見たろう?わしはカイリ殿下の代わりにやつを案じ、そして見送ることしか出来んのだ。わしにとって二人は孫のようなもんなのになぁ…」

 ヤンは悲しそうに大きく息を吐いた。


 そうしてルイスはラージャが運び込まれた時の様子や、カイリの思い出話にしばし付き合った。



「その辺で終わりにしてもらえる?」

 と、そこへミハイルが現れた。いつの間にか結構な時間が経ってしまっていたらしい。


「兄上!すみません、話し込んでしまって…」

 ルイスが慌てて立ち上がると、突然ユーリが腕を引いて自身の背後にルイスを隠した。

「わっ。…?ユーリ、どうしました?」

 腕を掴む力が強い。何かあったのだろうか?


「何に使った?」

 ユーリは険しい表情でミハイルを睨んだ。


「ははは。隠蔽魔晶をしながらでも鼻が良いのは長生き故か。他者に害はないから安心して良いよ」

 ミハイルが笑いながら答える。


「私は貴方の方を警戒してるんですよ」


「??」

 ルイスは二人を見上げた。話についていけない。何を言っているのだろう。ミハイルの雰囲気がいつもと少し変わって見えるのが理由だろうか。


「ヤン代表、ラージャ・トリシューラはこちらで預かる」

 ミハイルはユーリの態度を気にもせずヤンに声をかけた。


「もはや誰も治療は行えないと投げだしておるのですが…貴公にはその術があると申しますか」


「そう思ってもらって差し支えない。彼を馬車まで運ぶ人手を手配して頂けるかな」


「分かり申した」

 ヤンはよっこらしょ、と立ち上がると、少年と共に医院を後にした。


「しばし待たせてもらおう」

 ミハイルは椅子に腰かけた。

 しばらくの沈黙。

 二人の気配が消えると、ユーリが最初に口を開いた。


「この人、オリクトを使用してます」


「え?!」

 それで雰囲気が違って見えたのか、と納得すると同時に、そもそもオリクトを所有していたことに、そしてエノテイアからオリクトの持ち出しが許可されたことにルイスは心底驚いた。

 国宝でありエノテイア最大の武器でもあるオリクトを他国への視察のために持ち出すなど、ヒイラギが許すとは考えられない。ミハイルが何のためにガーランドへ視察へ行くのか、何をしようとしているのか、ヒイラギはある程度理解し、容認したと言うことになる。

 オリクトを携えた宰相の訪問は、ガーランドにとってはエノテイアからの直接的かつ最終警告を受けたようなものだ。エノテイアが関与するだけの事態であると、王家、つまりは『(つるぎ)』の所有者に脅しをかけたようなものだ。


「ルイスは初めて目にするね。国宝の一つ、『(しん)』のオリクトだ。本来はエノテイアの所有ではなく、アシュフォード家が建国時から管理、所有している」

 ミハイルは指にはめられた銀製の装身具の中央で輝く『深』のオリクトを二人に見せた。

 オリクトは、群青色の高い空のような遠い海のような、濃く澄んだ青い光を放っていた。

 その光は、ユーリのオリクトのような深く重い妖艶な雰囲気を持つ色彩とは異なり、まるで生まれたばかりのような清々しく清廉された雰囲気を纏っている。


「……」

 ユーリは(いぶか)しげに目を細めた。

『深』と言うこのオリクトは見たことも聞いたこともない。

 もちろん、この世界にはユーリの知らないオリクトはいくつもあるだろうが、同じ国の同じ立場にいたヒイラギの縁者であるアシュフォードが所有者と言うのならば、ユーリが認知していないはずがないのだ。

 例えるなら、自身が所有、管理していたはずの庭に見知らぬ花が自生していた感覚に近い。

 何故そんなことになっているのかと考えたら、あの頃には存在していなかったオリクトなのだろうと言う答えに行きついた。

 恐らく、母国の崩壊を招いた惨劇の時、剥がれ落ちた欠片として生まれたのだろう、と…。

「…では、対価は?」


「面白いことを聞く。それを素直に答える所有者がいるかね。…ただ、君の疑念を晴らすために答えるとすれば、君と同じようなもの、とだけ」

 ミハイルは穏やかに返した。


「はあー…それも知ってるってわけですか」


「概要だけれどね?」


 答えをはぐらかすような返答にユーリは苛立ちを覚えた。そういう立ち回り方はどこかヒイラギを思わせる。


「あの、ユーリ…兄上がオリクトで何をしたと?」


「そこまでは分かりませんが、それ自体は大したものではありません。ただオリクトの使用には対価が伴う。私はそちらの方を警戒してるんです。対価には外部を巻き込むものも多いですから」

 人にとって残酷な対価を望むオリクトは多い。『(しょう)』に次いで危険なのは、付近にいる人の生命力や血中魔力、または体の一部を求めるオリクトだ。その対価の決定権は所有者になく、オリクトが勝手に選別するので敵味方、ましてやそれが誰であるのかも関係ないのだから危険極まりない。ただ近くを通りがかっただけの無関係な人でさえその餌食となることもある。

 ユーリの知らないオリクトであれば、その対価が何であるのか分からないと言う意味でも所有者がオリクトを行使した時には警戒しなければならない。


「兄上は大丈夫なのですか?ユーリに近しいと言うことは、自身へ影響があるものなのですよね?」


「…ほう?ルイスは『(げん)』の対価を聞いているの?」

 ミハイルは興味深そうに目を丸くさせてルイスとユーリを凝視した。

 オリクトとその所有者を特に警戒し、勝てる相手であっても戦わずに距離をとるほどの慎重なユーリが、己の弱点でもある対価を他人に晒しているとは驚きを通り越している。

 それだけルイスに心を開いているのか、あるいは、傍にいると言う意味で最大限の忠誠を示しているのか。

 どちらにしても興味深い。


「えっと、概要だけですが…」


「はははっ。これほどの収穫が得られるとはね…」

 ミハイルは思わず噴き出してしまった。

 やはり考えていた通り、ルイスをエノテイアから出したのは正解だった。一つ道を変えただけでここまで大きな成長を見せるとは、人と言うのは実に面白い。

 今日までに至る道のりのそのすべてがルイスとユーリに急速な変化をもたらしている。

 この変化は大きい。一度起きた波はいつかこの世界の隅々まで広がっていくことだろう。

 自ら描いた計画が、不安定でありながらも確実に一つの結果へと至るよう形作られていく様を目にするのは実に心地が良いものだった。


「トリシューラ卿を治す方法が判明した、と言ったらユーリ君は納得する?」

 ミハイルは満足そうに微笑みながらユーリに投げかけた。


「なんですって?治療士でもないのに?」

 ユーリは不信感を露わに眉をひそめる。

 いくら魔晶に詳しく知識が豊富だとしても、そんなことは不可能だ。

 仮にその方法が本当に判明したところで、それだけの治癒に長けた能力者がいなければ意味がない。

 魔晶をかけるのと、その魔晶を解くのでは意味合いが全く違う。


「ミハイル殿、お待たせいたした」

 と、そこへヤンがアサンテの守衛を数人を連れて戻って来た。

「彼らはわしの守衛で、カイリとラージャのことも知っている者たちなので御安心めされよ」

 ヤンが合図を送ると男たちは医務院の奥へと足早に去っていった。


 我々は先に馬車へ向かおう、というミハイルについて二人は医院を出た。


「兄上が治すと言うわけではなく、オリクトの力を用いてその手段を見つけたと言うことですか?」

 ルイスは早歩きでミハイルの横に並ぶ。


「それが正解。オリクトを所有していたところで私は魔晶士であって治療士ではない。卿には残された時間が少ない、治療士を多く輩出するビシュ院へ向かうよ」


「ビシュ院…。確かにあそこの治療士は優秀ですし、自然魔力も豊富にありますけど…」

 ユーリは神妙な顔つきでちらりとミハイルを見て自分を納得させるように息を吐いた。

 どれだけミハイルを疑ったところで、このままではラージャは助からない。見殺すぐらいなら治せると言うミハイルに任せるしか他ないが、どうにもミハイルを信用しきれない自分がいる。

 ミハイルの性格を熟知しているわけではないが、これまでの行動や言動から考えて、ただの善意で人助けをする人間だとは思えないからだ。つまり、この”ラージャを救う”と言う行動には必ず意味があり、更にその結果、ミハイルが得るものがあるに違いない。それが害のあるものでなければ問題はないが、ミハイルの根底はヒイラギに近いものがあるような気がしてならない。いつ敵対するとも限らないことを考えれば、やはり諸手を挙げて信用するわけにはいかないのだ。


 馬車はここへ来た時とは違い、大荷物を運ぶ商団用のものに付け替えられていた。

「ちょうどベリゴールへ物資を運ぶ馬車を見つけてね。前のを売り払ってもお釣りが来たので御者も手配したからユーリ君も後ろに乗ると良いよ」


「大きな馬車ですね」

 ルイスは関心しながら興味深げに馬車へ乗り込んだ。

 カイリの馬車も大きく独特な造りではあったが、商用は全く違った作りだ。たくさんの荷物が積めるよう効率的で無駄な装飾のない造形と、内部には滑りや転倒を防止する対策がとられている所も素晴らしい。

 荷物を乗せる都合上、馬車そのものを極限まで軽くするために屋根は木の枠に革と布が張られただけの簡素なものだ。ジュラは温暖な気候なので直射日光に、雨と風が避けられれば荷物に影響がないのだろう。極寒のエノテイアでは考えられない。

 ルイスはこれまで馬車にさほど関心はなかったが、地域や用途によって様々な遍歴を辿って来た”物の造り”に奥深さを感じずにはいられなかった。


「随分と商売上手なことで…」

 ユーリは感心にも呆れにも似た溜息をついた。

 ガーランドから乗って来たのはエノテイア製の豪華な装飾が施された新品にも近い馬車。お釣りさえもとんでもない額のはずだ。ジュラでは手に入るはずもないお宝に商人は泣いて喜んだに違いない。


 荷台にはすでにラージャが寝かせられていた。道中で荷台から落ちないようにと怪我に影響がない程度に紐で括り付けられている。覚醒時には防衛本能から暴れ出す可能性もあるので致し方ない処置だ。

 ミハイルは本を片手にその横に腰を下ろした。厚みのある絨毯が床には敷かれており、クッションや枕を重ねてソファーのようにこしらえている。

「私は彼に緩和魔晶をかけなければならないからここを陣取らせてもらう。おのおの好きなとこに座ると良いよ」



「それではゆっくりさせてもらうことにします」

 ルイスとユーリは馬車の手前側に腰を下ろした。

 ユーリはルイスにクッションを手渡しながらちらりとミハイルに視線を送る。

 手に持っている本の表紙には日付のような数字が記されており何らかの歴史書か日記帳のようなものに見えた。

 しかし妙なのは歴史書にしては真新しいし、何らかの記述書にしては読み込まれている質感がある。ただの暇つぶしのために持ってきた物語が描かれているようには思えない。

 何か重要な内容が書かれているような気がしてならなかった。


 そうこう考えているうちに、馬車はゆっくりと動き出した。


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