斜陽 9
雫が落ちる水の音。かび臭い匂い。耳が詰まるような感覚。光が収まるとわずかな光の漏れすら存在しない真っ暗な闇に包まれた。
ミハイルが足元と壁に光の魔晶をかける。
ぼんやりと、石造りの壁が静かに光を湛えた。城内とは明らかに様相の違う光景が光の先に続いていた。
「『剣』か…」
ユーリは舌打ちをして小さく呟く。
「けほっ…ここはどこでしょうか」
ルイスは息苦しさを感じてせき込んだ。どうにもここの空気は耐え難いほど苦しい。
「城の地下水道だろうね」
ふむ、とミハイルは光のともった壁を見渡す。
「地下水道?」
「グランシュは元々あった巨大な地下鍾乳洞の上に建造されていて、城の動力として使うために鍾乳洞を一部地下水道として整備しているそうです」
「さすがルイス、よく勉強しているね」
ミハイルは褒めてルイスの頭を撫でた。
「宰相閣下、どうかルイゼと…」
「気にすることはないよ、どうせ私たちしかいない」
そうミハイルに言われてルイスは周囲を見渡した。
「先ほどまで一緒にいたご婦人は?あの方だけ転移していないのでしょうか?」
「いや、転移の瞬間まで一緒でしたよ。別の場所に飛んだ可能性がありますね」
ユーリは辺りの石壁を叩いたり、床の振動を調べて回る。
「では状況を整理して急いで探しにいきましょう。設備箇所以外は自然のまま残されていて魔物らの駆除も行われていないはずですから」
「えーっと、整理したいとこなんですけど、この人にはどこまで話して良いの?どこまで知ってる人?」
ユーリはミハイルを指さしてルイスに耳打ちする。
「私の知っていることはもちろん、私の知らないことまでご存じですから、聞かれて困るような内容は恐らくほぼないかと…」
ルイスは咳ばらいをして答える。
「そうだ、忘れてた、エノテイアの宰相なんだった」
ユーリは納得して腕を組んだ。
するとミハイルがユーリに近づいてきて、耳元で小さく囁いた。
「ユーリ君、アンテイアのことも含めてすべて承知していると思ってくれて良いよ」
「……は?」
ユーリは目を見開いてミハイルを凝視した。
今、アンテイアと言ったか?何百年ぶりかに聞く名だ。赤の他人の口から出てきたことに困惑する。
現代ではユーリとヒイラギ、サーシャしかその名を知る者はいない。ヒイラギがわざわざ話すような内容のことでもないはずなのに、何故…。
「あと、『史』が陰で暗躍している可能性についてはエノテイアも把握している。あちらが感知遮断を行っているので王城に潜り込んでいるのを知ったのは君たちと同じぐらいだけれどね。さっきの転移は魔力の流動も痕跡もなかったから恐らく瞬間的に発動されたもの。あの場に所有者の気配はなかった。『剣』は己の内部となるこの城内では自由自在に発動できるのかもしれない」
「……」
ユーリはミハイルに対して警戒心を強めた。
すべて、とは本当にすべて知っていると言う意味なのか。何を?どこまで?敵となり得る可能性が僅かでもあるならばこの男とは即座に距離を取るべきだ。
「私たちは占い師の元へ案内されたはずです、それなのに『剣』が関わっていると言うことは私たちに気付いたと言うことでしょうか?」
ルイスは自身の腕のオリクトにちらりと視線を向ける。
「まず『剣』の所有者が何者なのかと言う点で大きく分かれる。私たち三人だけであればまだ理由は明確だけれど、ご婦人が一人混ざっていた。彼女を含めた私たちの共通点は何かと考えると、単純に魔力数値かなと私は推測しているよ」
「私たちが同じぐらいと言うことですか?でも私は…」
魔力がないのに、とルイスが言いかけてミハイルはすかさず話を続ける。
「ルイス、君がどう思っていようともオリクトの所有者だ。それだけで潜在数値は自然と基準よりも大きく上回る。あの会場の中で君たち以外ではご婦人の数値が一番高かった」
「じゃあ貴方は?」
「私はご婦人よりも高いよ。本より重いものは持てないけれど、魔晶の心得は他者よりもあると自負している」
「ふうん…」
ユーリはミハイルをじっと見据えて腕を組んだ。
このミハイルと言う男はどう考えても知りすぎている。
宰相と言う立場であれば当然オリクトやエノテイアに関するあれこれを知っていても当然だろうが、どうにも子飼いのアトラたちとは根本的に何か違うように感じる。
まずヒイラギと同じ匂いがしない。縁者と言う最も血の濃い家系であるはずなのに、だ。
オリクトを所有しているから『環』の支配下から外れているのだとすれば、これほどの情報を持っているのが逆に引っ掛かる。ヒイラギが自身の支配下にない者に自国のオリクトを持たせ、更には過去にまつわる話をべらべらとしゃべるとは考えにくい。そもそも、他のオリクトの状況をこれほど把握しているのもおかしな話だ。
「ぎぃやぁあー……っ!!!!!!」
突然、耳を覆いたくなるような叫び声が暗闇の道の奥から響いてきた。
「今のは!まさか先ほどのご婦人?!」
「でしょうね、でも…」
叫び声は一度きり。死んだな、とユーリはすぐに理解した。
「急いで声の方へ…!」
そういって駆け出そうとするルイスをミハイルが制止する。
「急いだところで手遅れだ。あれは悲鳴じゃない、断末魔、もう死んでいる」
「そんな…」
ルイスは唇を震わせた。
「ここがどこかも分からないのに、慌てて進めば道に迷うだけだ。目印をつけながら落ち着いて進もう」
ミハイルはいたって冷静に辺りに落ちている石のくずをいくつか拾った。
右手を石にかざして魔晶をかけると、石はぼんやりと光をまとい静かに瞬いた。
「これを通ってきた道に置いていこう。それから、ルイスはこれを持って」
そう言ってミハイルは手の平に収まるぐらいの石をルイスに手渡し、再び手をかざす。
石はまばゆい光をまとい、辺り数メートルまで煌々と照らした。
「……、得意と言うだけあって魔力の調整が抜群にうまいですね」
「お褒め頂きどうも」
ユーリは感心してミハイルをまじまじと見つめる。
晶石でもないただの小石に絶妙な魔力配分で一滴の無駄もなく魔晶をかけた。
自然魔力を含有していない無機物に魔晶をかけるのは熟練の手練れであっても難しい繊細な作業だ。強すぎれば砕けるし、弱すぎれば機能しない。想像力だけではどうにもならない絶妙な魔力配分が必要となる。知識と才能がきちんと伴って初めて成せる技だ。
水一滴にも満たない繊細な量の調整をこうもすんなりと行う者はほとんど見たことがない。
ユーリの最小限の力で最大値の能力を引き出す才に少し似ている。
これはたしかに敵に回したくない相手だな、とユーリは前にルイスが言っていた言葉を思い出して心の中で納得した。
「ルイスの言ってたことがだんだん分かってきましたよ」
「ふむ、ルイスが私の話を?それはとても気になる。当ててみようか?」
「いえ、予想通りだと思いますので大丈夫です」
ルイスは苦笑いを浮かべてミハイルを制止した。
「残念、たまには外させてもらえるかと期待したのに」
ミハイルは残念そうに微笑んだ。
・・・
補強された道と自然の道が混在する地下道を、かすかな風が吹いてくる方向を頼りに三人は進んでいく。
洞窟を住みかとする魔物に何度か出くわしながら、ようやく先ほどの悲鳴の主である婦人の所までたどり着いた。
尖った鍾乳石に仰向けに突き刺さった婦人の姿が光に照らされ、ルイスは息をのんだ。
「っ!」
四肢は力なくだらりと垂れ下がり、滴り落ちる血が鍾乳石を真っ赤に染め上げている。
恐怖と苦痛に歪んだ表情で光を失った瞳は何もない空を見つめていた。
あまりにも痛ましい姿にルイスは目を背ける。
「結構な数の剣による裂傷がありますね」
ユーリは婦人の遺体をまじまじと観察した。
肉が見えるほど深い裂傷は間違いなく剣を持った人間の仕業だ。それも、複数人、更には剣の扱いに慣れていない、ただ無造作に振り回しただけのような傷の付き方をしている。
「魔物に襲われたのではないと…?」
「恐らく。あまりにも幼稚な剣の扱い方なので手慣れてはいません。素人かどうかは断定出来ませんけど」
「…あぁ、そういう事か」
ミハイルは一人でふむふむ、と納得した様子で頷く。
「?何か分かったことが?」
「何をもってこの転移が行われたのかが理解できたよ」
「ここへ飛ばされた意図ですか?」
「そうだね。まず、君たちには黙っていたけれど、私はこの札はもらっていない。どこかの給仕に譲ってもらった」
「え?」
「……」
ユーリは、なるほど、と目を細めた。
譲ってもらった、などと言っているがあれこれと言葉巧みに奪い取ったようなものだろう。こちらが持っている札を把握していて、わざわざ接触して来たに違いない。
「その前に何故、貴方がそうしたのか聞いても?」
「いい質問だ。それはこの意図と関係がある。先ほども言ったが、ここに飛ばされた者の共通点はやはり魔力の数値だと思う。しかしこの共通点は広間にいた全員を基準にしたのではなく、侍従や侍女に限られて選定されている。現に私は対象外だった。それを前提にご婦人の手を見てごらん」
言われてルイスは恐る恐る手のひらをのぞき込んだ。
指の関節に水仕事で出来る皮膚の荒れがあった。爪は深く切り揃えられただけで手入れが行き届いていない。貴族の婦人にあるまじき手だ。
指にはめられた紋入りの指輪も微妙にサイズが合っておらず色のくすんだ安物だった。
「水仕事をされている方の手です。どこかのご婦人ではなく、貴族の仮装をした給仕と言うことですか?」
「そう。ここへ飛ばされた者の共通点は潜在魔力の高い者、そして死んでも大した問題にはならない身分の低い者。ここ数か月の城の給仕の出入りを調べさせたけれど、いつの間にかいなくなっている者が続出しているらしい。実家に帰っただの、配属先が変わったなどと理由をつけられてね」
「つまりここは意図的に用意された場で、私たちは狩りの獲物みたいなものだと?それで貴方がわざわざ花の札を奪い取ってまで近付いてきた理由は何です?」
ユーリは腕を組んだ。
「奪ったと言うのは語弊があるけれど…、私は単純に知る必要があったから来ただけだ。何事も様々な角度から全体を捉えなければ見えているものも見えなくなってしまうからね」
ミハイルはにっこりと微笑んで返す。
「誰かさんもそんなこと前に言っていたような…」
どこかで聞いたことのある台詞のような気がする。ユーリはルイスを見た。
「?」
ルイスはまるで自分のこととは認識していないようで不思議そうに眼を瞬かせている。
ルイスの思考や信条は恐らくここが原点なんだろうなと、妙に納得できた。
「おや、おしゃべりをしている間に、何かが集まって来たようだ」
「うっ」
吐き気を催す匂いがしてルイスは口元を抑えた。城へ入った時に一瞬匂ったあの匂いと同じだ。
「ルイス、下がってください」
ユーリは刀に手を添えた。
ずるずると、妙な足取りの何かが近づいてくる。人や魔物にしては動きが遅いし、魔力も感じない。これは前にも感じたことのある気配だ。
その何かがゆっくりと光の照らす範囲へと入って来た。
「テレジア兵?!何故ここに?!」
ルイスが声を上げる。
それは、あちこち薄汚れたテレジアの兵服をまとったテレジア兵だった。
おぼつかない足取り、生気のない気配、うつろな瞳に光は宿っていない。
「これは、”獣”か…」
ユーリはすぐにそれが何か察した。そこの婦人がこれに襲われたに違いない。
「君たちはこれを”獣”と呼んでいるの?なかなか相応しい呼称だね」
「この状態を兄上もご存じなのですか?」
「視察でロスター近辺を回った時に二度ほど遭遇したよ。でも外にいるのは”はぐれ”だった。統率の取れない第一段階の残りカスのようなものだ」
「それはどう言う…」
「話はあと。私は城内では戦えないから、ユーリ君一人で頑張ってくれたまえよ」
「言われなくてもやりますけど…うわー、数増えてるし」
ぞろぞろと集まってくる気配にユーリは大きなため息をついた。
何かに引き寄せられているのか、こちらに集まってくる気配だけでも十体はいる。
刀を使えれば一掃するのは簡単だが、狭い通路での戦いに長い得物は向かない。小さな獲物で一体ずつ確実に落としていくしかないだろう。
ユーリは仮装の飾りで持っていた模造品の短刀を手に取った。
「では遮断の魔晶をかけるから、私たちはここで見物と洒落込もうか」
ミハイルは採光の魔晶がかけてある小石を足元にばらまくと、右手を掲げて小石に別の魔晶をかけた。
ぼんやりと光っていた小石から帯状の光が立ち上り、二人を包み込む。
光の壁によって一時的に魔力の遮断を行うことで視覚以外で感知されなくなる魔晶だ。これで”獣”の狙いはユーリに集中する。
”獣”たちはユーリを認識するや否や、一斉に襲い掛かって来た。
統率も何もない。互いにぶつかり合い邪魔になっていても気にもせずただ無心で目の前のユーリに向かってくる。
腕を振り回したり、掴みかかろうとするだけの雑な動きなので避けるのはたやすい。右に、左に、かわしながら背後にまわって頸椎を短刀で突く。急所を知っていて助かった。
すぐ真後ろにいた”獣”が覆いかぶさってくるのをしゃがんで避けて、柄で顎を砕く。
数体倒したところで、奥から剣を持った獣が襲い掛かって来た。
普通の剣士ならばこの状況下で剣を抜くのはためらう所だが、何の思考もない獣には関係ないらしい。周りに何があろうともただ剣を振り回すだけだけなので、他の”獣”や壁などに引っ掛かるたびに軌道がずれて動きが読みづらい。
放っておくと厄介なので、まずは足を引っかけて転ばせて動きを封じ、あとはもう蹴るなり踏むなりして早急に黙らせた。
「所で、黒特急の…ユーリ君とは、良好な関係を築いているの?」
「え、ええと…」
ミハイルの質問にルイスは戸惑った。
「彼にとって『晶』は監視対象でこそあれ、庇護対象であったことは一度もない。彼に何か心境の変化でもあったのかな?理由は聞いた?」
「はい」
ルイスは頷いてユーリの戦闘の様子をじっと観察しているミハイルを見上げた。
「では彼のこれまでの経緯も、その意味も知っているわけだね。我が国の思惑はさておき、私個人としては可愛い弟分の命を奪うかもしれない者が傍にいると言う状況は許容し難いのだけれど」
「兄上のおっしゃりたいことは分かります。ですがユーリは、私が自分を見失わない限り絶対に刀は向けないと約束してくれました。その上で、もし私が力を求めこれまでの所有者と同じ結末を迎えることになるのならば、すべての判断はユーリにお任せするつもりで話をしています」
「なるほど、君らしい考え方だ。彼の感情の変化が何かは本人に聞くとして、…あぁ、今回の”獣”は随分と完成度が上がっているようだ。第三段階の量産も可能になっているとはね」
ミハイルはユーリが倒したはずの”獣”が起き上がるのを見て目を細めた。真剣な表情で”獣”たちを見据える。
「完成度?」
「これぐらいで良いか…。ルイス、さすがにこのままでは分が悪いので退避しようと思う。しかし『剣』の中で転移を使うには相応の魔力が必要だ。私も手助けするが、君にも手伝ってもらわなければならない」
「そんな、私に手助けなど出来るはずが…」
「出来る出来ないは関係ない。彼を助けるためには魔力が必要であって、それを創造すれば良い。魔晶は元来、想いや願いで発動するものだからね」
「想像ですか?願いで…?」
ユーリはこれまでと違う”獣”の相手に悪戦苦闘していた。
急所を突いてもまた起き上がり襲い掛かってくるのだ。耐久度が上がっているか、急所が変わっている可能性がある。
相変わらず目の色に生気は感じられないが、明らかにユーリに対して敵意を持っていると言う点でも大きく違った。
「ふむ…、指示が出せてる…?」
テレジアの知能も何もない”獣”よりも数段性能が上がっている。
数の多さもさることながら、これでは倒しても倒してもきりがない。どれだけ切りつけたところで弱りもしないし怯みもしないのだ。すでに死んでいるのだから当然ではあるが、こんなものを一体ずつ相手にしていても時間と体力を消耗するだけではないか。
ヒュンと、一陣の風が唸る音。
「ったく、弓兵までいるのか!」
”獣”の間を縫って飛んできた矢がルイスたちの横をかすめる。
弓兵はやっかいだ。こんな通路で敵味方関係なく打たれては防ぐどころの話ではない。
再び目標もなく飛んでくる矢を払い落としながら、ユーリはルイスたちの所まで下がった。
「生者を襲うように指示されているが特定の誰かではない様子、血への執着はないが魔力には引き寄せられている、協調性はなし、と」
ミハイルはまるでメモを取るようにつぶやく。
「さすがに疲れましたよ…。頭の良い宰相さん、何か策はないんですか」
ユーリは頬に垂れてきた汗をぬぐって息をついた。
いかに効率よく動けるユーリでも、永遠とこんな無意味な戦闘を続けられるはずがない。切れ味そのものが存在しない模造刀を扱っているせいもあって右手が痺れてきている。
「策はないので大人しく逃げよう。ユーリ君、転移を」
「逃げ…は?転移?何言ってるんですか、無理ですよ」
ユーリは驚いて眉をひそめた。
「とりあえずこちらへ」
ミハイルはそう言ってユーリを魔晶の光の中へ引っ張り込んだ。
「ここへ飛ばされる時にいた場所は分かる?魔力の変動線を辿れば良い。同じ道を通れば気取られにくい。細かい位置は私が修正する」
「いやいやいや!簡単に言ってくれますけど、三人でしょ?!魔力なんか足りるわけがないですし、対価もないんですよ。別の策にしてもらえます?!」
ユーリは思わず声を荒げた。
馬鹿なことを言っている。不可能だ。二人の転移でもどれだけの魔力と対価を消費したか。魔晶が得意だという人間がそんなことも分からないはずがない。
「対価は必要ないし、魔力も足りる。六人の時も、今も、方法は同じと言えばわかる?これ以上は言葉にしないよ」
ミハイルは真剣な眼差しでユーリにしか聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……」
六人の時、と言ったか?まさか、テレジアでのことを知っている?
ユーリは眉をひそめた。知っているとも、と返答するかのように、ミハイルがふっと不敵に微笑む。
「転移はやはり難しいのでは…」
ルイスはユーリが険しい表情をしているのに戸惑い、二人を交互に見た。
「ー…いえ、分かりました、やってみます。成功するかは知りませんよ」
テレジアの転移についてはユーリも確かめたいと思っていたことがある。
丁度いいと言うにはあまりにも軽率ではあるが、ともかく今はそれしか手段がないのならばやるしかない。
「成功しなければもろとも死ぬだけだ。そのつもりで集中してくれると助かるね」
「さらっと言わないでくださいよ」
ユーリは深く息を吸いこんで意識を集中させた。『剣』の転移によって生じた魔力の変動線を探す。
そもそもユーリは魔晶が得意ではない。さらに自分に隠蔽魔晶を行っているせいもあって、流れはぼんやりとしか汲み取れない。
転移によって生じる魔力の流れというのは、必ず開始地点と終着点が線のように繋がっている。
それを辿ることで同じ場所へ飛ぶことが出来たり、どこへ飛んだかを推測したりすることが出来る。
ただ、他人の転移を完璧に把握して同じ道を通ると言うことは非常に困難を極めるので、この場合だと成功するかは手助けをすると言うミハイルの実力次第とも言える。
同じようにミハイルも瞳を閉じた。
「そう、大まかな位置は良いね。そのまま東へ…。いや、少しずれた。半歩だけ戻って東の方角へまっすぐ、あと一部屋分進んだら上昇」
ユーリの波長に合わせてミハイルが指示をする。
まるで変動線が見えているかのように位置の調整が正確だ。
「!…ありましたよ、『剣』の転移紋」
出発地点と終着地点の転移紋をはっきりと掴んだ。
ミハイルがどうしてこんな芸当が出来るのか問いただしたい所ではあるが、今は転移に集中するために一旦この疑問をどこかへ押しやる。
「よろしい。では、あとは任せる」
そう言ってミハイルは瞳を開くと、どうしたらいいのか困惑している様子のルイスの頭を撫でた。
「ルイス、難しいことは考えずに魔力が必要なことだけを考えてごらん。この状況を打破するにはユーリ君の転移しか方法がないからね。彼を助けることだけを考えればいい」
「は、はい」
ルイスは訳が分からないままに、先ほど言われた通り、状況からどうするべきかを想像してみる。
周りを不死の敵に囲まれている。逃げ道はなく、出口も分からない。
転移以外にこの場を脱することは出来ない。その転移が行えるのはユーリだけ。それはとてつもない魔力が必要で、ユーリ一人では到底足りるはずがない。無理やり行えば死んでしまう可能性のが高い。
そうならないためには、魔力が必要だ。転移を発動させるだけの魔力。そして、想像力、想いと願い。
ユーリを助けたいと言う、想い。どうかこの場から無事に脱することが出来ますようにと言う、願い。
それを叶えるには…。
「?!」
強引にこのまま転移を行うしかないか、と思っていたユーリは突然の事態に驚いて瞳を開いた。
明らかに自分のものとは異なる外的な魔力がオリクトに流れ込んで来た。
ユーリは驚愕したまま、まじまじとルイスを見下ろした。
ルイスは難しい顔をして意識を集中させている。体外を取り巻く自然魔力から、テレジアでイツキの転移を手伝った時と同じ、光の渦が見えた。
「これは…」
魔力がないように見える形容しがたいルイスの力が何なのか、ようやく分かった。これは血中魔力でなく、自然魔力だ。
本来ならば体内を循環するのみで扱うことが不可能な魔力が、ルイスを通して流れ込んでくる。まるでオリクトを使用している時のような感覚だ。
本人は気付いていない、いや、恐らく、これは無意識…。
ルイスの頭を撫でながら満足そうに微笑んでいるミハイルと目が合う。
「足りるだろう?」
ミハイルはユーリを試すような眼差しで呟いた。
「…ええ…」
ユーリはミハイルを思い切り睨みつけ、左手を目の前に掲げた。
『幻』のオリクトが緋色の光を纏うと、転移の紋様が浮かび上がり、三人は光に包まれた。
すぐに周囲の空気が変わる。靴底に絨毯の感触と、鼻に突き刺さる香炉の香り。
元いた占いの部屋へ戻ってこられたようだ。
ユーリは左手を握りしめて、ふう、と息を吐いた。
驚いた。息をするかのように自然に転移を発動した。これはオリクトを使用していない転移だ。
ミハイルの言った通り、対価も魔力も必要なかった。
オリクトを使用せずに転移するなどほぼ不可能なはずなのに、それを可能にさせた自然魔力。これで、イツキの転移の謎は完全に解明出来た。あの時もこの力を無意識に使っていたのだろう。
ユーリは瞳を閉じたまままだ意識を集中させているルイスを見下ろした。
薄紫の光をぼんやりと纏い、魔力が…湧き出ていると言う表現が一番当てはまるだろうか。『晶』の力でもなく、まるで自然に湧き出る泉のようだ。これはルイスの無意識領域にいたあの存在の力なのだろうか。
「だから、それを選んだのか…」
まるでユーリの疑問に答えるかのようにミハイルがぽつりと呟いた。
帽子の位置を整え仮面をかぶり直す。
「貴方ね、さっきから何でそんな…!」
ユーリは苛立ちを覚えてミハイルに掴みかかろうとする。と、ふっとルイスの意識が失われて倒れ込んで来た。
すかさずミハイルが抱きとめ、ユーリに目配せする。
「ここには長居するべきではない。私たちが地下道を抜け出したと気付かれると面倒だ」
すぐにユーリも気づいた。隣の部屋から人の気配が近づいてきている。
同じ転移紋を使用したとは言え魔力の流動を誰かに感知された可能性はある。
ここで面倒が起きれば情報収集どころではないしカイリの立場も危うくさせてしまう。
「…分かりました、ひとまず戻りましょう」
ユーリは素直に引き下がった。意識のないルイスを抱えて廊下に人の気配がないか探りながら外へ出る。
「ユーリ君、広間へ出るのは怪しまれる。ここの備品庫は侍従の通用口にも繋がっているからそこから外の回廊へ」
広間へ戻ろうとするユーリをミハイルが引き留めた。
確かに、事を企てた『剣』の所有者が広間にいれば厄介だ。ルイスとユーリは地下水道にいると思っているはずだから気付かれるわけにはいかない。
ミハイルの後をついて備品庫から通用口へ。
入り組んだ備品の棚をすり抜けて迷うことなく通用口から城内の回廊へと出られた。
「随分詳しいですね」
「城内の設計図は頭に入っているからね。私は用が済んだし部屋に戻るよ。君たちの身分は気付かれてはいないと思うがこのまま部屋へ戻った方が良い。また標的にされるとも限らない」
「ちょっと、逃げる気ですか。色々説明して頂きたいんですけど」
「説明か…そうだな、一つだけ答えてあげよう。ただし、君も私の質問に答えるのならば、だけれど」
「私に質問?全部知ってるようなこと言ってませんでしたっけ」
ユーリは皮肉を込めて鼻から息を吐いて笑った。
「知らないこともあるとも。ここで立ち話するわけにもいかないし、続きは私の部屋で。カイリ王子には私の供を付けておこう。適当な所で部屋へ連れ帰る様に指示しておく」
ミハイルはそう言うと抱えているルイスをユーリへ渡し、広間とは反対方向に回廊をまっすぐ歩き出した。
回廊の中央には大きな階段が上へ伸びており、階段前に守衛兵が二人立っていた。ここから上の階は謁見の間と王族の居室があるため警備も厳重だ。
「私の部屋は上に用意されていてね」
守衛はミハイルに気付くと、さっと脇に逸れて深々と敬礼した。続いて横を通り抜けるユーリにも敬礼をする。
仮装していてユーリたちが何者かも分からないのに、それを確認する様子も気にする素振りもなく、視線さえ上げない。
宗主国とも言えるエノテイアの宰相であるミハイルは、ガーランドでも王族に匹敵するだけの権限がある。部屋に誰を招こうが、どこで何をしようが、守衛は疑うことも口に出すことも許されない。ただそれに従い敬礼するのみ。
ミハイルがどんな要求をしようとも、ガーランドの国王でさえ、はい、と答えるだろう。それだけエノテイアと言う国は特別であり、そして畏怖されているのだ。
上階の内装は下階とは趣が違い、随分と明るさがあった。
豪華ではないが多くの緑が配置され、生けられた花も黄色と橙色で統一されていた。ガーランドを象徴する青藤色とは真逆の雰囲気に感じる。王族の好みが反映されているのだろうか。
ミハイルの部屋の前には給仕の女性が立って待っていた。ミハイルが声をかけると静かに頭を垂れてその場を後にする。
ミハイルに促されて部屋へ入ると、かなりの広さに驚いた。
カイリに用意された部屋もそれなりの広さではあったが、ここはその更に倍はある。
装飾品も品の良い絵画や置物が飾られ、ようやくカイリが言う所の城らしい城にいるような気になれた。
奥にある主寝室へ案内され、そこにルイスを寝かせる。
大きな窓辺の傍には金細工の施されたサイドテーブルと見事な黒虎の毛皮がかけられたソファーが置かれており、ユーリはそこへ腰を下ろした。
ワインのボトルとグラスをもってミハイルがやってくる。
「口に合うと良いけれど」
ミハイルは向かいのソファーに腰かけて自分とユーリとグラスにワインを注いだ。
「どうも」
のんきに杯を酌み交わす気はないのでユーリはさっさとワインを煽る。
それを見てミハイルは目をぱちくりとさせて笑った。
「ユーリ君の人間像がだいぶ分かって来たな」
「そんなことよりさっさと質問とやらを聞かせてくださいよ」
「私から答えなくて良いのかな?」
「先で結構。私の家の名を知っているとなれば文字通りなんだって知っているんでしょう?そんな人間がする質問とやらの方が気になりますね」
「なるほど、それもそうか。君は誰かと同じでかなりの高齢なのに柔軟な思考の持ち主のようだ」
ミハイルは微笑みながらグラスのワインに口を付けた。
「では単刀直入に。旅ごっこのお守りをしている真意は?」
「……」
旅ごっこ、と言う言葉にユーリは眉をひそめた。この人はそう捉えているようだ。
「事の始まりから、暴走を阻止する以外に君が自ら行動を起こしたことは一度もない。エノテイアとも敵対するような行動は避けてきたはず。君の行動原理は一度もぶれたことがないのに、今回に限ってどうしたわけかな?」
「そんなことが貴方の知りたいことですか」
「大切な弟分を預けているのだから気になるとも」
預けている、と言う言葉にユーリはさらに眉をひそめた。癪に障る。わざと煽るような言葉選びをしているのだ。
「単に繰り返しに飽きてただけで、ただの気まぐれですよ。これまでと少し毛色の違う所有者の結末を近くで見るのもたまには良いかと、それ以上でもそれ以下でもありません」
「少し、か…」
ミハイルは不敵に微笑みながら一口ワインを口に含む。
「何です?」
「少しではない。大きく違う、それはルイスのことでもあり、君のことでもある。君はこの変化を本当にただの気まぐれだと?」
「…でなきゃ何だって言うんです…私があの力を欲しているとでも思ってるんですか?」
「まさか、君はそんなものに興味などないだろう。私はその逆の、力への無執着、つまり、事の終焉を望んでいるのではないかと考えていてね」
ユーリはぴくりとも表情を変えずにミハイルをじっと見据えた。
「終焉?それこそ興味ないです。ルイスに期待していると言うのはありますが、どんな結末を迎えようとも私はそれに準じるだけでそこに別の理由なんてありません。以上。では、次は私の番ですよ。貴方の所有しているオリクトのついては今は関係ありませんからとりあえず置いときます。それより、さっき”だからそれを選んだのか”と言いましたよね。その言葉の意味を聞きたい」
「ほう?私の独り言にそんなに興味があるとは。思いもよらない質問だね」
ミハイルは微笑んだままソファーに背を預けた。
「ただの独り言なのでこれと言って意味はない、では回答にならないかな?」
「…意味がない?そんなわけないでしょう?明らかに知っていて言っている風に私には聞こえましたけどね?」
「ふむ。何をもってそう捉えたのだろう?私が知っていると君が認識しているものについてまず教えてもらえるかな?私が一体何を知っていると?」
「…、っ…」
ユーリは言葉を飲んで小さく息を吐いた。
危ない。誘導されている。質問する側のはずが立場が逆転している。あの独り言がそもそもこちらの情報を聞き出そうとする罠だったのかもしれない。
「…いや、質問を変えます、良いですよね?」
「そう?まあ、回答なしだったわけだから構わないよ」
ミハイルは残念そうに両手を挙げて見せた。
「先ほどのルイスの力、あれは自然魔力だった…。ルイスには自然魔力を集める力があるんでしょうか?貴方の見解を聞きたい」
ミハイルは瞳を伏せてグラスを机に置いた。
「集めるとは少し違うかな。私もまだ正確に判断しきれてはいないが、恐らく異なるのは魔力の方ではないと思う。あの特異体質によるものだ」
「魔力がない体質のこと?」
「そう。私たちが魔晶の行使に晶石と言った媒介が必要となるのは、血中魔力が巡る体では自然魔力が扱えないからと言うことは知っているよね。私たちにとって自然魔力は毒のようなものであり、媒介なしに行使し体内に自然魔力が停滞すれば死の危険さえある。つまり、私たちは血中魔力があるからこそ自然魔力を扱えないと言うことでもある」
「だからそれがないルイスは自然魔力を扱うことが出来ると?」
「理論的にはね。明確に表現するならば、ルイスは媒介と言えるだろう。すなわち私たちが何の消費もなく自然魔力が扱えるようになると言うこと。先ほどの転移がまさにそうだね」
「…なるほど、そうなるのか…」
ミハイルの見解にユーリは納得して頷く。あの感覚は確かにオリクトを使用した時と似ていた。
テレジアの件も、さきほどの転移も、ルイスを経由した自然魔力によって発動を可能とさせたので魔力も対価も必要なかった。
テレジアでの転移後、イツキの魔力が枯渇し、自然魔力が体内で停滞していたのもそのせいだ。所有者としての日も浅く、経験も乏しいイツキの体では突然流れ込んできた自然魔力に対応できず、自身の魔力が押し出されてしまったのだろう。
テレジアの森で魔力を感知できるはずのないルイスがユーリの居場所を突き止めたのも、シオンの結界を破ったのも、どれもこれも無意識に自然魔力を用いていたのだとすれば辻褄が合う。ルイス自身の魔力の有無など関係ないのだ。
「言うまでもないが、これは非常に危険なことだ。自然魔力は無尽蔵に存在する世界の根底とも言える絶対的な力。ルイスを介することでそれが自在に汲み取れるとなれば、オリクトを越えた世界規模での戦争になり兼ねない」
「……」
ぞっとした。
そうだ、この事実はとんでもない危険をはらんでいる。
ルイス自身には何の危険も不安もないが、それを利用しようと考える人間によってはオリクトよりもずっと便利で危険な兵器になり得る可能性がある。例えば、エノテイアのヒイラギ、そしてサーシャ。何としても手に入れようと考えるだろう。
「…と言うことは、ヒイラギはまだ把握していないんですね?」
「その通り、理解が早いね。ルイス自身の自己暗示と、『晶』が目くらましになっているおかげで気づける者はほとんどいないと言っていい。私もテレジアの一件を聞いてようやく納得いく答えに行きついたぐらいだ。ただ、さすがに今のルイスを手中に収めればヒイラギも気付くだろうから、捕まらないように君には尽力してもらわなければならないけれど」
ミハイルは冗談交じりにクスリと笑った。
「それは本音ですか?とても宰相が口にする言葉とは思えないな」
ユーリはあきれた様子で眉をひそめる。
「私としては、ルイスには自らの力が正しく扱われるための心身の成長と変化が必要だと考えている。それは変動が抑制されるエノテイアにいては成せない。ユーリ君が国外へ連れ出したと聞いて任せようと思った。どう捉えようと構わないが、私はヒイラギとは考え方が違う。だからこそ私は今、君の問いに答えているし、エノテイアへ連れ戻そうという気もない。それだけは覚えていてもらえると助かるね」
ミハイルはベッドに横たわるルイスをちらりと見た。
「…んん…、ここは…?」
目を覚ましたルイスがもぞもぞと動いて起き上がる。
「私の部屋だよ。体に異変はない?無理をさせて悪かった」
ミハイルは立ち上がるとベッドのそばまで寄ってルイスに手を差し伸べた。
「…いえ…頭がぼんやりとはしていますが体は大丈夫です。ユーリの転移は無事に発動出来たのですね?一体何故なのです?」
ルイスはミハイルの手を取って立ち上がると二人を交互に見た。
「お二人の協力があったので対価は必要ありませんでしたよ。この通り、魔力も消費してません」
ユーリは言葉を選んで答えた。
今はまだ、ルイスは本当のことを知るべきではないだろう。無意識の中で見た、あの存在の言っていたことがどうにも引っかかるのだ。
「あの転移はユーリ君と私、そしてルイスが協力して成功させた三位魔晶と表現するのが適当だろう。『剣』が発動させた道をそのまま使ったことで起動の補正も消費も抑えられたおかげもあるね」
ユーリの回答からミハイルは何かを察し優しく説明を付け加える。
ソファーまでルイスを誘導し、ミハイルは先ほどと同じ場所に腰かけた。促されて、ルイスはユーリの隣に座る。
「何となくですが…魔力の流れのようなものを感じました。私は想像し願うことで何が出来たのでしょうか?」
「それはオリクトが持つ魔力だ。所有者を守るために授けるいくらかの恩恵と力。対価を支払う魔晶とは異なる、所有者の権利とでも言おうか」
「それで…」
ルイスは、なるほど、と納得して腕の晶石に視線を落とした。これまでも何となくこのオリクトが手助けをしてくれているような感覚はあったからだ。
「これまで似たようなことは何となくあったのですが、先ほどのように想像し、願えば私の意思で魔晶が扱えるようになるでしょうか?」
「いや、すぐには難しいかな。先ほどのは三位だったからこそ可能だったことで、それまでのも無意識だったからこそ行えただけだ。今はあまり深く考えずに、まずは感覚として鍛錬を行うと良いだろうね」
事実と嘘を絶妙に配合した説明をもっともらしく平然と並べていくミハイルを横目に、ユーリはエノテイア貴族の恐ろしさをつくづく実感していた。
頭の回転が速いというのもあるだろうが、ルイスも同じように相手にうんと言わせる説得力のある嘘を混ぜた言葉を並べる。
もはや二人が仮に本当のことを言っていたとしても区別がつかないかもしれない。
ルイスは腕のオリクトに視線を落とした。もしそうであればユーリの負担を少しでも減らせるかもしれないという期待に胸が高鳴る。
「無意識…そうですね、確かに…。分かりました。ずっと不思議だったことがはっきりして良かったです。私も魔晶を扱えるようになるのではと期待してしまいましたが、少しほっとしました」
ルイスは少し残念そうにしながらも胸をなでおろした。本来ならば誰しも幼少期から生活の一部として魔力の扱い方を自然と身に着けていくものだが、その経験が自分にはない。
知識として知っていても感覚として理解するにはまだ時間が必要だ。
「あ、それと”獣”についてなのですが…」
「ああ、それについてだが、先に一つ検証実験を行っても良いかな」
そう言うとミハイルは突然立ち上がり水の張った器を持ってきて机に置いた。
「検証?」
「ユーリ君、先ほどの戦闘で使っていた短刀を貸してもらえる?」
「はあ、どうぞ」
不審に思いながらもユーリは短刀をミハイルに手渡した。
ミハイルは鞘から抜いた短刀を水が入った器の中へと沈める。
「何をなさるのですか?」
ルイスは興味深げに身を乗り出して器を中をじっと見つめた。
ミハイルはその器の中に一凛の切り花を差し入れた。五枚の薄桃色の花弁がついている。
「この花は魔力を吸い上げて目視化させることが出来るアスフォデロスと言う花でね、自然魔力をろ過した精製水にこうして浸せば、短刀についている”獣”の魔力成分を花が水と共に吸い上げる。それによってあれを構成している要素が何かを判別出来るようになると言うわけだ」
「へえ」
ミハイルの説明にユーリは興味をそそられてじっと花を見つめた。
何よりも、魔力を吸い上げて魔力の成分を割り出せると言うこの花に興味をひかれた。
はるか昔に絶滅した、その場の自然魔力の濃さによって花弁の色を変える花に似ている。
「!花びらの色が少し変わってきました」
「自然魔力を吸えば白く、血中魔力であれば赤く染まる。…ふむ、この反応は…」
ミハイルは花弁の色づき具合を見てうなった。
赤く、そしてやや黒い。予想の反応とは違う色付き方だ。
「これは、血中魔力を含んでいると言うことですか?血中魔力は死を迎えた瞬間に消えてしまうはず…、それが残っていると言うことは、肉体が死んでいない?」
ルイスは眉をひそめた。
「まさか、あれは明らかに生命としての活動を停止してますよ」
「そうですよね、血も流れないのに…。黒みがかっているのには何か意味があるのでしょうか?」
「……」
ルイスがミハイルに問うが、ミハイルは花弁をじっと見つめたまま何か思考を巡らせていた。
そして思いついたように突然立ちあがると、隣の部屋へ向かい、今度は小さなコップに同じ花を挿して戻ってきた。
「私が思うに、…」
言いながらミハイルは自らの指をナイフで切り、滲んだ血をコップに垂らした。
「あの”獣”は私と近いのかもしれない」
「近い?とは?」
徐々に色づき始めるコップの花に三人の視線はくぎ付けになった。
花は、隣に置かれた器の花と同じように赤く黒く染まった。より黒みがかってはいるがほぼ同じ色の構成だ。
「?!」
「やはりな」
ミハイルは合点がいったように頷いて唇の端を上げた。
「何勝手に納得してるんですか。やっぱりアレが生きてるだなんて言わないでくださいよ?」
「もちろん。死んでいるのは間違いない。私に近いと言うのは、要するに、あれもオリクトの所有者の血を分けられた存在かもしれないと言うことだよ」
「!」
ユーリはようやくミハイルの言っていることが理解出来て目を見開いた。
「黒はオリクトの反応、オリクトの所有者の魔力であれば花は黒色に染まる。私は血中魔力に『環』の魔力が結合しているのでオリクトと血中魔力、両方の反応が出る。その場合は黒く、赤い」
「な、なるほど…。ですが”獣”がすべて兄上と同じような体質と言うわけではないですよね。死体から作り出していると言うことになるのでしょうか?」
「私が先天的であるとすれば、あれらは後天的に作られたと言えるだろうね」
「…そうか、つまり印、ですか…」
ユーリは不快そうにぽつりと呟いた。
”獣”と言う状態にどこか既視感を覚えていたのはそう言うことだったのだ。
「それが一番的確かな。死んでいながら血中魔力の反応が出るのは所有者の血液そのものを注入、あるいは摂取しているからだろうね。以上のことから、ガーランドは『環』の魔晶を真似て強制的な印化の術を編み出したと仮定する。初期の段階では精度が悪く印化には至らなかったが、対象者が死に血中魔力が消失すると効果が発動し、注入されたオリクトの魔力が切れるまで動く死体となることが判明。これが最初の”獣”だね。そこから精度がさほど上がることはなかったが、最近になり『剣』に所有者が出たことで段階が一気に進んだのだろう。エノテイアに露見することも視野に入れながら戦に導入してきたと言うことは、”獣”が戦力として十分に機能すると踏んだからかもしれない。先ほどの様子では一定の指示に従い、生前の経験から武器を用いるほどの記憶さえ残っているようにも見えた」
「!まさか、それでジュラ連合と戦を始めたのでは…?!」
ルイスは何かを確信したように手を握りしめた。
「勝てる自信があるから?」
「兄上の仮説の通りであればガーランドの編み出した印化は死んでから発動する仕込み魔晶のようなもの…先に印化の準備を整えておけば、戦で死んだ者がすべて”獣”となりガーランドの戦力になるのではないでしょうか?敵軍をいとも簡単に自軍の兵力に加えることが出来る。…!まさか、彼らの目的はジュラへの侵攻ではなく、ジュラを戦力として吸収し、エノテイアと身構えるつもりなのでは?!」
「良い推察力だ。王国の流れはおのずと『剣』の衝動に突き動かされていく。ジュラだけではない、最初に”獣”の事例が出たアランドールこそ元々の狙いだったはず。最終的には二国のオリクトをも手中に収め、エノテイアとの全面戦争をお望みなのだろう」
驚愕しているルイスをよそに、ミハイルは楽しそうにふふふ、と微笑んだ。
「そこまでは貴方も予想はしていたようですね。それを確かめに来たと言うわけですか」
「それもあるし、それ以外もある。確信は得たし、どういう手順で終結までの道筋を組むか、それを考えるのは実に有意義と言える」
「そんな…回避する手段を考えるべきです」
「ルイス、そんな時間はないと講義で教えたはず。すでに『剣』に所有者がいて、エノテイアも開戦を視野に入れている。この時点で血が流れるのは避けられない。渦中で戦略を練る者は、その時間を少しでも早く短く、最小限の被害で最善を導き出すのが役目だ。もし回避することを望むのならば、もっと早く的確に事態を把握し、動き出さなければならなかっただろう。今のルイスでは情報も力も知識も、何もかもが不足している。そんなことを考えている間に、どこかで救えたはずの未来が一つ消えていくだけだ」
「……」
厳しくも優しく正論を突き付けるミハイルに、ルイスは何も答えられなかった。
そうだ、遅すぎた。だからこそ、テレジアでたくさんの未来を失った。
「その話しぶりだとミハイルさんはガーランドへ来る前に予想してたんでしょ?その時点で回避と言うことは考えなかったんです?」
ユーリにとってはどの国がどうなろうとも興味はないが、そこまで分かっていながら先に手を打っていないミハイルの行動は少し不可解ではある。
「もちろん。ガーランドの動き、オリクト、印の存在、ある程度の予想はしていたよ。しかし、私はこの戦は回避するよりも、こちらから動き出すことが最善だと導き出した。だからこそ私が自らガーランドを訪問している。エノテイアが結論を出して本軍を派遣してくる前にガーランドを落とす。この国は『剣』に毒されすぎた。この闘争心は芽吹く前に摘み取らなければならない」
ミハイルは一切の私情も絡まない無感情な宰相らしい表情で淡々と語った。
「落とすって、すごい自信ですね。いくらなんでも貴方一人で数十万の兵を保有する国をどうこうするなんて不可能でしょうよ」
ユーリはあまりにも無理のある目標を掲げるミハイルに若干あきれていた。いかに賢いといえど、圧倒的な数にどう対抗すると言うのか。
「それを可能にするのが面白いのだろう」
ミハイルは何かを思い描いたように目を細めて微笑んだ。
「兄上…」
ルイスはミハイルのこの表情に覚えがある。
タスク・ボードの考案者を完膚なきまでに打ち負かした時、対戦前にこんな表情を浮かべていた。
ミハイルの言っていることは大見得でも大げさでもない。エノテイアが軍隊を投入する前に自力でガーランドを消し去ると本気で考えているのだ。そして恐らくすでにいくつかの道筋も立てて、その途中の仕込みとして、ここにこうしているのかもしれない。
どんな道をたどり、どんな結末に至ろうとも、ガーランドと言う国の崩壊と言う最終目標だけは絶対に必ず成し遂げる。もしかすると、彼にとってはそれが結末ではなく、一つの通り道と言うだけの可能性も…。
「『剣』の特性上、方向性を変えることは不可能だけれどガーランドの崩壊までへの過程はいくつかある。アランドールを巻き込まず、ジュラの損害や犠牲を最小限に抑えることは考えようによっては可能だろうね」
ミハイルはそう言いながら、ルイスのほうに視線を向けた。
「ルイス、これが回避できない戦と言うことは理解したね。では、君ならばここからどうする?この地に渦巻く混沌に踏み込んで、次はどう動く?どこまで、どれだけ関わる覚悟があってここへ来た?」
迫るような鋭い眼差しにルイスは言葉に詰まった。
「……」
ガーランドの意図を知るため、ガーランド側から見た現状を知るためにここまで来たが、その行動そのものが中途半端に首を突っ込んでいるだけだと指摘されたようだった。
自らの行動による周りへの影響、自らの言動による他者の心情。
それらすべてに責任を負う覚悟がない者はどんな助言も、どんな手助けもするべきではない。戦には無責任に関わるな、そう教義で学んだ。無関係のように見える小さな優しさでも、いつかどこかで大きな災いとなって誰かに降りかかるかもしれないと言うことを忘れてはいけない。
”誰かの不幸は誰かの幸せとなり、何かの犠牲によって何かは救われる。天秤は必ず平行になるように出来ている。それは決して崩れない、この世界の見えない理の一つ”
ミハイルの講義で感銘を受けた言葉が思い出された。
「ミハイルさん、扇動するのはやめてください。私たちは戦に関わりませんよ。ルイスもう行きましょう」
ユーリは困惑しているままのルイスを無理やり立たせて引っ張るように部屋を後にした。
「ふふ、刺激としては十分か。…さて…、それでは墓所参りと行こうかな…」
ミハイルはグラスに残ったワインを一口に煽って微笑んだ。




