斜陽 8
ガーランド王国領 保養地ロスター
「んー…ふぁぁ…」
カイリは心地よい目覚めに大きな背伸びをして寝返りをうった。ぼんやりとした視界で瞬きを繰り返す。
見覚えのない豪華な天井をはっきり捉えると、一気に脳が目覚めて眠る直前までの出来事を思い出した。
「っ…えっ?!ここどこ?!」
記憶と違う状況に驚いて飛び起きる。
「おはようございます。もう少し声を小さく」
気だるそうにソファーに腰かけたユーリが動揺するカイリを諫める。しーと唇に指をあてた後、自分の横で絹のシーツにくるまって静かに眠るルイスを指さした。
「何がどうなってどういう状況?」
二人の姿を確認すると、カイリは安心したように声のトーンを落とした。
言いながら自分の胸元に手を当てる。力を加えるとまだ痛むが、気を失う前よりかなり痛みが和らいでいるのが分かる。
「カイリ殿下が気を失った直後ぐらいに救助されましたよ。エノテイアの視察団とやらに」
「は?エノテイア?の誰?」
「さあ、視察団としか。状況を聞かれただけでこちらからは質問させてもらえませんでしたから。ただ、向こうは貴方のことを知っていて…侍女のルイゼも彼らを知っているようではありましたね」
そう言ってユーリはルイスに視線を映した。
「…あぁー、なるほど…」
自分に対して殿下と敬称をつけたユーリに、カイリはすぐに状況を察した。
ここがガーランドの施設であり、会話を聞かれる可能性があると言うこと。ルイスのことをルイゼと呼んだ点からその使節団にはルイスの名を出せない人物がいると言うこと。
今回のガーランドとジュラの開戦によるところの視察であれば、まず間違いなく騎士団の幹部か、外交を担う高位貴族。ルイスへの捜索隊でなかったのは幸いだが、良い状況とは言い難いのは明らかだ。二人にしてみれば敵に保護されたようなものなのだから。
「まあ、ともかく、助けられたってことでいいのかな」
カイリは頭をかいて衣服の中を覗き込んだ。腫れていたあばらには包帯が巻かれている。
「そうですね、魔晶を扱える方がいらっしゃったので多少動ける程度にはなっているかと」
言いながらユーリは立ち上がり眠っているルイスを起こした。
「ん…カイリ殿下、おはようございます。よくお眠りになられたようで安心しました」
寝ぼけながらもルイスはきちんと役に徹している。なんとも殊勝なことだ。
「うん、君もね。昨夜はありがとう、ルイゼ」
カイリはうーんと背伸びをして、ルイスに、状況は理解した、と目配せして微笑んだ。
ルイスはすぐに立ち上がり淑女らしいお辞儀で返す。
「勿体ないお言葉に御座います」
「そろそろ朝食の時間です、さっさと着替えてください。手伝いがいりますか?」
ユーリはため息をつきながら立ち上がるとカイリに用意された衣服を投げて渡した。
「いやー君はいいよ。あ、でもルイゼに手伝ってもらおうかな」
カイリは楽しそうに声を弾ませながらにやりと笑う。
「は?私が手伝いますが?」
ユーリが無表情でカイリを見下ろす。
ひと際、低めの声色に気圧されてカイリは顔をひきつらせた。
「…と思ったけど自分で着られそう」
言いながら慌てて着替えを終わらせる。
ルイスも身なりを整えていると、見計らったかのように扉が数回叩かれた。
ユーリが出ると、覇気のないメイドが朝食の案内のためにやってきた。
メイドの後ろに、ユーリ、カイリ、ルイスの順で後について廊下を進む。
カイリは廊下から見える外の景色を眺めた。
この屋敷はどこかの高台にあるようで眼下には広大な自然が広がっていた。
王城グランシュではないようだが、それなりに豪華な屋敷だ。貴族か、王族が使っている別荘なようなところかもしれない。
案内された食堂にはカイリが最初に入る。続いてユーリ、ルイス。食堂の中から案内は執事へと代わりカイリが席へ着く。ユーリとルイスは壁際に控えた。
長い机の向かいの席にはすでに金髪の青年が腰かけている。
「怪我の具合はいかがですか、カイリヴェーダ王子殿下」
青年に促されカイリは目の前の席に着席する。
「魔晶士による治療を施して頂いたと侍従より聞きました。まずは、貴殿らに救われたようで感謝いたします。エノテイアの視察団と言うことですが、お名前を頂戴してもよろしいですか?」
「これは失礼。まだ名乗っていませんでしたね。私はミハイル。ミハイル・アシュフォードと言えばお判り頂けますか」
「あっ、アシュフォード?!まさか、メンヒス・アシュフォード宰相閣下のご嫡子であらせられますか?!お顔も存じず大変失礼いたしました。メンヒス宰相閣下は療養中だと父王より伺っておりますが、お加減はいかがでしょうか。ガーランドへは宰相閣下の名代で視察にいらしたのですか?」
カイリはまさかの名前に度肝を抜かれ、まじまじとミハイルに見入った。
まさかエノテイアで一、二に座する大物の縁者だとは思いもよらない。ルイスが相手が誰だか分かったというのも納得だ。
「父は長期療養により宰相の座を退くことになりましたので、若輩者ではありますが先日私が位を引き継ぎました。以後お見知りおき頂ければと思います。今回のガーランド訪問は視察を含めた就任挨拶のようなものです。ルーナ王女殿下の婚約者殿もアランドールより来国されるとのことで王子殿下についての仔細は先に伺っておりました。昨夜は視察のためにこちらの保養地を訪れていたのですが、馬車の事故とは災難でしたね。一大事になる前に殿下の馬を発見できて何よりです」
朝食が順に運ばれてくる。
優しげでありながらどこか冷めた眼差しに、穏やかでありながらどこか底知れぬ怖さを感じさせる紺碧の瞳、ミハイル・アシュフォード。
それはルイスが幼少より兄のように慕い尊敬し、また誰よりも恐れている人物だった。
僅かに香ったスノウベリーは、ミハイル自身が品種改良しアシュフォード邸の庭園のみで育てられている希少なベリーだ。外部には株どころか果実そのものも一切出回っていない。葉を剪定した際には必ず紅茶用にとルイスにだけ贈ってくれるので香りですぐに分かった。
机から壁までは距離がありルイスに二人の話は聞こえないが、彼が何故ガーランドを訪問しているのかおおよその見当はついていた。
病に臥せって長い現宰相から位を継いで、ガーランドで起きている異常事態を把握するために訪問したに違いない。彼ならばその方が正確かつ迅速に対応できると考えるはずだ。
ミハイルは、知能が高い者にありがちな己の思考に囚われるようなことを何よりも嫌っている。あらゆる角度から自ら物事を見て、一通りの可能性を思考し、そして最適な行動をとることが出来る柔軟さがあってこそと言う持論を持っているのだ。
一切隙のない強敵と出くわしたとしても、退避すると言う答えも考慮しながら、様々な手段を用いて隙を作らせることさえやってのけるだろう。
いっそ捜索隊に見つかっていた方がやりようがあったのではないかとさえ思えてくるほど、ルイスが今、最も出会いたくない人物だった。
ルイスの横で話の聞こえているユーリは、無表情のまま最悪の展開に陥りつつある状況を打開する方法が思いつかず、半ば諦めて現状を受け入れる方向に思考を切り替え始めていた。
エノテイアの宰相とはつまりヒイラギの代理人でもあり、アトラ、セレオと同格、もしくは国外へ出た場合には彼らに命令する権利さえ与えられる存在だ。
ヒイラギの縁者であるアシュフォードの名は以前から知っていたが、直接戦闘下に赴くアトラらと違い宰相はほとんどの時間を内政や外交に費やしているためにユーリもこの家の人間を見るのは初めてだった。
それ故、能力や力量も何一つ不明。この男がどれほどの脅威になるのかさえ全く分からないと言う状況だ。
分からないものへ対処は考えたところで無意味だと言うことはよく知っている。ユーリはどうにかする方が良くない結果に陥る気がして、このまま何もせずカイリの親衛の役を続けることに決めた。
幸いなことに向こうはまだルイスに気付いていないようなのでとりあえずは様子見をするしかない。
話を聞かれる危険性があることからルイスとはあれ以来不必要な会話をしないようにしているが、その危険性がなければミハイルについては直接ルイスに聞けば良いだろう。
ルイスは表には出さないようにうまく取り繕ってはいるが、動揺しているのは何となく感じ取れた。これまでとは違い簡単に嘘であしらえるような相手ではないと言うことだけははっきりと分かる。
その後、ミハイルとカイリは事の経緯やこれからのことなどを簡単に話し合った。
アランドールの情勢についての話は一切伏せて、蜂に刺された馬の暴走として適当に真実を混ぜ込んで説明する。馬車の残骸を見ればあちこち矢が刺さっているので嘘であることは一目瞭然だが、他国の事情には口を挟まないのが礼儀と理解しているミハイルにはそれ以上何も聞かれなかった。
ミハイルは昨夜のうちに馬車の残骸を回収し、復元できる部分は復元させ、アランドールのラーマ王族の馬車としてグランシュ入りできるよう手配してくれていた。
ミハイルはこれから所用で出かけるそうで、明日にグランシュへ向かうそうだ。折角なので御一緒しましょうと誘われて断れるはずもない。
怪我のこともあるので明日までゆっくり屋敷で休むようにと、つまるところ、どこへも行くなと言い渡された。
これだけ動けるならさっさとグランシュへ向かって色々と情報を仕入れたいと思っていたのを見透かされたのかもしれない。食事のあともう一度魔晶をかけてもらい、カイリはしぶしぶ部屋で大人しくしていることにした。
昨夜は治療もかねて急遽用意された部屋だったようで、今度はかなり豪奢な部屋へ通された。室内には侍従用の小部屋が用意され、まさしく要人用の客室と言った作りだ。
ふと部屋の隅を見ると、馬車に積まれていた荷物がすべて運び込まれていた。汚れていたものは綺麗に拭われ、破損してしまっているものについてはわざわざ別の代替品が置かれている。直して使ってもいいし、新しいものに取り換えてもいいという事だろう。
あまりにも気配りが出来すぎていて、いっそ怖い。
「息が詰まるー…」
カイリはぼそりと独り言をつぶやいて寝台に倒れ込んだ。
ルイスは何かを言いかけて飲み込み、カイリに苦笑いを浮かべた。
独り言さえ聞かれている可能性があることを考えると、迂闊に言葉を発することさえ憚られてしまう。
「ユーリは何さがしてんの?」
カイリは上半身を起こし、何かを探して荷物を漁るユーリを不思議そうに見つめた。
「…あった。はいこれ、持っててください」
見つけた袋から何か石を取り出してカイリに投げて渡す。
「おっと…!…ん?あ、これ」
カイリは飛んできた見覚えのある群青色の魔晶石を掲げて眺めた。
「はい、ルイスにも」
ユーリはルイスにも魔晶石を手渡して、壁際に置いてあった椅子を二脚、寝台のそばに置いた。
「消音の魔晶石?」
ルイスは薄っすらと輝く魔晶石を眺める。カイリの部屋で聞かれては困る話をした時に用いたものだ。
「それは一番魔力の低い石ですから自分の範囲ぐらいしか消音できませんけど、三人で話すぐらいならこの方が都合がいい」
ユーリとルイスは椅子に腰かけ、カイリは二人の方へ向いて座り直した。
「ルイスはあの人と顔見知りですよね?宰相に就いたばっかって聞こえたけど彼はどういう人なんです?あの国の宰相自体、初めて見たんですけど」
ユーリは単刀直入にずばりと聞く。
「ミハイル…様が宰相に?!まさかメンヒス宰相閣下は…」
「あ、なんか先代は長期療養で引退したって言ってたよ。エノテイアの執政を捌けるような体じゃないってのはずっと噂になってたけど…。で、ミハイル宰相はその就任の挨拶も含めての視察なんだそうだよ」
「なるほど…。えっと、ミハイル様はアシュフォード宰相家のご嫡子で、とても優秀な方です。私は幼少期よりあの方の背を見て学びに励んできました。ある意味、私が最も敵に回したくない相手と言えます」
「それはどういう意味で?」
カイリは、ほう、と唸り興味津々に聞き返す。
「カイリさんは十数年ほど前に魔晶が数値化され、目で見て字で理解できるようになったことはご存じですか?」
「知ってる。そっから計算式の書物がたくさん出て、学問の一つとして一般的に広まったんだよね。魔力を感覚として捉えられない苦手な人でも簡単に扱いやすくしたやつは俺も読んだ」
「その計算式を考案したのが十歳に満たないミハイル様です。その年に魔晶計算式をまとめた書物を書かれたのもミハイル様です」
「え…えぇ…?バケモンじゃん」
カイリは理解できない内容に顔を思い切りひきつらせた。
「つまりすっごい頭が良いってこと?」
「はい、あらゆる知識においてミハイル様の右に出る者を私は知りません。私の何十歩も先で思考し行動される方です。こと戦略戦に置いては一度の思考で数十通りの策を導き出し、一石投じるだけで五つの戦果を挙げる大陸一の天才戦略家だろうとも謳われています」
「そんなやばいのが今目の前に来てるってこと?ルイスたちは大丈夫なの?そんな相手じゃすでにばれてるんじゃないかとさえ思えてくるんだけど…」
「可能性はありますが、特に調べようともしていないのは何か思惑があるとしか…。そもそも宰相は国防の要ですからあまり国外へは出ませんし、他国への視察は本来アトラ様が担うはずなので私も驚いています…」
「ガーランドの調査に来たんじゃないの?」
「それこそ、将位の役割です。ガーランドの件がそれだけ重大で重要な要素と言う事なのかも…?ここで得られる戦果がそれだけ…自ら危険を冒す意味も含めて…」
ルイスはぶつぶつと何かをつぶやいて頭の中で色々考えだし黙り込んでしまった。
「私なら単純に他人に任せる方が面倒だから自分でやるって考えますけど」
「あ、俺もそう」
「貴方と同じ思考に至るのは何か癪ですね」
「お互い肉体派ってことでー」
カイリは腕を頭の後ろに持ってきて寝台にごろんと転がった。
「カイリさん、忠告しておきますけど、その怪我は痛みを誤魔化してるだけで治っているわけではないですからね」
「え?!そうなの?!」
カイリは驚いて怪我の場所に手を当てる。痛みはさっきよりもさらになくなっているように思う。これが治っていないとは…?
「そもそも治癒魔晶じゃない。あの青年、変な魔晶の使い方してるんですよ。分かる人にしか分からないんですが、本来あるべき使い方とは逆の使い方で逆の効果をもたらすような感じです」
「全く言ってることが分からないんだけど」
「肉体派には分からないでしょうね。とにかく治ってないんだから大人しくしとけってことです」
「はー大人しくねぇ。一番苦手なことだー!」
と、言いながらカイリは瞳を閉じると一瞬のうちに眠りに落ちてしまった。
「カイリさん?寝てます…?」
ルイスは急に静かになったのに驚いてじっとカイリを見つめる。
「何だかんだ強がってるけど体は限界だと思いますよ」
「そうですね。ゆっくり休ませてあげましょう」
ルイスはユーリを顔を見合わせてくすりと笑った。
「そう言えば、フリンさんの報告で王太子がテレジアを離れたと言っていたけど、あれは宰相の視察のためだったのかもしれませんね」
ユーリは腕を組んで頷く。
「恐らくは。戦時中に総司令である王太子も対応に入ると言うことは、ガーランドとしても宰相の視察と聞いてかなり警戒したのだと思います」
「いよいよ王城ですけど、向こうには『剣』がいます。これまでに以上に慎重に行きますよ」
「はい」
ルイスは手をぎゅっと握りしめて強く頷いた。
・・・
ミハイルはソファーに体を預け、物憂げに手元の書物の文字を目で追っていた。
わざわざ読むと認識せずとも、追うだけで文字は自然に頭に入り蓄積されていく。
「レイシェン、君はどう感じた?」
「うーん、特にこれと言って何も…。ただ、これと言って何もないのが不自然には感じました。人間、どんなに優れていても必ずズレがあって歪んでるはずなのに、それがない。一つのかけ違いもないんですよ。そんな人間いるんですか?」
レイシェンと呼ばれた青年は訝しげに首を曲げた。
「そうだね。確かにそれが不自然ともとれるか。溶け込んでいるのは見事としか言いようがないけれど、果たしてそれで…」
ミハイルは本を閉じて空を仰ぐ。
「え?」
「いや、気にしないで、独り言」
「あの人たちは黒特急でしょう?捕まえなくて良いんですか?」
「それは私の役目ではなく捜索隊の仕事だ。彼らの仕事を奪うのは命を絶つのと同じだから任せておけば良い。この国であの子がどこまで辿り着けるか、少し興味もあるからね」
「確かに楽しいことにはなりそう!でも将位に見つかったら怒られますよぉ?」
「私は私の仕事はしているだけだから何も問題はない」
「えー!それってつまり、怒られるの僕だけでは?!」
「そう思うのなら別に報告してもかまわないよ。どうなろうとも私の仕事に支障はきたさない。とりあえず鼠についてはセレオと話をする必要があるからひとまず交信の準備を頼む」
「はーい、かしこまりました」
レイシェンは手を上げると首からさげている晶石を手に取った。
・・・
翌日。
カイリたちはミハイルと共に王都グランシュへ向かう馬車に揺られていた。
何故かミハイルの誘いで、カイリのみならずルイスも同じ馬車に乗り込むことになった。ユーリは後方から馬で追う形だ。ユーリと共に後方で並走するレイシェンと言うミハイルの侍従はユーリの監視役のようなものだろう。
ルイスは侍女らしく、じっと下を見つめてミハイルとカイリの会話をただ聞いていた。
ミハイルはカイリと会話をしているはずなのに、言葉の端々で意味のない言い回しを交えてルイスにも問いかけるような話し方をする。ルイスはもう確信していた。ミハイルは侍女がルイスだと気付いている。
ミハイルがただの侍女であるルイスを主人と共に招いて同じ馬車に乗せる意味は一つしかない。気づいていると分からせるためだ。
何をするでもないが、”さあ、ここからどうする?”と、投げかけられているような気がする。
面白がっているのもあるだろうが、それだけで終わる男ではない。一つの行動からいくつもの結果を生み出す天才だ。その意味のすべてを探ることは出来なくとも、一つだけでも見極められれば一歩前進だ。少しずつでも進まなければエリオスを救うどころかエノテイアにも一生辿り着けはしないのだから。
「カイリヴェーダ殿下の描く未来には興味深いものがあります」
「ミハイル殿、ぜひ気軽にカイリとお呼びください。王家の末席である私はこれまでエノテイアとあまり交流を持つことが出来ませんでしたが、宰相閣下が私ごときの夢想にここまで理解を示してくれたことに感動しております!これからはぜひ良き友としてお付き合いして頂けたらと思うばかりです」
カイリは、真剣に自分の話を聞き、的確なアドバイスや嫌みのない程度に議論の修正を行ってくれるミハイルと言う人間をすっかり気に入ってしまった。驚くべき読解力の高さと知識の豊富さにはただ舌を巻くばかりだ。
ルイスが一番敵に回したくないと言っていた意味がよく分かる。会話のみで相手をいとも簡単に懐柔する。これは手ごわい相手となるだろう。
「こちらこそ、殿下と知り合えたことを光栄に思います。さて、議論も盛り上がった所で馬たちもそろそろ喉が乾く頃合いでしょう。一度休息を取らせて頂いてもよろしいですか?」
「もちろんです、ご配慮に感謝を」
カイリが返すと、ミハイルは背後の採光窓を三回叩いた。
御者が全体に合図を出す。馬車はゆっくりと速度を落としながら街道を右に逸れたところで止められた。
少しして従者によって扉が開かれ、足元に降りる用の踏み台が用意された。ルイスが立ち上がるより先に、ミハイルがカイリを促しカイリが先に出る。
外は澄んだ木々の香りが広がっていた。木陰に止められた馬車の目の前には小川が流れている。耳心地の良いせせらぎにほどよく日陰もあり、休息にはもってこいだ。
従者たちがいそいそと机や椅子を組み立てて休息の準備をしている。
カイリが出ると、続いてミハイルが先に降りた。
順番で言えばまず侍従が最初に降りて踏み台を準備するべきなのだが、ミハイルがそれより先にカイリを下ろした。どう考えても順序違いだが、そんな無礼な間違いをミハイルが犯すはずがないし、無意味にそんなことを行うような人物でもない。
ミハイルは馬車を降りると振り返って、次に降りるルイスに手を差し伸べた。
「どうぞ」
あまりにも自然すぎて、ルイスはうっかり手を出しかけた。
すぐに引っ込めようとしたが、ミハイルが強引にその手を掴む。
「!」
ルイスは驚いてミハイルを直視してしまう。
侍従が目上の者に手を借りるなど決してあってはならない。
「今でも兄として慕ってくれるのならば無礼はないだろう?」
ミハイルはそう心の内を見透かしたような瞳でルイスを見つめて微笑んだ。
ルイスに揺さぶりをかけ、”ルイス・キャトラ”であることを自ら認めさせようと誘導している。
「……」
ここでこのまま降りてしまえば当然、それを認めることになってしまう。かと言って手を振りほどいてしまえばミハイルに対する不敬としてカイリの立場を危うくさせてしまう。
ミハイルはルイスを試しているのだ。どう考え、どう回答し、行動するのかを。似たような駆け引きをタスク・ボードで遊戯した時にやられたのを思い出す。
ルイスは一瞬のうちにいくつもの結果を考え悩んだ。
そして、意を決して口を開く。
「今は国事の任に就く身、それを暴く行為はあまりにも無粋ではありませんか。私を弟と今も慕ってくださるのであればどうかご容赦を賜りたく思います…ミハイル兄上…」
ミハイルにだけ聞こえる声でルイスは小さく囁いた。
「ふふふ。及第点、悪くない。認めるが引く気はないと、私の心情に訴えかける手法も良い。いや、意地悪がすぎたかな」
ミハイルは答えに満足した様子で目を細めて微笑んだ。
ルイスの手を放し、顔を近づける。
「詫びに助言を一つ。『剣』は不安定で感知能力に乏しい。君のオリクトには気付けないだろうが王城はあれの中だから魔晶は控えるようにね。それと、私は君たちの捜索に関与していないしする気もないから安心して良いよ」
そう、ルイスの耳元でそっと囁くと踵を返した。
そのまま何事もなかったかのようにカイリと歓談を始める。
ルイスは、ほっと息をついて馬車を降りた。
極度の緊張状態から解放されよろめいて馬車に手をつく。
「大丈夫?あの人、ルイスのこと気付いてたんですね?」
ユーリが駆け寄って来て口の動きも分からないような小さな声で囁いた。
今のミハイルとのやり取りは聞こえていたらしい。
「……」
ルイスは無言で頷いた。
「でも、関与はしないと…。ほんとかなぁ」
「嘘はないと思います。私に嘘をついたところで意味のある結果に至らないことを分かっているはずですから」
「私を計算に入れた上でも放任するってことか」
「ええ、何か考えがあってのことだと思います」
「力押しばっかりの将位とは違って厄介な相手になりそうですね」
「今は敵ではないとのことですが、いずれは刃を交えることになる可能性は十分にあります…」
ルイスはぎゅっと手を握り締めた。
どのような立場になろうともミハイルを尊敬していることに変わりはない。敵う相手ではないこともよく理解している。だからこそ少しでも届けるよう、あらゆる観点から物事を見極める術を学ばなければならないと、ルイスは決意を新たに固めたのだった。
ガーランド王国 ー 王城グランシュ
休憩から数時間、ガーランド王国の城塞拠点、王城グランシュに到着した。
城下町には国境のセキテイ山脈から続く川が流れており、王城はその中州に建てられている。
中州には跳ね橋でのみ行き来が可能で、城塞と言うのに相応しい。
開門の掛け声とともに、大きな轟きを上げて巨大な跳ね橋が下りてくる。
「おぉ、これは見事な仕掛けだ!」
あまりにも巨大な跳ね橋に、窓から様子を眺めていたカイリは驚嘆の声を上げた。
「川の水力を利用しているそうですよ」
轟音が静まり橋が架かると、馬車はゆっくりと橋を渡り始めた。
ルイスは川の水面に映る城の姿をじっと見つめた。
父親が生まれ育った城を訪れることが出来たことに胸が高まりつつも、同時に得も言われぬ不安にも襲われていた。
水面に映る城が一瞬だけ、黒く揺らいだように見えたからだろうか。嗅いだことのない強烈な不快感を覚える匂いがしたからだろうか。これが『剣』の領域内に入ったと言うことなのかもしれない。
ふとミハイルに視線を移すと、水面の城を冷ややかな視線で見つめながらわずかに眉をひそめていた。ミハイルも同じように感じているのだろうか。
「殿下は王城は初めてですか?」
ルイスの視線に気づいたミハイルと目が合う。ルイスは慌てて視線を下ろした。
「一度だけ父王に連れられて訪れたことがあるそうなのですが、幼すぎて記憶がなく、ほとんど初めてだと言えますね」
カイリは好奇心に瞳を輝かせながら窓からの光景を楽しんでいる。カイリは何も感じていないようだ。
「そうですか。良い滞在となることを…」
ミハイルはどこか含みのある笑みを浮かべながら、ルイスを見つめた。
頑強にして堅牢。不沈と名高きガーランドの王城グランシュ。
豪華さは他国の城に比べると劣るものの、その作りの頑丈さは他の追随を許さない。
それも、城の地下墓所に安置された『剣』のオリクトが王城そのものに強固な加護を与えているからと言われている。
城内に入ると、すぐに部屋へと案内された。静まり返った城内の廊下にはルイスたちの足音だけが響く。
固く冷たい石造りの城内はどこか冷ややかだ。人気も少なく、日除けの暗い色のカーテンが所々締められて薄暗いせいかもしれない。
廊下には、剣や弓、鎧や盾と言った様々な武具が飾られているだけで華やかさとは程遠い。
至る所に絵画や美術品、色とりどりの花が飾られていることが普通だったルイスにとっては異様な光景に映った。
「この城なんか暗くない?!無機質すぎて彩りがない!」
部屋へ通され、侍女が出ていくなりカイリは言い放った。
「そう?あちこちに武具が飾られてるんで何かあった時に便利だなぁとは思いましたけど」
「その思考がもう暗い!」
「そんなことはどうでもいいんでさっさと着替えてください。手伝いませんよ」
ユーリは面倒くさそうに籠からカイリの謁見用の正装を取り出して投げた。
カイリはこの後、オルガノ国王との謁見が控えている。ルーナ王女ともそこで初顔合わせとなるのだ。
「はいはい」
カイリは面倒くさそうに深くため息をつく。
装飾品の取り付けなどをルイスに手伝ってもらいながらカイリはしぶしぶ着替え始めた。
「ルイスは晩餐会までここに一人?」
謁見後の晩餐会まで侍従は部屋に待機となる。
「いえ、私も残ります」
答えたのはユーリ。
「え?!俺の親衛役なのに?」
「どうせ王家の親衛か何かがいるでしょ。それよりも気になることがあるのでルイスを一人には出来ません」
「いや、そうだけど…って、あれか、『剣』か!この城の誰かが所有してる可能性があるんだっけ。分かった、俺は王子の仕事をこなして内情を少しでも探ってくるよ」
カイリはうんうん、と納得した様子で髪をかき上げて整えた。
「ユーリは誰が所有しているのか分かったのですか?」
ルイスは振り返ってユーリに不思議そうに眼を瞬かせる。
「いえ、そう言うわけじゃないです」
と、話していると扉が叩かれ迎えの侍従が現れた。
「それじゃあ、またあとで」
カイリはルイスとユーリに手を振って部屋を後にする。
足音が遠ざかるのを確認して、ユーリはソファーに腰を下ろした。
ルイスはベールを外して横に座る。
「何か感じたのですか?」
「ええ、『剣』がこちらに干渉してきました」
「まさか!ユーリのオリクトに気付いたのですか?」
「いや、気付かれてはいません、探られたと言うのが正しいかな。この城に入る者は全員調べているみたいです」
神妙な様子のユーリに、ルイスも不穏なものを感じて眉をひそめた。
「王城に入る者を守護者として監視しているのでしょうか」
「本来ならそうあるんでしょうけど、そういう類の干渉とは少し違ったな…もっとどす黒い、私欲のような…」
ユーリは顎に手を当てて考え込んだ。
「所有者がいることと何か関係が…」
「し、誰か来ます」
部屋へ近づいてくる足音と気配に気付いてユーリは人差し指を唇に当てた。
ルイスにはベールをかぶる様に合図して、扉の前へ。通り過ぎるか確認してみたが、なんと足音は部屋の前で立ち止まってしまった。
すぐに扉が叩かれた。ユーリは面倒そうに舌打ちして扉を開く。
「何用ですか」
「失礼いたします。私はカイリヴェーダ王子殿下の王城滞在の間、領内での護衛の任を承りました親衛隊長のウィンダムです。王子殿下の侍従方、本日の晩餐会での配置について確認したい点があるので、少しお話をさせて頂いてもよろしいだろうか」
ウィンダムと名乗った男は一息で言い切ると、ユーリの顔をじっと見つめ、そして眉をひそめた。
「?君、は…」
そう呟くと、室内を確認し咳払いを一つ。
「中へ入っても?」
ここで断ることは出来ない。ユーリは素直に応じて体を引いた。
「…どうぞ、お入りください」
「お前たちはそこで待て」
伴ってきた部下らしき隊士に指示を出して男は部屋へと入った。
ルイスはすぐに立ち上がってお茶の支度をはじめようとする。
「いや、気遣いは無用」
男はそれを制止するとユーリとルイスを交互に見て首を傾げた。
「そちらの侍女殿は…あの時の少年か?」
「あの時…?」
どこかで聞き覚えのある声だ。さらにルイスのことを知っている様子。
ルイスはもしや、と気づいてベールを取った。
「あぁ!クライドさん!」
ベール越しで顔がよく見えなかったが、親衛隊の男はジュラへ向かう途中の宿地で出会ったクライドだった。
「あー…、人探ししてた人か」
ユーリは言われてようやく思い出した様子で、ぽん、と手を叩く。
「まさか君たちは、本当にアランドールの使者だったのか?」
クライドは信じられないといった様子でまじまじとユーリの正装姿を見つめる。これは間違いなくアランドールの親衛がまとう正装だ。
「違います、成り行きでこうなってるだけです」
ユーリは両手を上げるとソファーに腰を下ろした。
「ふむ。あの後ジュラへは入国できたのですか?」
ルイスもソファーへ座り、クライドを向かいのソファーに座るよう促す。
「はい、尽力してくださりありがとうございました。おかげですんなりと国境を越えられました」
「それは良かった。それで、何がどうなってガーランドへ戻ってこられたので?」
「私たちの事情について今はご容赦を。まずは再会出来ましたので、お約束通りロスターの二人についての進捗をお話をさせてください」
クライドは誠意のあるルイスの態度に感心してうんうんと頷いた。
侍女の格好でありながらも、堂の入った口調と雰囲気はつい平伏してしまいそうになる。不思議な雰囲気は見た目が違っても相変わらずだ。
「口ぶりからするに見つけられたと言うことか。私もあの後手は尽くしたが戦が始まってしまい何もかも手遅れになって…。件の二人はやはりジュラに?」
「ええ。連合の代表に親戚の方がいたそうで、今はそちらでかくまってもらっています。名はアヤとイツキ」
ユーリはオリクトの部分は伏せて、二人から聞いた王太后の事故時のことからジュラで保護されるまでの経緯を順に説明した。
クライドは話を聞き終えると真剣な表情で腕を組んだ。
「なるほど…。頼んでおいて申し訳ないが、こちらも状況が変わり今の私は陰謀を暴く手段も、声を上げる力も失ってしまった。彼らを保護すると息巻いたが、結局、戦は始まり、あれ以上の調査も追跡も許されなかったのです」
クライドは失意を感じて深くため息をついた。止めることも戻ることもできない大きな流れに王国も国民も、すべて飲み込まれてしまったのだ。
「この戦は、私たちが思うよりもずっと前からゆっくりと確実に始まっていたように思います。仮にクライドさんが姉弟を保護し真実が明るみになっていたとしても、きっと戦を回避することは出来なかったでしょう。誰もが気付かないうちに飲み込まれてしまった大きな流れが存在するのです。この国が何をしようとしているのか、どこへ行こうとしているのか、私はそれを知るためにここへ来ました。戦を止められないとしても、流れを変えることは出来るかもしれない。私はその可能性を探したい」
ルイスはまっすぐにクライドの瞳を見つめた。
「!」
どこかで見たことのある強い眼差しに、クライドは思わず跪いてしまいそうになった。
ふと、唐突に養父の言葉が頭をよぎる。
”揺るぎない意志は人の本質を現す”
幼い頃よりそう言われて育った、ウィンダム家の古い教えでもある。
どれだけ言葉巧みに人を欺く軍師でも、どれだけ完璧に他人になりきる諜報員だとしても、瞳の光は決して嘘をつかない。その人間の本質を映し出すのだと。自身が命をかけて仕えるべき主を見つけることが出来たら、まず瞳を見よと教えられてきた。
「戦の流れを変えるとは…?貴殿らはいったい…」
何者なのか、と問いかける前に、扉が叩かれた。
「クライド様、そろそろお時間が…」
外で待つクライドの部下だ。
晩餐会が始まる前にまだ準備しなければならないことが山のようにある。
「慌ただしくて申し訳ないが私は行かなければ。この件についてはまたいずれゆっくりと話をする機会を設けましょう。晩餐会の席順と貴殿らの配置についてはこのあと部下に説明させますので。それでは失礼」
「はい」
クライドは立ち上がるとユーリとルイスに軽くお辞儀をして部屋を後にした。
・・・
二時間後、晩餐会が始まった。
大広間に絢爛豪華な食事が用意され、各要人たちが決められた席へと着く。
ルイスやユーリと言った侍従はそれぞれの主の後方に控える場所が用意され、ルイスらの隣には何故かミハイルの侍従らしき青年が陣取った。抜け目ないミハイルのことだ、ついでにルイスとユーリのことも観察させているのだろう。
ルイスは少し俯いてベール越しに席に着いている者たちの顔に視線を滑らせる。
主催者側の席に座るガーランド国王オルガノ、王太子オレド、王太女ルーナ。ルイスにとって血の繋がりのあるブライズ王家の三人の顔はよく知っている。
ルイスの母ライナは皇后として召し抱えられたが、オレドもルーナもライナの実子ではなく側室の子であり、二人ともルイスの従妹にあたる。
王家の隣はガーランドの貴族や高官らしき者たちが続いて、席の後方にクライドの顔が確認できた。ウィンダムと言えば確か国防総司令の名がウィンダムだったはずだ。警護としてではなく席に座っていると言うことはウィンダム中将の親類、それもかなり近しい縁者なのかもしれない。
それからクライドの横、一番端の席に座る見覚えのある顔でルイスの視線は止まった。
テレジアでマルシュの命を狙ってきた諜報員のリーンだ。髪を整え正装に身を包んでいるので一瞬分からなかったが間違いない。
フィブリオ家はルイスの祖父である先王の親戚筋の家系。席順で言えばもっと手前に座っているはずだが、テレジアでのリーンとマルシュの会話から察するに、十五年前の要人事変に関係してフィブリオ家が末席にまで落とされる致命的な何かがあったのだろうと推測できる。
マルシュを見据える燃え上がりそうなほどの憎悪の眼差し…。リーンが抱える怒りや恨みは相当に根深いのかもしれない。
そうして、晩餐会は滞りなく進み、王太子オレドの終わりの挨拶によってしめられた。
この後、男性陣は談話室へ移り、談合と言う名の酒盛りが始まる。女性陣はそれぞれの部屋へ戻るか、仲の良い数人での茶会が始まるかのどちらかだ。
病を患うオルガノとまだ幼いルーナはここで退室し、カイリはミハイルやガーランドの高官らと共に談話室へ移動していった。
この後、ユーリとルイスはカイリの部屋の横にある侍従用の部屋で食事をとることになっている。
主人が戻るまでに荷解きや明日の支度などが終わっていればあとは自由時間と言うわけだ。
調理場から、湯や水をもらうついでに晩餐会の残り物や余った材料で作られた簡単な食事を部屋へ運ぶ。
「さっきサーシャを見ました」
カイリの部屋で食事をとる準備をしながらユーリが口を開いた。
「え?!晩餐会で、ですか?」
「王女が退室するとき、侍女を引き連れて迎えに来てた女です」
ルイスの場所からはずいぶん遠く見えなかったので全く気付かなかった。
「何故ここに…」
「あれが何をしてるのかパンくずほどの興味もないですが、あの女はすさまじく性悪で冷酷で、オリクトのためなら平気で人を犠牲にするような自己中心的な人間です。何の得もなく誰かに従うようなことは絶対にあり得ないので間違いなく王女を利用して何か企んでますよ」
「以前、サーシャさんはオリクトを狙っているようなこと言っていましたが、ガーランドにいると言うことは狙いは『剣』なのでしょうか?」
「うーん、そう思うのが妥当だけど、『剣』は無機物に固着させるもので人の手には負えませんから。最初にテレジアにいたことを考えると、本命は『争』かもしれません」
もしくは、存在を知っているとしたらノネのオリクトと言う可能性もある。
「狙いが『争』であれば今の段階でルーナ王女に近づいているのは少し不可解ですね。テレジアでも奪う機会はあったのに、今ガーランドにいると言うことは『剣』と『争』とはまた別の何かがある様にも思えます」
「そうですね、どちらが狙いだとしても少し行動に違和感がある。シオンをアランドールに遣いに出しているのも気になりますし、ここに滞在してる間に少しでも探っておかないといけませんね。幸い向こうにはまだ気付かれていませんから」
「ええ」
・・・
食事を終え明日の用意などを済ませると、ルイスは読書、ユーリは刀の手入れを始めた。
一冊読み終えたところで、ルイスは窓の外に輝く月を見上げる。
二人が食事を終えてから三時間あまり経とうとしているが、カイリはまだ談話室から帰ってこない。
話が盛り上がりすぎたとしてもそろそろお開きにするべきだ。明日は明日でルーナ王女との予定が一日中あることを忘れているのではないだろうか。
「カイリさん、遅いですね」
「お酒の場ですしね。気になるなら迎えに行ってみます?部屋から出てはいけない決まりなんてなかったですよね?」
「はい。不躾ではありますが主人の迎えであれば許容してもらえるでしょう」
ルイスは作り毛をつけてベールをかぶった。
すでに室内用の服に着替えてしまっていたので誰とすれ違っても無礼がないように正装用の外套を羽織る。
式典や催事以外で他国の人間が城内で帯刀することは禁じられているためユーリは背に刀を差して親衛用のマントで隠した。
さて行こうか、と部屋を出ようとした所で廊下の方から妙な足音と笑い声が響いてきた。
カイリだ。二人は顔を見合わせてやれやれ、と肩をすくめる。
扉が叩かれる前にユーリが開いた。
「やあやあやあやあユーリ君、ご主人様のおかえりだぞ~」
カイリはクライドに脇を抱えられ、ふらふらとした足取りで出迎えたユーリを満面の笑みで返した。
これまた見事な酔っ払いに仕上がっている。
「はぁー…すみません、ご迷惑をおかけしたようですね」
ユーリは大きなため息をついた。
「いや、これも私の仕事なので。アシュフォード宰相閣下と飲み比べを始めたので連れ出すのに苦労した。明日も予定が詰まっているから君たちも早く休むと良い、それでは」
クライドは苦笑いを浮かべながら酔っ払いのカイリをユーリに手渡し、次の酔っぱらいを部屋に返すために早々にその場を後にした。要人の親衛隊も大変だ。
「おいおいおい俺はぁ、まだのめるうー」
ユーリに抱えられながらカイリが暴れだそうとするのでユーリは無理やり引っ張ってベッドに放り投げた。
「こらぁー!ご主人さまを放り投げるとはどういうことだぁー」
投げられたことに憤慨した様子でカイリがぎゃーぎゃーとベッドの上で喚く。
「カイリさん、白湯を飲んで落ち着いてください」
ルイスはすかさず白湯を用意してカイリに差し出した。
「おお、さすがあ、ルイスー、夜は一段とうつくしさに磨きがかかっているなあ」
カイリはルイスの顔を見ると満足そうにへらへらと笑いながらルイスの手をぎゅっと両手で掴んでそのまま自分の方へと引っ張った。
「あ、水が…!」
勢いでカップの水が跳ねた。
ルイスは何とかこぼすまいとカップを必死を握りしめ、成すすべなくベッドの上に引きづり込まれた。そのままカイリに抱き着かれさらに水が跳ねる。
「ルイスー、きみに飲ませてほしぃな~」
カイリはうつろな瞳でルイスに顔を近づけ、唇を突き出して来た。
「うっ」
すごい酒の匂いだ。あまりの臭さにルイスは思わず顔をそむける。
「はぁ、いい加減にしてください」
ため息とともに、ユーリはカイリの首根っこ目掛けて右手を振り下ろした。
「っぅぐ」
ドスと鈍い音がすると、カイリのうつろな瞳がぐるんと上を向いてルイスの方へ倒れて来た。
ユーリはすかさずルイスが手に持っていたカップを抜き取ると、倒れて来たカイリの襟を掴んで反対側へ放り投げる。
「迂闊に酔っ払いに近づくもんじゃないですよ」
ユーリはうんざりした様子でルイスから奪った白湯をカイリの代わりに飲み干す。
「すごい匂いですね、酔いそうです。…カイリさんは大丈夫でしょうか?」
ルイスは口元を抑えて完全に意識の落ちたカイリを心配そうに覗き込んだ。
「飲み過ぎは自業自得、子供じゃないんですから。さ、我々も休みましょう」
ユーリはルイスを引っ張るようにしてベッドから降ろした。
「え、ええ」
ルイスは去り際カイリにシーツをかけて部屋を後にした。
・・・
翌日、開口一番、カイリは俺はどうやって部屋へ戻って来たのかと叫んだ。
途中から全く記憶がないらしい。
談話室で話が盛り上がり、いつしか酒の強さの勝負となり、ミハイルに挑んだ辺りからもう覚えていないと言うことだ。
ガーランド貯蔵の質の良い酒だったおかげで悪酔いしておらず体調はすこぶる良いが、自分が途中からどんな様子だったか分からないことが恐ろしくてカイリはずっと頭を抱えている。
今日は朝からルーナ王女との朝食の予定がある。
迎えに現れたクライドに昨夜の自分の様子を尋ねると、ミハイルとの勝負には負けたと教えられカイリは項垂れた。
ガーランドの酒は初めてだった、アランドール産の酒ならば負けなかったはずだ、などと言い訳がましくぶつぶつと呟いている。
朝食の後は、親交を深めるためにと庭園の散策、茶会、読書会と、ルーナがつきっきりでのおもてなしが目白押しとなっていた。
朝食がすむと、少し歓談の時間があった後、庭園へと移動する。
庭園は城の裏手にあたる広大な敷地で、季節ごとに狩猟会なども行われている。
嬉しそうにお気に入りの庭を案内するルーナと、それを作り笑いで聞いているカイリのあとを付き従いながら、ユーリは庭から見上げる城の様子と、辺りの従者たちの顔を確認していた。ルーナお付きの侍女の中にサーシャの姿はない。
となれば、昨日の様子から察するにサーシャはルーナの侍女ではなく、客人か、或いは教育係のような立場に収まっている可能性がある。今は城内で悠々と王家の優雅な生活でも満喫しているのだろう。
ルイスは直視しないよう、ルーナの様子をずっと視線で追っていた。
晩餐会の時は遠すぎてはっきりと分からなかったが、この距離であれば顔がよく見える。
オルガノ、オレドと同じ、枯茶色の髪が印象的だ。可愛らしく微笑む表情はとても幼く、カイリと並ぶと兄と妹にしか見えない。
自分にもし妹がいたらきっとこんな感じなのだろうか、とぼんやりと考える。
・・・
何事もなく日中の行事がすべて終わると、カイリは心底疲れた様子で客室のベッドに倒れ込んだ。
「はー…」
大きなため息をついて天井を仰ぐ。
「お疲れ様です。ルーナ王女はずいぶんと楽しそうでしたが、気は合いそうですか?」
「いやー、無理!十近く年が離れてるんだよ?!とにかく話が合わない!テンションも合わないし、初対面過ぎて話題も少ないし…。もう俺が必死にもてなしてるような状態だよねー」
カイリは額に手を当ててここぞとばかりに不満をぶちまけた。
「前に子供の相手は得意とか言ってませんでしたっけ」
「子供の相手とはわけが違う、子供なのに婚約者の女性として扱わないといけないんだからさ。何をどう取り繕ったって妹にしか見えない」
お手上げ、とばかりに両手を上げる。
「別にこのまま婚姻するわけじゃないんでしょ?なら適当に相手をして遊んでいればいいじゃないですか」
「そうなんだけどさー…。ああ、そう言えば夕食のあと怪しい催し物に誘われたからいって見ようかな」
カイリは顎に手を当ててにやりと笑った。
「怪しい催し物?」
「ゲーム場や舞踏の披露、あとは王女の先生が晶石で占いをしてくれるんだとさ」
「「!」」
ユーリとルイスは視線を合わせた。サーシャだ。
「参加者は普段と違う衣装に仮面をつけて誰か分からないようにして楽しめるようにしているらしい。侍従もこの夜だけは自由に参加出来るってクライド卿が言ってたから二人も行ってみる?」
「面白そうじゃないですか」
「行きます」
二人はそろって頷いた。
そうして夕食後、部屋付きの給仕から詳しい説明を受けた。
仮装用の衣装は用意があるそうで各々サイズや好みに合った衣装を着て参加するのだ。
カイリはエノテイアの貿易商が好んで着用するような体に合わせたすらりとした衣装を、ユーリは西国風の色違いの衣を数枚重ねた着流しに、ルイスも同じく西国風の祭事に使われるような衣装を選んだ。
西国風の衣装は刀が仮装道具の一つとして成り立つので持ち歩くのに不審がられないのが丁度良かった。
場所は晩餐会が行われた大広間で、主催はルーナ王女。村娘の格好で花かご片手に客人に挨拶をして回っている。
扉の開閉を行う守衛や配膳を行う給仕たちは仮装をしてはいないので区別できるが、催しの雰囲気を壊さないように誰もが仮面をつけていた。
広間の隅では楽団による演奏が行われていて、中央では演技を披露している踊り手や、不思議な見世物を行う舞踏団などが揃っていた。軽食や飲み物も用意されており、カイリは怪しい催し物と言っていたがごくごく普通の所謂、上流貴族が催す交遊会と同じようなもののようだ。
ただ、占いだけは大広間に隣接した特別な部屋で行われているようで、扉の前には女性の人だかりができていた。
近づいてみると、アランドール風の衣装を着た侍女が集まっている者たちに順に何か札のようなものを渡している。
並んでいると勘違いした侍女がルイスにも札を差し出す。いらないと断るわけにもいかず、ルイスは受け取った。続いて侍女はユーリにも札を渡す。
「何でしょう?」
それは手の平に収まるサイズの四角い木の板で、中央に花の絵が描かれていた。ユーリは渡された札をじっと見つめて観察する。特に魔力は感じない。呪具の類ではなさそうだ。
「あれじゃない?時計の横に花やら太陽やらマークが書いてある」
会場の様子を眺めていたカイリがルイスの肩を叩いて大きな仕掛け時計を指さした。
「なるほど、時間制なのですね。針が花の絵柄を差したら私の番でしょうか」
「そんな感じだね。二人は占いに興味があるの?俺は適当にカードで遊んでくるよ」
そう言うと、カイリはカードゲームやボードゲームが行われている方を指さしてさっさと行ってしまった。
あんなに疲れ果てていたのに、急に生き生きとしている。気分転換にはちょうどいいのだろう。
さて、こちらはどうしたものか…。
「どうしましょう、ユーリ、気付かれてしまいますよね?」
ルイスは木の札を眺めてユーリを見上げる。
「ん-…仮面を付けているし、私が声を出さなければ大丈夫じゃないかな。あれが意味もなく王女の遊びに付き合ってるとは思えませんから、少し踏み込んでみる価値はありますね」
「わかりました」
時計が花の位置に来るにはまだ少し時間があるので二人は広間の隅で時間を潰すことに。
ルイスは楽しんでいる参加者たちをぼんやりと眺めた。
多くの犠牲と共にテレジアという街を一つ壊滅させたことなど全く感じさせない、平和で暢気な世界。
悦楽に浸る城の外で、戦地にいる兵や戦地となる民がどれだけ苦しみ嘆いているかなど彼らは知る由もないだろう。ここにいるほとんどの者がそういう世界に生まれ、そういう世界で育ち、その世界から出なければ知らないまま一生を終える。
ついこの間まで自分もあの中の一人だった。こうして外へ出て別の視点から見ることでようやく知ることがばかりだ。同じ時間の流れに生きているはずなのに、見ている立場や状況で世界はこんなにも違って見えてしまう。
だから争いは起きてしまうのだろうか。誰しも、ただ自分以外を知らないだけ。知らないことを知ろうとしないだけ。自分の世界を信じていて、居場所を守りたくて、それがとても大切な自らを形作るものだからこそ、見えているものだけでしか物事を測れない。
無知で愚かなようでもありながら、とても純粋な美しさにも思えた。儚いけれど、それも確かな想いの形なのかもしれない。
「ルイス」
ルイスは小声でユーリに声をかけられてはっと顔を上げた。
ユーリの視線の方を見ると、男性が一人こちらへ向かって歩いてくるところだ。
「今日は西国風か、なかなか似合っている」
男は仮面越しでもわかるぐらい優し気にルイスに微笑んだ。
ミハイルだ。
風変わりな帽子をかぶり、赤いマントを翻らせた、まるで絵本に出てくる怪盗のような衣装だ。スタイルが良いのでよく似合う。
「何か御用ですか?」
ユーリが答える。
「用がなければ声をかけてはいけない?楽しめているか気になってね。あぁ、君たちも占いを?私も興味があって、花の札をもらったよ」
と言ってミハイルが札を見せる。同じ花の絵だった。
「ふむ、二人も同じ柄か。丁度時間だね、一緒に行こう。ええと、確かルイゼと名乗っていたのだったかな。お手をどうぞ、ルイゼ嬢」
ミハイルは紳士的に、にこりと微笑んで手を差し出す。
「お心遣いに感謝を。ですが閣下のお手を煩わす必要はございません」
ルイスは淑女らしくスカートたくし上げてお辞儀をすると先に部屋の方へと向かった。
「随分と自立した令嬢だね」
ミハイルは手を引っ込めて低く笑った。
入口の侍女に札を返すと、カーテンのかかった扉の向こうへと案内された。ルイス、ユーリ、ミハイルと、もう一人仮面をつけたどこかの貴族の婦人も一緒だった。
薄暗く香炉の焚かれた廊下をしばらく進んで右手の部屋へと通される。
「あの、皆様も花の札でしたの?」
婦人が不安そうに声をかけて来た。
「ええ。こちらのお二人も同じ札をお持ちでしたよ」
ミハイルが答える。
「まあ…、おかしいですわね、聞いていたお話では占いは一人ずつ行われるはずですのに」
婦人は怪訝そうに頬に手を当てて首を傾げた。
たしかに妙だ。見も知らぬ四人を同時に占うとでも言うのだろうか。
「そうですね…とても面白くなりそうだ」
ミハイルは腕を組んでにやりと笑った。
「何だか、息が詰まります…」
ルイスは喉に手を当てた。
この部屋へ入ってから、得も言われぬ感覚に襲われている。
「……」
ユーリは足元を見渡して眉をひそめた。
「!」
と、突然、足元の絨毯から灰色の光が沸き上がった。
ユーリは慌ててルイスの腕をひく。
「転…っ!」
言いかけた瞬間、光に包み込まれ四人は部屋から消え失せてしまった。
「本日は四人でございます」
案内役の侍女が奥にいる誰かに声をかける。
「……」
そこにいた主は何も答えることなく藍色のマントを翻し、部屋の奥へと去っていった。




