斜陽 7
サンティ城を出立してすぐ、カイリは仮眠を取ると言って、わざわざ仮眠用に造り替えた馬車の奥に引っ込んでしまった。彼はもっぱら、こうして移動時間で睡眠をとっているのだと乳母が教えてくれた。
第四王子と言う、地方に領地を与えられ首都からも王位からも離された立場であるカイリは、何かと外交の雑用を申し付けられサンティ城でゆっくり眠る時間が持てないのだと乳母は嘆いた。
馬車に揺られながら、ルイスはカイリの乳母にアランドール式の行儀作法や決まりなどを教わった。
元々、行儀作法は生まれた時から当たり前のように習っているルイスにとって王宮の儀礼を覚えるのにそれほどの労はなかった。アランドール特有の決まりさえ忘れないようにしておけばいいだけだ。
ルイスの持ち前の品の良さと飲み込みの速さに気を良くした乳母は、少し早いけどティータイムにしましょうと、とっておきのおやつと称して今朝作ってきたコンラッドクーヘンを籠から取り出した。
芳醇なメイプルの香りが鼻をくすぐる。
テレジアの姉妹の顔が浮かんで涙が込み上げそうになるのをぐっと我慢し、切り分けられたクーヘンを一切れ受け取った。
水筒の紅茶を片手に、二人でしばしのティータイムを楽しむ。
すっかりルイスと打ち解けた乳母は、布で仕切られた奥で眠るカイリの様子を気にしながらアランドールでくすぶる火種について話し始めた。
アランドールの歴史はガーランドよりも古く、元々は今で言う王族がいくつか集まって出来た国だ。
覇権争いの末、英雄王コンラッド・ラーマが王族を一つにまとめ、ラーマ家がある程度の権限を持つ君主とした共和国を平定し今に至る。
今から百年ほど前にコンラッド直系の血が絶えたことによるラーマ王族の権力の衰えによって再び内戦が勃発し、ラーマ王族末席の現国王イシュヴァの尽力によって再び治められたのは最近のこと。
イシュヴァ王は、公の位を与えられた元王族から三人の妻を娶っており、子供は王子が四人、王女が四人の全部で八人。カイリは国王の第三子にあたるが、母親が王族ではない庶民の出であったために公家から妻と認められず、後に生まれた第四子の弟が第三王子となり、カイリは庶子として永劫に継承権を持たないと言う意味を込めた第四王子の位をあてがわれた。
ラーマ王族と公家の間には未だにくすぶるものがあり、イシュヴァ国王の統治力によってどうにか力関係を保っているような状態だと言う。
カイリは、庶子の出でありながらイシュヴァ国王と第一王妃から寵愛されており、その結果第二王妃、第三王妃とその公家からはひどく嫌われている。
イシュヴァ国王の失脚を目論む勢力によって、カイリは命をも狙われる非常に危うい立場にあるのだと言う。
カイリが国外の、ましてや初対面かつ身元もわからないルイスとユーリを頼ったのにはそんな理由が含まれていたのだ。中よりも外、身内よりも他人のが信用できるとは、なんとも悲しいことである。
国境を越えた危険な任務を任されているのも、国内で一切の自由がなく、息苦しい生活をさせたくないと言うイシュヴァ王の想いあるからこそだ、と乳母は熱く語った。
カイリが気を許した友人は初めてなのでどうかこれからも仲良くしてやって欲しい、と涙目で頼まれた所で、起きてきたカイリに遮られた。
いつまでも子供扱いで困る、と頭をかくカイリの表情が嬉しそうに見えたことは黙っておこうとルイスは笑った。
アラヤ城塞 アランドール共和国 ー ガーランド王国 国境
アラヤ城塞は、イグニ・アラヤ山脈に建造されたガーランドとの国境を隔てる城塞だ。
ヒショウ山に次いで標高の高いこの山脈は、アランドール領をアラヤ山、ガーランド領をイグニ山と言い、名称が呼び分けられている。
山の名称一つでつまらない国境の小競り合いが起きた結果であることは言うまでもない。
この城塞はカイリの兄である第二王子が管理しており、今日はここで一泊して明日の朝、ガーランドへ向けて出立することになっていた。
門をくぐり城の内庭へ馬車をつける。
ガーランドとの友好を示す旅路だと言うのに城から出迎えに出てきたのは執事長と二人の守衛のみ。
ここまで露骨に仲が良くないとは、なかなかに根が深い。
執事長はカイリに一礼し挨拶を交わす。
いくつか会話した後、選別するような眼差しで馬車の中のルイスと、馬を降りるユーリを一瞥して、カイリを城内へ招き入れた。
執事はラージャと数回会話を交わした後、城の中へと消えていく。
「我々は厩舎に馬を置いてくればいいですかね」
ユーリがラージャに声をかけると、ラージャは深いため息をついて、あぁと答えた。
ラージャの案内で厩舎へ向かう。
馬は厩舎へ、馬車はその軒先につけられた。
身支度を整えていると、乳母がラージャに呼ばれて先に降りた。少し離れたところで何か深刻そうな顔で会話をしている。
馬を預けてきたユーリは冷めた表情で二人の様子を見つめた。
「我々は歓迎されてないそうですよ」
「?」
ユーリに言われて、ルイスは馬車を降りた。
ラージャと会話を終えた乳母は、ルイスとユーリに向かって一礼すると、そのままいずこかへと去って行ってしまった。
「どうかされたのでしょうか…」
ルイスは不思議に思いながら呆然と見送る。
眉間にしわを寄せたラージャが二人のほうへやって来た。
「悪いが、二人は馬車で寝泊まりしてくれ」
「?…わかりました。何か問題が起きたのですか?」
「………」
黙るラージャの代わりにユーリがため息をついて答える。
「カイリさんの従者なぞ城にあげたくないんですって」
「おまえ、あの距離で聞こえてたのか?耳良すぎだろ…。まあ、何だ、ここの城主、カイリの兄貴だが…カイリを見下すためだけに努力するようなやつでな。自分の城ではとにかくあいつを虐げて王子として扱わないようにするんだよ」
「仲が良くないとは聞いていましたが…」
ルイスはなるほど、と頷いた。
「いくら兄でもカイリさんはそんなこと許してんの?」
「許すも何も、この国において目上の人間の言うことは絶対だ。第二王子の領土内での命令はどんなものであっても目下の人間は誰も逆らえない。靴を舐めろと言われればカイリは従うしかない。拒むなら、それに見合うだけの相手が納得する代替品を用意するか、ただ許しを請うしかないのさ」
「何それ、頭おかしいんじゃないですか」
「俺もそう思う。だがその戒律によってイシュヴァ王が崩壊寸前の王家を維持出来ているのも事実だ。結局、いまだに腐ったままの土地にどうにかしがみついてんのさ、この国は」
ラージャはうんざりした表情で笑って見せた。
「一見平和に見える国でも内部には様々な問題を抱えているのですね」
「多かれ少なかれ、な。でも俺はそれをカイリが変えてくれるだろうと信じてるがね。さてと、そろそろカイリが心配だから俺は城へ行くよ。そうだ、乳母やは持病があるから下の町に宿をとらせてる。食事は運ぶように指示はしてあるから今日は我慢してくれ」
ラージャはじゃあ、と手を挙げて城の方へと走っていった。
「……」
ルイスは顎に手を当てて眉をひそめた。
「冷えるから中に戻りましょ」
「あ、はい」
ユーリに促され、ルイスは馬車へ戻る。
座席では寛げないのでカイリが簡易用の寝床にしている奥へ入った。
荷物もあるため二人が足を延ばせるほどの広さはないが、それでもどうにか横に並んで寝られそうではある。夜にもなれば冷え込むだろうが、敷き詰められた毛皮や毛布を身にまとえば何とかなるだろう。
「そういえば、ユーリは昨日、サーシャさんの居所を掴んでおきたいとおっしゃっていましたが見つけられたのですか?」
ルイスは冷えた両手をこすり合わせながらはぁ、と息を吐きかけた。
「んー…まあ、ええ、はい」
ユーリは煮え切らない返事をする。
「そうですか、良かったです」
「良かった…のかなぁ…むしろ困ってますけど」
「それはどういう?」
ルイスは首を傾げた。
「少し冷えてきましたね。テレジアの晶石屋で購入した火種の晶石を貸してください」
「?はい」
ルイスは目を瞬かせながら自分の荷物が入った籠を漁った。
晶石が入っている袋を取り出しユーリに火種の晶石を手渡す。
「ここで火を起こしては火事になってしまいませんか?」
ルイスは心配になって燃えやすそうな毛皮や毛布を後ろに押しやった。
それを見てユーリがくすりと笑う。
「両手を出して」
「?」
ユーリは晶石を一度だけ握りしめると、ルイスの手に乗せてルイスの両手を覆うように手をかざした。
「じゃあ目を閉じて。火のくべられた暖炉の光景を想像してください。キャトラ邸のエリオスの私室にある暖炉が良いかな。あの前で皆さんでよくお茶をしていましたよね。どんなに外が寒くても、雪が降っていても、体の芯から温まるような燃える火の感覚を思い出してみて」
「…はい…」
ルイスは言われた通り、エリオスとヴィルヘルムと三人でお茶の時間を楽しんだ時のことを思い返した。
暖かい暖炉の前に備え付けられた柔らかなソファー。温めたカップに注がれた、熱い紅茶の香りが鼻を撫でる。一口、喉を流れていく熱。特に寒い日は体の中から暖かくなるようにジンジャーを足して、しっとりと焼いたチョコレートのクッキーを添えれば、ジンジャーのわずかな辛みがチョコレートクッキーの濃厚な甘さをほどよく引き立てる。
「そう、上手ですね。もう目を開けていいですよ」
ルイスが目を開くと、晶石は手の中でうっすらと赤く瞬いていた。暖炉の前で手をかざしているかのようなじんわりとした温かさだ。
最後にユーリがふっと息を吹きかけると、晶石の光は羽のように馬車の中を舞って音もなく消えた。
すると、馬車の中が暖かさに包まれた。
「わあ!暖かい!」
ルイスが想像した、まさに暖炉のある部屋の中のような、重苦しさを感じないちょうどよい暖かさだ。
「これは晶石の力?ユーリの魔晶ですか?」
ルイスは不思議そうに晶石を見つめる。
「そう思ったけど私は必要なかったみたい。貴方の想像力が豊かなおかげですね」
「では、この晶石の保有する魔力だけで出来るものなのですか?」
「今は晶石を起因として周りの自然魔力に伝導させたんですよ。水を温めたり冷やしたりするのと同じだね」
「なるほど、自然魔晶理論ですね!」
「まあ、そうなんだけど、そう難しく考えずに。晶石の応用は想像力次第ですから。想像力が豊かであるほど応用の幅も広がる。つまり、勤勉であるよりも経験が大事ってことですよ」
「まさに今の私ですね!」
ルイスはまた一つ経験をした、と嬉しそうに瞳を輝かせた。
「そうだね」
満足気に晶石を袋にしまうルイスの姿が何だかおかしくてユーリはくすくすと笑った。
・・・
翌日。
馬車の中を暖かくしたおかげで快適に眠れたルイスは、早朝に食事を持ってやってきた乳母からガーランドに行けなくなったと聞かされて驚いた。
”戦時中のガーランドに配慮すべき”として入国する従者の人数を更に減らすようにと国境警備から通達が来たのだそうな。つまるところ、兄王子の嫌がらせである。
実に頭のおかしい話ではあるが兄の命令は絶対。たった四人しかいないカイリの従者も二人減らさなければいけなくなってしまったと言う。
そうなると、ルイスとユーリが、となるべきなのだが、そこはカイリが契約しているからとして譲らず、ラージャと乳母が残ることになった。
カイリの親衛であるラージャを伴わないと言うことは、カイリは己の力だけで身を守らねばならないと言うことだ。
兄王子の従者たちこそ危険であり、ここぞとばかりにカイリの命を狙ってくる可能性が高い。彼らに忠誠心はなくとも、自らの命を賭してでも自身の家族を裕福にするため王子暗殺を承諾する者は少なくないのだ。
乳母にカイリのことを絶対に守ってくれと泣きながら懇願されたところで、カイリが普段通りの軽い挨拶とともに現れた。
カイリの決断に最後まで納得せずに掴み合いになったラージャは部屋に縛り付けてきた、とあっけらかんと笑い飛ばした。
馬車の御者さえも兄王子の御者と交代させられ、十人の護衛という名の敵を伴っての出立。
昨日同様、執事以外の見送りはない。兄王子は姿さえ見せなかった。従者の人数を減らせと言う命令を読み上げたのも執事で、カイリでさえ椅子に座っている姿を部屋を出る際に垣間見ただけだと言う。
エノテイアの冷酷さにも引けを取らないね、とユーリは皮肉交じりに笑った。
・・・
出発して一時間余り。
カイリがガーランドからの書簡に一通り目を通し終えたところで、ルイスは待ってたとばかりに話しかけた。
「カイリさん、あの、私たちを連れて行くのは契約があるからだと聞きました。ですが正式なものではないですし、今更ですが私たちを切るべきだったと思います」
ラージャと乳母のことが気がかりなルイスは心配そうに眉尻を下げた。
カイリにしても、まだ出会って間もないルイスらとそこまでの信頼関係は築けていないはずだ。
「…んー…確かに、これはちょっとした賭けだ。俺は君たちとガーランドで行動した方がより真実に近づけると踏んでる。もちろん君っていう打算もあるし」
カイリはにんまりとルイスを見て微笑む。
「私が?」
ルイスは首をかしげて自分を指さした。
「ルイスがいることによる私の戦力とか言いませんよね」
ユーリはカイリをじろりと睨んだ。
「それもちょっとあるかなぁ。と言っても自分の身は自分で守れるからそこはそれほど重要じゃない。ただ、アランドールはオリクトを保有したことがないから俺もラージャも経験と実際の知識が圧倒的に足りない。その点、君たちはオリクトの図書館とも言えるエノテイアから来たし、実際オリクトにも魔晶にも詳しい。って言うか実は所有者なんじゃないかってちょっと期待してたりもするけど、実際のところどうなの?」
カイリは探るような眼差しでルイスとユーリを交互に見た。
「オリクトについては貴族という立場から一般的な知識よりも詳しく知識を蓄えてはいるつもりです。ですが、エノテイアから追手が掛けられている理由は別です。もし仮にそうであったとすれば、エノテイアは将位を派遣するぐらい動いていると思いますよ。他国に奪われるのだけは避けたいでしょうから」
ルイスは残念ながら、と顔色一つ変えずにさらりと答えた。
「所有者だったらこんな回りくどくエノテイアから逃げないでしょ。とっくに大陸から離れますよ」
ユーリも話を合わせながら内心ルイスに感心していた。
ルイスの性格は素直で誠実で、どちらかと言えば嘘をつけるタイプではない。
感受性も高く、感情表現も豊かで、この手のタイプの人間が嘘をつくと必ず表情や話し方、仕草にぼろが出るものだ。
しかしルイスは、本当に感情を出してはいけない場面では驚くほど平静を装える。その場その場で適切な回答を何ら躓く様子もなく出せるのはもはや一種の才能と言えるかもしれない。
「んー、確かにそれもそうか。一個所有するだけで国一つ破壊できちゃうぐらいのシロモノ、下手な追手ぐらい簡単に蹴散らしちゃうもんなぁ。的が外れて良かったような、残念のような…」
カイリは両手を組んで肩を落とした。
「…あ!そういえば!」
そして何かを思い出したように突然大きな声を上げる。
「どうしました?」
「ガーランドからの入国者だけどラージャに調べさせておいた。エノテイアの追手らしい人間はいなかったけど、ちょっと怪しいのはいたってさ」
「ちょっと怪しいの?」
「子供の一人旅みたいなの。ブライズ王家紋付の身分証だったから記帳欄で目に付いたって。目的は買い付けらしいけど、王族の遣いだとしても他に従者もなしって、妙だよね?」
「……」
ユーリは黙り込んで眉をひそめた。
「王家の身分証と言うのが引っ掛かりますね。ガーランドの状況からしても国外への買い付けを子供一人に任せるとは考え難いです」
「その少年、十歳前後では?」
ユーリが腕は腕を組む。
「んー、確か身分証は十一歳。色素の薄い肌に灰色の髪、大人びた言動って、検問官のメモ書き程度の記入があったって言ってた」
「灰色か。たぶんシオンだな。ルイス、あの子供覚えてる?」
「えっと、確かサーシャさんの従者の子ですよね?」
「そう。昨日言いそびれたけど、サーシャはどうもガーランドにいるみたいなんですよ」
「え?!」
「ねえ、ねえねえ、そのサーシャって何?誰?」
カイリが興味津々で話に割り込む。
「サーシャさんはユーリの元婚約者の方で…」
「婚約者ぁ?!やるねぇ色男!」
「ルイス…次回から元婚約者の肩書は抹消してもらえます?」
ユーリはカイリの食いつきに顔をひきつらせた。
「あ、すみません…」
ルイスはしまった、と口元を抑える。
「で、そのユーリの婚約者の従者が何なの?やばい子?」
「”元”です、元。不愉快なんでそのネタ引っ張らないでくださいね。あと婚約者という単語も二度と口に出さないように。次言ったら口をきけなくしますから」
ユーリに殺意のこもった眼差しで睨まれ、カイリはヒッと喉を鳴らした。
「こわー…もしかして結構まじで触れちゃいけない話題なの?」
カイリはルイスにそっと耳打ちする。
「えぇ、今はとても険悪な関係のようでしたから…。すみません、私が余計なことを言ったばかりに…」
「ルイスは悪くないです」
ルイスがカイリに悪びれると、すかさずユーリが割って入った。
「っ聞こえてるし!」
「内緒話したいなら視界に入らない程度離れてくださいね」
「えー、ユーリって結構めんどくさいな。あ、離れるの忘れた」
カイリはわざとらしく舌をぺろりと出して笑って見せる。
「私よりめんどうな人に言われたくないです」
「あ、大丈夫、俺は自覚してるから」
「大丈夫の使い方間違ってますけど」
「ふふふ!」
二人のやり取りを見ていて、ルイスは声を出して笑いだしてしまった。
「っ゛…!」
突然馬車が急停車して、ルイスは思わず舌をかんだ。
「おぉっと、大丈夫?」
ルイスは口元を抑えて涙目で頷く。
カイリは馬車のカーテンの隙間から外を見た。
「まーいい感じに山賊でも出そうな山の中腹ってとこかぁ」
「馬車ごと峠に落とさなかったのは首を持って帰る必要があるからですかね?」
「明らかな証拠がないと誰も信じない国だからなー」
「???…えっと、まさか…」
ルイスはしばらくやり取りの意味が分からなかったが、二人の真剣な表情からこの急停車の意味を理解した。
「このまま火をつけられたりは…?」
「大丈夫、それはない。向こうはここで俺を始末して俺の紋章入りの馬車で替え玉か何かを用意してガーランドに送り込むつもりだろうから」
「替え玉?…なるほど!このまま別の人間で婚約を進め、ガーランドを囲い込むことでイシュヴァ国王の影響力を下げ、更には外交問題に発展させようと言う作戦ですね」
「おそらくね、親父を王座から引きずり下ろすことしか考えてないと思う。そういう意味でもラージャを置いてきたのは、正解だったな」
「で、どうします?十人はさすがにちょっと不利ですけど」
「もちろんここで首をくれてやるつもりはない。とりあえず俺が三,ユーリが七で何とかならないかな?」
「私の割合ひどくないですか」
「じゃあ、俺が二,ユーリが七で、手が空いたほうから残りってことで」
「なんで貴方の数が減ってるんですか」
「あ、では私が一人受け持ちます」
ルイスがすっと右手を上げる。
「え!?」
「は?」
ユーリとカイリは顔を見合わせて目を丸くさせた。
「あのねルイス、受け持つって言っても、勉強を教えるんじゃないんですよ?」
ユーリは何を言い出すのかと驚いて項垂れた。
「はい、もちろんわかっています。騎士級の試験は受けられなかったので位は戴けていませんが剣術の心得は十分にあります」
自信満々に言うルイスにユーリは顔をひきつらせた。
「えっと一応聞くけど、人戦経験は?」
「獣や魔物の類はありますが人はないです」
ルイスはきっぱりと答える。
「ですよね…」
カイリも顔をひきつらせてため息をついた。
人間を相手にした戦闘がないということは、当然人を殺したことがないと言うことだ。それは、実際の戦場において最も不利な要素となる。
感情があり、会話ができ、頭を使い戦略を立てる人間を相手にすることの難しさを知らない者は真っ先に死んでいく。
「カイリさん、私が八でいいです。ルイスはここから絶対に出ないように」
ユーリは大きく息を吐いて刀を収めた袋を手に取った。
「!待ってください!私も…!」
「だめです。貴方の腕が騎士級程度あろうことは分かりましたが人間相手に生死のやり取りをするのは試験戦とはわけが違う。はっきり言います、邪魔だからここにいてください。外には十人、私たちを殺そうと自棄になっている人間がいるんですよ。人一人を殺せるかもわからない貴方にかまっていられるほど私は万能ではないと言ったはず」
ユーリはいつになく真剣な表情でルイスの瞳をじっと見つめた。
「……」
ルイスはぐっと言葉を飲み込んだ。
何か言いたくもなったが、正論過ぎて言い返す言葉が出てこなかった。
ユーリの言うことはよく分かる。手練れの剣士にとって素人を伴うのはただの枷でしかない。
ルイスは苦悶の表情で二人を見上げた。
「…分かりました…。どうか、お気をつけて…」
精一杯出てきた言葉。
「俺たちが出たらすぐ鍵をしめてね」
カイリはそう言って、箱に収められた自分の双剣を手に取り外へ出た。
すぐにユーリも外へ出る。
ルイスは鍵をかけると、床に座り込んで顔をうずめた。
自分が何の役にも立たないことをはっきりと言われてしまった。
ユーリが自分のためを思って言ってくれたのだと言うことはよく分かる。よく分かるからこそ、何かの役に立ちたかった。ユーリほど強くなくても、何か出来るかもしれないと…。
自分だけ安全な場所で、ただ二人の無事を祈ることしか出来ない虚しさと悔しさに涙があふれそうになるのを必死にこらえた。
二人が外へ出ると、口元を布で覆い隠した男たちが十人、馬車を取り囲んでいた。
何かしらの証拠が出るとまずいからか、ご丁寧に山賊風のみすぼらしい服に着替えている。
「カイリヴェーダ王子殿下、ちょっと車輪が轍にはまってしまいましてね、なぁに殿下が手伝ってくださればすぐ出発できますから。さぁそのような物騒なものはこちらに渡して下さいな」
いかにもこの任務の隊長格風の男が大剣をぎらつかせながら言い放った。
「その物騒なものを王子に向けといてよく言うよ」
「お?ハハッ!たしかになぁ」
男はまいったまいったと小馬鹿にしたように笑い飛ばす。
隊長格の男はカイリと会話を交わしながらも、ほかの従者たちに目線で合図をしてじりじりと囲みを狭めてくる。
「……」
ユーリは従者たちを順に見渡した。
武器の仕上がり具合、構え、足取り、目の色、肩の強張り、あらゆる要素から瞬時に個々の力量を判断していく。
右手側奥の三人は他の数人に比べて構えが浅く、足取りが若干遅い。
カイリを直視していない迷いのある眼差しからも、この任務に気乗りしていない様子が窺える。
生活のためか、脅されたのか、彼らの事情まではわからないが、そういう感情を抱いて剣を握っている相手は殺意が薄いのでいなし易く、戦意も喪失させやすい。
死を恐れるあまり隙が多く、自ら斬り込んでくるほどの勇気はあまりないので戦力外として放っておいても被害はそれほどない相手だ。
「カイリさん、私が貴方を守るように見せかけて少し左手前へ出ますので、カイリさんは中央の二人を相手してください」
中央の二人はこの状況に若干恐怖の色をにじませながらも、でもこの人数だから大丈夫だろうという妙な自信が体のせわしない動きから見て取れた。
大方、富や名誉にでも釣られたのだろう。この手の輩は自分たちが優位であれば強気だが、劣勢となるや否やすぐに手のひらを返して保身に走る傾向がある。こちらの力量を見せつけてやれば簡単に陥落できる雑魚だ。
「ん、二人でいいの?ラッキー」
「こちらの五人はどうにかします。あとは放置しても大した害はない。死なないように適当によけてるだけで何とかなるでしょう」
「なるほど、よく見てるね。あのでかい剣を持ってるのはマダハル。兄貴のお気に入りでどこだかの剣闘士大会の優勝者だったはず。機転の利くずる賢いやつだから気を付けてくれ」
「ご忠告どうも」
ユーリは、にっと笑うカイリをちらりと一瞥して隊長格の男に視線を合わせた。
「なんだ?まずはお前が相手してくれるってか?俺としてはトリシューラの野郎をぶちのめしたかったんだが、まあ仕方ねぇ」
男は大剣を地面に突き刺すと晶石の指輪がはめられた左手を大剣にかざした。
晶石から錆鼠色の光が沸き立ち、大剣をまとう。
あれは物の劣化速度を速める力を持つ晶石で、触れたものを腐敗、腐食、硬化させる。
ユーリは面倒だな、と舌打ちをした。
魔晶をまとった武器と言うのは実際の刀身よりも触れる範囲が少し大きくなる。
大剣ともなればその範囲もさらに大きくなり、いつもと同じ感覚でよけていては魔晶の部分を食らうことになってしまう。
魔晶も加味して避けるということはかなり大雑把な動きをしなければいけないわけだが、それがなかなか難しい。
ユーリは、基本的に相手の間合いに入り込んで太刀筋を際で避けながら斬り込む戦闘スタイルを主としている。そのため、魔晶武器を持つ敵を相手にする場合は普段より半歩下がらなければならないことになる。そうなればスピードが低下し切り返しも甘くなるので、当然、威力も落ちる。
こういった場合、反魔晶や無晶化の魔晶を使えば無力化できるので無駄によける必要もないのだが、ガーランド領内であるこの場で魔晶はあまり使いたくない。
オリクトの所有者の魔晶は独特の魔力の流れが出来るので分かる者にはすぐに分かってしまう。距離的にサーシャに気付かれるかどうかも微妙な所だ。雑魚相手に無駄な使用は避けなければならない。
となれば自力で頑張るしかないわけで、少し骨は折れるが頭を使いながら一人ずつこなしていくのが確実だろう。
ユーリはふー、と息を吐いて刀の柄に右手を添えた。
「あ?なんだ、こいつ?剣の抜き方も知らねえのか?」
いかにも小物風の男が鼻で笑いながら剣を突き出してくる。
「この人数にびびってやがるんだろ!おい、お前、教えてやれよ」
横からもつまらない野次が飛ぶ。
この二人の男には、ユーリが剣も抜かずに突っ立ているだけのように見えるらしい。
ユーリの剣技は元はかなり古い時代のものになるが、様々な派生で継承されており他に使い手がいないわけではない。
刀の発祥は西の大陸だが、海の行き来が楽になり貿易や渡航が盛んな現代ではこのユージン大陸でも刀はそれなりに広まっている。
原型となる剣技は文献に載っているし、そこから派生した型などの専門書も存在するので、それなりに知識を得ようと言う気持ちさえあれば調べることも難しくはない。刀の存在すら知らないとは、知能の低さと経験値の浅さが窺えるというもの。
相手の力量もろくに見極められていないのに舐めてかかるような浅慮な相手など刀を抜くまでもない。そこの二人は適当にあしらうだけで片が付きそうだ。
「貴方がたごとき、抜く必要もありませんので結構」
ユーリは鼻で笑う男に鼻で笑い返した。
こういう輩は煽りに弱い。自身の弱さを突き付けられるとすぐムキになって冷静さを欠く。
「んなっ、何だとてめえ!!」
煽られた男は怒りに任せて走り込んできた。
考えなしに剣を掲げ、ただ上から下へ振り下ろすだけのお粗末な扱い方。あまりの陳腐な動きにあくびさえ出てしまう。
ユーリはすかさず身をかがめながら数歩前へ出た。
初動で剣を上腕より上に掲げる剣の使い方はあまり良い選択とは言えない。剣を知らない一般市民や女子供に恐怖を感じさせるという意味でしか効果はなく、そんなものに恐怖を感じない相手にはここを斬ってくださいね、と自ら急所をさらけ出しているようなものだ。
そのあとの使い方次第では意味も効果もあるが、この男の技量ではそれは無理というものだろう。
ユーリは数歩前へ出たところで、すっと息を吸い込んで右足に力を込め動きを止める。
更に上半身をかがめ、覆いかぶさるように男がユーリの間合いに剣を振り下ろしてくるのを待った。そうして鞘を右手で掴むと、刀身を抜くのではなく、鞘ごと刀を男の顎めがけて突き上げた。
「んぐゥ」
ゴツンと鈍い音と共に男の喉の奥の方からうめき声が漏れた。
男は剣を地面に落とすとそのまま崩れ落ち、白目をむいて唇の端から泡を吹く。
一瞬の出来事に辺りは騒然となった。
「やるねぇ」
ヒューとカイリが口笛を吹いて笑う。
その声にはっと我に返った者たちの間にどよめきが起きる。
聞いてた話と違うじゃないかと話し出す者、周りの様子を伺うだけでどうすればいいか分からなくなっている者、すでに戦意を喪失し今にも逃げ出さんとしている者。
「ほお、なるほどなるほど…」
くっくっくっ、とマダハルが何か納得したように笑い出した。
「第四王子サマが王家の守護槍を置いてきたってことはそれだけ自信のあるやつなんだろうとは思ったが、やっぱりスリヤ様の言った通りだったわけか」
「スリヤ?」
「問題の兄貴。俺がラージャを置いてった意味にも気付いてそうだな…」
などと話していると、ヤジを飛ばしていたもう一人の男がじりじりとユーリににじり寄っていた。
ユーリはほぼ半身をカイリの方に向けており、男の方に視線はいっていない。カイリは男に気付いたが、敢えてユーリに注意を促しはしなかった。
「ふうん。どうでもいいけどあの人の笑い声、下品で気分が悪くなりますね」
「あはは、確かに」
カイリは、全くどうでもよさそうに目の前の不快感にため息をつくユーリに思わず笑ってしまった。
こんな状況でも話が出来るのは、すでにユーリが全体の戦力を把握していて、脅威になりえる存在があの下品なマダハル以外にいないと判断したからだ。
この状況下でありながら、カイリは少しでもユーリの情報を得ようと考えていた。何がどこまで、どれだけのことができるのか、この先のことを考えるとユーリと言う人間を少しでも知っておかなければならない。どこまで信用できるのかという点でも、今一つ確証を得られないままなのだ。
「!」
男は今がチャンスだ!と決めたのか、背を向けているユーリに向かって息を殺して剣を振りかぶる。
ユーリはふう、とため息をもう一度つくと、流れるような動きで振り返り、右手に持っていた刀を横に流した。
「ぐぅえっ」
鞘の先の固い留め具が男の脇腹にめり込む。
男のうめき声とともにパキッと枯れ枝を踏んだ時のような肋骨の折れる音が響いた。
「うっわ、痛そう」
カイリは思わず片手で顔を覆う。
「ふうむ、西から来たやつと同じような動きしてんな」
マダハルが顎を撫でながらユーリの剣技を見て頷く。
「へえ、野蛮人にしては多少知恵があるみたいですね」
ユーリは素直に感心して見せた。やはり少々骨が折れる相手になりそうだ。
「そこらの寄せ集めと一緒にされちゃあ困るな。つっても、西の剣技はさすがに経験が少ないんで分が悪いかもしれねえ。俺は無駄なことはしたくねえタイプでなぁ、絶対に勝てる相手としか一騎打ちはしねえのよ」
マダハルはふっと不敵に笑って剣を収めた。
「理解があって何より…」
ユーリはマダハルの態度に違和感を覚え、周りをざっと見渡した。
風の匂いがさっきと変わったような気がする。何だろう?
うろたえているだけの雑魚兵士、これは違う。木々の隙間から、枝や葉の掠れる音とは別の、もっと不自然な何か…。
怪訝な表情のまま意識をじっと耳に集中させた。
「!!」
ユーリは、はっと目を見開くと刀を振り上げて馬車の方へ走り寄った。
カイリめがけて刀を振りかぶる。
「えっ?なになに?!」
同時に、カイリの耳にも空気を真横に割るような一陣の音が聞こえてきた。
矢だ!
気付いた時にはユーリの刀が矢を振り落としていた。
「あっぶな…」
カイリは自身に当たっていたかもしれないたたき落された矢を見て肝を冷やした。
「助かったー、ありが…」
「静かに」
ユーリは苛立たし気にカイリに黙るように手を挙げた。
色々な雑音に交じってかすかにぎりぎり、と弓を絞る音がいくつか聞こえる。
いつの間に?いや、初めから?
この場所には最初から伏兵が相当数配備されていたのだ。すでにガーランド領だからと、アランドールの王子の私兵が大多数いるはずはないと少し高をくくっていた。この人数なら余裕だったが、気配も辿れないほどの遠距離からでも狙いを定めてくる弓兵はさすがに対処のしようがない。
ユーリは眉をひそめた。
どこから来る?…無理だ。オリクトを使わなければさすがにどこにいるかまでは探れない。
かと言って人数も分からないのに下手に距離を詰めればここが手薄になり向こうの思う壺だ。
ふり絞った弦が離された後でなければ矢がどこから飛んでくるのか分からない。
一斉に来たら、さすがに反応しきれるか…。
「!!」
来た!
矢を穿つ音だ。
南東から二本、北東から一本、いや…北西?馬車の向こう側!間に合うはずがない。
「ルイス!馬車の後席で伏せてください!」
ユーリは言いながら駆け出して南東から飛んできた矢を払い落とした。
それと同時にガン、ガン、と二本の矢が馬車に刺さる音が響いた。
すぐにカイリも反応して馬車の扉を叩く。
「ルイス!」
またすぐに穿つ音。今度は…三、四…だめだ、一人で落としきれる数じゃない。
自分だけならば避けられる数ではあるが、避けては馬車に当たってしまう。
「お二人とも一度中へ…!」
馬車の扉が開かれてルイスが二人を呼んだ。ユーリが中へ入ると反対側でガシャンと音が響いて窓ガラスの破片が飛び散ってきた。
「っ…!」
すぐにユーリがルイスの手を引いて頭を隠すように抱え込む。
「っく!」
ガラスの割れる音に驚いた三匹の馬たちが興奮して一斉に大きな鳴き声を上げた。足を鳴らして馬車が大きく揺れる。
「どこかに捕まれ!!」
カイリは二人を馬車の中へ押しやると扉もそのままに御者台に飛び乗った。
手綱を両手に巻き付けるように握りしめ、火種の魔晶石を馬の背の目掛けて投げる。
パチンと小さな発火が起きると、さらに驚いた馬たちは前足を天高く掲げて一斉に走り出した。
「!先に馬を撃て!!!」
マダハルは一瞬立ち塞がろうと考えるも、さすがに大きな馬車を引く馬三匹をどうこうできるはずもなく、木の陰に体を滑り込ませた。
砂埃に弓の標準も定まらず、数本が車輪に当たる程度で、瞬く間に馬車はその場を駆け抜けていってしまった。
「くそ!仕方ねえ、国境に退くぞ!おい、誰かここの馬鹿どもを起こせ!!」
マダハルは砂埃を手で払うと、大きく舌打ちをして気を失ったまま転がっている兵の背中を蹴飛ばした。
・・・
カイリは腕が千切れそうになりながらも必死に手綱を握りしめていた。この綱を離せば自分がどこかへ吹き飛ばされてしまう。
道なのかどうかも分からない道を馬はただ駆け抜けていく。
ユーリはルイスを抱えて馬車の椅子と椅子の間にうまく足をはめて何とか体制を整えていた。
扉はとうに外れてどこかへ吹き飛んでしまっている。
戦域は何とか脱したようだが、油断すれば遠心力であっと言う間に車外へ放り出されてしまう。
ユーリはふう、と息を吐いてルイスの足元で行ったり来たりしているガラス片を手で払った。
「さっきの矢は大丈夫?」
「…は、はい…何とか…」
ルイスは震えながら必死にユーリの肩にしがみついていた。
顔を上げると、ぎょっとした表情で自分の右腕の方を見ているユーリの視線の先を追った。
「あ、さっきので…」
窓ガラスが矢で割れたときだろう。飛び散る破片が腕をかすめて、裂けた服の隙間から肌が除いて血が流れていた。
人間の脳と体は不思議なもので、傷があり血が出ていると認識するとさっきまで何ともなかったはずの傷口が急に痛み始めるのだ。
「矢ですか?」
傷口をまじまじと見ているユーリの表情は険しい。
「いえ、えっと、矢は別方向から飛んできましたのでたぶんガラス片だと思うのですが…」
ルイスは揺れる馬車内の手前壁に刺さっている矢を見上げた。
言われてユーリは位置を確認する。矢は南西から飛んできて窓を割り、御者側の壁に刺さった。ルイスは後方側にしゃがんでいたから右腕に当たったとは考えられない。
「ですね、良かった」
ユーリは、ほっとして息を吐いた。
矢傷でないならばただちに治療しなければというほどの怪我ではないのでとりあえずは大丈夫だ。
弓兵と言うのは、基本的に相手に狙撃位置を知られないようにしなければならず、一撃で仕留めようと考える者が多い。そのため、兼業として毒使いであることがほとんどだ。
特に弓の扱いに長けた者であれば、ほんの数ミリかすっただけでも死に至らしめるだけの毒を仕込んでいることもある。
ユーリにとっても遠隔攻撃者と言うのは毒を含めて対処し辛い相手なので、近づけなければ相手をしないと決めているほどだ。
さて、ここからどうしたものか…。
「カイリさん?!とめられないんですか!」
ユーリは御者台にいるであろうカイリに大声を張り上げた。
「っ…む、っ!…りぃ!」
返事があった。とりあえずまだ振り落とされてはいないらしい。
しかし、馬の怒りも興奮も極限状態だ。馬たちも自らが何故こんなに興奮して暴走しているのかさえ分かっていない。この状況で馬を大人しくさせるのはさすがに厳しい。
木の枝や岩に馬車がこすれては何かが壊れて吹き飛んでいく。
遅かれ早かれいずれ車輪が大破して馬車共々潰れるか、力尽きた馬と共に地面に激突するかのどちらかだ。
飛び降りる以外に道はないが、しかし、この速度では…。
ユーリは流れる外の景色から速度を割り出し、それによって受ける体への損傷を想定し眉をひそめた。
どう考えても無事とはいかない。
「死にはしないと思います…!」
ユーリが何を考え躊躇っているのか察したルイスが声をかける。
「いや、でも…」
「飛び降りる以外ないと私も思います。大丈夫、受け身ぐらい取れます」
ルイスは不安げな笑みを浮かべながら決意のこもった眼差しで、驚いているユーリに向かって頷いた。
「…!前方に、橋…っ、川だ!!」
カイリの声にユーリとルイスは顔を見合わる。
水面に落ちる衝撃の方が地面よりましだ。
ユーリは左舷の戸口から少しだけ顔を傾けて前方を見た。
緩い左カーブの先に橋と、川が確認できる。
「こちらも見えました。あそこで飛び降りますよ!」
橋に差し掛かったところでカーブが終わる。
遠心力は右舷にかかるので、左舷へ飛べば水面への衝撃が多少抑えられるだろう。あとはそれなりの水深があることを祈るばかり。
ユーリは片足立ちで戸口に手をかけた。
低姿勢のままルイスを招き寄せると脇に手をまわす。
「水面に当たる前に頭を下げてね。1,2,3で飛びます」
「はい…!」
ルイスはごくりと唾を飲み込んで深呼吸を一つ。
「舌を嚙むから口は閉じて。…いきますよ、1…2…」
カーブで体が反対側に持っていかれそうになる。まもなく橋だ。
「「3!!」」
二人は同時に馬車から飛び立った。
・・・
夕暮れ前。
カイリとルイスは、川辺を少し上がった森の手前で焚火をしながら濡れた服を乾かしていた。
橋の途中で半壊した馬車の残骸から、ルイスは使えそうな衣服や道具を選別して拾い集める。
時折、焚火の横で休んでいるカイリの様子を気にかけながら、焚火と馬車の積み荷が散乱しているところを行ったり来たりした。
散乱した籠の中から割れていない瓶を見つけると、ルイスは急いでカイリの元へ戻った。
「カイリさん、薬瓶が無事でした!」
小走りにかけてくるルイスの方へ視線だけ向けて、カイリは小さく微笑んだ。
「おお…やったね…」
ルイスは言われた色の瓶の蓋を開けてカイリの口元へ持っていく。
「うえ、まっず…っ、いてて…」
カイリは悪態をつきながら痛む胸元を抑えた。
「汚れていないクッションがいくつかあったので持ってきますね」
「まった、ルイスも少しあったまろう…このめちゃくちゃまずい薬が効いてくれば楽になるからさ…」
「…では、少しだけ」
言われて、ルイスは運んできた衣類や道具類を綺麗な籠へ適当に仕舞いながら焚火のそばに腰を下ろした。
「うん…」
カイリは安心したように深く息を吐いて瞳を閉じる。
痛みで苦しそうな様子をルイスは心配そうに見つめた。
馬車から川へ飛び降りた三人だったが、カイリは少しでも長く馬の方向を維持しようと手綱をぎりぎりまで握っていたために川の浅い部分に叩きつけられ大怪我を負った。
胸部の腫れや痛みの度合いから見て、肋骨が数本折れているかヒビが入るかしている。
臓器などへの損傷は見受けられないため命に関わるほど怪我ではなかったのは幸いだが、状況的に楽観視は出来ない。
ルイスはと言うと、落ちた場所が良かったのと、ユーリが庇ってくれたおかげで水面に直接接触することはなく軽い打撲と擦り傷程度ですんだ。
ユーリはどこも怪我をしていないと言って、周辺の地理や様子を確認しに森へ行ってしまった。
馬車から装具が外れてそのまま走り去ってしまった馬がどこかで落ち着きを取り戻していればカイリを安全に移動させることも出来る。
ほどなくして日も暮れるし、冷える山間で怪我人を抱えて野宿と言うのは出来れば避けたい所だ。
回収した荷物の整理が終わる頃、一頭の馬を連れてユーリが戻ってきた。
ひどく汚れてしまっているが間違いなく馬車を引いていた馬だ。
かなり疲労した様子で今はとても大人しい。擦り傷や切り傷はたくさんあるが走れないほどの外傷はなさそうだ。
ユーリはそのまま川に連れて行って水分補給をさせてやる。
ルイスは汲みなおしてきた水で布を濡らし、カイリの胸元にあてた。
さっきよりも腫れがひどく赤黒くなっている。
薬の鎮痛、解熱効果で多少の痛みは抑えられているが、傷が癒えたわけではないので息を吸うのさえ痛むだろう。こうして冷やして痛みを誤魔化すことぐらいしか出来ることがない。
川から戻ってきたユーリは馬の手綱を木にかけた。
馬はすぐにそこらの草をむしゃむしゃとむさぼり始める。食欲があれば大丈夫だ。すぐに体力も回復するだろう。
ユーリは焚火の火力が弱くなっているのに気づいて馬車の木片を取りに行ったり、飲み水を水筒に汲みなおしたりと、忙しなく動き回った。
次は何か食糧になるようなものでも、と考えていると、ルイスに袖を引っ張られる。
「ユーリ、そろそろ休んでください」
厳しい表情で自分を見上げるルイスに驚いて、大人しく焚火の前に腰を下ろした。
「はいはい」
「これを飲んでください」
ルイスは歪にへこんだ銀製のカップをユーリに差し出した。
「なんです?」
怪しげな色の液体に眉をひそめながら、ユーリは腰の刀を抜いて横に置く。
「炎症を抑えてくれる薬湯です。薬類はほどんど割れてしまっていたのですが、積み荷に葉が入っていたので煎じてみました。味は期待しないでくださいね」
「これはカイリさんに飲ませてあげてください、私は何ともないから」
ユーリは微笑んでカップをルイスに返す。
「何ともって…怪我をしましたよね?」
ルイスはカップを突き返し、さらに厳しい表情でユーリを睨んだ。
睨んだ、と言うよりは怒りながら懇願するかのような何とも形容しがたい表情。
「…鋭いですね」
どこで気付かれた?
ユーリは観念して頭をかいた。そのままカップを受け取り一気に飲み干す。
「見せてください。少し冷やしましょう」
ルイスに言われてユーリは上着とシャツを脱いだ。
右肩が全体的に赤紫色に腫れあがっている。他にもあちこち痣や擦り傷だらけの背中を見てルイスはぐっと唇をかみしめた。
「見た目は良くないけど、これは外れた肩を無理やり押し込んだせいなんで怪我自体は大したことないですよ。痛みもある程度自分でコントロール出来ますから、ほっといても大丈夫」
「でも、まったく感じないというわけではないのでしょう?」
ルイスは濡らした布をぎゅっと絞りユーリの腫れた肩にあてた。
「まあ、さすがに無痛と言うわけでは…。それにしても、よく分かりましたね。目立つ動作はしてなかったと思うんだけどなぁ」
ユーリは隠し通せると思っていたので少し悔しげに首をひねった。
「そもそも、私が水面に当たらないように庇ってくれたのに何ともないはずないです。あとはいつもより腕の可動域が狭いように見えたので…」
「よく見てますね、感心感心」
「私を誉めている場合ではありません!肩の腫れがよくなるまでは行動禁止です。もう少し休みましょう」
ルイスは呆れたように息を吐いて布をすすぎなおす。
もう一度患部の熱を冷やそうと手を伸ばすと、ユーリは服を着始めてしまった。
「ありがとうございます、冷やすのはもう良いよ。代わりにさっきのまずい薬湯をもう一杯ください」
「すぐ用意しますね」
ルイスは休憩する気になったユーリの様子に安堵して、焚火にくべた器で湯を沸かし始めた。
「…あのさー…ユーリって…やっぱり、人間じゃ、なくない…?」
「何さらっとひどいこと言ってるんですか」
ユーリは肩をぐるりとまわして上着を着直す。
「いやぁ、痛みがコントロールできるなら…死ぬ前に聞いときたいなぁと思ってさー…」
「珍しく弱気なこと言いますね」
ユーリはそう言ってくすりと笑った。
珍しく、とまるでいつもとは違うかのように表現したがよく考えたらまだ知り合って数日程度だ。なのに何故かこの王子はそんな弱気な発言はしないものだと思っていた。自分をそう見せる彼の処世術のようなものかもしれない。国や家族の事情に翻弄されてそう生きざるを得なく、そう育ってしまったのだろう。
「骨が折れたりしない体になりたいよなぁ…」
カイリは静かにふーと息を吐いて何とか痛みを紛らわそうと話を続ける。
「それもう人間じゃないでしょ。どれだけ鍛えたって暴走する馬車から飛び降りたら無傷でなんていられませんよ」
「でも、例えば…オリクトを持っていたらこんな怪我しても瞬時に治したり…そもそも怪我を負うようなこともなくなったり、しないかな?」
「さあ、治癒魔晶が得意なオリクトならば治せるのかもしれませんけど、オリクトの所有者であればむしろ怪我をする機会は増えるのでは?いろんな国や組織から狙われることになるわけですから」
「それもそうだ…どっちにしろ困るかぁ」
カイリはよくよく考え、うーんと唸った。
「ユーリ、どうぞ」
二人の話を無言で聞いていたルイスは表情には出さないようユーリに薬湯を手渡した。
オリクトの所有者が抱える苦悩と言うのは、ただ命を狙われるだけではなく、執拗で根深く、そして終わることがないのだとユーリを見ていて思う。
先ほど見たユーリの体のあちこちに残る剣や何かの傷痕の、そのひとつひとつに辛い記憶が刻まれているのだろう。
「ありがとうございます」
ユーリはにこりと微笑んで薬湯を一口で飲み切った。カップを返そうとして、ふと空を仰いで手を止める。
「?」
はっ、とユーリは目を見開き、沸いた湯を焚火にかけて火を消した。
「!人ですか?」
すぐに察したルイスは慌てて煙の立ち上る焚火の残骸に濡れた布をかぶせる。
「…一、…二…?」
数を数えながらユーリは眉をひそめて耳に神経を集中させた。
「……」
ルイスはごくりと唾を飲み込んで、出来るだけ音を立てないように、身近な荷物をまとめた。
ユーリの様子から察するに良い状況ではなさそうだ。地元の村人や狩人といった頼れそうな類ではないのは明らかである。
「運が良ければガーランド軍の見回り、悪ければさっきの追手…。二人、こっちに来ます」
「この場を離れますか?カイリさんは…」
と、カイリを見やるといつの間にか眠ってしまったか、気を失ってしまったのか、意識がなかった。
ユーリは珍しく困ったような表情で立ち上がる。
「さすがにこの怪我で担ぐわけにはいかないしな…。馬車の残骸もあるから我々がここにいたのは明白、離れてもすぐ追いつかれそうではありますね」
肋骨が折れているとすれば、下手に動かせば折れた骨が別の臓器に重大なダメージを与える可能性がある。
ユーリはどうにかコントロールして痛みを抑えている肩のことも含め、最悪の状況に陥った場合、どう対処するかを想定して考えを巡らせた。
逃げるという手段が取れないとなれば迎え撃つしかないが、二人を守りながら森での戦闘は困難を極める。最終的にはオリクトの使用も含めて…。
ユーリが刀の袋に手をかけると、ルイスがユーリの袖を引いて静止した。
「待ってください…。これは、スノウベリー…?」
何かに気付いたルイスが手元にあった作り毛と帽子をかぶり直して立ち上がる。
「何?どうしました?」
「あの、カイリさんの追手ではないと思います。ただ、もっと最悪の状況かもしれませんが…」
ルイスは風上からかすかに流れてくる果物のような香りに覚えがあるようだ。
「まさかエノテイア…」
川辺からまっすぐ、こちらに灯篭の光が二つ近づいてくる。
こちらに気付いた人影が灯篭を掲げてこちらを目視で認識すると駆け寄ってきた。
「やっほー、こんばんは、生きてるー?」
何とも気の抜ける話し方にユーリは面を食らった。ガーランドの兵士ではなさそうだ。軍の人間であれば話し方にもっとそれらしい特徴が現れる。
声質は若い男、魔力の濃い気配がすることから魔晶士であるのは間違いない。
「何とか生きてますよ」
ユーリは誰かもわからない相手に答えを返す。
「おぉ、三人生存確認!他に近辺に人はいないみたいです」
魔晶士の男は灯篭の蓋を開けて魔光を放つと辺りがうっすらと照らされた。
柔らかな表情の、カイリと同じ年ぐらいの青年が辺りを確認する。
「そう、それは何より。彼にはまだ死なれては困るからね」
後ろから遅れてきた男がそう言うと、ユーリの袖をつかんだままルイスがかすかに体を震わせた。
確信したのだろう。声だけで誰か分かる相手などほとんど特定出来たようなものだ。やはりこの二人組はエノテイアの…。
「アランドール共和国からの王太子一行で間違いないようだ」
穏やかな口調の青年がスノウベリーの香りを漂わせながら光に照らされる。
湖よりも澄んだ紺碧の瞳に、淡い金色の髪が風になびいて輝いた。




