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幻想の晶  作者: 詩乃なかば
一章
23/31

斜陽 6

 


 カイリが部屋を去って、二人の元にカイリの乳母を名乗る恰幅のいい女性がやってきた。朝食の前に外で見かけたはつらつとした年配の女性だ。

 カイリの一番の理解者と自負する乳母は、意気揚々と侍従用の様々なサイズの正装を用意してきた。

 衣装はすべて黒を基調としたものに揃えられ、落ち着いていて凛とした品がある。金糸の細かい刺繍が施された絵画のような美しさにルイスは目を輝かせた。

 従者の正装にしては煌びやかすぎるようにも見えるが、カイリの正装が真っ白な絹に金糸と紅玉の宝石などで鮮やかに彩られているそうで、丁度よく引きたて色として調和を取るのだそうだ。

 アランドールではことさら女性物の衣装は豪華さに拍車がかかるらしい。

 ルイスの髪は、アランドール人の侍従で金色は違和感があるので、作り付けの毛髪を被ることになった。栗色のふわふわとした長い毛を巻き毛にすることで首や肩の骨格や肉付きも誤魔化せる。

 更にはアランドールの風習として、未婚の女性が国外へ出る際は顔を隠す薄いベールを被ることになっているので基本的に他人に顔は見られない。化粧をするほど厳重に女装をしなくとも良いと聞いてルイスは一安心した。

 用意された衣装はどれも体の線がはっきり分からないようになっているため特に手直しする個所もなくルイスの衣装合わせはすんなりと終わった。


 続いてユーリだ。

 ユーリには先に休んでいていいと言われたが、ルイスはアランドールの刺繍に興味が湧いてそのまま見学させてもらうことにした。

 ユーリはカイリの親衛としての正装になるので女性給仕のものとは色味から異なる。少し光沢のある灰色でまとめられ、刺繍もかなり控えめだ。


 渡された衣装に着替えたユーリは酷く動き辛そうに変な歩き方で二人の前に現れた。

「腕を降ろしたら破れますね」

 と、両腕をぎこちなく上にあげたままユーリは苦笑いを浮かべた。


 腕、腰、脚の丈がどこも若干短く、まるで成長期の子供が昨年来ていた小さめの服を着たかのように肌が見えてしまっていた。

 ルイスはおかしくて吹き出した。

 子供の頃、ヴィルヘルムが同じように腕をぎこちなく上げたまま現れた時のことを思い出す。

 明らかにあちこち丈が足りなくなっているのに、養父であるエリオスに服を新調してもらうのを申し訳なく思ったのか、丁度いい、などと言い張る姿はなかなかに可愛らしく面白かったものだ。

 あの頃は変なことを言っていると思っていたものだが、養子である彼なりの遠慮や色々な葛藤があったのだろうと、今なら分かる。


 とりあえず、サイズを一つ大きい物に替えることで肩は収まった。しかし全体的にやはり短いようで、袖と裾の足りない部分に刺繍の入った同じ布を当て縫いすることで丁度良い長さに合わせて調整した。

 手も脚も長い長身のユーリはすらりとした細身の正装が良く似合う。

 見栄えする立ち姿はルイスから見てもとても格好よく決まっていて、隣に立たれたら思わず自分が恥ずかしくなってしまいそうだ。


 そうこうしている間に衣装合わせは無事終わり、最後に魔晶具とユーリの刀、ユーリに借りたルイスの短刀をどうするかと言う話になった。

 アランドール王族の従者であると言うのが一目で分かるように、魔晶具はアランドール王家の紋章が入った物でなければならない。

 乳母には晶技師を手配するので付け替えるように言われたが、まさかオリクトなので外せないとは言えず、不思議そうにする乳母にルイスは仕方なく母の形見の品で紛失しては困るので外したくないと嘘をついた。

 乳母は、カイリから二人にはある程度の配慮をするよう言われていたようで、それならば王家従者専用の装飾品と重ね付けすることで目立たないようにしようと考えてくれた。

 ユーリは袖がしっかりした造りなのでオリクトは袖の奥に忍ばせ、アランドール王家の魔晶具は胸元にブローチを飾った。

 あとは武具だ。ユーリは護衛なので武具の携帯を許されているが、相手国の居城へ入る場合は敵意はないと言うことを現すために常に紐で口をしめられた布袋に入れなければならない。

 何かあった時にすぐに抜けないと言う状況には多少の不満が残るが、携帯が許されているだけ良しとしようとユーリはしぶしぶ納得した。


 こうして数時間かけて準備を終え、簡単な作法などは道中で学ぶことにして、二人はようやく解放された。

 用意された部屋へ案内してもらい、ルイスは倒れるようにベッドに横たわった。

 甘い花の匂いが染み込まされた陽だまりでふかふかになった柔らかなシーツをまとい、羽毛で作られたさらに柔らかい枕に顔をうずめるとすぐに睡魔が襲ってきた。

 昨夜は馬の上で座ったままうたた寝しただけなので疲れが取れておらず、ひどく眠い。


「…ユーリも部屋へ戻りますか?」

 ルイスはぼんやりと天蓋を眺めながら、部屋の内装を見回っているユーリに声をかけた。


「いえ、こちらにいますよ。サーシャの居場所を突き止めておきたいので、少し集中したい。気にせず休んでください」


「分かりました、ありがとうございます…、少し、眠ります…」

 言いながら、ルイスはうとうと、とすぐに深い眠りへと落ちて行った。


 ユーリは扉と窓がきちんと施錠されているか確認し、部屋のカーテンを引いて回った。

 窓が少しでも開いたら風で分かるように香炉を焚いて窓際に置く。

 扉の取っ手には、従者を呼ぶためのベルを紐で結んで引っ掛けた。こうすれば誰かが開けようとすればベルが鳴ってすぐに分かる仕掛けだ。


 ユーリは刀を腰から抜いて手に持ち、部屋の中央に座り込んだ。

 瞳を閉じて意識をオリクトに集中させる。

 他のオリクトとの接触を覚悟の上で、隠蔽魔晶を一度解いた。


 …。

 ……。

 大丈夫だ。近辺にオリクトの気配はない。

 ビシュ参道のような異常に魔力濃度の高い特殊な土地も今のところは感知できない。

 所有者が隠蔽魔晶を使っていると当然見つけることは出来ないが、それは向こうも同じなのでひとまずは安心だろう。

 戦場となったジュラではやたらとオリクトに遭遇したが、アランドールでは警戒する必要はなさそうだ。

 これまでの経験から判明したことだが、戦の空気と言うのはオリクトを呼び寄せる性質がある。

 何かを喪ったり奪われたりする極限の状況であればあるほど人は力を懇願する生き物であり、そしてオリクトはその強い想いを欲するからだ。偶然と必然、そのどちらもが合わさった結果、そうなってしまうのだろうと結論付けた。


 ユーリは、すぅと息を吸い込んで、止めた。

 意識を左手のオリクトに集中させる。

 オリクトが瞬くと同時に意識が落ちていくような感覚に襲われ、白い靄の世界から徐々に暗い海の底のような闇の中へと変わっていった。

 ここは意識の奥底にある無意識領域。

 ここから、サーシャの無意識を探すのだ。


 この魔晶は『(げん)』特有のもので、以前ルイスやアヤにも使用した、接触した相手の無意識領域に入りこむものだ。これを応用させて、ユーリ自身が無意識下へ落ちることで一度でも認識したことのあるオリクトの所有者の無意識を特定することが出来る。

 オリクトは人間同様に個々に繋がりのようなものを形成する傾向があり、決して相性が良いとは言えないサーシャの『(ふみ)』でも、オリクト同士が長く同じ場所にいたことから縁が強く、見つけるのは容易だ。

 一度でも無意識の中に入ったことのある所有者はより探しやすく、より入りやすい。ユーリの意識を異物とは捉えず、自分の夢の一部なのだと錯覚する。

 この能力は所有者の意識を特定するものであってオリクトを探す魔晶ではないので、隠蔽魔晶で防がれることもなく相手に気付かれる心配がないのが利点だ。

 難点は、オリクトの魔晶なので対価が必要なこと、接触したことのない相手の意識は特定できないこと、あとは対象の近親者が傍にいると引き込みやすく、自意識と錯覚されて取り込まれてしまう危険がある点だろう。


 …。

 ……。

 深い闇の、遥か遠くに、金色に煌めく無数の巨大な『()』が光り輝いているのが感じ取れた。あれはヒイラギだ。

 しかし、あのどれかがヒイラギなのか、それともすべてがヒイラギなのか、もはや個人の特定が不可能なほど増えている。まるでヒイラギと言う名の意識の集合体のようである。

 ヒイラギがエノテイア建国時から行ってきた血に植えた印の呪いは、血脈を維持することで国民のほぼすべてを従属するに至っている。

 おぞましいことを考えるものだ。無意識の世界なのに寒気を感じる。


 エノテイアから少し南下する。

 無数の金色の光が邪魔して見え辛くなっているが、エノテイアのすぐ下に萌黄の光りを見つけた。『史』のオリクト、サーシャだ。

 いつの間にかテレジア近郊から今度はガーランド領へ移動している。まさか、この戦に乗じてオリクトを奪取しようとでも考えているのだろうか。

 サーシャの目的が以前と変わりなければその可能性は高い。

 ガーランド領にいると言うことは、すでに『(つるぎ)』の所有者についても把握しているはずだ。所有者の幼い『(そう)』か、或いはそのどちらも…?

 ガーランドへの潜入ついでにはっきりと確かめる必要がありそうだ。ユーリに交渉を持ち掛けてきたことと言い、場合によっては、本格的にこちらも敵対行動を取るか、この地域を離れるかの決断も下さなければならない。

 好戦的な所有者を相手にすることほど面倒なことはないのだから。


 サーシャは見つけた。あとはー…。

 ずっと西に逸れたぐらいの距離に、ぼんやりした何か二つ確認できた。恐らくビシュ参道の、イツキとノネ。霞んでいてほとんど見えない。あの土地の魔力は意識下にさえ影響を及ぼすらしい。


 そして最後に、すぐ傍で薄紫に煌めく『晶』の光り。

 ユーリは、勝手に覗いてすみませんと頭の中で呟いてから、光に手を伸ばすようにルイスの無意識領域へと意識を滑り込ませた。

 サーシャの居場所と並行して確認したかった、ルイスの無意識にある何か。それを知るために。


 …。

 ……。

 暗く、深い。どこが始まりでどこまで続いているのかも分からない闇の中。右も左も、前も後ろも分からないけれど、ただ進んでいく。

 ふいに闇が晴れて、一面に光が溢れた。

 陽はどこにも見当たらないのに、どこからか光が射している。


 夢?


 一面真っ白な浜に、薄っすらと水がたゆたう場所にユーリは立っていた。

 遥か遠くの地平の彼方に巨大な山が連なっている。


 夢にしては現実味が強い。

 何を現しているのだろう?エノテイアの水晶湖?それとも海?


 ぱしゃん、と水が跳ねる音がする。

 振り返ると、いつの間にか水面の上に大きな日傘と真っ白な机と椅子が現れていて、その椅子に誰かが腰かけていた。

 光が反射してはっきり顔が見えない。

 水面の上を掻くように歩いて近付く。


 ルイス?ではない?


 それはルイスではなかった。エリオスにも似ているような、でもどこか違う。男とも女とも取れる容姿。ルイスと同じ白金色の長い髪が風もないのになびいている。


「誰だ?」

 呟くと、その何かはユーリに向かって微笑んで椅子に座るよう手で促してきた。

 はっきりとユーリを認識している。以前ルイスの夢の中に入った時と同じだ。無意識の中でありながら意識が存在している。

 ユーリはそれを凝視したまま腰かけた。


「ここは深層?」

 ユーリの独り言のような問いに、笑みを浮かべたままゆっくりとした動作でそれは頷く。


「貴方がここで妨げている意識ですか?」

 問いかけると、それは瞳を伏せて唇に人差し指を充てた。


『認識はしない』

 揺れる水面のような静かな声が耳の奥の方に届く。


「なるほど、では肯定ととります」

 ユーリが眉をひそめていると、それは静かに微笑んだ。


 ルイスの無意識に潜む、意思のある意識。

 この深層の場所で意識させないように感覚を操作している存在と言えるかもしれない。


『何も知るべきではない。君もそう。そうでなければ、こうなった意味がない』


「こうなった意味…?それは、魔力を抑え込んでいること?わざわざ意識させないようにしているのは必要なことなんですか?」


『必要ではなく必然。なるべくしてなり、あるべくしてある。約束は途切れない』


「約束…?貴方は、ルイスの何?」


『……、ふふ、これも必然だろうか…。深層に制限をかける。傷つけたくはないから、許しておくれ』


 それは少し困ったように微笑むと、指でついっと紋様を描いた。

 視界が眩い光に覆われ、一瞬で辺りが真っ暗な闇の世界へ戻っていく。

 何かに思い切り背後から引っ張られるような感覚。

 必死に足掻いて戻ろうとするけれど、一ミリたりとも自分の意志で動くことが出来ない。

 これ以上は魔力の限界か…。



 ・・・


「!」

 ユーリは、はっと瞳を開いた。

 数回瞬きをして、ゆっくり深呼吸をする。

 ひどい頭痛だ。強引に追い出されたせいかもしれない。

 頭を揺さぶって、額の冷や汗を拭う。

『幻』が静かに瞬いて、そして光が収まっていく。まるで静かに眠りにつくかのように…。何らかの魔晶をかけられた?

 後に残るいつもと違うこの感覚は、おそらく制限をかけると言っていたあれのせいに違いない。


 ユーリは横の寝台で眠るルイスに視線を送った。すやすやと穏やかに熟睡している。


 あれはなんだったんだ?

 見てはいけないものに触れてしまったような気がする。

 無意識の中に存在する別の存在。

 あれがルイスに制限をかけているのは間違いない。

 何かの呪いか?魔晶の類?

 確かなのは、あれが人間ではないと言うこと。

 精神内においてその主の自覚を制限し、更にはオリクトの使用に制限をかける力など、聞いたこともない。誰かがルイスに何かをしたのか、現在もしているのか。

 エリオス…?は、あり得ない。ではヒイラギ?血の印の力?いや、それもおかしい。たかが印に、オリクトである『幻』に制限をかけるほどの力などあるはずがない。

 ユーリの知る限り、意識領域においては『幻』のオリクトを越えるオリクトはいない。まだ知らない未知のオリクトなのか、それとも全く別の、…。


 ユーリは頭を掻いて大きくため息をついた。

 ルイスの不可解に抑えられた意識の原因は分かった。理由は結局わからないままだが、あの深層にいた存在が”約束”としてこの状態を維持していると言うのなら、恐らく一生『晶』は目覚めることはないのかもしれない。

 つまり、ユーリにとってこれ以上の探求は無意味だ。

 このまま『晶』が使われずルイスが惨い結末を迎えないことがユーリの目指す未来であり、求める結末だ。今の状態が維持されるよう監視していればいい。何の問題も無い。エリオスを助ける手立ては何も『晶』が必ず必要と言うわけではないのだし、別の方法で探して行けばいいだけのことだ。


 ……。

 なのに、この言い表せない胸のつかえは、何だろう…。

 腑に落ちない、この感覚。


 ユーリは再び息を吐いた。




 ・・・


「……ん、ん……」

 息苦しさを感じてルイスは目を覚ました。

 随分眠ってしまったように思う。

 今は何時だろう?カーテンの隙間から覗く空はまだ暗い。

 ルイスは体を起こして背伸びをした。

 ふかふかの柔らかいベッドのおかげでいつになく体が軽い。

 ふと、人の気配がしてベッドから顔を覗かせると、ベッドの脇に体を持たれかけさせてユーリが眠っていた。


 珍しい…。寝ている姿を初めて見た。

 サーシャを探すと言っていたから、オリクトを使ったのかもしれない。対価のための睡眠だろうか。

 呼吸は浅くとても苦しそうだ。眉間に皺をよせていて表情は険しい。悪夢にうなされているようにも見える。以前、疲れるから眠りたくないと言っていた。睡眠をとるのを嫌がる理由はこの悪夢のせいなのだろうか。


 ルイスは振動で起こしてしまわないようにそっとベッドから降りた。

 室内は香炉の煙が行き場なく漂っていて、息苦しさを感じたのはこのせいだった。

 近くの窓を少しだけ開く。ひんやりとした風が静かに舞い込んできて、室内の煙をさらっていく。新鮮な空気のあとの香炉の香りが鼻に心地良く残った。

 ルイスは備え付けの水瓶から杯に水を注いで一気に飲み干した。残りの水を桶に流し込むと、布を浸してぎゅっと絞る。

 眠っているユーリの傍に寄って額の汗を布で軽くふき取った。

 こんなことで辛さを和らげることは出来ないだろうが、それでも何か役に立てることがあれば良いのに、と考えずにはいられない。

 瞼が微かに震える。額の汗が瞼に流れ、瞳から頬を沿って零れ落ちる。

 まるで泣いているようだ…。

 頬の汗を拭きとろうと、手を伸ばす。


「っ!」

 ユーリの体が震えて、突然瞳がかっと見開かれた。


「ユ…」

 ルイスは驚いて声をかけようとしたが、刀が抜ける金属の掠れる音がしたと思った瞬間には視界がぐるんと回った。

「いっ…」

 突然の衝撃に襲われ喉から声が漏れる。

 何が起きたか分からなかった。目が回り後頭部がずきずきと痛む。

 床に転がっていること、ユーリに右肩を抑え込まれていること、それだけは理解できた。


「…はぁ…はぁ…」


 視界にはユーリが迫っていた。

 自分の上に馬乗りになり、見たこともない恐ろしい形相で血のような紅い瞳をぎらつかせている。

 ルイスは視線を僅かに下に傾けると、自分の首元に刀の刃が食い込んでいるのが分かった。鋭利な刃が皮膚を裂き喉の骨で止まっている。冷たくちくちくした痛み。この刀がこのまま降ろされたら死ぬだろうと感じてルイスは息を飲んだ。


「…まだ……私を、恨んで…」

 ユーリは苦悶の表情を浮かべ体を震わせていた。刀の鍔が振動でかたかたと鳴いている。

 まだ悪夢を見ている?それとも、誰かの幻覚を見ている?

 ユーリは確かにルイスを見下ろしているのに、その瞳に映っているのはルイスではなかった。

 深い後悔に揺れる紅い瞳は哀しみを称え、綺麗とさえ思える。


『…力を使わせすぎたね…これは、詫びに…』


 どこからか誰かの声がして、急にルイスの視界がぼんやりとした。

 頭をぶつけたせいか。意識がふわふわと雲の中を漂っているような感覚に襲われる。

 右手が勝手にユーリの方へのびて、額に指が軽く触れた。ふわりと何かの紋様が浮かんだように見えた。


「……」

 徐々にユーリの瞳の色が穏やかになっていく。震えが止んで、ルイスの肩を抑えつけていた手の力が弱まる。

 何かよく分からないが、ユーリの意識が揺らいでいるようだ。

 ルイスは慎重に首にあてがわれている刃を指でつまんでゆっくりと離した。僅かな力だけで刀は素直にユーリの手からするりと抜け、ルイスはそのままそっと脇の床に置いた。


「ユーリ…?」

 静かに声をかけると、ユーリの瞳がぐるりと回って意識を失い、ゆっくりとルイスに覆いかぶさった。


「…っ…重い…」

 意識のないユーリの全体重に圧し潰されて変な声が漏れる。

 ルイスは大きく息を吸い込んで何とかユーリの体を押しやり逃れた。


「ふう…」

 どきどきと心臓が波打っている。冷汗がどっと出る。

 心を落ち着かせるようにルイスは数回呼吸をしてユーリを覗き込んだ。

 小さな寝息が聞こえる。どうやら再び眠ってしまったようだ。先ほどまでの苦しそうな表情とは違い、寝息も静かで驚くほど穏やかだ。今は対価としてではない、休息として睡眠をとれているように思える。

 良かった。ルイスは安心してほっと胸を撫で下ろした。

 ユーリの下敷きになったままの服の端を引っこ抜くと、置き去りになった刀を鞘に戻してキャビネットの上に置いた。

 濡れた布を拾ってすすぎ、首の傷を鏡で確認する。綺麗な切り傷だ。血は滲んでいるだけですでに止まっていた。ちくちくと痛むが布で軽く血を拭き取るだけでかなり目立たなくなる。

 そうして床で寝ているユーリを見下ろし、どうしたものかと考える。

 いくら絨毯が敷かれているといっても、硬い石床の上にこのまま寝かせておくのは忍びない。かと言って寝台へ上げるのはどう考えても不可能。

 ルイスは部屋を見渡してベッドの枕や毛布、長椅子に掛けられた絨毯やクッションなどをかき集めてユーリの横に敷いた。絨毯と毛布を重ねれば簡易の寝床としてはなかなかに良い出来と言える。

 ユーリの体を腕、頭、胴、足、と少しずつ順に移動させた。後は寝返りを打った時に床に当たらないようクッションを周りに敷き詰めて、枕を頭の下に置けば完璧。

 ルイスは満足そうに腰に手を当てて一息ついた。

 自分ももう一度寝るかとも考えたが、昼過ぎからずっと寝ていたのもありすっかり目が冴えてしまっている。本でも読もうかと部屋を見渡し、小さな本棚を見つけて飛びついた。サンティ城に関する歴史書やアランドールの観光書などを手にとる。

 白み始めた空の光りがカーテンの隙間から差し込んで来た。

 ルイスは穏やかに眠るユーリの横に腰かけて、クッションを背に本を開いた。




 ・・・


 瞼に陽の明るさを感じて、驚くほど自然に意識が冴えてきた。朝だと認識する。

 疲労も後悔もない。むしろ、何もかもがすっきりとして快適なぐらいだ。正しい睡眠を取ったと知覚するのに時間がかかった。

 こんなにも心地良い目覚めはいつ以来だろうか。

 久しぶりの感覚に今は瞳を開くのがもったいない気さえする。


 ユーリはふっと心の中で笑って瞳を開いた。

 差し込む陽の光を遮るように熱心に本を読んでいるルイスの影を確認すると温かい気持ちに包まれた。

「おはよう」


「!あ、おはようございます」

 ルイスは驚いた様子で、ぎこちなく挨拶を返す。


 その理由は分かっている。ぼんやりとだが、数時間前、完全に眠りに落ちる直前の出来事を覚えている。

 ユーリは体を起こして背伸びをした。

「これ、ありがとうございます。おかげで久しぶりにまともな睡眠がとれた」

 自分の周りを囲むクッションや毛布をぽんぽんと叩く。

 いつものように微笑むと、ルイスもほっとした様子で微笑み返した。

「それは良かったです」

 読んでいた本を閉じて横に置く。


 ユーリは、ルイスの首の傷を確認するように首筋に手を伸ばした。

 触れるか触れないかの距離で、首の傷をなぞる様に指を滑らせる。

「傷、浅くて良かった…。すみません、怖かったでしょう」


「!覚えているのですか?」

 ルイスは驚いて瞳を見開いた。

 あの時は完全にユーリの意識は喪失していたように思っていたからだ。


「ええ、ぼんやりと。いつもの悪夢かと思いましたが、いま貴方の首の傷を見て、現実だったと理解しました。痛む?」

 最初はいつもの悪夢だった。対価としてとる睡眠が見せる、過去の後悔を辿る悪夢だ。


 いつも何かと戦っていた。いつも誰かの血を浴びてきた。ただの肉の塊になり果てたそれを見下ろし、虚しさと哀しさで後悔しながら、終わることのない終わりを繰り返す悪夢。

 その繰り返しの中で、ふと、水面が揺れるような声が聞こえて情景が薄れた。悪夢から引き戻されたと認識したその後は、もう覚えていない。

 ルイスの深層にいたあの存在の声だったように思う。オリクトに制限をかけたことへの詫びとでも言うのか。やっていることは人ならざる存在の仕業でしかないのに、詫びなどと言う感覚がある義理堅さは何とも奇妙ではある。


 ルイスは困惑した様子で、自身の首に触れた。

「…様子がおかしかったので、きっと何か幻覚のような物を見ているのだろうとは思いました。傷はもう塞がっています。切れ味の良い刀のおかげです」

 ルイスは少し冗談を交え、何ともないように笑って見せた。


「ありがとうございます。貴方がオリクトを使用しない限り刀は向けないと誓ったのに、こんな有様で…。不甲斐ない」

 ユーリは息を吐いて頭を下げた。


「…ユーリ…」

 珍しく落ち込んでいる様子のユーリにルイスは驚いた。

 必要なことのためにオリクトを使用して、その対価に決して楽ではない睡眠による悪夢にうなされたのだ。仕方ないと言えば仕方ない。

 しかし、それをルイスが言ったところで慰めにもならないし、ユーリにとっての免罪符にはならない。

 こんなとき、何と言えば傷つけずにすむのだろうか。今のルイスでは分からない。


 そうこう考えているうちに、お互いに黙り込んでしまった。

 気まずい空気を一変するように、廊下を走る大きな足音がして、ノックも無くいきなり扉が開かれた。

「おはようルイス!起きてるー?……んん?そんなとこに座り込んで、二人で何してんの?」


 カイリだ。

 ずかずか部屋に入ってきて、不思議そうに二人を見ながらカーテンと窓を開いていく。

「ユーリの部屋も用意したのに、こっちで寝たんだ?いいなぁ、知ってたら俺も混ざったのにー」


「おはようございます。私がすぐに寝てしまって、ユーリがここにいてくれたのです。カイリさんはいつお戻りに?」


「うん、俺はちょっと話が長引いて夜明け頃に。さあ、二人とも急いで身支度をしよう。すぐ出るよ。朝食は移動しながら馬車で食べられるように用意してもらってる」

 カイリは簡単に説明しながらてきぱきとルイスの荷物や外套を籠に押し込んでいく。


「戻られたばかりで大丈夫ですか?休まれています?」


「うん、ありがと、俺は行き帰りで寝てるから大丈夫」

 カイリはそう言って笑うと、ルイスを持ち上げるように立ち上がらせた。


「俺も着替えて来るよ。支度が出来たら下へ降りてきて。持っていく荷物は全部この籠に入れてくれればいいから」

 カイリが、じゃあ、と部屋を出ると、入れ替わりで乳母がやってきて衣装を寝台に並べた。昨日合わせた正装から少し手直ししたのか、また少し豪華になったように思う。

 乳母はどこをどのように手を加えたのかを声を弾ませながら教えてくれた。


 順に着る衣装の説明を一通りすると、乳母はカイリの着替えのために部屋を後にする。

 また二人きりだ。気まずい空気に戻り、二人は無言のまま着替えを始めた。


 女性物の肌着は首のボタンが後ろついており、着慣れていないルイスは戸惑った。もたもたと止められずにいると、気付いたユーリがふふっと笑ってルイスの背後に回る。

「後ろ、止めますよ。これは一人では着辛いですね」


「あ、ありがとうございます」


「丁度隠れますね、良かった」

 ユーリは前へ回ってルイスの首元を確認する。

 首のフリルがうまく傷を隠して見えなくなった。


「本当にすみませんでした」

 ユーリは再び謝って、寝台に並んだ正装のワンピースの内着をルイスの肩にかける。


「あの、もう気にしないでください。…ひどく辛そうでしたから…何か良くない夢を見ていたのに、私が余計なことをしたのがいけなかったのです」

 ルイスは袖を通し、前身頃にあるボタンを上から留めて行く。


「………」

 ユーリは少しためらって、視線をずらした。


「…たぶん、妹の…、夢を見た…」


「妹?ユーリの?」


「実の妹ではないんですけどね、私にとっては家族の一人でした。彼女は…私の一番古い記憶の『晶』の所有者です」


「!」

 ルイスはユーリの言葉に目を見開いた。

『晶』の所有者、と言うことは…。


「人の命を奪ったのはそれが最初だね」

 ユーリはルイスが感じている疑問に答えるように着替えながら淡々と話しを続けた。

「私の奥底にある罪悪感は今も変わらずに降り積もっていて、悪夢としてその光景を繰り返し見てる。私にとっての睡眠は、対価であり戒めなんです。絶対に忘れてはいけないと言う意味を込めてね。そのせいで貴方に危害を加えるようなことになるとは思っても見ませんでした。それを言い訳にするつもりはありません、少し、力を使いすぎた」

 ユーリはスカーフを巻いてボタンを留めると、小さく息を吐いた。


「…あの…私は、何と言って良いか…すみません、気の利いた言葉もかけられない自分がもどかしいです…」

 ルイスはボタンを留め終わると両手をぎゅっと握りしめる。


 優しい眼差しで、ユーリは小さく首を振った。

「良いんです。今のは私が言いたかっただけなので、貴方が知っていてくれるだけで私の気持ちは軽くなる。素敵な寝床を作ってくれたおかげで何年ぶりかのちゃんとした睡眠もとれました。眠ると言う行為がこんなにも心地良いものだと思い出せましたから。ありがとうございます」

 ユーリは上着を手に取って、ルイスの肩にかけた。

 嬉しそうに微笑みながらボタンを留める。


「もし…ユーリがうなされていたら、また同じようにします」

 いつも以上に穏やかなユーリの表情に、ルイスはユーリを見上げてきゅっと唇を閉めた。

 意味があっても、なくても良い。ユーリの役に立てる機会はとても少ないのだから。ならばその一つ一つを、少しずつ確実に増やしていければ良いと思った。


「また貴方に危害を加えるかもよ?」

 ユーリはルイスの首元のリボンを結びながら、冗談をこめてくすりと笑う。


「それでも、良いです。それでユーリが眠れるようになれるのなら。でも次は、刀は手元から移動させておこうと思います」

 ルイスは自身満々に瞳を輝かせて頷く。


「それは…」

 ユーリはしばし考えた。

 まず刀に触れようとする者がいれば気配を察知して先に体が動いて刀を抜いてしまう。相手を認識する前に、刀を奪う者は敵だと無意識に反応しまうからだ。

 けれど、何故かルイスなら大丈夫かもしれないと、そんな気がした。夢に惑わされても間違えて襲わないと思う。あくまでもそんな気がするだけでしかないけれど、自信があった。ルイスの傍で眠れたからかもしれない。

「そうだね、それが良い」

 ユーリは、ルイスに帽子を被せると、意味深げに微笑んだ。



 仕度が終わり外へ出て荷物を運ぶ。

 豪華な王族用の特殊な形をした馬車と、荷物用の馬車、そして親衛用に二頭の馬が用意されていた。艶やかな毛並みに手入れされた馬にはこれまた豪華な鞍が乗せられている。

 ジュラの馬より大きく、毛も明るい栗毛だ。ルイスはスカートをたくし上げ、慣れないヒールの靴で馬に走り寄った。

「こんにちは、今日はよろしくお願いしますね」

 つぶらな瞳が可愛らしくじっとルイスを観察している。

 ルイスは自分は敵ではないと認識させるように優しく首を撫でた。


 従者たちが荷を載せ終える頃、準備を終えたカイリが出て来た。

「はー…お待たせー」

 黒地の布に黒い絹糸の細かな刺繍がほどこされた移動用の正装だ。金糸の刺繍は要点で施され、黒だからこそ映える落ち着いた美しさは品がある。


「おぉー!ルイス!やっぱ黒にして正解だ!予想通り」

 カイリはルイスの全身を眺めると胸を弾ませて走り寄ってきた。


「喜んで良いのか複雑です」


「何で?とても綺麗だ。美しいものに男とか女とか年齢も何も関係ないよ」

 カイリはルイスの帽子をとり、乱れた前髪を横にすいて息巻いた。


「そう言うものですか…」


「そう言うもん!さ、皆準備はいいか。ルイスは俺と同じ馬車ね。ユーリは?」


「私は馬ですか」

 ユーリが馬の手綱を引いて背後から現れた。

 きちんと整えられた正装に、逞しい馬を引いて歩く姿はまさしく親衛のようだ。


「俺が先頭を行くからおまえは馬車の後方の警護だ。カイリの見る目を買ってしんがりを任せるからな。頼むぞ」

 赤栗毛の愛馬を伴って現れたラージャは、ユーリの肩を叩いて後方を指差した。


 背の高い二人が並ぶと威圧感がすごい。佇まいはまるで一枚の絵画のようで見惚れてしまう。見送りの女性人からも歓声があがっている。

 カイリの見送りなどそっちのけで眼差しは二人にくぎ付けだ。


「ユーリも似合ってるなぁ!誰の見送りなのか分からなくなってる雰囲気にはイラッとするけど」

 カイリは周りの様子を見渡して顔を引きつらせた。これだから女受けする顔の良い男は、などとぶつぶつと愚痴をこぼす。


「気を付けてくださいね」

 ルイスはユーリに声をかけ、カイリと馬車に乗り込んだ。

 ユーリはルイスに手を振って返事をする。

 馬車にはルイス、カイリと、カイリの乳母が乗り込む。

 ラージャは馬車の扉を閉めると、馬に飛び乗った。


 さあ出立だ、と言うラージャに、ユーリは驚いて辺りに視線を滑らせた。人数の少なさに眉をひそめる。

「親衛は、私と貴方だけ?随分手薄な警護ですね」

 ユーリとラージャ以外、周りにいる者たちのほとんどが普段着の見送りと、準備を手伝った従者たち。王族の、国をまたがった移動とは思えない。


「いや、ガーランドの国境であいつの兄貴の私兵と合流する。ガーランドからの要請で人数に指定があるからな、俺らカイリ側は人数を削るしかなかったってわけだ」


 そう言うことか、とユーリは察した。

「兄の私兵?…ふうん、さては仲が悪い?」


「そこは察しろ」

 ラージャは頭を掻いて馬の手綱を引いた。





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