斜陽 3
翌日。
ルイスとユーリはマルシュの部屋へ呼び出された。
二人が部屋に入ると、寝台に座るマルシュと、脇には眼帯を付けたフリンが控え、向かいの椅子にはイツキとアヤ、そして…。
「お二方、お呼び立てして申し訳ない。紹介しようこちらは…」
「私はビシュ参道の代表を務めるレーゲン・オルタンシア。お見知りおきを」
壁際のソファーに腰掛けた男性が手をあげてマルシュの言葉を静止した。
レーゲンは二人に向かって軽く頭を下げる。
「初めまして、私はルイスと申します。こちらは護衛のユーリです」
ルイスも軽く会釈で返す。
レーゲンは、長い藍鉄色の髪を後ろで一つに束ね、優しげな目元を飾るほくろが印象的なマルシュよりもずっと年上の中年男性だ。落ち着いていて柔らかな声色は耳心地が良い。
「驚いたな、そこの彼以外は子供ばかり…フリン、子供に助けられるとは随分と腕が落ちたようだ。政務に明け暮れて鍛錬を怠っていたのではないかね?」
レーゲンは微笑みながらも厳しい眼差しでフリンを見据えた。
「お恥ずかしい限り…弁解の余地もございません」
フリンは悔しそうに瞳を伏せる。
「先生、テレジア陥落は私の責任。ガーランドの密偵を見抜けぬ私の眼が曇っていたせいであります。彼らは幾度も忠告してくれていたのにどこかに慢心があった。どうかフリンを責めないでやってください」
「ふむ。己の非を認められるのならばまだそこまで腑抜けてはいないようだな」
「あの…三人は…?」
アヤはマルシュとレーゲンの思わぬやり取りに目を瞬かせた。
「ああ、すまない、レーゲン殿は私たちの師匠でもあるんだ」
「ほう」
師匠と聞いて、ユーリは興味深げにレーゲンを凝視する。
「もうずいぶん前に引退したがね」
視線に気付いたレーゲンが右腕を少し上げてさすった。
ぎこちない動きに、肩をさする動作。腕があれ以上は上がらないことを意味しているようだ。
肩や腕の可動域が狭まることは武術を嗜む者としては致命的な欠陥となる。
更にそれが利き腕となれば武人としては死んだにも等しい。衰えを感じさせない体の動きや雰囲気からするに、何らかの怪我が原因で引退を余儀なくされたのだろうとユーリは思った。
「ではさっそく話を聞かせて頂こうかな」
レーゲンは座り直し、ルイスとユーリの方へ体を向ける。
「?」
意味が分からずにルイスは答えに困った。
「君と、アヤのオリクトのことだ。私には分からないが、院に優秀な魔晶士がいてね、丁度、私が院にいる時に君たちが転移をしてきたと教えられた。アヤが言うには君のオリクトに助けられたそうだが?」
「ああ…。そこまで分かってるなら話すまでもなくないですか」
ユーリは眉をひそめて頬を掻いた。
振り返ったアヤが申し訳なさそうに目をぎゅっと瞑る。適当なことを言ってごめんなさい、と謝っているようだ。
ルイスは、大丈夫、と笑顔で合図をするとレーゲンに視線を戻した。
「あの時、私たちが政務室に駆け付けた時には負傷者がいて応戦することは得策ではありませんでした。階下には王国軍の本隊も迫っており、私の判断でユーリに転移での戦域からの離脱をお願いしたのです。申し訳ありませんがそれ以上の詳しい内容はオリクトに関わる情報ですので黙秘させて頂きたいです」
ルイスは本当と嘘をうまく混ぜてすらすらと述べた。
こういう時、動揺せずに毅然とした態度で対応できるのは貴族ならではの長所だ。
「先生から聞いた時は半信半疑でしたが…まさか、本当にアヤに、貴殿までもオリクトを…?」
マルシュとフリンは驚いて顔を見合わせた。
二人は実際にオリクトそのものも、その所有者を見るのも初めてだ。
唯一情報として知っているのがエノテイアとガーランドの国宝である『環』と『剣』ぐらいで、それが突然、しかも聞いたこともない名前の国宝級の魔晶石がこんなにも身近にあることに動揺を隠せない。
「ふむ。私としてはその黙秘部分を聞きたかったわけだが、そちらが話す気がないのであればこれ以上は追及しないでおこう」
レーゲンは冷静に返して足を組み直した。
「すみません」
どこか含みのあるような言い方だ。何か気付いている?それとも、何か知っている?
ルイスは努めて自然にレーゲンの様子を観察した。
「先生、オリクトについては他言出来ないこともありましょう。アヤも、話したくとも話せずにいたのだろう?辛かったろうに…。私は本当に己の周りのことでさえ何一つ気付けずに、すまない…」
マルシュは己の不甲斐なさに落胆し肩を落とした。
「落ち込むのは一人の時にしなさい。君がその様で一体どうやってテレジアを取り戻せる」
レーゲンはきつい口調でマルシュを諭した。
「失礼いたしました」
マルシュは唇をぎゅっと噛みしめると、決意を込めた瞳でルイスとユーリを見据えた。そして、引き締めるように咳払いを一つ。
「ルイス殿、ユーリ殿、我々はこれから、ベリゴールに集結している連合軍とともにテレジア奪還の作戦を立て実行するつもりであります。貴殿らがこの後もアヤたちと共に行動されるのであれば、これからもお知恵を拝借できればと…」
ユーリはちらりとルイスを見て、ルイスが答えようとする前に先に口を開いた。
「テレジアを取り戻す手伝いでしたらお断りします」
「いえ、そこまでして頂こうとは、…我々としてはアヤたちの傍にいるだけでも…」
マルシュは言いながら、レーゲンに視線を送った。
「断る?では何故この子供らと共に行動をしようと?私には内情だけを知ろうとしている密偵ではないのかと思える。人助け気分でテレジアの代表を救ってくれたのであれば、感謝を述べ、代表の一人として謝礼をお支払いする。これから連合はガーランド王国と全面戦争となるだろう。無関係でいたいのであれば早々にこの場からお引き取り頂きたい」
レーゲンはソファーの肘掛に肘をついて最もらしい事を淡々と述べる。
「要するに、関わるつもりなら働けってことですか?」
ユーリが強い口調で返す。
「そうではない。他国のオリクト所有者と言うだけでも厄介なのに、素性の知れない者を重要な要人が絡む場に置いてはおけないだけだ。マルシュが君たちをどれほど信頼していようともそれはテレジアでの話。私は参道の代表として、連合と言う国を動かす一人として、あらゆる懸念は排除しなければならない」
「一理ありますね」
ユーリはうーんと腕を組んだ。
「…レーゲン殿のおっしゃる通り、私たちの立場が曖昧であることは理解しています」
レーゲンの言うことは理解できる。
基本的にオリクトの所有者は、エノテイアのような大国を除いて敬遠されることのが多い。
仲間内であれば心強いが、そうではない部外者はただの厄介者。抜き身の剣を持って闊歩するようなもので、いるだけであらゆる危険要素を招き、あらゆる負の連鎖を引き起こす要因となり得る。
一つの国の内政に関わりすぎている現状が良いものではないことはルイスもユーリも重々理解している。
「あの!ユーリはオリクトや魔晶に詳しくて色々教えてもらえるし、ルイスは物知りで先を見通して行動してくれるから、僕らにも連合にもきっと必要だと…思うんだけど…」
イツキが手を挙げて口を開いた。
「うん、イツキの言うとおり。私が言っても説得力はないかもしれないけど、二人は信用できる人たちです。なんの得もないのに私たちのことを何度も助けてくれたもの」
アヤも息巻いて頷く。
「イツキ君、アヤさん…」
二人の言葉に、ルイスは嬉しそうに目を細めた。
「先生、お二人はイツキとアヤを守り支えてくれる存在です。先ほどもお話ししましたが、ガーランドにはオルガノ王の意思ではない何らかの思惑が潜んでいると思います。アヤがオリクトを所有しているのならば尚更、二人を守ると言う意味でもオリクトに詳しい彼らに傍にいてもらえた方が…」
「その思惑については我々も危惧している。…やれやれ、揃いも揃って口をそろえて…これでは私が意地悪を言っているようではないか。仕方ない、ひとまず譲歩案としよう。君たちの存在については連合から切り離す。その上で、イツキとアヤが個人的に彼らを雇うのであれば現状のままでも構わないと思うがどうだろうか」
「二人の護衛と言うわけですか。悪くない立場ですね」
ユーリはふむふむと頷いた。
「えぇ、雇うの?!お金もってないんだけど…」
イツキは袋をまさぐり不安そうに呟く。
「それぐらい、マルシュに小遣いをもらいなさい。それで彼らを護衛として君たちが雇い入れることで、連合内での行動を許可する。仕事の一環としておけば、状況を把握するぐらいの自由行動は誰も文句を言わないだろう」
「護衛とは、つまり私たちはお金を頂けるのですか?仕事として?」
ルイスは身を乗り出してレーゲンに聞き返した。
「そうなるね」
あまりのルイスの食いつきっぷりにレーゲンは思わず失笑する。
「それはこちらとしてもとてもありがたい申し出です!ね、ユーリ!アヤさん、イツキ君、よろしくお願いしますね」
「うん、よろしく」
「お願いしますね!」
ルイスたちは嬉しそうにうきうきと胸を弾ませ手を取り合った。
護衛と言う言葉の重さとは不釣り合いな雰囲気だ。子供のごっこ遊びを見ているようである。
レーゲンは三人の様子を訝しげに見つめた。
「何か?」
ユーリがレーゲンの視線に気付いて問いかける。
「いや。子供らが年相応の明るさを取り戻しているので安心しただけさ」
そう言うとレーゲンはユーリに含みのある笑みを向けて、立ち上がった。
「マルシュ、ガーランドがベリゴールにまで侵攻してくる様子が見られないことから早急なテレジア奪還へ向けた進軍の声は多い。策を検討しなければならないから私はベリゴールへ行って話し合ってくるよ。フリンはまだ動けるだろう?マルシュの代理として借りて行く。すぐに馬の手配を」
フリンは、はい、と頷くと、マルシュに会釈をして部屋を後にした。
「先生、申し訳ない。お願いいたします」
「それと、残る子供たち…、イツキはビシュ院へ行き魔力の浄化を行いなさい。循環が滞っているから治した方が良い。アヤはマルシュの政務の手伝いを。護衛の君たちは早速イツキのお守りとして一緒に院へ行ってもらおう」
「あ、はい、お任せください」
「……」
ルイスは二つ返事で頷くが、ユーリは険しい表情で返した。
それに気付いたレーゲンはユーリに近づいてそっと耳打ちをする。
「君は、ユーリと言ったか。ルイス君は変わった体質のようだね。今の状態には何か理由があるのだろうから私からは何も言わないでおくよ」
「……」
ユーリはぴくりと眉を動かした。
オリクトの転移を感知した魔晶士とやらが何か気付いたのか?
レーゲンは意味深な言葉を残して部屋を去って行ってしまった。
「レーゲン殿は何のお話を?」
様子を見ていたルイスが横から不思議そうに顔を出す。
「貴方の事を心配してる風でしたよ」
「私を?何故でしょう?」
ルイスは目を瞬かせた。
「さあ…」
ユーリは去って行ったレーゲンの後を無言で見つめた。
・・・
ヒショウ山道 ~ ビシュ院
マルシュとアヤに見送られ、三人はビシュ院のある山頂へ向かっていた。
山道と言っても綺麗に石畳が敷かれ、坂もそれほど険しくはない歩きやすい道程だ。とは言え、参道内とは違い屋根がないので足元は濡れており滑りやすいので注意はしなければならない。
ヒショウ山は、セキテイ山脈、ノーズ山脈から連なる兄弟山の一つで、ジュラ連合とバリアント大地を隔てる国境にもなっている。標高はセキテイ山脈よりもずっと低いが、それでも上へ行くほど空気は薄い。
所々の高低差の激しい坂には階段も造られていて、歩き方にも気を遣わねばならないので体力はあっという間に削られてしまう。
イツキは息苦しくなるのを感じ立ち止まって深呼吸をした。
気付いたルイスが声をかける。
「大丈夫ですか?」
「ん…なんか、すごい疲れてきた。息がしづらくて」
イツキはふう、と息を吐くと鼻から深く息を吸い込んだ。
「少し休憩しましょうか?」
心配そうにルイスが背中をさする。
「ありがとう、でも大丈夫…」
「今は循環が行えていないから余計に苦しく感じるのかもしれませんね」
ユーリはそう言って雨と靄の中の向こうに見える景色に目を凝らした。
白と緑の隙間にちらりと青色が抜けて見える。
「ああ、青空が見えた。この雲を抜ければ山頂みたいですよ」
「え?山の上は晴れてるの?」
ユーリが見つめる先をイツキも見つめてみる。雲の動きが早く青空はすぐに隠れてしまった。
「雲を抜けた先からは素敵な景色が見られそうですね」
「うん、楽しみ」
ルイスとイツキは顔を見合わせて瞳を輝かせた。疲労は好奇心に掻き消されて足取りも軽くなる。
「無邪気なことで」
ユーリはそれを眩しそうに眺めた。
残りの山道を登り切り、木々の合間を抜け階段を上がり切ると、一瞬で雲から抜けた。
これまでとは全く違う景色が広がる。
雨の降りしきる瑞々しい空気から一変し、からりと乾いた温かい風が頬をなでる。辺りは新緑と花の甘い香りに包まれていた。
その先に紺青色の門が大きく口を開いて佇んでいる。
「はぁー」
ルイスは目の前に広がる色彩豊かな景色に感嘆のため息を漏らした。
「……」
その後ろで、ユーリは立ち止まって目を見開いた。
ぞくりと背中を何かが駆け上がるような感覚。これはオリクトだ。間違いない。
もしやとは思っていたが、レーゲンの言っていた院の魔晶士はオリクトの所有者のことだったようだ。
気配を探れないので確信はなかったが、いかに優秀な魔晶士であっても自然魔力の溢れるこの地帯にいてオリクトの転移を感知したなど妙な話だとは思っていた。
それがオリクトの所有者であるとすれば何も疑問はない。
所有して間もなく知識も経験も無い、何の細工もされていないイツキの転移の魔晶から『争』の気配を感じとるのは容易なことだっただろう。
ユーリはサーシャの一件以来オリクトの魔力を他の所有者に感知されないための隠蔽を行っていたが、いつの間にか参道の自然魔力によって掻き消されていたらしい。オリクトがうまく機能していないとは思っていたが、山間を抜けて山頂に到達するまでそのことにも全く気付いていなかった。
ここへ来るまで院に存在するオリクトに気付けなかったのも、やはり自然魔力によって向こうのオリクトの気配が遮断されていたせいだ。
これならばエノテイアの工作員やオリクトを狙う不逞の輩に気づかれることはないだろう。自然魔力と言う強固な壁に隠すことで自治区と言う小さな組織は外界に知れ渡ることなくオリクトの存在を守れていたに違いない。
向こうもユーリの存在を認識しながらも、特に干渉してくる様子はない。無反応なことに若干の気味の悪さも感じながらも、ユーリはルイスたちに続いて門をくぐった。
ビシュ院の中は、ここが山の上とは思えないほど綺麗に舗装された石庭が広がっていた。立派な梨にベリーの樹木、蓮の葉が浮かぶ池は底が見えるほど透き通っており、淡水魚が気持ちよさそうに遊泳している。
庭には果樹園や池の手入れをする人、何かを運んでいる人、見回りをしている守衛と、誰しも参道と同じような特有の衣服をまとっていた。ルイスたちのような部外者はすぐ目に付く。
三人は物珍しそうに辺りを見渡しながら、中央に佇む藍色と朱色で彩られた巨大な建物へまっすぐ進んだ。
三人の来訪を知っていたように、院の入り口には出迎えの侍女が二人、立って待っていた。顔が目視できる距離まで来ると彼女らは一斉に腰を折って頭を下げた。つられてイツキは会釈を返す。
「出迎えのようですね」
「へえ、大層なことで。レーゲンさんにこちらへ行けと言われて来ましたよ」
顔をあげた侍女にユーリが声をかける。
「ようこそおいで下さいました。イツキ様と護衛のルイス様、ユーリ様でございますね、代表よりお話は伺っております。皆様方の案内を仰せつかっております」
侍女らは三人の顔を確認すると再びお辞儀をした。
「歓迎に感謝いたします」
ルイスはそう述べてにこやかに微笑んだ。
どうも、とイツキは再びつられて頭を下げる。
「…?」
ふと、ただ微笑んでいるルイスとユーリを見て、イツキは自分だけが作法を間違えたのか不思議に思いながら一人で恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。
「それではこちらへどうぞ」
背の高い侍女が先頭を進み、もう一人はユーリの後ろの一番後方に付いた。
ルイスは先頭の侍女に続いて院の中へと入る。
「どうしました?神妙な顔して」
どこか変な様子のイツキにユーリが声をかける。
「あ、えっと、僕が頭下げるのって変だったかな?」
「んん?何故?別におかしなことではないでしょ」
「そっか、なら良いんだけど…」
ユーリは不思議そうに目を瞬かせて、ああ、そうか、とイツキが何を言いたいのかを理解した。
「応対の仕方は人それぞれ、イツキ君は自分が思うようにすれば良いと思いますよ。ルイスは生まれつき一般的常識には当てはまらないだけなんで気にせず。ちなみに私は人様に頭を下げる気のない不躾な人間なんで、それも気にせずに」
ユーリは面白おかしく言ってにやりと笑みを浮かべた。
「自分で言っちゃうんだ」
イツキは噴き出して笑った。
院を中央の廊下をまっすぐ進み、左右に分かれ道で侍女は右手へ曲がる。ルイスとイツキも建物の物珍しさを話しながら続いて曲がる。
ユーリも角を曲がりかけて、ふと何かに呼び止められたような気がして足を止めた。
「…?」
振り返ると、左手側に伸びる回廊に子供が二人立っていた。
二人は並んでゆっくりとユーリの方へ近づいてくる。
「なるほど…」
存在を認識した瞬間、ぞわりと悪寒が走った。この子供だ。オリクトの所有者は。
ユーリの後ろにいた侍女も子供たちに気付くと深くお辞儀をして横を通り抜けルイスたちの後を追って行った。
子供はユーリの目の前まで来るとにこりと微笑む。
「君か、オリクトは」
目で、肌で、感じる。向かって右の子供が所有者だとはっきりと分かる。
これはユーリの知るオリクトのどれとも違う気配をしていた。それなりに長い人生を歩んでも、まだ見たことがないオリクトが存在しているのはいっそ恐怖ですらある。
「うん。僕はノネ、妹のネイヒ」
所有者である向かって右の、長い髪を後ろに編んでいる子供が答えた。大きな漆黒の瞳はじっとユーリを見つめて観察している。
十歳ぐらいの幼い子供だがオリクト所有者の外見年齢は当てにはならない。
ユーリにも言えることだが、所有者のほとんどは生命力に溢れたある一定の範囲内から年を取らなくなり、その後は所有が外れるまで一定の年齢のままでいることが多い。オリクトから与えられる魔力によってその状態を維持し続けるからだ。
「ユーリです」
他の所有者とあまり親しくするつもりはないユーリはそっけなく返した。
イツキのようなオリクトを手にして間もない者とは違い、それなりの期間を所有している者は敵なのか味方なのか、あるいはそのどちらでもないのかを判別する所からなので面倒だ。名前を知る程度の距離を保つのが最適と言える。
オリクトの所有者の特徴として、ユーリのような他者に無関心な一人者を除外すると、その本質は主に二種類に分かれる。
ヒイラギやサーシャのような他のオリクトをも手に入れようとする強欲な野心家と、望まず所有者となり絶望している者だ。
前者は特に攻撃的で己の理想を押し付けて来ることが多く、遭遇するだけでも非常に厄介な相手である。基本的に関わるとろくなことにはならないのでユーリは避けて通るようにしている。
後者は、時に周りに利用されるだけの哀れな存在になりがちであるが、絶望に囚われすぎるとあらゆる物の破滅を望む狂人になりやすくもあるので、これも人によっては非常に危険で面倒だ。
「ユーリは、オリクトの声を聞こえなく出来るんだね。ここに来るまで気付かなかった。テレジアのもぞもぞする声と似てる」
「声?」
独特の表現にユーリは首を傾げた。
「僕は目が見えないからオリクトの魔力を声で聞くの」
「ふうん」
ユーリは興味深げにノネの瞳の奥をじっと見つめた。
確かに、ノネは一見自分を見ているようで、焦点はどこか遠くを見ていて視線が合わない。漆黒の瞳は光の届かない井戸の底のようにも感じる。
「ネイヒが僕の目になってくれる。ネイヒは耳が聞こえないから僕はネイヒの耳」
ねっ、とノネが隣のネイヒに言うと、ネイヒは応えるように微笑み返した。
「で、私に何か用ですか?」
「違う、ユーリじゃない。あの子を呼んだの。でも気付かないみたい。聞こえないはずないのに何で?」
不思議そうに首を傾げるノネに、ユーリは眉をひそめた。
イツキ?それともルイスの事か?
「あの子って誰?」
「印のふりしてる子じゃない方。金色の子?すごく小さいけどすごくはっきり聞こえる。でもすごく不思議」
ルイスか…。
『晶』のオリクトだけでなく、『争』の偽装も見破っているとは…。ただの子供に見えるがやはり侮れない。ユーリは警戒心を高めた。
「何が不思議なんです?」
「聞こえてるはずなの聞かないようにしてる。聞こえないふりじゃなくて聞こえないって思ってる」
「思ってる?オリクトが?」
「うんん、あの子が。オリクトはあの子が分かってないから同じようにしてるのかも。よく分からないけど…」
「……」
それはきっと魔力が無いと思い込んでいるせいだろう、とユーリは思った。
「でもきっとそうしなきゃいけない理由があるんだよね。オリクトもそうしてるんだもん。『幻』のユーリなら中に入れば分かるのかもしれないね」
ノネは意味深なことを言いながらユーリを見上げた。
ユーリが眉をひそめていると、
「ユーリ」
背後から呼ばれて、はっと振り返る。
ルイスか。
「気づいたら後ろにいないので驚きました。えっと…?今、どなたかと話をしていましたか?」
ルイスは不思議そうにあたりを見ながらユーリの方へ駆け寄ってきた。
「すみません。いやぁ、見たことのない造りの建物なのでつい見入っていまして」
ユーリは背後のノネたちの気配が消えていることに気付いて適当な嘘をついた。
「ずっと一人でしたか?」
「もちろん一人ですよ」
ユーリはきっぱりと言い切って微笑む。
まだノネのオリクトも、接触してきた目的も分からない。敵か味方かも分からない相手をルイスと対面させるのは危険だ。
幸い、向こうも踏み込む気がないようなので消えてくれて良かった。
「すみません、話しているような気がしたので…。えっと、足のみの沐浴が行えるとのことで、私たちにも別室をご用意してくださるそうです」
ルイスはユーリが誰かといたような違和感を覚えながらも、気のせいかと話を変えた。
「おお、それは良いですね。足の疲れに効きそう」
ユーリは嬉しそうに答え、ルイスが戻って来た回廊の方へ踏み出す。
「案内してくれた方もそうおっしゃっていました」
ルイスは通路の向こうに一度だけ視線を送り、ユーリの後に続いた。
・・・
ルイスたちは院での沐浴を終え、イツキを残し先にヒショウ山を下山した。
イツキの魔力の浄化が思ったよりも進みが悪く、しばらく院に留まり浄化を行うことになったからだ。
初めから数日かかる可能性も見越したレーゲンが、イツキが下山する際は院の守衛が付き添うよう手配してくれていたおかげで二人は気兼ねなく下山することが出来た。さすがは参道の代表を務めるだけはある、抜け目がない。
二人は下山するとアヤとマルシュの部屋を訪れ、イツキの様子について報告をすませた。
イツキが泊まり込みとなったことでアヤは心配そうだったが、マルシュが院への訪問許可を取る提案をすると、アヤはルイスたちが行った足の沐浴の話に目を輝かせた。
そのまま四人はマルシュの部屋で食事をすませ、ルイスとユーリは自室へと戻った。
「沐浴のおかげで足の疲れがすっかり取れましたね」
ルイスは外套を棚にかけ上着を脱いだ。一息吐いて寝台に腰かける。
「そうですね…」
空返事だ。ユーリは寝台に寝そべったまま天井を見上げて考え事をしている。下山中も何かずっと考えている風だった。
「何か気になることが?」
ルイスが問いかけると、ユーリはうーん、と顔をしかめて体を起こす。
「明日、ベリゴールへ行ってみませんか?」
「え?」
突然の提案にルイスは驚いた。
「ルイスも連合の話し合いとやらは気になるでしょう?」
「え、ええ、もちろん気にはなりますが、私たちはアヤさんとイツキ君の護衛を任されて滞在することを許可して頂いたのに…」
「参道内で警護は必要ないよ。じゃあ、二人の護衛として彼らの代わりに情報を集めにいくってことでどうです?」
「情報収集ですか…」
ルイスは渋った。
イツキは院に泊まり込んで魔力の浄化を行っているし、マルシュも身動きが取れる状態ではない。参道には守衛や私兵もいるが半数は連合の招集によってベリゴールへ赴いており、かつ代表のレーゲンも不在であり参道の守りは万全とは言い難い。
「ルイスは何でベリゴールに行きたくないんです?」
「いえ、行きたくないわけでは無いのですが、ガーランドの動向が分からない状況で参道を離れることに不安があるだけです。『争』の件がどうなったのかも気になりますし」
「つまり状況が分かればいいわけですよね?」
「それは、そうですね…」
ルイスはベリゴール行きに熱心な様子のユーリを少し訝しんだ。
これまで二国の戦には極力関わらないようルイスに説いてきた側のユーリが、今度は積極的に戦況を探りに行こうと言っている。
ガーランド軍の動きはジュラ連合からマルシュに報せが入るのでまったく分からない状況と言うわけではない。わざわざ自ら赴いてまで何を知りたいのだろうか。
「参道は魔力が強すぎてオリクトが機能し辛いんです。エノテイアの追手のこともありますし、状況を把握できない状態のままでいるのは危険です。テレジア付近にいたサーシャの目的も不明瞭なままですから」
「…サーシャさんですか…」
ユーリが毛嫌いしているらしい『史』のオリクトを持つ幼馴染の女性だ。何故ここでサーシャの名が出て来るのだろう。
彼女が以前テレジアの森で、ユーリに何か交渉を持ちかけていたことは二人の会話の内容からも察している。それについてユーリは何も話してはくれず、もう会わない、会いたくないと言っていたのでわざわざ話すような内容ではないのだろうと思い、あれ以来気にしないようにしていたが…。
もしこのままユーリが望むように実際にベリゴール行けば、この疑問は解消されるだろうか?と、ふと考えてしまう。
考えてしまうと、気になってくる。気になってしまうと、途端に探究心が勝る。
「参道をあけることが嫌であれば無理強いはしませんよ」
「いえ、そう言うわけでは…」
ルイスは考え込んだ。
ユーリの言うことも分かる。状況が明確に把握出来れば次の動きへ先手が打てるし、あらゆる可能性を想定し対策することが出来る。
ガーランドが『争』をどのように扱っているのかが一番気になるところだ。
あの転移はかなり大きな規模の魔力の変動を起こした。
魔晶を探知させない術を施したものではないから、それなりに勉強した魔晶士であれば残留魔力などから変動の規模を量り、その量からそれが転移の魔晶だと確定することが出来る。そうなれば、当然転移の発動者がオリクトの所有者と言うことは簡単に紐付けられる。
ガーランドがそれをどう受け取り、そしてどうエノテイアを動かそうとするのかも含めて確実な情報を得なければならない。
場合によってはエノテイアの介入を含めてルイスは連合と話し合う必要も出て来るかもしれない、或いは身の安全のためにもジュラから出国しなければならないか…。
受け身の体勢のままでいることは確かに危険だ。
ルイスは数秒考えを巡らせた後、ユーリに向かって頷いた。
「分かりました、ベリゴールへ行きましょう」
「!さすがルイス!ありがとうございます」
ユーリは満足そうな声を上げると微笑んで立ち上がった。
「一応マルシュさんに話を通してきますね。馬が借りられないかも聞いてきましょう。そのあと参道の見回りついでに明日の準備もしてきますのでルイスは先に休んでいてください」
「は、はい、分かりました」
ユーリは一息で話すとさっさと部屋を出て行ってしまった。
ルイスは目を瞬かせ、息をついた。
やはりユーリにはガーランドの動向とは別の明確な目的がある。恐らく聞いても応えてはくれないだろうから注意深く観察してみよう。
などと考えながらルイスは上着を脱いで寝支度を始めた。
「…あ…」
服を畳んで鞄にしまおうと中を整理していて、はっと手を止める。
鞄の奥に押し込まれた人形をそっと取り出した。
毛糸の髪は焼け焦げてちぢれ、体もあちこち煤で黒ずんだままだ。持ち主の手から離れ、永遠に返すことが出来なくなってしまったかわいそうなメルの人形。
ここまで、カイネとメルのことは考えないようにしていた。
恐ろしさに手が震えてしまうから。哀しくて前に進めなくなってしまいそうだから。最期の光景を思い出さないようにずっと人形を鞄の奥に押し込んでいた。
あの日、迫りくる異変を感じてから、わずかな時間でテレジアは火と人ではない恐ろしい何かに飲み込まれて崩壊した。
本当に一瞬だった。たくさんの人が死んだ。
動揺している間に火は燃え広がり、考えている間に建物は崩れ、何も出来ないと悟った時には小さな命は瓦礫に押し潰された。
もっと早く事態を予期できたならば。もっと注意深く細部にわたり目を凝らしていれば。そうして事前に行動できていれば。
ああすればよかった。こうすればこうはならなかった。冷静に考えれば思い浮かぶ手立てはたくさんあるのに、今の自分にはそれを回避する力もなく、考えを主張する立場にもなく、弱い者を守る腕力さえもない。
あまりにも無力な己を知るたびにとめどなく後悔が押し寄せてくる。
ぽろぽろと、涙が溢れた。
涙はあの時、飲み込んだはずなのに…。
泣いている間に守れた命が失われるかもしれないと言われたのに…。
自分でも感傷に浸る余裕などないと分かっているのに…。
どうしよう、止まらない。
少しだけ泣いても良いだろうか…?
誰もいない今だけ、立ち止まって振り返ってみても良いだろうか…?
あの姉妹に穏やかで幸せな時間を見せてもらったことを、少しだけ…。
ルイスは人形を抱きしめてシーツをかぶると、声を殺して泣いた。




