斜陽 2
ビシュ参道 ( ジュラ連合国 ~ ビシュ院 自治区 )
しとしと、と、雨の音。水の匂い。雨水を蓄えた葉が重みではぜる。
光りが収まり、ユーリは驚いて顔をあげた。
イツキとマルシュが草むらに倒れ込んでいるのが確認できる。傍にはルイスがいてイツキを凝視していた。
「イツキっ!!マルシュさん!」
声を上げてアヤが駆け寄る。
フリンは息を整えながら辺りを見渡し、驚いて目を見開いた。
「…ここは…、参道…?」
ほっと胸を撫で下ろすように息を吐いて、そのまま倒れ込んだ。
「転移した。発動者は…」
ユーリはイツキを見つめているルイスを見て呟く。
「イツキ君?」
ルイスはイツキを見て、自分のオリクトに視線を落とした。
ほんのりと温かいそれに気付く。何かが流動した感覚が残っている。微かに薄紫の晶石は瞬いていた。
ユーリは辺りを見回して息を吐く。
「ふう。とりあえず先に怪我人をどうにかしないと。参道って、連合内ですよね?」
「あ、はい。連合に属する街の一つです。確か代表が在籍していると思うので事情を説明すれば手を貸してくださるかと」
目を凝らすと降りしきる雨の向こうには建物がいくつも並んでいた。
「人を呼んできますのでルイスはアヤさんとここにいてください」
言い終わると同時にユーリは走り出した。あっという間に雨の中へ姿が消える。
ルイスは首の撒いていたスカーフを外すと急いでフリンの額に巻いた。
翌日。
壊滅状態となったテレジア軍はほとんどが投降し、街は王国軍の支配下に置かれたとの報せがベリゴールの偵察隊から入った。
ビシュ参道の守衛らの手を借りてマルシュとフリンはすぐに医療所へ運ばれ一命は取り留めたものの、マルシュの意識はまだ戻らない。
瞳を失う大怪我を負いながらもフリンが懸命に代表の代理として各所への取り次ぎを行っており、今も各都市からの連絡を待っている所だ。
参道の代表は丁度ビシュ院自治区へ赴いており、報せを聞いて急いで参道へ戻って来てくれるらしい。
これからのガーランドの動き、テレジアと言う一本の柱を失った連合がこの先どうなるのか、どうすれば良いのか、早急に話し合わなければならない。
参道の宿所に一室を用意してもらったルイスとユーリは、ここへ飛ばされてきた時のことを話し合っていた。
「昨日リーンさんを除く全員がここへ転移しましたが、発動者はイツキ君で間違いない。ルイスは何か感じた?」
「ええ、何か、そんな気が…。でも、本当にイツキ君が?これだけの人数をイツキ君の力で運べるとは思えません」
「うん、不思議なんですよね。彼がどれだけ対価を支払っていたとしても絶対的に魔力が足りないはず。それも五人同時に飛ばすなんて、相当なことですよ」
アヤもイツキも、潜在的な魔力はユーリよりもいくらか高い。しかし、それでも転移が出来るほどとは言えない。ましてや『争』の所有者でもないイツキが何故発動者だったのかと言う点も疑問だ。
「一瞬、確か何か…」
ユーリはあの時の感覚を捻りだすように思い返す。
政務室での眩い光。あれは魔力の暴発に近いものだ。乗算された魔力の波動を感じた。
考えられるのは、アヤとイツキ二人分の魔力が使用された可能性。
オリクトには様々な形態があり、この『争』は所有者を二人と定めていることも考えられる。『争』についてはまだ謎な部分が多い。本人か、所有者のアヤに聞くのが一番だが…。
「……」
ルイスはふと外をじっと見つめながら立ち上がった。
吸い込まれるようにベランダへ出る。
「どうしました?」
不思議そうにユーリも後を追う。
ベランダで深呼吸をすると、白い靄が上がった。
外はずっと雨が降っている。
参道の周りは広大な竹林に覆われており、所々に咲き乱れた色鮮やかな紫陽花との色彩の対比はとても綺麗だ。雨露に濡れ更に幻想的な美しさを醸し出している。
ビシュ参道は、ヒショウ山の上にあるビシュ院自治区へと繋がる山道の入り口に造られた小さな関所のような集落だ。
ビシュ院自治区を含め、この参道までの辺り一帯は特殊な土地で、基本的には雨がやむことがない。
息が白くなるほど気温が低いのにも関わらず、まったく寒さを感じないのはこの辺りの豊富な自然魔力が体内の魔力と絶えず循環していることで発熱しているからだと本に記載されている。
ルイスはベランダの手すりから外に手を伸ばす。
雨粒は肌に触れたにも関わらず、濡れることなく飛散した。
「消えた…」
雨粒はきらきらと輝いて消え、ルイスは初めての体験に目を輝かせた。
「濡れないのはこの地帯の膨大な自然魔力が雨となっているからですよ」
ユーリも手を伸ばし、消える雨粒をルイスに見せて、ほらね、と言った。
ルイスは自分の手の上で消える雨粒を見つめる。
「魔力がない私にも感じられるのですね」
ルイスは少し嬉しそうに雨粒を眺める。
「…え、えぇ…」
ユーリは歯切れの悪い返事をして目を細めた。
単純に、魔力が無いわけではなのだ。
イツキの転移の時も今も、ルイスはこうして魔力や魔晶の気配を感じ取っているはずなのに、それでもまだ偶然や気のせいだと思い込み、自分には魔力が無いと信じて疑っていない。
初めはエノテイアが『晶』とルイスを支配し易いように思い込ませているのかと思ったが、自ら知識を求めて蓄えているルイスがそれだけでこんなにも信じ込んでいるとは考えられない。
ルイス自身は自分にも魔力があればと力を求めているはずなのに、”何か”がそれをさせまいと邪魔をしている。 或いは、抑え込んでいるように思う。
だから『晶』は目覚めることがないのだろうか。
その”何か”は、ルイスの中にある、あの完璧な理性だろうか?夢の中にある、無意識な中に存在する意識。
奇妙だ。あれはそもそも、ルイスだったのか?
「…リ…、ユーリ?」
「えっ、あ、はい、何です?」
ユーリは慌てて視線をルイスに戻した。
「イツキ君たちの様子を見に行っても良いですか?」
「ああ、そうですね、行きましょう」
いつの間にかルイスは室内へ戻っており上着を羽織っていた。
ルイスの後を追ってユーリも部屋を出る。
この参道に来てからと言うもの、自然魔力のせいで『幻』がうまく機能していない。
ルイスの中の何かを探ろうとしても、靄がかかっているような感覚に陥りよく見えないのだ。
ユーリはルイスの背をじっと眺めながら言い知れぬ不安を感じていた。
・・・
イツキとアヤは、マルシュたちと同じ医療所の建物に用意された部屋にいるようだった。
参道は自治区へ向かう人の安全のため地面には石畳が敷かれ、建物同士は雨除けのために屋根つきの渡り廊下で繋げられている。
雨で滑りやすい足元を気にしなくて良いのはありがたい。
ルイスは医療所の看護師に声をかけ、イツキの部屋を教えてもらった。
マルシュの容体について聞くと、落ち着いているがフリンの要請で今は許可のある医師以外の面会は出来ないと言うことだ。
何年も従事していた側近がガーランドの諜報員だったと言うのだから警戒しても仕方がない。近くにいる者が本当に信用できるのかどうか、慎重に己の目で見極めなければならないのだから。
イツキは二階の部屋に運び込まれていた。
治療所である一階とは違い二階は静かだ。直ちに生命の危険がない療養中の患者だけが滞在しているらしい。
教えてもらった部屋の扉をノックする。
「どうぞ」
すぐにアヤの返事が来た。
「お邪魔致します。イツキ君の様子はいかがですか?」
出来るだけ静かに扉を開いて中へ入った。
「まだ眠ってます」
アヤは不安げな表情でルイスを見て、イツキに視線を移した。
「顔色は少し良くなりましたね」
ここへ飛んできた直後は血色を失って真っ青だったが、今は赤みを取り戻しており安定しているように見える。
ルイスはほっとしてアヤに優しく微笑んだ。
「うん…」
アヤは微笑み返すが覇気がない。
ここ数週間での激動に、精神的な疲労が蓄積しているのが分かる。
テレジアで起きていた酷い惨状も見たはずだ。恐怖と不安と悲しみに心が支配されてしまうのも無理はない。
「アヤさん、ベランダに出て休憩しませんか?お茶を淹れましょう」
ルイスはアヤの様子を気遣ってキャビネットに置かれている保温用のポットを手に取った。中身はすっかり冷たくなっている。
「あ、お湯、ずっと替えてなかった…。隣からもらってくることになってるんです」
アヤは、すっかり忘れていた、と椅子から立ち上がった。
「隣?」
ルイスはポットを手に取ると扉を開いて左右を確認する。
「建物が違うんです。こっち」
アヤはついでに水も替えようと水瓶を手にとって部屋を出た。
「私はイツキ君とお待ちしてますよ」
ユーリはひらひらとルイスに手を振る。
「あ、ではお願いします」
ルイスは足早にアヤの後を追った。
「それじゃあ、今のうちに」
ユーリは扉を閉まるのを確認すると、寝台の傍にあるアヤが座っていた椅子に腰かけた。眠るイツキの額に左手を置いて意識を集中させる。
魔晶は使用者が隠蔽などの工作を行っていなければ必ずその場と本人に魔力変動の痕跡が残る。転移のような最高位魔晶であればその変動も大きく、痕跡によって多くの情報を得ることが出来る。
本人、もしくは周辺から減少した魔力の濃度を測ることが出来ればどの程度の魔力が使用されたのも分かるし、そこからどこへ飛んだかを予測することも出来る。
「うーん…?」
ユーリは眉をひそめた。
イツキの血中魔力はほぼ空っぽで、自然魔力が体内に滞留しているような状態だった。魔力の循環が行えないほど自らの魔力を消費している。 アヤの魔力は感じられないことから、二人で転移を発動させた可能性は消えた。
と言うことはやはり発動者はイツキと言うことになるが、こうして触れてみてもイツキの持つ潜在魔力は転移が出来るほど高くはない。どれだけオリクトに対価を支払ってもこの魔力では命を削っても足りずに死んでしまう。イツキに、ユーリのような消費効率の良さのような特異性能があるわけでもない。
一体、何がどうなって五人もの人数を飛ばすことが出来たのだろうか。
何か引っかかる。すぐそこに見えているはずなのに、靄がかかっていて見えないような、そんな感覚。
そう言えば、この感覚はさっきも…。
足音と話し声。
ユーリはイツキから手を離した。
「戻りました」
ルイスとアヤが部屋に戻って来た。
「おかえりなさい」
ユーリは立ち上がるとルイスからポットを受け取ってベランダに運んだ。
アヤはイツキの様子を確認してから湯呑を三つ手に取った。
三人はベランダに常設された椅子に腰かけてお茶を楽しんだ。
雑談が一息ついたところでユーリはアヤに話を振る。
「アヤさん、少々お聞きしたいことがあるんですが」
ユーリに真剣な表情で見つめられ、アヤはドキリとした様子で目を見開いた。
何か聞かれることを覚悟していたのか、表情が強張る。
「…あの、先に確認させてください」
「ん?」
「ユーリさんたちはオリクトが欲しいわけじゃないんですよね?『争』のオリクトを利用しようとか、そう言う…」
「もちろん、そのような考えはありません」
ルイスが即答する。
「私もないですよ。知らないオリクトなので興味があるだけ。どうにかしようと言う気は全くないです」
ユーリも安心させるように優しい口調で答える。
アヤはほっとした様子で手に持っていた湯呑を置いた。
「良かった。変なこと聞いてすみません。私にはどうすることも出来ないから、二人には本当のことを伝えておこうと思って…」
「本当のこと、とは?」
ルイスが聞き返すと、アヤは意を決して口を開いた。
「ユーリさんが聞きたいことって、このオリクトのことですよね」
「ええ。気になることがいくつか。それが『争』の特殊な性能なのか別の要因なのか、こちらの行動にも関わることなので話して下さるのであれば知っておきたいですね」
「えっと、特殊なのかどうかは分からないけど…。そもそもこれは私が所有しているわけじゃないんです」
「「え?」」
ルイスとユーリは顔を見合わせた。
「前にオリクトを手にした時のことを話しましたけど、あれはイツキが所有者になった後のことなんです。本当はオリクトはイツキが手にしたんです。その後、本来の所有者であるイツキを隠すために私が偽の所有者になってるんです」
アヤは腕のオリクトに触れて室内のイツキの方へ視線を向けた。
「偽装してるの?すごいな、全然わからなかった。他の所有者も騙せるなんて、なかなか面白いですね」
ユーリは興味深げにアヤの腕にあるオリクトをまじまじと見つめる。
「それはアヤさんの意思とは関係なく、ですか?」
心配そうな表情のルイスに、アヤは小さく微笑みながら首を振る。
「いえ、たぶん私がそう願ったからだと思います」
「オリクトと、結託しているということ?」
「うーん、そうなるのかも。別に話し合ってそう決めたわけじゃないんですけど、このオリクトもイツキを守ることを最優先に考えてるって何となく感じて。私も、母さんと父さんと同じように何があってもイツキを守りたいから」
「イツキ君のお母様ですかぁ、何やら複雑な話になってましたね。十五年前の事変と関係があるみたいですけど私は詳しくなくて…ルイスは分かる?」
ユーリに聞かれてルイスは頷く。
「当時、活発に活動していたテレジアの過激派がブライズ家に縁のある貴族の御用邸を襲撃して令嬢を誘拐した事件のことです。その後、令嬢はガーランド軍がテレジアに侵攻した際に不慮の事故に巻き込まれて亡くなったとガーランドの歴史書には記されていましたが…」
「あらら。ええっと、その令嬢が?なにさんでしたっけ?イツキ君のお母様ってことですか。ねえ、マルシュさん」
ユーリは窓の向こうから現れたマルシュに視線を送った。
「はい。名はセレアノ・フィブリオ。私の側近を務めておりましたリーエン…いえ、リーン・フィブリオの姉にあたりまする」
「マルシュさん!」
声の主に驚いてルイスとアヤが席を立つ。
アヤは、車椅子に座るマルシュに駆け寄った。
「アヤ、心配かけたな」
マルシュは涙ぐむアヤの頭を優しく撫でた。
「目が覚めて良かったです」
ルイスもほっと胸を撫で下ろして椅子に座り直した。
「お二方も、このような事態になりながらもアヤとイツキの傍についていて下さり感謝いたします。現況はフリンより聞いております」
マルシュは頭を下げるように前方に僅かに傾けた。あまり体を動かせないのだろう。
右袖は二の腕辺りから下がない。命は助かったが、失ったものはあまりにも大きい。
「無関係のお二人をテレジアの遺恨に巻き込んでしまい大変申し訳なく思います…。こうなった以上、詳しいことをアヤにも話しておかねばと、お見苦しい姿ではありますが急ぎ参りました」
マルシュの車椅子を押してくれていた給仕が静かに頭を下げて席を外す。
給仕が部屋を出たのを待って、マルシュは話し始めた。
「イツキは十五年前、私の叔父であるトール・アイゼンとセレアノ殿の間に生まれた子です。二人が出会った詳しい経緯は知りませぬが、代表代理として各地を周っていたトールがある日セレアノ殿を妻として連れて帰って来たのが始まりです。当時の代表である父も私たちも叔父の結婚に喜びましたが、後にセレアノ殿が王族の親戚であるフィブリオ家の令嬢で、しかもオレド王太子の婚約者だったと知り愕然としたのです」
「おぉ、なんか泥沼の雰囲気」
「フィブリオ家は…、ノラン前国王の兄弟家系ですね」
ルイスは神妙な顔つきで小さく呟いた。
ノラン前国王はルイスの祖父であり、その兄弟筋であれば当然ルイスとも血縁関係にあたる。つまりはセレアノを姉さんと呼んだリーンも、その子供であるイツキも、遠縁ながらルイスと血の繋りがあると言うことだ。
「ふむ…」
ユーリは心中複雑そうなルイスを見て、ますますイツキらを放って置けなくなるんだろうなぁと腕を組んだ。
「王国ではテレジアがセレアノ殿を誘拐したと言われておりますが、私たちには全くの寝耳に水。二人に話を聞いても仕方がなかったとしか言わず、ガーランドからテレジアを糾弾する内容の書状が届いた頃にはセレアノ殿のお腹にはイツキが宿っており、元には戻せぬ状況だったのです。トールとセレアノ殿は王国軍と直接話し合い事態を収めようとしましたが、話し合う機会を持てぬままテレジアは攻め込まれ、王国軍へ投降しようとした際に家屋の崩壊に巻き込まれトールとセレアノ殿は…。私とアヤの母、そしてガーランドの医療従事であったアヤたちの養父殿の助けを借りて瀕死のセレアノ殿から赤子を取り出し、子供たちを戦禍から逃すために何とかロスターまで避難させたのです」
「なるほど。テレジア側の事情を知らないリーンさんからすれば、テレジアは大切な姉の命を奪った憎い国と言うことなのですね」
「こちらの事情がどうであれ、結果的に我々は彼らから大切な人を奪ってしまった。きっと、もっと他にやり様はあったのだろうと思います。その後の停戦協定の調印式で一瞬見かけた少年の瞳が忘れられずにいたのですが、昨夜リーンの瞳を見て気付きました。あの少年と同じ…トールを、アイゼン家を、テレジアを、ジュラを激しく憎む瞳…。テレジアのための職務をこなしながら恨みを募らせていたのかと思うと、ただただ申し訳なかったと思うばかり…、何も気付かずに過ごしていた私などあの場で命を差し出しても構わなかったのに…」
「なんで?!マルシュおばさん、そんなこと言わないでよ…!そうしたら、私はリーンさんを恨んでしまうよ…!もう誰も家族を失うべきじゃないのに…」
アヤは瞳に涙を浮かべて顔を覆った。
「アヤ…すまない…、っう…」
マルシュは泣いているアヤに手を伸ばそうとして、痛みに顔を歪めた。
話をして興奮したために痛みがぶり返してきたのだろう。
「!おばさん、痛むの?治療室に戻りましょう」
気付いたアヤは涙を拭いて立ち上がる。
「っ…お二方、話の途中での退席申し訳ございません…落ち着きましたら、今後についてまた話を致しましょう…」
「私たちのことはどうぞお気になさらずに。まずはゆっくりと傷を癒してください」
マルシュは小さくありがとうと呟くと、アヤに車椅子を押されて部屋を後にした。
ユーリは二人を目線で見送って、お茶を一口飲む。
「何だか二国は人間関係でも混迷してますね」
「どちらにも相応の言い分があるのでしょう。双方は対極していて反対側のことは見えないし、見ようともしていません。これでは溝が広がるばかりなのに…」
「みんながアヤさんみたいに考えられたら良いんですけど。人の死が関わると人間の感情は抑えが利かなくなるから、そう思える人は非常に少ないでしょうね」
「…ええ…」
ルイスはやるせない気持ちで息を吐いた。
ガーランドにもジュラにもルイスの血縁がいて、大きな行き違いがあるはずなのに分かり合うことが出来ず、互いに殺し合わなければならない立場となってしまった。
出来るならどちらの手も取りたいのに、双方は様々な事情に掻き立てられ、個人の感情は置き去りに引き返せない争いの道へ誘われていく。
何と虚しい戦だろうか。
…いや、そもそも、戦は常の虚しいものだ。虚しさ故に押し付けられた理不尽さに相手を恨み、人はまた同じことを繰り返すのだ。
「あ、そうだ。転移の時なんですが、ルイスも発動者がイツキ君って分かっていたみたいですが、何を感じたんです?」
「ええと、情景のようなものが…ぼんやりと『争』の紋様がイツキ君から見えたのです。無意識に転移しようとしていることはユーリの時と同じ感覚がしたので分かりました。でも、とてもユーリの時ほどの魔力はなくて、このままでは命が危ないのではと思っていたら…」
「ちょっと失礼」
ユーリは話している途中でルイスの右手を取った。
袖の中から零れ出た白金の腕輪をじっと見つめる。
繊細な彫の施された腕輪の中央で『晶』のオリクトが光を反射して静かに瞬いていた。
「何かありましたか?」
ルイスも不思議そうにオリクトを見つめる。
ユーリはそっと指先で『晶』に触れてみた。オリクト自体には何の変化もないが、じりじりと焦げるような熱量が微かに残っている。これは魔力の波だ。魔力が動いた痕跡がある。
「動きがある…、力を貸した…?違う、誘導したのか…?」
ユーリは真剣な表情で独り言を呟いた。
参道の漂う魔力が多すぎて痕跡の道筋がよく見えない。
「オリクトに動きが?でも、眠っているのですよね?」
「…ええ、『晶』そのものには何の変化もないのですが…」
『晶』は以前のまま機能停止状態だ。
当然、自分には何も出来ないと信じ込んでいるルイスもまるでよく分かっていないが、イツキを助けたいと言う思いが無意識にオリクトの魔力を『争』に与えた可能性はある。
これまでの様子からしても、ルイスの無意識は本人が望んだ時に僅かながらルイスを導くような手助けをしているように思える。
そう仮定すると、オリクトの魔力の痕跡も、五人もの大人数の転移を可能にさせたことも辻褄は合う。
「……」
ユーリはまさか、と思い、真剣な眼差しでルイスの瞳をじっと見つめた。
無意識であろうとなかろうと、オリクトの魔力の変動は使用を意味し、対価が必要となる。
『晶』の対価はとても大きいので変化が分かりやすい。必ず瞳に異常が出る。感情、記憶、何かしらの大きな欠如は瞳の色を著しく濁していき、そうして最後には光を通さない深く暗い海の底のような闇に包まれてしまうのだ。
「オリクトを使用した痕跡があるのですか?」
ユーリはルイスの問いに眉をひそめた。
「分かりません…。ですが『晶』が今回の転移で何かしらの力を使ったようには感じられます。オリクトは、無償では動かない…」
ユーリは慎重にルイスの瞳を覗き込んだ。
不安と困惑の入り混じった紫水晶の瞳がゆらゆらと揺らめいている。
所有者の精神が欠如すれば共感も欠如し、他者に何をするか分からない魔物のような存在となる。簡単に人を傷つけ、愛する者も躊躇いなく殺める。
その光景を目の当たりにするのはとても辛く、惨く、深い悲しみだけが残される。
そうなる前に、刀を抜かなければ…。
「私にはオリクトを使用したような感覚も記憶もないのですが、それが対価として失われたのでしょうか?認識も感覚もない時点で、すでに失っていると言うことなのであれば…」
ルイスは震えそうになる唇を噛みしめて、精一杯気丈にユーリを見返した。
信頼する相手が眼前で自分を殺めるか殺めないかを見定めている。恐怖で逃げ出したくなるのをルイスはぐっとこらえた。
”所有者はみな最終的にひどく残酷で、見るに堪えない結末を迎えてきた”
そう言って過去を振り返るユーリの瞳はいつも哀しげで、深い苦悩と語りようのない怒りを抱きながら『晶』を見つめていたのを覚えている。
ユーリが自分の何に期待していて何のために傍にいるのか、確信はないが何となく感じてはいた。
所有者が代わるたびに彼らが人で在り続けることに期待しながら、しかしそれでも最期はユーリの手で迎えさせるしかなかったことを指しているのだろうと思う。
ユーリは心苦しそうな表情のまま何も答えずに自分を見つめている。
見極めかねているのか、決心がつかないのか、どちらにも見えた。
長い時の中で同じ結末を迎えることには慣れてしまっていたとしても、その刀を振り下ろす瞬間は決して無感情ではなかったはずだ。何度も心を痛め、何度も虚しさに打ちひしがれ、それでも立ち止まらずに歩き続けてきたのだろう。
自分がこれまでの所有者と同じような結末を迎えたとしても、やるべきことをやるしかない。そうしていつ終わるとも知れない歴史をただ繰り返していく。ずっと一人で。
「…ちょっと、待った、早まりすぎだ。焦って答えを出そうとしてる。…大丈夫、貴方は何も失っていないよ。感情が欠落した人間が雨粒を美しいと感じたり、怪我人を案じたり、私に斬られるんじゃないかってびびったりしない」
ユーリは自身を律するかのように頭をくしゃくしゃと掻いて大きく息を吐いた。
何を焦って見定めようとしている。良く見ずとも分かるはずだ。ルイスは昨日と何も変わってはいない。初めて挨拶をかわした幼子の時と同じように、淀みのない紫水晶の瞳で不安そうに自分を見上げているではないか。
「ですが、私には分からなくて…。では、オリクトには何が…?」
「確かに『晶』は転移の時に何かをした。でもそれはルイスの意思ではない、何か別の…。とりあえず、もう少し詳しく調べてみる必要がありますが濃い自然魔力の中では探るのも難しくて、一端保留にします」
ユーリは辺りの魔力を手で払うような仕草をしてみせる。
「ふう…」
ルイスは大きく深呼吸して胸を撫で下ろした。
指先が小刻みに震えている。わずか数十秒のやり取りだったのに、何分も対峙していたかのような疲労感だ。
「はっきり言ってませんでしたけど…、私が何のために貴方の傍にいるのか気付いてた?」
ユーリは優しい眼差しでルイスに微笑みかけた。
「…何となく、ですが…」
ルイスは視線を落とす。
「そっか…。これは信頼関係を構築する上でまだ伝えるべきではないと判断して敢えて言いませんでした。サーシャと会った辺りから感じることもあったと思うので機会を窺ってきちんとお話するつもりでしたが、色々ある内に話せないままになってしまって…。すみません、不安にさせてしまいましたね」
「いえ、そんなことはないです、最良の判断だったと思います。先に言われていたらきっと私はユーリに警戒心を抱いていたはずですから。ユーリが言えるようになったときが一番良い機会だと思います」
「ふむ、そこまで気を遣わせてしまっていたとは…。とりあえず、この話はまた後ほど、きちんとお話ししましょう」
ユーリは視線を部屋の扉の方に向けてにこりと微笑んだ。
「?」
ルイスが振り返ると、扉が開いてアヤが入ってきた。
「ルイスさん、ユーリさん、お待たせしてすみませんでした」
「お帰りなさい。マルシュさんは大丈夫でしたか?」
「痛みを和らげていた魔晶が思ったよりも早く切れてしまったみたいで、今かけ直してもらって部屋で安静にしてもらってます。それで、あの、さっきの続きなんですが…」
「うん?」
アヤは不安な表情を浮かべながら髪を耳にかけた。
「オリクトのこと、イツキには内緒にしておいて欲しいんです。この能力は所有者が知ると効果がなくなってしまうみたいで」
「へえ、所有者本人が把握してないのか…。ますます興味深いですね」
ユーリは興味深げに眉をひそめた。
そこあるのは、恐らくオリクトの意思。或いは、本能のような…?
「アヤさん、以前もお伝えした通り私たちはお役に立てることがあれば協力は惜しみませんし、お二人の味方でいたいとも思っています。ただ、私にはジュラに滞在する理由があり、そのためにはガーランドの立場で物事を見て、立ち回ることもあるかもしれません。もしそのような機会が訪れたとしても私の気持ちに変わりはありませんので、どうかそれを信じていて下さると嬉しいです」
「……」
アヤはルイスの言葉に瞳を輝かせながら、ちらりとユーリに視線を送る。
「あぁ、私も概ね同意見なのでご心配なく」
気付いたユーリはアヤに視線を戻して微笑む。
「!良かったー、ありがとうございます!二人ならきっとそう言ってくれると思ってました。…はー、何だかほっとしたらお腹がすいてきちゃった。誰かに相談したくても言えなくて、どうしたらいいかも分からなくてずっと不安だったから」
不安と緊張で固かったアヤの表情が一瞬で柔らかくなる。大きく息を吐いて久しぶりに笑顔を見せた。
「そうだ、ルイスもお腹すいたでしょう?何か食事が頂けるか聞いてきますよ」
「そうですね、お願いします」
言われて、ルイスは自分の腹事情を思い出した。そう言えばかなり前から食べていない。気付いた途端お腹の底がぐぅと鳴る。
「あ、ユーリさん、食事は下の階なんです。私も行きますね」
ユーリとアヤは水を運ぶのに使われた台車をひいて部屋を後にした。
・・・
数十分後、ユーリとアヤが部屋へ戻ってきて食事が運ばれてくると、ほどなくしてイツキが目を覚ました。
昨日の、政務室で光に包まれた時のことはよく覚えていないらしく、とりあえずユーリのオリクトでここまで逃げて来たと言うことにした。
食事をとり、落ち着いたところでイツキとアヤはマルシュの所へリーンとの関係について話を聞きに向かうことに。
その間、ルイスとユーリは外を散歩することにした。
宿を出て、ベランダの下に広がる紫陽花庭園の奥、竹林道まで足を運んだ。
「綺麗な雨音ですね」
ルイスは瞳を閉じてうっとりと雨の音に聞き入った。
エノテイアではあまり雨が降らない。一年を通してもほとんど雪か晴れ。短い暖季の間にごく稀に降る雨の日がルイスは好きだった。この雫が打つ音が、たまらなく心地よいのだ。
二人は無言のまま、竹林道を進む。
「ルイス、さっき途中になった私がいる理由について正確にきちんと伝えておきます」
先を行くユーリがルイスに背を向けたまま立ち止まる。
「私は『晶』の所有者が暴走した後の惨劇を止めるため、『晶』を追って世界を巡ってきました。対価を支払った所有者は理性を欠き、貪欲に力を求めて暴走を始めます。使用しなければそのまま監視を続け、もし使用すれば人であるうちに終わらせる。終わらせるとは、すなわち即死させて所有を外すことです。所有者の命が絶たれればオリクトは機能を停止しますから」
「……」
ルイスはじっとユーリの言葉を頭の中で反芻させた。
”即死させて所有を外す”…予測はしていたけれど、実際に口に出して言われると胸を抉るものがあった。それは今後のルイスに対して言っている言葉でもあるのだ。
「記憶、感情を失えば何かを傷つけたり誰かを殺めたりすることに躊躇いがなくなる。当然、本人はそれには気付かない。気付かないと言うより、何も感じない、何も考えない、何も思わない。大切な人を殺めても本人が分かっていないのはある意味救いかもしれないけど、それを見ている側はとても辛い…」
ユーリは遠い過去を思い返し拳を握りしめた。
幾度となく目の当たりしてきた惨劇。己が下すしか止めることの出来なかった結末。それを肯定するかのように存在する『晶』へ対する怒り。
「『晶』は私の知るオリクトの中で最も強く、恐ろしい。転移の制限もなく、所有者が逃げたいと思えば私は行方を探ることも出来ない。ようやく『晶』を探し当てた時にはすでに所有者が変わっていて、その国は半壊していたこともありました」
「オリクトの力で?!」
「そう、願ったことを願ったまま叶える力がある、とても危険なオリクトなんです。私の知る限り、これまでに使用することなく所有を終えた人はいません。人は願うことをとめられないし、求めることをやめられない生き物ですから」
「……」
ルイスは唇を噛みしめた。
長く生き、自分のためでもない同じことを繰り返すだけの人生にすべてを費やしてきたユーリを思うとひどく悲しい気持ちになった。
そうやって彼は何度も期待して、何度も絶望して来たのだろう。
「今回、ヴィルヘルム君からエリオスの手に渡り、そのまま彼が所有者になると思ったら『晶』がわざわざ貴方を選んだので驚きました。このオリクトは所有者を選んだりしない。ましてや、誰かを経由するなんて…。これまでと明らかに違う。もしかすると、今度こそ結末も変わるんじゃないか、そんな気がして貴方に付き従うと決めたんですよ」
ユーリは振り返ってルイスに、微笑んだ。ようやく長い旅が終わるかもしれない。そんな期待を抱いている。
「そう言うことだったのですね…」
ルイスは眉間にしわを寄せて視線を落とした。寄せられるだけの期待に応えられるのか分からない。不安が募る。
「こんな話をすると貴方は気を負ってしまうかもしれませんが、どうかそのままで。ルイスはルイスらしく、自らの目的のために邁進してください。貴方との旅路は一人旅と違ってのんびりと周りを見渡せて、時に刺激的で、とても楽しい。だから…」
ユーリはそう言って微笑みながら、ゆっくりと刀を抜いた。
「っ!」
鋭い眼差しでルイスに切っ先を向ける。
「先ほども言いましたが、私は貴方に刀を向ける時が来るかもしれない。その時、この刃は貴方の喉を裂くでしょう。…そんな人間は仮初であっても従者を名乗ることに値しないと思います。私は、可能ならこのまま傍で旅を続けたいですが、不快であれば貴方の視界に姿を晒さないようにします」
ルイスはごくりと唾を飲み込んで、刀に落ちる雨粒の雫を見つめた。
二人の間に沈黙の時が静かに流れる。
「…ユーリが…所有者に刀を振るうのは彼らのためなのですよね。悲しみや憎しみを重ねる前に、人としての尊厳を守るために。それはとても勇気のいることだったでしょう…。見ず知らずの相手を思い、そこまで尽くせるのはとても誇らしいことだと思います」
「…え?…」
ユーリは思わぬ答えに驚いた。
人殺しを軽蔑するか、怒るか怖がるか、もっと不安を感じたりするものかと思っていたからだ。
それなのにルイスの表情はどこか明るく、誇らしいとまで言い放った。
「私の命はあなたと、あなたの刀に託します。傍にいて、私が人に危害を加えそうになった時に止めてください。それだけで、私はオリクトがもたらすかもしれない脅威を恐れずに安心して旅が続けられます」
「それは…そう言ってもらえるとありがたいけど、怖くないの?ルイスは」
「怖い?何故です?ユーリが刀を私に向けるのは対価の感情が失われた時なのですよね?」
「ええ、もちろん、それ以外で向ける気はないですけど」
「でしたら何も怖くはありません。私は自分が気付かずに誰かを傷つけてしまうことのがずっと恐ろしい」
「…そっ、か…なるほど…」
ユーリはルイスの内を探るように目を細めた。
その言葉に嘘はなさそうだ。取り繕って偽善的なことを言っているような表情でもない。自分のこれまでの行いに疑問を呈すでも、非難するでもない。それが最善だと理解し、自分が当事者となっても何が正しくて何を守るべきか感情に流されずに冷静に考え判断することが出来ているだろう。
自らを客観的に見て利他的に判断する考え方は清廉で美しくもあるが、同時に自分を犠牲にして物事を達成させようとする危険もはらんでいる。あまりにも自分のことを考えていなさ過ぎて危なっかしい、と言うのが最適かもしれない。
所有者にここまで踏み込んだのは初めてだ。命を絶つ以外でこの距離まで近づいたこともないし、顔を合わせて会話をしたことだって一度も無い。
ルイスに期待していると思いながら、ルイスの願う通りにしてやりたいと思い、そのために自分が動き出した結果だったのだと気付かされる。
今までとは明らかに違う、それは自分への言葉でもあった。
今ならはっきりと言える。所有者の見る世界を日陰から監視するのではなく、輝かしい未来へ辿りつくために、同じ場所で同じ道を目指したいと思ったのだと。道の果てに、この長い旅の終わりを笑顔でルイスと迎えたいと。
「私がそこにいたいと思ったからか…」
ユーリは小さく呟いてゆっくりと刀を下ろし鞘に収めた。
雨粒の爆ぜた雫がルイスの耳を掠めて飛散する。
「?今なんと?」
ユーリが言った言葉がよく聞き取れず、ルイスは目を瞬かせた。
「いえ、それではこれからも改めてお願いしますと言ったんですよ」
ユーリはふっと笑いながらルイスの頭を撫でる。
「?こちらこそよろしくお願いいたします」
ルイスは不思議そうにしながらも、はい、と答えて微笑み返した。




