斜陽 1
・・・
夢を見た。
恐ろしく、とても哀しい夢。
業火と、たくさんの死の中で生まれた小さな命。
儚い産声を聞きながら、いつか訪れる平和を願い女性は静かに亡くなった。轟音と叫び声が遠くの方で響く中、赤子は小さく泣き続ける。
赤子を取り巻く運命は厳しく辛く、残酷で、母親の望む平和は遥か遠い。この命は今生では生まれるべきではなかったのかもしれない。
赤子を取り上げた男女は、街に残る女性に別れを告げ、赤子を抱いた。男女は赤子と小さな女の子を連れ、戦禍に飲まれた街から逃げ出して行った…。
・・・
ふと気付くと、瞳から溢れた涙がこめかみを伝っていた。
今のは、誰の夢?
「怖い夢でも見た?」
優しいユーリの声。
「…よく、覚えていなくて…」
ルイスは涙を拭って瞳をこすった。
思い出そうとしてもぼんやりとして、もう怖い夢だったのかも分からない。
「その方が良い。良く眠れるようにおまじないをしておきましょう」
ユーリの冷たい指先がルイスの額をなぞる。
すぐに意識がふわりとうつろいだ。
何かに吸い込まれるようにルイスは再び眠りについた。
・・・
事態は昼前に動いた。
ルイスとユーリはアヤたちの宿を訪れ、昨夜の出来事を朝食を取りながら二人に話した。
行動を共に出来るようになったことを二人とも喜んだが、アヤはテレジアに居続けることには反対なのか、マルシュの考えには賛同できないようだった。
アヤもマルシュともう少し話がしたいと言うことで、再び市庁舎へ向かうことに。
大通りを市庁舎へ向かっていると、マルシュとリーエン、何人もの兵士や職員が正門へ向かって走ってきた。
「マルシュさん?」
何事かとアヤが声をかけたが、マルシュは深刻な表情でリーエンらと話しながら走って行ってしまいアヤの声は届いていないようだった。
「何かありましたね」
ユーリが呟く。
「様子を見に行ってみましょうか」
ルイスが声をかけると二人は頷いて、マルシュたちが走って行って方へ急いだ。
「うん、行こう」
四人は内門の前でマルシュに追いついた。
ちょうど外へ出る所で、イツキが声をかける。
「何があったの?」
「アヤ、イツキ何故ここへ?… 戻りなさい。この先は子供の来るところではない」
マルシュは眉をひそめてイツキを静止した。
どこか不穏な様子を感じさせる口調にイツキはたじろいだ。
「代表!」
「すぐ行く」
呼ばれてマルシュはそのまま門の外へ行ってしまった。
その門の奥にちらりと負傷者が見える。
「ガーランド軍の仕業?」
イツキは門を出ようとするリーエンを止めた。
「だったら何だ?代表に言われただろう。子供は宿に戻ってクーヘンでも食べていろ」
「なっ!確かに私たちは子供だけど、そんな言い方しなくても良いじゃないですか」
リーエンの冷たい言い方にアヤが憤る。
「状況が分からないか?テレジアの部隊が敵に襲われ死傷者が出たんだぞ。これからジュラはガーランドと全面戦争に入る。子供のおしゃべりに付き合っている暇などない」
リーエンはそう早口で言い切ると、驚いているアヤとイツキを思い切り睨んで去って行った。
「せん、そう…?」
アヤは愕然とした。
険しい表情の門兵たちが入れ代わり立ち代わり何かの作業に追われている。
「アヤさん、イツキ君、ここは邪魔になります。落ち着いたら詳しい話を聞けるように市庁舎で待たせてもらいましょう」
ルイスは出来るだけ穏やかな口調で二人を門前から離した。
呆然としたままのアヤとイツキを連れて、四人は市庁舎へ向かうことにする。
しかし、すでに市庁舎には関係者以外立ち入り禁止の処置がとられており、外で待っていても仕方ないので宿へ戻ることになった。
テレジアの市内は今日も穏やかな時間が流れていた。
二重の分厚い壁に守られ、平穏な日常を過ごしている。すぐそこに迫る脅威のことなど知る由もなく。
「ルイスは昨日、ガーランドが攻めて来るって言ってたよね。次に向こうが何をしてくるのか分かる?」
イツキは歩きながらルイスの方へ振り返る。
「情報が少なすぎて何とも言えませんが、連合軍がテレジアに集結する前に行動を起こす可能性は高いです」
「でもテレジアは二重の防壁があるから大丈夫ですよね?ガーランドからの増援が来る前には連合軍も集まるってマルシュさんも言っていたし」
アヤは、だから大丈夫、と自分とイツキに言い聞かせるように握り拳をつくった。
「…そう、ですね…」
ルイスは視線を落とした。
ジュラ連合、ガーランド王国はこれで事実上の開戦となるだろう。
この後ガーランドは”ジュラで新たなオリクトを発見”と言う筋書き通りの名目を手に入れるために間違いなくテレジアを攻め落とそうとしてくるはずだ。開戦と同時か、或いは数日中には動きがあるかもしれない。
とは言え、アヤの言う様にテレジアの守りは堅い。簡単に行かないことはガーランドも承知の上、何かしらの対抗策を持って仕掛けてくるはずだ。それが何なのか、何を持って、彼らは攻め入るつもりなのか、もう少し情報があれば…。
「イツキ君?どうしました?」
ふと、怪訝な表情で東の方向をじっと見つめているイツキにユーリが不思議そうに声をかける。
「嫌な感じだ」
イツキは寒さに震えるように両腕を抱えた。
「!…何か見えたの?」
アヤは不穏な様子の意味に気付いてイツキの肩を掴む。イツキはアヤの方を向いて無言のまま頷いた。
「?」
「?」
ユーリとルイスは訳が分からずに顔を見合わせて首を傾げた。
「ルイス、ユーリ、嫌な感じがするんだ。ついてきてくれる?」
「え?ええ、構いませんけど、何が?どう?説明してもらえます?」
「うん。こっち」
イツキは足早に大通りに面した路地を東に曲がった。ルイスたちの宿がある通りだ。
「たぶんオリクトのせいだと思うんだけど、人の敵意が見えることがあるんだ」
「敵意を、視認する?…へえ、面白いね。追手に捕まらないわけだ。…ん?それ、イツキ君だけに見えてるの?」
「え?うん」
イツキは真っ直ぐに進んでいく。はっきりとそれを視界に捉えているようだ。
「ふうん…」
ユーリは眉をひそめた。
イツキはオリクトの所有者ではなく、所有者の従属である印だ。
しかし、この印にはそれほど多くの力は与えらない。所有者と意思疎通が出来たり、所有者から貸し与えられる形で印を介して魔晶が扱えるようになったりするだけのもので、所有者に出来ないことは印には出来ない。
つまりアヤが感知しないものをイツキだけが感知することはないはずなのだ。
ユーリはちらりとアヤの様子を確認した。
「……」
アヤは不安そうな顔でイツキをじっと見つめている。
先ほどのアヤの反応から見ても、所有者であるアヤは何か知っているように見える。
「この奥、建物から」
ルイスとユーリが泊まる宿の路地を曲がり、歓楽通りである袋小路の酒場の前でイツキは立ち止まった。
「こちらですかー…」
先日、対価のためにユーリが世話になった娼館だ。ユーリは何とも気まず表情で建物を見上げる。
「この建物に何があるのですか?」
ルイスが尋ねると、イツキは建物の奥をじっと見据えた。
微かにイツキの右手が震える。
「確認してみましょう。三人は私の後ろにいてくださいね」
ユーリが店の扉を叩いた。
反応はない。だいたいこの手の店は早くても夕方から始めるもので、時間的に店の人間はまだ来ていないのかもしれない。
ドアノブに手をかけると扉はあっさり開いた。
「おじゃましまー…」
言いながら、一歩中へ。
「!」
ユーリはすぐに覚えのある匂いを感じて立ち止まった。眉をひそめてルイスに視線を送る。
「血の匂いがする。私から離れないでくださいね」
「え…」
ユーリは刀に手を添えると、じっと五感に神経を集中させた。
濃い匂い。怪我と言う感じではない。かなりの出血量。人がひとり死んでいるぐらいの量はある。
「血…?」
アヤとイツキは不安そうに顔を強張らせた。
「イツキ君、敵意はこの階?上は?」
「うん、あの奥の方。上には見えない」
「了解」
ユーリを先頭にゆっくりと店内を進み、カウンターの奥にある室内を覗き込んだ。中は厨房で、人の気配はない。
「中には誰もいませんね」
ルイスも中へ入り、厨房を見渡す。
綺麗に片付けられており、争ったような形跡はない。
「裏手か。人…?」
ユーリは裏手に通じる勝手口の前でじっと耳をすませた。扉の向こうにいるであろう人物の気配に神経を集中させる。
「……」
ルイスはじわりと漂う緊張感に唾を飲み込んだ。
ユーリの警戒網が自分に向けられているものではないと分かっていても、剣士の間合いにいるのはどうにも背筋がぞくりとするものだ。
「二、いや、一人か?」
ユーリは声を潜めて、三人に厨房の隅へ下がるように手で合図した。
低い体勢でドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を引く。むせかえるような重い空気が風にのって厨房に入り込んできた。錆びた鉄と肉の腐ったような生臭い匂いに、アヤがうっ、と口元を抑える。開いた勝手口の扉にはべっとりと血が付いていて、外壁には血と肉片のようなものが散乱していた。
見たことも無いひどい惨状にルイスは思わず顔を背ける。
物音を立てないようにユーリは外の様子をうかがうと、積まれた樽の傍に見知らぬ格好の男を二人確認できた。一人はしゃがみこんでこの血と肉片の主である死体のようなものを見聞している。
「この有様は貴方がたの仕業ですか?」
ユーリは立ち上がって声をかける。
「っ!」
男がはっと顔をあげた。
次の瞬間、男の一歩後ろでぼうっと突っ立ていたもう一人の男がユーリへ向かって走ってきた。何の前触れもなく短剣を抜いてユーリ目がけて突き出してくる。
「無視かっ」
ユーリはちっと舌打ちをして、帯から刀を鞘ごと抜いた。少しかがんで切っ先を避け、短剣を柄頭で弾く。短剣の男は、走ってきた勢いのまま体勢を崩して壁に激突した。男は頭を強打したにも関わらず、全く痛がる様子もなく立ち上がると、再びユーリに斬りかかってきた。
斬りかかってきたと言うにはあまりにもお粗末な剣筋。考えなしにただ突っ込んで来るだけでそこいらの新兵よりひどい。
「何だ…?」
ユーリは軽やかに何度かかわしながら男の様子に違和感を覚えた。
男の目は焦点が定まっていない。表情も虚ろで動きも散漫としている。何か変だ。人らしい気配がしない。
「ユーリ?その方は?!」
勝手口からルイスが顔を出す。
「……」
短剣の男はルイスの声に反応して、ぴくりと顔をあげた。向きを変えてルイスの方へ襲い掛かる。
「!っと」
すかざすユーリは背後から鞘で男の頸椎を一突きした。
「ぐっ…」
短剣の男は目を見開いてその場に崩れ落ちる。
「そこにいて、まだいる」
ユーリはすぐにもう一人の男の方へ振り返った。男は何をするでもなく、じっとこちらの様子を伺っていた。
「もう一度聞きますよ、この惨状は貴方が?」
「……」
男はユーリを見据えたまま何も答えない。
「否定しないなら貴方ってことになりますけど」
ユーリは息を吐いて刀を帯に戻した。
「王国軍?!」
勝手口から顔を出したイツキが男の顔を見て声を上げる。
「!っえ?王国軍?」
その言葉に驚いてユーリが目を離した瞬間、男は踵を返して走り出した。
「っ!しまった、ルイス、追いますよ!イツキ君たちはマルシュさんに報せて、誰か人をこちらへ手配してください」
ユーリはそう言い放って、すぐに男を追って走り出す。
「は、はいっ!アヤ、大丈夫?行くよ」
イツキは厨房の隅でうずくまっていたアヤに声をかけて立たせた。
「うん…」
アヤは俯いたまま、血まみれの裏通りを見ないように急いで厨房を出る。
二人が厨房から出るのを確認して、ルイスはユーリの後を追った。
角を曲がった行き止まりでユーリに追いつく。
「ここを降りたみたい。外に通じているのかもしれません」
ユーリは足元にある地下道へ続く階段に視線を落とした。
「どうする?行く?」
「行きましょう。先ほどの男性が王国兵であれば放っておくわけにはいきません」
「ですね。これ、念のために」
ユーリは背中の隠し短刀をルイスに手渡した。
「これは…?」
渡された短刀を手に取って眺めた。綺麗だが、かなりの年代物だ。見たことのない美しい花の細工が施されている。何かしらの紋のようにも見える。
「刀は慣れないかもしれませんが何も無いよりはいい。いざと言う時は躊躇わずに使ってください」
「ありがとうございます」
ルイスは短刀をぎゅっと握りしめると腰に差した。
二人は慎重に階段を下りていく。
下の通路は比較的広く、所々のランプが石造りの道を照らしていた。
荷物を運び入れるための地下道だろうか。
ランプの火は煌々としており、きちんと整備もされていて綺麗だ。ごく最近も使用したのか、手押し車の車輪の跡や足跡がそこかしこに残っている。
問題はこれがどこへ通じていて、先ほどの人物がどこから入り込んだか、だ。
通路の途中、少し広い空間にはいくつかの酒樽と小麦か何かの袋が積まれていた。一時的に食材などを備蓄、貯蔵しておく場所なのだろう。隅々まで調べたが特に隠れる場所や抜け道はない。
更に先へ進むと、陽の光が見えてきた。なだらかな坂を上がった先に荷馬車と手押し車が止まっている。どこかの倉庫だ。干し草と馬の匂い。厩舎もある。
方向と歩いた距離からして、ここは…。
「外周にある厩舎ですかね」
「そのようです」
二人は倉庫の外へ出た。向かいの建物では慌ただしくテレジアの兵が行き交っていた。
大声で誰かを呼んでいたり、怪我人の手当てに追われていたり、武器をかき集めたり、編成を組み直したり、先ほど見かけた時よりも混乱しているように見える。
「さっきの男性は、まさかこの中に?」
「撤退したテレジア兵に紛れて入り込んだのか…。見た目では王国兵って分かりませんでしたし」
二人はたくさんの兵士でごった返す兵舎を見つめて眉をひそめた。顔は覚えているがこの中から探すのは一苦労だ。
「先ほどのガーランド兵は恐らくここから市内へ入れることを知っていた。何者かが情報を流していたか、手引きした人物がいるはず」
「地下道には足跡がたくさんありました…!まさか、もうすでに市内にも王国兵が?!」
ルイスは顔を青ざめさせた。
「つまり…」
ユーリもその答えに行き着いてルイスと顔を見合わせる。
「「マルシュさんが危ない!」」
二人は踵を返し、慌てて地下道を引き返した。
地下道を走り抜け、酒場の裏通りまで戻る。
ユーリが気絶させた男はまだそこに倒れていた。確認すると、男はすでに事切れていた。
「うーん…?」
何で死んだ?攻撃は頸椎の一突きのみ。気絶こそすれ、あの程度で死にはしない。
不思議そうにしているユーリが気になり、ルイスも男の姿を覗き込んだ。ふと目に止まった短剣を手から抜いてルイスは息をのんだ。
「この方、王国兵ではないかも…」
「何?どういうこと?」
ユーリは驚いてルイスが調べている男の手を覗き込む。
「見てください、相応の年の王国兵なら剣の握りすぎによる独特の痕があるはずですが、この人の手の平はとても綺麗です。その代わりに指に物書きに出来るペン胼胝があります。それからこの短剣…市内の晶石屋で同じものを見かけました、狩りの護身用か何かだったかと」
「てことは、この人、テレジア市民なの?魔晶の類は感じられないから操られていたとは思えないけど…」
「…何か、とても嫌な予感がします…」
ドン!、と突然、何か大きな振動が地面に響いた。
辺りがびりびりと揺れ、同時に建物の向こうから多くの悲鳴が聞こえる。
「?!まさか!」
「急ぎましょう」
二人は顔を見合わせ走り出した。
厨房を抜け、店を出る。歓楽の路地を通り、大通りに向かって曲がると、すぐにテレジアに起きている惨状が見えてきた。
「なっ!!」
いつの間にか、建物のそこかしこから火の手が上がっていた。
真っ赤な炎が空を焦がし、火の粉と灰が風に舞い降り注ぐ。
悲鳴と共に逃げ惑う人々。穏やかな日常は一瞬にして恐怖と絶望へと変わっていた。
「……」
ルイスは絶句した。美しくも暖かな街並みは一瞬にして戦場と化していた。
ユーリは火の粉を払いながら辺りを見渡す。
「ひどいな」
最悪の事態になってしまった。
泣いたまま立ち尽くす子供に、その傍らで血を流して倒れている母親。火の粉をかぶり半身が焼け焦げながらも必死に這いずって逃げようとする人に、それを追いかけて剣を振りかざす人。テレジア兵とも王国兵とも分からない人々が殺し合い、襲い合い、どちらがどちらで、そのどちらでもないのか。
よく見る戦場とは違う異様な光景だ。これを地獄絵図と言うのだろうとユーリは思った。
ドーンドーン、と内門から大きな音がする。
振り返ると、旗を掲げた精鋭の騎士たちが鬨の声を上げながら攻め込んできた。ガーランドの国旗に、鎧には雪豹の飾り細工。王太子直属の部隊だ。
「王太子の部隊ですよ」
「…ユーリ、市庁舎へ行きましょう。イツキ君たちを見つけないと」
二人は市庁舎へ走り出した。
街の混乱を引き起こしている者たちのほとんどが裏通りでユーリに襲い掛かってきた短剣の男と同じように、瞳の焦点が定まらない人の気配がしない者たちだった。
対応できる限り、頸部や頭部に打撲を負わせ戦闘不能にさせて行くが、彼らはやはりその後、絶命してしまった。
一体、これは人間なのか、なんなのか。気味の悪さだけが残る。
「!!」
市庁舎の前にはもの凄い数の人が押し寄せていた。すべてテレジア市民なのか、それ以外もいるのかも分からない。皆一様に混乱していて助けてくれと泣き叫び、傍らにいるテレジア兵が必死に襲い掛かる敵と戦っている。
市庁舎も所々火の手があがっていて、中でも戦闘が起きているようだ。
アヤにイツキ、マルシュは無事だろうか。
「アヤさんたちは中に?」
「いる、オリクトの気配がします」
ユーリは四階を見上げて目を凝らした。オリクトの気配が弱弱しい。何かあったに違いない。
「ルイスこっち、通りから裏へまわりましょう。昨日壊した窓から入ろう」
二人は混乱する人々をかき分けて市庁舎の右手通りへ入った。
飲食店が並ぶ道の脇、花壇の植え込みを越えて柵を登ればそこから市庁舎の裏手へ回れる。
炎上する飲食店の前を通り過ぎて、ふと、ルイスは何かに反応して立ち止まった。
「ルイス?どうしました?」
「声…」
ルイスは神妙な表情で耳を澄ませる。聞いたことのある声だ。
「声?」
五感の鋭いユーリにはこの状況では入ってくる音が多すぎて良く聞き分けられない。
「こちらです!」
ルイスは声の場所が定まったのか、飲食店の方を見た。吸い込まれるように中へ入る。
飲食店は初期に火の手が出たのか、すでに二階は半分焼け落ちている。この状況で中にいる人間が生きているとは思えない。
「!ちょ、ルイス!!」
ユーリも慌てて中へ入る。
散乱する家具や壊れた建物の一部をかき分けて奥へ。階段の手前で屋根が焼け落ち厨房は完全に潰れていた。
火の熱から口元を守りながらルイスは声の主を探して見回す。
「っ…カルネさん!!!!」
半壊した屋根に下に挟まれているカルネを見つけた。
駆け寄るとまだ息があった。ルイスに気付いてぴくりと指が動く。
「…ぅ…ルイ…ス…たすけ…ぇ…める、が…」
カルネは頭と顔から血を流し、息も絶え絶えだった。火の粉を擦って喉が焼けたのかヒューヒューと変な音をさせながら必死に言葉を発する。
「カルネさん!カルネさん!今、お助けいたしますから…!」
ルイスは泣きそうになりながら、近くの材木をカルネの上に覆いかぶさっている屋根に差し込んだ。
「私が押し上げる!ルイスはカルネさんを」
追いついたユーリは材木を思い切り押し上げた。
ぎしぎしと今にも壊れそうな音をさせながらも、屋根は僅かに上がった。ユーリの力を持ってしても、それが限界だった。差し込んだ材木が耐えきれずに音を立て始める。
「っく…!」
ルイスは必死にカルネを引っ張り出そうとするがもっと奥で挟まっているのかびくともしなかった。腰から下は完全に瓦礫にまみれ、どうなっているのかも分からない。
「…、イス…おねが…ぃ……める……」
カルネは半分押しつぶれた体をぶるぶると震わせながら抱えていたメルを引きずり出した。ずるりと、何かが裂けるような気味の悪い音と共に、頭部だけになったメルが差し出される。
「っ!!」
ルイスは思わず悲鳴をあげそうになった。
首から下が何もない。千切れた肉の間から細い背骨だけが僅かに伸びている。
下の部分はこの瓦礫の下に埋もれて潰れ、頭だけが残ってしまっただろう。僅かに開いた瞼からは少しだけ眼球が飛び出している。あまりに惨く、あまりにも可哀そうな姿。
「…める……お……い……」
カルネは血まみれになりながら必死にルイスに懇願し続けた。
「……あ、あぁ…メルさん…」
ルイスはメルの小さな頭を震える手でそっと撫でる。冷たい。
当然、生きているわけがないのに…それでも、彼女は生きていると信じているのか、頭だけになってもこの子だけは救いたいと言う強い想いがあるのか。
瀕死で混濁する意識の中、自分がやらなければならないこと、自分が守りたいもの、それだけのためにカルネは必死に妹だけでもと…。
「だめだ、折れるっ!!!」
ユーリは顔を歪ませた。
材木がめきめきと音を立てて折れた。
僅かに浮いていた屋根は下に落ち、再びカルネを押し潰した。
「…っ…」
震えていた手がぴたりと止まる。カルネはそこで息絶えた。ルイスをじっと見つめたまま。
「………」
ルイスはカルネを凝視したまま何も言えず涙が頬を流れていった。
「…ここも危ない、出ましょう…」
ユーリは呆然とカルネを見つめるルイスの手からメルの頭部を拾うとカルネの傍に置き直した。
火は勢いを増し、更に燃え盛る。これ以上ここにいては危険だ。
「泣いてる暇はありませんよ」
ユーリは敢えて強い口調で、灰で薄汚れた頬を伝うルイスの涙を拭った。
「貴方がここでこうして泣いてる間に他の救える命が失われるかもしれない」
ルイスは唇を震わせて俯いた。血の付いた手をぎゅっと握り締める。
「………は、い……」
力が入らない。立ち上がることを拒否している自分の足を思い切り叩いて奮い立たせる。
ふと、傍にメルの人形が一人ぼっちで落ちていることに気付いた。メルに渡してあげようと手にとったが、店の手前側が崩れ始めたため、ユーリは強引にルイスの腕を引いて店を出た。
「はぁはぁ…」
少し離れたところでルイスは振り返る。
大事に抱えて可愛がっていた、カルネにどことなく似ている人形。涙がとめどなくこみ上げる。ルイスはぐっと唇を噛みしめて涙を拭うと人形を一度抱きしめて懐にしまった。
市庁舎の柵を乗り越え、二人は裏手へ急いだ。
しかし、裏ではテレジア兵と王国兵がやり合っていた。王太子の部隊だ。いつの間にここまで来たのか…。
壊した窓にもそこから入ろうとする市民か敵か分からない人が溢れ、とても中へ入れそうにない。
ユーリは少し戻って横手の二階を見上げた。そこは外へ出るためのテラスがある。
「飛びますか」
ルイスは無言のまま首を振った。やるせない悲しみと絶望に心が支配され、思考がまともに働かない。
「……」
ユーリは一寸考え、辺りを見回す。近くに修理中と思わしき台車を見つけた。
これを足場にすれば、二階のテラスに手が届く。
ユーリは台車を壁際に移動させると、腰から刀を抜いてルイスに差し出した。
「ちょっと持っててください」
「?」
よく分からないままルイスが受け取ると、ユーリはルイスを脇に抱えた。
「え?!ユーリ?!」
突然のことにルイスは混乱してもがく。
「動かないで」
ユーリはふぅと息を吐くと、助走をつけて走り出した。
台車を駆け上がって、思い切りテラスに向かって飛びあがる。テラスの柵に右手を引っ掛けると、勢いのまま腕の力で体を持ちあげてテラスの中へルイスを放り投げた。
「わぁ!!」
ルイスはドスンと音を立てて尻餅をつく。
「よっ、と」
続いてユーリは自分も中へ飛び込む。
ルイスはユーリを見上げて口をぱくぱくさせた。
一瞬のことで何が起きたのかよく分からないまま、気付いたらテラスの上だ。
「ちょっと強引でしたね、怪我はない?」
笑いながらルイスに手を差し伸べる。
「っだ…大丈夫、です。すごく、びっくりしました…」
ルイスは、はーっ、と息を吐いてユーリの手を掴んで立ち上がった。
「ありがとうございます」
刀を返して衣服をはたく。
あまりの出来事に悲しんでいた感情が一瞬で引っ込んでしまった。
「さ、急ぎましょう」
窓の鍵は閉まっていたがガラスが割れていたのでそこから開けて中へ入った。
市庁舎の中も混乱を極めている。
あちこちに業務で使われていた紙が散乱し、血しぶきで赤く染まっていた。
中央階段では上へ行かせまいと階段で迎え撃つテレジア兵と、下から迫る数人の王国兵に、人ではない何かと市庁舎の職員の死体の山だ。
二人は下から駆けあがってくる王国兵を薙ぎ払い、敵味方が分からなくなっている発狂したテレジア兵を回避し、非常階段から四階を目指した。
「ふむ、見事な腕前だ」
四階の廊下はテレジア兵の死体が散乱していた。一様に、一刀のもとに斬り捨てられている。鮮やかな切り口だ。それ以外に外傷は一切ない。
「テレジアはもうだめですね…」
ルイスは悲痛な表情で息を吐いた。
テレジアはもはや陥落したも同然だ。あとは代表であるマルシュを捕えるか、首を取るかしてガーランド軍の勝利宣言となるのだろう。
テレジア軍はもちろん、市街にも被害が出て市民もどれだけ犠牲になったか分からない。まるで要人事変の再来のようだ。
廊下をまっすぐ進むと、政務室の扉が開いていた。中からアヤの叫び声が聞こえる。
二人は政務室へ急いだ。
「フリン、どうした、視点が定まらなくなってきてるぞ?その様では右目も失うことになるな」
「…っ?!これは、一体…」
駆けこんだルイスは政務室の光景に息をのんだ。
腕を切り落とされ意識をもうろうとさせているマルシュと、何とかして血を止めようと布を押し当てているアヤとイツキ、左目から血を流し額を抑えて体を震わせているフリン、そして、王国の印章があしらわれた細剣を構えて不敵に笑うリーエン。
「ん?おまえら…。黒髪は只者ではないとは思っていたが、化け物だらけの中よくここまで来れたものだな」
リーエンは執務室に現れたルイスとユーリを横目に見る。
「ルイスさん…っ!マルシュさんが…!」
アヤがルイスに気付いて叫んだ。血が止まらず、どうしていいのか分からずパニックを起こしている。
「ひどい出血…」
ルイスはマルシュの容体を遠目に見て眉をひそめた。辺り一面大量の血だ。遠くの方に右腕が転がっている。
「ルイス、ここは私が。見てあげてください」
ユーリは刀に手を置くとリーエンの方を向いて、身構えた。ルイスを背後に確認しながらゆっくりとマルシュらの方へ進む。
ルイスは頷いてマルシュの元へ駆け寄った。
「アヤさん、イツキ君!無事ですか?!」
「僕たちは平気、でもマルシュさんが…」
「…これは、これは…テレジアへ、ようこそ…」
マルシュはルイスの声を聞いておかしなことを言い出した。血を失いすぎて意識が混濁しているのだろう。腕の容態は、肘から上できれいに斬られ、だらだらと血が溢れ続けている。このままでは失血死してしまう。
「大丈夫、落ち着いて」
ルイスは辺りを見渡して近くにあったテーブルクロスを掴むと切断箇所全体を包んで端からぐるぐると何重にも強く巻いた。
「アヤさん、カーテンの紐を取ってきてください」
「は、はいっ」
カーテンの紐で巻いたクロスを結んで固定する。じわじわと血は滲んでいるがひとまずはこれで何とか…。
「俺が用があるのはそこの女だけ。部外者のおまえらはわざわざ身を挺してそんなやつらを守るのか?」
リーエンはマルシュを指差してユーリに視線を送った。
「やだな、守るわけないでしょ。私には関係ない。でも、ルイスが彼女を守るなら、私はそのルイスを守るために抜く。それだけ」
ユーリは静かにリーエンを見据える。
「そうか。それは面倒だ。…では、フリンからやるかっ」
リーエンは、つまりルイスを攻撃しなければこの男は敵ではない、と判断した。フリンの方へ視線を移す。
「…リーエンっ、貴様…っいつ、王国に組した!!代表に、これほど厚い信頼をかけられながら…っ!!!」
フリンは荒い呼吸で息巻く。剣を持つ手が微かに震えている。このままではフリンも出血多量で倒れてしまう。
「は?ああ、寝返ったと思ってるのか。本当におまえらは馬鹿でおめでたいな。俺はそもそも最初からテレジアに誓いなど立てていない。そんなことも理解できないのか?俺はガーランド王国諜報部隊所属、リーン・フィブリオ。テレジアを心底憎んでいる王国軍の一人だ」
「王国軍所属…?…では、何年も…潜入を…?」
フリンは驚愕に唇を震わせた。
「なるほど、諜報部隊か。カンが鋭いわけだ」
ユーリは納得して唸った。
諜報員と言う特殊な職務は五感に優れている者にしか務まらない。武力と戦略でぶつかり合う騎士とは違い、情報力、機動力、殺傷能力を駆使した戦術を得意する。つまり、ユーリと似たような戦闘スタイルと言うことになる。
「…それで、あなたに違和感を…」
ルイスがリーンに持った違和感、それは敬愛や信頼と言った感情の欠如だったのだと納得できた。マルシュに忠義を尽くすような態度や言動をしながら、どこか蔑むような感情が時折見え隠れしていたのだ。
「とりあえずおまえの首は貰う、フリン将軍」
リーンは床をけって、細剣をフリンの右目を狙って突き出した。
さすがの諜報部隊、動きが早く滑らかだ。
ユーリは咄嗟に反応して刀を抜きかけたが、手を止めた。ここからはフリンまで距離的に間に合わない。オリクトを使えば何とかなるが、そうまでして守る相手ではないし、そうまでして彼らの戦いに介入する気も無い。
そこまでを一瞬で考えて、ユーリは敢えて二国の命運を見守ることにした。
「っ!!」
フリンの反応が遅れた。左目を失った出血で意識がうつろい始め、体が動くまでに時間がかかる。後退しようとするがとても間に合わない。
リーンはにやりと笑った。
剣の切っ先がフリン目がけて迫る。
次の瞬間、ふっとフリンの体がリーンの視界から消えた。
「!な…?!」
どすんと音がして、フリンが床に倒れ込んだ。
リーンは状況が理解できずに一歩後退する。
「…おまえ、先に動いたな。読んでいたのか?」
リーンは警戒しながら目の前で床に手をついているイツキを見下ろした。
先に動いていた。そうでなければ間に合うはずがない。
「……」
イツキはリーンを見上げてごくりと唾を飲み込んだ。
フリンへの敵意を感じて先に体を突き飛ばして回避させたが、この後どうするかは考えていなかった。
「っ…イツキか、助かった…」
フリンはふらふらと体を起こす。
どうにかしなければ、と剣を握り締めるが視界がぐらぐらと歪む。
「まあいい。邪魔をするなら排除するのみ」
リーンは剣を構え直した。
「イツキ君、下がってください」
ユーリも身構える。
「……やめるのだ!リーエン…!!!…イ、ツキはっ……」
マルシュが声を荒げた。意識がはっきりしてきたようだ。
「…その子に…手を、出…ぐっぅ…」
身体を動かそうとして、激痛に顔を歪ませる。
「マルシュさん、動かないで!」
マルシュは虚ろな瞳でリーンを見上げた。
深く呼吸をして、息を整える。
「…ようやく、分かった、よ…。何故と、思っていたが…フィブリオ、そうか…。イツキには剣を向けるな…おまえの、ためでも、ある…」
マルシュはどこか納得した様子で、優しい口調でリーンを諭した。
「?何を意味の分からないことを。命乞いならもっとまともに床にでも這いつくばえ」
リーンは不快感を露わにマルシュを睨み付ける。深い憎しみと殺意に囚われた、哀しい瞳で。
「命乞いなど…しない……この命はおまえにやろう…、だから、イツキには手を出すな……セレアノの子だ…私には、命に代えても、守る義務がある…」
マルシュは腕の痛みとは別の、深い悲しみを滲ませて顔を歪めた。
「…セ……は?…子…?…何だと、…何を言っている…」
セレアノ。その名を聞いて、リーンの顔色が変わった。イツキを凝視したまま驚愕に体を震わせている。
「セレアノ??」
イツキは訳が分からずマルシュの方を振り返った。アヤと目線が合うとアヤは視線を逸らした。何か知っている。
「…セレアノが、選んだ…、いつかの、平和の懸け橋に…だから、生むと…イツキは、その証、トールとセレアノの願いそのもの…!」
「っおまえ!選んだだと?!良くもそんなことが言えたなアイゼン!おまえらはどこまでも汚い…!!その命で悔いろ!俺と姉さんに!!汚されたフィブリオ家に!!その首をテレジアに晒して報いを受けろっ!!!」
リーンはわなわなと怒りに震え叫びながら剣を掲げた。
「!マルシュさん!」
敵意に気付いたイツキが立ち上がって先にマルシュの方へ走り出す。
「っ!!」
リーンはイツキに一瞬躊躇い、動きが鈍った。
「いけない!」
慌ててルイスもマルシュの前へ飛び出す。
「っあー、もう!」
ルイスを見てすかさずユーリも走り出した。
ぎりぎり間に合うかどうか。
「!!!!」
それぞれの心の叫びが、交錯し、ぶつかる。
一つ一つは小さく未熟だけれども、想いは重なれば強大な力となる。
それは眩い光を放ち、新たな流れを生み出す力となって…。




