出会い 7
壁板の隙間から差し込む陽の光が顔に当たる。
ルイスは眩しさを感じて眉間にしわを寄せた。
何度か瞬きをして目をこする。相変わらず背中が痛い。起き上がって背伸びをする。
「おはよう、ルイス」
横から声をかけられ、ルイスは声の方へ顔を向けた。
床に座り込んでいたユーリが立ち上がって微笑む。
「ユーリ!おはようございます。体調はどうですか?」
「ええ。この通り。ご心配をおかけしました」
「良かった」
ルイスは、ほっとして胸を撫で下ろした。
店で一番美味しいと勧められたワインを買って戻ったが、果たしてそれが対価になるのか、ユーリが目覚めるまで安心は出来なかった。
「あ、寝台を…。すみません、起きていようと思ったのですが」
ルイスはユーリが寝ていたはずの寝台に自分がいることに気付いて恥ずかしそうに寝癖ではねた髪を整えた。
「気にしなくて良いのに。むしろ良くワインを調達してくれましたね。この前から貴方に助けられてばかりです、ありがとうございます」
ユーリは寝台の端に腰かけるとシーツの上にかけていた外套をルイスの肩にかけた。
「お役に立てているのであれば頑張ったかいがあります」
ルイスは嬉しそうに微笑んで外套に手を通す。
ふと、花の香りが鼻をかすめた。
「?ユーリの袖?花の香りがしますね」
ルイスは無邪気に鼻をくんくんと動かす。
「えっ」
ユーリはぎくりとしてルイスから腕を離した。
そういえば、あの酒場の部屋の前には花が飾られていた。気づかない間に花粉を引っ掻けたのかもしれない。
「あー、昨日の森で何かこすれたのかも」
「そうかもしれませんね。あ、そう言えば」
ルイスは特に気にもしていない様子で相槌を返すと、何かを思い出して立ち上がった。
寝台の横に置いてあった鞄を探り、包み紙を取り出す。
「昨日、お菓子屋さんの出店で素敵な出会いがあったのです!」
そう言って満面の笑みでルイスは包み紙を広げてユーリに差し出した。
「へえ。一人で、ですよね?」
「はいっ!店じまいの片づけを少し手伝わせて頂いたのですが、ユーリにも食べさせてあげてくださいと、お礼に頂きました」
ルイスは得意げに答える。
初めての一人での買い物はさぞ楽しかったことだろう。嬉しそうな表情が何とも微笑ましい。
「それは貴重な体験でしたね。では頑張りの成果を味あわせて頂きましょう」
ユーリは丸い形のパンケーキのようなお菓子を手に取った。
柔らかい手触り。匂いは、小麦粉と砂糖の焼けた甘い香り。焼き立てはさぞ食欲をそそることだろう。
「それはテレジアのお菓子でおか焼きと言うそうです。お店のカルネさんと言う方のご厚意で、私は焼き立てを頂いたのですが…」
ぐぅ。
「?」
ルイスの方から何か音がした。何だ?
ユーリは不思議そうにルイスを見つめるが、ルイスは昨日の一口を思い出している最中なのか熱心に話していて気づいていない。
「それが、驚くほどふわふわでしっとりと、それでいて香ばしい…」
ぐぅ。
再び音が鳴る。
ユーリはルイスの腹をじっと見つめた。
間違いない、ここから音がした。
「…すっ、すみませ…っ」
ルイスは自分の腹が鳴ったことに気付いて腹を抑える。何で鳴るんだ、とお腹を睨み付けながら。
「…っ…」
ユーリはたまらず口を押えて俯いた。
菓子の味を思い出して、二度も腹を慣らすとは…。
肩を震わせて必死に笑いを堪えた。
ぐうぅぅぅ。
「っぶ!!!あっはっはっはっは!!!」
一際大きな音にとどめを刺され、とうとうユーリは堪えきれずに声をあげて笑い出してしまった。腹を抱えてしゃがみこむ。
「あぁあぁ、もう!…凄い食いしん坊みたいではないですか…」
ルイスは耳まで真っ赤にさせて両手で顔を隠した。
「あはっはっはっ!!っいや、いい、良いんですよ、正常正常。…くくくっ!…昨日はお菓子以外何も食べていないのですからね、仕方ない。…ふふっふふふ、はははっ!!」
と言いつつ、笑いが止まらない。
「そんなこと言って笑っているではありませんか!!」
「ふふふっ、すみません、あまりにも良いタイミングで鳴るもんだから…。さあ、ほら、半分こにしましょう。これでお腹の機嫌も良くなるでしょ」
ユーリは何とか笑いを堪えながらおか焼きを半分に割って片方をルイスに差し出した。
「いえ、これはユーリの分ですから」
ルイスは手を伸ばしそうになって引っ込めた。これはユーリ用にと貰ってとって置いたものだ。食べたいけれど、これを受け取ってしまったら本当にただの食いしん坊になってしまう。
「美味しい物は一緒に食べた方がもっと良い。でしょ?」
ユーリは子供をなだめるように優しい口調で言った。
変なところで強情なのはエリオス譲りか。思い出して小さく笑う。
「…それは確かに、そうですね…」
ルイスは嬉しくてついほころびそうになる口元を隠して、しぶしぶと言った体で受け取った。
ユーリが一口食べるのを確認して、ルイスも一口。
「ん、これは!美味しいですね」
ユーリの表情が明るくなるのを見て、ルイスはうんうんと頷いて顔を綻ばせた。ユーリはすぐにもう一口放り込んで頬を膨らませる。
「絶品でしょう?!カルネさんのお父様がお作りになられたそうなのですが、とても腕の良い職人さんですよね!カルネさんも町一番だと言っていましたが間違いないと思います!」
ルイスはいつもよりも明るいトーンで、嬉々としてユーリに語った。
勿体ないのか、小さめの一口で少しずつ味わって、ルイスは幸せそうな笑みを浮かべる。
「ええ」
そんなルイスを見てユーリは微笑んだ。
これは恐らく、テレジア名産と言っているだけの手軽で庶民的などこにでもある菓子だ。小麦粉をベースに卵や牛乳と砂糖やはちみつを混ぜて焼いただけで、一般的な家庭で簡単に作れる。物としてはパンケーキとさほど変わらない。
幼少期から家に専属の職人が何人もいてあらゆる高級菓子を食べつくしているはずなのに、こんな簡素なもので幸せそうな顔になれるのは、ただの世間知らずと言うだけではないだろう。年齢よりもずっと大人びた言動や行動を貫いてきた彼の、これが素の姿なのだろうとユーリは思った。
「その出店は後で見に行きましょうか。私もお礼を言いたいです」
「!あ、はい!」
ルイスは最後の一口を飲み込んで目を輝かせて頷いた。
「とりあえず、これではお腹は膨れないのでどこかで朝食を取りましょう。何か食べたいものはある?」
「えっと、食事は何でも良いのですが、ユーリに色々と聞きたいことがあるので出来ればゆっくり話が出来るお店であると助かります」
「うん。では通りを見てみましょう。朝日が昇って結構経つからどこでも開いているはずです」
ユーリは立ち上がって衣服を整えた。刀を帯に差して、キャビネットの銀貨を手に取る。
この銀貨についても聞かなければと思い、そのまま懐にしまった。
大通りはすでにそこそこの人通りがあった。
仕事へ向かう人、深夜勤め明けで帰宅する人、買い物へ出かける人、学舎へ向かう子供たち、これから遅めの朝食を取るルイスらと同じような人。
通りがかりに昨日カルネがいた出店の場所を確認してみたが店はまだなかった。お昼過ぎにまた来てみようと言うことで、二人は大通りを市庁舎方面へ進み、市庁舎前の通りを右へ曲がった。
この通りは食品関係の大きな店が軒を連ね、ルイスが昨日訪れた酒造店もここにある。飲食ができる店は四件。持ち帰ってどこでも手軽に食べることが出来るサンドや弁当などの軽食を売っている店と、小奇麗できちんとした佇まいの高級そうな店、お酒は出していない家族や昼食向けの飲食店と、飲酒も出来る酒場のような店だ。
ルイスはユーリに気を利かせて酒場の店に入ろうとしたが、ゆっくり落ち着いて話すには高級店が良いと言うユーリの提案で一番高そうな店に入ることになった。
店内は静かで落ち着いた雰囲気だ。
何組か客がいたが高級店なだけあって一様に穏やかに会話と食事を楽しんでいる。ユーリは会話が聞き取られにくい、柱の向こうにある一番奥のテーブルを選んで席に着いた。
ルイスはパンとスープ、鶏のソーセージに、ユーリは白ワインとベリゴール乳牛チーズの盛り合わせを頼んだ。
食事らしい食事はドナの料理屋で保存用のパンを食べて以来、二日ぶりになる。ルイスは静かにゆっくりと、けれど夢中で料理を平らげた。
「ふう、夢中で食べてしまいました」
ルイスは食後のお茶を一口飲んで満足そうに息を吐く。
「でしょうね。一言もしゃべらなかった。では落ち着いたところで、私に聞きたいことって?」
ユーリはチーズをかじりながら机に肘をつく。
ルイスはコホン、と咳をしてカップをそっと置いた。
「あの、オリクトや国々の知識を得るために各地を回ろうと言うことになりましたが、そもそもユーリと『幻』についてあまり良く知らないと言うことに気付きました。エノテイアでは父上の部屋にあったワインを対価にしていたように感じたので質の良いワインを用意してみたのですが、これはワインだけに限られるのでしょうか?何か条件がありますか?言える範囲で構わないので教えて頂けると、似たような事態に陥った時にお役に立てると思うのです」
「ふむ。そうですねぇ…」
ユーリは一寸考えた。
どこからどこまで話すべきか。頭の中で言えることと言えないことを選別する。
「ではまず、私と『幻』について少しお話しておきましょうか。私の使い勝手を知っておくことも今後は必要になってくるでしょうし」
ユーリはチーズの乗っている皿の右手側に二つの大きなチーズと、左手側に小さく切った二つの欠片を置いた。
「以前もお話ししたと思いますが、私は飲食も休息も最低限でそこそこ活動できます。これは生命活動を含む、私の能力そのものにも共通して言えます。例えるなら、常人が大きなチーズを切るのに使う力と、私がこちらの小さな欠片を切る力が同程度であると言うことです」
そう言ってユーリは大きなチーズをナイフで切る。
「それはユーリの腕力が強いと言う意味ではないのですよね?」
「そう。私自身が強いわけではありません。私の特性はあらゆる行動から発生する消費を最低限に抑えられることなんです。魔晶も同じ。普通は魔力をこれだけ消費するのに対して、私はこの程度」
ユーリは再び大きなチーズと、欠片を順に指差した。
「!それは、すごいことですね」
「元々そういう体質ではありますが、そこに『幻』の影響で能力が向上した感じかな。『幻』も同じようにとても効率の良いオリクトなんですよ。必要な対価も、魔力消費も他よりもずっと少なく済む。だから私は魔力が高くないのに転移を行使できるんです。ただまあ、転移にだけ特化して鍛錬したものですから、それ以外の魔晶は得意ではありませんのでこれも覚えておいて下さい」
ルイスはふむふむと頷く。
「で、対価ですが…」
ユーリは再び考えた。エリオスの立場になって考えると刺激的な内容は避けるべきだ。
「とりあえず、ワインは正解。ルイスは『幻』の対価が飲食と認識したと思うんですが、正確には”満たされること”が対価となります。ですので、飲食の他には睡眠も対価になります。条件と言うかどちらにも共通して言えるのが、対価として”満たされる”ことを支払っているので”私自身は満たされない”ことが基準になると思ってもらって良いです。睡眠に関しては以前にも軽く言いましたが、非常に疲れるので取るつもりはありませんから飲食で賄うつもりです」
「と言うことは、味がするものは対価にはならないのですよね?それは満たされないにあてはまるのですか?」
ルイスはうーんと唸る。
「基本的にはその認識で間違いはないです。ただ誤解がないように言っておくと、味がする=満たされてない=美味しくないと言うわけではありませんのでね。私もちゃんと味がして美味しいと感じることもありますし、食事という行動そのものを楽しんでいる時もあります。今回と同じようにルイスに助けてもらうことがあればワインで大丈夫です。それに、私も反省しました。オリクトの所有者と戦闘になる危険性をもう少し考慮しておくべきでした。これからはオリクトを使用する前提で対価を得るように心がけます。『幻』は対価を先に得て、あとで魔晶を使用すると言う使い方も出来ますから、以後は常に対価を得るようにして、いつでも扱えるようにしておきますよ」
ユーリはそう言ってチーズを一口で平らげる。
「このチーズは対価に?」
「いえ、これは体を動かすための最低限の食事ですね。乳製品は味が苦手なんですけど、栄養価が高いのでワインで流し込んでます。嫌いな食べ物は味がするってのが恨めしいですよ」
ユーリはそう言って苦笑いを浮かべた。
どうにもこの乳製品特有の甘さと言うか、匂いが昔から苦手だった。生乳に至っては子供の時に一度飲んで以来口にしていないかもしれない。
「…念のため聞いておきたいのですが、紅茶はいかがですか?」
ルイスは口ごもって視線を泳がせた。
「!あー、すみません、そう聞こえてしまってもおかしくなかったですね。もちろん紅茶は好きです、特にルイスが淹れてくれるものが!たぶんですが、満たされると言うより癒されるに近いので、対価にはなりえないんだと思います。だから好きなのかも」
「癒される…!なるほど、それなら良かったです。もし無理をして飲んでくださっていたのであれば申し訳ないなと思いまして…」
「それは本当。無理してないです。相手に合わせたルイスの見立てと配合は私のお気に入りですから!」
ユーリは真剣に力強く頷く。
ルイスはそんなユーリの表情を見てほっと息を吐いた。
言えないことはあるのかもしれない。けれど、その瞳に嘘は感じられない。どこかおぼろげで掴みどころのなかったユーリという人間が、少しだけ形を成して見えてきたような気がした。
ルイスはありがとうございます、と微笑んだ。
それから半時間ほど、昨日の出来事についてユーリの意識がおぼろげなあたりからルイスは事細かに説明した。
話題は二人をテレジアに入れるよう手引きしてくれた女性の話に。
女性がベリゴール方面から現れたこと、兵士とのやり取りの後、ルイスらに市内へ入る許可が出たこと、宿の手配までしてくれたこと、どれをとってもその女性は只者ではない。
「そんな権限があるってことは代表?でも一人で馬にまたがってたんですよね?」
「はい。女性が供も付けず一人で居たのは不自然ですが、もしあの方が代表であればそうする必要があったからかもしれません。急遽、会議の場所が変更されたのもガーランド側への情報の攪乱のためだったとも思えますし」
「ふうむ」
「アヤさんとイツキ君を探してみても良いですか?もしかするとすでに代表さんと会っているかもしれません」
「そうですね、あの二人を介して情報を得てみましょう」
二人は店を後にして、アヤとイツキが泊まっているであろう宿を訪ねてみることにした。
・・・
ルイスらが泊まっている宿と同じような寝るだけの安宿は二件、飲食が出来る酒場兼任の宿は一件、浴場もあるそこそこ値段の張る宿は一件。
高い宿から順に回ってみると、最初の宿の入り口で二人と再会することが出来た。代表に呼ばれているので出かける所だったと言う。あわや行き違う所だ。
約束の時間まで猶予があるそうなので、ルイスらは二人の部屋で少し話をすることにした。
「代表のマルシュさん、昨日テレジアに戻って来たんです。夜食に呼ばれて少し話をしました。話と言っても、私たちの事情と状況を説明して、理解してくれて労ってくれて、あとは母さんの話をしたぐらいで終わりました。詳しい話はまた明日と言うことで」
「なるほど」
ルイスとユーリは顔を見合わせて頷いた。やはり昨日の女性はテレジアの代表だったのだ。あの場で顔を合わせられたことは幸運だった。こちらから接触する口実を作ることができる。
「今からは今後の話を?」
「うん。僕らの希望は伝えてみる。マルシュさんはずっとここにいてくれて良いって言ったけど、それは迷惑をかけるだけだろうし…」
「ガーランドとジュラでどのようなやり取りが行われているのか気になりますね…。もし可能であればガーランドから書状が来ているかどうか探ってみてください。ジュラがどう返答するかも」
ルイスはガーランドが仕掛けようとしている戦争の名目を思い返す。
目的は『剣』に所有者がいることの隠蔽と、『争』をガーランドから排除することであるとルイスは予想した。
まず第一に『争』を所有させ、その者をジュラへ逃げ込ませること。ここまではガーランドの思惑通りに運んだ。次は開戦にまでこぎつけて『争』の存在を暴き、オリクト目的でジュラへ侵攻するとエノテイアに認識させること。あとは流れに任せて『剣』の所有者について申告するだけ。
つまり、『争』の存在が知れ渡る前に先に『剣』の所有者が露呈すると計画が狂う。事実が知られればエノテイアから調査員が派遣され、ガーランドはジュラとの戦争どころではなくなるだろう。
だが『剣』に所有者がいることを証明するには『争』の所有者であるアヤが証言する必要があるがそれではだめだ。『争』の駒は使えない。となれば使える駒は周りの…。
「ルイス」
ユーリに声をかけられ、ルイスは、はっと顔をあげた。
「二人はもう出かけましたよ」
「え?あ…すみません、考え事に夢中で気づかず」
「よからぬこと考えてたでしょ?何かしら自分を使うとかそんな」
「えっ?!」
ルイスは驚いて目を見開いた。確かに考えかけていた。使える駒は自分か、と。
「やっぱり。そう言う顔してた。エリオスとのボードゲームでも、ものすごい犠牲を払う勝負に出る時もそんな顔してたんで、まさかと思ったけど」
ユーリは額を抑えてやれやれと大きなため息をついた。
「そんな顔をしていましたか?!よく見ていますね…」
ルイスは自分の顔をぺたぺたと触る。
戦略が顔に出てしまうなど、策士としては在ってはならない。これは今後の課題だ。気を付けなければ。
「私は見慣れていると言うか、ずっと見てたんで分かるだけですよ。エリオスもよく貴方を見てたんで読まれてましたよ。だからほら、騎士と魔晶士の駒を犠牲にしたあの時、負けた」
ユーリはにやりと笑った。
「!なるほど、それで!」
ルイスは、エリオスとの手ほどきではない真剣勝負で初めて負けた時のことを思い出し納得した。エリオスは盤面ではなく、ルイスを見ていたのだ。あれはエリオス、つまり親だからこそ出来た特殊技とでも言うべきか。
「ともかく、今貴方がうっすら考えた案は却下です」
「分かっています。少しよぎっただけです」
「なら良いんですけど…。あ、そうだ、アヤさんがこの宿は時間ごとに浴場が使えるそうなので、どうぞって。アヤさんたちが戻ってくるには時間がありますし、ありがたくお借りしましょ」
「浴場がついてるのですか?自分が匂うのではないかとずっと心配だったので助かります」
ルイスは立ち上がって目を輝かせた。
汗をかく部分は拭いてどうにかしてきたが、やはり定期的にきちんと湯で体を流したかった。同じ服をずっと着ている生活と言うのもまだ慣れない。
「ではお先にどうぞ。その後買い出しに行きたいので通りを見てまわりましょう。お菓子の出店もそろそろ出ているでしょうし」
「はい」
ルイスは楽しそうに身支度をして部屋を後にした。
・・・
湯あみをしてさっぱりした二人は市内へ繰り出した。様々な店を覗きながら通りをぶらぶらと歩く。
カルネの出店へ行く前に、花屋を見たいと言うユーリの希望で先に花屋に立ち寄った。
花屋には花しか売っていないとルイスは思っていたが、どうやらテレジアの花屋はハーブ類や薬草類も売っているらしい。
エノテイアでは薬学の専門機関があるので専用の店があったものだが、一般的には花屋が植物全般として薬も扱っているとユーリが教えてくれた。専門的な知識があるわけではない花屋が売っているからなのか、種類や数が少ないのは難点だ。
傷の手当、化膿止め、熱冷まし、改善薬、必要最低限を吟味して購入する。
あとは適当に、鍛冶屋と雑貨屋へ行くことになった。
行きがてら、再びカルネが店を出していた通りの隅を覗いてみる。
ルイスはすぐにカルネの後姿を見つけた。ちょうど出店の準備をしている所だ。
「カルネさん、こんにちは」
声をかけると気づいたカルネが手を振ってくれた。
「ルイス、こんにちは!今日も来てくれたのね。あら…そちらが昨日言っていた?」
カルネはルイスの背後でにこにこと微笑んでいるユーリを眺めて目を瞬かせた。
「ユーリです。昨日は主がお世話になったようで、お礼申し上げます。お土産のお菓子も頂きました。とても良い味ですね、ありがとうございました」
ユーリは従者らしく、努めて丁寧に深々とお辞儀をする。
「えっええ、そんなお礼だなんて、いいのよ、余りものだったし」
カルネは顔を赤らめて両手を横に振って笑った。恥ずかしそうに慌てて店の準備に取り掛かる。
「いつもこの時間からお店を開いているのですか?」
ルイスは昨日の要領を思い出し手伝いながら陽を見上げた。
もうとっくにお昼は過ぎている。陽が沈む前に片付けてしまうのであれば店を開いている時間はあまりも短い。
「ええ。昼食を食べてお父さんの仕事が落ち着いたあと、メルの面倒見がてら多く作りすぎた物や私が作ったお菓子を持って出店を開いているの」
「お父様は料理屋さんを営んでいらっしゃるのですか?」
「うんん、前はそうだったんだけど色々あって…。今は市庁舎通りの料理屋さんに住みながら雇ってもらってるの。朝食の時間が落ち着いた後に調理場を借りてお菓子を作ってるのよ」
「では、カルネさんたちは増水の避難指示でテレジアに?」
「あら、良く知ってるわね。でも私たちは前はベリゴールにいたからあまり関係ないかな。そう言えば、うちの叔父さんはそのせいで店を閉めて来たって…」
カルネが何かを思い出そうとしていると、中年の男性が店に近付いてきた。
「こんにちは、カルネちゃん。今日はサンドケーキを三つ貰えるかい」
男性は杖を突きながら、ルイスが並べているケーキを指した。
「はーい、いらっしゃい!」
カルネは元気よく返事をして、手に持っていた商品を手早く並べる。
「おねえちゃん、おか焼き二つちょうだい!」
「はい、ちょっと待ってね」
カルネが男性と話をしながらサンドケーキを手に取ると、銅貨を握り締めた少年が台の向こうからひょっこりを顔を出した。
「ルイス、これ包んでもらえる?三つね」
そう言って男性から受け取った布をルイスに手渡す。
「?!えっ、あ、はい!」
ルイスは慌てふためきながら、指示された通りサンドケーキを布にくるんだ。いびつな包み方ではあるがきちんと縛ってとめる。
「おじさん、お嫁さんがこの前チョコがけを食べてみたいって言ってたわ。いつもすぐに売り切れちゃうから今日買って行ってあげてみてよ」
「ああ、そういや言ってた。そうだね、そうしようかな。じゃあ適当に四つ見繕ってくれるかい」
「はーい、ありがと!」
「ねー、おにいちゃん、おか焼きちょうだいよー」
痺れを切らした少年がルイスの袖を引っ張る。
店の人間と思われているのか、少年にとっては誰でも良いのか、早くくれと必死にせがんできた。
「ええっ、少し、お待ちくださいね、カルネさんは立て込んでいますから」
ルイスは少年をなだめてカルネに目配せする。
「ごめん、ルイス、銅貨一枚と二つ交換してあげて。紙に包んでね」
「はっ、はい」
「おねえさんー、コンラッドクーヘン、贈答用に二本包んでくれないか」
今度はこれから出勤と思われるテレジア兵がやってきた。贈答用とはまた、手間のかかる。
「はいはいー、包みには少し時間かかるけど構いませんか?」
「そっか、じゃあ、先に別の用事すませてくるからそれまでによろしく頼むよ」
「はーい、すいませんね」
カルネは中年男性の会計をすませながら、てきぱきと追加で頼まれたチョコかけの菓子を包んだ。
「ねーねぇ!おかしっ、もういや!」
忙しそうにするカルネの足元でぐずった様子のメルが泣きながらカルネに抱きついた。
「ごめんね、良い子にしてて、忙しいのは今だけだから」
「メルさん、今日はどうかしましたか?」
ルイスは少年から銅貨を受け取りおか焼きを手渡す。
「今日は朝から機嫌が悪くてずっとこんな調子なの」
「い!や!」
「メル、大きな声出さないで、みんなびっくりしてるよ」
カルネはメルをなだめながらまだ準備が途中の菓子を並べる。
朝からこの調子でぐずられカルネは疲れ果てているのか大きなため息をついた。
「ルイス、この後、刀を研ぎたいのですが時間がかかりますから先に鍛冶屋へ預けて来ても構いませんか?」
ユーリは二人の様子をしばらく眺めていて、思いついたようにルイスに声をかける。
「ええ、もちろん。私は少しカルネさんのお手伝いをしていますね」
「はい。じゃあ、えっと、メルさん。私と通りを散歩しに行きましょう」
ユーリはメルの傍でしゃがみこむと、にっこりと微笑んで手を差し伸べた。
ぐずぐずと涙を流しながら、メルはユーリをじっと見つめる。
「カルネさんがお許しいただけるのなら、ですが」
「えっ?!私は、助かるからありがたいけど…でも…」
戸惑うカルネをよそにメルはユーリに手を伸ばしてぎゅっと抱きついた。
「メルさんも歓迎してくれていますね。では行ってまいりますよ」
ユーリはメルをひょいと抱き上げて立ち上がる。
「わぁ」
背の高いユーリに抱き上げられ、いつもよりずっと遠くまで見渡せるのか、メルは嬉しそうに目を輝かせた。涙も一瞬で引っ込んでしまう。
「あっち、いこ!」
意気揚々とメルは通りの向こうを指差す。
では、とユーリは二人に手を振って店を後にした。
「あなたの従者なのに、良いの?メルったらあっさり懐いちゃってるし」
カルネは、はぁ、とため息をついた。どこかもやもやとした表情をしている。
「私たちのことは気にせず。カルネさんは昨日もメルさんのお世話をされていましたが、お母様もお忙しいのですか?」
「え、ええ。うちはお母さんがいなくて、私が母親代わりをしているようなものだから」
「!すみません、余計なことを聞いてしまいました」
ルイスはお菓子の包装を手伝いながら口に手を当てて頭を下げた。
「あ、誤解しないで!死んでないよ、生きてる。でもお父さんと喧嘩してて、仕事も忙しいから滅多に帰ってこないの。昨日は久しぶりに帰って来たんだけど、結局お父さんとまた言い合いになってすぐ出て行っちゃった。メルはそれからずっとあんな調子よ。まだ小さいから、お母さんが恋しいんだと思う」
カルネはそう言って苦笑いを浮かべた。
「カルネさん…」
母親がいない辛さは何となく分かる。
ルイスは初めからいなかったし、二人分でも余るほどの愛情をエリオスに注いでもらったので寂しいと感じることは少なかったが、それでも母親と手をつないで歩く子を見かけると心がざわついたものだ。それがたまに会えるとなれば、寂しさは募るばかりだろう。
「お母さんも忙しいのは分かるけど、メルが可哀そうで…。今の仕事じゃなきゃだめなのかってお父さんもよく怒ってる。私だって、自分のやりたいことにもっと集中したいのに…お菓子だって…」
カルネは贈答用のクーヘンを包みながら、ぽつりぽつりと心の奥底でくすぶっている不満を吐露した。
「……」
色々な感情が混ざり合った瞳の奥には苦悩以外の闇が見える。何かを求める心、何かを妬ましく思い気持ちはどうしてこうも人を悩ませるのだろうか。
「カルネさんがやりたいこととは?」
「ん、うん。お菓子の職人さんになりたいと思っているの。もっと勉強もしたくて、そのためにはアランドールかエノテイアへ留学するしかないんだけど、お父さんもお母さんも許してくれない。だからこうしてお菓子を作って売って、いつか自分の力で、と思って留学資金を貯めている」
「ご自分で?それは素晴らしい。ご立派な目標ですね。きっと素敵な職人さんになれると思います」
「ほんと?まだまだお父さんのおか焼きには敵わないけど…。もし自分のお店が持てるようになったら買いに来てよね。サービスするから」
カルネは嬉しそうに恥ずかしそうに微笑んだ。
「ええ、必ず」
もしそんな日が来たら、絶対に行こうとルイスは心の中で誓った。
カルネが自分の店を持つ頃には色々なことが解決して、エリオスと一緒に店を訪ねることが出来るかもしれない。
いや、そうしよう。
もし、ではなく、目標の一つとして、必ず。
それからしばらくして、ユーリとメルが戻って来た。持っていた人形と髪に可愛らしい花をつけて。
「すみません、遅くなりました。鍛冶屋へ行ったらすぐに作業に掛かれるそうで、そのまま終わるのを待たせてもらいました」
「おかえりなさい、ユーリ、ご苦労様でした」
ユーリが肩に抱えていたメルを下ろすと、メルは一目散にカルネの元に走り寄って抱きついた。
「おかえり、メル、良い子にしてた?」
「はい、ねーねの」
そう言ってメルは満面の笑みでカルネにノギクの花を差し出した。大切に握りしめてきたせいか萎れかけているが、メルと、メルの人形が付けている花と同じ白い小さな花びらの群生だ。
「わあ、可愛いわね…ありがと、メル…」
カルネは何とも言えない表情で花を受け取りメルを抱きしめた。
さっき一瞬でも、メルがいなければもっと自分の時間があるのに、と言う思いがよぎったことにとてつもない罪悪感が込み上げる。
「ねーねのおかし、ちょうだい」
メルは菓子を並べてある台に手を伸ばす。
「ああ、そうね、そんな時間か。ね、ルイス、今日もお礼がお菓子で申し訳ないんだけど二人とも好きなの選んでよ。今日は本当に助かっちゃった」
「そんな!またお礼を頂くわけには…」
「ふふ、お礼が行ったり来たりしていますね。これじゃあ永遠に終わらないのでは?」
お礼を言いに来たのにまたお礼をもらうことになってしまう不思議な状況にユーリはくすくすと笑い出した。
「それは名案だわ。二人にはずっといてもらいたいぐらいだから、いっぱいサービスしようかしら」
カルネは神妙な顔で真剣に考え始める。
「あしたはるいすとあそぼ」
「わ、私ですか!」
ルイスはメルの抱きつかれて戸惑いながら頬を掻く。
「お、良いね。私も行きますよ」
「だめ、ゆーりはねーねのおてつだい」
「えーっ!!」
メルに振られてショックを受けているユーリがおかしくて、ルイスはカルネと顔を見合わせて噴き出した。
大通りに笑い声が響き、陽が少しずつ傾いていく。
ルイスは初めて訪れた街での素晴らしい出会いに感謝し、喜び笑い合う。
そんな当たり前の日常が明日も来ると疑うことも無く。




