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幻想の晶  作者: 詩乃なかば
一章
13/31

出会い 6

 

 二人は少しして再びテレジア市まで戻ってきた。

 門の兵士に怪我の治療をさせてもらえないかと交渉してみたが、代表が戻るまでは無暗に許可を出すことは出来ないとやはり断られてしまった。

 西のベリゴールまで行くか、南の街道をアランドール方面へ行くと宿町があると進められたが、どちらもかなり距離がある。

 正門を通り過ぎ、街道の端でどうしたものかと二人で考えていると、ルイスはユーリの様子が先ほどより悪くなっていることに気付いた。

 眉間にしわを寄せて苦しそうだ。痛みを誤魔化すために傷口を抑えた腕の力も強い。


「呪いを解くのは難しいのですか?オリクトでも?」


「…いえ…難しくはないんですけど、今は対価も何もないので、オリクトを使うのはちょっと躊躇(ためら)いますね。ベリゴールまで頑張った方が楽かも」

 そう言ってユーリは笑って見せたが、額には汗がにじんでいた。

 呪いの痛みで倒れるか、オリクトを使って命を削るか、どちらかだ。


「ユーリが必要な対価はどのような物でも良いのですか?私の保存食でも多少は意味がありますか?水もまだあります」

 ルイスは必死になって鞄の中から保存袋と水筒を差し出した。


「いえ、何でも良いと言うわけでは…。それはルイスのためにとっておいてください」

 ユーリはありがとうございます、と言って、袋を差し出すルイスの手を押しやる。


「っ」

 肩を貫くような激痛が走り、ユーリはその場に膝をついた。


「ユーリ!」


「この前から、こんなのばっかりですね…すみません…。はぁ…趣味の悪い呪いだなぁ…、だんだん酷くなるように、細工して…」

 ルイスはユーリの背を優しく撫でた。こんなことで痛みが和らぐとは思えないけれど、今はこんなことしか出来ない。


「私が一度ベリゴールへ向かいます、それから馬か何かを借りて…」

 苦しむユーリを見て、ルイスは覚悟を決めたように呟く。


「そこの旅のお方!いかがされましたか!」

 突然、離れたところから女性の声が響いた。

 ルイスが声の方へ顔を向けると、馬にまたがった女性が街道の西からこちらへ向かってきている所だった。


「魔物にでも襲われましたか?」

 女性は軽やかに馬から飛び降り、馬の背を撫でながらルイスの傍まで歩いて来る。

 女性は、肩で綺麗に切り揃えられた黒檀色の髪に、唐草色のマントを羽織り、雄々しい目鼻立ちはどこか武人を髣髴(ほうふつ)とさせた。


「ご心配ありがとうございます。連れの者が怪我をしておりまして、休んでいる所なのです」


「何と、怪我を?それは急ぎテレジアで治療されるのがよろしいかと。名医もおります。もう数時間のうちに陽も暮れましょう」

 女性は傾き始めている陽と地平を見比べる。


「いえ、それが…ご存じありませんか?テレジアは許可証がない者の立ち入りを禁じていまして、これからベリゴールまで向かおうかと思っていた所なのです」


 女性はルイスの言葉に驚いた様子で目を見開いた。

「許可証?…あぁ、申し訳ない。役所の人間はどうにも頭が固い。そのようなために配布したわけではないのですが…。ともかく、門番には私が話しをつけて参りますので、テレジアへお入りください」

 女性はそう言うと颯爽と馬にまたがりテレジアの正門まで馬を走らせて行ってしまった。


「えっ?」

 訳が分からずルイスが呆然と後姿を見送っていると、女性が門の兵士と何度かやり取りを行った後、すぐに中から二人の兵士が出てきてルイスとユーリの方へ走ってきた。

「話は伺いました、市内へお連れ致します」

 二人の兵士はそう言うと、ユーリの両側へ回り肩を担ぐ。


「…え…は?なになに?…なにごと?…」

 意識が朦朧として、ルイスと女性とのやり取りをほとんど聞いていなかったユーリは突然のことに視点も定まらないまま目を瞬かせた。抵抗する気力も問いただす思考も回らない。訳が分からないまま市内へ引きずられて行く。ルイスは慌てて後を追った。


 正門は昨日もくぐった門だ。中は西側に森と厩舎、東側に兵の詰所と拘置所があり、テレジア市の外周と丘をぐるりと囲んでいる。城で言う所の堀と同じ役割のようだ。

 ルイスは中を見渡してみたが女性の姿はすでになかった。一体何者だったのだろうか…。

 市内への入り口である、正門より一回り小さい内門が開かれる。ユーリを担いだ兵士について、ルイスは中へ急いだ。


「わぁ…」

 始めて入るテレジア市に、ルイスは目を輝かせた。

 さっさと歩いて行く兵士の後ろを歩きながらきょろきょろと辺りを見渡す。

 建物はどれも空の視界を遮らない高さで揃えられ、明るい配色の屋根は所々に植えられた樹木の緑を美しく引き立てている。

 店に並ぶ花の香り、色とりどりの果物や野菜、行き交う人々の明るい声、どこかの家か店から漂う料理の香り、町自体がとても穏やかな時間が流れているようだ。

 エノテイアとは全く違う雰囲気。絵本に描かれているような街並みに、ルイスの気持ちは高鳴った。


 ユーリを担いだ兵士は中央通りを少し進んで右に曲がり、建物の隙間の細い路地をどんどん進んでいく。

 路地を抜け、内壁のある突き当りまで来ると左の角に立つ建物へ入った。

 そこは看板もカウンターもない質素な素泊まり用の宿屋で、窓際で本を読んでいた男に兵士が何かを話すと、男は一番奥、とだけ答えて右の通路を指差した。

 ルイスは男にお辞儀をするが、男はルイスを一瞥しただけでまたすぐに視線を本に落としてしまった。


 兵士らは奥の部屋までユーリを運び、狭い寝台に寝かせると、何も言わずに行ってしまおうとするのでルイスは慌てて呼び止めた。

「あ、あの!私たちはしばらくテレジアに滞在してもよろしいのでしょうか?」


「許可は下りています。ですが市民と同じ支援は受けられませんので、こちらの宿屋以外の手配は自力で行うよう努めてください」


 許可が下りた?あの女性はまさか…。

「…分かりました、ありがとうございます」

 ルイスはお辞儀をして二人の兵士を見送った。


 部屋へ戻り、寝台に転がされたユーリの傍へよる。

「ユーリ、辛い所すみません。テレジアへ入ることが出来ました。対価には何を用意すれば良いでしょうか?果物?野菜?何らかの料理が良いでしょうか?」


「…え…?あ…シン、セ、……」


「シン?セ??」

 ルイスが聞き返したがユーリはすでに意識を失っていた。

 聞いたことのない単語だ。食べ物なのか、飲み物なのか、それとも別の何かなのか、それさえも分からない。


「…何か、思い出さないと…」

 仕方ない。分からない事より分かることで考えよう。

 ユーリの対価は補充がそれほど難しくはないと言っていた。転移の直前にエリオス秘蔵のワイン瓶を飲み干していたことやこれまでの言動から察するに、飲み物か食べ物、口に入る物で補えると思われる。かと言って、何でも良いわけではないとも言っていた。何でも良ければ、今頃、水や保存食でどうにでも出来ているはずだ。何かしらの条件のようなものがある。それが何かさえ分かれば…。

 ルイスはこれまでユーリが口にした物のことを必死に思い返した。

 エノテイアではワインを、ガーランドへ来てからは酒と水と保存食、先ほど渡した飴に、ドナの料理屋では茶を飲んだ。

「あれ…」

 考えていて、ふと気づいた。

 ユーリが口にする飲食物には味のするものとしないものがある。基準は不明だが、これまでのユーリの様子から考えるに、対価となる食事の摂取は味がしていないように思う。

 ユーリはキャトラの屋敷で転移の魔晶を発動する際、酒はあるかと聞いてキャビネットに飾られていた葡萄酒を二本煽り、”味がないこの瞬間だけは…”と言って魔晶を発動させた。

 つまり、あの時、あの葡萄酒はオリクトの対価だった。

 酒と言っても、恐らく何でもいいと言うわけではないだろう。値段の高いもの、希少価値のあるもの、対価となり得る酒にも何らかの規則性と言うか、理由があるはずだ。

 ルイスは通りの店を覗いてみようと思い立った。ここで一人で考えていても仕方がない。キャトラ邸に置いてあった葡萄酒に相当する物がないか店の人に聞いてみるのが一番だ。

 ユーリに薄いシーツをかけるとルイスは宿屋を後にした。




 路地を抜けて明るく活気ある大通りへと出る。

 間もなく夕食時に差し掛かるせいか、買い出しをする親子、仕事の買い付けに来ている職人、外食へ繰り出す少し身なりの良い連れ合い、仕事明けで飲み屋へ出かける兵勤めの集団など、さきほど見かけた時よりも人通りが多い。

 どこかの店からは早くも陽気な楽器演奏に乗せて歌声も聞こえてきた。思わずルイスの足取りも軽くなる。街中を一人で歩くのは初めてなのに、不安を感じないのはこの町の雰囲気の良さのおかげかもしれない。

 酒を売っているお店を探しながら歩くがなかなか見つからない。関係のない花屋や雑貨屋につい目が行ってしまう。


 ふと、甘い香りに誘われて菓子を売っている出店で足が止まった。

 クッキー、スコーン、フィナンシェ、サンドケーキ、子供が喜びそうな形に細工された飴やチョコレート付された一口サイズの果物まで置いてある。

 菓子はルイスも目がない。ティータイムには、茶葉選びの他に、葉の香りや味に合わせた菓子選びも楽しみの一つにしている。

 見たことのない菓子があるのでルイスが興味津々でじっと見ていると、店主の女性が声をかけて来た。

「いらっしゃい。それはアランドールの伝統菓子で英雄王から名前を取ったコンラッドクーヘンと言うお菓子よ」


「アランドールの?初めて見ました。生地が何層にも巻かれているのですね。とても美味しそうです。こちらは何というお菓子ですか?」

 ルイスは瞳を輝かせると、茶色にこんがりと焼けた丸い生地でクリームを挟んだ菓子を指差して質問する。


「ふふ、これはテレジアのお菓子よ。おか焼きと言うの」


「おかやき?パンケーキにも似ていますね。とても良い香りがします」


「食べてみる?焼き立てが一番おいしいんだから」


「あ、いえ!持ち合わせがなくて…」

 ルイスが困惑して後ずさると、女性は人差し指を唇にあてて微笑んだ。


「あなた、かわいいから特別サービス。内緒ね。ちょうどこの子におやつをあげようと思っていたから、半分こよ」

 そう言って女性はおか焼きを一つ手に取ると、小さく割って半分をルイスに、もう半分を女性の足元で人形遊びをしていた小さな女の子に手渡した。


「ええ?!ですが…。私のせいで半分になってしまって、よろしいのですか…?」

 ルイスはおか焼きを受け取ると、しゃがみこんで小さな女の子に話しかける。


「おいしいよ」

 幼女はまだルイスの言葉の意味が良く理解できず、目を瞬かせておか焼きを口に運ぶ。


「あはは!!面白い子!良いのよ、まだ小さくて一つ全部は食べられないから、代わりに半分食べてやって」


「そうですか、そういうことでしたら…。遠慮なく頂きます。ありがとうございます」

 ルイスは幼女の横にきちんと座り直しておか焼きを一口食べた。

「!わぁ!ふわふわ!おいしいです!」

 生地の驚きの柔らかさとほど良い甘さに感動して思わず声を上げる。


「でしょ?うちのお父さんが作ってるんだけど、町一番の名人なの」

 女性は感動するルイスを見て嬉しそうに微笑んだ。


「お父上が?!すばらしい腕ですね!あっという間に食べてしまいました!」

 あまりの美味しさにルイスは一瞬で食べきってしまった。


「喜んでもらえて何よりよ。私まで食べたくなってきちゃう。ついでに何か買ってってくれると嬉しいんだけど、持ち合わせがないなら次の機会にお願いしようかな」


「あ、はい。すみません、出来る事ならたくさん買って行きたいのですが…」

 ルイスは立ち上がると深々とお辞儀をして申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「あなた、その、とてもお金を持ってなさそうには見えないけど…スリにでもあったの?」

 女性は世話好きなのか、ルイスを上から下まで眺めて心配そうに首を傾げる。


「スリ?スリとは?」

 ルイスは意味が分からずに目を瞬かせた。


「!っ、あっはっは!!やっぱり、あなたどこかの貴族様か何かでしょう?だから自分では持ってないのね」


「え、ええ…世間知らずは、自覚しております…」

 ルイスは、自分の身分を隠すのは難しいと言ったユーリの言葉を思い出し、こういうことか、と項垂れてため息をついた。


「ああ、ごめんごめん、そんな落ち込まないで。スリってのは通りすがりにぶつかって懐の金銭を取る盗人のことよ。あなた、この辺の人じゃないよね。旅行中?」


「ええ。ア…」

 アランドールから、と言いかけて、ルイスは言葉を飲んだ。

 ついさっき、アランドールの伝統菓子のことを初めてみたと言ってしまった。これではアランドールから来た設定が台無しである。


「あ?」


「なんでもないです…」


「ふふ。あなた名前は?私はカルネ。そっちの小さいのは妹のメルよ」

 カルネは口を抑えて笑った。


「めるー」

 メルは口元のクリームをカルネに拭われながらルイスに抱きつく。


「私はルイスです。わっ、あ、あの、小さな子には慣れていなくて、ど、どうすれば…!」

 ルイスは慌てふためいて思わず触れないように両手を上にあげた。


「メルは気に入った人にぎゅってしてもらうのが好きなのよ。ルイスが嫌でなければそうしてやって」


「そうなのですね。では失礼しますね、メルさん」

 抱きつくメルを、ルイスもぎゅっと抱き返した。

 小さくて暖かくて柔らかい、羽毛の詰められたぬいぐるみのようだ。


「ほんと、おもしろい子」

 幼女相手にもかしこまるルイスを見て、カルネはまた笑ってしまった。



 陽が傾いて通りが暗くなってくると、カルネは商品を片付け始めた。

 ルイスは片付けの手伝いをしながら、カルネに情報を与え過ぎないように掻い摘んで事情を説明する。

「それなら、物々交換すれば良いのよ。うちでも良くやるわ、子供相手なんかとくにね。品出しの手伝いをしてもらう代わりにお菓子を包んだり、果物屋さんとは安くしてもらう代わりにケーキを焼いて持って行ったり。お金がないときは店を回ってお菓子と交換で物をもらったり、自分の足で仕事を見つけたりもするのよ」


「なるほど!そうですね、確かに、馬車に乗せてもらうために荷上げの手伝いなどしました」

 ルイスはソルトでのことを思い返し、うんうんと頷く。


「世の中って、大抵そうよ。それを目で見える簡単で分かりやすくした”手段”がお金なんだと思う。人はそうやって何かと引き換えで生きてるんだって、前にお祖父ちゃんが言ってたわ」

 カルネは笑って言った。


「!!…。引き換え…」

 ルイスの中に衝撃が走った。

 つまり、それは、対価と言うこと?

 オリクトが求める対価を恐ろしいことだと思ったが、もしかしたらそうではないのかもしれない。人間はオリクトから力と言う利益を得る、それによって何かを支払うのは当然のことだ。

 世の中は大抵そう。そう言ったカルネの言葉が印象的だ。オリクトも与える代わりに相応の物を求める、それが対価。だからオリクトは対価を得るために、所有されるために人を選ぶ。そうでなければ、強大な力を持つこの物質が非力な人間に所有される必要などないはずだ。

 オリクト。それはある意味、人間とそう変わりはしない存在なのかもしれない…。


 メルが足元にしがみついて、ルイスは、はっと顔をあげた。

「ルイス?どうしたの?」

 無言で立ち尽くすルイスに、カルネが心配そうに声をかける。


「すみません、考え事をしていました。あの、どこか品物を買い取ってくれるようなお店はご存じありませんか?」


「買い取り?うーん…そういうお店は聞いたことないけど、何を売るつもり?」


「そうですね…」

 ルイスは懐と鞄をまさぐる。

 必要最低限の荷物で来たので売れるような物はあまりない。なくなっても旅に支障をきたさない物に限定して、鞄の中身を順に手に取る。


「あ、このような袋は売れるでしょうか?」

 ルイスは絹で出来た保存食入れの袋を取り出した。

 通りを明るく彩るランプの灯に、銀糸の刺繍がキラキラと煌めく。


「まあ!なんて綺麗な袋!…あ、こんな上等な物、通りで出しちゃだめよ」

 カルネはうっとりと絹の袋を眺めて、はっとしてルイスの手を引っ込めさせた。


「こんないい布、婚礼用にだって使われない。きっと高く買ってもらえるわよ。どこがいいかなぁ。衣類屋か、晶石屋、雑貨屋でもいいかもしれない。市庁舎前の通りにあるから順にまわってみて、一番高く買ってくれる所へ持っていくと良いわ」


「なるほど、ありがとうございます!」


「あ、そうだ、片付け手伝ってもらったから、余りもので悪いんだけど。宿で待ってる従者さんにも食べさせてみて。うちのおススメだからさ、旅行中ならあちこちで宣伝してよ」

 カルネはそう言って微笑むと、おか焼きとクーヘンを包んでルイスに手渡した。


「!お礼をしなければならないのは私の方なのに、気を遣って頂いてすみません。良いお話も聞けて本当に助かりました」

 ルイスはカルネの正面に向き直り、深々とお辞儀をする。


「大したことなんてしてないよ。メル、ほら、ルイスにばいばいしよ」


「ばいばい」

 メルが手を広げて駆け寄ってくる。

 ルイスは膝をついてメルを抱きとめた。


「メルさんも、ありがとうございました。また明日来られたら顔を出しますね」

 そうしてルイスは二人に別れを告げ、通りを市庁舎へ向かって急いだ。




 ・・・


 夢を見た。

 初めて人の血を浴びた日の夢。

 すべてを滅ぼして、自分さえも見失った日。


 それからどれだけの人を殺めたか分からない。

 そこには正も悪も、正解も不正解も、罪悪感も嫌悪感もない。自分がやらなければ他にやる者がいないからやるだけ。

 それが生き延びた者の責務、生き続ける者の役目。

 そう言い聞かせた。そう思いこませた。そうしなければ、壊れてしまうのは一瞬だから。


 悲しみも憎しみも、炎と共に燃え、雨と共に流れ、風と共に散り、土と共にあの日に置いてきた。

 これまで殺めた人たちの顔は誰ひとり思い出せないけれど、彼らのあの眼差しだけは今も忘れられずにいる。

 失ったはずの心が瞳に宿る、あの一瞬、見開かれた瞳が問いただすのだ。


 ”それでも、おまえだけまだ生き続けるのか”


 …と。

 そうだ。まだ生きている。

 終わりがあるのかも分からないけれど、その時が来たらすべてのことを悔いようと思う。

 だからもう少しだけ足掻いてみる。

 最後に一度だけ求めてみたい。

 抗えば届きそうな道へ、生きる意味を探しに…。


・・・


「っ!」

 ユーリは、何かを手にしかけて、はっと瞳を開いた。

 瞳を開いているはずなのに真っ暗な世界。

 ついに死んで、闇の深淵にでも落ちたのだろうか。

 体は動いた。残念ながら生きている。

 この世界はそんなに優しくはないようだ。

 ふっ、と失笑して体を起こす。

 頭がくらくらして額を抑えた。

 落ち着いて深呼吸をして、脳に酸素を送る。

 暗闇に目が慣れてくると、そこがどこかの部屋だと言うことが分かった。

 壁板の隙間から指す月明かりと、どこかの喧騒が僅かに聞こえている。

 ふと横を見ると寝台にもたれかかって眠るルイスがいた。

 地図と本を広げたまま、休んでいるうちに力尽きたと言った所か。

 ユーリは寝台から降りるとルイスの肩を抱き上げた。


「ルイス、上へあがって。体を痛めます」

 出来るだけ起こさないように、優しく話しかける。


「…ん…すみま、せん…ちちうえ…」

 寝ぼけてエリオスと間違えている。

 混濁した意識のまま、寝台へ上がるとルイスは再び眠りに落ちた。小さく丸まって、寒いのだろう。

 何とも子供らしい姿が微笑ましく、思わず笑みがこぼれる。

 ユーリは薄っぺらい宿のシーツを半分に畳んで厚みを増やし、さらに自分の肩掛けを上から被せた。


 さて、と、ユーリは一息ついて室内を見渡す。

 隅に置かれた小さなキャビネットの上にはユーリの刀と、それからベリゴールのラベルが貼られたワインに少しの銀貨が置かれていた。

 ワインを手に取って、残っていた分をグラスに注いで煽る。

 味はしないが、すっきりした葡萄の香りが鼻を抜けた。悪くないワインだ。

 はっきりしてきた思考でこれまでの記憶を辿った。


 ルイスが誰かとやり取りをした後、テレジアへ入れてもらえた所までは何となく覚えている。その後、この宿屋に運ばれて、ルイスが対価は何かと聞いてきた。何と答えたか思い出せないが、次に意識が戻った時にはルイスがこのワインを持っていた。半分飲み干して、何とか呪いを解いたあとは、恐らく気を失って今に至る。

 この銀貨と、そしてワインはどうやって手に入れたのだろう。ルイスは金銭の類は一切持っていなかった。

 まさかと思い自分の懐と、腰の鞄を探ってみるが、先日宿地で支払いをしたあとから金貨も銅貨の数も変わっていない。それもそうか。あのルイスが人の鞄を探るような真似など、ましてや金を拝借するなど考えられない。

 意外と大胆で行動的な所があるので何かしら思いついたのかもしれない。起きたら事情を聴いてみよう。面白い話が聞けそうな気がする。


 エノテイアを出てから意識を失うのは二度目だ。オリクトを使わざるを得ない緊急事態だったとは言え、さすがに二度目ともなると情けないとしか言いようがない。

 まさかサーシャが生きているとは思っていなかったので警戒よりも驚きの方が勝ってしまった。もう少し冷静に対処していれば印の魔晶ぐらい気づけたはずだ。

 これからは戦にもなる。もっともっと警戒し、常に緊急時に対応できるように備えていなければいけない。

 それにはまず、対価か…。


(げん)』とユーリは能力が似ていることから相性が非常によく、通常の魔晶の消費魔力も対価もかなり抑えることが出来る。また長年所有していることもあってか、対価を払った状態を維持し続けることも可能になった。先に対価を得ていれば、その際に対価がなくとも力の行使が出来ると言うわけだ。

 エノテイアで転移を行った際も事前に少し対価を温存していたのでどうにかなった部分は大きい。この先のことを考えれば、ここで対価を得ておかなければならない。

 となると、方法は一つ。

「…、しかないか…」

 ユーリは左腕のオリクトを眺めて、ため息をつく。

 ルイスがよく眠っているのをもう一度確認して、刀を帯に差すと部屋を後にした。



 宿の外へ出ると、夜風は冷えて感じる。

 右手の道を覗き込んだ。こちらは表の大通りへ出る道のようだ。人の気配はなく静まり返っている。

 左手方面は、時折喧騒が聞こえ、建物の向こうから煌々とした明かりが漏れて見える。裏路地の、歓楽店通りと言ったところか。

 ユーリは左手方面へ向かって歩き出した。


 路地の突き当りは袋小路になっていた。音が周囲に拡散しないよう、三軒の建物が白石造りの噴水を囲むように建っている。

 ユーリは順に、窓から中の様子をうかがう。

 手前の二件はごく普通の酒場で、いつもの顔ぶれと言った様子の男たちが大きな声で話しながら大きなジョッキを片手に大盛り上がりだ。

 噴水の向こうにある一際大きく外観も明らかに手前の二件とは違う店でユーリは足を止めた。

 店内はそこまで騒がしくはなく、露出の高い服を着た女性の従業員が客の横に座りお酌をしたりを話を聞いたり、ねっとりとした視線を送ったりしている。

 ユーリが店内へ足を踏み入れると、一斉に視線が注がれた。

 従業員の歓声、客の男たちのひそひそ話。旅人など珍しくもないだろうが、ここ数日はほとんど外部から来る者がいなかったために物珍しく見えるのだろう。


 ユーリは気にもせずカウンターの席に着いた。

 すぐに従業員の女性が注文を取りにやってくる。

 無意味に開かれた胸元は貧相で、何ともはしたない。もっと魅力的に見せられる服があるだろうに勿体ないことだ。

 一番高い酒を頼むと、女性は間延びした返事をしてお尻を振り振り去っていく。

 ユーリはため息をつきたくなったがぐっとこらえた。

 この店の従業員は見た目もそれほど悪くはないし、年齢も相応で若すぎることも無い。しかし、どうにもあちらこちらで品の無さが目に付いた。

 ここ十数年、王族に相当するような貴族の豪華で淑やかな気品ある生活ばかり見ていたせいか目が肥えてしまったのかもしれない。

 貴族の暮らしと言うのは、朝の目覚めから、話し方、笑い方、食器の上げ下ろしに果ては階段の降り方まで、どれをとっても嫌味の無い清廉さがあった。なるほど、これが生粋の貴族かと何度も納得させられたものだ。


「お待ちどうさま」

 先ほどとは違う女性がユーリにブランデーが入ったグラスを差し出した。

 ユーリはグラスを手に取ると二口で一気に煽る。

 ほのかなバニラの香りと強いアルコールが喉の奥を熱くさせた。

 度数の高い酒は、味はしなくとも乗らない気分を盛り上げるのに欠かせない。ほどよく脳と体を温めてぼんやりさせてやらねば、つい冷静になって目的を果たせなくなってしまうのだ。

 女性はユーリの横に座って、カウンターに肘をついた。

「見かけない顔ね、旅人さんかしら。最近あちこちおかしなことになってて客入りが悪くって。毎日同じ顔ぶれに飽き飽きしてたから若い娘なんか色めきたっちゃって、うるさくてごめんなさいね」

 女性は、奥から代わる代わるユーリを見に来る従業員たちを嗜めるように視線を送った。

 この女性は従業員をまとめる役目なのか。単に古株なのか、きゃあきゃあと騒ぎ立てる若い女性たちとは違い落ち着いていて貫禄がある。選り好みをする気はないが、この女性であればまともに機能しそうだ。

 少し話をして市内の様子や国の情勢について聞き出したくはあったが、今は何より気が乗らないし少々疲れている。可能な限り手っ取り早く済ませたい。


 ユーリはふっと息を吐いて、空いたグラスを女性の前へ置いた。

「では、少し静かなところで二杯目を頂きたいですね。どこかお勧めの場所はありますか?」

 女性はすぐに察してにこりと微笑んだ。


「ええ、とっておきの場所があるわ。三階の右手の奥を曲がった部屋よ。廊下に花が飾られているからすぐ分かるはず。先に行って待っててもらえる?」


「どうも」

 女性はグラスを手に取ると階段を指差して、誇らしげにカウンターの奥へと戻った。中からは同僚の女性たちの羨望や妬みの声が響いてきた。


 こういった類の店に勤める女性たちは、会話やボードゲームなどで客を楽しませながら酒を飲ませ、金をたくさん使わせるためにいる。更に、要領を得ている気前の良い客がいれば個室に案内して自らの体を売って稼ぐ。

 ほとんどの国で売春行為は厳しく罰せられるが、どこでもこういった夜の闇にまぎれて営業を行う店はある。必ず従業員側からは直接の売春は持ちかけないように徹底され、便宜上お互いの同意の上で愉しんだ行為として扱うようにされている。金銭も体を買ったことで支払うのではなく、店の個室を借りた代金と言う名目で支払われ、うまく罪に問われない手法を取るのが常だ。


 ユーリは三階へ上がり、言われた部屋へ入る。

 個室は外の外観同様に立派だ。部屋は縦に広く、手前には水浴び用の設備が備えられていた。壁は木の骨組みに石張りで音消しの効果がある鉱石まで塗り込まれている。寝台もそれなりの大きさで、置いてある装飾も良い素材が使われているものが目立つ。店の従業員の質や客層とは不釣り合いな豪華さだ。

 壁に打ち付けられたフックに外套と帯剣を引っ掻け、ユーリは窓のカーテンを開いた。

「!」

 そこにはあるはずの窓はなかった。石で塗り固められている。

 飲食を行う二階以上の建物は、非常時のために必ず各部屋に窓を取りつけるよう定められているはずだ。法の敷かれたテレジアで抜けがあるとは思えない。音消しの鉱石と言い、まるで誰かを閉じ込めていたかのような造りではないか。

 こういった造りの部屋は昔どこかの国でも見かけたことがある。趣味の悪い成金商人が保護と称して貧しい村の娘を安く買ってきて娼館で働かせていた。その部屋が、彼女らが逃げ出せないような造りだったと記憶している。


「お待たせ」

 女性が入ってきたのでユーリはそっとカーテンを閉めた。

 この店が何であれ、今ここで考えることではない。ユーリは思考を切り替えた。

 女性が持ってきたグラスを受け取って、半分飲んだ。二杯目ともなれば体の内側から熱が帯びてくる。気分は乗らないままだが、体は勝手に機能してくれるのでその辺りは男で良かったとユーリはつくづく思った。

 女性はグラスを受け取って残りの半分を飲み干す。グラスを机に置くと、口数は控えめに微笑みながら衣服を脱ぐ。戸棚から花の蜜を練り込んだ保湿剤を取りだし、ユーリを寝台へ座らせ慣れた手つきで服を脱がせる。


 この女性は当たりだ。こちらが話す気がないことを察してくれている。

 話好きな若い娘だと質問攻めに合い、行為の間も盛り上げようとしているのか声もやたらとうるさく、乗らない気分を更に落としてくるので困る。

 一度、あまりにもうるさいので試しに話を合わせて行為に耽ってみたら、惚れられると言う更に面倒なことになったので、それ以来、相手の選別には注意を払うようになった。


『幻』の対価は欲。食欲、睡眠欲、精神欲、性欲のいずれかの欲を満たすことが対価となる。食と睡眠は自ら摂取する必要があるが、精神と性は他者のものでも可能だ。

 食はかなりの量を摂取する必要がある上に、対価となると味がしないためそれほど食べることが出来ない。

 睡眠は無防備状態を長時間維持しなければならず疲弊も伴うため危険であることから、精神欲と性欲を同時に得られる性行為が最も対価を得るのに適しているとユーリは考えている。

 ただ、精神欲と性欲は相手を満たす必要があるのでそれなりの手間と労を要するのが難点だ。更には、最終的に男性の機能として体外に排出されるものはあるが、ユーリ自身は快感も達成感もなく、第三者の行為を見ているような感覚に等しく、満たされないまま非常に狂おしい状態で終わるのでとにかく辛い。

 長年そうやって生きて来たのでだんだんと満たされない事にも慣れてきてはいるが、事後にとてつもない虚しさに襲われるのだけは避けられず、非常時以外は出来れば取りたくない最後の手段になってしまった。




 ・・・


 二時間後。

 ユーリは客が引いて静かになった店を気だるげに後にした。

 相手の女性が手馴れているせいか思ったよりも時間がかかってしまい、酔いもさめてしまった。

 夜風に晒され冷静になってくると、足腰の怠さとすっきりとしない精神的な部分に何とも言えない嫌悪感が込み上げてくる。こんな無意味な行為に頼らなければいけないことだけはオリクトを恨まずにはいられない。


「ふー…」

 空を見上げ深呼吸をし、左腕のオリクトを空にかざして眺めた。

『幻』の晶石が血のように紅く鮮明に輝いている。

 対価は十分だ。これならば緊急時にも即座に対応できる。その場で対価がなくとも転移も行える。ただ距離には限界があるので常に現在地の確認と、どこへ飛ぶかまで視野に入れておく必要はある。


 などと考えていると、あっという間に宿屋の前だ。

 ユーリは、ふと立ち止まって自分の衣服の匂いを嗅いでみる。

 グラスに少しだけ残ったブランデーの雫をかけてきたので、酒の残り香が少しするぐらいだ。

「大丈夫か…」

 年頃の少年が眠る部屋に、妙齢な女性特有の甘ったるい匂いを持ち込むわけにはいかない。

 念のため、意味があるか分からないが衣服のそこかしこを手ではたいて、宿へ入った。




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