・番外
エノテイア聖堂国 大聖堂 中央塔 ー 政務室
『晶』のオリクトとルイスの国外逃亡を許してから四日。
昼を過ぎて一時間余り、大聖堂中央塔の奥にある政務室には堂主ヒイラギと、政庁の宰相ミハイル・アシュフォード、魔晶庁の将位アトラ・アイネル、騎士庁の将位セレオ・アレルの、国の政策を取り仕切るトップが集まっていた。
先手を切って追跡隊をガーランドへ向け派遣したが、『晶』のオリクト追跡と黒特級ユーリに関する指針はまだ決められていない。
と言うのも、堂主ヒイラギの意向で、大きく国力を左右するような事態への対応は常に三庁の意見を元に方針を決定すると取り決められているからだ。
早急に対応を決めなければならない事態ではあったが、元宰相メンヒス・アシュフォードがバリアント地方へ療治のための長期不在で、近々アシュフォードを継ぐ長子のミハイルを代理出席させるために繰り上げで行われた任命手続きに時間を要してしまった。四日かかってようやく三庁のトップが集まる機会を設けられたというわけだ。
追跡隊の規模や構成された人員に関する情報、転移の座標の割り出し情報、そして追跡隊の現在地の情報などの調書に各自目を通していく。
「アイネル卿」
書類に目を通していたミハイルがすっと手を挙げる。
「例の『幻』とは相性が良くないと窺っています。転移先の割り出しの正確性に問題はないのですか?」
「ティオに『素』を持たせて索敵したから間違いない。…さて、知の軍神と謳われしミハイル宰相閣下、君の頭の中では今どう言う構図が出来上がってるのか、ぜひ意見を聞きたいな」
アトラは試すような笑みを浮かべてミハイルに視線を送る。
今年二十四になるミハイルは、緊急の決議がなければ数週間後に父親から宰相の座を譲り受けることになっていた。
歴代最年少、宰相と名乗るには圧倒的に若すぎるが、建国時からエノテイア一の名家として君臨してきたアシュフォード家の中でも稀代の天才と謳われる彼の就任に異を唱える者はいなかった。
そんなミハイルが学生の頃に立案した戦略論文や魔晶学の計算式は現在多くの教本に載るなど、専門分野から一般的な分野まで、学問を学んでいる者でミハイル・アシュフォードの名を知らぬ者はいないとまで言われるほどの高い知能を有している。
聖堂学院の最高院長を務めるタスク・ボードの考案者、天才軍師ミンスラーをして”彼の練る戦略の前では私も机をひっくり返すだろう”と言わしめた。
そんなミハイルが簡易の就任の儀を終え、この席に着いてまだ数十分。元々メンヒスの副官としてある程度の仕事を傍で見ていたとは言え、すでに宰相の貫録さえ漂わせている。
「そうですね…転移先はガーランドと推測します。彼らの状況下で『環』の範囲外へ出るのであれば距離的にガーランドかジュラしか選択肢はありません。そのどちらかで『幻』の所有者の魔力限界数値から距離を割り出しますとソルト近郊が精々と言ったところでしょうか。あと、第二候補としてジュラのノーズ山脈も考えておりましたが、魔晶庁の情報を合わせますとこちらの可能性はほぼないと確定しました」
ミハイルはそう言い切ってエノテイア貴族特有の眩い金色の髪を耳にかけた。
地図と書類に魔力数値と移動距離の計算式をさらさらと書き込みアトラとセレオに渡す。
「なるほど…。確かに貴殿の計算式を当てはめるとソルト近郊で間違いなさそうです。では、間もなくガーランド入りする追跡隊にはソルト近郊を探させるよう伝聞を送りましょうか」
セレオはミハイルに渡された資料と調書を眺めながら、感心して頷いた。
「いえ、彼らはもうソルトにはいないので立ち寄る意味はないでしょう」
「『ほう。何故そのように読むか?』」
豪奢な椅子に腰かけ、瞳を閉じたままずっと話を聞いていただけのヒイラギが小さく唇を動かす。
「転移と言う特異魔晶ともなればいかにオリクト所有者であっても負荷は相当なものです。しばらく歩くこともままならず回復のために近辺に身を隠している可能性が高いと思われますが?」
セレオは手を止め首を傾げた。
「ヒイラギ堂主の認識ではこの男に転移を行えるほどの能力はなく、観測書から計算しても潜在魔力は高いとは言えず、転移を行えば死ぬ可能性の方が高いとのこと。にも拘わらず、彼は躊躇うことなく二人分の転移を行った。これは命を賭したのではなく発動できる確証があったからだと言えます。そのことを踏まえて発動地近辺の減少魔力を数値化した所、彼はオリクトの魔晶を最小限の魔力で扱えるのではないかと推測いたしました。お二方の戦闘報告も拝見しましたが、彼は自身の身体能力、魔力を細分までよく理解し、非常に効率の良い動きで最大限の力を引き出す才能を有していることが分かります。以上のことから転移直後に意識を失っていたとしても五時間程度。その後はルイス殿の体力に合わせての移動であれば消費効率の良さから回復すら行うことが可能でしょう。つまり転移の負荷による移動の制限はあってないようなものと言えます」
「ええ、と…報告書だけでそこまで読み取れるものですか…」
セレオは驚いてあんぐりと口を開けたまま息を吐いた。
「じゃあアシュフォード卿、君はやつらがどこをどう辿ってるのかも予想してるわけ?」
「ええ。彼らはすでにジュラへ入国しているでしょう。ソルトからは馬車が出ていますから、追手の心配もなく回復も兼ねるのであれば素直に馬車を利用し国境方面へ向かったと思います。ルイス殿であれば属国であるガーランドからは一刻も早く出国しなければと考えるはず。しかしガーランドは一昨日に戒厳令が敷かれすでに出入国には身元証明が必要になっています。その前にガーランドから出国するにはアランドールでは遠すぎるし馬を手に入れたとしてもルイス殿の体力的に無理がありますので、ジュラへの入国で間違いないかと」
「彼らがすでにガーランドを出国していると言い切れる根拠は何ですか?」
「根拠?体力、能力、行動原理から言って、最も回避しなければならないことと最優先で行うべき行動をルイス殿が理解しているだけの知力があると私が把握している所でしょうか?」
ミハイルはセレオの問いに書類に視線を走らせながら淡々と答えた。
「ねえ、何、なんか難しいこと言っててよく分からないんだけど」
アトラは、はぁ?と顔を引きつらせて頭を掻く。
「要するに、ルイス殿には周囲の状況を理解し最善を導き出す知能があり、そして例の男にはそれを可能にさせる行動力がある。ただそれだけです」
「『字面から能力を読み取るとは見事。あれなる男の恐るるべきは思考と動体への直結力の速さ。故にアシュフォードの読み、十二分に可能』」
「……」
ミハイルは声なき声で語るヒイラギにちらりと視線を送った。
微かに動く唇は笑っているようにも見える。
「じゃあ追跡隊には寄り道させないでジュラへ向かわせればいいってことね」
アトラは椅子に体をもたれかけさせて背中を伸ばした。
「そのように伝聞を送ります」
セレオは書類に内容とサインとしたため、印を押して書類の入った箱に収める。
「では次に、ガーランドで起きた王太后暗殺騒動についてです。ガーランドはジュラの密偵の仕業と確定し、戦の準備段階に入ったとの報告ですが、不可解な点がいくつかあり我々でも調査の必要があるかと思います」
ミハイルは次の書類の山を自身の目の前に引き寄せぱらぱらとめくって視線を移動させた。
「そうそれ、びっくりだよ。あのびびりのオルガノ王が戦なんてよく承諾したよね」
「王太子派の暗躍では?国王にそんな真似が出来たのならばそもそも王太子と対立していませんし。アシュフォード卿の言う不可解な点もそのあたりでしょうか」
「そうですね、王太后の暗殺と言う大罪にその後の王太子派の対応があまりにも性急かつ周到であることがいかにもと言った所でしょうか。この件の重要参考人はテレジア代表の親戚筋だそうですが、それ以外にめぼしい証拠は提示されていないのにガーランド軍はすでにその者を”ジュラの密偵”と確定し、引き渡しの書状を送る前に侵攻の準備を整えています。オルガノ王の権威がいかに弱まっていようとも承諾なしに国境に軍を配備することは出来ません。オルガノ王にどのような思惑があるのかも踏まえ、特級指名手配犯の調査と言う名目で王都グランシュへ調査員の派遣を申請いたします。ヒイラギ様、及び二庁からも許可を頂きたい」
「確かに何かひっかかるものがあるよね。ぼくは賛成」
「僕も同意見です」
「『許可する。好きに配すが良い』」
「ありがとうございます」
ミハイル、アトラ、セレオはヒイラギに軽く頭を下げる。
「それでは、父からの引き継ぎが途中ですのでこれで失礼させて頂きます」
トントンと書類を整え革の書類ケースにしまうとミハイルはアトラの執務室を後にした。
「はぁー…、父親のメンヒスも他に比べれば優秀な男ではありましたが、ミハイルはその比ではありませんね」
セレオは大きなため息をついてミハイルが去って行った扉を眺めた。
「あれで宰相の位に就いてまだ一時間、報告書に全部目を通したのだって今しがたの話だよ?あいつの頭の中はどうなってんだよ」
「これで彼の読み通りだったら…」
「読み通りでしょ。全部納得できる。穴がない」
アトラは不愉快そうに爪を噛んだ。
「おまえもそう思いますか。恐るべき才能に寒気さえ感じます」
セレオは眉をひそめると少し大げさにぶるっと体を震わせた。
「『さて、今世は面白くなりそうよ』」
ヒイラギは何か感じるものに思考を巡らせ唇の端を微かにあげた。
「ヒイラギ様、この機に乗じてネア側が何らかの行動を起こしてくるかもしれません。将位の出兵も視野に入れておきますか?」
「『ガーランドに探りを入れてからがよかろう。匂いがするようであればセレオがアシュフォードと対処を練るよう進めよ』」
「かしこまりました」
セレオは新たに用意した紙にさらさらと決定事項を書き込み、大聖堂の印を捺印し箱に紙を収めた。
ガーランド王国領 街道の宿地 ー 演習場
演習地の沐浴場で、オレドは何度か水を頭からかぶった。
引き締まった筋肉を水が伝い、体の熱で蒸気を帯びる。
「オレド様、よろしいですか?フランツ・ロッド少将が偵察より戻ってまいりました」
カーテン越しに声をかけられ、オレドはもう一度水をかぶり答える。
「すぐ行く」
オレドは簡単に布で水を拭うと、籠の衣服を手に取り羽織った。
浴場を出て指令所であるテントに入ると、席に着いてあれこれと話し合っている高官たちがオレドに気付いて一斉に立ち上がる。
「いい。続けろ。フランツは俺のテントへ」
オレドは高官らに手で合図をし、奥の寝所へと向かった。
高官らはオレドに一礼をしてから再び話し合いを始める。
その中の一人、フランツと呼ばれた将がオレドの寝所へと続いて入って行った。
オレドは濡れた髪を掻き揚げて椅子に腰かける。
その眼前に膝をついてフランツは頭を垂れた。
「件の奴らは見つかったか?」
「はい。現在テレジアに逗留との確認が取れております。関所を通らずにどうジュラへ入国したかは掴めておりませんが、テレジアに到着するまでの時間から逆算して恐らくテンケイの上流を越えたと推測されます」
「この時期は雪解けで流れが速く越えられるとは思えないが?」
「我々も皆そう思い、兵を派遣しておりませんでした。故に行方を掴めずにいたのです。”越えられるはずがない”を越えたのでありましょう」
「子供と侮った我らに落ち度があったということか。国境の巡回は見直す必要があるな。ジュラの情勢は?」
「リーン特務からの報せによるとテレジアは厳戒態勢が敷かれ部外者の立ち入りを禁じているそうです。議会もテレジアではなく別の場所で行われているとのこと。代表とごく一部の者のみで内密に行われ現在詳しい所在は明らかになっておりません」
「ふっ、さすがにテレジアで議会を開くような馬鹿な真似はしなかったか。フランツ、やつらの動向をおまえはどう取る」
「高官方が危惧しておられる情報の漏えいはないと断言できます。あちらも多少は我が軍の動きを把握していると取るのが妥当でしょう。腑抜けばかりの連合ではありますがテレジアの代表であれば情報戦にも長けておりますし、現段階での過剰な警戒もしかるべきかと」
「……」
フランツが言い終わると、オレドは肘掛に肘をついて何事か考え始めた。
「以前、俺が探すよう頼んだ者についての進捗は?」
「申し訳ございません、そちらに関しては新たに報告できる内容はございません。特定地区に在住するすべての二十歳前の者を調べましたが該当者が見つからなかったため、今は過去に居住履歴のある者の中から該当者がいないか調べている最中でございます。もしお急ぎであれば人員を増やし…」
「いや、良い。最初から難しいと分かっていたことを俺が無理を強いただけだ。その件に関しての調査はこれまでとする。多忙なところに我儘を言ってしまったな」
オレドは悲しげに微笑んでフランツを労った。
「勿体ないお言葉。殿下よりの直々の命を果たせぬ無礼こそあれ、殿下が悪びれることなどは一切ございません」
フランツは深々と頭を下げた。
「話は以上だ。陽が沈むまで少し休む」
オレドは立ち上がると水を汲んで飲み干した。
「は。それでは失礼いたします」
フランツはもう一度頭を下げ、テントを後にする。
ふと振り返ると、テントの戸張が降りる間際にオレドが哀愁の眼差しで花のしおりを手に取る様子が垣間見えてしまった。
フランツは自分のテントへ戻る道中、先ほどのオレドの様子を思い返していた。
あのしおりは何年か前にも一度だけ見かけたことがある。
まさか今も大切に持っているとは…母親の形見か、よほど大切な思い出があるのだろう。
彼がある者についての調査を依頼してきたのはつい数か月前の事だ。
十年ほど前に二度会ったと言うその者は、現在成人前の女性。名は分からず、黒茶色の髪に夕暮れのような深い橙色の瞳、王都とグランシュを隔てる堀に面した緑地に入れる身分にある者と言うことだった。
この緑地は軍の上層部や、高官らの居住区にあり一般市民は入ることができない場所のため身元の特定は容易いだろうとフランツは思っていた。
しかし、該当者は見つからなかった。年齢の的を変えてみたり、居住地が変更された者を調べたり、居住者の兄弟や親せき、家系を遡って調べてみたりもしたがまったく見つからなかった。
それでは、一般区の子供がたまたま二度にわたり入り込んでしまった可能性もあると考え、現在は王都在住の市民を一から調べている最中というわけだ。
「この調査をここまでで終わらせるべきか…」
フランツは王太子からの命とは言え、ふと思い悩んだ。
内密にオレドからの命を受けた時は、王位継承権に関わるよからぬ企みを持つ高官でも探るのかと思っていたのだが、そうではなかった。彼にとってごくごく個人的な、かつ内密にしておきたい調査だったのだ。
その者の話をしていた時のオレドは、どこか思いを馳せるような眼差しをしていた。
初めて見る表情だった。王太子自身もその感情の不確かを理解しているように思う。燻る想いがあるのか、単純にただの思い出としての感情なのか…。
冷徹で、普段表情を変えることの少ない王太子が、あのように哀しげな表情を浮かべるほどの相手だ。
王位継承問題を抱えながら、戦争へ突入しようと言う血を血で洗い存続してきたガーランドにおいて、その者は王太子が唯一、人らしく、個人の心を持ち続けることの出来る存在になり得るかもしれない。
フランツは終了を言い渡されたこの調査をどうすべきか、今一度考え込んでいた。




