出会い 5
ジュラ連合国 ー テレジア市
四人はドナの料理屋を出発して、日暮れ少し前にテレジア市に到着した。
アヤの体調を気遣い何度か休憩もしたため思ったよりも時間がかかってしまった。
「へー、しっかりした街ですね」
ユーリは想像していたものよりずっと強固で立派な壁を見上げて感嘆の声を上げた。
テレジア市は丘と森を包括する城壁で囲われており、都市と言うよりもちょっとした軍事施設のようだ。
門の前には二人の門番、両端と門の上には見張り台まで備わっている。
ジュラ連合の中でも特に矢面に立ってガーランドと刃を交えて来ただけはあって備えは完璧と言うわけだ。
「要人暗殺事変後に建築されたものだったと思います。ガーランド軍の猛追で市内に軍隊の侵入を許したそうで大きな被害が出たとか」
「十五年前の話ですよね。私は覚えていないけど…怪我をした母さんと私を義父さんが助けてくれて、そのままロスターへ避難したって聞きました」
「そうでしたか…」
ルイスはちらりとアヤを見やった。
懐かしさとは違う苦々しい表情で城壁を見上げ、そして唇をきゅっと結んでいる。
同じようにイツキも気まずそうな表情をしていた。
彼らの両親はもう亡くなっていると聞いたが、王家の保養邸管理を任されていることからも父親は以前から軍に属していた人間だったと推測できる。
恐らくガーランドの兵士として街に侵攻したイツキの父親がアヤとその母親を保護しそのまま村に連れ帰ったのだろう。
領土戦争と言えば、侵略した村の娘を兵が戦利品として連れ帰ると言うのはよく聞く話だ。良ければ妻として、妻が既にいれば妾や侍女として、最悪の場合はただの慰み者にされ使い捨てられたりもする。
アヤにはイツキと言う弟がいて姉弟の仲も良いことから彼らの父親は善良な類の兵だったと思われるが、二人の表情から察するに周りの人間には恵まれなかったようだ。ロスターでもあることないこと色々と噂され、肩身の狭い思いをしたのだろう。
奇異の物を見る眼差しで見られ、陰であることないこと囁かれる辛さは分かる。
エノテイアではエリオスがそうだった。ルイスはエリオスに守られ直接的に何か害を受けることはなかったが、そうならないためにエリオスがどれほどの労を要していたかは良く知っている。
「さあ!アヤさんはとりあえずこちらの代表に会えないか門番に聞いてみましょう」
ユーリが三人の何とも言えない空気を一掃するかのようにパンと手を叩く。
「あ、はい。えっと、お二人はどう説明したらいいでしょう?」
アヤは、はっと顔をあげてルイスとユーリを見比べた。
「そのままで良いですよ。アランドールからの旅人と。あとオリクトについては基本内密に。信用できる相手だと思っても冷静によく見極めてから話すべきですからね」
「分かりました」
アヤは力強く頷いた。
オリクトはあらゆる力を人に与えてくれる。人智を超えた魔力だったり、獣のごとき高い身体能力だったり、世界の創世からのあらゆる知識であったり、それによって巨万の富や名声を手に入れることだって出来る。
そんな希少な晶石を巡って人は殺し合い奪い合い、国同士で戦を起こす。
オリクトの素晴らしさ、そして手にすることの意味の恐ろしさは様々な歴史書やおとぎ話でも語られており、幼い子供でも知っている。必要としない者にとってはただの恐怖の対象でしかなかった。
アヤとイツキは門番のいる方へ向かった。ユーリとルイスも後ろからついていく。
門番が先にこちらに気付いて話しかけてきた。アヤとイツキは言葉を選びながら一生懸命に説明を行う。テレジアの兵士は初めもの凄く不審そうな顔をしていたが、何度かのやり取りの後、表情が和らいで中にいる兵士に声をかけた。恐らく上官を呼んだのだろう。すぐに格好の違う兵士が現れた。アヤの説明を簡単に話し、上官はアヤ、イツキと直接やり取りを行う。
「……」
様子を遠巻きに見ていたルイスは、ユーリが別の方向をじっと見つめて眉をひそめていることに気付いた。
ユーリから刺すような鋭い雰囲気を感じる。
「どうかしましたか?」
「…昔馴染みの気配を感じた気がして…」
「昔…?オリクトの?」
「…死んでなかったのか…?サーシャ…」
ユーリは問いに答えず、後悔をすり潰したような苦悶の表情を浮かべて独り言を呟く。
「……」
ルイスは同じようにユーリが見つめる先をじっと見つめてみた。
サーシャ?昔馴染み?オリクトを持つ誰か?
ユーリがこんな表情をするときは、たいていあまり話したくない過去に関わることだ。
「…ルイス、すみませんが、少しだけ離れても構いませんか?アヤさんたちといてください」
ユーリは瞳を閉じてゆっくりと呼吸をする。
「え、えぇ、私は構いませんが…中へ入る許可が下りたらユーリはどうやってテレジアへ…」
「どうにかしますので大丈夫。夜には戻りますね」
そう言うとユーリはにこりと微笑んで街道を来た方向へ歩き出してしまった。
「……」
ルイスは思わず付いていきそうになる手を引っ込めて握りしめた。
何とも言えない感情が押し寄せる。
「ルイスさん、会議場所が変更されたらしくて今はマルシュさん不在みたいなんです。昔ジュラにいたことを説明したら、確認ができるまで拘置牢で良ければ待たせてくれるそうで…。あれ、ユーリさんは??」
アヤは辺りを見渡すがユーリの姿はすでに見えなくなっていた。
「……」
知るべきでは無い話。立ち入るべきではない過去。そう突き離されたような、置き去りにされたような感覚。
「えっと、ルイスさん…?」
「!あ、はい、すみません、ユーリはちょっと所要で離れました…。ご一緒させてらえるのであれば、私はどこでも大丈夫ですよ」
ルイスは慌てて答える。
「良かった!じゃあ話してきますね。中の詰所に併設してあるんだって」
「野宿は危険だから良かったね」
アヤはイツキと安心した様子で笑い合っている。
「……」
そんな二人の会話を遠くの方で聞きながら、ルイスは街道の東を見つめた。
丁度、白い靄が風にかき消されるところだ。
傍にいるようにと約束させておいて、ユーリの方から単独行動をしているのは少々納得がいかない。
そうまでして会いたい相手なのだろうか?昔馴染みと言っていたが、友との再会と言う雰囲気ではなかった。
戻ってきたら、サーシャと言う人物について聞いてみようか…。また話をはぐらかされてしまうだろうか…?
「はぁ…」
ルイスは小さくため息をついた。
そんなことを聞いてどうする。
ユーリにはユーリの人生があって、ユーリにはユーリの事情がある。聞いたところでルイスには分からないし、昔話に立ち入れるほどの仲でもない。
ルイスはサーシャと言う人物のことは忘れるように踵を返して、アヤとイツキの後を追った。
・・・
ほの青い月が、格子の掛かった窓から覗く夜更け。
ユーリは戻っては来なかった。
アヤとイツキは向かいの牢で寄り添って眠っている。
詰所の牢は他に誰もおらずとても静かだ。
虫の声と、時折遠くの方で酒場で楽しい夜を過ごした一団の声がほんの微かに聞こえてくるのみ。
ルイスは眠れずに月明かりが照らす石の床を眺めていた。直に座る石の床は冷たく、硬く、とても痛い。
お腹もすいているし、喉も乾いた。
エノテイアにいた頃、冷える夜は蜂蜜入りのジンジャーティーを淹れて寝る前にヴィルヘルムと飲んだものだ。
エリオスが休みの日は少しだけ夜更かしをして、タスクボードに興じたり、勉学の話、家の話、色々な話をして過ごした。
エリオスがオリクトの件に頭を悩ませているのは知っていたが、それでも何事もない日々は間違いなく幸せであり、ルイスにとっての夜は温かく楽しく、特別な時間だった。
それが、今は一人ぼっち。
見知らぬ土地の、見知らぬ街の、風の吹き込む牢の中。冷たい石畳に座り込んで、明日どうするかも定まらぬ夜を、月の明かりをぼんやりと眺めて過ごしている。
「…っ…」
ふいに胸の辺りにこみ上げるものを感じる。涙が溢れて視界が歪んだ。
雫を指で払う。払っても払っても、涙が溢れてきた。膝を抱え込んだ腕に顔をうずめて袖に涙をしみこませる。堪えきれずに漏れそうになる嗚咽を必死に抑え込んだ。
今さら自分の置かれた状況の恐ろしさと、寂しさに体が震えている。
恵まれた体躯もなければ特出した才があるわけでもない自分は、せめて弱音だけは吐かずに強く在らねばと気を張っていたのに、そんなものはこうして一人になれば簡単に崩れ去ってしまう。
何も出来ないことは最初から分かり切っていたのに、ユーリと言う存在に気が大きくなりすぎていたかもしれない。
アヤとイツキの境遇をかわいそうに思い、助けることが出来たのは万能で頼れる人が傍いたからだ。そうでなければ、彼らに気付くことはもちろん、ここまで来ることすら出来なかった。自分も彼らと同じかわいそうな子供でしかない。
知りたいだの見たいだの、よくもあんな強気に意思を誇示出来たものだ。
とても恥ずかしい。そして、とても悔しい…。
その夜はひどく時間がゆっくり流れているような気がした。
・・・
翌朝。
陽が昇ってもユーリは戻らず、そして詰所の兵士も現れなかった。
牢に鍵はかけられていないので他の牢へは自由に出入りすることが出来るが、拘置所の出口は身元が分かるまでと防犯のために鍵がかけられているので外へ出ることが出来ない。
数時間して、ようやくテレジアの兵士ではない身なりの男が現れた。
「おまえらが代表の知り合いと言っているやつらか?」
胡桃色の髪が印象的な若い男性で、中性的な端正な顔立ちをしている。まるで怒っているかのようなきつい口調と威圧感がひどく不似合だ。
男性は不審そうに三人をじろりと見まわしてため息を付いた。
「子供ではないか…。用件は?」
「あ、あの、えっと…」
昨夜の兵士と明らかに違い、不愉快そうなそっけない態度にたじろいでいるアヤの代わりにルイスが答える。
「代表さんとお会いするためにテレジアを訪れてはいけませんか?ロスターのアヤと言う名に覚えがないか確認を取ってください」
「俺は代表の補佐をしている。おまえがアヤか?」
「いえ、こちらの」
ルイスはアヤに視線を送る。
男性はアヤとイツキをじっと見据えた。微かに唇が笑ったような気がしたのをルイスは見逃さなかった。
何だろう?この男性は何か違う。何とも言い難い、妙な違和感がある。
「おまえたち姉弟については代表から聞いたことがある。代表の意見を確認するまでは宿を手配したからそちらで休んで待つように」
「あぁ!良かった…!」
アヤとイツキは顔を見合わせほっと胸を撫で下ろした。
「そっちのおまえは何だ?弟が一人いるとしか聞いていない」
「私は彼らと道中で知り合った者です。商いの見聞の旅をしております。出来れば勉学を兼ねてテレジアへ立ち寄らせて頂きたいのですが」
「商いの見聞?…悪いがそれは出来ない。昨日の会議で旅人の立ち入りを制限することが決まった。西のベリゴールまで行くか母国に戻ることだな」
「あの、周辺住民の方にはテンケイ川の増水で避難指示を出していると聞きました。立ち入りを制限する理由には当てはまらないように思います。他に何かあったのですか?」
ルイスの問いに男は心底不快そうに眉をひそめた。
「何故そんなことをおまえに話さなければならない?旅人には関係のない話だ。それとも拘置牢にこのまま入っていても構わないが?」
「ベリゴールまでは距離があります!少し休むだけでも…!」
男は口をはさむアヤをじろりと睨んだ。
「分かりました」
ルイスは手をぎゅっと握って小さく息を吐いた。
この男にはどんな交渉術を持ってしても説得するのは無理だ。態度や表情からも介入の余地がないのは明らか。不審な旅人は排除するのみで、精査するつもりは微塵もなさそうである。
下手にごねればアヤたちも追い出されてしまうかもしれない。ここは一度引き下がる方が良い。
「そんな…!ルイスさん!!」
泣きそうになって縋るアヤにルイスは優しく話しかけた。
「大丈夫、一度料理屋へ戻ってユーリと合流します。アヤさんとイツキ君はしっかり体を休めて、代表の方とこれからのことをお話ししてください」
もどかしい表情で眉をひそめるイツキにもルイスは微笑んだ。
「ありがとう…。お礼はいつか必ず。もしユーリがここへ来たら料理屋へ戻ったと伝えておきます」
「はい、お願いしますね」
拘置牢でアヤとイツキと別れ、ルイスはテレジアを出た。
二重の門が中から閉められていくのをゆっくり眺めてから、元来た道を戻るため歩き出す。
街道を一人で歩くと言うのは、こんなにも心細い物なのかと、しみじみ感じる。
また気持ちが落ちそうになってしまうのを、ルイスは鞄の紐をぎゅっと握りしめて堪えた。
たしか昨日、ユーリは東へ向かっていった。
いくら昔話に花が咲いたとしても、ここまで戻らないのはさすがにおかしい。サーシャと言う昔馴染みはユーリの口ぶりからするにオリクトの持ち主だ。何らかのトラブルが起きていたとしたら、オリクト相手であれば流石のユーリも余裕の対処とはいかないだろう。
ここを立ち去る際、ユーリは何らかの魔晶を使っていた。
高等な魔晶士であれば残留する魔晶の痕跡や周辺の魔力の濃度からどこからどこへ魔晶が使われたのかある程度絞り込むことが出来るのだが、残念ながらルイスにはその能力はない。何となく、勘で進むしかない。
ぼんやりと辺りを眺めながらとりあえず東へ向かって歩いて行く。
何も感じないし、何もおかしなところはない、昨日の昼間通ったばかりの普通の街道。
ため息をつきそうになって飲み込んだ。
もしオリクトが使えたなら、きっと見えない魔力の流れも感じることが出来るのだろう。
オリクトがはめられた腕輪を眺めてみる。陽の光を反射して晶石は瞬いた。
綺麗な薄紫の輝き。晶石は中央に向かって徐々に色が濃くなっており、中心部は闇のような暗い紫色をしている。じっと見つめていると意識が深く落ちていくような感覚に陥る不思議な色だ。
「ん?」
きらりと視界の端に一瞬影のようものが写った。
慌ててその方向を見てみるが何もない、ただの草原に森。
「今のは…?」
鳥や小動物といった何らかの生き物の影ではなかった。もっと濃い鈍色の、光のようなものだ。
視界に捉えたと言うよりは感じたという感覚に近い。
目で見ながら感じたなど、おかしな表現だとは思うが、その表現が一番しっくりきた。
ルイスは一瞬だけ捉えた鈍色の光が何となく気になって、その方向へ足を進めてみることにした。
街道を逸れた、森の木々の合間。崖の上、その向こうだ。
ルイスは迷いもなく森の中を進んだ。大岩をよじ登り、崖へ上がる。
見えていないのに何故ここまで鮮明なのか分からないが、やはりそれが見えたのではなく感じたからなのだと思う。
「この辺り」
光は確かにこの辺りから感じた。今は何も見えない。
おかしいな、と思いながらルイスは一歩前へ出る。
「!」
次の瞬間、突然、辺りから音が消えた。
驚いて辺りを見回すと、青々とした新緑は灰色に染まっていた。音もなく、風もなく、葉の一枚ですら全く動いていない。あらゆるものが停止しているのだと気づく。
ここだ。間違いない。さっき感じた光の発生源。そう確信できた。
石化したように動かなくなっている葉や枝を避け木々の間を抜けていくと…。
「ユーリ?!」
そこには、辺りと同様に灰色に包まれ刀を抜こうとしている瞬間のまま止まっているユーリがいた。
慌てて腕に触れると何か泡が弾けるような音と共にユーリの色は徐々に元へ戻っていった。
「…っはぁ」
動き出す瞬間だったためか、勢いでユーリは前のめりに倒れ込んで膝をついた。
同時に、さらに大きな弾ける音と共に辺りの色も戻り始める。
「はぁはぁ…っ!」
久しぶりに空気を取り込んだかのように、ユーリは激しく肩で呼吸を繰り返した。
「大丈夫ですか?何があったのです?先ほどの現象は一体…?」
ユーリはふう、よと大きく息を吐くと、ルイスの腕をぐっと掴んで隠すようにルイスを背後に追いやった。
「…っ…下がって…」
ユーリは灰色の木を睨み付ける。
色が戻り動き出した木の背後から、見知らぬ少年が頭を掻きながら現れた。
「子供?どうやって解いた?」
少年はルイスの腕輪をちらりと見ると、面倒臭そうにため息をついた。
「あー、オリクト…?でも、なんか変ですね。サーシャが言ってたあれ?へー、すごい、よく生かしてるもんだ」
少年は独り言を呟くと、何かを納得をしたようにいたずらな笑みを浮かべた。
「?」
「…君ねぇ、いい加減にしとこうか」
ユーリは立ち上がると少年を思い切り睨んで刀に手をかける。
「うーわ、ユーリさん、怖い顔。ちょっと待って、僕は頼まれただけ、喧嘩するなら直接サーシャとやってよ。ちょっとサーシャ、これ以上は無理ですよ」
そう少年が呼びかけると、突然、ユーリの眼前に紋様が描かれた。
紋様は萌黄色に輝いて、光の中から妙齢の女性が姿を現す。
「……」
ルイスは息をのんだ。この人がサーシャ。外見で言えばユーリと同じ年ぐらい。
長い黒髪がゆっくりとたなびく、優しげな深緑の瞳が生える美しい女性だ。
ルイスは不思議な感覚を覚えて何とも言えない気持ちでじっと見つめた。
「考えは変わったかしら、ユーリ」
サーシャがにこりと微笑む。
と、次の瞬間、ユーリが躊躇いもなく刀を抜いてサーシャに斬りこんだ。
体が真中で二つに割れて、斬撃が森の木々に当たり葉を散らす。
「なっ、何てことを?!」
ルイスが驚いて声を上げると、サーシャの体はぐにゃりと揺らいだだけで、すぐに元の形へと戻ってしまった。
「…さすが性悪…実体を現す気はないか」
ユーリは忌々しそうに舌打ちをする。
「普通いきなり斬る?!本物だったら死んでますよ!」
少年は悪者を見るような目でユーリを非難した。
「そのつもりでしたから良いんです」
ユーリは気もしていない様子でしれっと刀を収める。
「あらあら、いつまでも過ぎたことに怒っていて困ったものね。貴方にとっても良い話のはずだわ。戦になればお互いに困るでしょう?」
サーシャは可愛らしい仕草で頬に手を当ててため息をついた。
「貴女は…本当に人を怒らせる天才だな…」
ユーリはきつい眼差しでサーシャの幻影を睨む。
ルイスは訳が分からずただユーリとサーシャのやりとりをぼんやりと眺めていた。
視線に気付いたサーシャがルイスににこりと微笑みかける。
「ふふ、ご挨拶もせずに失礼いたしました。ユーリのお友達?……あら?……お名前をお伺いしてもよろしいかしら?」
サーシャは一瞬驚いたように目を見開いて、そして眉をひそめた。
「え、えっと、初めまして、私は…」
「教えなくて良いです。この人は名前で行動を縛る魔晶をかけてきますから」
名乗りかけたルイスの言葉をユーリが遮った。
「ですが、ユーリ…」
「どうせもう二度と会わないし、会わせない」
ユーリはサーシャを睨んだままルイスを背後から出さないように手で押さえた。
「あ、その子のことさっきルイスって呼んでましたよ」
少年はそっぽを向いてぽつりと呟く。
「ルイス?まあ、素敵な名前。ふふ、懐かしい氷華の香りがするものだから驚いてしまったわ。私はサーシャ、『史』のオリクトの所有者で、歴史の過去と現在を見届ける者です。ユーリとは遠い遠い親戚で、幼馴染で、あと、婚約者だったりもしたかしら」
「!」
ルイスは驚いて目を見開いた。
「それ言う必要ある?私はこれ以上は貴女と話す気はない。いい加減に口を閉じないと本気でやりあうつもりで抜きますけど」
ユーリは心底不快そうに悪態をついた。
「まあ、本気で?どんな方法で愉しませてくれるの?何百年ぶりの貴方の熱、感じてみるのも一興かもしれないわね」
サーシャはうっとりと微笑んで目を細める。
「ちょっとサーシャ、そんな煽って、僕に戦えって言うんじゃないですか。魔力を使い切っちゃったから普通に死んじゃいますよ」
「あら、そうなの?シオンが動けなくては困るわ。もう少しお話ししたかったのだけれど、今日はこのぐらいにしておきましょうか」
サーシャはがっかりした様子で唇を尖らせた。
シオンと呼ばれた少年は助かったと言わんばかりに胸を撫で下ろしている。
「それではユーリ、もう一度よく考えてみて。次はルイス様もご一緒に、昔話でもしましょうね」
サーシャがそう言って微笑むと、地面の紋様が光を放った。徐々に姿が薄れていく。
「久しぶりに本物のオリクトが見られて楽しかったですよ。お二人ともまたね」
笑いながらシオンも紋様の中へ飛び込んだ。
紋様の光が消えるとともに、二人の姿も消えてなくなってしまった。
「…はー…」
ユーリは大きなため息をついてその場に座り込んだ。どっと疲れた様子で項垂れる。
「大丈夫ですか?」
ルイスが心配そうに覗き込むと、ユーリはふっと微笑んだ。
「助かりました、ルイス。貴方が来てくれなかったらあと何年かはあのままだったか、下手したら…。ありがとうございます」
「いえ、私は何も…。あの時間が止まってしまったような、あれはなんらかの行動を制限する魔晶ですか?初めて見ました」
「ええ。『史』のオリクト特有の魔晶です。サーシャは身を隠していましたがシオンと言う子の印を使って間接的に『史』の魔晶を発動させたのでしょう。効力は所有者のものより劣りますが、魔晶耐性を薄くしていたのでうっかり捕まってしまいました。印を飼い慣らしてるとは…まったく、あの性悪女は…」
ユーリは思い出して悔しそうに眉をひそめた。
「あの、サーシャさんとは、あまり仲が良くないのですか?先ほどは婚約者と言っていましたが」
「仲はー、悪いって言うか、悪いって言う感情すらないと言うか…。話すと長くなるんで、とりあえず歩きながら話しましょう。ルイスが一人でこちらへ来た事情も聴きたいので」
ユーリはよいしょ、と立ち上がると衣服をはたいてルイスを手招いた。
ルイスも頷いて歩き出す。
「アヤさんたちはどうなりました?」
「代表さんは議会が別の場所で行われているため不在でした。ですが、側近のような方がアヤさんたちについての話は聞いていたそうで代表さんが戻られるまで宿を手配してくださいました。私はと言うと、側近の方が交渉の効く相手ではなかったので中へは入れず、大人しくテレジアを後にしたのです」
「ふむ。ではその側近さんには感謝しないとですね、ルイスがこうして来てくれなければ私は本当に危なかったんで。ところで、よく私の場所がよく分かりましたね?痕跡を辿って来たのですか?」
ユーリはそう言って、でも待てよ、と首を傾げた。
エノテイアでルイスの魔力は感知できないレベルでほぼ存在しないと結論付されている。本人もそう教えられ、それを受け入れ、そうだと思っているので魔晶を使うと言う選択肢すら出てこないはずだ。
「いえ、私にはそのような力は…。ですが、ふとオリクトを眺めていたら一瞬だけ何かが見えたと言いますか、視界の隅に感じたのです。見間違いや何かの影だったのかもしれませんが、何となくそれを確かめなければと思いまして歩いてきたらユーリを見つけたと言うわけです」
「なるほど…」
ユーリはそう話すルイスと、『晶』のオリクトを観察するようにじっと見つめた。
実際の所、ルイスの魔力については感知できる人間が限られると言うだけで全くないわけではないとユーリは思っている。
事実、従来の魔力とは少々異なった気配を感じるのだ。それが何であるのかユーリには分からないが、『晶』のオリクトがルイスに対して所有者を守るような状態にあることからもオリクトが何らかのカギを握っているようにも思う。
「それで、あの、ユーリの方は?」
ルイスの問いかけにユーリは、はっと顔をあげて考えを止めた。
「…ああ、そうですね、私はルイスたちと別れてすぐにサーシャの元へ向かいました。向こうは私には気づいていなかったんで、ジュラにいる理由を突き止めようとこっそり近づいたんですけどね、あの少年が何かを捕まえるために張っていた罠の魔晶に捕まってしまったと言うわけです。相手の力を量れていた分ちょっと舐めてました。以後は気を付けます」
ユーリは心底悔しそうに肩を落とした。
「で、仲が悪いのかってことなんですけど、私とサーシャは遠縁の間柄なので幼少期からの知り合いではあるんですが、昔からそりが合わなくて…。今のあの人については機会があれば殺した方が良いと思うぐらいに軽蔑してます。婚約者だったのはよくある家同士の約束事みたいなものですね」
「……」
思った以上にこじれている関係性にルイスは返す言葉がなかった。
元々仲が良くはなかったと言えども、機会があれば殺すとまで思うのはよほどのことだ。
「嫌ってるのには色々理由があるんですけど、それについては今は伏せさせてください。ただ確かなのは、向こうも私のことが嫌いで、オリクトを狙ってるヒイラギと同じような思考の持ち主ってこと。さきほどもくだらない話のあと、更にくだらない要求をしてきたんで拒否したらこの通り、腕ごと千切られそうになりました」
そう言ってユーリは左腕の衣服をまくってみせた。
二の腕には萌黄色の模様が螺旋状に刻まれていた。外傷ではなく皮膚の内側が抉られているのか、ミミズのように皮膚が腫れて内出血を起こしている。見るに堪えない痛々しさだ。
「何てひどい傷!すぐに手当をしなければ…!」
ルイスは顔を青ざめさせて口に手を当てた。
「呪いなので手当てをしても治りません。とりあえず死にはしないので大丈夫ですよ。引き千切られずにすんだのは貴方のおかげです」
ユーリはそう言って袖を戻すと落ち着かせるように優しく微笑んだ。
「呪いでしたら解かなければいけませんね。私は詳しくなくて、ユーリはご存知ですか?私に何か出来ることがあれば言ってください」
ルイスは必死な眼差しでユーリを見上げた。
「うん…そうだなぁ…では、何か口に含んでおける食べ物はお持ちですか?」
「ええと、お菓子の飴はどうでしょう?保存食の調達をヴィルにお願いしたら持って来てくれたのです」
ルイスは保存袋をまさぐって可愛らしい模様の紙包みを取り出した。甘い蜂蜜や砂糖をとかして色を付け、様々な形に固めた子供に人気の菓子だ。
溶けてなくなるまでずっと口に含んでいられるので空腹を紛らわせるための旅路のお供に向いている。
「飴ですか!久しぶりに食べるなぁ、子供の時以来ですよ。ありがとうございます、これで少しまぎれる」
ユーリは飴を受け取ると口に放り込んだ。
きっと味はしないのだろうが、懐かしそうに飴を転がすユーリを見てルイスも嬉しくなった。
つい昨日までの寂しさも、虚しさも、今はどこかへ消えてしまったようだ。
(…それにしても、私に用でなければ、あの人は何しにここへ?…)
ユーリは背後の森を振り返り眉をひそめた。




