16,ただし吊り合う奴に限る
少し時間は戻る。多救が葉雪を庇い、背中に四本の氷柱が刺さったその直前に。
多救は目の前を歩く五人を、どうにも自分と違う人種だと思った。簡単に言って、目立っていた。それゆえに、周囲から向けられる視線が鬱陶しくてしょうがないが、五人と違って多救だけは、ただ黙ったまま後ろに付いているだけなのだから、奇異の視線も仕方ないことだと割り切っていた。
さながら罪人が市中引き摺り回しの刑に処されているかのようだ。というのは多救の大袈裟な感想だが。
絵面的に奇妙なもののように周囲の目に映っていたのも確かだ。
巫女様がいるならば三本柱がいるのにも違和感はない。周囲をキョロキョロとしている少女も恐らくは『鎮魂の社』の一員なのだろう。だが、あの少年はどういう立場なのか。
自分がどういう風に見られているかを基本的に気にしない多救としても、現状は心地の良いものではなかった。
まあ、無駄に俯いてしまっているからよく分からなさがより強調されてしまっているというところもあるのだが、多救は前よりも下を見て安心する性格だった。
追い付かない背中を見るより、自分の足元を見ていた方が余程安心できた。
「なあ、多救、お前らって全員、髪黒いのか?」
「え? ……少なくとも俺の国は基本的に黒いですけど、染めてる人もまあまあいるんで、一概にはなんとも……」
「髪を染める? 色を変える奴がいるのか? 髪の?」
「えっと、何か問題なんですか?」
「……ギルくん、多救さんの世界には護法は無いんじゃないですかぁ? それなら、髪の色を変えるのはそこまで不思議なことではありませんよぉ」
「……あー、そうか。髪の色が護力に作用することもねえから変えても問題ないってことか。なるほどな、だからその分、科学が発達してるってわけだ」
「…………はあ」
自分の言葉にギルセットが一人で腕を組んで納得しているが、勝手に納得された側の多救としては困惑する他ない。まあ別に、だからといって深く聞こうという気は起きないけれど。
葉雪だったらきっと訊いていたのだろうなと思うけれど、多救にそこまでの積極性はない。どうせ必要な情報は全て葉雪が集めてくれているのだから、自分は今までと変わらずに、その情報を前提として、葉雪の立場をより磐石にするために動くだけだ。
多救の行動はすでにパターン化されている。葉雪が近くにいるときに限ってのパターンだが、今までそれで致命的な失敗をしたことはない。前例がないことは、これからもないことの保証にはならないけれど、多救はそれでも構わなかった。
それで失敗しても、損をするのは多救一人だ。
葉雪を巻き込むことはない。
温度を失った瞳でギルセットを見ているレナトリウムは、多救に対して申し訳なさそうな顔を浮かべた。
小さな口を多救に向けて開いたのは、今のギルセットの発言を説明するためだろう。少し間延びした話し方をする人物ではあったが、多救はレナトリウムがそこまで苦手ではなかった。
人当たりの良さ、とでも言えばいいのか──そこで、前触れも予兆もなく、『直感』が瞬いた。頭の中で『直感』が顔を上げて右を見ろと叫んでいる。
突然頭を動かした多救に驚いたレナトリウムを見ることなく、視線を右に向ける。
男がいた。それ以上の情報を多救は獲得できない。だが、これから何か良くないことが起こるのは『直感』が働いた以上明白だ。そして、『直感』が叫んできたのなら、多救にとって一番守らなくてはならない存在の危機を伝えてきたのなら。
その対象は葉雪をおいて他にはいない。
「──葉雪‼」
「ふぇ?」
もし何も起こらないならそれでいい。だが、もし取り返しの付かないことが起こったなら、その時自分は、後悔すらできないだろう。そう思いながら、多救は葉雪を抱き締めた。
男の方へ背中を向けて。葉雪をなるべく遠ざけて。
だから、その背中を冷たい何かが貫いたのは、多救にとって望むところだった。
冷たいと感じたのはほんの一瞬だ。すぐに穴の空いた背中が熱くなっていく。熱を持ち、意識を朦朧とさせる。
「──っ! うっ……、ぐぅ……」
「……多救?」
本当は叫びたかった。大声で、この苦痛を身体の中だけに留めておくのではなく、口から発散して解消したかった。だが、今多救の腕の中には葉雪がいる。余計なストレスを掛けさせるわけにはいかない。
多救が傷を負えば葉雪に少なくないストレスが掛かるのは分かっていたはずだ。だからこれは、朦朧とした意識の中で考えた後付けの言い訳に過ぎない。
反射的に、後先のことなんて考えずに葉雪を庇った自分に対する、余りに情けない言い訳。
立っていることが出来ない。脚からも腕からも力が抜け、地面へと崩れていく。
なるべく倒れる勢いをゆっくりにしようと思ったが、思うように体に力が入らず上手くいかなかった。なんだか、軟体生物になった気分だ。
「たすく……、多救!」
遠くで、葉雪の声が聞こえる。いや、手を伸ばせば届くような近くなのだろう、本当は。だが、もう遠い。掠れて聞こえるほどに。
すぐ側にいる葉雪は、果たしてどういう反応をしているのだろう。叫んでいるのか、呆然としているのか、それとも、割と平然としているのか。まあ、どれでもいい。この結果は自分勝手な行動の代償だ。葉雪に呆れられてもおかしくない。
熱かったはずの背中から、どんどん冷たくなっていく。身体そのものから熱が失われていく感覚。
それでも、何も変わらず手だけは温かい。何かに包まれているかのように、安心する温かさが心に染みる。
けれど、その手は震えていた。こんなに温かいのに、なんでだろうか。自分が震えているのか、あるいは、何かが揺れているのか。
手の震えといえば、多救の記憶に残っていることがある。
別になんでもない記憶だ。ただ、葉雪が震えていたから手を握ったというだけの記憶。
寒いのかと思ったのだ。季節は春だった気がするので、震えるほど寒いということはなかったはずなのだが。ひょっとすると風邪の前触れだったのかもしれない。今更こんなこと、葉雪だって覚えていないだろうし、確かめることなんて不可能だけれど。
自分が何かを言って、遊んでいたゲームがゲームオーバーになって、ショックだったのか葉雪がゲーム機を落として、ソフトがどこかに滑り込んでいった。
あの時、自分は何を言ったんだったか。ただそれ以降、葉雪の性格は明らかに変わった。傍目からは今まで通りだったが、なんだか、周囲に張っていた壁を限りなく薄くしたようで、どことなく不安な気持ちになったのを覚えている。
それでも、多救と二人でいるときは何も変わらなかった。その変化の無さが、時に多救を不安にさせたが、自分が口を出すことじゃないと思った。
葉雪の生き易いように生きればいい。
良い言い方をするなら見守っていて、悪く言うと不干渉だ。
ただ、多救が誤解をしていることが一つだけある。
葉雪の人生に、葉雪の幸福に、不和多救という存在は不必要だと判断してしまっていること。今まで幼馴染だから助けてきたし、幼馴染だから仲良くしてきた。
だが、どの関係性にしたって、前提として、幼馴染だから、が付随するのだ。そんな関係性でもなければ、本来関わることがなかった人種。今だって、一緒にいることの方がおかしいのだ。
なんてみっともないのだろう。結局自分は、行末葉雪という幼馴染に依存しているだけなのだ。ちっぽけな事故顕示欲を満たすための都合の良い存在としているだけなのだ。
ああ、なんて惨め。
『ねえ多救。私がすごーくいやーな性格になっても、私の側にいてくれる?』
『……嫌な奴になったら一緒にいたくないな。お前がそういう性格だから一緒にいるんだし。できれば今のままでいてほしい』
『つまり、今のままの私が好きってこと? 多救と一緒にいるときの、今みたいな性格の私が』
『好き……、まあそうなるか。他の奴にはそういう態度しない方がいいとは思うけど、ここでならそれがいい。無理してるんなら止めてもいいけど』
『何言ってんのかなあ、多救ちゃんは。私がこんな風に振る舞うのは多救の前だけなんだから。多救が今が良いって言うなら、それでいいの。それ以上はいいの』
『なんだそれ?』
『別に。私が良いって言ってくれるなら、それでいいの』
いつかした、そんな会話。
多救にだけ見せる、素直な性格。それを良いと言ってくれたのなら、それ以上はない。行末葉雪という少女が、多救にしか見せないものを肯定してくれたなら、それでこの話は終わりだ。
多救がもっと可愛いげのある性格がいいと言ったなら、葉雪はそうした。多救がもっと頼り甲斐のある性格がいいと言ったなら、葉雪はそうした。多救がもっと色気のある性格がいいと言ったなら、葉雪はそうした。
多救と一緒にいられるなら、葉雪は自分の素の性格だって変えた。
だが、多救はそんな必要はないと言った。今のままの葉雪が好きだと言ってくれた。それは、葉雪にとってどんな言葉よりも嬉しい一言。
万人に受け入れられる外行きの性格を脱ぎ捨て、多救の前では素直な自分でいられるという安心感。
『ねえ多救。私とずっと一緒にいてくれる?』
『……お前、やりたいこととか無いのか? 大体のことなら出来るだろ?』
『無いよ。多救が私の側にいてくれるなら、それで全部解決するんだから。困ったって迷ったって、多救さえいてくれれば私は帰ってこられるから』
『そんな目印みたいにはなれないと思うけど……、まあ、やりたいことが見つかるまではそれでいいけどさ。困ったことがあったなら、道に迷ったら、俺が出来る限りの範囲で助けてやるよ』
『出来る限り……か。ははは、多救らしいや』
ああ、誰か。誰でもいいから。
俺以外なら誰でもいいから。
誰か、葉雪を解放してやってくれ。
そんなことを思いながら、多救は意識を失った。手の温もりも、もうわからなかった。




