15,願わくば布団の中で
完全に脱力してしまった多救の身体が地面に密着する。身体が細かく動いているのは痛みのショックによる痙攣なのか、それとも別の要因があるのか。
分からない。分かるわけがない。
背中を串刺しにされた場合の応急処置なんて分かるわけない。
「たすく……、多救!」
反射的に地面にうつ伏せになっている多救の顔を覗きこむ。苦痛に歪んではいる。意識を失ってるわけじゃない。多分背中に刺さってる複数の──四本の氷の刺を抜けば、大量の血が溢れ、失血死してしまう。そうなれば当然これを抜くわけにはいかないけど、じゃあどうすればいい?
救急車なんてこっちの世界にはないだろうし、そもそも電話がないから誰かに助けを求めることすら出来ない。
気付けばいつの間にか自分の呼吸が乱れている。過呼吸とかいう奴だろうか。なったことがないから分からないけど、今私が相当混乱しているのだけは分かる。
どこか遠くで、こちらを俯瞰している自分が冷静にそれを教えてくる。うるさいうるさい。
心臓の音がこんなときだけやたらと身体に響く。脳に血液が回っているのか視界が揺れる。うるさいうるさいうるさい。
多救に伸ばしている手が震えている。手だけでなく全身も。止まってくれない。歯がガチガチガチガチと。うるさいうるさいうるさいうるさい。
血が溢れて地面が濡れる。命が零れていく。まだ私の身体に残っている多救の体温が流れて消えていく。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい──
「……さん、──葉雪さん!」
「っ! 巫女、様? ど、どうしたんですか……?」
「動揺する気持ちは分かります! ですが貴女が焦っても多救さんは助かりません! 犯人はギルとハルが追ってくれていますから、他を気にせず、今は多救さんの手を握ってください!」
「手を……」
「ああもう! 余計なことは考えないで! 貴女はただ多救さんのことだけ考えていてください!」
多救のこと──ふと、昔のことを思い出した。私達がまだ小学校低学年のときの記憶。外行き用の顔と、隠している顔の使い分けがまだ下手だった頃の思い出。
多救の部屋でゲームをしているとき、不意に、お前って学校とここだと全然違うよな、と言われた。それはきっと悪口でもなんでもなくて、幼い多救の純粋な疑問だったのだと思う。
でも当時の私は、そんな風に多救から見られていたことに酷い焦燥を覚えた。今考えれば別に、正直に外では猫を被っているとでも言えば良かっただけの話だったのだけれど、焦っていた私は。
多救に二面性のある人間だと思われたくなかった私は、なんだか支離滅裂な言い訳を並べ始めた。当然ゲームなんかまともにプレイできなくて、通信していた多救もろともゲームオーバーになってしまった。
あの時も、手が震えていた気がする。歯がガチガチと音を立てていて、体温がどこかに抜け落ちたかのように身体の芯から冷えきった感覚。
多救に嫌な人間だと思われたくないという恐怖は、私の精神を不安定にした。
多救がゲームの画面を見て、あーあ、と言った。言っただけなのだが、その、あーあ、が私に向けられたもののように感じた。失望されたと、見限られたという感覚がさらに私の体温を奪い、視界が揺れた。
あの時の私は、端から見てどういう様子だったのだろう。部屋には私と多救しかいなかったから、それは分からない。でも、まともではなかったことだけは分かる。
もうその時の私は、多救の顔を見ることが出来なくなっていた。冷たい目が私に向けられているんじゃないかという想像が膨らみ、大きな怪物となって私を踏み潰していた。
今だから思うのは、多分当時の私は、多救を心から信じていたわけじゃなかったんだろうなということ。昔から一緒にいるから一緒にいてくれるだけで、何かあれば離れていくんだろうと、多救を勝手に値踏みしていた。
それを仕方ないことだと割りきれるだけの精神力は、当時の私には無かったけれど。今の私にも無いけど。
両手で持っていたゲーム機が床に落ちた。床に座っていたから壊れることはなかったけど、ソフトが抜けたらしくて小さな何かがどこかへ滑っていくのが視界の端に入った。
笑わなきゃ。苦笑いでいいから、多救の顔を見ていつもの私みたいに笑わなきゃ。多救に今まで見せてきた『行末葉雪』を崩すわけにはいかない。そんなことないよー、って笑いながら言って、多救の前ではただただ単純に明るい私でいなきゃ。
唇の端が引きつって上手く笑えない。全身の震えが止まらなくて、顔が上がらない。駄目だ。見捨てられる──
──多救の手が、私の手を握った。
今だったら絶対に恥ずかしがってそんなことしてくれないだろうけど、私の様子がおかしければ今の多救もきっと手を握ってくれると思う。それは希望であり、妄想でしかないけど、それほどまでに私は多救を信頼しているのだ。
どうした、寒いのか、なんて、何も分かってない言葉が多救からは出たけど、その時の多救の顔を見て、ああ、この人はきっと、私を見限ったりしないと、勝手に思った。
私はそれ以来、多救の前で自分を偽ることの一切を止めた。嬉しいときは抱きついて、悲しいときは泣きついて、寂しいときは抱きついて、困ったときは泣きついた。
多救から見て、内外でキャラに差が無いようにした。外でも趣味を堂々と楽しみ、それでも受け入れられるように立ち回った。
きっと多救は、私には裏表がないと思っている。そう見えるようにしている。
でも違う。私が本性を見せるのは多救にだけだ。私が生きていく上で、必要なのは多救だけ。だから。
私は多救の手を握る。
「助けて……、お願いだから……、多救を……」
「──分かっています! レナ! 魔力を流してください! 私が全力で傷を塞ぎます!」
「はい! 補助します! ──緑の流れ、黒の穴、荒れた表層とその内面、正しい時流に、白は恩恵をもたらす!」
「白が主、緑は枝、その流れを受け、黒は正しき形へと進む!」
そんな詠唱のような言葉に反応してしまった私は、涙目で二人を見る。多分、私が平常だったら目を見開いていたと思う。
巫女様の身体から薄い緑色の光が、レナさんの身体から桃の入った白い光が、混ざりあって多救に流れ込んでいく。
それと同時に、氷柱のような四本の刺が少しずつ抜けていく。見える限りで判断するなら、傷口が塞がっていくことで、穴から氷柱が押し出されている、と言うべきなのか。
カランと、四本の氷柱が地面に転がる。
制服に染み込んだ多量の血は体内に戻っていったりしないけど、制服に空いた穴から見える多救の背中には、穴なんて空いていなかった。これ以上、血液が漏れていく心配がない。
多救の顔色はまだ悪いけど、さっきまでと比べればその表情は穏やかになった。素人判断だけど、多分もう、命の危険はない。
張っていた気がプツンと切れ、身体から力が抜ける。軟体生物のようになりそうだった私の背中を、レナさんが支えてくれた。
巫女様は多救の背中を念入りに確認している。あまり触らないでほしい。こんな状況でそんなこと言ってる場合じゃないのは分かってるけど、さっきの抱き枕発言は結構私に危機感を与えている。
「もう大丈夫です。少し血液が足りないかもしれないですけど、ちゃんとご飯を食べて、健康に過ごせばすぐに元通りですから」
「……魔法、ですか?」
「そういう呼び方もしますねぇ。一般的には、護るための法、護法と言っていますけど」
「……護るための、法。……ありがとう、ございます。多救を助けてくれて、本当に……」
「いえ……、恐らく多救さんがこんな目に合ったのは、私達のせいだと思いますからぁ……」
「え……?」
悲痛な表情を浮かべるレナさんに、力の入らない私はまともな反応を返せない。頭のどこかでどういうことなのか聞かなくちゃいけないと訴えてくる自分が騒ぐ。
触診が終わったのか、巫女様が私に申し訳なさそうな顔を向けてくるけれど、今の私にまともな思考能力は残っていない。精神的にヘトヘトだ。出来ればもうお風呂に入って寝たい。
「……先程攻撃してきたのはこの国の最西端にある村、リトレトの青年でした。恐らく、私達と共に城から出てきたお二人を、城の関係者だと勘違いしたのでしょう」
「……それでどうして私が狙われるんですか?」
「リトレトはつい先日、強引な領土拡大に抵抗した魔族の方々に襲撃されました。リトレトはただ近くにあったというだけで、一切拡大には関わっていないのですが、その被害は甚大でした」
「……つまり、勘違いの復讐、ですか?」
「実際に本人から話を聞いてみないことには断言は出来ませんが、動機としては十分にあり得るかと。人口の実に四割が亡くなってしまい、事実上、リトレトは壊滅状態ですから……」
「……ってことは、やっぱりお姫様の影響を受けたわけですね、私達は……、はぁ……」
「そう、なりますね……」
「巫女様ぁ……、ギルくんとハルちゃん、やり過ぎたりしないですよねぇ……? 走っていくときの顔、凄い怖かったんですけどぉ……」
「……流石にその辺りの容赦は効く……、と思いたいですが……、あの二人が有事の際に過激になるのは間違いないですから、そう言われると不安になりますね……。とは言え、今私達がこの場を離れるわけにはいきませんし、無事を祈りながら帰りを待ちましょう」
「あの二人って戦闘用員なんですか? てっきりハルさんは頭使う立場かと思ってたんですけど」
「ハルちゃんだけじゃありませんよぉ。今回は私がこの場に残りましたけど、私だって結構戦えるんですからぁ」
「えぇ……?」
「そんなに露骨に疑わないでくださいぃ……」
てっきりレナさんはマスコット枠だと思ってた。でもそんなこと言うと泣いちゃいそうな気がするから黙っておいてあげよう。
巫女様が仰向けにした多救の顔は大分落ち着いていた。鏡がないからなんとも言いたくないけど、ひょっとしたら私の方が顔が崩れてるかもしれない。
……まあ、いいや。私は多救に助けてもらって、多救も巫女様が助けてくれた。無事なんだから、それ以上は望まない。
強欲なことを言うなら、もう一回くらい多救におもいっきり抱き締めてもらいたいけど、体調が戻ってからのお楽しみってことにしておこう。




