Case 4 : 数字を誇るのは驕りと虚しさの始まり
Case 3 と矛盾してしまうかもしれませんが、数字を誇る人をたびたび目にします。
誇るのはまだ良いのですが、これが度を越すと驕りにつながってしまうので注意です。
ここでいう数字とは主に、
・自作の文字数
・今日書いた文字数
・読書冊数(文字数)
などを指します。
誤解のないように言っておきますが、誇るのはけっこうなことです。
たくさんの文字数で重厚な世界を書ききったことも、今日だけで○○文字書けたという事実も、これだけの本を読んだという経験も誇ってよいことだと思います。
問題はそれが驕りになってしまうことです。
小節を書いている人が特別に喧嘩っ早いワケではないでしょうが、ちょくちょく揉めてますよね。
で、その時に武器として使うのがこれらの数字です。
「私は総文字数百万文字の超大作を書いている! お前のは何文字だ?」
「一日に3,000文字書けないような遅筆はダメ」
「俺はこれまで5,000冊読んできた。俺に意見したくばそれ以上読んでからにしろ」
という具合です。
……なんでこんなふうになっちゃうんでしょうか……?
某鉄道すごろくゲームで対戦相手より資産が多かったら、それは武器になるでしょう。
物件をたくさん持っていて収益が上がれば煽りにも使えましょう。
しかし文字数だの、これまでに読んだ冊数だのが何の役に立ちましょうか?
これも実際に見た光景なのですが、最後の、
「俺はこれまで5,000冊読んできた。俺に意見したくばそれ以上読んでからにしろ」
は本当に言っている人がいました。
その人はどうやら出版社のオーソライズを得て出版することを至上としていたようで、自身も書籍化作家になりたいとの願望を抱いていたそうです。
そのために執筆を30年か40年か続けてきた、と誇っていました。
上記の発言は誰かと喧嘩しているときに発したものと記憶しています。
失礼を承知で言うならば、書籍化作家になりたくて数十年書き続け、今なおその夢が叶っていないのなら、その読んできたと豪語する5,000冊は活かされていないのではないでしょうか?
どんなジャンルの、どの著者の、どの作品を読んだのかは分かりません。
が、喧嘩の種に引き合いに出すのが読書数というのは、その5,000冊の著者に失礼ではないでしょうか?
「しょうもない喧嘩に私の著書を利用するな」という声が聞こえてきそうです。
書籍化作家を目指すなら、まずは著者に敬意を払うべきで、相手をやり込めるために読書数を持ち出すのはよろしくありません。
その姿勢は作家としても、読者としても風上に置けるものではないでしょう。
数字が小さければ卑屈になり、大きければ尊大になる……。
これは何も物書きに限らず、ともすれば誰もが陥りがちな病のようなものです。
律することが肝要でしょう。
(続く)




