第八十七話 入学式三日前 ① プラチナブロンド
車の列がスムーズに消化され始めたのは、入学式の開始三十分前を過ぎた頃だった。
沙苗は既に大学の中のカフェテリアに入って、居合わせたほかの新入生の保護者と歓談しながら開式を待っているらしい。カフェテリアには今日だけモニターが設置されていて、入学式の場内の映像を流すことで、保護者もその様子を見られるようになっているのだ。思いのほか入学式を見に来る保護者が多くて楽しい、と連絡が来ていた。
沙苗に返信をしてから、ふとバックミラー越しの自分と目が合った。
パーマのかかったプラチナブロンドの髪が、昼間の青白い光の下ではほとんど白に見える。肌の向こうに青ざめた血色が透けていて、妙に寒々しい。
ピンストライプの入ったグレーのスーツも、シャドーストライプの入ったシャツも、艶のある青いネクタイも、ピンも革靴も、沙苗から入学祝としてプレゼントされたものだった。
*****
まだ何の試験も受けていない、高校三年生の七月の段階で、「直ちゃんなら大丈夫だから」「結果出てからだと間に合わないかもしれないから」と言い募る沙苗に半ば押し切られるように、オーダースーツショップに連れていかれた。
わざわざ帰国中に時間を作ってくれた沙苗は、無邪気に息子に尋ねた。
「どの色がいい?」
雪本は、ジャケットについてはグレー、シャツについては白、革靴は黒がいいと答えるほかなかった。沙苗は楽しそうに頷きつつ、しかし、ごまかされなかった。
「ネクタイはどうする?。流石に黒は寂しくない?」
「そうなんだけど——」
「色が付くと苦手?」
「苦手って言うか……色を選ぶの、できないんだよね」
「じゃあ私選ぶ」
と、沙苗は迷わず、光沢のある深い青のネクタイを選んでくれた。
*****
榊の端末と雪本の端末と、同時に通知音が鳴った。
東井が三人のグループにメッセージを投げたのだ。
「……榊。東井が今日の入学式の後、どっかで会わないかって、どうする?」
「雪本がこの後どうするかに任せる。部活を見学するなら、食事会に行くかどうかもあるだろうし……」
「ああ、確かにそうか」
雪本は榊が言った理由をそのまま打ち込んで、「だから行けるかわからない」と締めくくった。
東井は既にバスケットボール部への入部を決めているので、自分が部活動の見学を視野に入れていなかったので失念していたらしい。それ以上の追及はせず、むしろ、何も考えないで誘ってごめん、と謝罪までついてきた。
「もし雪本が食事会やら何やらに参加して、帰りが遅くなるようなら、俺だけでも東井と会ってこれるけど」
「お願いしていい?」
即座に聞き返すと、榊はこともなげに頷く。
「そうなると、車はいったん家に戻しに行くと思うから、帰りはタクシーを使ったらいいと思う。手持ちがなければ今貸せる」
「大丈夫。それくらいなら貰ってる。いけそうなら電車で帰るし」
「わかった。じゃあ、会ってくる」
うん、と答えながら、雪本は知らず知らずこわばらせていた背を座席に預けなおす。ため息とすら呼べないようなかすれた息をひとつついても、榊はその訳を問わなかった。
*****
三日前、三月二十八日。
今度は沙苗から、美容室を紹介されてしまった。
入学式のスーツがモノトーンであることも踏まえて、より艶のある深い黒に染めてもらおうと考えていた。沙苗と知り合いであるという男性の美容師にもそう伝えると、頷きながら
「上品でいいでしょうね。声もかけやすくなると思うし」
と言われた。
「……それか——」
雪本は無計画に、口を開いた。
「せっかくだし、思いっきり振り切っちゃっても面白いんですかね」
「振り切る?」
「凄ーく明るく。ブリーチとかしたり」
美容師はその言葉に、笑ったようにも見える鋭い視線を鏡越しによこす。
「声をかけづらいくらいに?」
「はい」
雪本は即答した。
「でも下品になるのは嫌です」
「似合えば、大丈夫ですよ。でも似合ったら似合っただけ、別人みたいになると思います」
「じゃあ、そうします。明るい別人にしちゃう」
雪本がはしゃぐように笑うと、美容師は付き合うように口角を上げた。
終わってみると、本当に別人になって驚いた。
「暖色の照明の下にいると、つられて物凄く黄色っぽく見えちゃうと思います。良し悪しじゃないけど、ちょっと頭に入れといてください」
「似合わなくなります?」
「もしかしたら」
雪本は美容室の比較的白い光の中で、自分の髪色をしげしげと眺めた。
プラチナブロンド、という名前を聞いて、金髪なのかと一瞬身構えたのだ。
どうしても川上が脳裏によぎっていた矢先、ふたを開けてみれば似ても似つかない色だった。襟足を長めに残しつつ、段を入れて、さらに細かくパーマが入ったのもあって、顔全体を眺めて見ても全く川上に似ていない。
今までとは全く違うし、確かに別人のようにも見えるのに、違和感はない。そしてどういうわけか、新鮮味も感じていない。それがむしろ自分らしく、どちらかと言えば気に入っていた。
雪本は美容師に深く頭を下げ、店を出た。時間を確認すると、東井との約束まであまり猶予がなくなっていた。
待ち合わせたカフェに入ってすぐ、雪本は東井を見つけて、手を振りながら近づいた。
東井はすぐに気配で気づいて視線を上げ、雪本の髪を嫌そうに凝視する。
「はっで」
「似合う?似合うでしょ?」
「いや、すっげえ似合うけど……これ以上何のデビューをするの、お前は」
「今日染めたばっかりなの。思ったより時間かかって。ごめん、遅れた?」
「全然。まだ五分前だし。買い物疲れで早く座りたかっただけだから」
東井はそう言って、傍らに置いた三つの紙袋を指さす。どれもファッションブランドの物だった。
「ハシゴしたら金なくなった。髪どうしようかなって思ってたけど、暫くはこのまんまかな……」
「全然いいと思うけど、もし何か気になるんだったら、前髪だけ切ってもらえるところもあるよ。店によるけど、値段は大分下がるし」
「それもいいな」
そんな話をしているうちに、店員が水を汲んできてくれたので、雪本も注文を入れた。
店員が下がってから、東井に視線を合わせる。
「改めて、合格おめでとう」
「うん。ありがとう。雪本も」
「うん」
本当の第一志望は、東井にも伝えていなかった。少しはプライドの問題も影響していたが、根本的には、万が一にも榊に知られたくなかったからだ。
「石崎と同じとこ行くんだよね、東井は」
東井はその事実の衝撃を自分で思い出すような表情で頷いた。




