第八十六話 高校三年の二月末 ③ 友人
「私ね、榊君と、同じところを受けたんだけど」
「そうなんだ」
雪本は、既に知っていたことを、知らないように返事した。
泉美が榊と同じ大学の同じ学科を受けることは皆が知っている。泉美も榊も隠していない。
学科は違えど同じ大学を第一志望にした雪本は試験を既に受け終えてなお、結局言わずじまいだった。
机の中にしまっている、図書館で借りた本に触れる。お守りのようにすがりながら、泉美の目を何とか正視し続けた。彼女の方は、試験自体には手ごたえがあるのだろう。
雪本の痛みはちっぽけだった。当然だ。今この瞬間まで、その痛みを忘れていられる程度だったのだから。
その小ささに気づく気配もなく、泉美は続ける。
「そしたらこの間浜上ちゃんにお願いされたの。榊さんを見張ってほしいって」
「見張る……?」
「死んじゃわないように、見張ってほしいって」
「……」
「榊さん、死んじゃいそうだからって。浜上ちゃんが言うの」
「……死なないよ」
「死んでほしくないの?」
「そんな事言えないけど」
「……そうかな?」
泉美は冷静に首をひねる。
「雪本くんの気持ちくらいは、ちゃんと持ってていいと思うけど。……ああ、そうか、そこなんだ」
ようやく腑に落ちたというように、泉美は深く息をした。
「……浜上ちゃんが、榊君のこと『死んじゃいそう』って言った時、なるほどなって思ったの。私が榊君に思う事、本当にそれだって。でも、今気づいた。雪本君も死んじゃいそうなんだ」
「俺が?」
「うん」
でもね、と、泉美は雪本の目元を指さした。
いつの間にか頬が濡れていた。心底うんざりしながら拭こうとすると、泉美が言う。
「辛いのに、頑張って話をしてくれたんだなって、それで実感できた」
「……」
「ちゃんと生きられてる。だから私は、今日ちゃんとお話ができたの。私これからも、雪本君とはたくさんお話したいんだ」
「いいの」
「うん。……もう、暗くなっちゃったし、まずは帰りながら、仲直りしてくれない?」
泉美はマフラーを巻きながら、屈託なく笑った。
「うん」
雪本は頷いて立ち上がる。
「ありがとう。泉美さん」
「こちらこそ、ありがとう」
その日の帰り道は、核心に触れる話も、触れない話も織り交ぜて、途切れることなく話し続けた。話し足りずに、ラーメン屋にまで寄り付いたほどだ。
一年の夏、石崎と関係がこじれ、学校にも部活にもいづらくなった雪本が、とにかく相談をする相手に選んだのは榊だった。
信頼を置いているし、頭脳を買っての事でもあった。しかし榊が、断らないだろうと踏んでいたのも大きい。けれど、そんな榊相手だからこそ、診断書や東井の事は頼めても、石崎の事を頼むわけにはいかなかった。だから今度は泉美に声をかけた。泉美に声をかけたのも、結局、その能力や立場以上に、榊が絡んでいることならば断わらないと踏んだからだ。
その事実は消えないし、泉美も榊も、今となってはとっくに全て理解している。
それでも泉美は、石崎の事を誇らしく、友達として話題に出した。雪本も石崎の事を友達として話題に出せた。
その時間でどれだけ勇気づけられたか、言葉にはしつくせない。
*****
その日からしばらくして、榊と泉美と雪本が受けた大学の結果発表があった。
雪本は予想通り不合格に終わったが、泉美は志望していた最難関の学部に合格した。泉美と全く同じ学部を受験していた榊は、不合格で、浪人することが決まった。模試でも校内の試験でも、常に泉美の驚異的な成成績のさらに上位にいた榊本人は、「試験時に体調不良があった」と簡単に説明した。
雪本は泉美にすぐ連絡を取った。泉美も驚きながら、不可解そうに首をひねる。
「体調不良って本人は言ってるみたいだけど……試験の日、帰りの電車で榊くんともちらっと顔を合わせたけど、体調が悪いなんて気づかなかった——」
雪本は、肯定も否定もできかねた。泉美も、特に雪本の言葉を待たず、決然と続けた。
「私、榊君とまたお話しできるように頑張ってみる。ここから一年間も、ちゃんと見張れるように」
「うん。……でも、大丈夫?」
「別に、口をきいてもらえないってわけじゃないのよ、今でも——。ただ、前みたいに、何でも話せるようにならないと、このまま一年ブランク空いたら、何にもわからなくなっちゃう」
「そっか」
雪本はそこでようやく、泉美が本当に言わんとすることに気が付いた。
「一年後までに、考え、まとめなくちゃいけないもんね」
泉美もまっすぐに、うん、と返事する。
「いつまでもって言ってもらってはいるけど。——できれば、あまり待たせたくないから。結論がどっちにしてもね」
そんな話があったのが、今からちょうど二週間前だった。




