第2話 魂、そして願い
黒髪の彼は、なんとも言えない表情を浮かべつつ微笑んでいる。
『それじゃあ私は、この後輪廻の輪へ還されるんだね。そして……きっと、輪廻の輪へ還ったら、この記憶も全て忘れちゃうんだね』
寂しいか寂しくないかと聞かれたら、間違いなく寂しい。そんな私を知ってか知らずか、彼は悲しそうに目を瞑る。
この部屋には、彼と私しか居ない。
静けさは辺りを包み込み、異常な程の静寂が、部屋にこだまする。
その静寂を破ったのは、他でもない彼だった。
「君の魂を、僕の身勝手で拾ってしまったんだ」
申し訳なさそうにまつ毛を伏せる彼をボーッと眺める。魂を拾うという事は、輪廻の話とはまた別の話なのだろうか。
恐らく今の私に顔があれば、とてつもなく間抜けな顔をしてるだろう。意味を理解していないのに気づいた様で、彼は言葉を続けていく。
「本来なら終わりを迎え、君の魂は輪廻の輪へ還る筈だった。僕はその理に抗い、君の魂を輪の流れから外してしまったんだ。勝手な事をしてしまって、本当に申し訳ない」
彼は綺麗な黒髪を垂らし、頭を下げる。輪廻、理。難しい言葉に頭を捻るけど、彼のしてしまった事の重大さに、いまいちピンとこなかった。
『輪の流れから外されてしまった魂は、どうなるの?』
「……もう二度と、輪に戻る事は出来ない」
言いにくそうに眉間に皺を寄せながら、彼は苦しそうに言の葉を紡いだ。
どうして、彼が苦しそうな顔をするのだろう。そんな顔をしてまで、私の魂を輪から外したのは何故?
……もう二度と輪廻の輪へ戻ることはできないのに、私の魂がここにいるのは、何故なの?
疑問ばかり、浮かんでは消えていく。
魂を拾ったと言う言葉の重みが、ゆっくりとのし掛かってくる。
『じゃあ私、もう二度とあの世界を見る事は出来ないんだね。温もりを感じることも、風と一緒にお母さんを見守ることも、出来ないんだ……』
肉体はないから、涙は出ない。
涙は出ないけど、とても悲しい気持ちになった。
また一つ、当たり前に他の人に与えられる物が、私から遠のいてしまった。
──神様は、なんて残酷なのだろう。
『私は、これからどうなるの?』
彼は、ゆっくりと瞬きをした。まるで、私を試すかの様に。
「新しい世界で、もう一度生きてみないかい?」
凛としたその声に、明るさが滲んでいる様に感じた。
『どういう事?私はもう、輪廻の輪には還れないんでしょう?』
「うん、そうだね。輪廻の輪には還れない。でもそれは、僕の身勝手による結果だ。ならば、最後に一度だけ人生を楽しんでみたって、怒られはしないさ」
彼は楽しそうに笑った。
初めて見た彼の笑顔は、どこか懐かしい。
「勿論、こんな事で償える訳では無いんだけれど。その魂の輝きを、もう一度僕に見せて欲しいんだ」
『……よくわからないけど。もう一度、歩いたり走ったり出来るのならば。もし……もう一度、生きることが許されるのなら』
少しずつ、鼓動が大きくなるのを感じる。
心臓なんて、もう無い筈なのに。
『私は、貴方の世界で生きてみたい』
───辺りが、突然暖かい光で包まれていく。
穏やかな暖色には、確かな暖かさがある。その眩しさに目を背けた途端、突然身体が重たくなった。
ゾクリ。と、全身に鳥肌が立つ。
まるで異なるものを馴染ませるかの様に、暖かい何かが全身を駆け巡る。
「……不思議。身体って、こんなにも重かったんだね」
きっと私は今、凄くぎこちない笑顔をしているんだと思う。彼は、困った様に笑う。
「ああ。魂はとても軽いからね。飛んでいってしまわない様に、魂の入れ物は重たく出来ているんだ。その身体は〝特別〟な物だから、すぐに馴染む筈だよ」
「……ありがとう」
「君は……お礼を言う相手を、間違っているよ。僕は良い人でも何でもない、ただの自分勝手な男だからね」
自嘲気味に笑うその姿が、なんだか痛々しく感じてしまう。
正直なところ、彼が私の魂を拾い上げた理由に関してはまだまだ聞けていない部分が沢山ある。
……だけど。聞こうとすると悲しい笑顔を浮かべる彼に、私は理由を聞けないでいた。
何故だか、彼の悲痛な表情を見ているだけで心が痛んでしまう。
「前の世界の君には、これから沢山の幸せが待っていた。君の人生には、素晴らしい夢や希望が残されていた」
今ではもう、消えてしまったけど。
そう続けた彼は、真剣な瞳を私に向ける。
「途絶えてしまったそれを、僕の世界で……。失ってしまった幸せを、どうか、この世界で、取り戻して欲しいんだ」
──ねえ、神様。
生きている時は私、散々貴方のことを悪く思ったし大嫌いだったけれど、今は貴方の事を、少しだけ好きになれた気がするよ。
まるで懇願するかの様な彼の願いに、私はゆっくりと頷いていた。




