Chapter10-5
お待たせ。
回想シーンが最後にあります。そして、かなりカットしますが、後々に補足するので、安心してくださいね。
燃ゆる灼熱の大剣。
燻るように燃え、闘気を褪せさせることなく巨神兵は眼前の異形……….一体化した魔女キュリアを見据えた。
「随分醜くなりましたわね、貴女」
ジェシカの言う通り、キュリアの肉体はおぞましきヒュドラの肉体と同化していてその姿は先ほどまで見せていた歴戦の魔女らしさは微塵もない。
「馬鹿な小娘。何も知らないと言うのも可愛そうね。でも、この姿がお前を殺す牙になるのよ。
ーーさあ、深みの底へ沈むがいいわ」
黄金の腕が持つ大鎌が払われる。咄嗟に背光を光らせ、後退するジェシカ。あの鎌にあたってはならない、そんな警鐘が鳴るのだ。
けれど。
向こうが上手だった。
大鎌とは別に半透明な大鎌が二つ、巨神兵の背後から出現し、その首を刈り取る。
ただ、不思議なのはそれが物理的なものではなく通り抜けるように進み、痛みなどの感触が一切なかったことか。
「?虚仮威しですわ………ね、っ!?」
意識が暗転する。
なんだ、これは?
薄れゆく意識の中で、ジェシカはキュリアを中心に異界が広がるのを見た。
彼女が知る由もないが、夢魔の強化形態は実体を失う代わりに夢を主体とした異界を作り出す能力。範囲こそ広大と言うわけではないがこの王都一体飲み込むのならば容易いこと。
そして、異界の強度は『触媒』、そして発動者に依存する。
即ち触媒としてヒュドラの、発動者たる実体なきキュリアが合わさることで生まれる異界である。
「これは…….、引き摺り込まれてーーっ!?」
世界は、王都は今塗り潰された。
「おやすみ、ようこそ深みへ」
「っ、………うっ?」
ここは一体。
そこはどこかの一室だ。可愛らしいピンクのカーテンが風に揺れて天蓋付きのベッドに誰かが座っている。
「ジェシカ」
その声はジェシカはよく知っている。憧れ、焦がれてなお同じ場所にありたいと願った根源の人。
「お姉様……?お姉様!?ご無事だったんですね!!」
「あぁ、迷惑かけたな」
そこにエストレアがいた。微笑みながら、ジェシカを迎えようと手を広げている。ジェシカはそこに飛び込もうと小走りになる。
「いえ!お姉様のためならばーーー、あれ?」
脳裏にノイズが走る。
今までやってきたことは夢ではなかったのか?
じゃあ、お姉様があの時私になんて言ったっけ?
ーーあれ?
ーーあれ?
ーーあれ?
「どうした?」
エストレアが心配そうに声をかけてくるが、彼女はベッドに腰掛けたまま動こうとしない。そこに小骨が引っかかるような違和感が。
『ーーーはぁ……、世話が焼けるなぁ』
何処からか声が聞こえて、指を鳴らす音が聞こえるとジェシカの意識は正常に戻った。
「お姉様ーーーー、いえ、貴方は誰ですの?」
「ーーく、くく、クヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!!!!」
それを理解した途端、空間は悪意を剥き出しにした。
暗転し、絢爛な部屋は消えた。それは悪夢。リアルに感じられる夢。実体を持った夢の塊。
戦役を乗り越えた魔法使いならこの空間が夢の中であり、かつ夢魔による世界の侵食であることは察することはできた。
まっくらな空間、けれどねじ曲がった異空間。体と同調した巨神兵の気配はない
深み。あの魔女はそう言ったか。
ということはここは異次元。もしくはそれに準ずるナニカ。
「うっ、ぐっ、グェェエ……!!?」
だが。ここにいるのは命を燃やし、燃え滓寸前のジェシカであるものの本質はまだ12の少女。
何度も何度も言うようだが、ジェシカはまだ少女なのだ。才女であったとしても、敬愛する人のために命を燃やそうとも小さな少女。
幼い少女の魂など、いかに薪となろうとも飴細工に等しい。
なす術もなく、痛ぶられる。
真っ暗な空間から青白い手が伸ばされて、ジェシカを鷲掴みにする。
そのまま万力の如く握りしめられ、そして落とされる。繰り返すがここは夢の中、悪夢の現実化。夢の中の出来事でも、痛みは現実のもの。
彼女は泡を吹いて、更に底へと落ちていく。
けれど深みに底はなく。深淵へ沈むが定め。そうなるのが運命だった。
だが例外というものはいつも突発的で、予想外なこともある。
「こっちだ、ジェシカ君」
またあの声が聞こえてきて、見えない何かに引っ張られてジェシカの意識は別の場所へ向かう。
「手短になるけれど、君はこの先に向かって欲しい。君が彼女との縁を繋いで、現世に戻るためにね」
ジェシカは暗闇の中で手を引く彼を見た。幻想的な魔法使いの姿を。
「だから少々君を隔離しよう。なぁに、すぐに君は現実へと戻れるさ。戻ったら、あれはかなり弱体化してる。そこを狙うんだ」
「夢魔には弱点がある。それこそ致命的な弱点がね」
「?仕留めた感覚が……ない?どういうこと?」
キュリアは己と同化させたヒュドラに何度めか巻き付かれ動かない巨神兵を見てたしかに仕留めたと確信した。けど、相手のジェシカの魂をこの手で潰した感触がない。どちらかといえばすり抜けたような……。
強化形態となった夢魔の『深みの夢』はそう簡単に抜け出せるような幻覚ではない。ましてやキュリアの深みである。今の腑抜けた人間達では抜け出せるわけがない。つまり、誰かが介入したと考えられる。
そして、ここが重要なのだが……深みに対してのカウンターはくらった相手が発動者の本体を看破するか、同じ規模の幻覚で相殺させて抜け出すかのどちらかである。それを行えるのはキュリアが考えられる限りたった一人だけだ。
そして、王都攻略に立案しキュリアに進めたのは誰だったか。
ギリィッと歯を食いしぎり、吠える。
「怪しいと思ってたけど、裏切ったわね………マリウスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッ!!!!!」
ーーー
ーー
ー
「裏切ったとは心外だなぁ、キュリア君。そもそもの話、僕は君の味方でもなんでもない。僕は最初から御子の味方なのさ」
異界に飲み込まれる王都を眺める一人の魔法使い。パンドラ一の魔法使い、不可の魔法使いことマリウス・シオンは着々と自らが望む結末が進むことに頬が緩むのが止まらない。
「そこを理解していれば、後は簡単だとも。その時は任せたよアールヴ・アグル。【比較】を司る善悪の神よ」
【いいとも、いけすかない魔法使い。元よりそのつもりだもの。そう、女神に至るための器が生まれ落ちるためにあの人間達には希望を繋いでもらわないとね】
一人と一柱。
彼らはカラカラと笑いただ一人、特別な運命に生まれた少女を想う。
「それにしても巨神兵かぁ。懐かしいね。あれが『龍』を滅亡寸前にまで追い詰めた力ってかい?」
【違うでしょ、あれは人の生命の熱さ。魂と精神を薪にして燃やして、燃やして、燃やしてしまう。いやぁ、あの人間はあの子にべったりだったけどここまでとはねぇ】
「そう。この結末は僕でさえわからなかった。けどーーー」
杖で地面を小突く。そして、一息つけて。
「彼女がきっと導き手になるんだろう。幽世から現世へ生まれるために。ーーーだから、僕はキュリアの夢世界に少しばかり介入したのさ」
【誰かのために……いや愛したからこそ、命を燃やすほどに恋い焦がれる。人というものは面白い。そこが僕らにとって羨ましいところだね】
そういうとアグルはマリウスの元を去る。周囲に神威を感じられない為、もうこの辺にはいないだろう。
「さて、そろそろ戻らないと。あの双児にあらぬ疑いかけられたら面倒だからね」
やや下にズレた単眼鏡をかけ直し、白く、金糸を縫ったローブを翻しその姿をポリゴンに変えてその場を去る。
「ここまで来れば後は予定調和さ。我が名の下に君をーーー神にする。だから、待っていてくれ、世界を継ぐ者よ」
●●●
怒るキュリアのすぐ近くでは冒険者達がキュリアの姿を見て絶望が増すどころか、チャンスだと思い始めた。
そんなキュリアのすぐ近くで、それに気づかなかったのは、怒りと怪物に近いたが故だろう。
突如として悪夢の霧に包まれた王都。
しかし、ある一点だけはそこに完全な姿として残されていた。
それは王宮。その敷地内。大きな宮殿を有したこの国の政を決める場所。
白薔薇騎士団団長フローラが持つ聖遺物、【白護の聖盾】が第二の真名を唱え、大いなる白き薔薇の花弁を舞い散らし、それぞれを起点とする白薔薇の盾が結界を補強し、足りない場所は聖銀の十字槍、風精霊、妖精の魔法使いがそれを補う。
悪夢の霧が生まれる直前にそれは起動したのだ。
傷を負いながらも、騎士としての誇りを背負いフローラは聖遺物の真の名を唱える。
ただ盾として使えば、それなりの堅牢さを誇るが真なる名を唱え、天にかざすことで盾は無数の魔法文字に包まれて魔法文字は結界の隅々にまで行き渡る。
そして、その内部は常に癒しを与える花弁が舞い、生きるものを活力を与える。
それすなわち生きていないもの、悪意によって生まれたものを拒み、許さない。
闇を払い、寄せ付けず。悪意と呪詛だけを遮断することに特化した概念防御結界陣。
否、結界というには少々言葉足らずだ。言うなれば悪夢の霧さえ塗りつぶす、地表というテクスチャの上書き。
無論それに気づかないキュリアではない。振り向き、大鎌を振るうべく盾を構えるフローラに接近する。
「小細工弄したところで無駄だとなぜわからないのかしらっ!!」
闇を纏う大鎌キリエライトを盾を展開するフローラに向けて、大鎌は振るわれるもフローラはその顔に恐怖はない。
「無駄、だと?そんなわけないだろう。お前は、『竜殺し』の彼らを舐めすぎだ。そして、私とレオを、この国の意地を甘く見た貴様が今度は地を這え!!!」
レオ!!と叫びフローラの前に「応、」とレオが立つ。その手には今まで握られていなかった武器が一振り。
騎士にふさわしい大剣よりも無骨さが目立つ大剣。肉厚で、それだけで盾にすらなれそうなーーそう、盾にして剣。
聖遺物、硬剣ヴァルナ。今までレオがそれを装備しないのは単純に硬くて『重たい』から。
常人では持ち上げることすら出来ないその剣は、僅か10センチ四方の面積だけで半トンの500kg。世界一重たいオスニウムを超える超重量の盾の剣。
それ故に守りは堅牢、振るえば相手はミンチとなる。
それを片手で持ち上げる。今、説明しなければなんてことないだろうが説明した今、レオの異常な能力が明らかに。
「食らっとけ、衝烈覇道剣!!!」
ズゥン!!!と巨神兵の巨剣ラハールにも匹敵する衝撃が迫りくる大鎌と激突する。
あまりの重さに、叫ぶキュリア。そのまま、押し切られるように地面に近づいていく。
その間に、【白護の聖盾】は王都全域を包む結界を展開した。
「汝、白き薔薇の花弁が凡ゆる悪意と呪詛を阻み、包み込む。来れ、白花の護り。我が盾の光こそ、日輪なき悪夢を照らす月光とならん!!
ーー起動、【久遠に咲く白き守りの花園】!!!」
霧は霧散し、直後視界を覆い尽くすほどの真っ白な、汚れなき純白の薔薇の大輪が周囲を、空を、王都に咲き誇った。
吹き荒れる、花弁の嵐はヒュドラの姿を露わにする。
「なにぃっ!!?」
霧が取り払われ、清浄なる花弁が舞う結界がヒュドラを覆い同化したキュリアが驚愕を露わにする。
結界は範囲を広げ、王都全域を包み込んだ。
黒い雨は、浄化されて霧散し、屍者と獣は無害な泥へと変わっていく。
反対に、奮闘していた兵士達にはその体に刻まれた傷が瞬く間に癒え、体が軽くなるような感覚を覚える。
大きくのけぞるキュリア。そんなところに新たな声がキュリアに迫る。
「二人組だったから面倒だったけどな?合体してデケエ的になっただけなら遠慮はいらねえよなぁ!!?」
パリィ………!!と放電がキュリアのそばから発せられる。
既に碧色の雷が刀身に付与されていて、所有者たるネロが一気に振り下ろす!!!
けれどキュリアもまた黄金の腕が持つ大鎌キリエライトを盾にして受け止め、衝撃波が周囲に猛威として吹き荒れる。
「くっ!」
「やっぱりな、その化け物神話に出てくる竜王ズツァニッグか。俺が親父に聞かされた、劇唱での姿と違うからアレだったけどな。テメエ、同じ仲間だろうがぁっ!!!」
雷は更に激しさを増す。
何故、こうも押されているのか。十二種族の強化形態とはデメリットと引き換えとはいえ強大無比な力を発現するはずである。
キュリアは思い出す。同じ幹部であるジュダの警告を。
たしか、白薔薇の団長が持つ盾は己とは致命的に相性が悪いと。
性能はある程度理解していたから警戒しつつも圧倒できたから拍子抜けしたのだがまさか真名解放させた性能が、呪詛を得意とする己と強化形態した己を引っくるめてここまで弱体化させてくるとは夢にも思わなかった。
霧が晴れて弱っているものの拮抗しているのは、まだ肝心な部分が曝け出されてないからか。
「くっ、こんな筈ではっ!」
「やれ、オルストォォォォォォォォっ!!!」
ネロが叫ぶ。
ネロが見る視線の向こう、崩れ落ちたレンガの塔の上に片膝をつき、弓を構えるオルストの姿。
「人使い荒いなぁ、ネロのやつ。こっちは結界張ってるあいつら護りながらなんだぞ?まぁ、いいけどさ。一泡吹かせられんならなぁッッッ!」
大きく吠える。弓の弦を目一杯引き絞り、腕の筋肉と血管ははち切れんばかりに膨れ上がる。
「いくぞ?ーーこれこそは竜を落とす竜狩りの矢、雨よりも密にして、抉り取る螺旋の鋲!!」
これぞオルストの竜殺しの所以。10を超える飛竜とそれを率いる上位竜を地に叩き落とし、若くして英雄と呼ばれた男の弓技。
番えられた矢は事前に風精霊からもらった贈り物の魔力を放出し、まるでドリルの回転のように螺旋を描く。濃密な魔力の奔流、それを空に向かって放たんとす。
「撃ち落とす!!『降り注ぎ、抉り射つ壊乱の王』ァッッッ!!!」
空高く放たれた矢は、暗雲を突き進みやがて弾ける。同時に空に巨大にして精密な魔法陣が描かれる。よく見ればその魔法陣は全て鏃によって構成されており、それは全てヒュドラ、ひいては同化したキュリアに向けられている。
右手を高く掲げ、振り下ろす。
弓矢による斉射は大砲と同じく、まともに当たる事はない。ある一定の距離に半数が当たればそれが必中となり一つ一つの矢の命中率など片手の数より少ないだろう。しかし、オルストは違う。
一つ一つ、全て支配下に置いている。故に味方に当たることも、外れることもない。
ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッッッーー!!!!
「、が、グッ、っ!!?」
肉片が削り取られる。鏃などこのヒュドラの肉体ならば容易く弾き返せるというのに、鉄より硬い筈なのに、雨の如く降り注ぐそれはいともたやすく抉り穿つ。
誰もが思うだろう。そんな技があるならもっと早く使えば良かったではないかと。
無論、彼らだってそうしたかった。
が、タイミングと相手のキュリアが予想以上に強かったことが彼ら竜殺しの切り札を使う機会が潰れていた。
唯一ネロだけが切り札を使っていたが、まさしく切り札というだけあってヒュドラにダメージをあたえていた。
勢いに押され、地に墜つヒュドラ。それでも止むことなく降り注ぐ矢。
やがて矢が止むと、キュリアはほくそ笑む。どうだ、己は健在だと誇示するが如く。
「、ふ、ふふ、っ!?ぎ、ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!?」
しかし、その余裕も次の瞬間には失われた。
パキィ、と何かが砕ける音を立ててキュリアとヒュドラが絶叫する。
言葉にすらならぬ怒号にも似た悲鳴。
ボゥ、と燃えるヒュドラの体を見れば何が起きたか分かるだろう。
四度めの巨神兵再起動。
深みをマリウスの介入と、【白護の聖盾】による結界によって呪いが無力化されるダブルコンボにより巨神兵とジェシカは再び現世へ舞い戻る。
深みを抜け出したことにより、夢世界を攻略されたことになり夢魔最大の弱点、己の夢を見破られた場合極端に弱くなるという定めがここに来た。
「お、おのれぇぇぇぇぇ!!!死に損ないの小娘がアアアアッッッ!!」
怒号を上げ、大釜を振り上げるキュリア。しかし、その手に握る大鎌にそれまでの威圧感ある鋭い一撃はなく、なんなく巨神兵の巨剣ラハールに弾かれその体制を崩した。
「終わりですっ!!ハアアァァァァァァァっ!!」
燃え盛る命の炎を宿した巨剣はブスリ、とヒュドラの肉体を貫き、貫通した。
「ぐっ、がああ!?お、おのれぇぇぇっ、こ、の、こ、娘ぇっっっ!!」
最後の抵抗とばかりに鎌を振り上げ、その首を断とうとするも、巨神兵と巨剣の命の炎がまるで天を焼く火柱のようにヒュドラを内部から焼いていく。
その証拠に、ヒュドラの体は内側から熱せられ赤く染まり、光が鱗の隙間から漏れ出てだんだんとキュリアが鎮座する本体にまで炎が進んでいく。
熱から逃れようとヒュドラの竜頭をめちゃくちゃに振り回すが巨神兵はビクともしない。
「ぐっ、あ、熱、熱い!」
光がヒュドラを、キュリアを包み込む。
やがて冒険者達が目を開けられぬ程の光を放ち、ジェシカはいつしか精神の体となって光に包まれる中、ヒュドラの中へ飛び込んだ。
「お姉様っ!!!」
●●●
あの出会いからどれほどの時が流れたのだろう。
あの二人は軽く会釈する程度に話し、すぐに別れた。
しかしーー。
『聞いておられますかな、聖女アナスタシア』
『えぇ、聞いてますよ』
『そうやってすぐに思い詰めたような顔で溜息を吐かないでいただこう。年頃の、恋を覚えた小娘ではないのだから』
別れてからというもの、物憂げな表情で付き人の言葉を右から左へと聞き流し、白い塔に備え付けられた自室の窓から見える外を眺める日々。
初めて世界に色を知ったきっかけをくれた彼の姿が、言葉が、声が脳裏から離れない。
『……………』
運命なんだって思った。
これが運命の出会いなんだって。
けれど、あの猫?の従者は王と言っていた。つまり、何処かの国の国王なのだ。薄汚れた自分とは不釣り合いだと思うのだけれど、それでも考えることは彼のことばかり。初めて会っただけなのに、どうしてこうも焦がれるのか。
『……!……よ、聖女よ、話を聞きなさい!』
ここに来てからずっといる煩わしい付き人が顔をかなり赤くして怒鳴り散らしている。
やっと向き直ったと思った付き人は次の瞬間彼女が口にした言葉に固まってしまう。
『………出て行って』
『はっ?』
『聞こえなかったのですか?出て行きなさい。貴方の任を現時刻をもって解きます。分かりますか、解任ですよ』
『っ!!!』
もううんざり。いつまでこの人の言うことを聞かなければならないのか。小さく、幼いあの頃ならまだしも15を過ぎ、一般的には成人になった自分をいつまでも言い聞かせられると思っているのか。
自室から叩き出すと、勢いよく扉を閉じ、鍵をかける。
そして、椅子に腰掛けると聖書を読むのでもなくただボーッと外を眺めていた。
『名前、聞きそびれましたね。なんていう名前なのかしら……』
灰を被った聖女は一度あった彼を焦がれ、その頬をほんのり赤く染めてまた会えるといいなと淡い期待を抱いていく。
(なんというか、感動的な出会いというよりはその……奇怪な出会いだったのか……)
それを眺めるように見るエストレアは母の記憶、父との出会いをそう評価した。
まぁ、よくある定番な出会いの一つであろう。
そしてまた時は過ぎていく。
今度は、大きく時が跳躍した。カット!と言うように本当に場所が変わった。場所は戦場だった。赤い空に、轟く雷鳴。
懐妊し、既に臨月を迎えた大きな腹を抱えて複数の従者に支えられて逃げる姿だった。
『貴方………』
『奥様、アーサーが来る前に逃げるのです。私たちの希望である御子を死なせるわけには行きません故』
『振り返ってはなりません、お気持ちはわかりますが………』
赤く、痩せ細った大地は干ばつし、雨が降っても直ぐに乾いてしまう。
風は砂を含み、肺を侵す。
『はぁ……、はぁっ……』
身重の体では満足に動けない。
いつ生まれてもおかしくない、そんな危険な状態でこのパンドラから逃げるのだ。行き先は、パンドラではなく人類圏。荒ぶる海を小さな船で渡るのだ。それは誰もが口を揃えて危険極まりないと言うだろう。
しかし、行き先がない。このパンドラではどこにいてもいつか捕捉され殺されることは目に見えている。
『ーーーーー!』
『そんな!もう追ってきたと!?』
『我らが殿を務めます!アステル、お前はこれ奥様を!!』
一人、また一人と倒れていく。
そんな様を見届けることなくアステルと呼ばれたダークエルフのメイドに抱き抱えられてパンドラの海岸へ向かった。
(これがパンドラ戦役か)
エストレアは歴史の裏舞台を垣間見た。そこからは色のある世界が薄れ始め、ボヤけ、見えなくなった。
そして、最後に見えたのはーーーー。
『アーーッ!アーーーーーッ!!』
深い森の中、大きな大きな樹齢いくつかは分からない大樹に背中を預け、臍の緒が繋がったまま既に生き絶えたアステルと呼ばれたメイドの服を産着代わりにした赤子を抱くアナスタシア。
痩せ細り、寒さと飢えとその背中に刺さるいくつかの鏃。流れる血潮が体力と生命力を奪う。
そこへ、ランタンの光がアナスタシアを照らす。何やら何か言っているようだが聞き取れない。だが、この人こそ自分の養父たるアーノルド卿なのだろう。15年前ということもあり、かなり若い。
『お願い、です……。この子を、この子をお願いします……!』
掠れるような声で懇願する。
若きアーノルドが赤子を抱くと、その様子を見て安心したように崩れ落ちるアナスタシア。すぐに控えていた従者が首に手を当て脈を図るも彼は首を横に振る。
満月の下、生き絶えた彼女をアーノルドは静かに布で包み馬になってその場を去った。無論、アステルと呼ばれたダークエルフもだ。
そして。
世界が暗転する。
目の前には、白い空間にただずむ母アナスタシアの残滓が涙を流すエストレアを見つめていた。その背後にアレクサンドルの姿を目に焼き付けながら。
一応言っておきますが、マリウスの介入なかった場合、ジェシカはここで戦死しています。
8月3日加筆、修正




