Chapter9-9
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ヒュドラが【深遠の神鉱】を台座ごと引き抜き始め、フラフラな状態だったキュリアが体勢を整えるのにたいした時間は掛からなかった。
今や、【深遠の神鉱】はその大部分がヒュドラの体に取り込まれ、ドクンドクンと脈打ちながら竜頭を今なおネロに狙いさだめて襲いかかっていた。
一方、エストレアやオルストなどは立ち直り、襲い掛かるキュリアに対し反撃を試みていたーーー
「うらあァァァァっ!!!!」
雄叫びを上げてネロが魔剣を振るう。
先ほどのような大技の反動もあってかその動きは些か鈍いが渾身の力で振り切ったはず、だった。
だが、変異を遂げたヒュドラのいかにも硬そうな黒光りする鱗に見事に阻まれ凄まじい音と共に弾かれる。
弾かれるだけならいいのだが、黒鱗の纏った蛇体が鞭のように迫り、避ける事できずに吹き飛ばされる。
「ごはっ!?」
なんて硬さだ。先程よりも堅牢さが増している。竜の鱗なんて比べられない。硬い、岩壁そのものが鱗として成り立っているのではと思うくらいだ。
吹き飛ばされ、口から苦い鉄の味が溢れるのを感じられた。
「ネロっ!!!」
意識が遠のく、手から魔剣が取れそうになるがこれだけは手放してはならないと警鐘を鳴らしている。
「(俺は……….、落ちている、のか?)」
背中の感触がない、それでいて浮遊するかのようなまま、いつまで宙を漂っているのか。
だがそれも終わり。
宙に浮くネロを大口を開けて飲み込もうとするヒュドラが周囲に見えていたからだ。
「チィエエエエぇイィィ!!!」
ガシッと抱えられた感触。
「うわっ!?」
「喋るな、舌噛むぞ!」
空を切るヒュドラの顎門。屋根から屋根へと飛び移りながらネロを抱えたエストレアがオルストらの元へ降りてくる。
「マジいな、奴さんめちゃくちゃ硬くなっててろくに矢も剣も通らねえと来た。その上、猛ってるあの魔女もどうにかしねえといけないわけだ」
「詰んでるなこりゃ」
「ネロ、大丈夫か?」
剣を杖代わりに立ち上がるネロをエストレアが心配そうに声をかける。
その答えは大丈夫だ、と言っていたが……
突如としてヒュドラの一部が爆発が起きる。
そのまま連鎖的に爆発が起き、黒い煙に包まれてなおもその向こうで傷一つなく佇む黒燐に覆われた化け物が。
黒煙が晴れると同時にフラフラと着地するニアスが苦虫を噛むような表情でこちらにやってくる。
「駄目、あらゆる魔法が効かない、というか弾かれる。鱗一枚一枚が城塞規模の硬さがあるよ」
「マジかよ」
魔法での耐性がニアスから告げられて戦況が危うくなる寸前。そんな折にレンヤから唾を飛ばしながら叫ぶ。
「よそ見するな!横三時方向、魔女が来るぞ!!」
「「「散開っ!!!」」」
「ラムレイ!!」
三人はすぐさま飛び退き、エストレアは口笛でラムレイ、幻影魔馬を呼びその背に乗る。
「転移しろ、ラムレイ!!」
指示を聞き空間を湾曲させ、空を切るキャリアの背後に周りラムレイから飛び降りると落ちる勢いのまま剣を振り下ろす。
鋼とキリエライトがぶつかり合い、互いに撃ち弾きながら白兵戦へと持ち込む。
大鎌の一撃を長剣で薙ぎ弾き、脇を閉めて突きを繰り出せば大鎌の石突で防ぎ。
下から上斜めに来る大鎌を体を逸らして、キュリアの足を払い、その勢いでムーンソルトによる蹴りをお見舞いするエストレア。
それをキュリアは横に転がって避けるとバック転で離脱。
「悪いが。決めさせてもらうぞ……!」
長剣を水平に構え、大きく体を沈ませて。
「紅流、行くぞ……!
ーー線状の果てまで貫けぬものなし。
儚き光で敵を撃つ。
『蛍光、飛沫槍』!!」
「!!」
ガァアン!!
激突する轟音を立て、大鎌と紅の技がぶつかり合う。
その威力たるや受け止めたキュリアの足元は大きく後退し、明らかにあり得ないほどの深さの溝を掘っていた。その長さはゆうに10メートル、深さは50㎝はある。
「まだ、だ!紅流剣術、其は弐の型。円を持って閃と為す。
『雲よ円の月に隠すべし』」
ーーチンッ、と鞘にゆっくり戻す。その音で遅れて剣閃が半月の軌跡を描いてキュリアの頬と肩を切り裂き血がまるで円を描いて魔女の後方へ吹き出す。
「おい。よそ見すんじゃねえ!!」
至る所から血を流すネロがエストレアの背後から躍り出て、持つ剣が螺旋状に魔力が収束し碧雷を帯び、その熱で周囲に焦げる匂いが空気中に広がる。
刀身そのものが魔力を帯び雷となった時高らかに彼女は吠える。
天より降りる稲妻がネロの剣と連結し、長大な光の剣を作り上げた!!
「吹っ飛べ!!!『神名雷槌・雷獣咆哮』!!!!」
ズガアアァァン!!と炸裂する音を周囲に轟かせてキュリアの大鎌キリエライトとぶつかり合う。つい先程の大技、『震えよ神代、咆哮する竜鳴』と比べれば幾分かは威力、規模は抱え目なものの、受け止めたキュリアの足元が大きく陥没し、周囲に落雷が落ちてくる。
歯を食いしばる魔女。押し切らんとするネロ。
やがて拮抗したエネルギーは大きく膨張して破裂すると両者を大きく吹き飛ばし、吹き飛んだ勢いを利用してネロは離脱。先ほどまで鍔迫り合いしていた場所にヒュドラの顎門が通過していく。
「へへっ!!碧雷よ、焦がせ!!」
そこへ、ネロが魔剣を通じて雷霆を注ぎ爆発を生む。
黒い雨の中で、爆発に包まれるヒュドラ。
今現在、まともにダメージを与えられるのはネロの持つ魔剣のみ。それ以外は魔法も剣戟も何らかの概念防御か、純粋な防御力かは知らないが阻まれており、ろくにダメージが通らない。
呻くように、その体をよじり女神像から甲高い悲鳴が上がる。
「Ahaaaaaaaaaaaaaaaaーーーーー!!!!」
「くっ、うぅ………!?」
甲高いと言ったが、訂正しよう。もはや高周波に近い音波攻撃だ。
女神像から発せられた高周波は建物などの物体に触れたその側から振動波による崩壊を起こし、砂と化し、黒い雨と混じり合って所々で濁流を生む。
『白薔薇の盾を展開して、概念防御領域を形成しろ!』
『了解!!』
濁流が起きた一部の市街地では、白薔薇騎士団の生き残りが聖遺物、【白護の聖盾】の模倣である白薔薇の盾を使い、魔法陣の代わりに起動させ避難させた市民らを守っている。
「がぁっ!く、くそ、がっ!!」
耳を塞ぎ、蹲るシェアトの竜殺し達。
治療に専念していたジェシカやアナトも、思わず耳を塞いで術式が止まりかける。
それでも、アナトとジェシカは両の耳から血を流しつつ苦しむリムの治療を続行していた。
振動波によって、ますます市街地が破壊されていく。
かつては親愛良しとする王都アントンは今や黒い雨と徘徊する屍者、獣どもにそれを従えて襲来した戦役の魔女とその使い魔により燃え盛る廃都となった。
暗雲に覆われて、燃える市街地。
炎の魔の手は、今まで無事だった各国の大使館や王宮にまで及び始め逃げ惑う人々の喧騒は途絶えた。
避難した、生き残った人々は突如として起きた災厄に今は関わりが薄くなった神々に救いを求めた。
地下に逃げた者は崩落に巻き込まれたか、火に巻かれ窒息するかどちらかだった。
『神様………!!』
彼らにできるのは祈るか、生きるために動くか。
●●●
耳が痛い。
ヒュドラが、否、あの女神像から発せられる高周波に達した悲鳴、鳴き声は凄まじい振動波になって空間を揺らし、生きている者、屍者さえ影響を及ぼしていく。
耳を抑え、蹲り、この苦痛から逃れようとするがそんなことをすれば誰から見ても大きな隙だらけ。
怒涛のように攻撃してくるヒュドラの竜頭を掻い潜りながらエストレアは空を見上げる。
青ざめた肌の女神像。蔦のように血管のような器官が体に巻き付け、上半身のみがヒュドラの肉塊に鎮座している。
生気など感じられない瞳に、だが、どこか似合った何かを感じとる。
だが、今の状況でそんな考察などできるわけがない。
「あははっ、そぉらっ!!!!」
ダメージが及ぶのはこちらだけ。あの魔女だけは何らかの対策を講じているのかまったく動きが鈍くなる様子はなく、先ほどのこちらの攻撃への仕返しと言わんばかりに大鎌と体術を織り混ぜて己を追い詰めていく。
それだけならいい。だが、ヒュドラの竜頭がいくつかこちらにも来ておりそれを避けるのにも神経を使う。
「しまった!?」
ついに退路が絶たれた。
壁に背をくっつけて、逃げ場などない。
「おしまいね、お嬢ちゃん!」
頭上からはヒュドラの竜頭の顎門、前方はキュリアが魔法を放とうとし、背は壁。
この状況で、とった手段は一つだけだ。
体勢を低くし、這うようにして前方へ走る。
それでいて重心を崩さないよう、確実に前へ。
言い方が悪いがこの移動法、台所に湧いてくる黒い物体Xと言われる(ゴ○ブリ)を捕らえるアシダカグモから発想を得た象形拳、蜘蛛拳の発展型だ。
短距離の移動だけなら誰にも捉えきれない、素早さで敵の懐へ潜り込む!
「なにっ!」
「隙だらけだ!!!」
息を小さく、それでいて吐き切ると同時に掌底を捻るようにキュリアの丹田に触れ、蜘蛛拳による体重移動による運勁をのせる。
「喝破っ!!!」
「ぐっ!?」
よく言う発勁、というよりまあ体重移動による突き飛ばしだが、人体の電気反応であるパルス信号を利用した最短、最速の突き飛ばし。
早い話が筋肉の電磁加速。それが吸血鬼としての能力として放たれる。
かの空手家は言った。握力と体重と速度が有れば破壊力は出ると。
握力は兎も角、その速度を生み出すのはやはり体重移動、体幹が肝なのだ。
五行拳の崩拳も例に漏れない。
まあ、何が言いたいのかと言えば。
その一撃でキュリアが砲弾のように吹き飛び、民家の壁を人型にくり抜いたということ。
蜘蛛拳により、ヒュドラの顎門から逃れつつも反撃に成功したのである。
「鞠みたいに飛んでったぞ………」
その光景に誰もが口をあんぐりと開けていたがヒュドラが動き出したことで現実は戻っていった。
ガラガラと崩れていく建物から瓦礫を一閃にて吹き飛ばして出てきたのは腹を押さえつつ、口から一筋の血を流すキュリアの姿が。
ネロの大技によりダメージを受けた影響か、一度はエストレアの攻撃を受け流せた彼女も傍目から分かるようなダメージを受けているのが見て取れる。
それでも、
「まだ、立てるのか………!」
確実に内臓のいくつかは持っていったはずだが、キュリアの佇まいに揺らぎはなく此方を完全な敵として見ているようだ。
先ほどまでは高笑いしていたが、狂気じみた目線は無くなり、細められた目は常人なら卒倒する殺気を飛ばしている。
「そうね。もっと、効率的にやらなくちゃ」
「は?」
「お腹が空いたものね、私も、ヒュドラ貴方もね?」
ヒュン、とエストレアの目の前からキュリアが消える。即座に気配を探るが、何処にもキュリアの姿はない。
つまり、エストレアと戦うことをやめて別のところへ移動したのだ。
「(何処に………!!)っ!!?しまった!」
エストレアは薄ら寒い感覚が背中に伝わるのを感じとり、歩法『天躯』を駆使して聖堂へと走っていった。
無防備な状態である人間が四人、あの聖堂跡にいるのだ。
そして、先程のキャリアの発言からーーー!!
駆け出したエストレア。その手を阻むように地面から生えてくるように出現する屍者の群れが。
「邪魔だぁっ!!」
長剣を振るい、近すぎる場合はカランビットナイフを展開してその喉笛を掻き切る。
「ネロォ!!聖堂はどうなってるっ!?!」
「すまん、それどころじゃねえ!!蛇野郎から逃げるのに余裕がない!!」
「くそ!!ラムレイ、来い!!」
一喝する様に命じると空間を破って幻影魔馬が現れ、即座にその背中に飛び乗る。
しかし。
おそらく、手遅れだ。けれど、諦めないと心に奮い立たせラムレイの腹を蹴る。意図を汲んだラムレイは空間を割って空間を転移させる。
転移した先では予想していた通りの出来事が今起きようとしていた。キュリアの大鎌がリム達の首を刎ねんと振りかぶっており、悪態を吐きながらその手を伸ばそうとしてーーー
エストレアの頬に触れるものは白い薔薇の花弁だった。
触れば儚く崩れてしまう、それは黒い雨を打ち消して微かな淡い香りが鼻腔を擽るのだった。
「薔薇の……、香り?」
『守れ、白薔薇ァッ!!!』
『『白き誇りよ、純欄に世を彩れ』!!!』
直後、エストレアの視界を覆い尽くすほどの真っ白な、汚れなき純白の薔薇の大輪がキュリアとジェシカ達の間に咲き誇った。
吹き荒れる、花弁の嵐は周囲の呪いの力を吹き飛ばしていった。
そこにいたのは黒い甲冑を着込んだ、肩からバッサリ切られた後が見られた騎士に肩を支えられて立ち上がる純白の女騎士が自らが持つ盾を掲げた姿だった。
●●●
咲き誇る白薔薇の大きな大輪。
キュリアとヒュドラ、二つの怪物を阻むように展開されたそれは切っ先の標的にされそうになっていたリムやアナト、ジェシカは確かな堅牢な護りによって無事だった。
しかし、だ。
「フローラも、レオも満身創痍じゃないか……!」
レオは何があったのか。その体は業物によって切り裂かれていて、簡素な治療を施された状態でここにいる。
フローラは、エストレアの知っていることではないが既に一戦、魔女と闘っていたようだ。
しかも、アナトを護りつつというハンデ付きだった。
そんな体で、聖遺物の真名解放。余計に体が傷つくというのに。
「くっ、あ、ぁああっ!!」
「ぐっ、フローラ!俺がついてる、踏ん張れ!!」
互いに鼓舞し合い、支え合う。
そんな二人が展開する白薔薇の護りにヒュドラは竜頭による噛みつき、光線の発射。キュリアは冒涜の魔法を際限なく投げつけていく。
次第に、護りにヒビが入っていく。
その度に、二人は魔力を注ぎ修復していくがーーー
「いつまでもつのかしらねえっ!!?」
『Ahaaaaaaaaaaaーーーー!!!』
女神像からの高周波攻撃。
それだけじゃなく、竜頭からの光線や噛みつき、キュリアの猛攻の前に白薔薇の花弁は大きく損傷しており、もはや魔力を注ごうとも削られる方が早かった。
「ラムレイ、頼む!!」
そう命じると空間を再び割る。
そして、空間を相転移させたラムレイに乗ったエストレアはキュリアの目の前に再度現れると長剣を大上段から一気に振り下ろす。
火花が散る。
袈裟斬り、下袈裟斬り、平突き、横薙ぎ、柄殴り。
迫りくる大鎌の刃を剣の腹で弾き、蹴り、肘で打ち、足で払う。
その怒涛の剣戟のやりとりは、普段だったら歓声溢れる御前試合で見られるかどうかというレベル。
「お姉様っ!!」
ジェシカが叫ぶ。
その声を聞き、周囲を瞬時に把握。
横合から滑るようにヒュドラの竜頭が迫ってきている。
「オルスト、ネロ!!」
「「任せなっ!!」」
エストレアが叫べば、それに応じた二人は無数の矢の雨と碧雷の雷弾をぶち当て、怯ませる。
「ちぃっ………、ならっ!!」
キュリアが指を走らせ、魔法陣を構築していく。
それを無数に、あっとういう間に作り上げると周囲に湧き出てきた屍者や獣に付与すると劇的に変化する。
SAN値を削りそうな、触手だらけの異形に変わった獣ども。
それをエストレア達に向けて「殺れ」と命じる。
一斉に走りかかってくる化け物共に、身構えたがーー
ボン、ズドオオォォン……!!!
ドン、ドォン、ボカァン………!!!
「っ!?」
「蛇の化け物じゃないなら、燃やせるね。うん」
ニアスの炎魔法が炸裂した音こそが、迫ってきていた獣達を爆殺した。
「次はどうするの、貴方やあの蛇ヤロウ以外なら私、負けない」
片手に持つ水晶玉がキラリ、と光る。
「どうするの、ですって?決まってるじゃない。言ったでしょ、惨たらしく殺すって」
キュリアが指を天高く突き刺す。
それを合図にーーー
『Ahaaaaaaaaaaaaaaaーーーーーー!!!!』
再び高周波攻撃。女神像の目から血を流しながら絶叫する。
それまでの叫びが児戯に見えるような音の濁流に慣れてきたエストレアも思わず耳を塞いでしまう。
それと同時についに限界を迎えたのか、パリン、と音を立てて白薔薇の花弁の守りがひび割れて次第に大きくなり桜の花びらの如く、散り、吹き飛んでいくレオとフローラ。
駆け寄るアナト、アナトが離れたことでリムを守るべくジェシカが幼い体でリムを戦場から逃すべく引きずるように引っ張っていくがーー
「きゃあっ!!」
「ジェシカっ!!」
ヒュドラの竜頭がジェシカの近くで暴れたために聖堂に残っていた瓦礫が崩れ、ジェシカの目の前で崩落する。そのせいで腰を抜かしたのか、へたり込んでしまった。
「ジェシカ!!上だ!!」
エストレアの声を受けて頭上を見れば、大口を開けてジェシカを飲み込まんと迫るヒュドラの竜頭。
その瞬間、ジェシカは走馬灯の如く記憶のフラッシュバックと恐怖に包まれてーー!
「ぁ…………、ぉねぇさま…」
「や、やめろォォォォォォォ!!!!迸れ、ズツァニッグゥゥッッッ!!!」
ネロの魔剣による雷撃が竜頭を焼くが止まる気配がない。
「くそ、くそ、くそ、くそがぁぁぁっ!!!」
しかし、止まらない。ダメージさえ与えられているのかさえ分からない。
「ネロ!!」
オルストが叫ぶが、ネロは聞いちゃいない。
必死になっていたが故に、周囲を見ていなかったネロは別の竜頭に体当たりを喰らって聖堂の柱の壁に叩きつけられる。
空気を一気に吐き出して、咳き込み、身動きを封じられてしまう。
「(お姉様ッッッ!!!)」
キュッ、と目を閉じて縮こまるジェシカ。けれども、いつまで経っても痛みも、衝撃もこない。
代わりに来るのはピチャ、ピチャ……と何か生暖かい感触の液体が己の頬に流れていく感触だ。
時間の流れがひどく遅く感じる。
それなのに、五体の感覚は冷たいと感じるほどに鋭くて普段では聞こえないような声さえも聞こえそうだ。
恐る恐る目を開いたジェシカが見たのはーーーー
「大丈夫か、ジェシカ?」
渾身の力で、ヒュドラの竜頭の顎門を押さえつけている、エストレアの姿が。
何度か、咀嚼されたような感じの裂傷があり、ジェシカの頬に伝う生暖かい感触の液体は彼女の血なのだと理解した。
「お、お姉様、お、お身体が……!!」
「はは、このくらいなんともない………!……さ!ただ、もう持ちそうにない。だから、離れろジェシカ」
最後に真顔になっていう言葉はジェシカにとって受け入れがたいものだった。
だが、事実、ヒュドラの竜頭の顎門はとても大きく、エストレアはその大きな牙を掴んでなんとか強引に上下に開いているに過ぎない。
更には竜頭の唾液に触れるたびに、強酸性に似た何かを発し、エストレアの肌を、服を焼いていく。これが地味にダメージを与えてくるのだ。
万力の如く、締め付けようとする顎門を無理やり開かせる。
だが、度重なるダメージと血への渇望による弱体により、エストレアの腕にも限界がきていた。
だからこそ、エストレアはすがるジェシカを何度も「逃げろ」といい、それでもなお受け入れない彼女をーーー押し出した。
そう。突き放したのは、ここに殺到する無数の竜頭によってエストレアは間に合わないし、手遅れだと理解したからだ。
そのために、距離を開かせるためあえて突き飛ばした。体をゴロゴロと転がして、擦り傷だらけの体を立たせようとする彼女を見て。
「お、お姉様、お姉様っ!お姉……さま!」
ただ笑っていた。
ジェシカが次に見た光景は、ヒュドラの無数の竜頭と地面から出てきた無数の触手がエストレアのいたところに押し寄せて、怒涛の如く蹂躙していった地獄絵図。
「お姉様ァァァァーーーーーーッッッ!!!!!」
少女の悲しげな慟哭の叫びが黒い雨と炎の中で木霊する。
他の竜殺しの冒険者達はその光景に何も出来なかった。
ーーー
ーー
ー
「ようやく、地上に出られたわね」
瓦礫を押しのけて、煤だらけの体ででてきたのは兎人のアグニルとダークエルフのイルナと、イザルナだ。地下回廊での出来事は狐に摘まれたような現実とは言い難いものだったが………
「姫様と早く合流しなきゃ……」
「そうだね、姉さん」
彼らが出てきたのは、王城敷地内にある地下通路の残骸だ。数年前に取り潰されて、以後誰も使わなくなった隠し通路だ。
周囲に敵がいないのを確認すると、まず目に入るのが燃え盛る街並みだ。
「そんな、王都が………」
続いて、見えるのが頭上にある巨大な化け物、ヒュドラ。あの竜頭だけで何メートルなのか。
そして。
誰かが戦っているのか、その化け物が獲物を追いかけるようにして動き、爆発が起き、ほぼ無傷な姿が見えた。
「あそこに行けば……!」
「姫様もいらっしゃるかも……」
ダークエルフの双子、イルナとイザルナが互いに目配せしてアグニルから勝手に離れ駆け出していく。
「あー、二人とも勝手に………!」
だが次の瞬間、ヒュドラのすぐ近く、聖堂のあった場所から天に登るかのような無数の魔法陣に包まれた光の柱が登るのが見えた。
「何あれ………、今度は何なの……?!」
ーーー
ーー
ー
「ぷ、あはははははははっ!!!!馬鹿な娘ね、あんな小娘なんて放っておけばいいのに。勝手に庇って、食われるなんて!!」
エストレアがヒュドラによって文字通り食い尽くされた光景を見たキュリアは歪んだ顔をさらに歪ませて笑う。
更に、ヒュドラにも変化が。ヒュドラの大きさがさらに一回り大きくなり、身体中が帯電を浴び始めたのだ。
冒険者達は先程の出来事に呆然としており、今はキュリアが何もしていないからいいものの、攻撃に移されたならば何もできないまま蹂躙されそうなくらいには彼らはエストレアがいた場所を見ていただけだった。
ーーーただ一人のぞいては
「許さない、お姉様、お姉様を…………」
「?小娘……何をするつもりかしら?」
ゆらりと立ち上がったジェシカ。
暗黒なオーラみたいなものを纏っているように見える今の彼女に初めて怪訝な表情を浮かべた。
「お前だけは、絶対に許さない!!!」
そう叫ぶと、懐から試験管のようなものを取り出して中身を地面にぶちまけた。
たちまちにして魔法陣が地面に構築され、それに手を添えるジェシカ。
「(これはまだ、制御面において未完成ですけれど……)いいえ、構うものか!!魔女キュリア、このジェシカ・オルステッドが裁きの鉄槌を下してさしあげます!!」
そして、彼女の口から紡がれた詠唱が始まる。
『現れよ』
『太古より受け継げし刻印たる我が血を滴らせ』
『汝に契約を願う我が名はジェシカ・オルステッド。始祖たるサリヴァーンの名乗りを持ってここに誓う』
『黄昏の大地にて眠りし、大いなる兵の神よ』
『我が血と祈りを対価に、黒に艶めく躰をこの世に贈りたまえ』
『我が刻印を世の楔とし我が悪しき敵を討ち倒せ』
『我が命ある限り、彼岸の地を涙で潤すがいい』
長文による詠唱。やばいと感じたのか、キュリアは魔法による攻撃を繰り出すが、魔法陣による光に阻まれて霧散する。
「概念系の防殻術式!?神話体系に干渉する、ですって!?」
『おお、大いなる腕よ』
『贄とされた幼子達をその腕で抱きしめて』
『龍の首を討つあの時のように、貴方方は認められるべきである』
『神の尖兵はここに顕れん、誓いはここに、我が言霊の元にその眼を開け!!!』
あまりにも眩い光があたり一面を包み込む。
それは、ネロの魔剣による一撃にも匹敵する光。
「お姉様を返せェェェェェェェェェェェェ!!!」
そう叫ぶと同時に光の中から黒曜石のような艶めいた黒色の大きく無骨な腕がヒュドラの竜頭を引っ掴み、引き千切った。
「なにっ!?」
光が晴れると、背中に光の光背を背負い、古の兵達が被るであろう兜を意匠したヒュドラにも匹敵するほどの巨大な巨人だった。
「馬鹿な、アレは!!」
ここではない、別の場所では全くの同時に椅子を蹴り上げて叫ぶ男がいた。
「来たれ、巨神兵!!!汝の肉体は仮初なれど、大いなる力を契約者の名の下に与えよっ!!!」
赤き眼光を迸らせて、大地から起き上がるソレはこの場にいる全ての人間を、釘付けにしたのだった。
前の次回予告を回収しました。
ギルドマスター?もう少し後で登場させる予定です。
次回もお楽しみに




