Chapter8-10
お待たせ。
「あぁ、この香り、この髪の手触り、肌の滑らかさは間違いなく俺のエストレアだ」
「な、なぁっ!?」
エストレアは困惑した。なんでこんなところに、とか何故、いきなり抱きしめてくるとか言いたかったが、パニックを起こしたせいか、目をグルグル回しながらなすがままであった。
「どうして、俺から、宮殿から居なくなった?君なら、聡い君なら君が居なくなることでこの国の中央は光がなくなることくらいわかるだろう?」
「そ、それはっーー!」
「お仕置きだな、エストレア。今の俺は、あの日までの俺じゃない。君の態度次第では狼にでもなるさ」
それはどういう意味なのか、そう問おうと口を開く前に。
あのジェラルドとは思えない力で茂みの方へ引っ張られる。
ーー(まさかっ!?)
ピースは揃った。夜の茂み、目から分かる支配欲に、美女。
今まで腰に手を回していた腕が、位置が変わる。
スンスンとうなじの匂いを嗅がれ、ペロ、と舌が触れると自然とカァッと顔が熱を帯びた。
それだけではない。ごく自然な手つきで、右手は乳房を、左手は男を知らぬ乙女の園と向かい、顔は近く接吻しようと近づいてきてーーー
「っ!………いい加減にぃ!!!」
ドスッ!!「ぐぅっ?!」
後頭部を彼の鼻目掛けて頭突きをかましてーー
「しろぉっ!!」
怯んだ瞬間に右手と奥襟を瞬時に捉え、足を払って背負い一発。
うげぇ、と王太子としては間抜けな声が出たがそれはそれ。
ダメージが出ないようにこちらからコントロールしてやって衝撃を逃してやる。
………流石に頭突きだけは多分鼻血でも出ていると思うが。
パンパンと手を打って払い、腕を組んで上から見下ろすように冷たい視線を下ろす。
「随分と慣れた手で迫ってきましたね?ジェラルド様?」
見下ろされた当の本人は、背中を叩くようにしてヨロヨロと立ち上がる。そして、鼻を抑えている手から僅かに朱に染まっている。
「いたた………。容赦無いな、君は。だが、それもそれで良きことだ」
「殿下はMだったんですか?」
「なにを言うと思えば。そんな事はないぞ、『戦乙女』の名は薄れてなかったな?」
うげぇ、とエストレアは顔を苦々しく歪める。なんと言うのだろうか、親に黒歴史を綴ったノートを見られて、後々に記念に取って置かれていることを知らされた時みたいな、ああいう顔である。
「やはり、君なんだね。エストレア」
「今までのはブラフ、でしたか。とんだものを食わされましたね」
パリン、という音が聞こえた気がする。実際はそんな音は起きていないが、少なくとも目の前のジェラルドに対し『魅力』の効果が砕かれたことを表すにはこれが一番表現しやすい。
はぁ、とため息を一つ。本来ならば、目の前の貴人に対しての振る舞いは許されるものではない。
百歩譲って、性的に乱暴にされそうになったのを防衛目的でぶん投げたのは正当だとしても、貴族時代の振る舞いをせずに見下ろすなど、エストレアはかつての彼女の貴族らしさを置いてしまったようだ。
ここでエストレアは折れた。今もう一度、魅了をかけようにも無駄だと悟ったが故。
魅了などの精神に直接、働きかける術は一度見破られると効果を発揮させるどころか、『見破られた』という事実が存在する限り、例え耐性0だとしてもレジストされてしっぺ返しを食らってしまう。
十二種族の一つ、夢魔という魔族と呼ぶ者がいる。彼らは夢の中を通して精気を吸い取り、或いは悪夢に引き摺り込み、或いは幻覚を見せ、幻惑するという。
肉体は半分精霊であるが故に、物理攻撃にある程度の耐性を持ち、空間を隔離し、攻撃を躱すこともある。
身近で言えば、あのいけすかない魔法使いことマリウスであろう。
あの男も、たしか夢魔であったはず。どれくらい生きているのかさっぱりわからないが。
そして、夢魔は夢の中含めて亜空間では無類の強さを持つが夢の中の主人に本体がバレると虫のように弱くなる。あくまで夢の中で戦うという前提ではあるが。
「………何故、私がここに来ていると分かったんですか?ジェシカを除けば私を私だと認識できる人はいないと自信があったのだけれど」
そう、知りたいのはそこだ。王都では知り合いが多すぎる。
故に、王都に着くとまずはジェシカ家の使用人達やその関係者に視線で魅了を掛けて認識を変えておき、この会場でもーーーアーノルドがこちらに近寄ろうとしていたことには驚いたが即座に広範囲に魅了をかけたのだ。
ーーとその前に何故そこまでしなければならないのか、と思うだろう。逐電した人物が、ノコノコと戻って来るのだ。
よく考えて欲しい、というか振り返ると。
公爵の義娘エストレアは死んだ。ジェラルドを庇い、賊の凶刃で彼女の意識は沈み、彼女の奥底に眠っていた紅 諸葉の意識は浮上。その際、混ざり合った意識は別の第三の人格となって主人格に落ち着いたのだがーーー
よりによってこの体は、吸血鬼という存在だった。
あの五年間という短い戦争だったが、父アレクサンドル王は吸血鬼と呼ばれた正真正銘の魔王で。
そして、魔王を支えたという胡散臭い魔法使いこと、マリウスより王女であることを明かされ。己が15年前の戦役で敗れた魔王の娘であり、また魔王の唯一の一粒種であることを知らされたのだ。
魔王という存在は今でも強大な存在であり、その娘が存在していてしかも人間界で暮らしているという事実。戦役を知る者達は、特に神聖国は必ずこの身を滅ぼそうとするだろう。
もしかすればそんな事は起きないのかもしれない。しかし、吸血鬼は文字通り血を、生き血を吸い取る魔性。
人が物を食べるように、寝るように、トイレに行くように、当たり前のように起きる生理現象。
何度か血を吸うことをせずに放置したせいで、マリウスの寄越した生き血の入った容器に頼らざるを得ず、現在でも目の前の彼の流した血潮に我慢している状態なのだ。
この国が、私という魔物を飼っている、という噂が広がったりしたら。神聖国や帝国も今まで以上に嗅ぎ回って来るだろう。そんな迷惑をかけられない。
ーーー我々に武器を執らしめるものは、いつも敵に対する恐怖である。しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である。【芥川龍之介】
噂というものは、この時代、この世界ではネット社会並みにあっという間に広がる。市民の間に、行商の人に、国境を越え、やがて他国へ広がる。
膨れ上がった噂は、例え嘘だとしても真実にねじ曲げられる。プロパガンダではないが、情報ほど強く、曲げられやすい武器はない。
故に、たらればでも戦争の火種になることをこの国で起きることを危惧したのだ。
いや、マリウス曰くこの身そのものが火種だと言っていたか。
「どうやら随分悩んでいたみたいだね?そんなにここが辛かった?」
そんな事はない、と断言できる。
本当なら、ここに戻る事はなかったはずなのに。彼女、ジェシカの言葉は断れきれなかった。
マリウスも言っていた。王都に行くべきだと。自分自身に向き合うべきなのだと諭されたから。
流されるままに生きているような気がしないでもないが貴族も、平民も、王族も似たようなものだ。
「いいえ、そのようなことは。ですが、今はーー今は明かせません」
否定する。それだけは絶対に。
これは、彼だけに言っても晴れない悩みだ。
ーー回り口説いて言ったが、要は吸血鬼という魔性に目覚めたことで不安になり、その際に周りに迷惑をかけられない。そう言えばいいのだが………言えればよかったのだが。
エストレアの心情を察したのか、それ以上は踏み込んでくることはなく、ただ「わかった」と言った。
「ふ、じゃあ俺と一緒に戻ろうか」
「さっき襲われそうになったのに、何故一緒に行かないといけないのですか?」
何戯けたことを言うのか、この王子は。
冷ややかな視線を向けると、バツの悪そうにするジェラルド。
「ダンスのお誘いでしょうか?」
「そうなるな。なんなら、オルステッドの子女と一緒でも構わんぞ」
「では、お断りさせていただきます。知っての通り、私は本来いないはずの人間です。少しは………世間体というものを考慮なさいませ」
「………」
お互いに譲らぬと言った空気の中で、それを読まぬ可憐な声がエストレアの背後から聞こえてきた。
「お姉様!大事ないでs………何をなさって……王太子殿下!?何故殿下がここに!?」
声の主は、ジェシカだった。息を切らせながら、驚いたような顔がそこにある。
「お姉様、どこに行ったのかしら?」
エストレアとの仮面を被った踊りを終えて戻ってきたら、侍女のカリーナより伝えられる縁結びの話の山。
うんざりとした気分になって、カリーナに後を任せると自身が敬愛する人の姿を探すも、見つからず。
彼女を一番知っていると自称するも、やはりそこはまだ12歳の少女。出来ないことはできないし、知らないものは知らないのだ。
冒険者達に、聞いてみるもわからないと言われ他の貴族らの娘に聞くもーー
『あら、ジェシカじゃない。ご機嫌よう、良い夜ですわね一杯いかがかしら?』
『エストレアお姉様が?でも、あの方はーー行方不明になってから数ヶ月。心配ですわ…』
『私もーー、知らない』
いや、王族主催の会場で、踊らず別室で茶会している時点で論外。なら会場にあるテーブルで茶を飲みながらダンスを見ている冒険者達がまだ品を保っていると言っていい。気持ちがわからなくもないけれど。
やはり、こういうのもあまり言いたくはないが、近年下層貴族階級でのマナーなどが軽視気味になっている傾向がする。
一礼し、そそくさと退室し会場に戻るとクワイエット家の当主アーノルド様がなにやら慌てふためいた感じで周囲を警らする近衛兵とお話しなさっておられた。
デバガメするつもりではないが、聞き耳立ててるとどうやら主賓たる王族ーー、王太子がいないとのこと。
いつのまにかアイアノス元帥閣下が国王陛下と共に姿を現した時は礼をとったが、肝心の王太子が来ないのが問題のようだ。
「王太子様は確か気を病んで自室に篭っていらしたと聞き及んでますけれど……そのせいかしら?」
ジェシカは知ることはなかったが、王太子ジェラルドが篭った理由は敬愛するエストレアが原因であることは露知らず。
会場に戻ると、楽器団が奏でる音楽は変わらず貴族当主はグループを形成し談笑中。
冒険者達は、貴族達に挨拶されたり若い子らにダンスの相手をせがまれている。
まぁ、ここにいる冒険者はここ王都でも噂持ちきりの竜殺しの称号持ち。
普段はフードで顔を隠しているオルストにいたっては、自分でもイケメン………だと言えるくらい整っている。
(でも!私はお姉様一筋!なのですわっ!!)
そこまでいくと敬愛を通り越した、同性愛主義者である。いや、今更ではある。
オルステッド家の家系は『何故か』同性愛嗜好が受け継がれ易く、天才である彼女とてその例に漏れなかった。
かと言って、王国の法律では同性婚は認められておらず、そして傾向が強いと言っても異性との関係が苦手かといえばそうでもない。
両刀といってしまえばまぁそれまでではある。
しかし、エストレアに対して超感覚を持っていると自負する彼女は探せども見つからないことに少し焦りが見えた。
「一体、何処にいらしたのかしら………?」
会場や控えにいないのであれば外だろうか。しかし、今は真冬。ドレス姿は冬の風には辛かろう。
ジェシカはエストレアが人目につくような場所を選ばないことを知っている。
静かに休みたい時は、少し離れた寂しい場所を好むことを教えて貰ったことがあるから。
体が冷えてはいけないと使用人から温かいミルクを二つ貰いバルコニーに沿って外に出る。
「寒い、ですわね………」
分かっていたが冬の寒さは堪える。
風が頬を撫でるたび、ブルルと体が震えるのだ。
バルコニーの外には、側に二階建ての温室があり、二階には野外用の茶会に用いる席が一つ置かれている。
温室ということもあり、植えられた植物により人目にはつきにくく、おそらくそこにいる可能性が高い。
そこに近づこうとした時、ジェシカの耳にパリン、というナニカが割れた音がした。
「っ!!?」
エストレアの認識が割れた音ではない。
ジェシカ本人が予め宮廷の魔法使い達の目を掻い潜って張り巡らせた結界が何者かに破壊された音だったからだ。
(今のはーー。『銀氷の絶乙女』が敵を認知できずに破壊された?嘘でしょう!?)
張り巡らせた結界が解けるのを感じ取る。魔力の根元に意識を向けるためにそこに辿ると確かに要石として配置した使い魔が破壊されて魔力に還元されている。
『銀氷の絶乙女』。錬金術で器を作り、高次に存在する神々の先兵たる戦乙女の分霊を降ろし使役させた使い魔。
当然、使用する魔力も馬鹿にならず普通に運用すれば魔力切れを起こして気絶するだろう。そして、現界できず自壊することも。
ジェシカはとある方法で魔力切れを起こすことなく運用に至っている。
結界の要石として配置させただけだったが、戦闘力も決して低くはない。
曲がりにも神代において、神々の代理として十二種族と戦い続けた戦場の華は血によって染まった紅い華であった。
それを、模造の体とはいえ降ろした使い魔を敵として認知させることなく、全壊させる未知の敵にしばらく衝撃を隠せなかった。
だが、それと同時に。
『いい加減にぃっ!!!ーーーっしろぉっ!!!』
聞き覚えのある声が聞こえた。
「お姉様っ!!」
何かあったのではないか。焦燥に駆られながら、声のする方へ手にしたコップを投げ捨てドレスを気にしながら駆けていった。
そして、駆けつけたときには仁王立ちのエストレアと鼻血を出して床に座る王太子ジェラルドの姿を見たのだった。
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ーーー
ー
「成る程、事情は分かりましたわ」
「物分かりの良い娘で結構。オルステッド家の才女」
何故だろう、二人の間には火花が散っているように見てる。
二人とも、ニコニコ笑顔のまま、目が笑っていない。
「ええ、お姉さまに対してかなり情熱的に接していたようですわね。お熱いようで何より、我が国は安泰ですわね」
「ふん、身分を弁えずに俺の女にいつまでたっても護衛してくれる令嬢など其方以外おるまい」
「「ふふふふふ」」
頭が痛い。付き合いきれない。
私よ、私は私が思った以上に周りは頭がおかしい人ばかりであったぞ。
「モテモテだな。まさか、王太子様に見初められるとはな」
「」
ゲンナリした表情でこっそり逃げ出すと会場に戻ってきてからその一部始終を見ていたシェアトの冒険者達にいじられていた。
二人ともヒートしておりこちらには気付いていない。
「ま、今のエレンは綺麗だからなーー。おまけに最近、竜殺しも貰ったし知名度も上がってたんだろ、多分」
「もうやめてくれぇ……………!」
とうとう顔を真っ赤にして両手で隠してしまう。
今あの場で話題に上がっているのが自分で、自分で取り合っているような空気に恥ずかしくなってきた。
せっかく、認識を変えたというのに、二人には効かない、何処で去ったかは知らないが打ち破られてほとんど意味がないものに。
いきなり舞台に現れた王太子のせいで段取りどおりいかなかったアーノルドはどうしたら良いのか分からず、かと言ってあの場に乱入する気もなかった。
「それはそうとして。アグニルはどうした?」
「アグニルなら酔い潰れて医務室だ。まさか、りんご酒でもベロベロに酔うとは……」
ジェシカがジェラルドと会っていたあの場にいたのだからアグニルはどうしていたのかと聞いてみたのだが……酒に弱いくせして勧められるがままに飲んでしまい潰れてしまったそうな。
やがて口論?が終わったのか、話題になっていたエストレアを見ていた人だかりを掻き分けて王太子ーージェラルドがこちらに近寄ってくる。
「麗しき君、エレンだったか。今宵は俺と舞踏会を」
仮面を取り付け、白い、絹の手袋を差し伸ばし誘うジェラルド。
彼がエストレアをそう呼ばずに冒険者名で呼ぶのはこちらに戻ってくるときにその名で呼ばず、エレンとこの場では呼んでくれと、頼んだからだ。
無論、訝しんだ彼だったが「今までのことは必ず話すから……」と言うことで少しだけ眉を吊り上げて頷いたのだ。
それを聞いたジェシカは人混みの中でハンカチを噛みながら「キィ!お姉様がっ!!」と悔しそうにしていた。
ここまできて、この場で王太子の誘いは断れるはずもない。今この場で一番の主権者は彼だ。些細な理由で泥を濡れる相手ではない。
しかし。
認識が消えたのはあくまで彼と効かないジェシカだけ。故に周りからのひそひそ声は否応なしでも聞こえて来る。
『王太子様、踏ん切りがついたのか?』
『三ヶ月以上行方不明なのよ?諦めるしかないのでは?』
『クワイエット令嬢がいなくなってから、彼には儂の娘を………』などetc
いや、本人がここにいるのですけれどね?来たくはなかったけれど、体裁の都合上なのと上目遣いのジェシカには勝てなかった。
「どうした?コロコロ表情を変えて」
百面相していたらしく、言われたことで現実に帰ってくる。
ふぅ、息を静かに吐きながら私は彼の手を取った。
花をイメージした仮面を取り付けて、彼の手袋に手を添える。
さあ、夜はここからが本番だ。
楽器団はさらに盛り上げるべく演奏を開始した。
ガシャンっ!!!
「よく出来てるものね。玩具にしては勿体無いわ」
漆黒の大鎌が剣閃を伴い振り下ろされ、白銀の甲冑、翼を生やしたジェシカの使い魔を両断する。
バラバラになった使い魔を解析するキュリア。
「へぇ……、錬金術で器を作って、神霊を降ろし使い魔にしているのね。成る程ぉ………、人にしては有能じゃない。同胞ならスカウトしていたのに」
彼女が感嘆しているのは分霊とはいえ神霊を器に降ろした使い魔を何体も保有している点だ。
一体だけでも膨大な魔力を使うだろうに、会場の彼女は涼しげだ。
残骸となった使い魔に腰かけると懐中時計を取り出して時間を確認する。
「私の成功があの方の野望を押し進める。【深遠の神鉱】必ず………!」
一応、言っておきます。王太子と主人公は結ばれることはないです。
あるルートでのみ、それらしいことありますが………今はまだ先のことです。
さて、キュリアはいつ動くのでしょうね?




