12-8 帝国のスパイ
「どういう事なんだ、緊急事態って……どうしたんだ、これは?」
レイが雪を固めた居住空間にたどり着いた時、中にはシアラとリザ、ヨシツネの他にイチェルがいた。周りの雪に負けないほど顔面を蒼白にさせたリザと、面倒なことになったと顔をゆがめているシアラとヨシツネ。
それぞれの武器を構えている三人に対して、イチェルは床に転がされ、ヨシツネの長布によって手足と口元を拘束されていた。
「シアラ、これはどういう事なんだ。彼は、僕らの北方大陸資源調査に協力してくれる人だ。それなのに、こんな乱暴を」
「待って、主様。その前に、リザの話を聞いてちょうだい」
「話? 話って……なんだ?」
レイの気勢は、三人が醸し出す深刻な空気に削り取られる。とくに、リザの凍り付いたような表情に、レイは腹の底で爪を立てられたような感覚に陥る。
隣でレイを支えるレティが不安そうに姉の名を呟く。
「こちらをご覧ください、レイ様。それに、レティも」
「どうかしたの、お姉ちゃん。これって、指輪―――ッ!!」
怪我と薬の影響で満足に動けないレイをここまで運ぶのに手伝ったレティが、リザの手にした物を受け取り、引きつったような声を上げた。
掌から転がり落ちたそれは、レイの足元で止まった。
包帯の手では掴めない。見かねたシアラが目線の高さまで持ち上げると、古びた指輪に刻まれた印章に目が留まった。
「これは、鳥の翼かい?」
「いいえ。それは竜の翼です。……そうよね、レティ」
レティは姉の問いかけに答えない。
いや、答えられない。
エメラルドグリーンの瞳はこれ以上ないほど大きく開かれ、血の気が引いた唇は震えており、硬直した体は身じろぎした瞬間に崩れそうなほど脆く見えた。
尋常ならざる状態のレティ。
覚悟と憎しみを薄皮一枚で押し留めているリザ。
二人の様子から、レイはこの指輪が何を意味しているのか理解しつつあった。
「その指輪に刻まれている竜の翼は、帝国では皇室に連なる者しか扱えない意匠。自分の側近に下賜し、誰の派閥に組み込まれているのか示す身分証のような物です。皇子ごとに意匠が違っていますが……忘れもしません。その指輪は、第一皇子の側近がしていた物と全く同じでした」
帝国第一皇子ゴルディアス・スプランディッド。
その名はレイも知っている。
リザとレティの父親が始めた反乱を鎮圧し、姉妹を戦奴隷に追いやり、他の兄弟たちを蹴落とす為の餌として生かした存在。
二人にとっては恐怖であり、憎悪その物なのだ。落ち着けという方が難しい。
レイはレティの肩から離れると、床に座った。立ちながら話をするほど回復はしていないし、長くなると予想できた。
クロノとエトネは中に入っていない。入り口で見張りと人払いをしている。コウエンはどこに行ったのかと不思議に思うが、今は構っていられない。
レティの手を包帯で固定された手で引くと、呆然と立ち尽くしていた彼女は限界が来たと言わんばかりにその場に崩れた。
「大丈夫かい? 苦しいなら、外に行っても良いんだよ」
「……ううん、大丈夫。大丈夫だから、ここに居させて」
それが強がりなのは全員理解しているが、それ以上は何も言わない。
レティの様子は気になるが、今は問題を片付けるべきだとレイは口を開いた。
「それで、この指輪は本当に皇室関係者以外持つことは無いのか? あるいは、単に似た意匠の指輪とか」
「指輪の印章部分が蓋となり、中には暗号の解読表が。こやつの荷を漁れば、対応すると思しき暗号仕立ての指令書が発見したでござる。間違いなく、この者は帝国に連なる間者」
「……そういう趣味の人って可能性は? サスペンス好きがこうじて、それっぽい道具とか用意するようになったとか」
「この者、拙者の雪原迷彩を一目で看破し、拘束される寸前に隠し持っていた短刀で喉を突こうとしたでござる。鞘には何かしらの液体が塗りこまれており、おそらくは毒かと。身のこなしと判断の早さから、常人とは思えませぬ」
忍者として過ごしてきたヨシツネのお墨付きだ。
これ以上、現実逃避することは出来ない。
レイは厄介だと言わんばかりに呟いた。
「帝国のスパイか。キョウコツ以来だな」
「ねえ、それなんだけど、一つ聞いてもいいかしら」
シアラの問いかけに、リザは視線をイチェルから外さないまま、なにと返した。
「帝国って、人間種至上主義よね。それもドワーフ族やエルフ族とかは亜人と呼んで、人間族だけを人間と扱う法律まで作って。そんな国が、獣人種の諜報員を送り込むの?」
帝国では獣人種への迫害が酷かった。
差別意識もあるが、帝国が小国だったころに最も迫害してきた隣国が獣人種の国だったことが原因でもある。苦しめられた記憶と歴史が被害者意識を煽り、肥大化させ、差別意識へとすり替わる。歴史的に見れば、帝国の方がどれだけ長く獣人種を迫害しても、最初にやられたという意識は消えないのだ。
西方大陸統一戦争が終わり、帝国が今の形になった時に、獣人種への迫害はピークを迎えていた。悲惨の一言に尽きると言われた境遇から逃げ出した獣人種たちが、中央大陸に渡り獣人の国カプリコルを建国したのは、レイも知っている。
その辺りの歴史をまだ習っていないヨシツネだけが、そうなのかと聞き入っていた。
「他の帝室ならあり得ないでしょうけど、ゴルディアスならあり得ます。あの男は獣人種の傭兵部隊を他国から雇い入れ、反乱鎮圧の手段として用いています。人間種よりも肉体的に強度があり、感覚的にも鋭いのに、見た目が違うからと排除するのは馬鹿々々しいと言い放つような男ですから、獣人種の密偵がいてもおかしくありません」
「そうなのか。……それじゃ、問題は彼が何の役目でここにいるかって事だよな」
レイの呟きにリザが始めて反応した。憎悪に彩られた青い瞳に戸惑いの色が混じる。
「何の役目? そんなの、レティや私を狙って、待ち構えていたに違いありません! 案内役の振りをして、北方大陸の危険な土地に引き込み、凍死させるのが狙いなんでしょう!」
「まあ、合理的な殺害方法よね。レティはともかく、上級冒険者並の戦闘力を身に付けたリザを殺すなら、軍隊でも持ってこないといけないもの。その点、この北方大陸なら環境が人を殺す。諜報員一人の命と引き換えにしても、釣りが出るわね。……でもね、ありえないのよ」
「ありえないって、現実に帝国の密偵が、ここに居るじゃないですか」
「リザ殿お待ちくだされ。いささか、物の見方が近くなっているでござる」
「……そうだよ……お姉ちゃん。いったん、冷静になって」
絞り出すように言ったのはレティだ。まだ、表情は青ざめており動揺しているが、エメラルドグリーンの瞳には力が戻りつつある。彼女は、冷静な眼差しをイチェルに向けた。
「この人が、本当に帝国の密偵だとしても、あたしたちを狙って送りこまれた人とは限らない。だって、この人は他の人と同じ出稼ぎ労働者なんだよ。冬の間、ずっと漁をしたりして、この土地で生活しているの。北方大陸に向かうと決めたのは一カ月前だけど、この人達がここで暮らしているのは、もっと前、冬が始まってからの筈だよ」
「それはっ! ……それは……でも」
レティの指摘にリザは上ずった声を上げた。混乱しているのか、形の整った頬に手を当て考えを整理しようとしている。
レティの言う通りだ。
イチェルが帝国のスパイだとしても、彼が北方大陸に渡ったのは、クロノスとの戦いが終わった後だ。その頃はまだ、レイ達が北方大陸に行く可能性なんて、一欠けらも無かった。
先周りするにしても、余りにも早すぎる。
「第一皇子の側近に未来予知者が居るなら話は別だけど、そんな事を言い出したらキリがない。だから、イチェルは別の目的で北方大陸に送りこまれたと考えるのが自然だろう。途中で本物のイチェルと入れ替わった可能性もあるけど、一緒に行動している出稼ぎの人達に気づかれずに入れ替わるのも難しいだろうね。そういう技能とか魔法を発動してるかな?」
「一度、意識を失わせて身体検査をしましたが、そのような形跡は無かったでござる」
「なら、彼はきっとギルドに身内が居て、故郷に仕送りをして、そして帝室のスパイもやっている本物のイチェルなんだろう。そんな人が、何の目的もなく北方大陸に来るとは考えにくい。そう思わないかな」
レイの説明にリザも理解を示すように頷いた。
「つまりは、そういう事なの。この男が帝国の諜報員なのは間違いないけど、何のためにこの土地に居るのか分からないのよ。どうする? 拷問して、北方大陸に来た目的や仲間の数などを聞きだしてみる」
「物騒な意見だな。……ここは専門家に尋ねよう。ヨシツネ、イチェルを拷問して情報を聞きだせるか」
忍者としての技術と経験を持つヨシツネは、レイの意見に対して即答した。
「無理でござる」
「即答か」
「正確に申すならば、無駄というべきでござるな。この者、間諜としてきちんと訓練を受けておるならば、苦痛に対する訓練も受けているはず。情報を吐き出させるのも、数日は時間が必要になるかと」
数日間、何らかの拷問を受ける図を想像したのか、シアラが嫌な顔を浮かべた。
「加えて、それで吐いた情報の真偽が疑わしいでござる。裏付けとなる調査も、他の情報源もありませぬ」
「なるほど。拷問して吐いた情報は全て正しいとは限らない、ということか」
「然り」
「なら、生かしておく必要はありませんね」
冷徹に言い放ったリザに、レイは性急すぎると心の中で思う。
今にも剣を抜きそうな雰囲気を放つ彼女は、例えるなら爆発寸前の爆弾だ。心から憎い相手と繋がっているスパイというのが、彼女の心をかき乱しているのだろう。
そんな姉を律するのは、いつだって妹の役目だ。
「駄目だよ、お姉ちゃん。この人を殺したら、ここの人達の信頼を損ねちゃう」
「そうね。入り江の住人たちはイチェルを、苦楽を共にしている仲間と認識しているわね。そんな人を殺した冒険者たちを信頼する訳ない。下手をすれば、この入り江に残していく冒険者や水夫たちの身が危ないわ」
「なら、どうするのですか! こいつを放置して、先に行くしかないんですか!」
リザにしては珍しく―――見覚えのある―――怒りを隠すことなく叫んでいた。
髪を振り乱し、指先は糾弾するようにイチェルへと伸びていた。
似たような憎悪を心に宿すシアラは、リザの手を握り、怒りに染まる青い瞳を金色黒色の瞳で見つめた。
「……アンタにとっては納得できないでしょうね。ワタシだって、アンタの立場だったら、納得できないもの。でも、今はそうするしかない。こいつはこのまま拘束して、事情を察してくれるエスラ様に預けて、別の人を案内役に雇って出発しましょう」
シアラの提案にレイも同意するように頷いた。
ところが、それに待ったを掛けられてしまう。
「それは難しいでござるな」
「どういう意味よ、ヨシツネ」
「こやつは自らの正体を知られたと悟るなり、自害しようとした。何らかの密命を帯びている間諜が、役目を放棄して死を選ぼうとするのは、生きて捕まると情報を漏えいする危険性があるか、生きたまま捕縛されると自身の主君が危うくなるか……他に密命を託せる者がいるか」
「嘘でしょ。この入り江に、帝国の諜報員が他にも居る可能性があるの!?」
ヨシツネは答えずに頷いた。彼も、確信をもって言っているのではないのだろう。
だが、ヨシツネの意見も一理あった。
死を恐れないというのは、自分が死んでも目的を果たす仲間が居るという希望があるから生まれる。イチェル以外にスパイがいるから、死んでも構わないと思えるのだろう。
現に、拘束されて身動きが取れないとはいえ、抵抗する素振りも、死を恐れるような様子も無い。
「それじゃ、誰を信用していいのか分からないじゃない。まさか、この大地を案内役無しで渡るしかないの。そんなの自殺行為じゃない」
シアラの悲観した声に、誰も答えられない。イチェルが帝国のスパイだと判明したのは、《ミクリヤ》にとって幸運なはずだ。それなのに、追い詰められているのは《ミクリヤ》だ。
リザやヨシツネだけでなく、シアラですらどうするべきか打開策を思いつかない。じりじりと、足元から炙られるような焦燥感だけが広がっていく。
そんな時だった。
力無く座りこんでいたはずのレティが立ち上がった。
どうかしたのかと見上げるも、彼女はしっかりとした足取りで拘束されているイチェルの前に立った。
「ダメよ、レティ。そいつの狙いが貴女じゃないとは限らない。すぐに離れなさい……レティ?」
姉の呼びかけに反応しない妹。リザはレティを引き寄せようとしたが、レティは遮るように言った。
「あなたが帝国の密偵で、第一王子ゴルディアスの側近と繋がりがあるという前提でお願いしたい事があるの」
奇妙な申し出に、レイ達はどういうつもりだと視線を見合わせる。イチェルは顎を床につけ、視線だけで、なんだ、と問いかけていた。
「交渉がしたいの。あなたのような諜報員をまとめている人物か、ゴルディアス本人と直接やり取りが出来る様に整えて」
予想外すぎるレティの言葉に、誰もが驚きで硬直する。レティの要求がどういった意味を持つのか考えるので脳の容量を使っていた。
ただ、薬と怪我の影響で思考をまとめるのに時間が掛かり、最初から諦めているレイだけは、小さな動作に気づけた。
拘束されている獣人種が、長布で抑えられている口元を僅かに歪めた。狡猾なハンターが罠に飛び込んだ獲物を前に勝ちを確信したかのような笑みだ。
それを見て、レティが小さく呟くのが聞こえた。
やっぱり、と。
読んで下さって、ありがとうございます。
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