12-7 モンスターの異常行動
消毒液の独特な臭いが鼻を突く。
目を開けて体を起こそうとすると、気が付いたレティが手を伸ばした。
「無理しないで。まだ、痛み止めで体の感覚が鈍いはずなんだから」
言われて納得する。視界は端がぼんやりとしていて、体に伝わる刺激が何枚ものヴェールを通したかのように曖昧にしか感じられない。
正直、記憶まで不明瞭で、どうして自分がこんな場所でレティに甲斐甲斐しく看病されているのか定かでは無い。
「もっとも、痛み止めが切れたら、痛みで体を動かすのもままならないだろうけどね。今だって感じられないだけで、その両腕は痛いはずだよ。なにしろ、あれだけの傷だったんだもの」
気づかわしそうに言われたのが鍵だったように、記憶の扉が開く。
そう、自分は氷の巨人を相手に龍刀を振るった。
制御不可能な、破壊の塊を使った代償に両腕を差し出したのだ。
体の内側からか炎が噴きあがり、苦痛に脳が焼き切れそうになる。どうにか、意識を必死に繋ぎ止めていた。限界まで削られた氷の巨人がシアラの魔法によって吹き飛んだのを見て、電源が落ちる様に目の前が真っ暗になった。
薄ぼんやりとした視界だが、テントの中に複数の人影がいるのが分かる。緊迫した雰囲気は感じられない。どうやら、船は守り切れたようだ。
「腕は……ちゃんと……あるか」
薬の影響で口を動かすのも億劫だ。問われたレティは心配しないようにと言わんばかりに笑いかけた。
「大丈夫。両腕はきちんと付いているよ。酷い火傷で、内側なんかボロボロだったけど、どうにか回復魔法とナタリカさんから教わった回復薬で修復できたから。今は、薬で感覚が鈍っているだろうけど、しばらくすれば分かるようになるから」
「そうか……世話をかけるね」
「なに言ってるの。回復はあたしの役目なんだからね。お兄ちゃんがどれだけ無茶をしても、絶対に無事な姿で連れ戻すって、そう決めてるんだから」
胸を張って告げるレティの成長ぶりに、レイは笑おうとするが、薬で引きつってしまう。
「はは、頼もしいや」
「もう、本気なんだからね」
レティが本心から、そう考えているのは知っている。
彼女は北方大陸に向かう前に、旧式魔法を使えるように修行をしていた。旧式魔法は新式魔法に比べれば威力は高いものの、詠唱に時間が掛かり、精神力の消費が増えてしまうというデメリットがある。
目まぐるしく状況が変わる戦闘のスピードに対応しきれないとして、習得する魔法使いは少なくなっている。ましてや、回復役は一瞬の遅れで仲間の命を取りこぼしてしまう可能性もある役割だ。進んで旧式魔法を使えるようにする冒険者はほとんどいない。
だが、彼女はレイのために旧式魔法を使えるようにするべきだと考えたのだ。
制御不可となった龍刀が与える傷は、新式魔法だけでは対応できない。痛覚遮断、神経接続、血管再生、皮膚復元。完全な回復に必要な治療は両手の指に余る。
新式回復魔法は、対象の回復力を上昇させる効果に特化しており、レイの両腕を元の状態に戻すほどの効果は期待できない。かといって、新式魔法の数を増やすのは限界がある。
だから、彼女は魔法習得に限界が無く、様々な状態に対応できる柔軟性を持つ旧式魔法を使えるようにした。
同時に、ナタリカ博士こと元六将軍カタリナから効果が高く、副作用が少ない回復薬のレシピを幾つも貰った。これらを必要に応じて組み合わせることで、龍刀のダメージを受けても、レイの腕は激しい戦いに耐えられるだけの状態まで引き戻せる可能性が出てきたのだ。
とはいえ、限界はある。
レティが居住まいを正し、回復役としての見立てを告げた。
「ご主人さま。分かっていると思うけど、今の怪我が完治するまでは龍刀を抜くのは禁止だよ。その両腕は、とりあえず旧式回復魔法と回復薬で形を保っているだけ。ここから、段階を踏んで回復して、ようやく元通りなんだから」
「分かってるよ。龍刀を抜くのは、最後の切り札。滅多なことでは抜かないよ。だから、そんな顔をしないでくれ」
心配そうに見つめるレティに、レイは言葉を続けた。
「あのまま、氷の巨人を野放しにしていたら船が沈んでいたかもしれない。そうなったら、任務を続けるのも無理だろう。だから、あの時はああするのが正しかった。それに、あんな緊急事態、そうそう起きないはずだ」
「緊急事態なんてしょっちゅう起きているよ」
「……うん、その通りだね」
ジッと冷たい瞳でレイを見つめるレティに困ったなと苦笑いをする。助け舟を出したのは、二人のやり取りを微笑ましいと眺めていたクロノだ。
「そういえば、あのモンスター。妙じゃありませんでしたか?」
「妙って、なにが?」
突然の疑問にレイはおうむ返しに尋ねた。
「なんと言いますか、モンスターにしては随分と行動が性急的だったというか、杜撰だったというか、理にかなっていないというか。……言葉にしようとすると難しいですね」
「ううん。クロノお姉ちゃんの言いたいこと、なんとなく分かるよ。あの氷の巨人、もっと工夫すれば良かったのに、って思うよ」
「その通りです。工夫が足りません」
我が意を得たりと言わんばかりに同意するクロノだったが、レイは今一つ理解できていなかった。まだ、薬の影響が抜けていないせいだろう。
察したレティが、レイに説明するように疑問点を整理する。
「えっと、コウエンちゃんが言ってた通り、あの巨人の体はほとんどが本体であるモンスターが生み出した氷だった。本体はきっと、小型でそこまで直接戦闘に特化していないんだろうね。その分、氷を生みだして巨大化したり、広範囲に吹雪を出したり、氷の蜘蛛を生みだして別動隊として襲ったり、色んなことが出来た」
「うん。こうやって考えると、随分と多芸だよな。あれだけ大きな氷を無尽蔵に生み出すなんて、超級、いや超弩級モンスターだったのかも」
「そうかもしれない。そんな凄いモンスターなのに、最初の攻撃は生みだした氷柱を投げ飛ばすだけ。確かに、直撃すれば大型船が沈んでもおかしくない破壊力だけど、それは命中しなければ意味が無い、でしょ?」
「実際、大型の氷柱は戦闘中に十回以上投擲されましたが、直撃するどころか掠めることすらなかったようです。もっとも、湾に着水する度に高波が生まれて十分な脅威とはなりました。ですが、本当に脅威と言えたのは最初の二発だけで、あとはエスラさんの指揮の元、連携の取れた冒険者たちが対処できました」
「なんとなく、二人の言いたい事が分かってきたかもしれない。大雑把だった、ってことかな?」
その通りだとレティとクロノは頷いた。
これまで地上でモンスターと幾度も戦って来たが、彼らの知能は総じて高い。正面から戦いを挑む個体は少なく、大抵が奇襲を仕掛け、動揺から対処が遅れた人間を狙い数を減らし、隠していた別動隊を呼び寄せて一気に決着を付けようとする。
だから、モンスターの生息領域に足を踏み入れる際は、エトネのような感覚の鋭い偵察役の存在が欠かせない。モンスターに気づかれることなく、彼らの動きを察知し戦闘を回避したり、場合によってはこちらから奇襲を駆ける。先手を取った方が有利になるのだ。
迷宮だと、定期的に順路が入れ替わったり地形が変化するため、モンスターとの戦いは遭遇戦となる。向こうにしても、こちらにしても条件は同じため、シンプルに強い方が勝つ。
そう考えると、氷の巨人は先手を取れて、非常に有利だったはずなのに、攻撃が手ぬるい。
「目測だけど、氷の巨人は五十メーチルぐらいはあったはず。山の上を陣取って投石ばかりしていたのは、動けないのが理由だとしても、腕を振り回すことは出来たんだよ。だったら、入り江の中まで侵入してから巨人を生みだして、腕を振り回すだけでこの辺を一気に壊滅できたはず。そこまで近い距離に来れば、大型船だって正確に狙えたよ」
「それに、あのような投擲にこだわらず、あの巨体を武器にするという手段もあったはず。たとえば、巨人の足を脆く作り、前に傾いたら折れるようにするとか」
「あの巨人が斜面を滑り落ちるのか。考えるだけで恐ろしいな」
雪崩ならぬ、氷崩とでもいうのか。あの巨体が入り江まで滑れば、全てが潰されていただろう。
「考えすぎと言われればそうかもしれませんが、ちょっと考えればこれぐらいの手段がいくつも出てきます。なのに、あのモンスターは正面から現れ、一番成功率の低い手段に固執していたように思えて。……しっくり来ないんです」
その感性は、神であったころの名残だろうか。
エルドラドを司る神だったから、この世界の道理を彼女は知り尽くしている。だからこそ、氷の巨人が取った行動が納得いかない様子だ。
「モンスターの事情は分からないけど、なにか理由があったのかもしれないな。たとえば、大量に氷を生みだすには、一定の高度じゃないとダメとか。周りに雪が大量に必要とか」
「あるいは……何か別の理由で追い詰められていた、とか?」
「別の理由って……いや、待てよ」
レティが何気なく口にした言葉に、レイは別のことを思い出した。
氷の巨人が出現する前、現地協力者のイチェルが気になることを語っていた。
―――『へい。数日ほど前の事ですが、この辺り一帯が小さく何度も揺れやした。北方大陸は地揺れが少ない場所なんですが、あれほど長く、不規則に揺れたのは記憶にございやせん。極めつけは、北の空が不気味に輝いたのを、あっしらの仲間が目撃したんでさぁ』
氷の巨人は北の山から現れた。
「イチェルが言ってたな。北の空が不気味に輝いたって」
「ご主人さま。イチェルってだれ?」
「ああ、今回の任務で案内役を務めてくれる人だよ。氷の巨人が襲ってくる直前に、最近の北方大陸で地揺れがあったとか、北の空が不気味に輝いたって事を説明してくれたんだ」
「地揺れに輝き。原因はモンスターでしょうか?」
「僕もそう思ったけど、原因は不明だそうだ。でも、なんとなくだけど繋がりそうだね。地揺れに、不気味に輝いた空。そして、モンスターのらしくない異常な行動」
口にしてから、引っ掛かりを覚える。
モンスターの異常行動。
それに近い現象を、どこかで見聞きしたはずだ。
記憶の扉を開こうとするも、疲れ切った体が絡みつく鎖のように邪魔をする。レイは軽く頭を振って、思考を引き戻した。
確証はない。
これまで語ったのが全てレイ達の考えすぎという可能性すらある。
だが、三人は予感めいた物を抱いていた。
「北方大陸北部。僕らが向かう先で、何かが起きているかもしれないな」
レイの結論に、レティとクロノは否定をしなかった。レイはため息を吐くと、疲れたと言わんばかりに体を横たわらせた。即席のベッドは固く、寝心地は最悪だ。
「ついて早々こんなトラブルとは。やっぱり、学術都市の騒動が影響しているのかな。因果を積み重ねたしな」
「その辺り、どうなってるの?」
レティの質問に、元神であるクロノは渋い顔をした。
やはり、学術都市での戦いで黒龍を相手に死を積み重ねたのは、因果を重ねている可能性が高い。積み重なった因果は、困難を引き寄せる。
これまでにも積み重なり、絡み合ってしまった運命が《ミクリヤ》を苦しめていた。
重い雰囲気を漂わせて無言となるクロノに、レティはこれ以上なにも言わずに話題を切り上げた。
「とりあえず、ご主人さまは体を休めるのが先決。この先、ちゃんと横になれる機会は少ないんだから。クロノお姉ちゃんは片付けの手伝いをお願いね」
分かった、とレイが返そうとしたが、その言葉はテントに入ってきた少女に遮られた。
短めの防寒着に雪がまとわりついているのも構わず、彼女は真っ直ぐレイに駆け寄った。
「こら、エトネ。テントに入るなら、雪を払ってから……エトネ?」
お姉さんらしく叱ろうとしたレティだったが、エトネの雰囲気から何かを察したかのように語気が弱まる。レイが再び起き上がると、エトネは困ったように眉を下げていた。
「どうかしたのか、何かあったのか?」
「うん。きんきゅうじたいだから、おにいちゃんを呼んで来いって。……もしかしたら、かなりまずいかもって、シアラおねいちゃんが」
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