閑話:人龍戦役Ⅳ
怪物達の攻撃を浴びダメージを負わなかったものの、黒龍の動きは止まった。
崖上で構える三人の前で滞空していた。
あまりの存在感の強さ。龍という鋳型に死を流し込んで焼成したかのような、恐ろしき怪物。ただ空に浮かんでいるだけなのに、世界が恐怖したかのように軋んでいく。
いや、それは相対する三人も同じだ。
彼らから立ち上る圧は、どれも少年が感じた事は無い物で、同じ空間に居るだけで魂が削られていきそうだった。
「ゲオルギウス。済まないが、回収した貴族の子弟を任せても構わないかな」
「畏まりました、陛下。……御助力は?」
「不要だ。クリストフォロスと共に下がっていろ」
「はっ! こっちに来い、小僧」
襟首を掴まれ、地面を引きずられる。息ができないほど苦しかったが、黒龍と三人の怪物から離れられるのだから文句は言えなかった。
「貴様ら、何者だ。我を古代種が六龍と知っての蛮行か」
それを声と認識するには時間が必要だった。遠くから響く稲妻のような、土砂降りの雨音のような、押し寄せる鉄砲水のような、自然が作り出す驚異的な音のように鼓膜を震わしたのは、黒龍の声だ。
意外にも、先んじて声を発したのはエルフの青年だった。
「エルフの守り人。『守護者』サファだ、偉大なる古代種の六龍が一頭『黒龍』。まずは、数百年前の礼を言わせてほしい」
そう言って、エルフの青年―――サファは頭を深々と下げた。
「あの時、我らの国を滅ぼした黄龍の封印に尽力してくださり、感謝いたします。黄龍をあのまま野放しにしていれば、大陸からの脱出は叶わず、エルフへの無慈悲な弾圧は激しさを増して我らは今まで生き延びる事は出来なかっただろう。エルフの長に代わり、厚く御礼申し上げる」
「……別段、貴様らを助けようとしてした訳では無い。六龍として、同輩の暴挙を誅する義務があった。当然の事をしただけで、貴様に礼を言われる筋合いはない」
「それでも、一族を守る者として感謝を述べたかった。……なにしろ、骸になった者に送る言葉は持ち合わせていない」
途端、サファの体から発せられる圧が一段と凄みを増した。
「ここからは完全に私情で戦わせてもらう。今の貴様はかつての黄龍、『国喰い』と同じ世界の脅威だ。放っておけば世界が滅んでしまう。一族の安寧のためにも大人しく斬られてもらおう、黒龍」
「断る。エルフが我と敵対するなら、それも致し方ない。区別なく、我が業火で焼き払うだけだ。貴様はどうするのだ、魔人種よ」
呼びかけに、魔人種たちを束ねる王が口を開いた。
「偉大なる六龍に向かってこのような口の利き方は失礼かもしれないが、勝手にすればいいと思っている。世界を滅ぼすなら、好きにすれば」
フィーニスのとんでもない発言に、少年は自分の耳を疑った。魔人種に引きずられながら、離れていく『魔王』の背中を凝視した。
「何しろ、ボク達魔人種は敵が多い。傭兵として各地を渡り歩いたせいで彼方此方の国や民族から、いまだに憎まれている。その上、未開拓地とはいえ、各国の船が運航する場所で勝手に建国宣言をしたのだから、周辺国とは穏やかな関係とは言えない。だから、キミや竜が暴れてくれれば、それだけ周辺国の力が削がれて、ボクの国が安全になる。キミが無謀とも言える戦いをしたいなら、どうぞ気のすむまでやればいい。そう、思っていた」
「ならば、何故我の行く手を阻む」
「残念ながら、事情が変わってね。いやはや、法王庁から脅迫を受けてしまった。世界が存亡の危機を迎えるというのに魔人種を統べる王が傍観とは言語道断である。力ある者が責任を果たさないのは、これ罪である。罪人は括らなければならぬ、なんて法王自ら恫喝されちゃ、断るなんて選択肢は無いんだよ」
心の底から嫌そうに言うフィーニスの足元で、影が液体のように湧きだしていた。それが『魔王』の体に絡みつくと、剣や盾、羽といったパーツに変身していく。
「正直なところ気乗りしないが、王としても私人としても、キミを倒さなくちゃいけないんだ。申し訳ないけど、悪く思わないでよね」
「謝罪など不要。貴様が目的を果たせる道理など無し。……貴様は何故我の前に立つのだ、オルタナよ」
黒龍の前に立つ怪物達の中で、唯一面識があったのだろう。
名前を呼ばれた男が帽子に手を掛けながら沈黙を保つ。
「貴様ならば、我の意志を理解できるはずだ。黄龍が狂い、白龍が消えた今、この世界は限界を迎えようとしている。13神が見放した、神無き世界に救済は訪れず。ならば、慈悲を持ってこの世界を滅ぼすのが、我らに課された使命である。人の枠から外れ、世界の側に立つ貴様ならば、この道理を理解できよう」
「理解できるか、大馬鹿野郎」
静かに、しかし堂々とはっきりした声でオルタナは反論した。
「てめぇの行動は救済でも何でもない。単なる八つ当たりだ。白龍を失った悲しみを癒す為に、世界を相手に八つ当たりしてるだけにすぎねえ。そんなんで救われるのはてめぇだけだろ」
「あははは! 言うな、この人。……というか、人なの、このオジサン?」
「……貴様からしたら、間違いなく年上だろうな。……俺をオジサンと呼んだら斬るぞ」
「ああ、そうか。考えてみたら、この場で一番の年下はボクなのか。なんだか、新鮮な気分だな」
「ぐだぐだ五月蠅いぞ、テメェら。黒龍! 俺はテメェのクソみたいな心中計画に付き合うつもりも、巻き込まれるつもりもねぇ。ここで幕を引かせてもらうぞ」
言うと、オルタナの両手に炎が宿った。普通の魔法とは違う輝きに、サファとフィーニスですら警戒心を強めた。
三人の怪物から敵対宣言を受けた黒龍は、それでも動じる事は無かった。闇を溶かして固めたような冷たい瞳は、眼前にある怪物を脅威とは捉えてはいなかった。
単なる障害物を見つめる目だ。
「ならば仕方なし。これ以上の問答は時間の無駄である。疾くと死ね」
それが戦闘の始まりを告げる合図だった。
黒龍の全身から音を立てて稲妻が走る。次の瞬間には、その稲妻が三人の方へと降り注いだ。まるで、巨人が指で地面を引っかくように稲妻が崖上で踊る。三人は既に距離を取って回避していた。
稲妻が走る度に崖が震えていく。砦を根元から崩したせいで脆くなっているのか、海面に向かって塊がボロボロと崩れ落ちていった。
今にも崩れそうな崖上に黒龍が稲妻を纏って着地した。いや、着地と呼ぶよりも激突と呼ぶのが相応しい。隕石が衝突したかのように大地が抉れ、土煙が空へと昇っていく。土煙はあっという間に三人をも飲み込んだ。
「『龍王』と呼ばれている割にはやる事が児戯じみているな。土遊びは子供の時に卒業すべきだ!」
フィーニスの足元で蠢く影が、一斉に刃となって放たれた。土煙で敵の姿は見えないが、大雑把なコントロールで問題なかった。何しろ、サイズが違い過ぎるのだ。適当に攻撃を放っても、どこかしらに当たる。
その読みは間違っていなかったが、判断は間違っていた。
影の刃は直撃するも、先端が鱗に触れた手ごたえは無かった。
「これは、っと!」
手ごたえの無さを訝しむ前に、フィーニスは横合いから現れた黒龍の尾に弾き飛ばされた。地面を水平に飛ぶ『魔王』は、影を伸ばして地面に突き刺して体を止めた。頭の天辺まで、影の鎧に身を包んだフィーニスはすぐさま反撃に出ようとする。
だが、土煙を吹き飛ばして迫る光線を前にして方針を変えた。
影を光線の方に伸ばすと、壁のように次々と起立させる。壁は上級魔法程度なら耐えられる硬度を持つが、黒龍の光線では数秒も持たない。合わせて二十枚の壁が一分も持たずに破壊された。
もっとも、時間稼ぎにはちょうど良かった。光線が壁を破壊している隙に、フィーニスは体を翻すと、背中から生やした翼を使う。黒龍の持つ禍々しい翼とは違う、鳥類を思わせる翼の産む推進力を持って一気に前へと飛んだ。
光線の余波が鎧をじわじわと蝕むが関係なく黒龍の懐に飛び込めば、無防備な首に向けて一気に影を収束させる。
イメージするのは黒龍の巨体を貫く巨大な槍。
彼のイメージを受け取った影は形を作る。穂先だけでもフィーニスの何倍もある槍が足元から天に向かって伸びようとした。しかし、穂先は黒龍の鱗に阻まれてしまった。
―――否。
正確に言うのなら、黒龍の鱗に触れてすらいない。
鱗と穂先の間。それこそ髪の毛の差ほどしかない空間に、見えないが感じられる力場があった。その力場が穂先を防ぎ、それ以上進めないようにしていた。
「なるほど、これがカタリナの言っていた黒龍の守りか」
どれだけ意識を集中させても、槍が鱗に触れる気配は無かった。そればかりか、力場に阻まれ槍が耐えきれなくなってしまった。
自分の元に戻った影を駆使して、黒龍の死角に回ろうとしたフィーニスだが、巨体に纏わりつくように走った稲妻を浴びた。
苦悶の声は上げないが、兜の奥にある顔は歪む。距離を取ろうとした瞬間、黒龍の翼が巻き上げる風に体が押された。
黒龍の巨体を浮かす翼が生む風は、それこそ竜巻以上の風力だ。しかし、フィーニスは足元の影を地面に突き刺して、一歩ずつ距離を近づけていく。
「さて困ったな。一定以下の威力を無効化する守りをどうやって突破するべきか。質量じゃなく、火力を上げるには……ん?」
思考が中断されたのは風が止んだからだ。
だが、黒龍が風を止めたのではない。
フィーニスの斜め前方で、同じように風を浴びていた剣士が剣を―――正確には刀を―――振るっていた。それだけで竜巻じみた風が止んだのだ。
彼は風を斬ったのだ。
滑るようにサファは移動すると稲妻を纏った黒龍に向けて刀を抜いた。鎧を身に付けているフィーニスでさえダメージを負う稲妻に対し、何の防具も身に付けていないサファが近づくのは自殺行為にしか見えない。
よしんば、稲妻を潜り抜けても黒龍には空間を断絶するような守りがあった。刀一本で突破するのは不可能―――のはずだった。
刀は襲い来る稲妻を、黒龍を守る力場を、禍々しくも美しい鱗さえも両断してみせた。
「ぬぅううう!」
苦悶の声を上げたのは紛れもなく黒龍だ。
サファは黒龍の首筋に刃を突き入れていた。しかし、そこから先に刃を進めるのは難しいのか、刀を引き抜く。その瞬間を狙ったように、黒龍の体が激しく動きサファを吹き飛ばそうとする。だが、黒龍の体は足元からせり出した岩の壁に阻まれてしまった。
「そう何度も土煙で隠れられちゃ、やりづらいんだよ!」
オルタナは言うと、手元に集めていた炎を矢のように次々と発射した。黒龍に着弾する度に爆発の華が咲き誇り、辺りを赤に染めた。身動きの取れない黒龍は的同然だが、効果は薄いようだ。
その隙に、フィーニスはオルタナの魔法から距離を取ったサファに近づいた。
「驚いた。黒龍の守りをどうやって打ち破ったんだい。種はその武器にあるのかい?」
「黒龍の守り? ああ、そういえば、そんなのがあると聞いていたな。一定以下の攻撃を無効化するとかなんとか。すっかり忘れてた」
強がりでも何でもなく、本心から忘れていたというサファにフィーニスは呆れるしか無かった。
「忘れてたって」
「仕方ねぇだろ。記憶に残したくないどうでもいい情報は、さっさと消すようにしているんだ。黒龍の守りだったか。悪いがどうやって突破したとか聞かれても困るぞ。俺は斬りたい物を斬っただけなんだからよ」
「斬りたい物を……斬っただけ、か。うん、シンプルだけど核心を突いた考えだ。すごく気に入ったよ、それ」
今度はサファが表情を変える番だ。眼前で凄まじい魔法の連撃を浴びていながら反撃する黒龍を前に、フィーニスはまるで子供のように頷いていた。
「てめぇ……どこかで会ったか。いや、会ったんじゃなくて、似ている、のか」
死に別れた友と何処か似た雰囲気を持つフィーニスに、何かを言おうとするも遅かった。
フィーニスは一気に前進すると、あっという間に黒龍の真上に到着していた。そして集めた影を一点に集中させていた。
「イメージしろ。黒龍を守る力場を貫き、その下の肉まで貫通する矢を」
思考は指先まで満ちる。一本の矢が不可視の力場を貫き、巨人な肉体を貫く瞬間を事細かにイメージした瞬間、形成した矢は放たれた。矢はフィーニスのイメージを寸毫も損ねる事無く、黒龍の力場を貫き、鱗を貫通し、肉を裂いた。
真上から放たれた一撃を黒龍は回避できなかった。
「あははは! やってみたら、存外簡単じゃないか!」
兜の奥で笑った表情は、見た目相応な無邪気な物だった。
「陛下がお喜びになられている。臣下としては良きことではあるが、主を一人で戦わせて後方に待機するのは納得できん」
「おやおや。それこそ陛下の命に背く事ですよ、ゲオル」
今にも駆けだしそうなゲオルギウスを止めたのはクリストフォロスだった。彼は手元に開いた『窓』に映る光景から視線を離さずに続けた。
「私達が命じられたのは、彼らの安全を確保する事。それを果たさずに赴いたところで叱責は免れないでしょうね。そもそも、黒龍の暴れた余波で岩石やら稲妻が飛んでくるのを、私一人で防げというのかい、君は?」
彼らが居る場所は黒龍が暴れている場所から数シロメーチル以上離れた所だが、荒狂う稲妻や熱線の余波が十分届く場所でもあった。その度に、ゲオルギウスやジャイルズが防いでいる。
「……スマン」
「分かってくれればいいよ。……おや、ウィンドヘイル公爵のご子息。どうかなさいましたかな」
「いえ……その。……凄まじい、ですね。貴方がたの陛下も、エルフの剣士も、あの不思議な姿をした魔法使いも」
それ以上語る言葉を少年は持っていない。少年がどれだけ言葉を尽くしても、黒龍と真っ向から戦っている三人の偉業を説明できない。
黒龍は、言うなれば生きた災害だ。人がコントロールする事は出来ず、ただ通り過ぎるのを待つしかできない超常的な存在だ。立ち向かえば、普通の人なら数秒と持たずに死んでしまう。
そんな黒龍を相手に彼らは激闘を繰り広げていた。
初めこそ攻撃の通じなかったフィーニスだったが、自在に形を変えられる影によって千差万別の攻撃方法を編み出し、どれが通じるのか、どれが通じないのかを選別していき、的確にダメージを与えていっている。
刃の届く範囲しか攻撃できないサファは、まるで空間を転移したかのような異常な速度で黒龍の懐に飛び込んでは刃を的確にねじ込んでいる。黒龍の爪を根元から断ち切り、翼に大きな裂け目を作り、首筋に浅くない傷跡を残しった。
最も派手な戦いを繰り広げているのは、間違いなくオルタナだ。詠唱をしているのか疑わしい程素早い魔法の連続で、黒龍を翻弄していっている。崖上で爆発の花畑が生まれた次の瞬間には、荒野に近い崖上に植物が生えて黒龍の体を縛りつけ、氷に変えられた海水が氷柱となって落ちていく。
三者三様の戦い方で黒龍に迫っていくのだ。
もっとも、黒龍も黙って攻撃を浴び続けている訳では無い。黒い炎のブレスを地面に向かって吐き出して壁を作ったかと思えば、それを風で吹き飛ばして広範囲を炎の海に変え、尾で砕いた地面を投げつける。紫電が荒ぶり、地面から空に向けて稲妻が幾つも走った。極めつけはブレスを極限まで圧縮した光線だろう。山を削り大地を穿つ光は、周りの地形を変えてしまう。
まさしく、怪物と恐れられる存在だ。
自分では到底敵わない怪物を倒そうとする英雄たちに目が奪われるのは、当然の話だ。
「凄い、凄すぎる! 彼らなら、黒龍を倒せる。いや、彼らじゃなければ、誰が倒せるんだ!」
興奮のあまり叫びだしたが、同意の声は返って来なかった。
どうしてなのかと魔人種たちを見上げれば、彼らは揃って渋い顔をしていた。
「ど、どうかされたのですか。何か、間違ったことを言ってしまったでしょうか?」
「いえ、お気になさらず。……などと言っても納得しないのでしょう。ならば、お答えします。このままでは黒龍に勝つのは限りなく不可能に近いです」
「ど……どういう事ですか!? こんなに、攻めているのに! どうして、勝てないなんて」
『窓』の向こうではオルタナが呼びだしたであろう小さな隕石が黒龍に次々と衝突して行く姿が映っていた。数秒遅れて、隕石が衝突した余波が彼らの居る場所まで届いた。
「ご覧ください。これだけの攻撃を受けても、黒龍の体はどうなっていますか?」
その問いかけに少年は息を呑んだ。『窓』に映ったのは、隕石の衝撃で抉れた肩が凄まじい速度で復元していく姿だった。思い返してみれば、戦いが始まってから負ったはずの幾つもの傷は、全て無かったようになっていた。
潰れた目も、抉れた肉も、千切れた尾も、全てが元通りだ。
「黒龍が持つ力の一つは否定。拒絶の意志とでも呼ぶべきでしょうか。神々の力が及ばなくなった今のエルドラドにおいて、その力は限りなく薄まっていますが、それでも一定以下の攻撃を拒絶し、傷を負った事実を拒絶する事で復元しているのです。そうでも無ければ、《神聖騎士団》を相手に二ヵ月以上も戦えるはずがありません。」
「それじゃ、このまま戦い続けても倒しきれないって事ですか?」
「それもあります。しかし、もう一つあります」
「もう一つの理由。それは、何ですか?」
少年の問いかけに、クリストフォロスは怜悧と呼べる美貌を曇らせて答えた。
「『魔王』フィーニス陛下。『守護者』サファ。『魔術師』オルタナ。確かに彼らは怪物と呼べる存在です。一人で千はおろか、万の敵も、それこそ国を相手にしても戦い抜けるほどの強さを持っています。それゆえに不得手なのです。……一緒に戦うのが」
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