11-53 王を名乗りしもの
視界を埋め尽くすほどの圧倒的な巨体。冬の空を覆い尽くす漆黒の塊が何と呼ばれるのかをリザは知っていた。意識せずに、その名を口にしていた。
「……黒龍。ああ、本当に良かった、作戦は上手くいったんですね、レイ様」
首筋に刃を突き付けられるという危機的状況にもかかわらず、彼女の心は喜びに満ちていた。
今回の作戦における最大の難所。
それが黒龍を偽りの学術都市に引きずり込む事だったのは言うまでもない。黒龍を学術都市までおびき寄せるとして、普通に誘導するのは不可能だった。黒龍に追いつかれないように空を飛ぶ手段が無く、そもそも咆哮を避けながら都市まで引きずり込むという事自体が、立案段階から不可能だった。
そこで登場するのが、カタリナの転移の力を宿したハンドベルである。発動すれば、転移先に選んだ人物の近くまで運んでくれる影が、《リバースワールド》によって作られた偽りの学術都市でも転移可能なのは実証済みだ。
問題は二つ。
ベルを使えるのが三回までという回数制限と、黒龍が大人しく転移するはずがないという問題だ。
回数制限に関しては簡単に解決した。まず、キョウコツがシアラの近くまで転移するのは、《トライ&エラー》のセーブポイント前だから変えようがない。残り二回の内、これまではシアラと合流したキョウコツがジャイルズから逃げるために一回使っていた。この分を節約させた。
シアラがジャイルズにワザと捕まる事で、キョウコツへの興味を逸らし、オルタナがキョウコツをレイの所まで運ぶ。これでベルの使用回数を残したまま、ベルはレイの元に届いたのだ。
残ったのは、黒龍が転移に抗った場合の対処方法という、最大の問題。
話し合いの段階では、具体的な妙案は思いつかず、結局レイがその場の流れをうまく利用して引きずりこむと決めた。
リザとしては、レイ一人で黒龍と対峙するのは危険だと訴えた。せめて自分が、あるいはポラリスも一緒に行くべきだと主張したが、彼女たちには別の役目があるからとレイに断られてしまった。
だから、レイがどんな方法を使ったのか知らない。
知らないが、やはりレイは凄い。誰もが不可能だと思っていた事を、黒龍をこの偽りの学術都市に引きずり込む事に成功したのだ。
「驚愕。成功率は限りなく零に近かったはずなのに。瞠目に値する結果です」
静かに驚きを表しているポラリスに対して、リザは誇らしそうに言う。
「そうです。あれが、私達の主、レイ様なんです」
「……そうか。どうやら、この状況はレイが仕組んでいるようだね」
横合いから聞こえた声は、どこか寒々しさを感じる冷たい物だった。リザの首元に鎌を突きつけていたフィーニスだったが、その手を離した。鎌は地面に触れると同時に形を崩すと、影となってフィーニスの足元に戻った。
もう、彼はリザやポラリスに意識を向けていない。空より落ちてくる黒龍しか見えないとばかりに『魔王』は視線を上にしたまま、口の端を吊り上げた。
「こいつは傑作だ。こんな形で、君と再会するとはね、黒龍!」
途端、リザは肌を突き刺す強い圧に晒される。フィーニスの中に宿る感情が爆発し、辺りを圧倒していた。あまりにも昏く、澱んでいる感情に気圧され、リザは後ずさる。
これと似た感情をリザは知っていた。
憎悪だ。
自分がジグムントに向けるのと同じ種類だが、圧倒的なまでに違う点がある。それは深さだ。底が見えないほど黒い、濁った憎悪が空に居る黒龍に向けられていた。
「あははは! 今日は楽しいね。『魔術師』に『機械乙女』みたいな懐かしい顔に会えたし、孫にも会えた。おまけに、憎くて憎くて堪らない奴とまで再会するなんてさぁ! 記念日にでもしようかな」
傍にいるだけも気が狂いそうになる憎悪の奔流。これを直接浴びせられたらと思うと、リザは背筋が震えるのを止められなかった。とはいえ、レイの予想通りフィーニスの意識は黒龍へと向いている。
フィーニスにとって、レイ達にちょっかいを出すのは目的を達成したついでに過ぎない。不利になれば撤退するだろうし、気まぐれで街の住人を惨殺するような、一歩先が読めない不確定要素の塊。
相手の目的が明確なら、それを妨害する事も出来るのだが、達成してしまっている以上、その手は使えない。だから、フィーニスにとって無視できない存在を用意する事で、レイ達への意識を逸らす。フィーニスにとって、絶対に無視できない相手をぶつける事で、行動を限定させる。
そのための黒龍だ。
「……なんだか、乗せられている気がするけど、まあいいさ。アイツと出会った以上、ぼくに無視するという選択肢はあり得ないからね」
それだけ言うと、フィーニスは建物の壁を蹴って上へと消えていった。
歪な白色が消えると、体にかかっていた圧が消えた。同時に、それまで意識していなかった疲労が表に出てくる。ポラリスと連携していたとはいえ、フィーニスと正面から剣を結ぶのは相当消耗する結果となった。
「警告。黒龍の落下速度が止まりません。早急に待避を推奨します」
何処か他人ごとのようにも聞こえるポラリスの警告に顔を上げれば、黒龍の巨体が先程よりも大きく見える事に気づいた。黒龍は真っ直ぐ落ちてきているのだ。
「た、大変じゃないですか。急いで、逃げないと」
「了承。捕まっていてください」
「え、ちょ、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
返答する間もなく、ポラリスはリザを担ぐとその場を離脱した。
「やっと出れたと思ったら、空の上かよ!」
レイの叫びが偽りの学術都市に響く。影の転移中、黒龍の抵抗によってレイは背中から手を離していた。そのため、黒龍よりも遅れて転移から抜け出し、都市に向かって落下する黒龍の姿を視界にとらえていた。
片翼を失ったからか、コウエンとの戦いで消耗したからか、ともかく黒龍の落下は止まる気配が無く、その巨体は学術都市へと墜落しようとしていた。
レイに、黒龍を支える手段は無いから、指をくわえて見ているしかない。
「頼む頼む頼む。ここが《リバースワールド》で作られた学術都市でありますように」
残った手段は運頼みだ。
リザに頼んだのは、オルタナとポラリスと共にフィーニスたちの行動を監視し、しかるべきタイミングになったら彼らを《リバースワールド》に引きずり込むという内容だ。
フィーニスが学術都市を離れないように監視と、被害を他にまき散らさないための隔離を頼んだのだ。
だが、それに失敗していたらと考えると、恐ろしい話だ。
ここが本物の学術都市なら、何も知らない人々の前上に、破壊の権化たる『龍王』黒龍が落ちてくるのだ。たとえ、黒龍の姿を知らなくても、あれだけの巨体が降ってくると言うだけでもパニックを起こすだろう。黒龍が咆哮を放つだけで、建物が密集した大都市は大打撃を受ける。極論を言ってしまえば、黒龍ほどの巨体が学術都市を横断しただけで大災害だ。
上空からでは人の有無や、建物などが反転しているのか、《リバースワールド》の空間に入っているのか判断できない。
ただ、リザなら上手くやっていると信じるしかないのだ。
「そうだ。コウエン、エトネ、ついでにキュイ! お前ら、どこに居るんだ!?」
レイは一緒に影に飲まれたはず仲間達を探す。転移中、コウエンの巨体が萎んでいくのは感じ取れたが、その後は分からない。視界に、二人と一匹の姿は無かった。
だが、肩を掴む感触にレイは上を向いた。逆光だが、ニチョウの豊かな腹と羽が視界に飛び込んできた。
「キュイ! お前……まさか飛んでいるのか?」
「キュ、キュ、キュウウウ!」
レイの戸惑いを受けて、キュイが鳴いた。
翼を広げて羽ばたく姿はどこか雄々しさすら感じる。
信じられないとばかりに言ってしまうが、すぐに否定された。
「ちがうよ。飛んでるじゃなくて、すべってるんだよ」
キュイの背から顔を出したのはエトネだ。彼女の無事に、レイは胸を撫で下ろす。
「エトネ、無事だったか。滑ってるって事は、滑空しているって事か。こいつが自分で飛べるわけないか。それで、コウエンは?」
「だいじょうぶ。コウエンちゃんも、こっちにいるよ」
「そうか。そいつは良かった」
「でもね、すごく辛そうなの。息もきれぎれで、苦しそう」
エトネが不安そうに告げた。
無理もない。黒龍と相対しているだけでも『七帝』の持つオーラで精神が削れていくのだ。一分足らずとはいえ、正面から黒龍とぶつかり、その上《全力全開》を発動したのだ。余力が残っているとは思えない。生きているだけで十分と言えた。
「よし、分かった。なら、まずはどこか適当な場所に着陸してリザ達と合流しよう。黒龍とフィーニスの戦いが始まったら、合流する時間も無くなってしまう。あの辺りがよさそうだな」
黒龍の背後の方角にある建物を指し示すと、キュイの体が傾いた。器用にも空を切るようにキュイは移動する。背に乗ればさぞや快適な光景なのだろう。
ちょっと想像して乗ってみたくなった。
「おい、キュイ。ちょっと背中に乗せろよ」
「キュ!」
短い返答に込められた意味は、言葉が理解できなくても通じた。相も変わらず、男に触れられるのですら嫌がるニチョウだ。爪で掴んでいるのだって、ある意味奇跡なのだろう。
ゆっくりと旋回しながらようやく目的地に降り立った。危うくキュイの下敷きになりそうだったのは、忘れられそうにない。
「危ない危ない、と。エトネ、コウエンの様子は?」
「それが、スライムに戻っちゃったの」
キュイから降りたエトネは抱えていた生物を持ち上げた。紅蓮の色をしたスライムがプルプルと表面を震わしていた。人の姿を保つことも出来ないのだろう。
「おい、コウエン、コウエン! しっかりしろよ! おい!」
一瞬、かつての別れを思い出してしまう。自分の存在理由を疑い、消えようとしていたレイを助けた代わりに、存在を保てなくなって消えたコウエン。再び、あの別れが来るのかと焦るレイを鎮めようと別の声が投げられた。
「大丈夫よ。エネルギーの消耗を抑えるために、無理のない姿に戻っているだけで、ほっといても回復するわよ」
「そうか。それなら良かった。……本当なのか、ハヅミ」
萌黄色の瞳の縁が青く輝いている。彼女は力強く頷きつつも、疲弊を隠せないでいた。
「とはいえ、私もコウエンもここまでね。もう、力は使いきったわ。あとは、貴方達で頑張ってね。……うん、分かったよ。ありがとうね、ハヅミ」
自分の中に戻った友達にエトネは感謝と別れを告げた。
「それで、この後はどうするの? それに、シアラおねいちゃんや、リザおねいちゃんは?」
「彼女たちは……どうなっているかな。予定だと、リザ達と合流する所なんだけど」
「お待たせしました、レイ様!」
出番を待っていたかのように空から降りてきたのはポラリスに抱えられたリザだった。彼女はポラリスの腕から飛び降りると、華麗に着地をした。
「ご無事そうで何よりです。エトネ、キュイ……コウエン様はどうしたのですか?」
「彼女は大丈夫だ。力を使い過ぎて、少し休んでいるだけ。それよりも状況説明を頼む。いま、どうなっているんだ」
心配そうにするリザを遮ると、彼女は黒龍の方を向いた。
「概ね、作戦通りに進行しています。シアラは予定通り、フィーニスに捕まったのをオルタナ殿が確認しています。そのオルタナ殿はジャイルズを足止めしており、フィーニスが黒龍の方へと向かいました」
肌に纏わりつく空気で、ここが魔法で作られた空間だとすぐに気づいた。反転した世界、《リバースワールド》によって生み出された偽りの学術都市を押しつぶしながら、黒龍は着地した。
足元で建物が瓦礫となっていくのに何の感慨も湧かないでいた。
仮にここが本物の世界で、無数の人々が足元で潰されていたとしても同じだ。
「オルタナの生み出した空間か。あ奴め、斯様な箱庭を作り出して、何を遊んでいるのだ」
同盟者の行動に不審を抱くが、何かしらの理由があるのだろうと推測する。オルタナがどの辺りに居るのかは、大よそながら見当はついていた。事の詳細を直接訪ねればいいだろうと考えた黒龍だったが、正面に現れた存在を前に足を止めた。
牙がこすれ合い、不機嫌そうな声色で敵の名を告げた。
「今度こそ貴様か。フィーニス」
「何の話か知らないが、ぼくだよ、黒龍」
レイと同じ影の鎧をまとったフィーニスは、頭部だけは晒していた。白髪がフィーニスの感情に呼応するように揺らめき、金色の瞳は昼間だというのに怪しく輝いていた。
「三百年の監禁生活を終えた途端、あちこちに出向いているようだね。今日はなんでまた、学術都市なんかに来たのかい。もしかして、いまさら一般常識でも学ぼうとしているのかい。だとしたら、手遅れだと言わせてくれ。君の救世論並にどうしようもないよ」
「貴様に説明する道理はあるまい。貴様とて、いまさらこの地に何の用だ。失った者を偲び、供養の花でも捧げに来たのか。それとも、過去を懐かしみ旧き土地を巡っているのか。ならば、真っ先に赴くべきは北の大地であろう。死した貴様の民が、貴様を待っていよう」
「いずれは帰るさ。でもその時は、君の首を捧げると決めてあるんだ」
「この首を、貴様が? 馬鹿らしい。貴様とて、無知蒙昧な民を率いた王であるなら現実に即した瞳を持て。王の目が節穴ならば、扇動した先は溶岩が煮えたぎる火口だぞ。民を殺したいのなら、話しは別だがな。……いや、もう率いるべき民を持たない王だったな」
黒龍の瞳に浮かぶのは哀れみの色だ。何もかも失った『魔王』の在り方に憐憫の情を抱いていた。
「どうして貴様はそうまでして生きる。民を失い、国を亡くし、友は去り、救済の道は閉じた。我が貴様なら、絶望と恥辱から自ら首を刎ねていよう」
「そいつは、お前が王じゃないからだ」
フィーニスの顔を影の鎧が覆っていき、闘気が高まっていく。呼応するように黒龍も片翼を広げた。
「王は民に望まれない限り、自らの意志で死を、終わりを選ぶ権利はない。最後の一瞬まで、王としてあり続ける。それが王としての宿命だ。龍の王と呼ばれながら、貴様は最後まで王とはなりえなかったな」
「哀れだ。実に哀れだ。貴様のような矮小な存在が魔の王となったがゆえに、貴様の国は滅んだ。貴様は背負うべきでは無かった因果によって、過酷な旅路を歩む事になったのか。ならば、我が貴様の救済の導き手となろう」
偽りの学術都市が恐怖に震える。両者の放つ闘気がぶつかり弾けて、世界が揺れているのだ。
『魔王』と『龍王』。
『七帝』の二つ名を冠しながら、奇しくも王を名乗った怪物達が、偽りの学術都市を舞台に激突する。
読んでくださって、ありがとうございます。




