11-52 サイコロの目は 『後編』
人造モンスター。
魔人種最大の裏切者にして、魔人種が誇る優秀な科学者だったカタリナの生みだした生命体は、間違いなく歴史に名を残す存在である。ベースはスライム系モンスターを使い、多種多様なモンスターの遺伝子情報を組み込み、状況に応じて取り込んであるモンスターの特性を引き出せる。一体のモンスターが十体、二十体、百体分の力を発揮できるのだ。
これが量産されれば、あるいは今頃地上に君臨しているのは魔人種だったかもしれない。しかし、人造モンスターは一体を除いて失敗に終わった計画だった。
肉体は完成したが自我は目覚めず、魂が生まれなかったのだ。
外部からの電気信号を入力する事で、取りこんだモンスターの姿形に変身するようにはなったが、自発的な変身や行動を望むのは難しく、当初の計画であった人造モンスターによる軍団は失敗。
「これが本当の仏作って魂入れず、ってことかー。いやー、失敗失敗」
と、巨額の研究費を費やした研究が失敗したにもかかわらず、悪びれもしないカタリナの言葉を理解できた者は居なかった。
ともかく、人造モンスター計画は偶発的に自我を生みだしたディオニュシウスを除き、計画は凍結。残された人造モンスターは、任意のモンスターの部位を出現させることで簡単に魔道具の材料を取るための苗床となった。
唯一の成功例であるディオニュシウスは、フィーニスに認められ力を与えられたことで、人造モンスターとしての力よりも六将軍としての力に目覚めていった。
だから、人造モンスターの持つ真価を、正しい意味で発揮したのはコウエンだけだった。
彼女は捕食したモンスターの特性を再現する。
そして、今回彼女が取りこんだモンスターは、上級モンスターのミラースライム。その特性はシンプルだ。
対象の姿形、力量、能力を複製する。
それはどれだけ相手との力量差があろうと発動する特性だった。
「馬鹿なっ! 我が、もう一体だと!」
何十、いや何百と繰り返したが、黒龍がこれほど狼狽した所をレイは知らない。
ようやく、サイコロの目が六を出したのだ。
レイがこれまで繰り返してきた事は単純だ。ミラースライムを影法師によって倒してもらったら、その肉体を影で包み込んで回収し、コウエンに食べさせる。
たったそれだけだ。
たったそれだけの事を成功させるのに、恐ろしいほどの数の失敗と屍を積み上げる事になった。影法師に言った通り運否天賦の領域。コウエンがミラースライムの特性を習得するかどうかは運任せだった。
一月に渡る『紅蓮の旅団』との合同訓練会の時、コウエンに何体ものモンスターを捕食してもらった。しかし、特性を会得できたのは僅か一体だけだった。会得する条件があるのかどうかすら、不明なのだ。
もしかしたら、ミラースライムの特性を習得する事は不可能じゃないだろうか。そんな考えが何度も頭をよぎった。不安に苛まれ、精神が音を立ててすり減っていくのが分かる。死を繰り返すうちに生と死の境界が曖昧になっていき、生きているのか死んでいるのか、そんな事の区別すらつかなくなってくる。
だが、ようやく。
ようやく、報われるのだ。
「黒龍ッ!! 其奴は妾の所有物なのでな、返してもらうぞ!」
コウエンは鋭い牙が覗く口を大きく開くと、黒龍の腕に噛みついた。鱗に阻まれて噛み千切るとまでは行かなかったが、それでも押しつぶそうとする圧力が弱まった。
その隙に、レイは脱出すると飛翔した。
「誰が君の所有物だ!」
「世迷い事を叫んでいる場合か! はよう、指示を出さんか、この戯け者!!」
黒龍となったコウエンが苦しそうに喘ぐ。黒龍はコウエンの首を掴み、無理やり引き剥がしたのだ。そのまま捕まえたコウエンに向けて黒い咆哮が放たれ、彼女の顔面は爆炎に包まれた。
「コウエン!」
思わず名前を叫んでしまう。黒龍の咆哮がどれほど危険なのか、レイは身をもって体験していた。骨どころか、魂すら燃やし尽くしかねない熱量は、龍刀の熱に慣れたレイですら想像を絶していた。
それが直撃したのだ。首から上が吹っ飛んでいても、なんら不思議ではない。
だが、纏わりつく黒い炎を突き破って現れたのは、こちらも漆黒の炎だった。
「ヌウゥ。この威力は正しく我の咆哮。認識を惑わす類の術式では無く、本当に我と同じ存在になったというのか」
咆哮を浴びた黒龍は身を仰け反らせて、自分の炎の威力を体感して、一歩退いた。
あの黒龍が、退いたのだ。
「良し、良し、良ぉし!」
状況を忘れて、レイは拳を高く突き上げる。それだけ胸のすく光景だったのだ。
あれだけ、自分を含めた全てを塵芥のように払っていた黒龍が、たった一歩とはいえ退いたのを見て、全てが報われたように思えた。
だが、感傷に浸る暇は無い。直撃を浴びたはずなのに、黒い炎は黒龍の鱗に吸い込まれるようにして消え、岩の亀裂に似た瞳には怒りが滲んでいる。
「不快だ。此処まで不快にさせられたのは久方ぶりである。よもや、我の姿形を真似るとは。そのような手管で、我に勝てると本気で思っているのだとしたら、その思い上がり事、吹き飛ばしてくれる!!」
鱗が逆立ち、黒龍の雰囲気が一段と禍々しくなる。迸る殺意で、周りの空気が歪んでいるように見えるのは錯覚であってほしい。
「それで、策は?」
短い問いかけに、レイも短く応じた。
「全力を出し切ってくれ」
明確な指示を出さず、具体的な目標を定めず、倒せとも言わないレイに対して、コウエンは訝しげな視線を送った。
「……成程のう、それであれを渡したのか。承知した。どうせ、長くは戦えまい。最後は華々しく散ろうではないか」
コウエンの変身能力は時間制限がある。一瞬ならあまり問題は無いのだが、長い時間そのモンスターの姿形になっているとエネルギーを著しく消耗するのだ。中級モンスターなら四、五分。上級モンスターなら一分。超級モンスターなら十秒程度で蓄えたエネルギーを使いきってしまう。
ミラースライムは上級モンスターとはいえ、彼女が取りこんだのはボスモンスターである。それも、変身している対象は黒龍。果たして一分持つかどうかは、限界を迎えるまでは分からない。
とはいえ、賽は投げられた。
後は、その場その場で対応していくしかない。
すると、睨みあっていた二体に変化が生じた。黒い夜空に似た翼を羽ばたかせると、コウエンの巨体が宙に浮かぶ。そして、大地を舐める様に低空飛行して黒龍に衝突したのだ。短い距離だが凄まじい速度が出たのだろう。辺りは竜巻が通ったかのように荒れ果て、黒龍との衝突時には衝撃波が起きた。
だが、黒龍はどっしりと構えて、コウエンの体当たりを受け止めた。
先程とは違い、微動だにしない。
すると、黒龍の体から黒い光の粒が浮かびだした。それが、何の攻撃の前兆なのか知っているレイは叫んでいた。
「稲妻が飛ぶぞ、気を付けろ!」
しかし、警告は黒龍の放った轟雷によって掻き消された。地上から空に向かって走る黒い稲妻は、空から落ちてくる雨のようにコウエンに降り注いだ。黒い鱗が稲妻の輝きを受けて鋭く光っていた。
直撃すれば死を免れない雷の雨は、次第にコウエンの体に纏わりついていく。コウエンの体を軸に、雷が渦を巻き、今度は至近距離で組み付いている黒龍へと直撃した。
稲妻は黒龍を貫通し、背後にあった山の一部を砕いて消えた。
今度は黒龍の鱗が雷を帯び、肉が焼ける臭いが充満していく。一撃一撃がとてつもなく重く、レイが喰らえば致死は免れない威力を持っているというのに、まだ余力を残している。
どちらも苦悶の悲鳴は上げない。
そんな物を上げた方が負けだと言わんばかりだ。
代わりに、コウエンは口を開き咆哮を放とうとする。だが、黒龍の前腕がコウエンの頭と顎を抑える。放たれるはずだった炎は行き場を無くし、牙の隙間から炎が零れる。そのまま、黒龍はコウエンの巨体を持ち上げ、地面へと叩きつけた。
何度目になるのか分からない地揺れが辺りを襲う。
そのまま、足でコウエンを抑えようとするも、コウエンは尻尾を伸ばして軸足を絡め取ると一気に引っ張った。黒龍の体が傾き、地面に倒れこんだ。すかさず、コウエンは黒龍の体に圧し掛かると、不発に終わった咆哮を繰りだそうとする。黒龍もまた、それを予期していたように倒れながら口を開いた。
両者は同時に咆哮を放った。
黒龍の破壊の力が詰まった一撃が、互いの至近距離でぶつかり爆発を起こす。
それも一発では無かった。
生まれた爆炎を掻き消すように、内側から新しい爆炎が華のように開いていく。
一発、二発、三発、四発、五発。
正気とは思えない。互いに爆発のダメージを承知の上で、咆哮を放っているのだ。
退いた方が負けと言わんばかりの零距離射撃は、互いに致命傷とならない事に気づき、別の技に切り替わる。
不規則な軌道で広がる爆炎が、二つの流れに沿って集まっていく。
黒龍とコウエンは、互いに同じ攻撃を選択していた。
握られた拳に炎が圧縮して取りこまれていく。全てを塗りつぶすかのような黒い炎に包まれた拳が、互いに向けて振り抜かれる。当然、その軌道を邪魔するように拳は走り、激突した。
圧縮されていた炎が解放され、辺りへとまき散らされる。
あまりの威力に倒れていた黒龍は大地にめり込み、圧し掛かっていたコウエンですら後ろへと吹き飛ばされてしまう。
一分にも満たない時間で、辺りの光景は様変わりしていた。大地は、何度も皿を落としたかのようにひび割れ、場所によっては高さにずれが生じていたり、巨大な亀裂が走っている。表面は炎と稲妻でこれ以上なく焼かれ、高熱を発しているのか蜃気楼のような揺らめきが生じている。
エトネとキュイ達が居る場所は、辛うじて被害の範囲から逸れている。それでも、完全に安全地帯とは言えないのが恐ろしい話だ。
とはいえ、この戦いも終わりが近い。一分にも満たない時間ではあったが、いずれは一分を迎える。
コウエンには時間制限がある。シンデレラの魔法が解ける様に、黒龍の姿は解除されてしまう。その前に、決着を付けなくてはいけない。
大地に四肢を突き刺して構えるコウエン。逆立った鱗から青白い光が泡のように浮かび上がる。あの一撃を放つつもりなのだと、レイは直感した。
同時に、黒龍も同じ構えを取り、同じ現象を起こしていた。
両者の間の空気が、これ以上ないほど膨張していき、弾けようとした瞬間に放たれた。
一瞬、世界から音が奪われる。直後、放たれた熱線が生み出した暴力的なまでの轟音が、音を塗りつぶしていたのだと気づいた。
それまでの咆哮とは違う、炎を極限まで凝縮させた熱線。触れた物を形も残さず削り取る、黒龍が放てる最大級の破壊力だ。世界を切り裂く刃が、ほぼ同じタイミングで放たれた。
初めて黒龍と遭遇した時、リザやレイ達を一瞬で溶かした熱線が、紐で結びついたようにぶつかり合う。両者の距離の、丁度中間で拮抗していた。
これは、ミラースライムの持つ特性ゆえの当然の結果である。ミラースライムは相手の姿形だけでなく、力量や技を複製する。黒龍の姿を模った以上、コウエンに黒龍以上の破壊力を使用できる道理は無い。むしろ、このまま行けばエネルギーを使い果たして元の姿に戻ってしまう。
どう考えても不利な状況だ。
なのに、レイは動じていない。淡々と、二つの熱線が均衡を保つ状態を眺めていた。
そして、その時が来た。
保っていた均衡が、僅かに揺らいだのだ。熱線のせめぎ合いが、僅かにだがコウエンの方に迫っていく。彼女の巨体が、明らかにひと回り縮んでいるのが分かる。遂に、エネルギーが切れて、ミラースライムの特性を維持できなくなってきたのだ。
当然、熱線を通じて黒龍も異変に気づいていた。気づいたうえで、黒龍は攻撃の手を緩めるようなことはしない。滅ぼすと決めた以上は、全力を出し切る。
滅びこそが救済であり、救済こそが自らの為すべき使命。故に、手を抜くのは自らの使命に背く事であり、自らを否定するのと同義。だから、黒龍は敵と認識した格下のレイやリザ達が相手でも、手を抜こうとはしなかった。
それが黒龍という存在の本質だ。
だが、ほんの一瞬だけ、視線を横に滑らしていた。コウエンの限界を察して、レイが何かを仕掛けるのではないかと警戒したのだ。
―――その隙を、コウエンは待っていた。
緩やかに、しかし確実にミラースライムの特性が保てなくなっていく体を叱咤し、叫んだ。
「《超短文・超級・全力全開》!」
コウエンの叫びに応じる様に、取りこんでいた紫色の指輪が発動した。詠唱を引き金に、刻まれた魔法文字が溜めこんだ魔力を触媒に魔法を発動し、力の奔流がコウエンの体に注がれていく。
レイがミラースライムの肉体を入れた瓶と共に渡していたのは、《全力全開》が刻まれた指輪だった。彼女は黒龍に変身する際、その指輪を体内に取り込んでおいた。
ミラースライムを体内に取りこんだ時点で、彼女はレイの目論見をある程度まで予想していた。黒龍に変身できるとはいえ、黒龍以上の強さになる事は出来ない以上、何かしらのプラス要素が無ければ勝利は難しい。レイやエトネが加わったとしても、焼け石に水だ。
だからこその、《全力全開》。発動すれば、全能力値が一分間だけアップする魔法。
先程、レイが口にした全力とは、この指輪を使えと言う隠れたメッセージだった。
失われつつあった力が取り戻される。それどころか、更に増していくのをコウエンは感じていた。熱線のせめぎ合いも、明らかに違っていた。コウエンの方に近づいていたのが、急速に黒龍の方へと傾いていくのだ。
黒龍も懸命に抗おうとしているが駄目だった。
ミラースライムの作る複製は、正しい意味でオリジナルその者だ。黒龍に扮するコウエンが全開で放った熱線は、黒龍が放った熱線と同等の威力であり、それを越える力を黒龍は発揮できない。
熱線の打ち合いでは勝てないと黒龍は気づくと、素早い対応を取った。
黒龍は熱線を消すと、すぐさま回避を取ろうとする。だが、四肢を大地に突き刺しているため、回避が間に合わずに熱線が僅かに掠めてしまう。
黒龍の右翼。その付け根の辺りをコウエンの熱線が薙ぎ払った。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォ!!」
絶叫は噴火のように辺りを震わす。黒龍の堅牢な鱗といえど、あの熱線を受け止める事は出来ず、大地を棒でひっかいたように肉は抉れていく。翼の付け根は彫刻刀で削ったような跡が残り、片翼が力なく大地に落ちた。
ようやく、大ダメージを受けた黒龍。その隙を逃すような甘い判断を、コウエンはしない。《全力全開》の効果が残っているうちに、決着を付けようと翼を羽ばたかせる。
しかし、重傷を負った黒龍は、予想を遥かに上回る化物だった。片翼をもがれ、体の表面を抉られているというのに、開け放った口から二度目の熱線を繰りだしたのだ。
空を低空で飛行するコウエンを熱線が狙い撃つ。
流石に、一度目に比べれば威力は弱く、照射時間も短い。あっという間に消えてしまったが、宙に浮いたコウエンの足をもぎ取るだけの威力はあった。
大地に身を投げ出すコウエンを前に、黒龍の背中が青白く発光する。三度目の熱線を放つ構えを取ろうとしていた。
だが、その一撃が放たれるのを阻止しようと動いていた存在を、黒龍は失念していた。
「悪いけど、これ以上はやらせない!」
「貴様ッ、いつの間に我の背に!」
声は黒龍の背中に降り立ったレイの物だった。熱線の余熱が収まらない背に立つレイは、黒龍がこれ以上消耗しない内に次の手順に入った。
「悪いが大人しく飲み込まれてもらうぞ」
取り出したのは、古びたハンドベルだ。レイがそれを鳴らすと、今までの激闘にそぐわない清涼な輝きが辺りを包み込み―――闇より昏い影が大地に生まれた。
「これは、フィーニスの転移か。貴様、我をどこに連れて行くつもりだ!」
「そいつに関しては、行ってからのお楽しみだ」
これまでとは比較にならない大きさの黒い影が、黒龍の巨体を飲み込んでいく。底なし沼に落ちていくように沈む黒龍だったが、痛む体を動かして抗おうとしていた。
自分と同じ存在と戦い、軽傷とは言えない傷を負っているにも関わらず、まとわりつく影を引き剥がし、大地を掴もうとするのは驚異的としか言えない。
しかしながら、この展開をレイは知っていた。
「悪いが、やっと此処までこれたんだ。今度こそ大人しく、飲み込まれてもらうぞ!」
これまでにも数えきれない失敗の中で、どうにかハンドベルを発動する所までは漕ぎついていた時間軸もあった。ほんの、僅かな隙を突いて、背中に取りつきカタリナのベルを鳴らす。影が黒龍の足元で広がり、巨体を飲み込もうとする。しかし、黒龍が黙って飲み込まれる訳が無い。影を引き剥がし、大地に手をかけ、辺り一面を漆黒の炎と稲妻の海に変えるほどの抵抗を繰り返す為、黒龍を転移させるのは失敗に終わっていた。
不可能ではないかとさえ、何度も思った。
だが、今回は違うのだ。
自分と同じ存在と戦い傷を負って消耗している黒龍は、レイの炎ですら満足に対処できない。炎の斬撃を浴びて、地面を掴む手に力が無くなっていく。
既に胴体は半分以上浸かり、地面を掴んでいるのは片腕だけだ。
「このまま押し込んでやる!」
「待て、馬鹿レイ! 様子が変だ!!」
斬撃を繰りだそうとしたレイを止めたのは、影法師の声だった。影法師に言われて、全体を俯瞰で見ると、黒龍が奇妙な行動を取っているのに気づいた。首を折り曲げ、下の方を向いているのだ。顔は影の中にどっぷりと浸かっている。
そして何より、僅かに見える背中が青白く発光しているのだ。
「黒龍の奴、どうして下を向いて……おいおい、まさか、アイツ。いや、そんな事が出来るはずがない!」
狼狽しながら叫ぶのは、喉まで出かかった可能性を誤魔化す為だ。
思いついた可能性を口にするのが恐ろしかった。口にすれば最後、それが現実となるのではと思ってしまう。
現実は非情だ。
レイが口にしようとしまいと、起きるべき事は起きてしまうのだ。
黒い影から轟音が響くと、黒龍に異変が起きた。
影に飲み込まれようとしていた黒龍の体が持ちあがったのだ。あろうことか、地面を掴んでいた手が浮き出している。
胴体も半ばまで浸かっていたのが持ちあがっていくと、何が起きていたのか理解できた。
あり得ない現象を引き起こしていたのは、黒龍の熱線だ。
三度、発射された熱線は黒龍の体を持ち上げていたのだ。四肢を地面に突き刺さないと発動できない程の威力という事は、発動時の反動が凄まじいという事になる。それこそ、黒龍自身の巨体を動かすほどに。
最初から、こうなる事を計算していたのか、あるいは、この影を破壊しようと発動したのかもしれない。
どちらにしても、スペースシャトルが宇宙に向かって浮かぶように、黒龍の体が真上へと持ち上がっていく。
「ふざけんな! 何度も何度もサイコロを振って、ようやくコウエンがミラースライムの特性に目覚めて、やっとここまで追い詰めたんだぞ。それが、そんなのありかよ!」
冷静さをかなぐり捨てて、レイは叫んでしまう。
それだけ、非現実めいた光景なのだ。しかし、現実として起きている以上は、対処しなくてはならない。レイは龍刀に炎をまとわせると、それを推進剤として一気に黒龍へと体当たりをした。真上へと脱出しようとする黒龍を下に押し込めようとしていた。
だが、力の差は歴然としていた。
三発目だというのに、どこにこれだけの余力を残していたのか。もしくは、黒龍も必死なのか。黒龍の体はじわじわとせり上がっていく。カタリナの影がどこまで持つのか分からないが、限界はあるだろう。
「くそっ、ここまで、なのかよ! ここまでやっても、届かないのかよ!」
己の無力さに歯噛みする。まさにその時だった。
天から、二つの声が響いたのは。
「この程度で諦めるとは。だから其方は戯け者だぞ」
「本当に同意よ。これぐらいで、一々諦めないでちょうだいよ。折角、この子が見込んだんですから、貴方にはそれに応える義務があるのよ」
途端、二つの力が加わった。
一つはコウエンだ。
足を吹き飛ばされ、限界が近いため変身が解けつつある満身創痍の姿ではあるが、黒龍の巨体を辛うじて維持していた。熱線で持ちあがる黒龍の体を上から押さえつけようとする。
そして、もう一つの声は耳に馴染みのある声だった。
「エトネ、じゃない。君は《ミヅハノメ》か」
「そうよ。相変わらず、綱渡りの連続ね。それも今回は黒龍が相手なんて、相当な不運の星の持ち主よね、貴方」
空中を流れる水に乗って、いつの間にかキュイに乗ったエトネが黒龍の背中に降り立っていた。エトネの萌黄色の瞳は、縁が青く輝いている。彼女の中に宿るハヅミが、《ミヅハノメ》となって憑依しているのだ。
「どうして、君までここに来ているんだ。状況は分かってるだろ。エトネは安全な場所に居るべきだ」
「その言葉をそっくりそのまま返すわよ。この状況で、この子が黙って見ていると思うの? 仲間の危機を前にして、安全地帯に居るのを良しとする子だと思ってるの。もしそうなら、とんだ間抜けよ」
エトネは黒龍とコウエン、そしてレイの戦いに自分が介入できないのを悟ると、安全地帯にまで下がっていた。仲間の足を引っ張らないように、きちんと判断をしていた。その上で、自分にできる事は無いかと、神経を張り巡らしていたのだ。
黒龍が影に飲み込まれていくのを見た瞬間、彼女は今こそ自分の出番だと親友を呼び寄せたのだ。
「仲間を思う気持ちが間違っているなんて、誰にも言わせないわ。だから、この子の判断が正しかったとするために、私は力を振るうわよ」
そういうと、エトネの体を借りている《ミヅハノメ》は天に向けて指を伸ばした。
空を見上げて、レイは驚いた。
「ここが内海に近くて助かったわ。じゃなければ、流石の私でも短時間でこれだけの水は集められなかったわね」
黒龍同士の争いで荒れ果てた大地の上で、空を覆い隠すほどの水の塊が浮かんでいた。
それは海水だ。一部が吹き飛んだ山を隔てた向こう側から海水を汲み上げて、ここまで呼び寄せたのは、水の精霊だからできる荒業だ。巨大な水の塊は、蛇のように伸びていくと黒龍の頭へと近づいていく。熱線を放つ口元を水で覆ったのだ。
じゅう、と。蒸気が辺りを白に染める。高温のスチームだが、レイ達の体を水の膜が取り囲むため、熱は届かない。熱線は海水を蒸発させるが、確実に威力が弱まっていく。次々と海水が熱線を弱めていき、遂に消えた。
途端、黒龍の体が黒い影に飲み込まれた。同時に、黒龍を押し込めようとしていたレイ達をも引きずり込む。もう、脱出するタイミングは無い
そして、全員が影の表面から消えると、転移の影は忽然と消えてしまった。
コントロールを失った海水の残りが降り注ぎ、ひび割れて荒れ果てた大地に染み込んでいく。激闘の爪跡は激しく、ここに黒龍が居た証として片翼が残されていた。
読んで下さって、ありがとうございます。




