11-54 名無しの技
フィーニスの影はフィーニスの憎悪を糧としている。
本人の中に宿る憎しみ。魔人種という流浪の民に生まれ、故郷を追われ、土地を持てず、為政者に使われ、民を奪われ、国土を蹂躙され、世界から背を向けられた事で力は深まってきた。
だからだろうか。黒龍の前で構えた瞬間、レイやポラリス、オルタナを相手にした時とは全く違う形に影が変化していく。体格が一回りも二回りも膨れ上がり、血管のように表面が脈動している。背後の空中には、黒い球体の影が僕のように付き従っている。
まるで、フィーニスの黒龍に対する憎しみが、そのまま形となったような異形。怪物じみた姿のフィーニスが跳躍すると、拳を振り上げた。応戦する黒龍も拳を振り上げ、フィーニスを叩き潰そうと振るわれた。
衝撃が偽りの学術都市を揺るがす。
比べるのもおこがましいほどのサイズ差があるにも関わらず、フィーニスと黒龍の拳は弾かれることなく拮抗していた。
その光景は、先程のコウエンと黒龍の激突を思わせる。ミラースライムの特性を得た事で、黒龍と同等の力と姿を複製したコウエンが、黒龍と同じだけのパワーを発揮して拮抗したのは理解できる。だが、それと同じ光景をフィーニスが演じているという事は、フィーニスの力が黒龍と同等という証明になってしまう。
いや、それどころか、更に目を疑う光景が続いた。
二回りは膨れ上がっているとはいえ、人間サイズのフィーニスは黒龍の拳を掴むと、それを足場に更に跳躍した。付随する黒い球体の一部が伸びて、フィーニスの跳ぶ足場を作りだした。
あっという間に黒龍の顔に近づいたフィーニスは、黒龍と同等のパワーを容赦なく振るう。遠く離れたレイ達の元にまで、黒龍の顔面を殴り飛ばした音が聞こえた。
続けて、フィーニスは黒龍の顎に移動すると、影を踏み台に上に向けて蹴りを放つ。顎にクリーンヒットし、黒龍の巨体が僅かに持ちあがった。そして、黒い球体が大きく形を変える。
大きさにして、黒龍の全長と同等にまで膨らました剣を、フィーニスは担ぐように掴むと、一気に突き刺したのだ。
龍の腹に影の剣が突き刺さる。
レイがどれだけ手を尽くしても、表面を削るのが限界だった鱗を容易く裂いたのだ。
圧倒的なまでの暴威だったが、暴力なら黒龍も負けてはいない。更なる攻撃を加えようとしていたフィーニスを捕まえると、地面に叩きつけた。フィーニスの体が地面の上で何度か跳ねる。影の鎧は衝撃を吸収するが、それにも限度があるのをレイは知っている。レイだったら、あの時点で内臓が破裂しているか、良くても骨が何本か砕けているだろう。
もちろん、黒龍がこの程度で止まる存在じゃない。鋭い刃のような尾を振るい、手近にあった建物の根元を切ると、それを掴んだのだ。
「建物をあんな風につかむなんて」
遠目からでも六階建てか、七階建てぐらいはありそうな建物を、こん棒を掴む様にして持ち上げる黒龍は、あろうことかそれをフィーニスに向けて振り下ろした。虫を見つけた人間が新聞紙で叩くように、建物を地面に向かって叩きつける。
建物はあっという間に瓦礫へと変わる。
小高い丘のように積み上がった瓦礫を突き破って、フィーニスが突進する。だが、それを予期していた黒龍は丸めた翼を広げて、フィーニスを弾き飛ばした。
フィーニスは建物を突き破って吹っ飛んでいく。人の形をした穴に対して身構えた黒龍の表面を、漆黒の稲妻が走る。次の瞬間、帯電していた稲妻が一塊となって、フィーニスの開けた穴へと放たれた。咆哮よりも速度のある一撃は、半壊だった建物を完全に破壊していく。だが、まだ飽き足らないとばかりに黒龍は咆哮を放った。
一発、二発、三発と続けざまに放たれた咆哮は着弾すると燃え広がり、一気に炎の竜巻を生みだした。周囲を飲み込み燃やしつくす炎の塊は、しかし、中心に現れた黒い影に吸い込まれていく。
フィーニスの影だ。瓦礫の上で、フィーニスが球体を支える様に手を伸ばしていた。
球体は炎を飲み込み、膨れ上がっていく。表面は振動を繰り返し、今にも破裂する爆弾のような恐ろしさを感じる。誰が見ても臨界寸前の球体が黒龍に向かって投げつけられた。
黒龍は避ける事も防ぐ事もしない。球体に全身が飲み込まれても抵抗をしなかった。
一瞬の静寂が偽りの学術都市を満たす。
それは、ほんの刹那の、まるで時間が止まったかのような光景だった。次の瞬間、世界を破くような音を立てて、球体が内側から千切れ飛んだ。
黒龍が力の塊を、更なる力を使って食い破った。
「……信じ、られません。あれだけの攻撃を受けて……無傷なんて……そんな」
悪夢だと言わんばかりに呻くリザの気持ちに共感できる。レイも同じだった。フィーニスや黒龍と剣を交わしていて、彼らが一度たりとも本気を出していないのは気づいていた。
だが、彼らの本気がこれほどまでに凄まじいとは、想像もつかなかった。
同じ思いを抱いてるであろうエトネは、言葉も無く怪物達のぶつかり合いを見つめていた。ただ一人、彼らと同列に扱われる怪物が冷静な批評を下す。
「解説。無傷ではありません、ミス・エリザベート。ミスター・フィーニスも黒龍も、どちらも消耗しております。特に、黒龍は当地に現れる前に負傷したのが影響。全力時よりもパワーが三割減となっています」
「コウエンと戦ったのが効いている訳か。それで、このままフィーニスと黒龍が戦いを続けたら、どっちが勝つんだ」
ポラリスの瞳が一瞬輝くと、彼女は確信めいた面持ちで告げた。
「回答。揺るぎようも無く、黒龍が勝利するでしょう」
フィーニスは付き従う球体を複数の剣に分裂、変形させた。黒龍の腹に突き刺さった物ほど大きくはないが、十分な破壊力を持つ。
それらを一斉に指揮して、黒龍に向けて滑らす。あたかも指揮者のように振るわれる指先に合わせて、分裂した剣が黒龍を襲った。鱗を裂き、その下にある肉に刃が迫る。
だが、黒龍は煩わしいとばかりに、自分に突き刺さった大剣を引き抜くと、宙を浮かぶ剣の群れを薙ぎ払った。
そのまま、自らの血を吸った大剣をフィーニスに向けて投擲する。
悔恨するも時遅し。黒龍の大剣が、巨大な質量を持った塊が高速で飛来した。
切っ先がフィーニスを捉え、フィーニスの体は建物を幾つか貫通して止まった。鎧の表面の厚みを増していたため、体が千切れ飛ぶことは無かったが、それでもダメージは重い。
だが、フィーニスは足を止めない。
影を使うほど、憎悪は激しくなっていく。
己に宿る、民の無念の叫びが聞こえてくるのだ。
どうして、守ってくれなかった。
どうして、助けてくれなかった。
どうして、見捨てたのか。
どうして、どうして、どうして。
「違う、違う、違う! ぼくは、ワタシは、君達を、お前たちを見捨てたんじゃない! 見捨てるはずがなかろう!!」
叫んでから、それが幻聴だと気づく。しかし、幻聴であってもフィーニスの体に染みつき、取れなくなっているのだ。燃え盛る国の熱さを、山あいに木霊する怨嗟の声が、何もかもが、ハッキリと覚えている。
全てが手遅れで、全てどうにもならなかった。
だから、許せと言うのか。
だから、仕方ないと言うのか。
だから、諦めるしかないと言うのか。
「分かっている。ああ、分かっているとも。必ず、責は取らせる。君達を殺した奴を、この手で葬り去る。その誓いは変わらない!!」
大剣が溶けて形を崩すと、鎖となって伸びた。先端は幾つも分かれ、蛇のように黒龍を絡め取る。その内の一本を足場として、黒龍は接近した。
黒龍が炎を吐こうとするも、鎖は先んじて黒龍の頭と顎を抑えた。その頭に向けて、再びフィーニスの拳が突き刺さった。
一発、二発、三発、四発、五発。
「君が、貴様が、お前が、全てを奪った。ぼくから、ワタシから、国を、友を、仲間を、家族を、何もかもを奪った。何の権利があって、そんな事をする! 君は、神を気取るのか!?」
六発、七発、八発、九発、十発。
拳の連打は、黒龍の鱗を削り、その下の肉を剥き出しにしていた。だが、それ以上のダメージは届かない。手ごたえが薄いと理解するなり、フィーニスは付き従っている影を右腕に纏わせる。刃のように鋭く尖った右腕で、黒龍の首を切断しようとするのだ。
しかし、黒龍も黙って殴られていた訳ではない。背中の表面が稲妻で輝いたかと思うと、一気に稲妻が放射された。
全方位、デタラメに放たれた稲妻はフィーニスに直撃し、縛っている鎖を引き千切る。
「くどいッ! 我が与える死は救済なり。この欺瞞に満ちた苦痛ある生からの解放をなぜ理解しようとしない。衆生は我が救済に涙し、喜びを持って受けいれるべきなのだ」
狂っているとしか形容できない妄念をまき散らしながら、黒龍は尾を振り回す。稲妻で鎧の一部が砕けたフィーニスを叩き落とそうとした。
刃のように鋭い尾の一撃は、フィーニスに直撃して―――しかし、吹き飛ばす事は出来なかった。
なぜなら、フィーニスが尾を掴んでいる。
そればかりか、フィーニスは尾を掴み、一気に引き寄せようとしている。
「フィーニス、貴様。弱体化した姿でも、これだけの力を」
「ぼくの力は憎しみだ。お前相手なら、決して尽きる事は無い!」
黒龍の巨体がフィーニスの力によって持ちあがる。そのままフィーニスは黒龍を放り投げた。辛うじて原型を残していた建物が軒並み崩れていくが、偽りの学術都市。仮に本物だったとしても、フィーニスにとっては関係ない話だ。
それよりも問題は、限界が近い事にある。
鎧は度重なるダメージによって半壊状態。影を使って補修はしているが、損傷個所に被せている程度の応急処置だ。それ以上に厄介なのが肉体のダメージ。『魔王』として覚醒した瞬間から、不老になったが、残念ながら不死では無い。
全盛期なら限りなく不死に近い体だったのだが、カタリナの裏切りとジグムントとの死闘によって、肉体面は大きく衰弱していた。憎しみを糧とする影は無尽蔵に湧き出るが、それを操る肉体はボロボロだった。
だが、それを言い訳にする事は出来ない。黒龍を前にして退くことは許されない。
誰であろう、自分が許せないのだ。
自らを『魔王』と呼んだ、民のためにも退くことは出来ない。
投げ飛ばされた黒龍が四肢を地面に突き刺した。長い付き合いであるから、その構えが何をするのかフィーニスは理解していた。
黒龍が放つ最強の一撃。
ならば、こちらも最強の一撃を持ってして迎え撃つしかない。
フィーニスは黒龍の正面にある瓦礫の上に降り立つと、鎧を解除した。潜入の為に用意した衣服はボロボロで、レイから奪ったコートには青い血が染み込んでいた。
付随させていた影の球体が地面へと落ちると、足元は黒い影で満たされる。湖のように広がった影は伸ばした手に合わせて纏まっていき形を作っていく。
それは弓と矢だ。華美な装飾は無く、しかし、この場に強者が居れば瞬時に顔色を変えるだけの力を秘めていた。
フィーニスの持つ最強の技。
矢はこの一本しかなく、これに全てを賭ける。『魔王』が己の全てを賭して放つ一射に、替えも、予備もあるはずが無い。
影の弓に矢を番える。同時に黒龍の体が青白く輝きだしているのが見えた。
この弓と矢に名前は無い。
戦技でも技能でも無いのだ。
己の全てを込めて、全ての思いを込めて放つ。
ただ、それだけの矢だ。
奇しくも、黒龍にとっても、これを技と呼ぶ事は無かった。自らの力を圧縮し、何もかも薙ぎ払うだけの攻撃。滅びこそが救いだと考える、黒龍の思想を体現したかのような技。それに名前を付けるような愚かしさは無かった。
どちらも名無しの一撃にして最強の一撃。
先に放ったのは黒龍だった。
極限まで収束された破壊のエネルギーが熱線となって放たれた。辺りの瓦礫や建物が余波で溶けていく。光すら塗りつぶす漆黒の力が恐るべき速度で迫った。対峙するフィーニスは動じることなく、引き絞った矢を離した。
己の全てを込めた矢は真っ直ぐ飛んでいく。空気を貫き、風が辺りを薙ぎ払い、力の塊となって進んでいく。
触れる物を削り取る熱線と、『魔王』の力を圧縮させた矢は激突し―――信じがたい光景を生む。
矢が熱線を裂いて進むのだ。
矢によって二つに分かれた熱線が、フィーニスの左右を薙ぎ払う。矢は見えない力によって押されるように、前へ、前へと突き進む。矢の通った軌跡は黒く塗りつぶされており、まるで宇宙を駆け抜ける流星のようだった。もし、熱線が無ければどこまでも遠くへと飛んでいき、黒龍を貫いていただろう。
だが、黒龍の熱線も信じがたい威力だった。フィーニスの矢は熱線を裂き、前へ前へと進んでいるのだが、削れていった。矢の先端が細くなっていく。
矢が細くなるにつれて、二つに分かれてフィーニスの左右を薙ぎ払った熱線が次第に近づいていく。間にあるフィーニスを飲み込むのは時間の問題と言えた。
フィーニスの矢が熱線を突き破るのが先か、黒龍の熱線が矢を削り切るのが先か。
果たして結末は―――どちらでも無かった。
熱線は輝きを失っていき、矢は勢いを無くしていく。まるで、タイミングを計ったように、どちらも同時に消えてしまった。間違いなく、この瞬間の両者の力は拮抗していた。
フィーニスの体は矢を放った衝撃で、限界だと言わんばかりに血を噴きだした。
―――拮抗していたのは出力の話だ。
瞬間的な威力は、フィーニスも黒龍も同等である。だが、黒龍には余力があった。自らの分身と戦った時、熱線を連発したように再び鱗が青白い光が輝きを放つ。それを防ぐ手は、フィーニスには無かった。
体はボロボロで、今にも崩れ落ちそうなほど悲惨な状態だ。
なのに、なのに、なのに。
「あははは。分かっているさ。止まらない、こんな所で止まるわけにはいかないよな」
フィーニスは止まらない。誰かに突き動かされるように影を集め、熱線を迎え撃とうとしていた。どう考えても不可能なのに、止まろうとしない姿は、ある意味王としての理想を体現しているのかもしれない。
黒龍の輝きが極限まで達し―――熱線が放たれることは無かった。
黒龍の前の大地が隆起し、黒龍の攻撃を阻止したのだ。まるで巨人が地面を引っこ抜いたかのような乱暴な行為は、誰がしたのか明白だった。
「……オルタナか? いまさら介入するとはどういう。……何が目的だ」
「僕が頼んだんだよ」
「……そうか。そういう事か」
聞こえた声にフィーニスは納得した。
此処までが彼の計画だったのだと理解した。
ジャイルズと自分を分断し、黒龍を引きずりこむ。黒龍を前にすれば、どうやっても止まらないと踏んで、黒龍をぶつけたのだろう。黒龍と戦えば負けると分かっていながら、それでも戦うしかない憎悪を利用された。
いい様に踊らされたというのに、フィーニスの中に不快感は無い。むしろ、自分たちとの戦力差を見極め、手当たり次第に状況を利用して、最後の最後まで足掻こうとする諦めの悪さに共感すら抱いていた。
あの地下迷宮深層で、似ていると感じたのは同じ『招かれた者』だけでは無い。理由は違えど、どんな状況でも諦める事が出来ない、在り方を似ていると感じたのだ。
だから、与えた力は馴染んだのだろう。
「なるほど、勉強になったよ。ぼくの憎悪を植えつけられたんだ。なら、ぼくが憎悪をしている存在を前にして、絶対に止まれない事を魂で感じ取れるわけだ。そういう事だろう、レイ」
「ああ、その通りだ。僕だってそうだったんだ。だから、お前もそうなると思ったんだよ、フィーニス」
振り返れば、そこにレイが立っていた。
全く違う境遇、思想なのに、憎悪という一点において結びついた二人。
フィーニスにしてみればようやく、レイの主観からすれば三度目の再会になる。
「さあ、ここで決着だ。皆を返してもらうぞ」
読んでくださって、ありがとうございます。




