11-46 未来を知るという事は
シアラとジャイルズ以外、誰も居ない研究室の中でジャイルズは小さく息を吐いた。
「……薄気味悪ぃな」
ポツリと、ジャイルズが呟いたのをシアラは聞き逃さなかった。魔人は、これまでの時間軸で見せていた軽薄そうな笑みを浮かべず、傷だらけの掌で、これまた傷だらけの顔を覆う。指の間から覗かせる金色の瞳は、蛇の瞳のように感情を感じさせない。
「俺が現れた事に動じず、物分かりの良すぎる反応。アンタと俺の関係なら、そのまま殺されてもおかしくないのに、抵抗する気配すらないなんて、気味が悪すぎるぜ」
「そんなのはアンタの都合でしょ。ワタシにしてみたら、五体満足で生き延びられる最善の方法を選んだだけよ。それとも、これから杖を取り出して、アンタに対して必死に抵抗する方がお好みなのかしら。それとも、これからの未来を悲観して自殺でもしてあげようかしら」
「カタリナそっくりのアンタを、この手で傷つけられるってのは、何を置いても得難い魅力だが……勢いあまってアンタを殺しちゃ陛下に申し訳が立たないな。かといって、自殺をされちゃ、俺が陛下に殺されちまう。……成程、アンタが降参を申し出た事で、俺はアンタを拘束して陛下に連れて行くという選択肢以外を選べなくなったって訳か」
ジャイルズの方が圧倒的に有利の場面だが、行動の選択権は狭められている。自分が何かをする前に、選択肢を減らされたという事実に、ジャイルズは不快感を隠さなかった。
とはいえ、ジャイルズにしてみれば陛下の目的の一つを果たせるのだ。
選ばないという選択肢が無い。
ジャイルズは大股で近づくと、机の上に飛び乗る。華奢な体の癖に、重厚な机が重みでヒビが走る。シアラの襟首を掴むと、最後の仕返しとばかりに口を開いた。
「気づいているかい。今のアンタ、カタリナに本当によく似てやがるぜ」
「最悪の褒め言葉ね」
僅かに勝ち誇った表情を浮かべていたシアラだが、途端に憮然とした表情に切り替わる。ジャイルズは幾らか溜飲を下げると、真っ直ぐ上に向かって跳んだ。
自分が開けた穴のすぐ傍を壊しながら、偽りの空へと吸い込まれていく。天井の瓦礫が雨粒のように落ちていき、一応の静寂は取り戻せた。
二人が居なくなり、無人となった室内。
その一角で変化が起きていた。
ぱたり、ぱたり、と。トランプをひっくり返すように空間が裏返り、そこから人が現れたのだ。
革のジャケットにテンガロンハットを被った男、オルタナと藍色の髪を縛ったキョウコツだ。キョウコツはオルタナに口元と体を押さえつけられていて、身動きが取れないでいた。
ようやく解放されると、息が整うよりも前に出口へと駆けだした。
隠密としての瞬発力を活かしたダッシュだったが、いかんせん相手が悪い。
「待ちな、てめぇにはやってもらう事があるんだ」
瞬きをするよりも早く、まるで空間を転移したかのように瞬時に現れたオルタナによって足を止めてしまう。
「そんなの、私の知った事では無い。だいたい、貴様は誰なんだ? 急に現れて、羽交い締めしたと思ったら変な魔法を使って。ナタリカ様の知り合いか!?」
「ナタリカ? ……まさか、カタリナの変名……じゃないよな。そんなひねりも無い名前、偽名として役に立ってないな」
正解を口にしているのだが、それに気づかずオルタナは続けた。
「俺の名前も、てめぇの名前もこの際どうでもいい。ただ、俺はカタリナの娘と約束をしちまったんだ。それを果たすまでは、てめぇを逃がす訳には行かねえんだ。諦めて受け入れろ」
「勝手な言い分だな、おい。……約束とは何だ。危険な事は含まれていないよな」
どうやら、互いの実力差に気づいたのか、キョウコツは無駄な抵抗を諦めた。
下手に騒いだ方が不利になると判断したのだ。
この辺りの割きりの良さは、流石は隠密である。
「さてな。とりあえず、てめぇをレイの所に連れて行くのが、俺の最初の役目だそうだ。あとは、レイに聞きな」
フィーニスは雑踏の中を悠然と歩いている。
薬で髪色を変え、目にガラス球を嵌めて存在感を薄めているが、それでも『魔王』が学術都市を堂々と歩けているという事実が異常だ。彼が本気ならば、数秒で通りは赤く染まる。
だが、フィーニスはすれ違う人々に注意を向けることなく、のんびりとした表情で散歩を続けていた。すると、何かに気づいたのか顔を僅かに上に向けた。
そして、歩く方向を横に向けると、建物と建物の隙間へと身を滑りこませる。
学術都市ほどの大きさになれば、裏通りの色も濃い。華やかな表とは違い、裏側は汚泥と停滞に浸かっている。体を欠損させた元冒険者がフィーニスに向けて胡乱な瞳を向ける。病気持ちの娼婦が、煙草臭い口で客引きを堂々とする。
そんな通りを、表を歩くのと変わらない歩調で進むフィーニスだったが、突然足を止めた。周りには誰もおらず、裏通りの中で空白地帯となった場所だ。
その時、真上から影が落ちてくる。
音も無く着地したのはジャイルズだった。両手はガッチリとシアラを掴んでいる。
「お待たせしました、陛下。あの娘を追いかけた先で、姫さんを見つけやしたので、お連れしやした」
「ああ……ご苦労、ジャイルズ。そして我が血を継ぐ者、シアラよ。息災そうで何より……いや、そこまで元気そうじゃないね」
「それは、そうよ。あんな、高速、移動。誰だって、気分が、うっぷ」
元から白い肌を更に白くしたシアラの足はふらついている。紫がかった黒髪は癖毛と呼ぶには収まり切らないほど乱れている。
研究地区からこの裏通りまで、ジャイルズは空を飛ぶようにして駆け抜けた。高位冒険者になったとはいえ、魔法使いであるシアラにとっては、酷な道程だった。
「あははは。そいつは随分と難儀だったね。とはいえ、こうして会えたのは何よりも喜ばしい。喜ばしいのだが……随分とすんなりと捕まったようだね」
ガラス球越しの金色の瞳が冷徹な色を帯びる。
「移動に体が耐えかねた程度にしか消耗していない。隠し持っている杖も取り上げられていないし、抵抗した様子も無い。ジャイルズに素直に捕まったのかい」
流石は『魔王』。一瞥するなり、状況を正確にいい当てた。
「その通りですよ、陛下。姫さんってば、俺を前にして即座に降参って言ったんで。あまりの思いきりの良さに、こっちが面喰いましたよ」
「なによ。アンタら相手に、ワタシ一人で抵抗するなんて事、出来ると思ってるの!?」
「う、そいつは、まあ。……あれ? 何で俺が文句言われてんだ」
不思議そうに首を傾げるジャイルズだが、フィーニスは無言でシアラを見つめる。金色黒色の瞳を通して、孫娘の心を読もうとするかのような行為だ。
「未来を、予知したのかい」
息を飲むのと同時に、動揺が表に出てしまう。
慌てて取り繕おうとしても、フィーニスは見逃さない。
シアラは探るように口を開いた。
「……何の、事かしら。未来なんて、ワタシは予知できないわよ」
「とぼけなくても良いよ。君の父親、アレクサンドから話は聞いている。《ラプラス・オンブル》。自分の意志で発動できない、未来予知。辛い力を得てしまったね」
動揺がシアラの中に生まれた。
自分が未来予知を持っている事は、秘密だと思っていた。何故なら、父親から誰にも言うべきでは無いと繰り返し言われていたのだ。
自分の意志で発動できないとはいえ、未来を知るという事は大きな力だ。この力を巡って争いが起きる事すら考えられる。
それだけに、父親は誰にも明かしていないと思ったのだが、まさかフィーニスが知っているとは想定してなかった。
「未来予知、ですか。姫さんがそんな特殊技能を持っているなんて知りませんでしたよ」
「これはゲオルギウスもクリストフォロスも知らない事さ。彼らが知れば、この子を殺す事を譲らないだろう。何しろ、未来を知るという事は、未来を殺す事に繋がるからね」
「未来を殺す? それってどういう意味かしら」
初めて聞く話に、シアラは素直に反応した。
「未来予知者は貴重だが、エルドラドの歴史上、何人かは存在していた。彼らが未来を予知していた方法は違っていたが、共通していた事がある。それは予知した未来以外を殺してしまう事だ」
未来を殺すという言葉に込められた、重い響きに、シアラは喉を鳴らした。
体に纏わりつく寒気は、冬の寒さでも、裏通りの澱んだ空気とも関係ないだろう。
「歴史とは膨大な選択肢の中から選ばれた一筋の道だ。常に選択を迫られ、進むべき道を決める。ところが、未来予知は膨大な選択肢の中から、一つの未来を選び取ってしまう。たった一つの未来を選び、それ以外の未来を起こらないように殺してしまう。未来予知とは、そういう力だ」
言われて、腑に落ちる事があった。
これまでに《ラプラス・オンプル》で見せられた未来は、どうやっても不可避で、起こってしまう出来事だった。どれだけ足掻いても未来は変えられない。未来を知っているのに、未来を変えられない事への理不尽さに、何度も怒りを覚えた。
当然だ。
それ以外の未来を、自分が摘み取っていたのだ。他の未来が起きる事はありえないのだ。
だが、そのあり得ないを行った少年が居るのも事実だ。
「……でも、主様はワタシの視た未来を変えてくれる。それは、どうして」
気が付けば、フィーニスに向けて問いを発していた。
フィーニスは僅かに驚いた様子をしつつも、そうであろうとばかりに頷いた。
「それは、ぼく達が『招かれた者』だからだ。この世界の外からやってきた事で、ぼく達はこの世界の運命から外れている。神々が見てしまった、エルドラドの滅びを変えられる存在。未来を変えられるのは『招かれた者』にしか許されていない特権なのさ」
何故だろうか。
シアラはフィーニスの説明を聞きながら、納得しつつも同時にある可能性を振り払えずにいた。
未来予知とは、観測者によって未来を選定する。無数に枝分かれした未来という木の、選択肢という枝葉を剪定する作業だ。
この観測者とは、13神―――正確には紛れ込んだ『黒幕』を除いた12神―――も含まれているとフィーニスは語った。
神々が観測した事で、この世界に滅びが起きる事は確定した。
滅びを回避できるのは他の世界からやって来て、この世界の運命に従わない『招かれた者』だけ。
だが、果たして神々が観測してきた事は滅びだけだろうか?
そんな事は無い。彼らは一周目のエルドラドが滅びるまでの長い時間を、全て観測して記録している。つまり、彼らはエルドラドの全てを未来予知しているのだ。
無神時代が始まってからの千三百年を全て観測している。
言い換えれば、『招かれた者』が現れなければ、エルドラドはたった一つの道を突き進むはずなのだ。さながら、がけ下に続くだけだと知っている、一本のレールに乗ったトロッコのように。
その結末を防ぐために、『招かれた者』が呼び寄せられた。
『招かれた者』によって、一周目のエルドラドに起きなかった出来事が幾つも起き、歴史は大きな変化を迎えている。そう、認識していた。
だけど、本当にそうなのだろうか?
観測者によって歴史が一本のレールになったのなら、無神時代が始まったからといって人々の心が乱れるという事が起きるのだろうか。エルフの国が滅ぶという事態が起きるのだろうか。人と竜の間に戦争が起きるのだろうか。
誰かが扇動でもしなければ、これだけ大きな歴史の変革が『招かれた者』が居ただけで起きるのだろうか。
例えば、エルフの国が滅んだのは1周目のエルドラドでは起きていない。しかし、現実としては起きてしまった。エルフの『英雄』が存在したからエルフが滅んだとは、どうしても思えない。彼女はエルフの国を守っていただけで、周辺国を攻めていた訳じゃないのだ。なのに、歴史は示している。周辺国は何故か、当時の怒りをエルフの国だけに向けていたのだ。
それに、黄龍があのような姿になった理由も不明なままだ。人の魂を大量に取りこんだ結果、あのような歪な姿になったのは理解できるが、どうして取り込んでしまったのかは、サファもマクスウェルも答えを出していない。
これらの疑問に無理やり答えを出すとしたら、それは誰かの影だ。
周辺の国家を巻き込んだ大掛かりな謀略を仕掛け、黄龍をあのような姿にした存在が居たのではないのか。
殺された未来を変えられるのは、『招かれた者』だけだ。
だとしたら、本来の歴史と違う歴史を生み出そうとする者がいるとすれば、その者もまた―――。
「陛下、しんみりとした話もそこまでにしておきませんか。とりあえず、姫さんは見つけたんですが、噂のレイとは一緒じゃありませんでしたよ」
ジャイルズの言葉にシアラは意識を現実に戻した。
自分が考え付いた可能性を頭の片隅に留めておく。
あまりにも飛躍した発想だ。十分に検証しないと、正しいかどうか判断は出来ない。だが、もしもこの予感めいた発想が正しかったとすれば、『黒幕』の正体の一端が分かるかもしれない。そのためにも、今の問題に決着を付けなくちゃいけない。
「そうなのかい。シアラ、レイは何処にいるのか知ってるかな。君達の屋敷に挨拶に行ったけど、不在だったんだよ」
「さあ? 主様の事だから、どこかで騒動に首を突っ込んでんじゃないのかしら」
「……成程、ね。どうやら、色々と知っているようだ」
途端、シアラは自分が迂闊なことをしたと気づく。
喋り過ぎたのではなく、取るべき反応をしなかった。
「ぼくが君たちの屋敷を訪れたと聞いても、何の反応を示さなかった。普通なら、仲間の安否を確かめるはずだ。そうでなくても、何かしらの探りを入れたりする。ところが君は、そんなそぶりをしない。つまり、知っているんだね。この中に、君の仲間が囚われているのを」
音も無く、シアラの足元に影が広がる。地面の感触が無くなり、ずぶずぶと体が沈んでいく。
「その反応からすると、この事はレイも知っているのかな。だとしたら、君を捕らえておけば、あとは待っていれば彼と会える。違うかい?」
シアラは答えず、唇を吊り上げる。すると、フィーニスは沈むシアラの顔に手を当てた。
「眠れ、我が血族。目が覚めた時には、新しき故国だろう」
言葉がリズムとなり、意識に働きかけた。途端に猛烈な眠気がシアラを襲った。
(やっぱり……予想通り……意識を、奪う。……でも……ワタシの……役目は……終わった。あと……は……頼……わよ……ヨシ……ツ……ネ)
瞼が閉じると同時に、シアラの体も影に飲まれていった。
ジャイルズによって荷物のように運ばれたシアラが不幸なら、キョウコツも負けず劣らずに不幸だろう。オルタナに脇で抱えられた少女は、文字通り空を飛んで振り回されることになった。
歯を食いしばっていないと舌を噛みそうな状況が続き、やっと解放された時は心ここにあらずだった。
「おい、ここで良いのか?」
「あ……ああ……レイたちの……屋敷なら、ここだ」
オルタナがキョウコツを伴ってやって来たのは、レイの屋敷がある大通りだった。踏めば確かな感触を返してくれる大地が心強かった。
「ふん。確かに、魔道具の反応があるな。それも複数人分の血か。こいつを壊すのは俺でも骨だろうな」
「そいつは勘弁してくれないか。これでも気に入っている我が家なんだ」
声は二人の背後からした。振り返れば、炎の鎧で街の上を跳んできたレイが立っていた。
「オルタナ。シアラから話は聞いているか?」
「まあな」
「条件に付いては? 後から、話と違うと言われても困る」
「疑り深い奴だな。あのお嬢ちゃんからは、てめぇが持っている、この土地で起きた時の権能に関する情報の提供だ。……本当に知ってるんだろうな、てめぇ。嘘だったら」
「本当だとも。なんなら、13神に誓おうか?」
途端に不機嫌そうになったオルタナからキョウコツに視線を向けた。
「キョウコツ。君が持っているベルを僕に渡してくれ」
「なんで、ベルの事を知ってるんだ? まあ、いい。ほれ」
懐から取り出されたベルをレイは受け取り、一応の確認をしておく。
「君が使ったのは、ここから研究地区、正確にはシアラの近くに転移した時の一回だけだよな」
「本当に、なんで知ってるんだ!? ああ、そうだよ。あと二回は使える」
「そうか、それなら十分だ。オルタナ、アンタはギルド会館に行って、リザとポラリスと合流してくれ」
「はぁ!? あの『機械乙女』まで来ているのか!」
驚くオルタナだったが、彼が『七帝』をもう一体、この大陸に呼び寄せているのを知っているだけに白々しく思えた。だが、それをおくびに出さず、レイは言葉を重ねる。
「後の指示はリザに任せたから、彼女から聞いてくれ」
「……ふん。了解した。とりあえず、手を貸してやる」
それだけ言うと、オルタナは空気に溶ける様にして消えてしまった。
「これで、今の所は順調の筈だけど……あとは時間が来るまで待たないといけないのが、苦痛だな」
レイのぼやきをキョウコツは不思議そうに首を傾げた。
読んでくださって、ありがとうございます。




