11-44 足を止める理由にはならない
迷宮独特のひんやりとした空気が、汗を吸った服を余計に冷たくさせる。デッドエンドスポットを見下ろせる高台の上にあるベンチにレイは腰かけていた。
記憶通り、この場所は人気が少なく、考え事をするのに向いていたのだ。
『で? いい加減、頭も冷えただろう。だったら、ちったぁマトモな思考もできるだろうよ』
錆びた歯車を無理やり回したような声は、自身の中から放たれた。影法師の意識が表面へと浮き上がっていた。
「妙な事を尋ねるな。僕は最初から冷静だよ」
『くははは! 成程、狂人というのはお前のような奴を言うんだろうな。自分が狂っているのに、狂っていないと本気で思えるんだから、薄気味悪い』
「相変わらず、口の悪い奴だよ。だいたい、僕が何を考えているのかなんて、今のお前には分からないだろ。もう、僕の心を読めないんだから」
『読めなくても、見てりゃ分かる。大方、黒龍を仲間に引き入れようとするんだろ』
影法師の指摘にレイが表情を僅かに変えた。
「……どうして、そう思うんだ」
『だから、言っただろう! 見てりゃ、分かるんだよ。あんだけ酷い目にあっておきながら、目だけは輝かせてりゃ、どれだけ鈍い奴でも察しは付くぜ』
レイが黒龍に敗北し、正午まで巻き戻る時の死のイタミは想像を絶する。これまでに幾度も味わって来た死のイタミと比べても、上位に食い込む。細胞一つ一つがイタミを訴え、体がバラバラに崩れそうになる。精神は擦り切れ、そのままどこか彼方へと消えていてもおかしくなかった。
それなのに、安普請のベッドの上で爛々と目を輝かせているのは不気味と言えた。肌は青ざめ、汗は留まるところを知らず、白さを増した髪を乱しながら、レイは諦めようとしてない。
これまでのレイを眺めていた影法師には、すぐに理解した。あの輝きの元は、黒龍だと。
『確かに、黒龍を味方に付ければフィーニスは倒せるかもな。『七帝』同士とはいえ、片方は完璧に弱体化中。対する黒龍はブランクこそあるが、衰えているようには思えない。……だがな、お前の思い付きにゃ、問題があるぜ』
「……言ってみなよ。お前の指摘する問題とやらを」
『大まかに言っちまえば、黒龍を仲間にする方法と、黒龍をどうやって追い返すのか、って話だ』
影法師の言葉を遮らず、レイは話を聞く構えだ。
『前回の流れや、リザ、シアラから聞いた話を統合すれば、黒龍とオルタナは手を組んでいる。だが、オルタナとは利害関係で手を結べても、黒龍とは無理だ。あの態度を見ただろ』
言われて、レイは思い出す。
純黒色の死が数分もかけずに自分たちを全滅に追い込んだ有様を。圧倒的なまでの力の差。覆す事の出来ない、強者と弱者の立場が明確になった瞬間だ。
『黒龍を力で従えるのは不可能だ。なら、交渉するしか余地は無いが、あの有様だ』
黒龍との初遭遇は、話をする暇も無かった。コウエンの元に繋がった転移の影を出る暇も無く、ブレスが放たれた。辛うじて防げたが、連発されていたら止められなかったはずだ。そして、黒龍は気が高ぶり、レイ達を―――いや、レイを狙い戦闘態勢を取った。
ブレスは極限まで力を込められた結果、黒い熱線のように放たれた。雲に穴が開き、全員が一瞬で敗北したのだ。
『あれは、話して通じるような相手じゃねえ。向うがこっちを攻撃すると決めた途端、手を組むなんて選択肢は消えちまった。どんな言葉も届きやしねえ』
「オルタナを通じて味方にする事は出来ないか」
『オルタナがどんな理由で繋がっているのか知らねえが、無理だろうな。第一に、お前がオルタナを説得できる材料が少ないだろ。それに、黒龍はてめぇを見た瞬間から敵と認識していた。オルタナが黒龍と組んでいるなら、そこには何かしらの目的があるはずだろ。オルタナが、目的を達成できなくなるリスクを背負ってまで黒龍をどうにかするとは考えにくいな。よしんば、オルタナを説得できたとしても、黒龍がオルタナのいう事を聞くとは限らねぇ。ま、無理な理由を上げようと思えば幾らでも出てくるぞ』
影法師は吐き捨てる様に言うが、概ね正しいだろう。
オルタナと黒龍がどんな条件で協力しているか不明だが、オルタナが頼みを聞いて黒龍を説得してくれるという未来は思い描けない。
『そして、次が大問題だ。黒龍を使ってフィーニスを退けたとしても、オルタナと黒龍をどうにかしなくちゃ何も片付いちゃいねえ。だいたい、あの二人を助け出す手立てがねえじゃねえか』
その通りである。
今の状況を整理すれば、問題点は三つ。
一つは、レティとクロノがフィーニスに捕まっている事だ。意識を失った状態で影に飲まれてしまったのをリザが目撃している。フィーニスの狙いはクロノだ。時に関する権能を確認したため、その力に関係している人物として彼女は拘束されている。レティはジグムントを制御する為の切り札として、手放す気はないだろう。
フィーニスを中途半端に追い詰めたら、撤退される可能性がある。その前に、二人を影から助け出す必要がある。
次の問題点は、オルタナとフィーニスの狙いがクロノという点だ。オルタナは13神に対して憎しみに近い感情を持っている。アクアウルプスで別れ際に見せた殺気は、底の見えない穴倉を覗き込んでしまったような不安感を抱かせた。
クロノは、神としての力を失っているとはいえ、元神だ。その存在はレイが思うよりもはるかに貴重で、重要だ。彼女に神としての力はもうない、と言っても通じるとは限らない。
つまり、オルタナとフィーニスを力づくで追い返す必要があるのだ。
あの地獄を生みだす怪物達を、引き上げさせる。
考えただけで、背筋が震える。これまで『七帝』と剣を交わしてきた事はあるが、生き残って来たのは運だ。それなのに、今回は明確に勝利が必要になってくるのだ。その途方もない現実に頭が痛くなってくる。
そして三つ目が黒龍の存在である。黒龍が学術都市近くに座しているのは、オルタナが呼んだからだろう。そのため、黒龍がクロノを狙う理由があるかどうかは不明なのだが、黒龍はレイに対する敵対心が強い。仮に、フィーニスとオルタナを退けたとしても、レイが学術都市に居ると気づき、攻撃を仕掛けてこないとは限らない。
詰まる所、レイはフィーニスからレティとクロノを取り戻し、フィーニスとジャイルズ、オルタナ、黒龍を退けなくてはいけないのだ。
どう考えても絶望的な状況だ。
『七帝』一体だって、手も足も出ないというのに、それが三体。加えて六将軍第五席ジャイルズまでいるのだ。普通なら、諦めても仕方ない、そんな状況なのだ。
―――だから、どうした。
相手が強大だから、勝ち目がないから諦めるつもりは、レイに無かった。
そんな事が諦める理由にはならない。
足を止める理由にはならない。
「なあ、覚えてるか?」
レイの問いかけに、影法師が意識を向ける。
「ダリーシャスと旅をしてた頃、村でチェスをしてた時だけどさ。村の子供とレティ、エトネがボール遊びをしてたんだ。何かの草を丸めたお手製のボール。あれが、盤上に飛び込んできて、駒をなぎ倒したのを」
『ああ? ……あったかもしれないな。だが、それがどうしたんだ』
「あの時さ、僕は負けてたんだよ。向うに大ゴマを取られ、守りは突き破られ、王は落命寸前。だけど、あのボールが来たお蔭で、あの時の勝負はお流れになったのさ」
レイは喋りながら立ち上がった。考えがまとまったのか、あるいは覚悟が定まったのか。目は真っ直ぐと前を見据えていた。
「今回と一緒だ。僕らはどうしようもなく不利な状況で、敗北寸前。劣勢をひっくり返す手は盤の上には無い。なら、盤の外側から持ってくるしかないだろ」
『……お前、やっぱり狂ってるよ』
「そうかい? お前に言われると、なんだかそんな気がしてきたよ」
とんでもない事を口にしておきながら平静を保つレイに、影法師は軽くため息を吐いた。
『それで? これからどうするんだ。今からシアラ達と合流するのか?』
「いや、大分時間が過ぎてしまってるからね。今回は流す」
時計の針は死のタイムリミットまで三十分を切っていた。いまだに、レティが死ぬ理由は謎だが、彼女が死ねば《トライ&エラー》が発動する。
『なら、時間が来るまで待つのか』
「それは駄目だ。レティの死がきっかけで僕が死ねば、能力値が下がってしまう。ただでさえ、黒龍に殺された時に減ってんだから、余計な所で減らしたくない」
白い面積が増えてきた頭髪を掻きながら、レイは丘を降りていく。向かう先は、ラビリンス中央上層階のボスの間だ。
『ミラースライムに殺されるって訳だな』
「ああ。ミラースライムなら、レベルが同じになるから死のイタミも最小で済む。それに、死のタイムリミットも、ずれ込む可能性があるからな。行儀よく、時間が過ぎるのを待ってもいられない」
影法師が不思議そうにする気配が伝わった。
死のタイムリミットがずれこむ理由が分からないのだろう。
「さっきの僕の醜態を見ただろ。黒龍の死のイタミは想像を絶する。死のイタミに慣れている僕でアレなんだから、リザとシアラにはもっとキツイ。それこそ、歴史の流れが変わってもおかしくない。そのせいで、死のタイムリミットが確実に来るとは言えないんだよ」
★
「―――ッアアアア!!」
イタミに声を上げてしまう。膝は勝手に折れ、心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。神経という神経が軒並み切断され、適当に繋ぎ直されたのか、手足が自分の意志とは無関係な動きを繰り返す。
これまでにも、何度か《トライ&エラー》の死のイタミを体験してきたが、今回は群を抜いている。それこそ、サファに殺された時に匹敵する苦痛だ。
全身の皮を剥がされ、筋肉を寸刻みで切断され、血管の中に針を何本も押し込められたように、全身が痛い。呼吸するだけで肺が軋みを上げていた。
「シアラ殿、シアラ殿! 如何されたというのだ、シアラ殿!!」
イタミの波が鎮静化し始めると、必死な男の叫びが聞こえてきた。イタミで目を開ける事も出来なかったが、瞼を無理やりこじ開ければヨシツネの真剣な表情が飛び込んできた。
「何者かの攻撃を受けたのでござるか!? それとも…もしや、死に戻ったのでござるか!」
カタリナの研究所裏手に回っていたヨシツネだったが、鐘の音を掻き消す絶叫に嫌な予感を抱き表に戻ってきた。そして、シアラを発見したのだが、周りに敵がいる気配は無かった。考えられるとすれば、《トライ&エラー》のイタミだ。
知識としては知っているが、これほどまでに痛みもだえるのかと驚くヨシツネの前で、シアラが口を開いた。それは言葉を発するためでは無い。
「いかん!」
言うなり、ヨシツネはシアラの口内に手を差し込む。直後、がきりと金属を噛む音が響いた。
イタミのショックから体が勝手に反応しているのか、それともイタミに耐えかねて死を選ぼうとしているのか。どちらにしても舌を噛むのだけは避けられた。
突入用に防具を身に付けているから、指を噛み千切られる心配も無い。ほっと、胸を撫で下ろしたのも束の間。ヨシツネは背後に人の気配を感じ振り返った。
扉を内側から開けたのは、テンガロンハットに革のコートという、エルドラドでは珍しい格好をした男だった。
だが、ヨシツネが驚いたのは男の格好では無い。
「……もしや、エイリーク殿でござるか?」
「……てめぇ、ヨシツネか。なんで、てめぇがこっちに居るんだ。いや、それよりも、その女は」
言葉は続かなかった。学術都市にある魔法工学研究地区の屋根が砕ける音が、二人の上でした。砕けた破片が落ちるよりも早く、落下する影は突如として軌道を変えた。本来ならカタリナの研究所に着地するはずだったジャイルズは、空中を蹴り飛ばして向きを変えると研究所の前の通りに着地したのだ。
「ひひひ。陛下の言う通り、あの女を追いかけて此処まで来たら、姫様を見つけちまったよ。ご機嫌……宜しく無さそうだな、おい」
砕けた地面から足を引き抜いたジャイルズは、倒れているシアラを見て、すぐに興味を無くしたように視線を移す。シアラとヨシツネを間に挟んだ向こう側に居る、『七帝』の一角を見つめた。
「お久しぶりだなぁ、オルタナさんよ。アンタまでこの街に居るなんて、こりゃ偶然にしちゃ出来過ぎだとは思わないか、なぁ?」
「ジャイルズか。てめぇが居るなら、アイツも居るって訳か。道理で同期しても未来がぼやけちまうのか。フィーニスにヨシツネ、それにもう一人。三人も『招かれた者』が集まってだからな」
「三人? そいつは気になるな。誰なんだい、もう一人の『招かれた者』ってのは」
問われたオルタナは帽子の位置を直すと、その指先を横に向けた。
「聞くまでも無い。何しろ、もうすぐそこまで来てんだからな」
どういう意味だと、ジャイルズは聞き返せなかった。
なぜなら、真横から響いてきた壁を砕く音に反応して振り返れば、紅蓮の炎の鎧をまとった少年の一撃を完璧なタイミングで喰らってしまったのだ。
高速で移動していたレイの全力がジャイルズの体を弾き飛ばし、魔人は近くの建物に激突したのだった。
「主殿!!」
ヨシツネの声には喜びが満ちていた。レイは僅かに首を傾けると、ヨシツネと、ヨシツネに介抱されているシアラを一瞬見る。だが、よそ見は出来なかった。
膨れ上がる殺意に反応して龍刀を構えなければ、一瞬で距離を詰めたジャイルズに首を落とされていたはずだ。
額から青い血を流し、壮絶な笑みを浮かべるジャイルズが喋った。
「ひひひひ! 名乗りもしないで攻撃とは、随分と育ちが悪いな。でも、良い一撃だった。褒めてやるよ。てめぇは俺に名乗る資格がある」
「そいつはどうも。僕は《ミクリヤ》所属、『緋星』のレイだ。そういう、アンタは?」
当然、自分が誰と戦っているのかレイは知っている。
膨れ上がる殺意に押されるように、透明な武器を体から次々と生み出している。ジャイルズはそれを片っ端から引き抜くと、一振りごとに交換していく。種類も系統も違う攻撃の嵐だったが、レイは完璧に防いでみせた。
傷だらけの顔が歪む。それが歓喜の笑みだと気づくのには少しの時間が必要だった。
「いいね、いいじゃないか! 陛下から聞いてたより、ずっとやるじゃないか。今ので、お前は俺の名乗りを聞く権利が出来た。俺の名は六将軍第五席ジャイルズ。さあ、楽しませてくれよ!!」
読んで下さって、ありがとうございます。




