11-41 エトネとコウエンの視点 『中編』
冬の風が刃のように肌に当たっていく。吐く息は後ろに流れていき、遠くに見えた山は近くなってきた。正確な時刻は分からないが、太陽の位置からすると正午を回ったかどうかぐらいだとエトネは推測した。
「キュイー、ずっと走ってるど、たいりょくはだいじょうぶ?」
「キュイ、キュイ!」
言葉が通じているとは思えないが、キュイは体力があり余っていると言わんばかりに力強く返事をした。預けられている間、運動は欠かさずに行っていたが広々とした大地を力いっぱい駆け抜けるのはキュイにとっても嬉しいのだろう。
キュイの乗り心地は良いとは言えないが、体力を温存しながら移動するのに最適である。馬上ならぬ鳥上だと流れる風で体温が冷えそうになるが、両腕で抱きしめているコウエンの温もりが体を温めていた。
人造モンスターに転生したコウエンにとって、人間の形は見た目だけだ。取りこんだモンスターの力を使い、体温を上昇させて人型のカイロになるのもお手の物だった。
移動手段と防寒対策を用意したエトネたちは、すぐさま学術都市を離れ東の方角を目指して移動していた。学術都市の東側には国や大きな都市は無く、学術都市に食料を供給する農園ばかりだ。それも今は冬の時期のため、村人の多くは学術都市まで出稼ぎに行っているため、人は非常に少ない。
そんな村々を突っ切って、目指すは内海への道を阻む山脈だ。
その山に名前は無い。
そもそも、それを山と呼ぶのが正しいのかすら悩ましい。人魔戦役最終局面、『魔王』フィーニスと『勇者』ジグムントの激突により、大陸中央部分は吹き飛び、土砂が堆積した事で出来た人造の山。単なる土砂の塊だったものが、三百年と言う時間をかけて木々を生やし、草を伸ばして山らしい形を取っている。
だが、生まれてから多くの時間を山で過ごしてきたエトネにしてみれば、眼前にそびえる山には違和感が付き纏う。
「貴様の感じている事は間違ってはおらんぞ」
言葉に出さずとも雰囲気で察したのか、エトネの腕の中にすっぽりと収まっているコウエンが、可愛らしい見た目とは裏腹に尊大な口調で語りかけた。
「あれは貴様の知るような普通の山とは違う。と、いうよりも人間達が呼ぶ内海の辺りは我らでも手を出せぬ荒地なのじゃ」
「われらって、こだいしゅのろくりゅうのこと?」
「うむ。妾たちの役目の一つに、大地に流れる魔力を滞らせる事なく、循環させる事がある。妾の場合は東方大陸のどこか一カ所に魔力が溜まらないように調節していた。ところが、この地は『魔王』と『勇者』の激突によって、大地を流れる魔力が大いに乱れてしまい、複雑な形となってしまっている」
大地を流れる魔力とは、人間で例えるなら血管だ。どこか一カ所が詰まってしまえば、その付近は魔力の恩恵を受けられず荒れ果てていく。逆に一カ所に集中してしまえば土地は栄え、実りは豊かとなり、その土地を巡って争いが起きる。
しかし、中央大陸の内海周辺は、どちらとも違う結果となっていた。
「魔力が乱れ、ぶつかっておる。魔力がぶつかれば大地は傷つき、しかし魔力が流れているために癒される。あの辺りはコインを裏返すように環境が変わり続けており、安定しておらん。それゆえ、貴様の感性からすると異常な山に映るのだ」
「そんな場所に、これからいくの」
「うむ。行かねばなるまい。行かねば、都市が滅ぶやもしれん」
重々しく告げられた内容にエトネは唾を飲み込んだ。
エトネの中に宿るハヅミも、言葉には出さずとも同じ考えなのが伝わってきた。
二人が感じ取った脅威が何なのか、エトネはまだ知らされていない。ただ、なにか大変危険な存在がこの山に潜んでおり、コウエンを呼び寄せている事。レイに知らせに行こうと街に戻れば、学術都市が吹き飛んでしまう可能性がある事だけは理解できた。
そのためコウエンは学術都市に戻らずに、その存在の元へと行こうとしていたのをエトネが強引に止めたのだ。一人では行かせない、自分も一緒に行く、と。どれだけ言い聞かせても、意思を変えようとはしなかった。ダイアモンドのように硬い覚悟が、輝きとなって瞳に宿っていた。
これにはコウエンも困ってしまう。
山に居座る存在は、エトネに対しては何の警戒もしてない。彼女がどう動こうが、歯牙に掛けないだろう。それゆえ、自由に行動できるエトネにはレイの元に行ってもらい、危険を知らせてもらうのが得策なのだが、実はそれはそれで困った事になるのだ。
これから会う存在の事をレイに知られる訳にはいかない。
知られれば、レイの性格上確実に動く。動いた結果、山に居るであろう存在と出会えば、かなり厄介な展開になってしまう。
かといって、エトネを連れて行くのも危険だ。
最悪の場合、殺される可能性はあるが、その確率はかなり低い。だが、ゼロでは無いのだ。そんな危険な存在の前にエトネを連れて行く訳には行かない。エトネは《トライ&エラー》の恩恵を受けられないため、彼女が死ぬ未来を確実に回避できるとは断言できない。
詰まる所、エトネを置き去りにするのも連れて行くのも、どちらも面倒な結果を招いてしまう。ただ、エトネを置いていけば確実にレイが今回の事態に首を突っ込んでくるのは、シアラの《ラプラス・オンブル》を持っていないコウエンでも予知できる。どちらかと言うと、そちらの方が非常に面倒だ。
結果として、コウエンはエトネの同行を認め、こうして一緒に東を目指していた。
すると、二人の顔つきが変わった。キュイよりも早く、その気配に気づいたのは積み上げてきた経験だろうか。
「キュイ、とまって!」
叫ぶのと同時に、エトネが手綱を引っ張ると、山の方から巨大な塊が走ってくるのが見えた。最初は小さな粒のような存在だったが、エトネには何なのかすぐに分かった。
モンスターだ。
様々な種類のモンスターが集団となって走っているのだ。まっすぐ、エトネたちの方角に向かってくる。
「そんな……もしかして、スタンピード?」
地上に出てきたモンスターは、同種ごとにコロニーを築く。迷宮では飢えに悩まされなかった彼らではあるが、地上に出てくれば自らの腹を満たす事に頭を使う。同種以外は敵だと認識し、自分の縄張りを荒らす者はモンスターであっても容赦はしない。
つまり、別々の種類のモンスターが一緒に行動するのは、常識的に考えればあり得ないのだ。
本来ならあり得ない光景に、思考がある単語と結びつく。
スタンビート。
魔力不足に陥った迷宮から脱出したモンスター達が、津波のように街を襲う現象だ。この時ばかりは、モンスター達も協力することを覚えてしまう。
母親をシュウ王国で起きたスタンビートで亡くしたエトネは、モンスターの群れに対して硬直する。だが、腕の中のコウエンが冷静に答えた。
「戯け。あれのどこがスタンビートに見えるというのか」
「え? ……あ、ほんとだ。モンスターの数がすくないし、……くるしんでる?」
スタンビートの規模は状況によって違うが、数百から数万ぐらいだ。それが目の前に居るモンスターの群れは、おそらく二十も居ない。あまりにも小規模だ。そして気になる事はもう一つあった。
どのモンスターも疲弊しているのか血を流し、明らかに体が欠損している物もいた。
「ふん。運の良い奴らじゃ。あの程度で正気を取り戻し、なおかつ逃げられるとはな。とはいえ、このまま逃がせば人里に現れ余計な被害も出よう。ちょうど、小腹も空いたところだしな」
言うなり、コウエンはエトネの腕の中からするりと抜け出した。キュイの頭を踏んで高く飛ぶと、あっという間にモンスターたちの頭上へと飛翔した。
そして四肢がどろりと溶けたかと思うと、いくつも枝分かれした木の根となってモンスター達を捕らえると、ぶちりと嫌な音が聞こえた。
瞬きする間もなく、モンスターの群れはモンスターの群れだった物へと変わった。
コウエンはモンスターの死骸から魔石を摘まみあげると、口の中に放り込んだ。
がりがり、と硬い物を削る音がした。
「ふん、やはり思った通り、腹の足しにもならん粗悪な物ばかりだ。だからこそ、逃げてこられたのだろうがな」
「それって、どういう意味?」
「貴様は気にするでない」
コウエンの返答をエトネは予測していたのか、軽く肩を落とす程度だった。それよりも困った問題がある。
どこからともなく、ぐぅ、と音が鳴った。
いや、どこからでは無く、自分のお腹だとエトネは理解していた。
お腹が空いたのだ。
太陽の位置で大よそしかわからないが、もう昼だ。キュイを迎えに行くだけだからと軽装で来たため、野営をする準備なんて一つも無い。
「む、貴様も腹を空かしているのか。ならば、この辺りでも摘まむか?」
コウエンは生暖かいモンスターの肉片を摘まんだ。迷宮で過ごす以上、モンスターの肉を食べる事はあるが、それは適切な処理と調理がされているから食べられるのだ。モンスターの中には毒のある者もいる。ましてや、生肉を食べるほど野生児では無い。
首を横に振ると、コウエンは気分を害したそぶりを見せないが、
「ふむ。じゃが、ここから先はまともな肉の形をした物が残っておるか分からんぞ」
と、謎めいた言葉を発した。
その意味を理解するのに大した時間は要らなかった。
「これは……なんなの」
モンスターの群れと遭遇してから十分も経たない内に、エトネたちは山のすそ野に到着し、言葉を失った。
大地は赤く染まっており、狂ったように叫ぶモンスター達の園だった。多くの種類のモンスターが、何を考えているのか手近に居るモンスターを襲う。自分の牙を、棘を、爪を、尾を、羽を、魔法を使い殺し合っている。赤くなった大地はモンスターの流した血で満たされている。一度倒れれば最後、モンスターたちに食われて肉片も残っていなかった。
「モンスターが、ころしあってる。でも、なんで同じしゅるいのモンスターまで」
地上に出てきたモンスターは縄張り意識が強く、モンスターが相手でも攻撃してくる。ただし、同種のモンスターなら攻撃しない、というのは狩人であり冒険者でもあるエトネにとっては常識だ。ところが、眼前に広がる光景は彼女の常識と反していた。
同じ種族のモンスターが、互いに殺し合っているのだ。まったく同じ攻撃パターンだからか、決着はつかず、全身から血を流していた。
「不信、不安、不満。人が人を襲う理由があるように、モンスターにもモンスターを襲う理由があれば、奴はそれを為せる。……どうやら、思っていた以上に近いようだぞ。いけるな、アホウドリ」
「キュ、キュ、キュイ!」
つっかえながらも力強く答えたキュイは、モンスター同士が殺しあう異常な大地を駆ける。人間がすぐ傍を通るというのに、彼らはエトネに振り向こうともしない。まるで、殺し合いをするモンスター以外、目に入っていないかのようだ。
「正気をうしなってるの?」
「うむ。まさにその通りだ。奴らは正気を失っている。いや、正気を奪われてしまったのだ」
「……うばわれた? 誰に」
「それは―――見ておるのだろう! 姿を現さんか!!」
叫びは龍の咆哮に似ていた。
モンスター同士が殺しあって溜まった邪気を払うかのような叫びの後に、静寂が生まれた。殺し合いの手が止まり、奇妙な静けさの中エトネは何かが近づく音に顔を上げた。
そして、驚きのあまり思考が止まる。
「……よる?」
あり得ない。
つい先程まで、冬の青空に太陽が昇っていたはずだ。それなのに彼女の視界は漆黒に包まれていた。太陽はどこかへと消えてしまった。だが、その闇が本物の夜でないとはすぐに分かった。
翼が空気を叩く音に遅れて風が吹き荒れる。突風と表現するには生易しい暴風は、周囲のモンスター達を一掃した。風に耐えるだけの体力は残っていなかったのだ。
キュイが吹き飛ばなかったのは、咄嗟にコウエンが体を変形させて地面に突き刺し、キュイを掴んでいたからだ。
ただ、キュイにしてみれば吹き飛んでいた方が良かったのかもしれない。
青空が夜に切り替わったと見紛うほど巨大な存在が眼前に降り立っていた。例えるなら、数千年を生き抜いた巨木や、雄大な歴史を感じさせる自然物のような塊が、彼らの前に降り立っていた。
マントのように広がる翼に、背中は荒波で削られた巌のような物が無数に伸びている。
記憶にある黄龍とは違う形だが、エトネはその正体が何なのか理解できてしまった。
「こく、りゅう?」
古代種は六龍が一つにして、『七帝』の一つ『龍王』が三百年ぶりに人の前に現れた瞬間だった。
読んで下さって、ありがとうございます。




