11-40 エトネとコウエンの視点 『前編』
柵に囲まれた広い土地に、立派な建物がある。屋敷と同じぐらいの高さの建物を潜れば、そこは冬の寒さとは無縁の空間だった。エトネの鼻が動物のニオイを掴んでいた。
ここは、学術都市の外れにある馬屋の施設だ。馬だけでなくニチョウも預かり面倒を見ることができ、空調管理がされている建物は馬房となる。
学術都市において馬はあまり重用されていない。魔法工学によってインフラが整備されている都市内で馬を走らせるスペースは無い。
かといって、全く必要ないかというとそうではない。都市内部は魔法工学の道具によって交通網が形成されているが、都市の外は昔ながらの方式を採用している。都市と近隣の村や町、国との交通手段として使用されているのだ。また、冬の時期になると、冬ごもりの為に冒険者があちこちからやってくる。そんな彼らの馬を預かるスペースは確実に必要になるのだ。
そのため、学術都市では馬屋が都市によって運営されており、馬房にも魔法工学の道具が持ち込まれているため、馬を預けていても死亡する確率が低いと人気なのだ。
《ミクリヤ》が『紅蓮の旅団』と共に迷宮へ潜っている間、キュイもこの馬房に預けていた。今日が一カ月ぶりの再会となる。
「キュイ、むかえに来たよ」
「キュ、キュ、キュイイイ!」
女性職員の手によって引っ張られてきたまん丸の形をしたニチョウは、エトネの姿を見るなり斑色の翼を広げる。喜びを全身で表すキュイにエトネも嬉しそうに笑った。
だが、キュイはエトネの横で退屈そうにしている少女の姿を見るなり、暖かい室内にも関わらず凍り付いてしまった。
「なんじゃ、妾を見た途端、その反応。不愉快だな、焼いて食ってしまうぞ」
エトネとは違う種類の、獰猛な笑みには牙のような八重歯が顔を覗かせた。紅蓮の髪を三つ編みに纏め、冬だというのに露出の多い衣服を適当に作ったマントですっぽりと覆っているのはコウエンだ。褐色の肌に紅蓮の髪と目立つ容姿をしている幼女だが、人のような形をしているが人に非ず。肉体は人造モンスターによる変身能力で形作り、中身は赤龍の知識と記憶を持った存在だ。
赤龍の頃と比べれば大分弱体化したが、放つ威圧はただ立っているだけでも周りを無言で威圧する。キュイだけでなく、馬房にいる馬たちも怯えた様に嘶きを繰り返していた。そんなコウエンに向かって、エトネが唇を尖らせた。
「もう、コウエンちゃん。ちょっとはおとなしくしてね。キュイがおびえてるでしょ」
「む。……ふん、妾は何もしてない。このアホウドリが勝手に怯えているのであろう」
「コウエン、ちゃん」
じっと、萌黄色の瞳で見つめられるとコウエンはバツが悪そうにそっぽを向いた。一見すると、ちょっと年上の少女が妹分をたしなめて、背伸びしているという微笑ましい光景。しかし、コウエンの正体を知る者がいれば卒倒する光景だ。
赤龍が引いたのだ。
単なる人間を相手に、譲ったのだ。
そっぽを向いたコウエンは、髪色と同じ紅蓮の瞳を横にずらし、エトネを盗み見た。彼女は持ってきた書類を片手に、馬房の職員を相手に引き取りの手続きを行っていた。
これまで赤龍が向けられていた感情というのは、畏怖や敬意、恐怖と言った感情ばかりだった。
この世にあって、この世ならざる上位者、古代種の六龍として畏怖や敬意を向けられるのは理解できる。例えるなら、古き神話を持つ自然物。人は自身よりも大きな物を神格化して、神秘的な物として捉える。無神時代の初期の頃は、神の代わりの新たな神として祭り上げられたこともあった。
そして恐怖。13神に関する教えを纏め、新たなる神々の信仰を確立した法王庁の出現によって六龍の立場は変わった。勝手に祭り上げられた神から、神の代行者、神の使いといった正しき在り様に戻っていたと表現するべきだろう。だが、そんなあり方もあの戦いで大きく歪んでしまった。
人龍戦役。
人と竜が争った戦争。
人が支配地域を拡大する過程において、竜の生存圏が狭まっていき、そして人との融和を唱えていた白龍の死がきっかけで起きてしまった戦争だ。『龍王』黒龍のもたらした被害は甚大で、結局人魔戦役、人間戦役と続けざまに戦争が起きた原因でもある。
そんな大戦を経て、人々の六龍に対する意識は大きく変わった。崇め奉る対象から、憎悪を向ける存在へと変化した。
特に酷かったのは人間戦役が終わってすぐの頃だ。どの国も限界寸前まで戦争をした事で、国力は大きく乱れ、大地の恵みを大量に求めていた。大地の恵み、即ち魔力を多く保有している龍を殺せば、大地に多くの魔力が流れ、国が発展するという思想が病気のように広まったのだ。
実際、それは間違っていない。
黄龍が溜めこんでいた魔力は、南方大陸に広がる大砂漠を、緑が溢れる土地に変えるだけの力がある。そこまでの規模でなくても、六龍が倒れ魔力が大地に廻れば発展は望めるだろう。
それを成し遂げられるだけの実力があるかどうは別だ。
人龍戦役からそれなりの時間が経過していたため、人々は龍と竜の区別が付かなくなっていた。六龍を前に多くの血が流れ、その量に比例して憎悪は広がっていく。付き合いきれないとばかりに、赤龍は火山の火口近くに居を構え、人の前から姿を消したのだ。
時たま、妙なのが腕試しと称しては訪れていたが、大して記憶には残っていない。最近だと『鍛冶王』テオドールも挑戦したはずなのだが、あまり印象には残っていない。
だがエトネと、そしてこの場にいないレティから向けられる感情はそれまで赤龍が感じた事の無い種類の物だった。
まるで、陽だまりの中で暖まるような、奇妙なくすぐったさが残るこそばゆい感覚。嫌いではないが、どうにも慣れない。
迷宮を潜っている時にレイに相談したが、笑うばかりで答えようとはしなかった。
「……ふん。何を下らんことに囚われているのか。妾は古代種が六龍、赤龍。人と根本から違うのだぞ」
呟きは、まるで自分に言い聞かせるようだった。
「尾紋と個体認識票の確認をお願いします」
職員に言われて、エトネはキュイのお尻にある小さな羽根と、そして首に巻いたタグを確認した。馬屋で気をつけるべき事は、自分が預けた動物を取り換えられる事だ。キュイは黄色の体毛に紺色が斑に混じる特徴的な色合いをしているが、薬液を使って誤魔化すことはできる。しかし、ニチョウには個体を識別する特徴がある。
それが尾紋だ。
人間で言う所の指紋と同じで、ニチョウごとに違っているため識別ができる。預ける際に記録した尾紋と照合して、間違いなくキュイだと判明する。
「それでは、こちらがお預かりしていた鞍などの道具一式となります。えっと、……持てるかな?」
「だいじょうぶ、です」
成人女性には重たい道具をエトネが軽々と掴む。幼い見た目だが、彼女とて冒険者なのだ。
エトネは返却された道具一式がキチンと揃っているか確認をする。知らない場所に押し込められると体調を崩す者もいるため、使い慣れた道具があると安心するため一緒に渡していた。
きちんと数も揃っているし、整備もされていた。
「以上でお預かりしていた物は以上になります。ご利用、ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
深々と頭を下げた職員に見送られながら、エトネとコウエンと、そしてキュイは馬房を出た。途端に冬の凍てつく風が二人と一匹の顔を吹き付ける。エトネはキュイの後ろに回った。
「うう、やっぱり寒い」
コートの下に何枚も洋服を重ね着しても、エトネは体を震わせていた。
エトネは極端な気温の変動に弱い。
中央大陸の南部出身であるエトネは、一年中あまり気温が変化しない土地に住んでいた。そのため、極端に熱いデゼルト国も苦手だったが、同じ中央大陸でも北に近い学術都市の寒さは慣れない。昨日まで迷宮の足裏か冷たくなっていく寒さには平気な顔をしていたというのに。
「もきゅー。ふわぁ、やっぱり、キュイの体はあったかいね」
「キュイ、キュイ!」
後ろから鮮やかな黄色の体毛に体を投げ出すと、キュイの体温もあってか体の芯までぽかぽかとする。このまま鞍を付けて、キュイの体に包まれながら帰宅しようかと考えていたエトネだったが、近くにいるコウエンの様子がおかしい事に気づいた。
「コウエンちゃん? どうか、したの」
コウエンは呼びかけに答えない。
真っ直ぐ、東の方を睨んでいた。
学術都市は複雑な形をした街である。空から見れば、無軌道な増設計画を繰り返したため、道や街並みが画一とされておらず、まるで子供の落書きのような街並みが分かるだろう。
この都市における重要拠点は3つ。
魔法工学の研究と開発を行っている研究区画と、街の地下に広がる巨大な迷宮、そして街を実質的に管理しているギルド会館と周辺の行政機関だ。迷宮はともかく、研究区画とギルド会館には城塞級の警備がしかれており、突破するのは不可能に近い。
この3つを中心として広がった街は、後から後から増設、拡張を繰り返しているため、本来なら街を守る為に展開される防壁が追いつていない。防壁を築いてから街並みが出来たのではなく、街並みのできるスピードに防壁が付いて行けなかったと表現するべきなのだろう。
広大な敷地を誇る馬屋の施設は、街の外れにあって防壁の外になる。
コウエンが睨む東の方角は防壁に遮られておらず、内海を阻む山脈がそびえたっていた。
かつて、人魔戦役の最終局面。
『魔王』フィーニスと『勇者』ジグムントは中央大陸の中央部分で激突した。
フィーニスの敗北として終わった戦いは、人魔戦役を終らせる一戦となったが、その被害は甚大だ。大陸の中央部分が吹き飛び、大陸に亀裂が走り、海が逆流。大陸の中央部分には荒狂う内海が誕生したのだ。
そしてもう一つ、地形が変わった場所がある。
フィーニスとジグムントの規格外の強さゆえに大陸の中心は吹き飛び海が出来たが、全ての大地がこの世から消し飛んだ訳では無い。
風向きの影響があったのか、あるいは二人の戦いの向きがそちらだったのか。とにかく、人魔戦役が終わりし時、人々は驚きと恐怖を抱いた。
中央大陸の中心に海が誕生し、西側の湾岸沿いに巨大な山ができていたのだ。
正確に言うならば、それは土砂の塊。吹き飛んだ大地が積み上がってできた山のような存在だ。
「……これは、気づかれた……いや、気づかされた、と言うべきか。呵々、中々難儀な事だな」
雄々しくそびえる山から視線を外すと、コウエンが何かを呟いていたがエトネには理解できなかった。もう一度呼びかけようとする前に、彼女には別の声が届いた。
『待って、エトネ』
声は彼女の頭の中で響いたが、エトネは驚かない。むしろ、友達の声が聞けて少しだけ嬉しそうに微笑んでいた。
「ハヅミ? どうかした。夜じゃないのに、よびかけるなんて」
ハヅミとは、水の超級精霊の末端にして中枢を司る存在の名だ。エトネが見つけ、本来なら消えてしまう彼女を自分の中に住まわせている。以来、ハヅミはエトネだけに協力する精霊として、彼女の傍を離れようとはしない。夜になれば夢の中で一緒にお喋りをする仲だ。
『ごめんなさい。今は、状況を説明している場合じゃないの。悪いんだけど、体を貸してちょうだい』
「うん、いいよ」
唐突な頼み事だが、エトネは二つ返事で応じた。友達の頼みだ、断わる道理が無い。
瞬きをすると、エトネの萌黄色の瞳に青い縁が入った。エトネの中にいるハヅミは、エトネの体を一時的に借り受ける事が出来る。彼女が嵌めている指輪の魔力を使えば、精霊の力を行使することもできるが、使わなければ短時間の入れ替わりだ。
「コウエン様」
「呵々。貴様も感じたか」
「はい。やはり、いましがたの気配は間違いなく」
「うむ、あやつじゃろうな。まったく、隠そうともせずに吼えるとは。貴様も気づいておろう。この都市に住み着く精霊共が震えておる。呵々呵々!」
愉快げに笑うが、エトネの体を借りているハヅミの表情は晴れなかった。それだけ、状況がひっ迫しているのだ。
「何をお笑いになっているのですか。すぐさま対処に動かなければ」
「対処? 対処と来たか。面白い事を言うのう。具体的にはどうするつもりなのじゃ?」
「それは……まずレイにこの事を伝え、彼を通じて街に警報を発し、街に常住している戦力をかき集めて」
「残念じゃが、それではどうしようもあるまい。貴様の申す事は理に適っているが、片手で持てる器で海を干上がらせようとするのと同じだ。どうあがいても、勝ちの筋道は見えん」
「それは……そうですが」
ハヅミはそれ以上何も言えなかった。
コウエンの言う通りだ。彼女たち二人が感じ取った生物の気配が間違っていなければ、この街に対抗する存在は皆無だ。
「レイに言えば、奴の性格を考えれば必ず騒動の解決に乗り出そうとするが……此度は相手が悪すぎる。いずれは相手をしなければならないだろうが、今では無い」
「では、どうするのですか。このまま様子見をして、街に戻られるのですか?」
「否。それは悪手だ。先程の咆哮は、こちらに気づかせるための狼煙じゃ。我、此処に在り。そのような意味を込めた狼煙を無視すれば、奴の事じゃ。街に来るという選択肢もあろう。そうなれば最後、学術都市の終わりが今日となろう」
「……ならば、如何するのですか。街に戻らないのなら」
「決まっておる。此方から出向いてやるのだ。鞍を渡せ」
言うなり、コウエンはハヅミの持っていた鞍を奪う。そのままキュイの体に巻きつけようとするが、やり方が分からないのかベルトが絡まってしまう。金具の冷たさか、あるいはどこかを引っ張ったのかキュイが嫌そうにもがいた。
「キュ、キュ、キュイイ!」
「ええい、暴れるでない、このアホウドリめ! くっ、この!」
必死になって抵抗するキュイに苦戦するコウエンだったが、横から入った手によってベルトはあっという間に止められた。
「貴様、戻ったのか」
エトネの瞳から青い縁は消えていた。エトネが口を開いた。
「なにが起きているのわからないけど、おにいちゃんをたよれないの?」
「……うむ。街に戻れば、あそこが戦場となろう。ゆえに、妾はこやつを使ってあの山を目指す。じゃが、貴様は街に戻れ。そしてレイに事情を説明して―――」
「―――ううん、いっしょに行く」
「なんじゃと?」
コウエンの瞳が不快だとばかりに細くなった。まさに龍の眼光と呼んでも差し支えない。
「いくら童子だからといって、貴様とて戦人。今がどのような時なのか理解しておろう」
「うん。なんとなくだけど、二人のはんのうから、わかる。すごく、きけん」
「ならば―――」
続けようとした言葉はエトネに遮られてしまった。
「―――コウエンちゃんが、帰ってこないつもりなのも、わかる」
「……むぅ」
己が本心を言い当てられて、コウエンは押し黙った。
その通りだった。
彼女は自分が戻って来れなくなる可能性を覚悟していた。というよりも、自分という存在に価値を見出していなかった。
彼女は龍刀コウエンの中で誕生した存在だ。
龍刀を作られるのに使われた赤龍の血肉と、ゲオルギウスの高濃度の血。それらが絡みあった結果、赤龍の力と意思を引き継いだ武具がこの世に誕生した。
コウエンの存在価値は、龍刀に宿るむき出しの赤龍の力を上手く引きだしてレイに与えることだった。
例えるなら、火力を調節する為のツマミ。火が消えないように、かといって焦げないように調節する為の存在。
しかし、デゼルト動乱を経てからレイは龍刀の力に慣れるようになっていた。
きっかけは神前決闘。
数奇な運命を経て再び対峙したゲオルギウスとの戦いによって、レイの器は一段階進化していた。レベルでは無く、存在としてひと回り大きくなっていた。龍刀を自在に操る日も近いと感じていた。
そうなれば、自分の存在意義は無い。
コウエンはレイにも影法師にも黙って、そんな事を考えていたのだ。
そして、迎えたあの日。
レイが自身の秘密に触れ、精神が崩壊していく最中。コウエンはあの瞬間を自分の死に場所と定めた。これから先、自分が不要になるなら、今ここでレイの為に消えるべきだと決めた。
その覚悟通り、彼女は自身を犠牲にしてレイを救った。
それが、色々な要素が絡み合った結果、人造モンスターとして転生する事になるとは夢にも思わなかった。こうなると予測して自分を犠牲にしたのでは無い。
第二、あるいは第三と呼ぶべきか。
新しい命を得たコウエンは、それでも自分の存在意義に悩んでいた。今の彼女は人造モンスターの中に宿る存在。赤龍としての知識はあるが、力は龍刀に置いて来てしまった。赤龍の核である魂は既に大地へと還っているため、コウエンがどうなろうが関係ない。
彼女には生きる理由も死ぬ理由も無いのだ。
だからこそ、今回彼女は自分が死ぬだろうと予測して、それでも良いと考えていた。
使い道の分からない命を、ここで使うのに何の問題があるのだろうか。
そんなコウエンの本心を、エトネは萌黄色の瞳で見抜いていた。
「コウエンちゃんを、一人でいかせない」
またしても、コウエンの背中はむず痒さを覚えた。向けられたことの無い種類の感情に、体がどんな反応するのが正しいのか混乱しているのだ。
「……どう、してだ?」
絞り出すように尋ねた一言が限界だった。
エトネは何の気負いも無く、当たり前のように言った。
「だって、仲間で友達だもん。あぶないことをするなら、いっしょだよ。ね、キュイ?」
「キュイイイ!」
力強いニチョウの返事に、コウエンはそれ以上何も言えなかった。
ただ、エトネから向けられる感情を、悪くないと。
そう思っていた。
読んで下さって、ありがとうございます。




