11-37 偽りの都市 『前編』
未来の自分と同期する事で、これから起きることを知るオルタナの力には致命的な弱点がある。それは未来を変えられないという事だ。
オルタナは人の枠を超え、精霊に到ろうとして失敗し、世界の枠組みから外れてしまった。世界に張り付いた染みのような現象となって固定された。
そのため老化や成長をする事なく、常に同じ自分であるからこそ未来の自分と同期するという荒業が可能になった。だが、オルタナに未来を変える事は許されない。世界から弾かれた者が、世界を変える事はあってはならないのだ。
そのため、オルタナは先の自分と同期して得た情報を、そのまま繰り返すという弱点があった。アクアウルプスでシアラと出会うという運命を知った瞬間から、アクアウルプスでシアラと出会うという運命を実現しなければならない。
オルタナにとって運命を知るというのは、運命に隷属するのと同じなのだ。
そんなオルタナにとって、『招かれた者』は運命を乱す不確定要素だった。
『招かれた者』はこの世界の外からやって来た魂だからか、運命に対する影響力がとてつもない。それは共に旅をした『冒険王』エイリークや『魔導士』オルタナ、そして『魔王』フィーニスも同様だ。彼らが関わると同期して見た未来が、容易く書き換えられてしまう。
だから、オルタナにとって氷の霧を生みだすという光景を見た瞬間、氷の霧を生みだす事は規定路線であり、その結末がどうなるのかは『招かれた者』が関わっている以上予測できないのだ。
言ってしまえば、オルタナが未来を見た瞬間に敗北は決まっていた。
人が津波のように押し出される。フィーニスの足元で蠢く影から、老若男女、人種も違う人々が後から後から湧き出てくる。どれも意識を失っているのか、人の波に押されて潰れても抜け出そうとしない。
先に影から吐き出された人々は、くぐもったような咳を繰り返すと、血を吐きだした。一人、二人、五人、十人。数は時間を増すごとに増えていく。まるで肺を裂くような咳は重なっていき、不気味な怪物の唸り声のようにも聞こえる。
だが、それは一定の音量を越える事は無い。
体力の弱い者からせき込むのを止めていくのだ。
「フィーニス!! てめぇ!!」
「あははは! 怒るのは後回しにした方がいいよ。じゃないと、君の魔法で盾たちが全滅しちゃうよ。そうなったら、君。おしまいだろ」
誰もが見惚れる美貌が、生き物の腸のように醜く歪む。
下卑た笑みは嘲笑を伴った。
「あははっはは! もう、手遅れか。そら、始まるぞ。見物じゃないか。精霊の紛い物が堕ちる姿なんて!」
フィーニスの影に囚われていた人間の数はレティとクロノを含めて、丁度千人だ。影の中に収容できる限界の人数であり、きりの良い数字だった。これだけの人数を影の中に捉えていたのは、やはり人質の意味もあった。
フィーニスにしてみれば、オルタナは厄介な敵だった。広範囲に渡り展開できる高威力の魔法に、不死身と呼べる不死性。そして、あらゆる存在に触れる事の出来る《万能ノ手》は、捕まえた二人を無理やり引きずり出す可能性があった。
なにより、フィーニスはオルタナとの戦闘経験がほとんど無かった。
人魔戦役の際には、オルタナは魔人討伐に出てこなかった。人龍戦役は、世界その物が滅びる可能性のあった戦争という事もありオルタナは積極的に前線に出ていた。一方で人魔戦役は、人間同士の殺し合いだった事もあり、早々に傍観を決め込んでいた。時折、不肖の弟子の頼みがあれば出てきたが、ほとんど不干渉だった。
本気のオルタナとやり合った経験は無いに等しい。
だから、オルタナがどのように戦うのか、直接手合わせしておく必要があった。それが一戦目の戦いだ。偽りの学術都市を灰燼と化す勢いの攻防の末、一度はオルタナを撃退した。しかし、フィーニスはオルタナに勝てないと判断した。
オルタナは不死だ。
この世界から拭いきれない染みとして存在するオルタナは、倒す事はおろか消耗するという概念すらない。事実、一戦目から一時間も経たずに現れたオルタナは、一戦目と同じ覇気を纏っている。一方でフィーニスは消耗していた。
『魔王』といえど生物だ。戦えば疲れるし、回復するのに一定の時間が必要だ。
このまま馬鹿正直にオルタナと正面からやり合えば、どれだけ勝っても最終的には負けてしまう。
そこで思いついたのが人の盾。
影の中に大量の人を取りこみ、要所要所で文字通りの盾として使う。
オルタナが精霊の紛い物とはいえ、精霊と同じ縛りを受けているのは知っていた。人を殺せないオルタナにとって、人の盾は有効だと踏んでいた。
影に取りこんだ二人を奪われないための予防策としても効果があると睨んでいた。木の葉を隠すなら森の中。影の中に人を増やす事で、奪われるリスクを減らしたのだ。
それが、よもやここまでの結果をもたらすとは想像すらしていなかった。
氷の霧が晴れていくと、出来たばかりの屍に大勢の人が重なり、歪んだ笑みを浮かべた『魔王』、そして黒い靄を纏ったオルタナが立っていた。
靄はオルタナの足元から頭までを鎖のように縛っている。
歯を食いしばる口元からよだれが垂れ、喉奥からは人の声とは思えない唸りが上がる。何より、肌で感じられるほどに圧が強い。
倒れ伏す人々を蹴り飛ばし、ジャイルズがフィーニスを庇う。
「陛下、お下がりを。ありゃ、尋常じゃねえ」
いつもの粗野な態度はどこかへと消え、ジャイルズは透明な槍を構えていた。視線は一点を集中するのではなく、全体を見る。そうする事で敵がどんな行動をしても、すぐに対処できるのだ。
しかし、ジャイルズの肌は別の物を感じた。冷たい水滴。視線を一瞬上に向ければ、いつの間にか偽りの学術都市を覆うように、雨雲が広がっている。
暗く、重たそうな雲から無数の雨粒が降り注ぐと、異変はすぐに起きた。
ジャイルズの腕が燃えたのだ。
「―――っ!? ちぃ!!」
歴戦の戦士もこれには驚いた。何の前触れも無く、火種も感じさせない内に炎が腕に巻き付いた。咄嗟に振り払おうとするも、炎は意思を持ったかのように腕を伝い首へと伸びていく。
「くっ、何だ、この炎は。振り払っても消えないぞ!」
「ジャイルズ! 前だ!」
「なっ!? オルタナっ!」
警告の声に、自分の反応が遅れたと知る。
いつの間にかオルタナの周囲を浮遊していた氷柱が迫っていたのだ。
その数は十本。
回避不能と悟ったジャイルズは、槍の戦技を解放した。
「《獅子爪牙》!」
振るった一撃が、猛獣の如き一撃と恐れられた戦士の戦技。空間そのものを薙ぐ技に氷柱は一瞬で砕け散った。
雨の中きらきらと砕ける氷の欠片は、ジャイルズの見ている前で水となった。雨水とは違う水の塊は戦技を放った直後のジャイルズを取りこんだ。
そして、水が炎に変化したのだ。
何の前触れも無く、何も感じる間も無く、トランプを捲るかのように変質した。
「ぐおっぉおおおおおお!」
炎に包まれる中、ジャイルズは自分の身に起きた事の原因が理解できた。
腕が燃えた原因は雨だ。氷が水に、水が炎に変わったように、空から降りしきる雨が炎に変化したのだ。
理屈は分からないが、そうとしか思えないのだ。
何故なら、炎に包まれているジャイルズの眼球が、自身を包む炎の向こう側に広がる地獄絵図を捉えていた。
雨に混じり空から炎が降り注ぎ、偽りの学術都市が炎に巻かれている。フィーニスが用意した人の盾が生きながらに燃えていく。この場合、意識を取り戻した方が不幸だろう。目が覚めれば自分が燃えているか、あるいは隣に居る誰かが焼けていく様を直視するのだ。
悲鳴が彼方此方で上がり、状況は混沌としていく。
それをもたらしているのは、間違いなくオルタナだ。黒い靄に包まれていき、男の姿はもう見えない。
「滑稽な姿だね。精霊が堕ちる姿は、いつ見ても無様だ。自分を失い、狂気に落ちる姿を隠そうとしている。かえって醜くなっていくのを、なぜ理解しようとしないのだ」
人を殺すという禁を犯した精霊は、堕ちてしまう。精霊という枠から外され、この世で最も低く卑しい存在へと追放される。自我を奪われ、姿を隠し、そして消える最期の一瞬まで、この世界に存在を残そうと必死にもがくのだ。
まるで、世に認めれなかった芸術家が必死になって作品を作り上げる様に、多くの人々を殺す。
炎に包まれたジャイルズの足元から影が伸びると、炎ごとジャイルズを飲み込んだ。
そのまま影は鎧となってジャイルズを覆った。
「さて、そろそろ幕引きと行こう。ジャイルズ、しばらくはそれを着けて戦え。炎ぐらいは防げるよ」
「……これでも、全身大やけど中なんですけど。人使いの荒い方ですよ」
ぼやきつつもジャイルズは構えを取る。それに応じる様に、手には影の剣が握られていた。
魔人が堕ちつつある精霊と向き合う横で、ポラリスもまた戦闘継続の意思を取る。彼女の狙いは、あくまでもフィーニスであり、クロノとレティだ。
急速に充填されるエネルギーが空気を震わしていく。
「あははは! いいねぇ、実にいい! さあ、思う存分にやり合おう!」
『魔王』が吼えると、怪物達は一斉に走り出した。
―――それは掛け値なしに地獄の光景だ。
人々の肉片が瓦礫に混じり散らばる。
燃える建物が崩れる度に、火の手は勢いを増している。
嵐が通り抜けると風景は一変し、元の姿を思い出すのが難しい。
『魔王』が、六将軍が、『魔術師』が、『機械乙女』が、世界を地獄に塗り替えていく。
オルタナから理性が消えつつあるというのは、実の所彼が手加減をする理由が消えたという事に他ならない。
精霊の紛い物であるオルタナは、フィーニスやジャイルズが相手でも人を殺してはいけないという制約が働いていた。『魔王』を相手に手を抜かざるを得ない。それが一戦目の敗北に繋がっていた。
その制約が働いていないのだ。
繰り出される魔法―――否、自然現象は常軌を逸している。
空に地面が生まれ、流星のように落ちていく。
大地が炎に包まれ、空をも赤く染めあげる。
常識が砂糖菓子のように崩れ去っていく。
辛うじて炎が少ない場所を見つけたリザは、それまでに多くの人の死体と遭遇していた。どれも、真っ当な形をしていない。四肢の内、どれかが胴体とくっついていれば運の良い方だ。
「これが……これが『七帝』同士の激突。こんな存在を相手に世界を救えと、そんなの、どうすれば」
見上げた空では、フィーニスとジャイルズが、ポラリスとオルタナとぶつかり合っている。
ジャイルズはフィーニスと同じ影の鎧を身に纏い、次々と武器を変えながら翻弄する。
フィーニスの姿は異形と化していた。ジャイルズと同じように影の鎧を纏っているのだが、蜘蛛のような足や副腕が背中から生え、全身が一回りも二回りも膨らんでいるのが地上からでも分かる。まさに『魔王』と呼ぶに相応しいだけの威容を放っている。
オルタナを包む靄は完全に彼の姿を消している。靄の中にいるのが人なのか、あるいは怪物なのかすら判別できない。
ポラリスの姿は他に比べれば変化していない。とはいえ、空を縦横無尽に駆け回り熱線を放ち、あの怪物達と互角に渡り合う姿は人知を超えているのだ。
彼らが戦えば戦うほど、偽りの学術都市は崩壊していく。
気になるのは、この空間魔法がいつまで効力を保てるのかという点だ。
術者であるオルタナは暴走状態だ。いつ、どうなるのか分からない。
もしも、魔法が解けてしまったらどうなるのか。魔法に詳しくないリザは、正確な事態を想像する事は出来ない。だが、その結末が悲劇的なのは肌で感じている。
しかし、もうどうする事も出来ない。
崩れ落ちた建物の中から、空を見上げるしか出来ないのだ。
その時、反転した背後の時計が、二十分を越えようとしていた。
―――そこは、控えめに言っても地獄だった。
空まで紅蓮に染め上げる炎。肉片と瓦礫の区別もつかないほどに散らばった人の欠片。冷たい雨に混じり大地が落ちてきて、常識が崩れ去るとしている。
「……どうなってんだ、これは。ここは、学術都市、なのか」
レイが呆然と呟いてしまうのは仕方がない。
数秒前と、影による転移を行う前とのあまりの違いに気が遠のきそうになる。年の瀬が迫り慌ただしい空気と、新年を心待ちにしている人々の気持ちが混じった街が、壊滅状態だった。
「主殿、上に飛んでくだされ!」
ヨシツネの叫びに体が反応した。地面を蹴ると、レイの体はヨシツネが伸ばしたマフラーによって引き上げられた。隣にはシアラも居た。数秒遅れて、レイ達が転移した建物は崩れ炎に包まれた。
辛うじて残っていた壁を伝い、無事な建物の屋根へと移動すれば、悲惨な光景が広がるばかりだった。見渡す限り、死と破壊の爪跡だらけだ。
「どういう、事なんだ。どうして学術都市が、こんな!」
「落ち着いて、主様。ここは本物の学術都市じゃない。オルタナが生み出した偽りの学術都市よ」
前の時間軸で、フィーニスがオルタナに連れて行かれたのを知っているシアラは、辛うじて読める看板が鏡に映したように反転しているのを見て、ここが作りものだと気づいた。
シアラから話を聞いていたレイは、幾らか衝撃が和らいだ。しかし、直後に炎に巻かれて燃えている人の欠片に気づいた。
「なら、あそこで燃えているのは何だよ。魔法で生み出した空間は人を再現しないんだろ?」
「……多分、巻き込まれてしまったのよ。オルタナかフィーニスかポラリスか、誰かは分からないけど、魔法で生み出された世界に連れ込まれて……巻き込まれて……こうなったのよ」
言葉を失ってしまう。
想像以上の事態に、何も言えなかった。ただ、ヨシツネは幾らか冷静に状況を分析していた。
「主殿が死なない所を見ると、リザ殿は無事のご様子。しかし、この状況下で探すのは困難でござるな」
「そうね。だから、こちらか呼びかけてみるわ」
シアラは杖を喉元に突きつけると、《送声》を詠唱した。
「《聞こえる、リザ! どこにいるのか、知らせてちょうだい!》」
端的なメッセージが届いたのかどうか、すぐに分かった。
紅蓮に包まれる学術都市の一角に、薄紅色の極光が生まれたのだ。
それはレイ達も、そして上空に居る怪物達にも見えた灯だった。
読んで下さって、ありがとうございます。
新年初主人公。




