11-21 シアラの視点Ⅴ
「魔人種は数が少なくてね。個人単位だったら人間種や獣人種よりも強くても、数の前にはひれ伏すしかない。正面切っての戦争なんて、それこそ片手で数えられるぐらいしかした事が無いんだ。戦力的に不利なボクたちは、こういった都市部への侵入、攪乱、破壊工作が基本戦術なのさ」
言いながらフィーニスはコートの懐に手を入れ、蓋がされたフラスコを取り出すと中身を頭にぶちまけた。液体が髪に触れた瞬間、染めてあった頭髪からべりべりと剥がれる音がして、隠れていた白髪が冬の外気に晒される。
役目を終えたフラスコは地面に放り投げられ、フィーニスが瞬きを繰り返すと瞳の色を変えていたガラスが外れ、禍々しき金色の瞳がシアラを射抜く。
「だから、こんな風に変装技術や人払いの魔法といった、小技が得意なんだよ」
あっという間に本来の姿を現したフィーニス。
年の瀬で混みあう学術都市の大通りでそんな事をすれば、すぐさま注目を集める行為だ。それなのに堂々と姿を現したのは、周りに誰も居ないからだ。何時から居ないのか気づかないほど自然に、あれだけいた人混みは影も形も無くなった。周辺の建物からも人の気配はしない。まるで、この一角だけが無人になったかのような静けさだ。
「なんて、うかつなんだ。こんなにも堂々と人払いをされて気付かないなんて!」
悔しそうに歯噛みするキョウコツだが、相手は人類を相手に戦争を仕掛けた怪物。言葉は悪いがシアラやキョウコツ程度が出し抜こうとするのに無理があったのだ。
フィーニスは顎に手を当てながら距離を保ったままシアラに声をかけた。その表情は穏やかで愛情さえあった。
「シアラ、大きくなったね」
シアラの返事は無い。フィーニスの優しげな表情とは真逆に、彼女は唇を固く結んでいる。杖を引き抜き、いつでも行動に移れるように精神力を汲みだす。
「最後に会ったのは君がアレクサンドの作った島に移住する、少し前か。ゲオルの魔法を浴びて時間の流れが狂ったんだろ。今は……七十歳ぐらいかな」
魔人種と人間族の雑種であるシアラは長命だ。五年に一度ぐらいのペースで年をとるため人間族で換算すれば今が十四歳ぐらいだ。
「本当に大きくなった。娘にも似ているし、妻にも似ている。だが、眼差しはアレクサンドそっくりだ。ボクは彼が好きだったな。あの混乱と戦乱の時代に平和を成し遂げようと努力した彼を尊敬していた。もしかしたら、彼が七番目の魔人になっていたかもね」
言葉だけを切り取れば孫の顔を久しぶりに見て感慨に耽る祖父だが、口にしているのがシアラと同年代ぐらいの少年だから違和感が付き纏う。いや、そもそもシアラとフィーニスの関係性を考えれば、こんな風に穏やかに話しかけられる方がおかしいのだ。
彼女は意を決して口を開いた。
「思い出話はそこまでにしてちょうだい! そんなのを聞きに来たんじゃないのよ、おじいさ……いいえ。『魔王』フィーニス」
固い声色とは裏腹に、シアラは自分の声が震えていないか気が気では無かった。穏やかに微笑むフィーニスの全身から立ち上る、悪魔じみた殺気に体が絡め取られ動かなかった。心臓を直接撫でられるような悪寒に体の芯が凍り付く。
それでも仲間のために勇気を振り絞って言葉を紡いだ。
「ワタシの仲間、レティとクロノはどこ!? 二人を返しなさい!!」
言葉と共に上げた杖は音も無く忍び寄っていた黒い影に切断された。地面を這うように進んだ影は突如として槍のように鋭く伸び、杖の半ばを断ち切りシアラの眼前で止まる。あと少し伸ばせば、頭蓋すら貫通しそうな鋭さだ。
切り落とされた先端は影に飲まれてそのまま消えた。
「無粋だね。そんな危ない物突きつけるなんて、家族の語らいもできやしないだろ」
槍は一瞬で形を崩すと地面に落ちる。だがフィーニスの元に帰るのではなく、シアラとキョウコツを逃がさないように円を描いた。影は波打っており、いつでも貫けるように準備してある。
「……白々しい。どの口がそんな事を」
「杖を向けたのは君が先だ。……とはいえ、そんな事は水に流そう。それで、質問は君の仲間をどこにやったか、だったね。どうやらジャイルズと出会ったようだ。話が早くて助かるよ。彼女らなら、ここさ」
そう言って、フィーニスが足で地面を鳴らすと影の一部が噴水のように吹き上がる。垂直に起立した影の中からレティとクロノの上半身が吐き出された。
「レティ!! クロノ!!」
シアラの叫びに二人は応じない。一瞬、死んでいるのではと恐れたが、それは無いとすぐに気づいた。レティが死んでいれば対等契約が発動してレイが死んでいる。レイが死んでいれば《トライ&エラー》が発動するか、もしくは対等契約によってシアラが死んでいる。どちらにしても、死んでいるレティを見るという状況は起こりえないのだ。
だが、死んでいないからと言って胸をなでおろす事は出来ない。単なる気絶なのか、そうでないのかは重要になって来る。
「二人に何をしたの?」
「別に? 暴れられるのも面倒だと思って眠らせただけだよ。命に別状はないよ。……命はね」
言外に命以外はどうなるか保証しない。そんなメッセージがフィーニスの微笑みに含まれていた。
「要求はなに? 二人を誘拐して何が目的なのよ」
「おや、なにやら勘違いしているようだ。ボクの目的はこの子たちで、君達に興味は無いよ」
「嘘をおっしゃい。本当に二人が目的ならさっさと学術都市から立ち去るはずよ。なにしろアンタは怖い存在に遭遇したんだから、ここに居たくないはずよ」
「……なるほど。ポラリスの事を聞いているようだね」
フィーニスの金色の瞳が僅かに動くと、それだけでキョウコツの体は震えた。まるで蛇に睨まれた蛙のように、脂汗をかいている。
「あら、その様子じゃ知らないようね。ポラリス以外にも厄介なのが来ている事を」
「……なんだって?」
ここに来て初めてフィーニスの微笑みが崩れた。鋭い刃を思わせる双眸に、圧力が増した。空気が歪み、高地に放り出されたように酸素が薄く感じた。
その時だった。
遠来から風きり音が聞こえたのは。
それは時を重ねるごとに高く大きくなっていく。近づいているのだとシアラが気づいた時には衝撃音を響かせていた。地面が砕け、粉塵が舞うとキョウコツが反射的に逃げ出そうとした。だが、影が行く手を阻む様に刃に姿を変え、粉塵もフィーニスが片手を振っただけで霧散してしまった。
けたたましい音をさせて着地したのは、傷だらけの半身を晒している少年だった。フィーニスが取り出したレティたちは影ごとなくなっているため、仕舞ったのだろう。
「ジャイルズ。前から言ってるけど、一応隠密行動中なのは分かってる? こんなに騒がしくしちゃ、ボクが人払いを発動させている意味が無いだろ」
「いやー、すいませんね陛下。なにしろ、不精な性格は三百年経っても変わらないもんで」
「居直らないでよ。忘れたのかい。君の失敗で、人斬りエルフに三日三晩に渡って追いかけ回された時を」
「えー、それを言うんですか。三百年も前の事なのに。大体、あの時は陛下だって認識疎外の魔法をうっかりかけ忘れてたじゃないですか! だから俺がやらかしたのが、そのまま正体見破られる原因になったんだ!」
「あ、この。ボクは陛下だぞ。失敗ぐらい大目に見るか、臣下がさらっとフォローする場面だろ」
二人はシアラ達の事を忘れた様に言葉を交わす。
その光景は人類に恐れられた『魔王』と六将軍の会話というよりも、どこか気の置けない仲間同士の屈託ない会話のように聞こえた。まるで屋敷の応接室で皆が集まって団欒をしている午後と同じ空気があった。
だが、状況が好転した訳では無い。むしろ悪化している。
研究所でヨシツネが足止めしていたはずのジャイルズが此処にいるというのは、どういう事なのか。それを理解したシアラは奥歯を噛みしめた。
ヨシツネは死んだのだろう。時間にして十分も経過していないが、彼の力量で魔人を足止めできたのだけでも驚異的な結果といえた。そして、こうなった以上シアラは《トライ&エラー》を使い、彼の死を無かった事にする義務がある。
一瞬のミスが命取りになる極限状態で、余計な考えや思考、感情は判断を鈍らせる。ヨシツネの死に涙を流すのは今じゃない。
「アンタが来たという事はヨシツネを倒したってことかしら」
仲間の死に動揺していないとばかりの態度を取りながら尋ねると、ジャイルズはぎくりと背中を震わせた。予想外の反応にシアラは眉をひそめた。
「あー、そのー。姫さん? できればその事は触れないでほしいと思うんだけど。……ね、ね」
「ジャーイールーズ?」
がしり、と。冷汗をかく魔人の肩を『魔王』は掴んだ。細い陶磁器のような小さな手が肩に食い込み、ばきばきと枯れ枝を折るような音がしていた。
「ちょ、陛下陛下! 肩の骨、砕けてる、砕けてる!」
「キミ、まさかとは思うけどレイ君の仲間を殺していないだろうね。言ったよね、ボク。レイ君の仲間を見つけたら生け捕りにしろって」
予想外の指示にシアラは驚くが、すぐにその意味を理解した。
フィーニスはレイに対して執着を見せている。レイが自分と同じ13神に選ばれた『招かれた者』だからなのか、彼に自分の力を分け与えて七人目の魔人に育て上げようとしている節がある。
フィーニスの影は憎悪を餌に膨らみ、宿主に侵食する。レイの仲間を生け捕りにするのは単純に殺すよりも憎悪を掻きたてる材料にするためだろう。
肩を砕かれたジャイルズは痛みの声を上げつつもどこか余裕を醸し出しながら、フィーニスに向かって声を張り上げた。
「違うんですよ、陛下! 俺じゃないんです。あの弱っちい人間を戦闘不能に追い込んで、こっちに連れて行こうとしたら、アイツに邪魔されたんですよ」
「手負いとはいえキミが邪魔された? そんな分かりやすい嘘を吐くなんて、嘆かわしいね。それでもボクの弟弟子なのかい」
「いや、本当なんですよ! 何でか知らないけど、アイツが邪魔しやがって―――って言ってる傍から来やがった!!」
自分が飛んできた方角を必死になって指差していたジャイルズが叫ぶと、フィーニスも気づいたのか影を呼び寄せる。あっという間に繭のように自分たちを覆い隠した。
直後、目を眩ませるような稲妻の嵐が影の繭に降り注いだ。
「キャアアアアア!」
「今度はいったい、何なんだ!!」
稲妻は二人の網膜に白と黒の色を焼きつける。耳をつんざく轟雷に反応して、シアラとキョウコツは身を寄せ合って姿勢を低くした。嵐の中に飛び込んでしまった小舟のように、ただひたすら嵐が通り過ぎるのを待っていた。
数秒か、数分か。
正確な時間は分からないが轟音と衝撃が止んだ頃になってようやく二人は顔を上げると、辺りの光景は様変わりしていた。通りの両側にあった建物は黒焦げになって半壊し、地面に敷き詰められた煉瓦は砂のように砕けていた。人知を越えた破壊に戦く二人は、そろって新しい人物の登場に気づいた。
革のコートを着込み、テンガロンハットを頭に載せている男、オルタナだ。
魔法を放ったと思しき犯人は、自分のした事を一顧だにせずに黒い繭を睨んでいた。
魔法の威力は周囲の状況を見ればひとめで分かる。
おそらく超級旧式魔法数発分の威力。今のシアラじゃ、逆立ちしても出せない。『賢者』マクスウェルがカタリナに与えられた魔人の力を利用した魔法なら、あるいは届くかもしれない。
そんな威力の魔法が直撃したというのに影で生みだした繭には亀裂すらない。繭は天辺から解けると、そこには無傷のフィーニスと透明な槍を取り出して身構えるジャイルズが居た。
フィーニスは不思議そうに小首を傾げた。
「オルタナ……じゃないか。驚いたな、君までここに来ていたのか。……いや、キミの行動原理を考えれば、来ていて当然か」
「……フィーニス。てめぇが影の国にひきこもって以来だな。随分とまあ印象が変わっちまったな。どうしたんだ、その白い頭は?」
「ふふふ。いめちぇんという奴さ。初めて会った時から、その姿のまま世界に残り続けている残滓には出来ない芸当だろうね」
「はっ。ジグムントにやられて力を失った証だろ……それとも別の何かに力を注いでいるのか?」
問いかけにフィーニスは笑みを深くするだけで答えようとはしなかった。オルタナは舌打ちすると、
「てめぇが影の国で何をしてようが興味ねぇ……たまに、こっち側の迷宮に足を運んでいたらしいが」
「世界の理から外れ、神の如き視点を持っている存在が事もあろうにストーカーまがいな事をしているとは。何とも嘆かわしいね」
「いつ破裂するか分からん爆弾がひょこひょこ動き回ってんだ。気になるな、という方が無理があるだろ。引きこもっている分なら、誰にも迷惑かからねえ。大体、迷宮なんかで何をしているんだ?」
「日光浴さ。キミも知っているだろ。ボクの肌は日の光に弱いんだ。ジェルを付けていても、長時間晒していると赤くなってしまうのさ。それが嫌だから、せめて迷宮の光で無聊を慰めているのさ」
「日焼けを気にする『魔王』がどこにいるんだ」
「不思議な事を言うね。此処にいるだろ」
軽口の応酬だがジャイルズのと違い、互いに心を許していないのは明白だ。なぜなら二人の体から立ち上る圧は凄まじく、激しくぶつかり合っていた。建物が震え、地面に亀裂が生まれ、空が震えている。槍を構えたジャイルズの額にはうっすらと汗が浮かび、伏せたままのシアラ達は立ち上がることさえできない。
これが『七帝』同士が対峙するという事なのだ。
かつて、デゼルト動乱で『守護者』サファが『機械乙女』ポラリスと『勇者』ジグムントとそれぞれぶつかった。ポラリスとの戦い時は別行動を取っており、ジグムントの時も遠巻きでしか見えなかった。
それでも『七帝』同士の激突は大地を揺らし、同じ大地に立っているだけでも恐怖を感じ取れた。だが、こうして傍にいると感じる凄まじさは違っていた。静かに睨みあっているだけなのに、世界が軋むような音がした。
「ねえ、ジャイルズ。もしかして、レイ君の仲間を殺したのは彼なのかい」
「そーですよ、陛下。俺が生かして連れて帰ろうとしたのに気づいて、きっちりと心臓をもぎ取りやがったんすよ、アイツ」
よく見れば、オルタナの右手が赤い血で染まっていた。
それが誰の血なのか考えると吐き気がした。
「……オルタナが殺したの。それ、本当?」
フィーニスはどこか納得できないとばかりに質問を重ねた。
「ええ、ええ。この金色の瞳にかけて、間違いなくアイツが心臓を握りつぶしましたよ」
「死体は?」
「え?」
「だから、死体だよ。その心臓を潰された……ヨシ、ツネ君? 死体はどうしたんだい。まだ残っているのかな」
「燃やされましたよ。アイツ、何を考えてんだか炎を生みだして。施設ごと炎の海に飲まれちまって。それで俺は一足先にとんずらさせて頂きやした」
話を聞いたフィーニスはふむ、と呟くと顎に手を当て考え込む仕草をした。そしてオルタナを睨みつつ口を開く。
「どんな心情の変化だい。君が人を殺すなんて。ボクの知らない間に堕落したのかい」
「てめぇに答える義理は無い。それよりも、お前が攫った奴に用がある」
オルタナの視線がフィーニスの足元にある影に向いていた。
「ふふふ。やっぱり、キミも気づいてここに来たんだ。時に関する権能。13神の関係者。まあ、ボクよりもキミの方がそっち関係には詳しいから、当然といえば当然だね」
「俺はてめぇとくだらない喋りをするためにここに来たんじゃねえ。……てめぇが出張っているということは、核心に到る重要人物なんだろ。黙って引き渡すか、心と体が折れてからそいつを引き渡すか、どちらか好きな方を決めな」
「そーだね。……キミが泣いてボクに許しを請うのが見てみたいね」
「……その戯言が答えで良いのか」
ぞくり、と。オルタナの全身から立ち上る圧が更に強まり、シアラは悪寒が止まらない。此処にいるだけで寿命が削れていきそうだ。
呼応するようにフィーニスの圧も強まっていく。
「ふふふ。何だか、懐かしいな。三百年前もこうして顔を合わせれば殺し合っていたね。一応確認だけどさ、諦めて帰るっていう選択肢は無いのかな」
「下らねえ事を聞いてんじゃねえょ」
「あはぁ。そうだね。じゃあ……やろうか」
空気の質が変わった。
張り詰めた風船が破裂し、その中に溜めこんでいた高濃度の殺意が辺りを蹂躙し、混沌へと導く。オルタナの両手に炎と氷の魔法が宿ると、フィーニスは音も無く影の鎧を身に纏い両手に影の剣を展開した。
互いの双眸は相手を射抜き、殺意が極限まで高められる。
ここに『七帝』が一体『魔王』と『魔術師』の火ぶたが切って落とされた。
読んで下さって、ありがとうございます。




