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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第10章 世界の中心
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閑話:冒険王 邂逅編 Ⅵ

 伸ばした手は誰にも届かなかった。


 何時だってそうだ。本当に、本気で守りたかった時ほど、この手は何も掴めないままこぼれ落ちていく。無力感に苛まれる体を、得体の知れない恐怖が包んでいく。


 地下空間に、底冷えするような風が吹いた。ジャイアントナーガと対峙した時にも感じた事ない種類の悪寒が、全身を苛む。足元から、数多の虫が這いずり昇って来るような、形容しがたい悪寒に吐き気すら覚えた。


 その風は殺気を十分に伴っていた。


 死への気配に、体が不調を訴えているのだ。


 そして、風が止んだ時、エイリークの視線の先でくるくると、何かが回った。新体操の選手が落としたバトンのように床に落ちたそれは、決してバトンのように粗末に扱ってよい物では無かった。


 何故なら、落ちたのは腕だ。


 ―――親父さんの右腕だ。


「お……親父さん!!」


 叫んだところで起きた事は変えられない。


 それでもエイリークは叫ばずにはいられなかった。何が起きていたのか、彼の瞳は確かに映していた。


 親父さんは上階から飛び降り、直後自分たちに迫る脅威に気づいていた。かつて、野盗たちに使ってみせた魔法の力を振るおうとしていた。唇から魔法を唱える宣言が零れ、詠唱が始まっていたのはエイリークにも聞こえていた。


 それでも間に合わなかった。


 異常な殺気を振りまく風は、あっという間にエイリークたちを飲み込み、そして親父さんの魔法を伴った右手を切り落としたのだ。


 あらぬ方向に放たれた火球が暗闇の中で爆発する。


 足元まで揺らす振動で、残った二人も異常事態に気づいた。


「……父さん?」


「こ、今度は何事ですか!?」


 オルタナが小さな瞳で呆然と現実を直視し、サーコートの青年は咄嗟に頭を庇った。だが、状況は刻々と変化していた。


 一度は通り過ぎた風が、更なる殺意を伴って戻ってきたのだ。フード付きのマントで全身を覆っているため、正体は分からない。ただ、薄らと見える白刃が親父さんを斜めに裂こうとして―――。


「―――《聖なる鎖は邪悪を縛る》《セイクリッドチェイン》」


 白刃が滑り落ちる前に親父さんが唱えた魔法が完成した。襲撃者の上下左右の空間に魔法陣が展開されると、そこから光り輝く鎖が伸びた。白刃は軌道を変えて、鎖を三本まで両断する。砕かれた魔法の鎖は光の粒となって消えたが、唯一破壊されなかった鎖は、襲撃者が剣を持つ右手首に絡みついた。


 素手で触れたら浄化してしまいそうな神聖な鎖は、簡単に剥がせない。襲撃者の行動が、一瞬だが止まると、直後、親父さんの魔法がもう一つ放たれる。


「はしゃぎ過ぎだ。《無貌(むぼう)の神の声を聞け》《ラストフィアー》」


 拘束者の背後に新たな魔法陣が浮かぶと、そこから不気味な唇が突きだされた。青紫色の唇が捲り上がると乱杭歯がむき出しとなり、何か言葉を発するように動いた。それを聞くことはできなかった。


 ただ、襲撃者は軽く身もだえした直後に、体を痙攣させぐったりと倒れこんでしまった。同時に魔法で生みだした鎖も唇も消えた。


 目まぐるしい展開に翻弄されるエイリークは、やっとの思いで言葉を振り絞った。


「……いま、何て言ったのか聞こえませんでしたけど、何をしたんですか?」


「聞こうとするんじゃねえよ。ありゃ、死の言葉だ。聞けば即死だぞ」


「なんて、恐ろしい魔法をあっさりと使ってるんですか! 俺達を巻き添えにするつもりですか! というか、右腕、傷口、治療!」


「アイツに焦点を絞っているから、てめぇらに被害は出ねえよ。腕に関しては……まあ、唾でも付ければ治るだろ」


「治りませんよ! いま、私が治療をしますから、貴方がたは止血を。もしくは回復のポーションがあるなら準備をして下さい」


 エイリークの叫びに反応したサーコートの青年が前に出て治療を始めようとするが、親父さんはどういう訳かそれを煩わしそうに押し退けた。


「面倒だから近づくな。これぐらい、ほっとけば治る。そもそも、お前は何者なんだ」


「そんなはずはありませんよ! 傷口を放置していれば、良くない風を招き命に関わります。さあ、傷口を見せて下さい!」


「この人の言う通りだ。オルタナ、親父さんが作っていたポーションを取り出すけどいいかな? ……オルタナ?」


 オルタナが持っている荷物を漁ろうとするが、彼からの返事が無い。不思議に思い顔を上げると、少年は珍しく驚いた表情をしていた。


 彼が何に驚いているのかは、すぐに分かった。つい先程、即死魔法を浴びて崩れ落ちたはずの襲撃者が、何事も無かったように立ち上がり、剣を構えているのだ。


「に―――」


 逃げて、と続く警告の声は遅すぎた。親父さんがただならぬ雰囲気に気づき対処するまでの時間は、それこそ瞬きする程度しかなかったが、あまりにも遅すぎた。白刃は何の抵抗も感じさせず、親父さんの首を切断した。


 ごろり、と。片時も手放さなかった帽子ごと頭が落ちた。


 頭の中が真っ白になった。


 近しい人の死を目撃するのは、これが初めてと言う訳では無い。


 ただ、あまりにも異質だった。


 この世界に来てから死というのは、あまりにも無残で、惨く、どこまでも苦しい感情を胸の内に作っていく。心に爪跡を残して行く。


 それなのに、親父さんの首が落ちた光景は、どこか現実離れした物のように感じてしまう。


「……摩訶不思議な存在だな。見た瞬間から、これは殺さなくてはいけないと感じたのは、生まれて初めての経験だ。許しを請うつもりはないが、この者が貴様等にとって替えの効かない人間……人間なのか、これは。貴重な存在だったとしたら、その不利益に釣り合う働きをしよう。だが、その前に貴様等に尋ねたい事がある」


 襲撃者の一方的な口上で、ようやく理解が追いついた。フードを被っているから年齢は分からないが、声色からして襲撃者の男は、親父さんを危険と判断したから一方的に殺し、それは間違っていなかったと悪びれもせずに言っているのだ。


 確かに、親父さんも即死魔法などで応戦しているが、予告も無しに攻撃を仕掛けてきたのは、襲撃者の方だ。


 あまりの理不尽さに思わず激昂しかけるが、それを小さな手が押しとどめた。


「オルタナ、止めないでくれ! コイツは! 君の父親を!!」


「待って、エイリーク。今は落ちついて。……君じゃ、彼には勝てないよ」


 父親を目の前で殺されたというのに、どこまでも冷静な声色に、エイリークは背中に冷たいもの感じた。沸騰する湯のように沸いた怒りは、あっという間に沈静してしまう。


「父親……こんなのを父としているのか。……しかし、童は普通だな」


「……まず、貴方が何者なのか、どうしてこの遺跡に現れたのか。そこから話をしてくれませんか。……父さんを殺したんだ。それぐらいは答えて貰うよ」


「ふむ、冷静だな。そして道理だ。質問に答えよう。俺は同胞を探して旅をしているのだが、その途中で不可思議な魔法を操る者達の存在を知った」


「それって、ぐぅ」


 エイリークが喋りそうになったのを、オルタナのひじ打ちが押しとどめた。


「もしかすると、俺の探している者に繋がるのではないかと期待して遺跡に入り、騒がしかった此処へと降りてきたのだが……不可思議な魔法を操るのは貴様等の事か? 童、フードを外し、顔を見せてみろ」


「……さて、何を仰っているのか分かりません。それに、貴方の要望に応える道理は無いでしょう。答えは嫌だ、です」


 肩を竦めて恍けるオルタナにエイリークは感嘆する。どう考えても、襲撃者が言っている不可思議な魔法を操る人物は自分の事で、その関係者だというのに、こうも堂々と嘘を吐けるとは。


 サーコートの青年は、ぽかんとした表情のまま、傍観者でいた。彼の前で刻印魔法を使っていないため、何のことか理解していないのだろう。だとすれば、彼の事は状況から切り離しても問題ない。


 問題なのは、目の前の襲撃者から如何にして逃げるかだ。


 親父さんが死んだいま、エイリークはオルタナを無事に逃がすという役目を背負っている。この襲撃者から逃げるだけでなく、地上に居る追跡部隊からも。


 とはいえ、目の前の存在と自分の間にある技量は途方もないほど差がある。詠唱速度に優れている刻印魔法だとしても、動いた瞬間に腕と首がポロリと落ちても不思議では無い。


 現状、力で敵わないなら知で渡り合うしかない。


 父親を殺されたというのにオルタナが冷静になって言葉を交わしているのは、その事に瞬時に気づいたからだ。改めて、年下の少年に尊敬の気持ちが湧いた。


「……貴様等からはあまり強い精神力は見えないな。父親の方がそうだったとしても……使用している魔法は強力だが普通だ。……いや、待て」


 何かに気づいたように襲撃者は言葉を打ち切った。どうしたのかと身構えていると、襲撃者は瓦礫の山を下った先にある物体を指した。


「あのモンスターの死骸は何だ? 誰が倒したんだ」


 襲撃者が指摘したのはジャイアントナーガの死体だ。自分の槍で頭蓋を貫いた死体は、薄暗い遺跡の中でもはっきりと見えてしまう。


「あれは、父さんが倒した」


 オルタナがそう言おうとした矢先、別の介入者が答えてしまった。


「あれを倒したのは、そちらに居りますお方ですよ」


 そう答えてしまったのは、意識から放置したばかりのサーコートの青年だ。彼は善意から、事実を答えてしまった。


 途端、襲撃者の意識が自分に向いた。フードで分からないけど、こちらを値踏みする視線を感じた。


「ほう、貴様がな。多少なりとも使えそうだが……その程度の強さで、あれと渡り合えた。あり得んな。何か、特異な力が無ければ逆立ちしても出来まい。……ならば、あるのだろう。あれを倒した力が。見た事も無い魔法の力というのを、俺に見せてはくれないか」


 穏やかな言葉の裏に、途方もないプレッシャーがあった。エイリークは反射的に行動していた。それが短絡的だと理解しつつも、これ以上、襲撃者の前に居るのは耐えられなかった。


「《超短文(ショートカット)・中級(ミディアム)・音波砲(サウンドカノン)》! 逃げるよ、オルタナ!!」


 着弾したかどうか確認する事も出来ない。魔法を放ち、自分を抑えていた少年の手を取った。どこまで逃げ切れるのか、算段すら付いていない無謀な逃亡劇だが、これ以上手をこまねいては状況を悪化するだけだ。

 

 そう考えての一歩目は、


「驚いたな」


 真横から響いた声に押しとどめられる。


 《音波砲(サウンドカノン)》が命中した様子は無く、平然とした声色で自分よりも先回りして並ぶ襲撃者の声に心臓を鷲掴みにされた。


「驚いたな。あれほど短い詠唱で魔法が完成するとは。同胞の技……いや違う、のか? 棒振りなら自信はあるが、そちらに関しては全くの無知だからな。とにかく、詳しく調べさせてはもらえないか。他にもあるなら、勿体ぶらずに使え」


 穏やかなれど、高圧的な言葉と共に手が伸びる。これに捕まれば、終わりだと脳髄の奥が囁く。だからといって、その手を振り払う余力など尽きていた。


 誰か、助けてくれ。


 思わず、そう叫んでしまいそうになるエイリークだったが、その願いは通じた。


「おい。俺の息子と連れに、汚い手で触ろうとしてんじゃねえよ」


 その声にあり得ないとエイリークは叫びそうになった。何故なら、その声はつい先程死んだばかりの男の声だ。だが、幻聴では無いとばかりに、荒れ狂う風が襲撃者を襲う。


 触れれば切り裂かれそうな風は、襲撃者のフードを掠めた。


 襲撃者が距離を取ると、衝撃でフードは外れてしまった。


 素顔を晒した襲撃者の容姿は、暗闇でも分かるほど整っていた。まるで絵本か絵画から飛び出したような美しい細面の青年は、特徴的な長い耳をしていた。


 頭の中に浮かんだ単語をそのまま口に出した。


「あれって、エルフ?」


「その通りだ。エルフなんて、よく知ってやがるな、お前。俺にしても、生でエルフを見るなんて、久方ぶりだな」


「いやだって……って、親父さん!?」


 襲撃者の正体も驚きだったが、声の主にも驚かされた。何故なら、エイリークとオルタナを庇うように立つのは、首を落とされて死んだはずの親父さんだった。それも切り落とされたはずの右腕で帽子を押さえていた。


「え? え? なんで、生きて……実は、死んでいなかったとか? 魔法で死んだように見せていただけとか」


 安城琢磨の頃に愛読していた漫画や小説には、そういった類の話は多くあった。魔法で本物と見紛うような死体を用意したり、戦っていると思いこませて現実では別の行動を取っていたりするキャラクターが居た。


 エルドラドの魔法にそれほど詳しいわけではないが、親父さんほどの術者なら、それぐらいの芸当が出来ていても不思議では無い。


「それは無い。この手に残る感触は、間違いなく骨と肉を裂いたと俺に伝えている。幻術の類に化かされることもありえん」


「確かにその通りだな。お前さん、尋常じゃない抵抗力だよ。まさか、即死魔法が効かないなんて、どんな加護を持っているんだ? それもエルフの癖にそこまで剣が上手いなんて……エルフの『英雄』は死んだと聞いたがな」


 途端、エイリークは自分が死んだと思った。


 数秒して、それが間違いだと気づいたが、自分の命が別の誰かに握られているという感覚は拭えなかった。尋常ならざる殺気を放つエルフの男は、萌黄色の瞳を細めた。


「……そうか。そう言う事か。得心いった。肉も骨も断ったはずなのに、どこか作り物めいた感触に、何事も無かったように復活した不死性。そして異常なまでに素早い魔法。高速で詠唱を完成させている訳ではないのだな。詠唱をしているふりをして、魔法を引きだしている。……そんな芸当が出来る奴は一人しかいるまい。それが貴様という訳か、人の形をした悍ましき怪物。『精霊の養(やしな)い児(ご)』」


「『精霊の養い児』?」


 初めて聞いた二つ名だったが、親父さんは不愉快そうに口元を歪めた。その呼び名は正しいとばかりの態度だ。


「驚いたな、まさかその呼び名を知っているとは。……まだ、俺の悪名はエルフの国に残っているのか。……ああ、間違えた。エルフの国はもう滅んでいるのか。今は、何処の森に隠れ住んでいるんだ?」


「当然だ。精霊に育てられ、精霊の言葉を人間の言葉に置き換えただけならまだしも、人間の枠組みから外れ精霊の段階へと昇華しようとした愚者。本来なら記すのも憚れるが、後に続く者を生みださないようにあえて記憶に残しているのだ」


 エルフの剣士が語る話を何処かで聞いたような気がした。それも最近では無く、それこそ奴隷時代に誰かから聞いたような。


 エイリークが過去の記憶を振り返ろうとしている間も、二人から放たれる圧力は重みと凄みを増していた。同じ空間に居るだけでも押しつぶされそうになる。


「愚者……愚者ね。間違っていないな。人の身でありながら、神が定めた生命の階級を越えようとしたのは、確かに愚者だ。だが、精霊という至上の存在を囲い、肥沃な大地を手放そうとせずに世界から憎悪を向けられ滅んだエルフの国は、愚か者の集まりと呼べないか?」


「抜かしたな、『精霊の養い児』。貴様の存在は精霊にとっても汚点であり、世界に染みついた穢れだ。誰からも愛されず、誰からも受け入れられない貴様を排すのに、俺は一点の迷いは無いぞ」


「はっ。絶滅寸前の貴重な生き物を、この手で摘む事になるとはな」


「化物退治なぞ、久方ぶりだが、昔を思い出せばこの程度造作も無い」


 両者から放たれる圧力が限界までぶつかり合い―――突如として静寂が生まれた。暴力的な風を伴った台風の中で、不気味なほどに静かな目に飛び込んだような静寂こそ、戦いの幕が開く合図だった。


読んでくださって、ありがとうございます。


次回の更新は7日を予定しております。

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