閑話:冒険王 邂逅編 Ⅴ
遺跡の床が水平に流れていく。自分が吹き飛ばされたというのを自覚するのに数秒の時間を有した。このままでは壁に激突して、悲惨な事になるだろうとぼんやりと思った時、体は動いていた。
全身の筋肉が脈動し、無理やり向きを変える。精神力を両足に込めた直後、足の裏に固い感触と衝撃音が伝わった。
壁は激突の衝撃で蜘蛛の巣のようにひび割れているが、その向こうには岩盤があるらしく突き破る恐れは無かった。どうやらここは、寺院の中でも相当深い位置にあるようだ。
エイリークは壁を蹴ると、重力に従って床へと着地したが、すぐさま横に跳ぶ。その判断は正しかった。数秒もせずに、エイリークの居た場所に向けて瓦礫が突き刺さる。
天井が崩落したのではなく、ジャイアントナーガと親父さんが呼んでいたモンスターが、長い尾を巧みに使い瓦礫を投石したのだ。まるで子供が野良犬に石を投げるかのような気軽さで、人を容易く押しつぶしかねない瓦礫が次々と襲ってくる。この暗闇の中で、恐るべ精度だ。
このままではマズいと、エイリークは焦った。
エイリークの持つ攻撃手段で、もっとも距離が長いのは《音波砲》だ。この魔法は中近距離が一番威力の高い間合いだ。今発動しても、届く前に掻き消えてしまう。このまま投石を続けられたら、いずれは圧死させられる。加えて、ジャイアントナーガの近くには、遺跡を研究しに来た一般人も居た。
まだ、降り注いだ瓦礫の隙間に居るからジャイアントナーガに気づかれてはいないようだが、このままでは見つかる恐れがあった。
「そんな上で見ていないで、降りて手伝う気はないんですか!?」
思わず、上階の空いた穴から見物している親父さんに叫んでしまった。だが、西部劇に出てきそうな男は口元に皮肉げな笑みを湛えたまま、
「嫌だな」
と、短く拒絶した。どうやら親父さんの不殺の精神はモンスター相手にも適用されるようだ。
遠くからリズミカルに投げられてくる瓦礫にエイリークは一か八かの作戦に出た。
気合を入れる様に自分の両頬を叩くと、ジャイアントナーガの方に向けて手を伸ばし、叫んだ。
「《超短文・中級・引力》!」
全身から精神力が削れ、代わりに別の現象へと置き換わる感覚に襲われた。短い詠唱で完成した神秘はジャイアントナーガの体に纏わりつき―――失敗する。僅かに浮いた体は、しかし、《引力》の力だけでは引き寄せられない。
代わりに、魔法の反動がエイリークを襲った。エイリークの体が見えない糸で引き寄せられるように一気に跳んだ。
ジャイアントナーガの方へ。
《引力》の魔法は、対象物を自分の方に引き寄せる魔法だが、対象物が魔法の力に逆らった場合は自分が相手の方に引き寄せられるという反動がある。壁や大木と言った巨大な物にワザと《引力》を使う事で三次元的な、立体の動きを可能に出来る。大森林で騎士たちを相手に死角を取れたのは、この魔法による物だ。
ジャイアントナーガの巨体を見た瞬間、魔法の力で引き寄せるのは無理だろうと考えていた。だが、走って距離を詰めた所で、間断なく投げられる瓦礫は近づくにつれて正確性を増す。それに押しつぶされるのも目に見えていた。
だからこそ、《引力》の魔法で一気に距離を詰めようと考えた。
一瞬、見ようによっては人間に見えるモンスターの顔に驚きが走った。しかし、それも一瞬だ。すぐさま瓦礫の投石が再開した。それも、巨体に見合わず芸が細かかった。尾で掴んだ瓦礫を砕き、細かい破片として投げた。
細かい破片といっても、元が人を簡単に押しつぶす大きさだ。破片でもエイリークの頭ぐらいはある。それが投げられたことでさらに拡散した。
これまでの投石が点なら、これは面だ。
ショットガンの銃口から放たれた散弾が、ぱっと散らばり目標を蜂の巣にするように、広がった瓦礫がエイリークを襲う。加速して引き寄せられた分、当たれば致命傷だ。
しかし、これもエイリークは織り込み済みだった。
「《超短文・中級・衝撃波》!」
二つ目の刻印魔法が起動した。エイリークの周囲が震えると、全方位に向けて衝撃波が拡散する。それは細かくなった破片程度なら砕く力があった。
面の攻撃の中にするりと開いた穴に飛び込み、エイリークは更に距離を縮める。ジャイアントナーガは投石では間に合わないと判断して、手にした三又の槍を引いた。構えからすると、横薙ぎの一撃だ。
エイリークは先程浴びた一撃を思い出す。途轍もない衝撃に全身が震えた。衝撃は内臓にまで達し、正直吐き気もしている。殺気とまではいわないが、得体の知れない悪寒に従って全身を強化していなければ、今頃は立っていることすらできなかった。
その時の一撃が槍による攻撃だったのか、あるいは丸太のような尾の薙ぎ払いだったのかは定かではないが、あの時の一撃と同じ威力なら危険だ。考えたくはないが、さらに強力な一撃という可能性もある。
死への予感に、じわりと嫌な汗が浮かぶ。しかし、止まる事は出来ない。《引力》の力に抗う事は出来ず、エイリークはジャイアントナーガの間合いに飛び込んだ。
瞬間、閃光のような一撃が冷えた空気を薙ぎ払う。旋風が地下空間を駆け巡り、親父さんは帽子を飛ばされないように押さえた。
ジャイアントナーガの一撃は、渾身の一撃だ。相手を甚振るのではなく、相手を一瞬で屠るのに相応しい威力を持っている。今のエイリークではどれだけ防御したとしても、致命傷は免れない。ただし、それはあくまでも一撃を受け止めた場合の話だ。
エイリークは防御では無く、回避を選んだ。
ジャイアントナーガの肩が動いた瞬間を見計らい、三つ目の魔法を展開した。
「《超短文・中級・音波砲》!」
中近距離で効果を発揮する魔法を、あえて誰も居ない後方下に向けて放つ。すると、エイリークの体は更なる加速と共に浮いた。
直後、斜め下から必殺の速度を持って振るわれた槍が、加速と方向を変えた目標を捉えきれず宙を裂いた。
加えて、ジャイアントナーガの起こした突風がエイリークの体を加速させる。二重の加速を得た事で、エイリークの体は弾丸のような威力を持つ。《音波砲》の発動で態勢を崩したエイリークは、先程と同じ要領で両足に精神力を回すと衝撃に備えた。
奇しくも、その姿は在りし日にテレビに映っていたヒーローの如く、引き寄せられたエイリークはジャイアントナーガの頭部に激突した。
モンスターの耳障りな悲鳴に混じり、巨体が床に倒れる音がした。魔法により加速し、想定外の突風も加わったエイリークとの激突は、ジャイアントナーガにとって耐えきれない一撃となった。
エイリークとて無傷とはいえなかった。着地の衝撃が足の裏から頭のてっぺんまで貫き、態勢を崩した所で床を二転三転していた。とはいえ、立ち上がれないほどではなかった。
「敵、敵は、敵はどこだ!」
先程まで、薄暗い遺跡の地下でも存在感を発揮していたジャイアントナーガを探すエイリーク。彼は数秒して、自分のすぐ傍にある塊が、瓦礫では無くジャイアントナーガの頭部だと気づいた。
ぐるり、と首が回る。頭の横幅だけで、自分の背丈ほどある相手に挑むという事実を今更ながらに思い知った。しかし、其処に恐れは無く、濁った黄色い瞳に自分が映っていると気づいた時には、エイリークは腰に提げていたナイフを引き抜き投げつけた。
ある村で貰ったそれは、吸い込まれるようにジャイアントナーガの瞳に突き刺さった。
絶叫がエイリークの鼓膜を破ろうとする。片目を潰されたモンスターは痛みにのたうち回り、その度に遺跡が震えた。
エイリークは巻き込まれない程度に距離を取ろうとしたが、痛みで苦しむジャイアントナーガは、痛み以上に怒りに燃えていた。空いていた手で逃げようとしたエイリークを掴むと、そのまま万力の如き力で握りつぶそうとした。
だが、それは文字通り悪手だ。
「《超短文・中級・衝撃波》!」
再び、エイリークの周囲から衝撃波が放たれる。エイリークを握りつぶそうとした左手は一瞬膨らみ、そのまま弾けてしまう。
再び絶叫がジャイアントナーガの口から響いた。
左目に続いて左手まで失ったのは予想外だったらしく、叫びは何処まで続く。ジャイアントナーガ相手に深手を負わせたエイリークだが、彼も無傷とは言えなかった。
最初に受けた一撃に加え、精神力で強化したとはいえ高所から着地したような衝撃を二度も味わい、《衝撃波》の余波で内臓が揺れていた。消耗度では、もしかするとエイリークの方が上かもしれない。だが、弱音を吐いている暇は無かった。
永遠に続くかと思われたジャイアントナーガの叫びは止み、巨体はいつの間にか直立していた。
片手を無くした事で、三又の槍を右手に持ち、左目を失ったことで視界を確保しようと右を前にした構えを取るジャイアントナーガ。苦悶の表情はダメージが浅くない事を表しているが、そこに撤退の色は無かった。
エイリークは騎士から奪った剣を引き抜き、構えを取った。
「上等じゃないか。お互い満身創痍、どっちが勝っても恨みっこなしだからな!」
モンスター相手に言葉が通じるとは思えないが、エイリークが吼えると応じる様にジャイアントナーガも吼えた。
「うひゃぁ、エイリークも頑張ってるね。あんな巨体相手に真っ向から打ち合いをしてるよ」
鋼と鋼を強く打ち鳴らす音が響く地下空間に、どこか呑気な声がした。いつの間にオルタナが上階の穴から降り、積み上がった瓦礫の上でエイリークの戦いを見物していた。傍には親父さんもいる。
二人の存在に気づきもしないかのように、エイリークとジャイアントナーガの剣戟は激しさを増していた。
「ねえねえ、父さん。父さんの目から見て、エイリークは勝てそうかな。僕は押しているように見えるけど」
自身の背丈の何倍もあるような存在が振るう槍を、エイリークは見事に弾いていた。子供のオルタナには、むしろエイリークの方がジャイアントナーガを圧倒しているように映った。しかし、親父さんは首を縦に振らなかった。
「甘いな。ジャイアントナーガの左手を見てみろ」
「え? あれ、再生し始めてる?」
オルタナの言葉通り、魔法で吹き飛んだ傷口は泡を吹き、そこから骨が伸び、肉が追いかけていた。少しずつではあるが、元の形を取り戻そうとしていた。
「モンスターの再生能力だ。特に、ナーガ系は再生に特化している。あの程度の傷なら数分で治せちまう。エイリークは押しているのではなく、ジャイアントナーガが流して時間を稼いでいるだけだ。再生が終わるまでの時間を、な」
そう言われてみれば、遮二無二剣を振るうエイリークの表情は鬼気迫る物があり、一方でジャイアントナーガの攻撃はワンパターンで余裕すら感じられる。どちらが有利なのかは言うまでもない。
「とはいえ、エイリークの奴も目を見張るもんはある。初めてのモンスターとの戦いだって言うのに臆さずに戦えてやがる。それもあのレベルのモンスターと戦えるとはな。……《スピリット・オブ・スティール》。決して折れない鋼の精神を持っていれば、鋼の肉体すら手に入れられるというのか」
親父さんの推測は正しかった。エイリークの持つ特殊技能、《スピリット・オブ・スティール》は強い感情や、その感情を持ち続けた時間に比例して肉体を強化させる。
鋼の精神は鋼の肉体を生む。
それは短期的に見ても間違いは無く、長期的に見ても同様だった。エイリークが王国の追跡部隊に追われている間、彼は少しでも強くなりたいという意思を持っていた。それは日々の生活で蓄積されていき、エイリークの身体能力を僅かにだが向上させていた。
塵も積もれば山となる。エイリークの能力値はレベルと釣り合っていない領域に達していた。手負いの超級モンスター相手なら、こうして撃ち合う程度なら可能となっていた。
とはいえ、驚異的な成長をしていたとしてもその程度だ。超級モンスターを倒せるだけの実力はまだ無かった。
ジャイアントナーガの槍を打ち払い、僅かに開いた隙を捻じ込む様に飛び込んだ。一気に距離を詰めて剣を一気呵成に振り下ろす。
直後、響いたのは金属が砕ける音だった。手にあるのは半ばで折れてしまった金属の塊で、ジャイアントナーガの皮膚には傷一つ無かった。
それは当然の帰結だ。超級モンスターの攻撃を凌げたとしても、超級モンスターに攻撃が届くかどうかは別問題だ。騎士の剣とエイリークの技量では、城砦の如き堅牢さを持つジャイアントナーガの皮膚に傷は付けられない。それはジャイアントナーガの方が良く理解していた。
この人間の攻撃は自分に対して致命傷とはなりえない。
魔法は脅威ではあるが、それも治癒が終わりつつある左手のように回復できる範囲。他にも強力な魔法を持っている可能性もあるが、もしも持っているのなら使うべき時は幾らでもあった。危険を冒して接近し、剣で戦っている所からすると、そのような技は無いと判断し、だからこそお座なりな攻撃で時間を稼いでいた。
そして、真新しい皮膚に覆われた左手に神経が通う。細やかな動作までは出来ないが、槍を支えるぐらいは可能だ。ワザと自分の懐に呼び込んだ哀れな獲物を刈るのに十分だと判断したジャイアントナーガは両手で槍を掴み振り下ろそうとする。
その直前、ジャイアントナーガは理解できない言葉を拾った。
「《超短文・中級・雷衝撃》!」
それは第四の刻印魔法。エイリークが触れた部位からジャイアントナーガの全身を稲妻が落ちたような衝撃が駆け巡った。
《雷衝撃》は、非殺傷性の制圧呪文だ。王国の追撃部隊はエイリークが未知の魔法を使うと知っているため、防具を固めている。身の丈程ある盾や、分厚い装甲の鎧などは攻撃魔法に対して一定の効果はある。《雷衝撃》はそれを逆手に取った選択だ。相手が金属で固めていればいるほど、雷は通りやすくなる。
ジャイアントナーガは浴びた事の無い衝撃に意識を失いかけた。非殺傷性の魔法のため、これで心臓が止まったり、生命活動が停止することはない。
よくて、体が痺れたり、手足から力が抜ける程度。
―――それで十分だった。
エイリークは自分に向かって振り下ろされるはずだった巨大な三又の槍に飛びついた。感電して動けないジャイアントナーガの手からもぎ取ると、あらん限りの力を使って槍の先端を敵に向けた。柄尻を床に突き刺し、今にも発射するミサイルのような角度で保持する。
無論、床に突き刺した槍がひとりでに敵を狙うミサイルになるはずが無い。もう一つ、必要な手順がある。エイリークは、それを掴む様に掌を伸ばした。
「《超短文・中級・引力》!」
不可視の手が伸びた。
人間の言語を理解できなくても、感電して身動きが取れなくとも、ジャイアントナーガはモンスターに備わった戦闘本能でどうするべきか最適解を出す。
エイリークの狙いが槍による攻撃だと判断し、顔の前で手を大きく交差させた。こうすれば、仮に槍ごと向かってきても受け止める自信があった。何より、距離と重さを考えれば先程のような威力は出せないだろうと予測していた。
この一撃を処理できれば、体は完全に回復する。そうすれば、目の前の人間なんて、簡単に捻り潰せるとジャイアントナーガは確信していた。
それは間違いなく驕りだった。
だからだろう、驕ったモンスターは背後の瓦礫が《引力》に引き寄せられるまま、ジャイアントナーガの後頭部を強襲した事に、直撃するまで気づかなかった。
三又の穂先が自分を狙うのに意識を向けるあまり、背後への警戒は疎かになっていた。自然と体は傾いて行き、穂先はジャイアントナーガの最も柔らかい部位、口腔内へと飲み込まれていった。
固い手応えの直後、血しぶきが上がった。
人間のような顔をしたモンスターは、自分の槍を飲み込み絶命していた。
ずるずると力を無くした体が槍に沿うように倒れていくのを、エイリークは呆然とした面持ちで見つめていた。勝利に喜ぶ余裕なんて無かった。モンスターとの実力差は明白だった。一瞬の判断を間違えれば死んでいたのは自分だったのは言うまでもない。あまりにも薄い氷の上に張った勝利を素直に喜べなかった。
生き残ったという事実にまず驚いていた。
俯いたジャイアントナーガの左目からナイフが落ちると、それを反射的に拾った。
「すごいねぇ、エイリーク。一人で勝っちゃったよ!」
そんな声を掛けられて、ようやく我を取り戻す。いつの間にか地下空間に降りていたオルタナが、瓦礫の山に腰かけながら手を振っていた。エイリークはよたよたとした足取りで山を登った。
「ここから見せてもらったよ。君の戦い。凄かったよ! 僕の渡した魔法を駆使して、上手に戦ったね!」
「確かに、認めるのは癪ではあるが、中々どうして大したもんじゃないか」
オルタナが褒めるのはよくあるが、親父さんが褒めるのは珍しい、エイリークは気恥ずかしさから頭をかいた。
「どうだった。モンスターとの戦いは。やっぱり、人間とは違うか?」
「そう、ですね。普段から頭の中でイメージする相手って、自分と同じ背丈か、それ以上の、腕が二本で足が二本の存在ですから。やっぱり、大きいってだけで戦い方が全く違いますね」
「その割には慌てることなくやってたじゃないか。モンスターと戦うのは初めてだとは思えなかったぞ」
「ええ、まあ。それに関してはずっと頭の中で思い描いてましたから」
どういう意味だと訝しむ親父さんだが、流石のエイリークもこればかりは言えなかった。
エイリークが安城琢磨として過ごしたころ、彼はいつも思い描いていた。
モンスターと呼ばれる存在が居て、自分が戦うとしたらどんな風に戦うのだろうか。モンスターのような存在が居たとしたら、どんな攻撃方法を持っているのだろうか。モンスターはどんな特殊能力を持っているのだろうか。
そればかりを考え、そればかりを研究し、そればかりを夢想した男にとってジャイアントナーガは格好の的だった。巨体から繰り出す攻撃方法は容易に想像できたし、頭髪のように伸びる蛇に備わっているビット器官が暗闇でも目標を見失わずに攻撃できるのだと見破っていた。
超級モンスター撃破に運や刻印魔法が寄与していたのは間違いないが、《スピリット・オブ・スティール》による急成長と、前世を使い潰して得た知識と想像が貢献していたのも事実だ。
そんな和気あいあいとした雰囲気の中、新たな声が申し訳なさそうに割り込んだ。
「もし、もし、其処の方」
古い言葉遣いに、エイリークが不思議そうにふり向くと、瓦礫の山に、にょきりと手が生えた。
「うわ! 手? 手が喋った!?」
「馬鹿垂れ。手が喋るとか、そんな面妖な事が……起きないとも限らないな、この世界は」
「二人とも落ち着いて。手が喋っているんじゃなくて、手の持ち主が喋ってるんだよ」
オルタナの冷静な指摘でよく見れば、手は瓦礫の山を離すまいと固く握られていた。そこで思い出す。ここは瓦礫の山だが、中心が筒状の空洞となって、誰かが囚われていた。どうやら手の持ち主は、垂直の壁のようになっていた空洞をよじ登ったようだ。
「あ、忘れてた。いま、助けますね!」
慌てて手を掴んで引くと、一人の青年が瓦礫の山に加わった。
年の頃は自分と同じか、少し上ぐらい。男性なのに長髪を三つ編みに編んでいるせいで、女性のような風貌にも見えなくない。革製の鎧の上に、サーコートを纏っている。
「あ、ありがとう存じます。助けて下さって、本当にありがとう」
「えーっと、どういたしまして?」
何度も繰り返される感謝にエイリークは目を逸らしそうになる。確かに、最初は彼を巻き込まないようにしなくてはと考えていたが、途中からは戦うのが楽しくなっていて忘れていた。
すると、青年が倒れ伏しているジャイアントナーガを目にして声を上げた。
「なんと、あのような巨大なモンスターを倒すとは。……あれを為したのはどなたでございますか」
親父さんとオルタナは面倒な匂いをかぎ取って、すぐさまエイリークを指差した。
近づく瞳に逃げたくなるような熱量を感じ取った。
ありていに言えば、嫌な予感がした。
「信じられません。いえ、私には分かっていました。ここが古の寺院であり、私を救いに現れた貴方様は唯人ではありませんね」
「いや、ごくごく普通の人間ですよ。だから、そろそろお暇したいんですけど」
「いいえ! 私には分かっていますとも。貴方様は間違いなく、神々によって遣わされた御方ですね!!」
その確信めいた口ぶりにエイリークは反応してしまった。
「どうして僕が『招かれた者』だと分かったんだ!? まさか、君も!?」
しかし、叫んでから間違いだと気づく。
青年の瞳に危険すぎる光が宿った。
「やはり!! やはりそうでしたか。いえ、そうに違いないと確信していました。この地に舞い降りし者は、須らく神に関係した物であるべきだと!」
「どういう理屈だ、そりゃ。だったら、あのモンスターも神関係か?」
「駄目だよ、父さん。こういう人に理屈は通じない。宗教というフィルターが、全部を関係あると思いこませちゃうよ」
オルタナがこれ見よがしに溜息を吐いた。エイリークは助けを請おうとして後ろを振り返り―――気づいた。
上層にぽっかりと空いた穴から、何かが飛び降りた。
それは音も無く着地し、そして―――次の瞬間には自分たちの傍に出現していた。
感じたのは死への予感。ジャイアントナーガを前にした時も、これほどまでの死を感じた事は無い。心臓が凍り付いたように動かず、肺は石になったように固まった。
どうしようもないほどに動かない体を必死に動かして、エイリークは手を伸ばした。
風が吹いた。
死がもたらした風が通り過ぎると、一同の頭上で、切り落とされた右腕がくるくると舞った。
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