閑話:《ミクリヤ》の副業 Ⅳ
数日後。
レイは再びギルドの門をくぐっていた。今回の同行者はモランヌとシアラ、そして暇を持て余していたエトネだ。
商人部門でレイ達の相手をしたのは、前回と同じ職員だった。彼は眼鏡の奥で、また来たのかという視線を一瞬送った。そんな無礼な視線も、レイが取り出したスニーカーと、シアラとモランヌを交えて作成した企画書を前にあっという間に消えてしまった。
「おもしろいですね」
企画書を読みこんでから、職員はそう評価した。
「布製の靴はあまり見た事がありません。受け入れられるかどうかはさておき、新しい分野の開拓は商人ギルドとしても大変喜ばしい事です。特に、靴という着眼点が素晴らしいです。剣や槍といった冒険者のみに需要が偏る訳でなく、街の住人も購買者層として狙えますね。これならギルドとしましても、商会と渡りを付けるお手伝いができます」
あとから聞いたが、ギルド職員の対応が良かったのは、このスニーカーが上手く行けばその分の税収が増え、あの職員の手柄になるという裏事情があった。
とはいえ、スニーカーの方は第一関門を突破した事になる。
一方で毛生え薬に関しては、彼は即答を控えた。
「薬を販売するとなると、最終的にはどこかの商会を通す事になりますが、その実物はできていないのですよね。でしたら、まずは薬師と交渉し依頼する所から始める事になりますね」
職員は薬師も二種類いると説明した。どこかの商会と専属契約を結び、そこから研究費を貰い、成果を全て差し出す商会付きの薬師と、複数の支援者を持ち、望みの薬を作成する際に依頼料を頂戴する在野の薬師だ。
レイ達が接触するなら後者が望ましいだろうと職員は説明した。商会付きの薬師だと、アイディアだけを奪われて一ガルドも儲からない可能性があった。
レイは靴を取り扱う商会の連絡先を幾つか貰うと、その足で職人部門へと向かった。応対してくれたのは、少しのんびりとした性格の職員だった。
「なるほど、毛生え薬ですか。面白い発想ですね。回復魔法で髪の毛が生えてくるなんて、初めて聞きました」
「僕も半信半疑でしたが、仲間の協力を得て五回実験して、五回とも髪が元の長さまで成長したのを確認しました。これを薬として精製できれば、画期的な製品となるはずです」
その力説の影で、繊細かつ多大な集中力を要する魔法のコントロールを要求され消耗したレティの犠牲は忘れてはいけない。
職員は事情を理解したように頷くと、職人部門に登録してあり、なおかつどこの商会とも専属契約を結んでいない薬師のリストを持ってきてくれた。
「このリストにあるのは学術都市に住んでいる薬師に限定されます。この街は魔法工学の研究機関ですが、同時に色々な研究者が住みついていることもあって、薬師にも事欠きませんよ」
「それにしては評価のランクに差がありますわね。このページなんて、全部Eランク」
「それはですね、この街に迷宮があるのも原因なんですよ。他の街よりもポーションの需要が高いため、ここだけの話、粗悪品でも売れてしまうんですよ。そういう訳で冒険者のヒーラーが小遣い稼ぎの感覚で薬師として登録して、これだけの厚みになるんです。平気で質の悪いポーションを売ってますから、安いのには気を付けた方が良いですよ」
恐らく学術都市ではよくある話なのだろう。学長付き秘書のモランヌが渋い顔を浮かべていた。
レイ達は顔を寄せ合ってリストを覗き込んだ。目を皿のようにして名前と住所、そしてギルドが認定したランクを追いかける。
狙うのは中位のランクだ。
薬師のランクとは、作成できる薬の効果や貴重性の高さだけでなく、年間を通した売り上げも関係してくる。ランクが上の薬師は、それだけ稼げる薬師なため、報酬が手に入るかどうかあやふやな話に乗ってくる確率は低かった。
「あれ? ねえ、シアラおねいちゃん。このなまえって?」
すると、エトネがシアラの袖を引いて、リストのある名前を指差した。
「なに、知り合いの名前でも……げっ」
それは喉の奥を潰された蛙のような悲鳴だった。モランヌも職員も、若干引いたような目でシアラを見つめるが、当の本人は金色黒色の瞳で、記された名前を睨んでいた。レイもエトネの指差した名前を見て、この反応も無理はないなと頷いた。
「とりあえず、候補の一人にしておこうか」
「待って、待って、待って! あ、主様? その、これだけ薬師がいる街なのよ。いくら条件に合うからといって、これを入れなくても」
「だから、候補の一人に留めておくんだ。まあ、僕らが直ぐに会えそうな人物だから、この後すぐに行って、話を聞いてこようか」
「そんなぁ」
今にも崩れそうなシアラ。リストに記されていたのは、ナタリカという偽名だった。
ナタリカこと、カタリナ・マールムの研究所に来るのは、これで二度目だった。同行するシアラとエトネは初めてだ。
モランヌはこの場に居なかった。彼女とはギルドの用事が済んだら別れた。親切にも薬師への交渉も立ち会おうかと申し出てくれたが、それは断った。
彼女の本職は学長付き秘書。この街で最も忙しい人間を支える人物を、これ以上拘束するのは申し訳なかった。
三人に減った途端、シアラは全身から行きたくないオーラを放ちだした。背中からどんよりとした暗い瘴気を放ち、エトネですら気を使う有様だ。
「……行きたくない」
「凄い感情をこめて言うなよ。大体、さっきも言ったけど、会いたくないなら君とエトネで屋敷に戻っても構わないんだよ」
「……それはやだ」
「なら、一緒に行くか?」
「……それもやだ」
「どっちかにしてくれよ」
シアラが此処まで我儘を言うのは珍しいが、それだけカタリナに会うのに抵抗を感じているのだろう。文殿やラビリンスでの出来事があって、多少なりともわだかまりが解けたのかと思っていたが根は深い。
それでもレイが研究区画へと向かうのを付いて行き、研究所の前に到着した時は覚悟を決めた様子だった。レイが呼び鈴を鳴らした時、服の裾をちょんと掴んでいるのは気づかない事にした。
「お待たせしました、いま開けます」
足音も無く開かれた扉の向こうにあったのは、藍色の頭髪を高い所で結んだ化粧っ気のない少女だった。髪と同じ色の瞳に敵意が浮かび、一気に声も刺々しくなった。
「帰れ」
言葉は彼女の投げるナイフのよう鋭く素早かった。開いた時の軌道をなぞって閉じようとする扉を手で押さえた。
「約束も取り着けずに来たのは悪いと思っているが、用件を聞く前にそれは無いだろ。というか、従者が主人に取り次がずに追い返していいのかよ」
「約束していない貴様の方が悪い。大体、その主が不在なんだ。おーひーきーとーりーおー、って馬鹿力だな、動かないぞ! 精神力なんか込めるな、扉が歪むだろ!」
キョウコツの筋力ではレイの力に勝てない。全身の筋肉で閉めようとしても扉はびくともしなかった。
「カタリナさん、居ないの?」
「ああ、そうだ。博士は別の研究所に行っている。だから、貴様等が此処に居る理由は無いという事だ。分かったなら、さっさと帰れ」
「そう! それなら残念ね!」
場にそぐわない明るい声が弾けた。キョウコツさえもびくりと動きを止めて、そちらの方を向いた。
両手を叩いて朗らかな笑みを浮かべるシアラは、緊張が解けたのか、陰鬱とした感情から解放されたのか早口でまくし立てた。
「なら仕方ないわよね。だって会いに来た博士が居なんですもの。それなら今日の所はお暇しましょうよ。長居したらその人も迷惑でしょ。さあさあ、早く早く」
息継ぎ無しのマシンガントークが終わるや否や、シアラはエトネの手を取って後ろを向いた。そのまま歩きだそうとするが、その歩みは一歩目で止まった。
「ちょっと、おちび。引っ張らないで……何やってんのよ、アンタ?」
問いかけはエトネでは無く、そのエトネの手を握っている―――というよりもしがみ付いているキョウコツだった。彼女は研究所から飛び出し、困惑するエトネの手を掴んで離さない。
「……帰らないでください」
「はぁ? アンタ、今さっき帰れって言ったばかりでしょ。大体、おちびが嫌がってるでしょ。手を離しなさいよ」
「後生だから、帰らないでください!」
一転して意見を翻したキョウコツは涙目で訴え始めた。
「あんたが来たら、もてなして何が何でも引き留める様に言われてるんだよ。もしも言いつけを破ったら、今度は全身が緑色に変身したり、上級モンスターの生態観察と称して檻の前で一晩中監視したりする程度じゃすまないんだよ。だから、だから帰るって言わないでくれ!」
おいおいと泣き出すキョウコツにシアラは頭痛を覚えた。普段の彼女なら、そんな事知らないわよと突き放すのだが、原因が身内となると申し訳なさが先行した。
「……ねえ、ちょっとだけなら、よってあげようよ」
萌黄色の瞳に憐憫が浮かぶ。上目遣いでそう言われれば、シアラに断わる気は失せていた。何より、そう決断するのを予期していたように、一人で研究所へと入ってくレイの背中に溜息を吐いてしまった。
「しょうがないわね。ちょっとだけ、上がらせてもらうわよ」
「それで、貴様等は何しに来たんだ?」
「それがついさっきまで往来で泣きだした人間の態度か?」
茶と菓子を出して役目を終えたとばかりに空いた席に座るキョウコツだったが、レイに指摘され恥ずかしそうにそっぽを向いた。
二度目のレイは研究所の惨状を知っているから驚かなかったが、シアラとエトネは興味深そうにあちこちに視線を向けていた。
「ある薬を作ろうかと考えていてね。それについて意見を聞こうと思って尋ねた」
「薬……だと。まさか、人を青色に変化する薬じゃないだろうな!」
「そこにどんな需要があるんだよ。僕らが作ろうとしているのは、毛生え薬だよ」
「毛生え薬? なんだそれ。まさか、塗れば本当に毛が生えてくる薬だというのか?」
キョウコツはどこか小馬鹿にした様子で言うが、レイの反応を見て眉を上げた。
「……どうやら本気らしいな。毛生え薬か、ふん。実用化できれば、さぞや売れるだろうな」
「お前にそんな風に言われても嬉しくないけど、随分と断言したね」
「これでも帝国皇族に使われていたからな。あちらの貴族連中の屋敷に忍び込む機会は幾らでもあったが、よくカツラを見かけたよ。衣装棚が全部カツラという邸宅もあったな。ハゲの悩みに国境は無い。案外、目の付け所は良いのかもしれない」
悪態をつきながらも褒めるキョウコツの言葉を頭の片隅に入れておく。毛生え薬は高価になっても上流階級は求めるかもしれない。むしろ、最初からターゲットをそちらに絞った方が良いのかもしれない。
もっとも、試作品所か協力者も見つかっていない段階では絵に描いた餅だ。
「……それで? あの女は何時になったら帰ってくるのよ」
「さてな。そろそろかもしれないし、もう少しかかるかもしれないし、もしかしたら日が暮れるまで戻って来ないかもしれない」
「日が暮れるって、まだ正午でしょ。そんなに待ってられないわよ」
「帰るなら、出した茶と菓子を片付けて欲しい。博士を待っていたが、遅かったので一足違いでお帰りになられたと言い訳が立つからな」
そう聞くや否や、シアラは茶菓子を頬張り、それを熱い紅茶で流し込んだ。喉の鳴る音が鐘のように響き、視線を鋭くした。
「どう? これで満足かしら」
あまりな態度ではあるが、キョウコツは気分を害した様子も無く肩を竦めた。金色黒色の瞳は手を付けていないレイとエトネを睨んだ。彼女の視線に押されるように茶菓子を口に運んでいると、エトネがあっ、と声を上げた。
「何よ、おちび。……ちょっと待って、これ、さっきと同じ様な気がするんだけど。凄く嫌な予感がするんだけど」
その予感は的中した。
エトネの視線は窓に注がれており、外から此方を覗く瞳が片隅にあった。眼鏡の奥にある瞳が爛々と輝いているのが分かった。
覗き見していた女性は、さっと顔を引っ込めるが、すぐに足音が外から聞こえてきた。シアラが肩を落とすと、キョウコツが嬉しそうに笑った。
「残念だったな。博士のお戻りだ」
「ただいま、キョーちゃん。なになに、シーちゃんが来てるの。なんで、なんで!?」
玄関の方から喧しい声が響き渡ると、シアラは更に落ち込んでしまった。
「ああ、そっか。人造モンスターって魔石が主食だったね。それで副業として商品開発なんてことに手を出すんだ」
人造モンスターを生みだしたカタリナは、レイの説明に納得していた。そして、レイがシアラとモランヌの指導を受けて作った毛生え薬の企画書を一読した。
「ふーん。面白いね、回復魔法をこんな風に使うなんて。毛乳頭に栄養を与えている……いや、回復魔法は失われた血肉を補てんできるから、新しいのを生みだしているのか。数百の毛根を生みだして成長させるとしたら、そりゃ疲弊するよ」
「どうですか。実現できそうですか」
何やら納得している様子のカタリナに尋ねると、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「うん、無理」
「……その嬉しそうな笑みは何ですか?」
「実現できそうもない事に挑戦する人間って、傍から見ている分には面白いでしょ。足掻いても足掻いても、落ちていく蟻地獄に飲み込まれているようで」
彼女の意見に一欠けらも同意できなかった。カタリナは色を変えた髪を指で弄り出す。その仕草は、娘とそっくりで気が付いたレイは笑いをこらえるのに必死だった。
「回復薬と回復魔法の違いは知っているかな」
「回復薬は使用された人間の治癒力を底上げして、回復魔法は千切れた神経や血管を繋ぎ合わせたり、失った肉体を補てんできる、でしたか」
「その通り。旧式超級の回復魔法なんて、下半身が潰れて無くなっても復元できる。これは全て、魔法がこの世界の法則にある程度働きかけられる力だから可能なのさ。君の提案するこの薬は、回復魔法を薬にするという、無形の力に形を与えるという奇跡を要求している。流石にワタシでも不可能だと断言するよ」
元六将軍第三席の言葉は力強く、説得力があった。彼女が偽りを述べているような様子は無い。
「そう……ですか」
「主様。この女の言う事をまともに聞く必要なんてないわよ。これが嘘って言う可能性もあるんだから」
「あらあら、シーちゃん。シーちゃんこそ、無理だろうと予測していたんじゃないの。回復魔法と分野が違くても、それぐらいの知識はあるでしょ」
「そうなのか、シアラ」
レイに問われると、シアラは唇を噛んでから白状した。
「ごめんなさい。専門家じゃないから明言は避けていたけど、主様の考えるような毛生え薬は……難しいと思うわ」
「そうか。いや、謝る事は無いよ。むしろ、無駄足を踏ませてしまって悪かった」
レイが頭を下げると、シアラはごめんなさいと繰り返した。二人の間に気落ちした空気が流れると、それを打ち破ったのは空気を読まないカタリナだった。
彼女は両手を鳴らすと、
「まあ、毛生え薬という着眼点は悪くないと思うよ。需要は見込めるし、挑戦する価値はあるはずだ。回復魔法と同等の効果を得られなくても、薬学的なアプローチで近づける事は出来るかもしれない」
「それは、ほんとうですか」
「もちろんだとも、エトネちゃん。ただし、ワタシはそれほど暇じゃないんだ。シーちゃんの為なら何だってするつもりでいるんだけど、これでも研究を抱え込んでいる身でね」
その内の幾つかは、レイが彼女に頼んだ内容だろう。意味深な目配せにレイは視線を逸らした。
「そこで、ワタシの友人を紹介しようと思う。おっと、そんなに嫌そうな顔をしないでくれ。人格は最低だが、腕と知識に関しては一級品だと保証するよ」
「人格が最低なのも保証するのかよ」
「なにしろ、ワタシの正体を知りながら普通に付き合っている奴らだからね。彼らなら、格安で相談に乗ってくれるし、試作品づくりにも協力してくれるだろう。その代り、必要な薬草やモンスターの体液は自分で取って来いと言われるかもしれないが、まあそこは冒険者だから引き受けてあげてくれよ」
そう言いながら、カタリナは自分の知人の名前と住所を羊皮紙に纏めていく。その内の数人は、ギルドで見つけた候補者と一致した。
「くふふ。それにしても、冒険者なのに金策に走るなんて。君も随分と変わっているね、レイ君」
「それに関しては否定できないですね。正直、薬も他のも手探り状態ですから、すぐにお金になるのは難しいでしょうし……学術都市に来たのはレベルアップの為なのに、このままじゃ何時になったら迷宮に潜れるんだろうか」
レイのぼやきは現実の物となる。
クロノが一人でも動けるようになるまでは迷宮に潜れないというのは初めから決まっていた。その間に、スニーカーと毛生え薬に関する話を出来るだけ纏めようとしたのだが、どちらも難航した。
結局、その二つがある程度の形となって出来上がり、学術都市を中心に広がっていくのに短く無い時間が必要となる。だが、この冬の間にレイが動いた事は間違いでは無い。その二つが《ミクリヤ》の重要な活動費となるのも事実だった。
街の中を老いも若きも、男も女も、布で覆われた柔らかい靴を喜んで履き、どこかの街の店では薄毛に悩む男たちがこそこそと列を作る。その中に、一際大柄で、どうしても目立ってしまう二つ名持ちの冒険者の姿もあった。
もっとも、それはまだ先の話である。
読んで下さって、ありがとうございます。
レイの副業はこれからだENDです。
次回の閑話は、冒険王の物語です。更新予定は20日を予定しています。




