10-62 災厄はやって来る 『前編』
学術都市で起きた不可解な事件。
時間が巻き戻されるという現象は、魔法工学の研究所から漏れたガスによる幻覚という形で処理された。しかし、それが真実を隠すためのフェイクという事は、世界の深淵に触れられる者は易く看破していた。
どれだけ表面を繕っても、その奥底にある異変に彼らは気づいていた。
そこは暗闇に包まれた空間だった。僅かな明かりが暗闇を切り取り玉座を照らしていた。玉座は空では無かった。肘を立て、拳を支えにしてうたた寝をしている者が居た。青年と呼ぶには幼さが残る人物は整った容姿をしており、穏やかな寝息を立てている姿も絵になる。
すると、暗がりが進み出る者が居た。
学者然とした容姿の青年は、玉座の少年に近づくと片膝を着いた。黄金の瞳を地面に向け、伏したままの姿勢で待つ。王の睡眠を邪魔するつもりは無かった。
それからしばらくして、王が―――『魔王』がうたた寝から目を覚ました。
臣下の礼を取っているクリストフォロスと同じ金色の瞳が数回瞬き、彼は眼前の男に気づいたとばかりに声をかけた。
「おや。クリストフォロスじゃないか。いつからそこに?」
「今しがたです、陛下。眠っていらっしゃられた様子だったので、お声をかけるのを躊躇いました」
嘘である。クリストフォロスがこの空間に現れてから、一時間は経過している。しかし、クリストフォロスはその事を口にしない。フィーニスも臣下の嘘に気づきながらも、指摘するような無粋な真似はしない。
「そうか。……夢を見ていたよ」
「夢……ですか? どのような?」
「生憎と、きちんと説明できるほど覚えていないけど、レイが出てきたよ。うん、元気そうだったね」
途端に、クリストフォロスは苦い顔をした。常に余裕な表情を崩さない彼らしからぬ反応にフィーニスは愉快になってしまう。
「ふふふ。顔が歪んでいるよ」
「……これは失礼。しかし、あの小僧の名前を聞くと、どうしても苛立ちが抑えきれませぬ」
クリストフォロスにしてみれば、レイは二度、彼の計画を邪魔した敵だった。自分が引き起こしたスタンピードはシュウ王国を崩壊まで追い込む作戦だった。第一目標である赤龍の討伐は果たせたが、第二目標であるシュウ王国にさほどのダメージを与えられなかった。その影にレイが居たのは間違いなかった。
そしてもう一つが南方大陸を巡る戦争状況の構築だ。クリストフォロスの計画通りに行っていれば、帝国の南方大陸への進行の足掛かりがデゼルト国に出来て、南方大陸を巡って各国が戦争状態に突入したはず。それを防いだ立役者もレイだった。
なにより、レイはフィーニスから聖印を授けられている。『魔王』の力を与えられたという事実も、クリストフォロスにとって面白くなかった。
「君の面白い顔を見れてボクとしては満足だけど、それを見せるために来たんじゃないんだろ。何か、あったのか」
魔人種を統べる者としての嗅覚なのか。異変に関しての鋭さは昔から変わらない。自分の主が衰えていない事実に軽い喜びを見出しつつ、手にした書類を渡した。
それはエルドラド共通文字で記された行動記録だった。
「ラビリンス攻略に当てている部隊からの行動記録でございます。その時間の部分を確認くださいませ」
フィーニスの瞳が、書類の左側にあるタイムスタンプへと移り、眉をひそめた。本来なら、上から下に向かって時間経過が並んである部分が、どういう訳か乱れていた。一分前の時間や、数秒前の時間、あるいは同じ秒数が並んでいたりと無茶苦茶な時間が記録されていた。
「……故障か?」
「一体だけならその可能性も。しかし、ラビリンス攻略に当てている全員が同じ状態です。現在は正常に記録されていますが……どう思われますか」
意見を求められ、フィーニスは目をつぶった。それは熟考する時の仕草だと知っているため、クリストフォロスは黙って待つ。そして、目を開いた時、金色の瞳に抑えきれない好奇心の輝きがあった。
「さっぱり分からない。だけど、面白そうじゃないか」
予期していた反応にクリストフォロスは内心でため息を吐いた。
昔から変わらないのだ。若かりし頃、自分の教え子だった時からフィーニスは未知や謎といった言葉に弱く、自分で確かめようとする。それは『魔王』となってからも、そして今でも変わりなかった。
「これ見せたのは、神に関する力が働いていると感じたんだろ。なら、ボクが行って調べてみようじゃないか」
「お待ちください陛下。御身一人で行かせる訳には参りません」
止めるつもりはない。進言した所で却下されるのは間違いない。そして、これが無視できる事態ではないというのも事実だ。ラビリンス攻略部隊の記録を精査すると、この不可解な現象が地上にまで及んでいる確率は高い。広範囲に渡った現象となれば、考えられる可能性は神器の暴走だ。
神の権能を宿した道具による異常となれば、対処できるのはゲオルギウスかフィーニスのどちらかだ。そしてゲオルギウスは別命に従事しているため、学術都市に向かわせる事は出来ない。
「君が一緒に来るのかい」
「そうしたいのは山々ですが、私も軽々に動ける身ではありません。そこでジャイルズを護衛に着けさせます」
「あれ? ジャイくん、傷は治っているのかい? 結構な深手だったはずだよね」
六将軍第五席ジャイルズは『聖騎士』との戦いにおいて深刻なダメージを負った。それこそ、一時は生死の境を漂うほどだった。
「問題ありません。傷は完治しておりませんが、そこらの者に負けるほど軟な鍛え方はしておりません」
「あははは。その物言い、君に教わっていた頃を思い出すよ。それじゃ、弟弟子を連れて行くとするよ」
玉座から立ち上がると同時に、彼の足元に伸びている影が胴体に纏わりつく。音も無く影が解けると先程まで纏っていた王者としての衣服から、どこにでも居そうな平民の服へと着替えていた。同時に収納していたレイのコートに袖を通すと、ある事を思いだした。
「そういえば、僕らが使っていた屋敷はまだあるのかな。せっかくだし、昔を懐かしんでみるのも、悪くないかもね」
そう言って、『七帝』が一角にして魔人種を統べる『魔王』フィーニスは、暗がりへと溶ける様に消えた。
その空間は物言わぬ機械で埋め尽くされていた。四方の壁はモニターで埋め尽くされ、様々な演算結果や測定結果が表示される。すると、その一部が拡大され高速で文字が流れだした。
エルドラド共通文字とは違う、それどころかエルドラドに存在していたどの文字にも当てはまらない文字が滝のように流れ、そして突然止まった。
最後の一文と関係あるかのようにポップされているのは粒子の荒い写真だった。
まるで、空から世界を見下ろしたかのような角度で映し出されているのは、都市の姿だった。
子供が描いたような落書きに似た、無計画な増築を繰り返す事で歪な姿になった都市の名前は学術都市。そのモニターは学術都市を超高高度から撮影しているのだった。
そして、それを見つめる人影は人間では無い。
雪の結晶の如き白銀の髪に、宝石のように変化する瞳でモニターを見つめる少女の服は、貴族に奉仕する女中の物だった。
彼女こそ、この物言わぬ機械たちが存在する理由だった。彼女が万全の状態で出撃出来る様にメンテナンスし、彼女が創造主の命令をこなせるように惑星軌道上に打ち上げられた衛星からの情報を精査し、動くべきかどうかを決定している。
そして、学術都市で検知された異常を精査した結果、彼女を起こしたのだ。
人工物の瞳が、彼女に下される命令を映し出していた。
『該当地域において時空間の断裂を確認。検出された粒子を解析した結果、神々の用いる権能と同物質だと判明。この事から、本事案を最上位優先案件に認定し、対処をするべきである』
彼女は下された命令の正しさに瞬きをした。本来なら不要の動作が、了承の合図だ。そして命令に続きが表示された。
『本事案の重要性から、通常使用しているプロトコルでは柔軟な対応ができないと判断。よって、本事案において通常のプロトコルを破棄。本事案に合わせた物をインストールする』
再び瞬き。すると、回線を通じて彼女の中に新しい情報が書き加えられていく。その内容に対して、好悪の感情は浮かばない。
そんな機能は搭載されていなかった。
「任務内容、了解。最上位優先案件に対して行動を開始します」
感情を持たない言葉は、命の存在しない空間で虚ろに響いた。
『七帝』の一角にして、魔法工学の叡智を結集させた最高傑作、対魔法工学兵器用兵器Ω―1。個体名称、ポラリス・オルストラ、通称『機械乙女』は静かに動き出した。
猛吹雪はどんな命ですら白に塗りつぶす。北方大陸の奥地にある山々は、一年を通じて吹雪が止む事は無い。標高は人間の耐えられる5000メーチルを簡単に越え、温度はマイナス50を下回る。そのため、生物が生きるには過酷すぎる環境のため、降り積もる雪の白以外の色は存在しない、色なしと呼ばれていた。
そんな領域に、あり得ない物が存在するようになったのは最近の事だった。
山の頂上では吹雪が横から吹きつけてくる。人だとしゃがんでいないと吹き飛んでしまう風速なのに、それはビクともしていなかった。
翼を丸め、打ちつける吹雪に興味を示さず、ただひたすらに待っていた。待つことにはなれていた。何しろ、三百年の幽閉を味わって来たのだ。今更、一年、二年待つのは簡単だった。むしろ、その間に失った力を取り戻すのが重要だった。
その点、ここは都合が良かった。生命が居らず、その分大地に魔力が充満している。その生物にとって大地にある魔力は生きる糧であり、力その物だった。
吹雪の中で埋もれることなく純黒を保つそれは、人にあらず。
巨大な龍だった。
ふと、龍は何かに気づいたように顔を上げた。止む事の無い吹雪をもたらす雲の中に、別の種類の雲が混じっている事に気づいた。厚みのある雲は一塊になると、光の筋を走らせ、直後光と轟音が頂上を満たした。
かつて、稲妻は神の拳だと言われていた。神々の怒りが稲妻となって地面を叩くのだと、本器で信じられた時代があった。確かに、稲妻が落ちる際の光や衝撃、そして落下箇所を見れば、神が怒ったのだと誤解するかもしれない。
もしもそんな話を、稲妻として落ちてきた男に話したら、帽子で隠す顔はどんな風に歪むのかと、龍は下らない事を思っていた。
「どうかしたのか。何か、妙な事でもあったか」
「否。他愛もない戯言だ。それよりも、貴様が来たという事は、動く時が来たのか」
問いかけに稲妻と共に現れた男は首を横に振った。吹雪で帽子が飛ばされないように押さえながら、龍に向かって口を開いた。
「まだ発見できていない。だが、気になる事があった。どうも、時に関する権能が繰り返し使われた形跡がある」
「時……クロノスか。しかし、あ奴は神器など残しては居らぬだろう」
「その通りだ。俺の知る限り、クロノスが神器を残した事は無い。そして、この事を俺が観測できなかったのも不可解だ」
「貴様の観測に捕まらなかったのなら、考えられるのは一つしかあるまい」
「ああ、その通りだ。……この権能の痕跡に『招かれた者』が関わっている。アイツらは因果律に食い込めるから、観測から除外されちまうからな。レイかフィーニスのどちらかが関わっているはずだが、おそらくレイだろうな」
レイという名前を龍は知っていた。幽閉から解放されて、この男と再会した時に話を聞いていた。自分と同列の赤龍が倒されたきっかけを作り、その死骸から武具を作ったとも。
「なぜ、そのレイとやらと確信できる」
「誰がどの『招かれた者』を招いたのかは確認済みだ。唯一、クロノスだけが『招かれた者』を送りこんでいなかったからな。消去法でレイがクロノスによって送りこまれたのは間違いない。クロノスとの関係性が深いとなると、確率的にも高いだろう」
その説明に龍は納得した。
もっとも、レイが関係しているのか、フィーニスが関係しているのか大した違いは無い。どちらにしても、神器の存在は厄介だ。この先の計画において神器が邪魔をしないと誰にも断言できなかった。
「では、調べに行くのか」
「そう言う事になる。学術都市は極力近づきたくなかったが、こうなっちまった以上は仕方ない。……状況によっては、てめぇにも動いてもらう。あり得ない事だとは思うが、神器以上の何かが飛び出して来た時は、街ごと滅ぼす必要も出てくるはずだ」
「了承した。その時は我に任せよ。慈悲を持って、祝福を授けよう。安らかな死による、生からの解放を約束する」
どこか陶然とした様子の龍に対して男は嫌そうな顔を隠そうとしない。そして男は―――『七帝』の一角にして悠久の時を生きる『魔術師』オルタナは現れた時とは逆に、稲妻となって地面から空に向かって伸びっていった。
不可思議な移動方法をする男を、『七帝』の一角にして暗黒時代のきっかけを作った『龍王』黒龍は黙って見送った。そして、自分が出陣する時は近いとばかりに、失った力を取り戻そうする。
こうして規格外な化物たちが学術都市で起きた異変に対して動き出したころ、人の理を捻じ曲げる怪物も暗闇で蠢いていたのは当然のことなのだろう。
様々な匂いが混じり合い、脳が溶けそうな空間だった。部屋の隅で炊かれる香と、男と女の汗や汁、むき出しの精の匂いが混じり合っている。一度吸い込めば、匂いだけで達してしまいそうなほど危険な場所に転がっているのは、複数の男女だった。
皆一様に裸で、肌には情交の跡が生々しく残っている。辛うじて息はあるが意識は無く、死体と見間違いそうになる。
その中には、黒い髪を短くした女性も倒れていた。普段は男の格好をしており、凛とした姿から城で働く侍女たちから憧れの眼差しで見つめられる彼女も、目を覆いたくなる醜態を晒していた。
そこまで追い込んだ張本人にして、部屋の主はベッドの周りには居なかった。彼女は隣の部屋に居た。小さな窓を開け放ち、ガウンを肩でかける様にして羽織り、豪奢な椅子に座ってグラスを傾けていた。
僅かに差し込む青い月に照らされる裸身は怪しく濡れており、情交から時間が経っていないと分かる。それ以上に、闇に浮かぶ瞳がぎらぎらと滾っているのが、彼女の内情を表していた。
すると、開け放たれた窓から、影が飛び込む。それは部屋の中を一周すると彼女の机に降り立った。
飛び込んできたのは鳥だった。
突然の闖入者に不愉快そうな視線を向けた女は、しかし直後に興味深そうに息を吐いた。
「ぎっ……グッ……あ、ああ。感度、良好、感度良好。ハロー、ジョゼフィーヌ。元気かい」
「……ふっ。そう言う事ね。夜に鳥なんて変だと思ったのよ。貴女が操作していたのね、エレオノール」
「あはは。正解さ、久しぶりだね」
鳥の口から発せられた流暢な言葉に、『女帝』ジョゼフィーヌは相手が自分の姉妹であると気づいた。
「驚いたわね。貴女、こんな鳥にも魂を繋げられるなんて。……ねえ、いま首を折ったらどうなるの、死ぬの? というよりも、貴女、近くに居るのかしら」
「死にはしないよ。前に見せただろ。人を操るのと同じ、遠隔操作の一環さ。もっとも、糸を使っていた事に比べれば、今の針だと距離が広がってね。ぼくは中央大陸に居て、君の居る海域までこいつを飛ばしてみせたのさ。まあ、実験の一環だね」
ジョゼフィーヌが居る場所は、帝国の近海だった。聖都での密談が終わり、彼女は自分の統治するウージアに戻らず、そのまま帝国へと移動していた。
デゼルト動乱での手酷い失敗で揺れ動く帝国内部に、自分という楔をより深く打ち込むための工作を行い、ようやく帰路に着いた所だった。
「それで? この実験だけのために私の所に来たわけじゃないわよね。フランチェスカから密命でも受けたのかしら」
「半分正解さ。ただ、これはぼくの判断できたから、彼女とは無関係でね。単刀直入に聞くけど、君、学術都市での騒動にどれだけ関わっているんだい?」
その質問を聞いた瞬間、ジョゼフィーヌの瞳に剣呑な輝きが宿る。腸を遠慮なく嬲られるような不快感に声がとがっていた。
「……それは、どういう意味かしら」
「法王庁の情報網に、学術都市で神秘が発生した可能性が引っかかって来たんだ。真偽が不明だし、曖昧な事も多いから調査隊が編成されることになる。僕もその中に加わる予定なんだけどさ、君、確か学術都市の要人も篭絡していたよね」
「その通りよ。学術都市にあるギルド本部。冒険者部門の統括長は私の虜よ。骨の髄まで、魂の欠片まで毒してあげたわ」
情感たっぷりの言葉の裏に、どういう訳か怒りの感情が宿っている。鳥を通じてその気配を感じとったエレオノールは話を急いた。
「ああ、うん。それだよ、それ。調べたら、いや調べる必要も無かったけど、冒険者部門統括長のオーギュスター、自殺しているよね。それって、君の指示か何かかな、って思って聞きにきたんだけど……その反応からするともしかして」
「ええ、その通りよ。私の指示じゃないわ。先に言っておくけど、この件に関して私は一切関わってないわよ」
予想とは違う答えにエレオノールは戸惑った。5人の姉妹の中で、戦闘能力は持ち会わせないエレオノールだが、その分、男女問わず人を篭絡し操り、自分の思うがままに行動させる技術は群を抜いている。正直、技能の粋に昇格していないのが不思議なぐらいだ。
そんな彼女が、この事態に関わっていないというのが意外だった。
だが、エレオノールのそんな気持ちは、次の言葉で吹き飛ぶことになる。
「オーギュスターが自殺したのは、私を裏切ったからよ」
次回10章終了と言ったな、あれは嘘だ。
……思っていた以上に長くなってしまったので分割しました。次回こそ、10章終了となります。




