10-61 時は動き出す 『後編』
クロノスの美貌が歪んだ。目を覚ましてから、ろくに食べていないからやせ細り、青白くなった頬に怒りの色が浮かんだ。
「なんですか、それ。私と一緒に死ぬなんて、殉死ですか?」
「違います。僕の特殊技能がどんな効果なのかは知ってますよね」
「……死ねば時間が巻き戻る」
「その通りです。貴女が死んだら、僕は死んで、時を巻き戻します。そして、貴女が死のうとする瞬間を止めます。何度だって繰り返しますよ。死んでも、貴女を死なせません」
レイの覚悟に偽りはない。クロノスが自殺するなら、何度だって死ぬつもりだ。死んで、死を止める。死のイタミは辛いが、それぐらい耐えてみせる。
それが伝わったのだろう、クロノスは言葉を失ったようにレイを見つめた。
目の覚めるような青い髪に青い瞳は消え失せ、色を失った白髪と白い瞳に困惑が混じる。
「どうして……ですか」
しばらくして、掠れるような声で質問が投げかけられた。
「どうして、とは?」
「どうして、そこまで私を、死なせてくれないのですか。だって、あんなに酷い事をしたんですよ。なのに、貴方は、その事を罵倒もせず、詰りもせず、普通の人間のように接してくるんですか。玲様だけじゃ、ありません。他の方たちも、そうです。誰も私を責めようとしない」
迷宮から地上へと戻る間、クロノスは満足に体を動かせないでいた。コウエンに言わせれば、人間に転生したことで体と心が慣れておらず、体力も赤子同然。立ち上がる事すらおぼつかず、それは今も変わらない。
移動は誰かの背を借りないとできなかった。
リザやヨシツネ、レイなどが持ち回りでクロノスを背負い、休憩中や食事、体の清掃などはシアラ、レティ、エトネが行っていた。
なんら嫌悪感を持たず、クロノスに恨みや憎しみをぶつけるような事は一つも無かった。
その事実が、逆にクロノスを苦しめていた。
「どうしてなんですか。どうして、そんな風に、優しくできるんですか。その方が、私には……苦しいです」
優しさは時に刃になる。自責の念に駆られる加害者が、被害者に優しくされれば一層心に突き刺さってしまう。
レイは困った風に頭をかくと、
「別に特別優しくしているつもりはありませんよ。僕も、もちろんリザ達もね。他の人に、それこそ他の神々に同じことをされたら、絶対に許しませんし、こんな風に世話もしません。迷宮に置き去りにしますよ」
「……え?」
「実は、その辺りの事はリザ達にも聞きました。彼女たちは僕が時間停止されている間に、瀕死どころか本当に殺されてしまった。だから、クロノスを地上に連れて行くのは反対じゃないか、こうやって世話をするのも嫌なんじゃないのかってね。そしたら、みんな、口を揃えてこう言うんですよ」
―――「クロノス様に感謝している」
突然出てきた感謝という言葉を、クロノスはオウム返しに呟いた。
「……感謝ですって? あの方たちが、私に?」
「僕も最初は意味が分かりませんでしたよ。そしたら、リザはこう言ったんです。『自分たち姉妹はレイ様が居なければ死んでいました。それが、こうして生きて、姉妹共に無事でいられるのは、どんな形であれレイ様をこの世界に送り出して下ったクロノス様のお蔭だと。だから、これは恩返しです』って。その場に居たレティも同じように言ってました」
それはシアラもエトネも同じことを言っていた。
シアラは、
『主様と会わなければ、間違いなく赤龍に殺されていたでしょうね。よしんば、生き延びたとしてもこんな風に穏やかに暮らせたとは思えないわね。……自分の生まれと向き合う機会も得られなかったわね。だから、そう言う意味でクロノス様には感謝しているのよ、これでもね』
と、色々と吹っ切れた様子で彼女は微笑んだ。
エトネは不思議そうな顔をして、
『エトネは、おにいちゃんにたすけられた。おにいちゃんをこのせかいにまねいたのは、クロノス様。おんじんのおんじんは、エトネのおんじんだもん』
と、何でもない風に答えた。
「ヨシツネは真面目な様子で『拙者は忍びである以上、主殿のお考えに従うだけ。仮に争った相手であっても、主殿が大切に考えている方なら、そのように接するのが役目でござる』って言ってましたけどね。……だから、優しいっていうより、そうするのが当然というか……なかなか難しいですね、言葉にするのが。……それが、当たり前なんですよ。感謝しているから命懸けで助けて、助かったからこうして世話して、そして、貴女を死なせたくない。ただ、それだけなんですよ」
「それを……優しいと言うのではないのですか?」
「むぅ。そう言われると、困るな」
返答に窮していると、クロノスが、玲様は、と尋ねた。
「僕が、何ですか?」
「先程、仰ってましたよね。僕も優しくしているつもりはない。では、なぜ貴方は、助けてくれたのですか」
その問いかけに、レイは過去を振り返る。この世界に落ちる事になった、あの日を。
神々の観測所で目を覚まし、あきれ顔のサートゥルヌスと頭を下げるクロノスとの出会いを。
そして、エルフの聖域で涙を流した姿を。
「一つは、自分の為ですね。クロノスは、どこまで知っていますか。僕の事とか、13神が実は12神だった事とか」
この事を尋ねるのは初めてだった。
人間に転生した直後の彼女は、狂気が抜け落ちてはいたが無気力状態で死を懇願するばかりで、意思疎通が取れないのは変わりなかった。クロノスが『黒幕』と敵対して地上に落とされたのは、戦闘中に正気に戻った彼女の口ぶりで察していたが、それ以上は不明だった。
「はい。私が地上に落ちたのは、貴方がたがヨシツネ様と出会い、この世界で起きている隠された真実にたどり着いた直後でした。実はあの出来事の前、観測所では事件が起きていました」
「事件ですか。それは一体?」
自分の真実との対峙やコウエンの消滅といった重要な出来事の裏で、神々に何かがあったというのはレイの興味を引いた。身を乗り出すレイにクロノスは何があったのかをかいつまんで説明した。
「きっかけはヨシツネ様の転移でした。13人全員が出尽くした『招かれた者』に現れた14人目。この事実を前にして、神々の間で不信の空気が漂いだしました。それこそ、自分たちを出し抜いた裏切者が居るのではないかと疑うように」
「でもそれって、誤解ですよね。ヨシツネは一週目のエルドラドに送りこまれた『招かれた者』で、世界崩壊を免れは良いけど時空の狭間を漂流して、それでようやくこちら側に戻って来れたという」
「そうです。しかし、その時私は、別の証拠を見つけていたんです。裏切者が居るという可能性の証拠を」
「そんなのがあったんですか!? それはどんな物なんですか」
驚き尋ねるレイに向かって、クロノスは指を向けた。それは真っ直ぐとレイを指す。
「……僕? 僕がいったい、何の証拠になるんですか」
「正確には、貴方の映像です。観測所では、『招かれた者』の動向を映像として確認する事が出来ます。貴方がこの大地を旅した映像は全て残っております。ですが……玲様、水の都で事件があったはずではありませんか」
「あったはずなんて物じゃありませんよ。ご存知でしょ、あの『怪物の行進』を」
『怪物の行進』とは水の都で起きた事件の名称だ。エレオノールがばら撒いた魔法の薬によって子供たちが吸血鬼もどきに成り果て、他の子供や大人たちに噛み付き感染させていった騒動。レティとエトネが被害に遭い、レイ達は解決に奔走した。
時間にすれば丸一日で解決したが、大きな騒動だった。観測所で見通すという事はあり得ないはずだ。
だが、クロノスは首を横に振った。
「私はそれを知りません。観測所に残っていた映像にも、そんな事はありませんでした。観測所の映像は改ざんされていたのです」
「なっ!? それは誰が?」
「分かりません。それを知る前に、私が改ざんをしたのだと糾弾されてしまいました。もちろん、私ではありません。ですが、神々の中にあった疑心暗鬼と、13神の中に裏切者が居たという事実のせいで身の潔白を証明できず、観測所は外部からの攻撃を受けてしまい崩壊しました」
「他の神は、無事なのですか? サートゥルヌスは?」
レイが直接会ったことのある神は、目の前に居るクロノスと、彼女の兄であり魂を司るサートゥルヌスだけだ。
「分かりません。私たちは崩壊する観測所から撤退し、それぞれの座に逃げ込みました。座というのは、それぞれの神が専用で持つ領域です。……私の座には、貴方の治療中の肉体があるはずでした」
治療中の肉体とは、御厨玲としての肉体だ。レイがこの世界に来た理由は、彼女のせいで瀕死になった肉体を治療する間、魂は別の場所で過ごしてほしいという要望だった。
だが、その前提は偽りだったと、レイもクロノスも知ってしまった。
「その肉体は、やはり」
「……はい。私が見ている前で、泡のように消えました。真実が明らかになった事で、用済みになったのでしょう。直後、気が付くと私の座に謎の存在が侵入していました。顔までフードで隠したそれは……私を拘束すると記憶の消去と追放をしようとしました」
「記憶の消去に、認識の改竄。……そいつは間違いなく『正体不明』か、少なくとも関係者。『黒幕』の一人ですね」
「おそらくはそうでしょう。貴方がたが辿り着いた『黒幕』の存在は、事実だと証明されました。だからこそ、神々に紛れ込んだ『黒幕』は、私に裏切者の嫌疑が掛かったまま地上に落としたかったのでしょう。そうすれば、自分に疑惑の目が向く事はありませんから」
「……クロノスを地上に落として、あんな風に苦しめて。そいつは、空の上でのうのうと過ごしている訳ですか」
思わず、レイは窓の向こうに広がる空を睨んだ。灰色雲に隠れて、誰かが笑っているかのように思えてならない。
「……これが私の知る全てです。記憶と認識を改ざんしようとしたフードの正体は、申し訳ありませんが分かりません。いま思い返しても、声や体型、振る舞いが所々変わっているようにしか思い出せません。もしかすると、これも認識を改ざんされた結果なのかもしれません」
気落ちした様子で告げるクロノス。改めて、記憶と認識を自由に操作できる敵の厄介さを再認識させられた。
「それで、玲様。これを知る事が目的の一つなら、他にはどんな理由で私を助けようと決めたのですか」
指摘されて、レイはもう一つの理由を思い出した。
「そうでしたね。その事がまだでした。……その、何と言いますか。……僕は色々と酷い目にあってきたでしょ」
言うと、クロノスの表情が曇った。彼女にしてみれば、そうなった原因は自分にもあり、見ているだけしかできなかったことを思い出し自分の無力さを感じていた。
「存じ上げています。観測所で、常に見ていましたから。貴方が、必死になって生き延びようと、誰かを守ろうとしているのを」
「常に見られていたと考えると、なんだか恥ずかしいですね。……酷い目に遭ってきましたよ。ゲオルギウスと戦ったり、赤龍と遭遇したり、『魔王』には変な呪いまでかけられるし、王子を拾ったら国同士の戦争に巻き込まれたり。今考えても、背筋が寒くなります」
背筋が寒くなる程度で済むはずが無い、とクロノスは思った。
レイが体験してきた事は、それこそ精神が崩壊してもおかしくない。思い出す事で肉体にダメージが出ても仕方ないトラウマ物だ。それなのに、レイは全てを受け止め耐えていた。
ふと、思う。
それは何故だろう、と。
どうして、ただの人間であるはずのレイが、それだけの目に遭っても心が崩壊せずに堪えられたのか。こうして真実が明らかになり、レイが普通の人間では無いと分かったとしても、その疑問は払しょくできない。真実が明らかになる前のレイは、御厨玲という人間の人格を基盤とした普通の少年だ。
そんな普通の少年が、これだけの経験をして普通でいられるはずが無い。
「辛く、それこそ投げ出したくなる時、いつだって僕を支えてくれたのは、貴女との約束だったんだ」
「……私との、約束、ですか? それは……まさか!」
「そう。僕を元の世界に戻す。僕はその約束があったから頑張って来れたんだ。どれだけ苦しい思いをしても、どれだけ酷い目に遭っても、貴女との約束を守ろうと決めて歯を食いしばって耐えてきた」
「ど、どうして、ですか。その約束は、いいえ、約束なんて物じゃありません! それは私の果たすべき責任であって、そんな、約束なんて物じゃないんです」
クロノスにしてみれば、御厨玲の肉体を治療して元の世界に送り返すのは神としての義務であり果たすべき責任だ。だが、レイにしてみれば違った。
「貴女は神なのに、僕を死なせた事に涙を流していた。後悔をしていた。僕が諦めたりして、魂が死んだら、貴女はこれまで以上に苦しんでしまう。だからこそ、僕は諦めずに戦えたんだと思います」
赤龍との二百を超える繰り返しの時、胸に抱いていたのはリザ達や街の人々を守りたいという思いと共に、クロノスとの約束を守らなくてはいけないという決意。
エルフの聖域で、エルドラドで傷つく自分を見て涙を流したクロノス。その優しさに、レイは感謝していた。
「僕がこの世界を旅してこれたのは、仲間との出会いもありましたが、クロノス。貴方との約束があったのは間違いありません。そして、その旅があったから、僕は自分の真実を知っても絶望から立ち上がる事が出来ました」
だから、と言って彼は頭を下げた。驚くクロノスに向けて偽らない本心を告げた。
「だから、感謝しています。例え、『黒幕』に操られていたとしても、作られた記憶から交わした約束だったとしても、そこに込められていた思いが本物だったから、僕はここまで来られた。リザやレティ、シアラやエトネ、ヨシツネたちとも出会えました。だから、ありがとうございます、クロノス様」
「……玲、様」
抱いた感情が何なのか。ただ、クロノスは言葉に詰まる。そしてレイは顔を上げて言葉を続けた。
「だからこそ、クロノス。君には生きて欲しいんだ。僕は旅の間、色々な物を見てきた。辛い事もあったけど、それ以上に楽しかったこと、嬉しかったこと、驚いたことだってあったんだ。それを君に知って欲しい。せっかく、地上に降りてきたんだ。高い所から見下ろすだけじゃ見えない光景が絶対にあるはずだ」
一気に吐き出すように言うと、レイはクロノスの反応を窺った。これ以上、彼女を説得する言葉は無い。祈るような思いで、彼女を見つめているが、クロノスは考え込む素振りをするだけだ。視線はゆっくりと、窓の方を向いていた。
「……すぐに、答えを出してほしいとは言わない。でも、これが僕の願いだ。生きて、世界を一緒に見ないか」
クロノスの視線がレイの方を向く事は無い。彼女は静かに落ちていく雪を見つめている。これ以上は無理だなと思いレイは席を立った。そして、扉の取っ手に手をかける前に、彼女へと振り返った。
窓を見つめる姿は、静かで沈痛なのは変わらないが、今に消えそうな危うい雰囲気だけは感じられない。そう思えたのは、気のせいでないと願って、レイは部屋を出た。
翌朝。足元から伝わってくる冷気に身が震えた。窓から見える街並みは雪景色に彩られていたが、心が湧きたつことは無い。一度目は興奮したが、二度、三度となると慣れてくる。何より、これだけ積もったなら雪かきをしなくてはいけない事にげんなりしてしまう。
魔法や魔法工学という便利な道具があっても、雪かきは手作業で行う。雪を魔法で溶かせば水が広範囲に拡散され、場合によっては排水システムを越えてしまう恐れがある。魔法工学の道具で雪かきは出来なくないのだが、小型化に成功していないらしく屋敷の前の道には入らないそうだ。
厚着をしたレイが一階に降りるのと、リザがスコップを持って玄関を開けようとするのは同じタイミングだった。
「おはようございます、レイ様。その恰好は、もしや雪かきを?」
「おはよう、リザ。その通りさ。リザもそのつもりなんだろ。なら、一緒にやろうか」
「いえ、これは私がやるべき事で、レイ様の手を煩わす訳には参りません」
あくまでも、レイを主として立てようとするリザだったが、レイはスコップを掴むと強引に外へ出た。冷気が顔を叩いて行き、眠気が吹っ飛びそうだ。
「さっき、厨房を覗いたら朝食はまだ掛かりそうだった。だから、それまで暇だからやらせてよ。それに、クロノスの様子も聞きたいしね」
「……そうですか。なら一緒にやりましょう」
折れたリザと共に雪かきを始めるレイ。流石は上位冒険者の階段を昇り始めただけの事はあった。二人が振るうスコップは、雪の塊を軽々とすくうと、あっという間に地面が露わになった。ものの十数分で、屋敷の前はおろか道の端から端まで雪が脇に積まれていた。
自分たちのした事を特に感慨に耽る様子も無く、レイは尋ねた。
「それでクロノスの様子はどうだったかな?」
「私が御そばに居たのは、夜を幾らか過ぎた頃までです。その間、何か考えている様子ではありましたが、死にたい、殺してほしいという事は口にしませんでしたね。その後はヨシツネ殿にお任せして床に就きました」
「そうか……それなら、まあ良いのかな」
「はい。レイ様がお話になさった前後は、確実に違う様子でした。少なくとも、危い雰囲気は無いかと」
このままクロノスが立ち直ってくれるなら、それに越した事は無い。そう考えるレイがリザを伴って屋敷に戻ると、レティが廊下をパタパタと駆けてきた。
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
「説明はあと、いいから早く! 食堂に来て!」
レティのただならぬ様子にレイとリザは彼女の後を追い、二階の食堂へと向かった。
室内にはシアラとエトネ、そしてヨシツネにコウエンと―――クロノスが居た。
クロノスは窓の傍に立ち、外を眺めていた。シアラ達は入り口の辺りで身構えており、コウエンだけが椅子に座り悠然と構えていた。
「クロノス。……ヨシツネ、これはどういう事だい」
「申し訳ありません、主殿。クロノス殿が皆に会いたいと申され、呼びに参ろうとするとコウエン殿に止められ、強引に」
「押し切られた訳か。君のせいじゃないから頭を上げて。それで、コウエン。どういうつもりなんだ」
「それを答えるのは妾では無いぞ」
椅子を斜めに傾ける少女は、視線をクロノスへと向けた。
「ほれ、全員揃ったぞ。何か申し開きがあるのだろう」
そう言うと、クロノスが視線を窓から離し、室内に居る者を順番に見つめて名前を呼んだ。
「玲様、エリザベート様、レティシア様、シアラ様、エトネ様、ヨシツネ様。この度は、私の暴走を止めて頂き、ありがとうございます。考えてみれば、まだお礼も言えていませんでしたね」
自嘲気味に笑うと、クロノスは視線をレイの腰に向けた。龍刀は持ち歩くのに邪魔だから部屋に置いているが、バジリスクのダガーは護身用に持ち歩いていた。
「玲様。申し訳ありませんが、そのダガーをお貸しくださいませんか」
「ダガーを、ですか」
レイは渋った。彼女が何を考えているのか予想もつかない。それこそダガーを渡したら喉を裂いて死ぬかもしれない。そんな懸念を読んだかのように、コウエンがじろりと睨む。紅蓮の瞳が、渡せと囁いた。
仕方なく、レイはダガーを抜いて机の上に置いて滑らした。彼女の前にピタリと止まるのと、リザ達がレイの名を非難するように呼んだのは同時だった。
「レイ様。いくらなんでも、これは危険では」
リザの警告に内心では同意しつつも、レイは黙ったままクロノスを見つめた。彼女はおぼつかない手つきでダガーを抜いた。刃の重みに腕が下がり、そして刃先が持ち上がった。彼女の首元へとゆっくりと近づき―――一気に裂いた。
彼女の背にかかっていた、雪のように白い長髪が食堂に舞う。クロノスは、片手で纏めた長髪を、首の後ろ辺りで強引に切ったのだ。切れ味の良いダガーは、髪の束を抵抗も無く切り離した。
「……玲様から言われ、一晩、ずっと考え続けました。考えて、考えて、考えた結果、やはり、私は私を許せないと、結論が出ました」
「……そんな」
駄目だったのかとレイは呟くとコウエンが、
「戯け者。最後まで聞け」
と呟いた。
「貴方達に非道な事をした自分を許せません。おそらく、この先ずっと許す事は出来ません。―――ですが、何も償いをせずに死ぬのも許せないのです。助けてもらって、迷惑をかけて、それを全部投げ捨てるような事は、神だった物としての矜持に反します。何より、この命は貴方がたから頂いた物です。それを捨てる権利なんて私にはありません」
「えっと、それじゃ」
クロノスの言葉から感じられる輝きに、エトネが嬉しそうに尋ねた。
「はい。まだ、自分に何が出来るか分かりません。ですが、貴方から頂いたこの命を、恩を返すまでは生きようと思います。生きて、この世界を見てみたいと、そう思える様になりました。ですから、お願いがあります」
そう言って、クロノスは頭を下げる。彼女は神であった時から、そして人になっても頭を下げているなとレイは思ってしまった。
「私を《ミクリヤ》に置いてくれませんか。神の力を失ってしまい、雑用しか出来ませんが、一生懸命働きます。ですから、どうか」
クロノスの言葉に、レイ達は顔を見合わせて、そして声を揃えて言う。
相談する必要なんて無い。最初から、答えは一つだった。
「「「ようこそ、《ミクリヤ》へ!!」」」
この日、《ミクリヤ》に新しい仲間が増えた。
神から人へと転生した女性と、古の龍からモンスターへと転生した少女。
どちらも数奇な運命を経て、導かれるように集まった。それは、誰にも予想できないことであった。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回で10章終了の予定です。




