10-44 全滅
《トライ&エラー》。
それは限定的ながら時を操る特殊技能だ。レイだけが持ち、レイだけしか使えず、そしてレイ達に勝利を掴ませてきた奇跡。
それが、敵の手にある。
これまで自分たちを助けてくれた力が牙をむいた事に、さしものシアラ達でさえ衝撃から立ち直れないでいた。
唸りを持って飛び込んできた歯車に対して、反応できない。歯車がシアラを磨り潰す間際、割って入ったのはヨシツネだった。
回し蹴りで歯車を弾き飛ばすと、動けない彼女たちを一喝した。
「正気に戻られよ! 確かに、瞠目すべき事象を引き起こし、驚くなとは言えない。だが、呆けている暇は無かろう。今は戦う時でござる」
ヨシツネは《トライ&エラー》の恩恵をさほど受けていない。それだけに、ショックを受けるシアラ達よりも早く立ち直り、戦えと叫んだ。少女達の瞳に力が戻る。
「……アンタに言われるまでも無いわよ。リザ、おちび! 五番目の作戦を実行するわよ。準備をお願いね」
シアラの命令に二人は頷く。レティも準備を終えて、杖を構えていた。
「情報を探るわよ。クロノス様の《トライ&エラー》がどこまで使えるのか、主様との違いはあるのか、そこから始めるわ」
まずは、と続けようとした言葉は再び飛び込んできた歯車の刃に切り刻まれる。リザとヨシツネ、エトネが叩き落とすも、次々と歯車は出現する。その上、神気が階段の下から迫ってきている。前衛三人の動きが鈍くなってくるのを受けて、エトネが動いた。
「お願い、《ハヅミ》!」
主観だと二度目の、時間の上では一度目の《ミヅハノメ》の召喚。階段に水で構成された女性が出現する。
「時を司る神だからといって、本当に時まで巻き戻すなんて。世界を壊す気ですか、クロノス様!」
「ハヅミもおぼえてるの?」
「……ええ、覚えてるわ。正直に言えば、形振り構わず、撤退して欲しいわ。レイなんか、おいてけばいいじゃない。どうせ、殺されはしないんだから」
「そんなこと、できない」
短くもはっきりした拒絶にハヅミは頷いた。最初から、エトネがそんな選択肢をしないという信頼があった。彼女は腕を前に伸ばすと、そこから水を生みだす。あっという間に膨れ上がった水は階段の入り口を塞いだ。粘度の高い水は、歯車を絡み取り、それ以上の侵入を拒む壁となる。
「これで時間を稼げるはずよ。今の内に準備を―――」
―――がちゃん、と。
言葉は何処からか聞こえた、歯車同士が噛みあう音にかき消された。
瞬間、飛び込んできた歯車はエトネの頭部に激突し、彼女は階段へと叩きつけられた。悲鳴の言葉を上げる事も出来ずに倒れた彼女へ、さらに歯車が迫る。
「エトネ!? やらせません!」
傍にいたリザが精霊剣に精神力を注ぎ込む。力強い薄紅色の輝きが周囲を照らし、極光が歯車を溶かし尽す。
―――がちゃん、と。
光景が切り替わる。薄紅色の極光が一直線に振るわれるも、歯車は予期していたように軌道を変えた。歯車のおうとつが無防備に倒れるエトネに食い込んだ。
「そんな! ハヅミ様、なんで助けないの!!」
叫ぶレティが、エメラルドグリーンの瞳で呼び出されたはずの精霊を探すが、ハヅミの姿は無かった。その事実に何かを閃きそうになるが、事態は一刻を争う。
今度は自分に向けて歯車が迫るのだ。
「《超短文・低級・盾》!」
身体能力が低く、叩き落とす事なんて出来ないレティは、進行方向に盾を幾つも重ねる事で歯車の威力を落とす。ガラスが砕けるような軽い音が幾つも続き、速度は明確に落ちた。その隙に横っ飛びで歯車の急襲を避けた。
―――がちゃん、と。
「《超短文・低級・盾》! ってなんで!?」
疑問の声は、同じ事を繰り返した自分にか、あるいは進行方向にできた盾を避ける軌道を描いた歯車にか。歯車は僅かに角度を変えて盾を回避すると、レティの小さな体を吹き飛ばす。
階段を上に転がっていく妹を目の端で捉えつつ、リザは駆け寄りたい気持ちを堪えた。前衛の自分に出来るのは、回復ではなく攻撃だ。
「シアラ、前に出ます。攻撃が私に集中している隙に!」
「……ええ、行って!」
シアラはリザの特攻を認めた。そうしなければ、全滅しかねない状況だ。ヒーラーの負傷はパーティーを維持できなくなる危険性があった。リザが吶喊している間に、彼女を治療しなければならない。
リザは、精霊剣を納めると、両足に力を籠める。そして、慣れた詠唱を口に乗せて放った。
「《この身は、一陣の風と為る》!」
《風ノ義足》が発動した。彼女を前へと駆り立てる暴風が両足に宿り、リザはその片方を解放した。風が階段の上を荒れ狂うも、風の力を得て一気に階下へと降り立つ。着地の際に負荷が片足に掛かるが、リザは歯をくいしばって耐えた。正面には煩わしそうな視線を向けるクロノスが居た。
彼女を狙いに定め、もう片足の風を解放した。
歯車が道を塞ぐよりも前に、リザの体はクロノスに肉薄した。
彼女の狙いは、クロノスを階段付近から引き剥がす事だ。《ミヅハノメ》が召喚されていない状況だと、攻撃無効化の守りは剥がれていない。どれだけ攻撃しても意味が無いのだ。自分に出来る事はレティとエトネが戦線に復帰するまでの時間稼ぎである。
クロノスのすれすれを通り過ぎる際に、彼女の衣服を掴もうと腕を伸ばす。これが攻撃認定されないでくれと祈りながら、伸ばした指先がトーガに触れ―――。
―――がちゃん、と。
「っああああ!」
悲鳴が口から零れる。視界が巻き戻り、伸ばした腕が宙を舞う。
《風ノ義足》を使い高速移動していたリザの進路上に、鋭い刃を携えた歯車が置かれた。
回避不能。
最悪のタイミングだった。伸ばし腕を戻す事も、体を捻るのも間に合わず、彼女の腕は引き千切れる。高速で移動した体が傾き地面を転がった。
「『あははは! ああ、胸がすっとするわ。本当に無様ね。こういうのって、何て言うのかしら。……飛んで火にいる……まあ、どうでもいいわね。重要なのは、手足を千切るのが虫に効果的ということね』」
クロノスは苦痛に喘ぐリザをせせら笑う。そして、ひとしきり笑うと彼女と距離を離して落ちている右腕を拾い上げた。
高速で移動したことが不運に傾いた。断面図は達人の一刀かと見紛うほどきれいに切られ、血がしたたり落ちる。衝撃で手甲は外れ、むき出しの甲には奴隷紋が刻まれていた。
途端に、クロノスの表情が歪んだ。歯ぎしりが聞こえてきそうな程、強くかむと、憎々しげにつぶやいた。
「『こんな、こんな物があるから。自分が選ばれたと、身の程知らずに思い上がるのよ。レイの傍にいていいなんて、勘違いしてしまうのよ。そうよ、これさえ無ければ、無ければ、無ければ!』」
憤怒の炎が瞳に宿る。彼女はリザの右腕を高々と放り投げると、空中に歯車を二つ展開した。それらは互いに噛み付ついた。隙間なく嵌るおうとつの間に、リザの腕は飲み込まれる。みちりと、という音の後、限界まで潰された肉の塊は、耐えきれないとばかりに破裂した。
「『あはっ、あはははははは! 見た? 見た? 見た? 花火みたいに弾けたわ。なんて醜いの。ほら、見えるかしら。あれが、あの肉塊が、貴女の腕なのよ。骨も神経も血も、区別なんて出来ないぐらいぐちゃぐちゃね!』」
ミンチになっていく右手を前に、クロノスははしゃいでいた。そうする事でレイとリザの間にある繋がりが断ちきれるとばかりに。そんな事はあり得ない。リザとの対等契約は、レイの持つ奴隷契約書が破られるか、二人のどちらかが死ぬまで残る。今も、契約のラインは繋がっていて、クロノスが感じられないはずはない。
狂ったとしか形容できない振る舞いに、リザは意識を向けられなかった。彼女は苦痛を感じつつも立ち上がると、左手で精霊剣を抜き放つ。精神力を受け取って極光を溜めこむ刀身は熱く、空気を僅かに歪ませているように見えた。
その刀身を、彼女は右腕に当てた。血が落ちる傷口へと押し当てたのだ。
「ぐぅぅぅ!」
千切った服の裾を噛んでも漏れる苦痛の声。鼻を突くのは自分の肉が焼け焦げる匂い。それでも、こうしなければ失血死しかねない。
「『ああ、臭い、臭い、臭い。瀕死の虫って、なんでこんなに臭いのかしら』」
嘲るように言うクロノスにリザは気丈にも笑ってみせた。これぐらい、何でもないと言わんばかりに。その態度はクロノスを不快にさせた。
「『そう。貴女って本当に愚かなのね。それこそ、死ななければ治らないほど、どうしようもない愚物!』」
彼女の精神状態を表すように、凶悪な歯車が展開されて行く。それらは一斉にリザへと迫った。
階下から聞こえる音は激しさを増す。リザが懸命に戦っているのも伝わってくるが、その度に視界が切り替わり、悲鳴が続いた。
「これって、おにいちゃんの言ってた《トライ&エラー・グレートディバイド》?」
問いかけはレティが発した物だ。歯車の直撃を受けた彼女はシアラの治療によって意識を取り戻していた。そして、攻撃を受ける前に思った疑問を口に出すと、シアラがその通りだと同意した。
「小規模な時間の巻き戻しは、《グレートディバイド》に近いわね。でもちょっと違うわ。おそらく、クロノス様が使える時戻しは、主様と違って戻れる時間は自由なのよ。自分の好きな時に、自分の思った通りに時間を巻き戻せる」
「そんなのずるいよ!」
「それが神という存在よ」
シアラに言われ、エトネは沈黙するしかない。時が巻き戻った事で召喚したという事実が無かったことにされ消えたミヅハノメが、再召喚されたことで彼女に寄り添う。
―――がちゃん、と。
「また戻ったわね。リザが攻撃を避けたり、あるいは有効な手段を取れば時を巻き戻して無かったことにする。相手の動きを知っているから対処の方法は幾らでも用意できる。……まさに、主様を敵に回しているような気分ね」
改めて、《トライ&エラー》という力が、どれだけ逸脱していたのか。そしてクロノスという存在がどれだけ異常なのか再認識した。
だからといって、考える手を止める訳には行かない。シアラは頭をフルに回転させる。
「リザが戦ってくれているとはいえ、今から作戦を始めても遅い。まずは、この状況を無かったことにしなくちゃいけない。でも、そうするには《トライ&エラー》を使う必要があるけど」
レイの方を見やる。
時間停止を受けて動けなくなっている体は、レティやエトネの荷物を並べてずり落ちない様に固定されている。
その首には歯車が首輪のように嵌っていた。これを嵌める時、クロノスは《トライ&エラー》を停止すると言っていた。ならば、このままレイが死んだとしても、《トライ&エラー》が発動するかは不明だ。
そもそも、時間停止を受けている時に死ぬことはあるのだろうか。
思考がそこまで行ったとき、シアラはある可能性に気づいた。
「……そうね。《トライ&エラー》が必要なら使える人に使ってもらえばいいのよ」
「……シアラ、おねいちゃん?」
金色黒色の瞳に危ない光が宿ったのをエトネは不安がる。呼びかけに応じないシアラはヨシツネの方を向いた。
「ヨシツネ。これは、アンタにしか出来ない事よ。お願いできるかしら」
続けて発せられた言葉は、全員の度肝を抜いた。
「な……何を考えてるのよ、シアラお姉ぇ!!」
「それしか……ほうほうは、ないの?」
猛るレティに対して、エトネは静かに、しかし悲しそうに尋ねる。シアラはそれに頷いた。そしてヨシツネを真っ直ぐに見据える。その間も、何度も時は巻き戻り、リザの苦戦が伝わってくる。
ヨシツネは固く瞼を瞑り、そして開いた時には覚悟を宿していた。
「……これが主殿の為になるならば、いかなる汚名も背負う所存でござる」
そう言って、刃を引きぬいた。
「『無様な姿ね、羽虫』」
冷たい言葉にリザは反応できない。神気が精神を極限まですり減らし、痛みが意識を奪いそうになる。失った右腕の代わりに剣を振るう左の肩には歯車が抉った跡がある。左足には小さな歯車が無数に突き刺さり、ゆっくりと肉を抉っていく。
極めつけは精霊剣の刀身は、力を失ったように色を無くしている事だ。距離を詰められた時に、無機物の時間を進ませる権能を使われた。精霊剣は力を失っていた。
「『それでも足掻くなんて、流石は虫。信じられない生命力ね。……でも弱ったわね。貴女を殺すと、レイも死んでしまうのよね』」
不愉快そうにクロノスは呟いた。
瀕死のリザを救っていたのは、対等契約だった。彼女が死ねば、レイの時間停止を解くと死んでしまう事が、彼女にブレーキを踏ませていた。
これ以上は本当に殺してしまう恐れがある。溜飲を下げたクロノスは、リザをこれ以上脅威とは思えず意識から外そうとする。
すると、リザの青い瞳が信じられないとばかりに、何かを凝視しているのに気づいた。
気になったクロノスは、彼女の見ている方向を、自分の後ろを振り向いた。
階段から姿を現したのは、黒い装束に身を包んだ青年で、彼は手に持っている物を掲げて―――。
「『―――い、いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』」
―――がちゃん、と。
どこまで続きそうな絶叫は、唐突に打ち切られた。
リザは視界が切り替わった事に気づき、レイの方を向いた。エトネが落ちない様に押さえこんでいる少年は、時間停止を受けているが五体満足だった。
「シアラ、今のは!」
「黙って! ……ああするしかなかったのよ」
苦悶の表情を浮かべる友を前にして、リザは頭のてっぺんまで上がっていた怒りが収まっていくのを感じた。確かに、彼女の言う通りだ。クロノスが時間を巻き戻さなければ、自分はおろか全員が危険にさらされていた。そして、それを思いついて、実行させるだけの覚悟はリザに無い。
誰もしたがらない汚れ仕事を、シアラとヨシツネは請け負った事になる。その場に居なかったリザに、これ以上言う資格は無かった。
それよりも、問題は他にあった。
「『うふふふふ』」
ぞくり、と。耳と脳を侵食する笑い声に震えが止まらない。
「おにいちゃんのからだが!」
エトネの叫んだ通り、レイの体が見えない何かに引っ張られるように階下へと連れてかれた。仲間達は必要な物だけを持って、追いかけた。
迷宮の広間。その中央に佇むクロノスの前に、レイが宙吊りになって固定されていた。
動かない体を愛おしそうに触れつつ、クロノスは静かに言う。
「『あんな手段に出るなんて、羽虫を見誤っていたわ。反省しなくちゃね。害虫は、どこまでもいっても害虫だもの。人にたかる、腐臭を放つ、薄汚い存在』」
呟く度に神気がリザ達を苦しめる。これまでと比較にならない圧力に、全員がどうにか耐えていた。そして、レイの体を後ろに下げたクロノスが、神の瞳でリザ達を見つめた。
そこに宿る感情は、間違いなく怒りだ。
「『手足をむしるなんて、優しい事をいうつもりはないわ。……だって、やりすぎて死んでもやり直せばいいもの』」
神の怒りが大迷宮ラビリンスに降臨した。
―――そこから先は、地獄だった。
事前に練った計画も、咄嗟に思いつた閃きも、神の怒りが蹂躙していく。
時戻しの権能は、全てを凌駕していた。リザの足掻きも、シアラの抵抗も、レティの献身も、エトネの勇気も、ヨシツネの機転も、何もかも無かったことにしていく。神に歯向かった事が間違いだったと教えるかのように、一つずつ、希望を折っていく。
やり過ぎてしまい、リザやレティのような戦奴隷が死んでも、クロノスは冷徹に、冷静に、冷酷なまでに時間を巻き戻す。死者は蘇り、再び死者へとなってしまっても、再び蘇る。
戦闘能力を奪うのではなく、戦闘への意思を折るのではなく、存在する事への意欲を磨り潰す行為。神の怒りがどれだけ凄まじいものなのかと証明するだけの殺戮だった。
「『やっと、静かになったわね』」
大きな時戻しを82回。小さな時戻しは数え切れず。凄惨な戦いを物語るのは、迷宮に刻まれた爪跡と、そこに染み込んでいく血の量。壁に叩きつけられたまま動けないリザの手首から先はどこかへと落ち、巨大な歯車に片腕を飲み込まれたレティは膝を文字通り折られ、階段で倒れ伏すシアラは真っ赤な血を吐いていた。それでも辛うじて息があるのは、彼女たちが戦奴隷だからだろう。幾度かの失敗を経て、彼女たちが死なない程度のダメージを、クロノスは見極められるようになっていた。
その分、ヨシツネは凄惨な目に遭っていた。筆舌にし難い姿であちこちに転がっているのは、彼がした事への復讐だろう。まだ五体が繋がっているエトネの方がマシと言えた。もっとも、彼女の青色の指輪は、小さな指ごと砕かれていた。
ようやく満足したのか、クロノスが嬉しそうに告げる。
「『さあ、行きましょうレイ。貴方が傷つかず、苦しまない世界へ。あはっあはは、あはははははははははははははははははははは!!』」
狂気に染まった瞳は誰にも止められない。
読んでくださって、ありがとうございます。




