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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第10章 世界の中心
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10-43 時の牢獄

 視界が高速で流れていく。どちらが上で、どちらが下なのか判断付かない。常人なら間違いなく内臓に負荷がかかる場面で、しかしクロノスは平然としていた。吹き飛ばされて宙を舞う彼女は歯車を生みだし自分を受け止めさせた。


 何をされたのか、さっぱり理解できない。ただあの場から、レイの傍から引き剥がされたという認識だけはあった。そこに怒りは無い。あるのは倦怠と脱力だ。


「……邪魔、邪魔、邪魔。どうして、私とあの人が会うのを虫は邪魔するの。自分たちの有害さを理解できるだけの知性があるなら、恥じ入って自害するのが筋じゃないの。そうよ、そうするべきなのに、そうしないから虫なのよ」


 どこまでも支離滅裂な思考回路。ある意味、明白なほど彼女は壊れていた。


 オルド達との邂逅を経て、聡明な知性や理性が戻る事は無かった。記憶は底の抜けた鍋のように零れ落ち、思考は虫に啄まれた葉っぱのように穴だらけだ。


 歯車を空中に固定させて、階段のように並べて地上へと降り立つ。こんな使い方は思いつくのに、自分が何者なのかすら、クロノスはまだ思い出せていなかった。


 あるのはたった一つ。


 レイに会いたい。彼を守りたい。


 濁り切った泥水とて、これ以上ないほど濁れば、ある種の美しさを持つのか。どこまでも真摯に思う姿は美しくもある。レイと会う事を邪魔する存在は、彼女にとって全員が敵だ。磨り潰すべき存在で、駆除すべき害虫と同じだ。


 ひたひた、と階段へと近づいていくと、


「時を止められた」


 信じられないとばかりに呟やかれた声が聞こえた。何をと、問わなくても分かる。


「『その通りよ』」


 思念と肉声の両方で語りかける。こうすると彼らが苦しむのはオルドから学んだ。もっとも、クロノスの記憶にオルド達の姿は欠片も残っておらず、どうしてこれが有効なのかいまいち理解していない。


「『その通りよ。レイの時間を止めたわ。これで逃げられることは無いでしょ。その間に、ゆっくりと害虫を捻り潰せる。ああ、苛々するわ。あの人を、苦しめて、困らせて、傷つけて、それでのうのうと生きているなんて。なんて浅ましいの、なんて傲慢なの、なんて―――醜いの』」


 きっぱりと言い放つと、胸の奥で何かが騒めいた。


 どこかで、誰かが叫んでいる。掠れるような声で、必死に喉を枯らしながら、叫んでいる。


 ―――それは違う、彼女たちも一生懸命だった。彼女たちがいなければ、()()はここまで来れなかった!


 誰の声なのか、クロノスには分からない。ただ、その声をこれ以上聞くのは堪えられない。


「害虫を潰したら、すっきりするかしら」


 口に出すと、それがなんと素晴らしい考えなのだと思えてきた。レイを安全な場所へと連れて行く際には邪魔になる。どちらにしても、ここで排除する必要はあった。


 とはいえ、問題もある。相対した時に気づいたのだが、レイと、害虫たちの中に妙な繋がりがある。呪術的な繋がりは、命に結びついていた。下手に殺すと、レイの命まで危うくなる、そんな予感がした。


 レイの《トライ&エラー》を止めてしまった以上、あれらを殺す訳には行かない。


「なら、殺さないように、手足を潰しておけば、追ってもこれないわよね」


 彼女の狂気に応じる様に、禍々しさを宿した歯車が展開される。


 階段まであと数歩といったところで、飛び込んできた影にクロノスは足を止めた。


 それは萌黄色の瞳をした、幼い子供だ。腕にクロスボウと、そして青色の指輪を嵌めている。エトネは握った拳で宙を殴るように突き出して、叫んだ。


「お願い、《ハヅミ》!」


 祈りに近い叫びを受け取ったのは、狂った神では無く彼女に宿る守護天使のような存在だった。迷宮に渦巻くクロノスの神気を押しのける様に、別の存在が出現した。空気中の水分を媒体に、人の像が作られた。


 全身が半透明な水の塊で出来たそれは、水の精霊ミヅハノメだ。彼女は相対するクロノスに向け、複雑な面持ちで告げた。


「時の神、クロノス様。なんて、おいたわしい姿に。……何があったのかは存じませんが、貴女を止めるために力を振るわせてもらいます。ご無礼、お許しください!」


 普段の尊大な口調はどこかへと消えた《ミヅハノメ》は、さらに水を集めると鞭のように振るった。クロノスは歯車を飛ばして迎撃しようとするも、水を吹き飛ばす事は出来ずに逆に飲み込まれてしまう。


 水の鞭は歯車とクロノスを飲み込むと、形を変えた。空中に浮かぶ水球は、クロノスを閉じ込める檻となった。


 ほんの数秒、エトネと《ミヅハノメ》の間に冷たい緊張が流れる。これで動きを止められれば、何もかも楽に終わる。そんな淡い期待は、文字通り水泡に帰した。


 クロノスの左手がゆらりと泳いだ瞬間、《ミヅハノメ》が生み出した水の檻は蒸発したように消えてしまった。中空から投げ出され、床へと尻餅を突いたクロノスは髪や衣服を多少濡らしていた。


 獣人と精霊は、その変化を見逃さなかった。


「エトネ。見えるかしら、()()()()()()()


「うん。ここからは、エトネが、がんばる」


 両手のガントレットをぶつけて、神への恐れを気合で押しつぶそうとする。エトネは前に出ると、次の段階へと進んだ。


「《願い奉る》《この身に祝福を》」


 それは精霊を呼び出す詠唱だ。


 彼女が呼びだす精霊は決まっていた。


「《出でよ『カテギダ』、『ロカ』》」


 二体同時に召喚された精霊が、エトネの四肢に絡みつく。クロノスから放たれる神気は精霊の存在に押し返された。


 自分の調子を確かめる様に、小さくジャンプをしたエトネは、着地と同時に前へと跳んだ。


 一瞬で、半分の距離を詰めたエトネの姿は、クロノスには残像すら映らない。瞬間移動したかのように距離を詰めた敵へ、歯車を飛ばした。唸りを持って回転する金属の塊が迫っても、エトネは最短距離を駆け抜ける。なぜなら、彼女は一人じゃない。


「貴女が相手でも、その子には手を出せないわ」


 静かな、しかし断固たる決意を持って、《ミヅハノメ》がエトネを援護する。先程の水の鞭よりも細い、それこそ糸のような細さまで圧縮した水を歯車に向けて射出する。


 金属の塊は圧縮された水に弾き飛ばされ、エトネは無人の園を一気に駆け抜けた。クロノスの懐へと飛び込み、拳を叩きこんだ。


「……そんな」


 驚愕は、拳を叩きこんだエトネでは無く、叩き込まれたクロノスから発せられた。オルドも、ベルドランドも、エスラも、リザも、誰の攻撃も無効化してきたはずのクロノスが、痛みを感じたのだ。


 衝撃で後ろへと追いやられたクロノスに、続けてエトネの回し蹴りが炸裂する。精霊によって強化された四肢から放たれる一撃は、中級冒険者相手でも首を折りかねない威力だ。先の一撃も、内臓を破裂させてもおかしくない一撃だ。


 だが、クロノスには軽く触れた程度の衝撃しか無く、しかし、それはあり得ない結果である。ぐらり、と傾く体を足で支える。


 すぐさま反撃を繰り出したが、そこにエトネは居なかった。小柄な体格を生かして、クロノスの足元を潜り抜けると、彼女の足首を全力で蹴りつけた。


 本来の威力なら、中級モンスターの頭蓋すら容易く打ち砕く一撃も、見えないナニカに阻まれて威力が減衰する。だが、零にはならなかった。僅かな衝撃がクロノスに届き、彼女はよろめいた。


 両ひざを折るクロノスの背後に回って、羽交い締めしようとするエトネ。だが、混乱するクロノスも、それを予期していた。歯車が両側から彼女を挟みこもうと迫ると、《ミヅハノメ》の水流がエトネを押し出した。


 標的を失い、ぶつかり砕け散る歯車。しかし、砕けた破片がエトネへと向きを変えた。


 エトネは咄嗟に、目と喉を腕で庇う。それ以外の部位は、精神力で強化した。


 直後、礫と化した欠片がエトネを襲う。防具に食い込み、素肌を抉る嵐を耐えて、エトネは地面へと着地した。


 自分の状態を確認する。裂傷や打撲はあるが、戦闘に支障を来たすほどではない。


 なにより、精神が削れて行く感覚はさほど感じなかった。


「シアラおねいちゃんの、よみがあたったかな」


 呟きには尊敬の感情が乗っていた。


 いつも、おちび、おちびとからかうが、シアラの洞察力や知識にエトネは尊敬を抱いていた。そんな彼女が、神々の文献を片っ端から紐解いて行き、攻撃の無効化と精神が削れて行く謎を解いたのは、彼女にとって驚くことでない。


 シアラなら、できて当然だという信頼があった。


 彼女曰く、人と神の違いは存在の重さだという。


 この世界が一枚の柔らかい布だとして、人が乗れば重さでへこむ。無数の人が、バラバラに乗るからこそ、どこか一カ所が不自然に沈むという事態は起きない。だが、神が現れると釣り合いの取れていた世界は狂ってしまう。人と比べ物にならない重さの存在が、無造作に布の上に乗れば、周りを巻き込んで沈む。


 人はそれに巻き込まれ、従うほかにない。


 神の存在が人よりも重いからこそ、神は絶対の存在として君臨する。


 レイに言わせれば、二次元の存在が三次元に敵わないという事らしいが、エトネにはちんぷんかんぷんだった。ただ、理解できたのは、神の重さで場が荒らされたのを、別の存在を用いる事である程度引き戻す事が出来るという説明だった。


 それこそが精霊。


 人と神を繋ぐ存在を呼び出して、神に傾いた流れを引き戻す。


 神に最も近い超級精霊である《ミヅハノメ》を召喚し、低級とはいえ二体の精霊を《憑依》させたエトネの攻撃は、シアラの読み通り僅かだがクロノスに届いていた。


 攻撃を無力化する守りは剥がれている。


 ならば、計画を次の段階に進める必要がある。


 エトネは自分がまだ戦えるぞと吼えるかの如く、地面を叩く。クロノスの青い瞳が苛立たしそうに細まった。


「『精霊……そう、精霊、思い出したわ。神と人を繋ぐ貴方達なら、私に届くかもしれないわね。でも、それだけ。届くだけで、それ以上は絶対に不可能よ』」


 神気が一段と濃くなり、《ミヅハノメ》の圧を押し返す。途端に、エトネの精神が削れて行く。このままでは身動きが取れなくなると感じた彼女は、再び前進した。


 近づけさせるかと歯車を次々と放つも、直撃する物は《ミヅハノメ》が迎撃する。


 クロノスは時間を停止して、その間に距離を取ろうとして、それが出来ない事に気づいた。ほんの一瞬の躊躇の間に、エトネは一気に近づくと、クロノスが虫を払いのけるかのように伸ばした手のひらを、逆に掴んだ。


 一瞬、困惑の色がクロノスに浮かぶ。しかし、それもすぐさま嘲笑へと変わり、彼女の権能が発動した。


 エトネの体から力が抜けていく。レベルダウンだ。《憑依》させた二体の精霊は維持できなくなり霧散した。


「『自分から飛び込んでくるなんて、やっぱり虫は虫ね。貴女は、レイと繋がってないみたいだし、厄介そうだから念入りに潰しましょう』」


 自分の手のひらを掴んだまま、その場に崩れ落ちそうになるエトネへ冷徹な殺意を向けた。それに応える様に歯車が宙に浮かび、刃に似たおうとつをエトネに向ける。その数は《ミヅハノメ》一人で迎撃は不可能だ。


 クロノスは死ねと告げる事も無く、歯車を動かす。エトネをひき肉にしても余りある鋼鉄の塊は、しかし飛び込んできた極光の前に等しく溶けた。


「どうやら、こちらの方はさほど固くないようですね。歯車の強度が意思に左右されるなら、よほどレイ様を逃がしたくないのでしょう」


 極光はリザの精霊剣から放たれた一撃だ。エトネを潰すはずだった歯車はすべて消え、クロノスは不快だと言わんばかりに瞳を細くした。


 階段から降りてきたのはリザだけでない。レティとヨシツネもそこに居た。


「《ミヅハノメ》様。後は私達にお任せください。貴女様は、力を蓄え、この場に存在を維持し続けて下さい。貴女様に消えられたら、わずかな希望も消えてしまいます」


「心得ているわよ。……気を付けなさい。壊れていても、あれは神よ。どんな事でも出来てしまう、全能を相手にしている事を忘れては駄目」


「忠告、ありがたく受け取ります」


 リザに場所を譲るように《ミヅハノメ》は下がる。クロノスの手を掴んだままのエトネを気づかわしそうに見つつも、自分が消えた方が彼女を苦しめる事だと理解して心の中で無事を祈った。


「レティ、お願いします」


「うん。《超短文ショートカット中級ミディアム・半円ノヘミスフィアシールド》!」


 レティが詠唱すると、光の膜がクロノスを中心に展開される。極小の、それこそ身動きも取れないような狭い檻にエトネと一緒に閉じ込められた。


「『冗談でしょ。まさか、これで私を捕獲するつもり。だったら、愚かとしか言えないわ。こんなの、すぐに破壊して……そういうこと』」


「ふーん。クロノス様でも、そんな顔をするんだ」


 口元を歪めたクロノスをレティが挑発する。クロノスは空いた手で、レティの魔法を消滅させようとして、それが出来ない事に気づいた。


 反対の手を必死に握っているエトネが原因だ。


 クロノスのレベルダウンはレベルを戻す。それに合わせて能力値(アビリティ)を減らすのだが、獣人種の血が混じるエトネはレベル1でもそれなりの能力値(アビリティ)を持っていた。その力は、非力なクロノスでは振り払えない。


 本来なら、オルドやベルドランドも、レベルダウンを浴びたからといって膝を着き、倒れるような真似はしない。だが、あの時二人を襲っていたのはクロノスの神気だ。レベルがダウンした所に追い打ちとして神気が彼らを無力化した。


 今はその神気が精霊の存在によって中和されていた。脱力したエトネと非力なクロノスの力は、辛うじてエトネに軍配が上がる。


「どうやらもう一つの読みも当たっていたでござるな。クロノス殿が発動できる時に関する権能は常に一種類。レベルを下げている間は、他の権能を使えない」


「エトネが手を掴んでいる間は時間停止も、無機物の時間を加速させる事も出来ない。……それにしても、エトネが戦っている時に、なぜ時間停止を使わなかったのでしょうか。使われていたら、この状況に持っていくのがこれほど容易では無かったはずです」


 リザの疑問に答えは出なかった。


 実は彼女達は知らないが、クロノスは二種類の権能を同時に使用していた。


 レイの時間を停止する力こそ、時間停止の権能だ。


 指定した空間の生物の時間を停止するという権能を、空間から人間単体に縮小する事で長時間の時間停止を可能としていた。


 エトネを止めるには、レイの時間停止を解除してからでないと使えなかったのだ。それでは本末転倒になってしまう。


 となれば、エトネのレベルダウンを止めれば檻は破壊できるのだが、精霊によって絶対の守りが剥がれつつある状況で、エトネを自由にするのは危険だ。三種類の権能を同時に使えない以上、手段は一つしかない。


「『離しなさい、離せ、この』」


「いやだ! ぜったいに、はなすもんか!」


 エトネを振りほどこうにも、普通の人間以下の体力しかないクロノスに獣人種の幼女を振りほどくことは難しい。だから、彼女は歯車を展開した。


 盾の内側はスペースが無いため、外に幾つも展開し、盾もろともエトネを押しつぶそうとする。だが、それを黙って見ているほどリザ達は間抜けでは無かった。


 閃光が走り、黒い影が宙を舞う。


 リザとヨシツネがクロノスを守るように歯車を撃ち落していくのだ。


 精霊剣の輝きが迷宮を照らし、黒い装束を纏った影が繰り出す乱打が金属を破壊していく。


 そして合間を縫うようにレティの魔法が二重、三重とクロノス達を包み込んでいく。二人の守りを突破した歯車が《半円ノ盾》を切り裂いても、すぐさま補強されるか、破けても一枚だけだ。


 ならばとレティを狙うも、その攻撃もリザか、あるいはレティに防がれていく。エトネのレベルダウンを止めて自由にしてしまうと、この狭い空間で彼女を引き剥がすのは難しい。攻撃ならある程度減衰できるが、それが攻撃じゃない接触は通じてしまう。手首を掴まれ、後ろに引っ張られるだけで拘束されてしまう。


 クロノスの権能が触れなければ発動できないというのは知られてしまった。


 まさに手詰まりだ。


 一方で、クロノスは疑問に思う。手詰まりだが、決して敗北していない、と。


 何故なら神気は中和されてはいるが、リザ達を蝕んでいる。エトネの握る力も弱くなっていき、極光の輝きも陰ってきている。このまま歯車を無限に召喚していき、彼らを消耗させていけば遠からず勝利は掴める。


 気分はまさに、虫の巣に水を注ぎこんでいるようなものだ。


 じわじわと敗北の足音が聞こえる彼らを、速く駆除しなくてはとクロノスはさらに歯車の数を増していく。


 雨あられと降り注ぐ中、リザは叫んだ。


「十分です! 十分経ちましたよ、シアラ!!」


 それが何を意味するのか、クロノスは理解できなかった。だが、階段の方から現れた存在を目にして、これが狙いだったのかと気づいた。


 人の域では十分すぎる精神力を蓄えたシアラが、幽鬼のように階段を降りていく。クロノスから見えない位置に、エルフ特製の、体力を精神力に変換する魔法陣が刻まれていた。


「《時の流れは、遡行しない滝の流れ》」


 シアラは今にも気を失いそうになりながら、詠唱を続けていた。


「《光の矢のようであり、ゆっくりと生えていく苔のようである》」


 自分の知る限り、クロノスに、時の神に唯一届くはずの呪文を。


「《時の流れは逆流せずとも、時の流れを緩めることは可能なり》」


 それは、かつての自分を縛る檻だ。


「《時とは、万人に等しく流れるものであり、万人にとって公平ではない》」


 惨劇のあった島。そこにある城の奥底で、自分を氷漬けにした牢獄の名は―――。


「《ならば、ここに顕在せよ、時を歪める牢獄を》、《脱出不能な牢獄よ、ここに具現化せよ》!」


「レティ、魔法の解除を!」


 リザの指示が飛ぶや否やシールドは溶け落ちる。そして黒い影がぐったりと脱力したエトネを回収した。たった一人取り残された神に向けて、シアラの魔法がさく裂した。


「《アンダンテ・フィールド》!」


 それは超級魔法すら超える、超弩級旧式魔法。


 放たれれば最後、回避も、防御もあり得ない。空間自体を凍らせ、対象の時間を緩める魔法だ。


 クロノスの体が透明な氷に覆われていく。非力な彼女では破壊できず、攻撃の無効化は精霊たちに剥がされていた。


「『なら、こんなもの時間を加速させれば……そんな、出来ない!?』」


「あ、貴女様がそんな風に驚いてくれるなら、死ぬ思いで発動したかいがあるわね」


 心血を絞りつくして倒れているシアラは勝ち誇ったように言う。それだけ、狼狽するクロノスの様子がおかしかった。


「《アタランテ・フィールド》は対象の時間を引き延ばす。貴女様の権能が時間を早めるなら、相殺されるのよ」


 時間を遅くする魔法と、時間を早める権能。カタリナと文殿で会った時、彼女はこの構図を思いついた。本当に通じるかどうかは不明だった。もしかすると、という可能性に掛けて、彼女は古書をひっくり返し、《アタランテ・フィールド》を発動する呪文を身に着けたのだ。


 氷は、クロノスの両手を塞ぎ、上半身へとのぼり、そして秀麗な顔を覆いつくした。そこにあった、驚愕の感情と共に、クロノスは氷漬けになった。


「……成功、ですか」


「どうやら、その様でござるな」


 リザの呟きに、エトネを抱えたヨシツネが応じる。決めたのはシアラだが、今回、一人でクロノスと渡り合った最大の功労者は彼女だ。そのエトネはぐったりと手足を伸ばしていた。


「とりあえず……あたしたちの勝利、でいいのかな」


 広間に生まれた氷のオブジェを見つめながら、レティは誰に聞くでもなく呟いた。


「気を抜かないで頂戴。今は《アタランテ・フィールド》の効果が効いて相殺しているかもしれないけど、今後どうなるかはワタシにもわからないわ」


 気付け代わりにポーションを飲み干したシアラが、背後の階段を振り返る。そこに置いてきたレイのことを気にしながら、


「主様に掛けられた権能も剥がれていないわ。とにかく、ここから脱出して、人を呼びましょう。倒れた冒険者を助けるにも、氷漬けになったクロノス様を動かすにも人手がいるわ」


 と、指示を出した。まだ体の動くリザとヨシツネが頷き、階段を塞ぐ歯車をどうするかと相談して―――。


 ―――がちゃん、と。


 何かが外れた音がした。仮に世界が複雑な機構で動く機械だとしたら、その中心部分が外れたかのような、聞いただけで致命的とわかってしまう音。


 全員の視線が、氷漬けになり、時間の流れから取り残されたクロノスへと視線を向ける。これ以上、彼女に何かできるはずがない。誰も言葉に出さず、祈る気持ちで見つめていたが―――。


 ―――がちゃん、と。


 何かが()()()


 そう認識するしかない、そんな音と共に全員の視界が歪んだ。立っていられないぐらいの吐き気に襲われる。


「くっ……これも、神気による影響……どういう、こと、ですか、これは」


 困惑の声を押し留められなかった。なぜなら、歪んだ視界が正常に戻ると、周りの景色が一変していた。


 なぜか広間ではなく、幅広の階段へと戻され、逆さまに落ちそうになるレイをエトネが支える。まるで十分以上前の光景が、そこに広がっていた。


 シアラの方を振り向くと―――彼女がどこに居たのか覚えていた―――白い肌をさらに白くさせて、彼女は硬直していた。


「……これって、まさか……そんな……でも、うそでしょ」


「シアラ? シアラ、しっかりして下さい! 何が起きたのか、貴女なら理解できるはず。教えてください。これは……これは、やはり」


 それ以上はリザも言えない。


 シアラに聞くまでもないのだ。


 彼女だって、何が起きたのか、すぐに理解できていた。理解した上で認めたくない。


 認めるわけにはいかない。


 だって、これは―――。


「『《()()()()()()()》、あえて名前を付けるとしたら、それが最も相応しいかしら』」


 どろりとした思念が耳だけでなく脳を侵食する。階段から吹き飛ばしたクロノスが、先ほどとは違う言葉を紡いだ。そうすることで、これが二度目だと証明するように。


「『()()()()()()()()()()()()()()。……羽虫が蘇らないように、念入りにね』」



読んで下さって、ありがとうございます。

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