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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第10章 世界の中心
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10-42 早すぎる邂逅

 予感はあった。


 いまだその人の顔も、声も、匂いも、仕草も、何一つ思い出せない。


 唯一覚えているのは名前だけ。


 レイ、レイ、レイ。


 呟くたびに、虫に食われた葉のような穴だらけの記憶に、何かが浮かび上がっていく。


 どうしてこんな場所に居るのか、どうしてこんな風になっているのか。それすら思い出せないというのに、レイと会うということを想像するだけで心が躍る。


 そして、予感に導かれるまま、彼女は地上を目指し、この場所に到達した。


 彼と会える。此処に居れば、必ず会える。


 分かるのだ。胸の奥で高まる心臓の音が、体中を駆け巡る熱い血潮がそう告げる。


 顔も、声も、匂いも、仕草も、何一つ思い出せないまま、それを覚えている体の細胞が叫んでいる。


 彼は近い、あと少しだ。


 クロノスの整った美貌は歓喜に崩れる。それすらも悍ましくはあるが美しい。


 幅広の階段から降りてくる有象無象が不思議そうに、面喰ったように通り過ぎていく。クロノスの髪色に驚いているのか、その崩れた美貌に驚いているのか、あるいは両方か。


 クロノスにしてみれば取るに足りない相手からどう思われようが、砂粒ほどの興味を抱かない。ただ、中には命知らずの者も居る。


 あるいは冒険者らしい者と呼ぶべきか。


「ねえねえ、そこの君。こんな所で、そんな格好でどうしたんだい。仲間とはぐれた奴隷……じゃないよね」


 迷宮向きとは言えない格好に送られる視線に好色の色が混じる。興味本位なのだろう。彼の周りに仲間が集まっている。


 一人が声をかけたのを皮切りに口々に質問が飛んだ。


「その髪色って珍しいよね。青なんて、オシャレじゃない」「そうそう。13神みたいで、格好良いよね」「奴隷紋も無いみたいだし、ソロの冒険者?」


 へらへらと声をかける者達に、クロノスはやっと反応した。崩れたとしか表現できない歓喜の笑みを消し去ると、視線が合うと凍り付きそうな視線を冒険者たちに向けた。


 神から視線を向けられ、彼らは一斉に後ずさる。そこでそのまま折れていれば良かったのを、年若く、意気軒昂な青年たちは怯えたという事実を拭い去るように強気に出た。


「お、おい、アンタ。こっちが下手に出てりゃ、いい気になりやがって。気取ってんじゃねえよ」


 無論、クロノスにとって絡んでくる冒険者なんて、欠片も興味を持たない相手だ。


 ほんの僅かに思った事は、面倒だという感想だった。


 彼女は抑えていた神気を解放した。途端に、場の空気が切り替わっていく。モンスターという怪物を生みだす迷宮は、元から人の精神に負担をかける空気があった。そこに神々の圧が加わったのだ。クロノスに絡んでいた冒険者は元より、彼女を遠巻きで観察していた者や、避けて移動しようとしていた冒険者までもが崩れ落ちていく。


 クロノスは学習したのだ。


 オルド―――彼女は名前も覚えていないが―――たちとの遭遇で、自分がこの世界にとってどれだけ異質なのか、壊れた精神と思考でも理解した。


 自分から発してしまう力は彼らを屈服させ、このように追い詰めてしまう。それは痕跡となってしまい、痕跡を辿られると邪魔が入る。


 戦いと呼ぶほどではなかった、あの遭遇から彼女は神気を垂れ流す事を止めて、時間を止めながら忍ぶように移動していた。地下から地上へ向かって。


 そして今、此処に居る。


 苦悶の声を上げる冒険者たちへの興味を抱くはずもなく、意識を割く時間も惜しいとばかりに忘れ去ると、クロノスは階段を見上げる。


 そして、飛び込んできた姿に確信する。


 黒髪に白髪が混じり、気弱そうだが芯の強さを感じさせる顔立ち。苦難を乗り越えた者特有の強い瞳を持った少年しか青色の瞳は映していない。


 顔も、声も、匂いも、仕草も、性別すら覚えていない。


 しかし、会えば分かる。


 そして、会ったから分かる。






 ―――出会ってしまった。


「ああ、やっと、やっとやっと、やっとやっとやっと、会えた。間違いない、間違えようもない、間違えるはずもない。体が歓喜に震える、魂がそうだと叫んでいる。貴方が、貴方が、貴方がレイよ!」


 歓喜の声は艶めいていて、ここが詩吟の場や歌劇場ならば観客は天上の心地よさを堪能できたはずだ。


 しかし、ここは冷たい岩肌に囲まれた地下迷宮。


 観客なんておらず、華々しさとは無縁の凍てついた空間だ。楽団の調べの代わりに倒れこむ冒険者たちの苦悶の声が痛々しい。階段にいても広間の異様な冷たい空気を感じる。


 身も凍りそうな寒さをもたらしているのは間違いなく、視線の先の女性だ。


 鮮やかな青い挑発に、柔和な顔立ちは例えようもなく美しい。しかし、形は人ではあるが、明らかに人の域を超越している。


 人のようであって、人でない存在。


 13神が1柱、時を司る神クロノスがそこに立っていた。


 その事実に《ミクリヤ》のメンバーは呼吸すら忘れてしまう。クロノスから発せられる、他を圧倒する神気に押されただけでなく、彼女がここに居るという状況に虚を突かれてしまった。


 思考に空白が生まれ、戦うどころか身構える事すら出来ない冒険者たちに、切迫した声が飛ぶ。


「全員、撤退しろ!」


 声を発したのはレイだ。


 ある意味、このような予想外の事態にもっとも慣れているからこそ、その指示だけは出せた。


 空白の思考に飛び込んだ指示に全員が従う。《ミクリヤ》が考えたクロノス捕獲計画の最低条件は奇襲だ。まかり間違っても、こんな不意な遭遇戦は百に一も、千に一も、万に一も勝ち目はない。ゆえに、全員が指示にしたがい階段を戻ろうとする。


 だが、


「逃がさない、逃がさない、逃がさない、……逃げないで。貴方に、言いたいことがあるの」


 掠れたような囁きと共に現れたのは、歯車だ。円形の、おうとつが刻まれたそれは分厚く、あっという間に階段を埋め尽くす壁となった。オルドやカーティスから聞いていた以上の数だ。


 歯車同士が噛みあい隙間は塞がれ、ヨシツネやエトネが殴ってもびくともしない。


「皆、下がって!」


 リザが言うのと同時に精霊剣の残光が視界を白く塗りつぶす。轟音と共に衝撃が空気を震わすも、元に戻った視界は変わらず歯車の壁があった。


「なんて頑丈なんですか!!」


 悔しさを滲ませるリザの後ろで、レイはダガーを抜き放つ。逆手に持ったそれを、躊躇うことなく自分の首筋に向けて突き刺そうとした。


 狙いは自殺だ。


 リザの精霊剣は、《ミクリヤ》の中で速度と威力に優れている。彼女以上の破壊力を出すには、相応の時間が必要になる。それは時の神を相手にする上で悪手だ。


 撤退が不可能に近いと分かった瞬間に、レイは躊躇う事なくそうする事を選んだ。もしかすると、まだ手段はあるかもしれないという幻想は捨て去り、状況に応じた最適な判断をした。


 仮に、この場に百戦錬磨のローランや、優れた知恵を持つマクスウェルが居たとしたら、レイの判断の速さを褒めたかもしれない。


 一秒にも満たない時間で、自殺を実行しようとする。まさに電光石火の早業。


 ―――しかし、時を司る女神にとって欠伸が出るほど遅い。


 例え、一秒にも満たなくても、彼女にとってそれは無意味に近いのだ。


 ひたり、と。首筋に冷たい肌の感触が当たる。吐息がうなじをくすぐり、誰かが背後に居るのをレイは感じ取った。


「ああ、だめ、だめ、だめ。貴方の力は、能力スキルは、《トライ&エラー》は使わせない。この時を巻き戻させやしない」


 言葉と共に首筋に何かが纏わりつく。それは首輪だ。歯車の中心がぽっかりと空洞となり、隙間なくレイの首に嵌っている。


「これで能力スキルを停めたわ。間違っても自殺なんてしないでね。そして、こうするわ」


 首筋を撫でていた手は、いつの間にかレイの顔を覆う。レイはオルドから聞かされたクロノスの能力の一つを思い出す。


 レベルダウン。


 力を数秒とはいえ失ってしまう厄介な権能だが、それはある意味好都合だった。レイはクロノスの手を取り、彼女を捕まえようとして―――


「―――しばらく、休んでいてね。私が、貴方に纏わりつく羽虫を駆除するまで」


 ―――慈愛すらこもっている声に背筋を震わせ、()()()()()()()()()






 リザが気づいた時には、背後のレイに絡みつくようにクロノスが立っていた。


 周囲に居たヨシツネも、エトネも、リザが気づいてからようやく気づいた様子だ。おそらく時を止められ接近されたようだ。


 レイの手にはダガーがあり、刃先は首に向いている。自殺をしようとしたのだろう。だが、その首には分厚い歯車が首輪のように嵌っていた。そして、クロノスの病的なまでに白い手がレイの顔を覆う。


「しばらく、休んでいてね。私が、貴方に纏わりつく羽虫を駆除するまで」


「レイ様から離れろぉぉぉ!」


 咆哮一閃。


 リザは精霊剣を上段から一気に降り下ろした。刃はレイの顔を覆う手の甲へと当り、その感触に凍り付く。


 これまで、リザはモンスターの皮膚を数え切れないほど切り裂いてきた。鋼鉄のような皮膚や、密度の高い肉や、柔らかすぎて刃が跳ね返る皮膚もあった。


 だが、クロノスの、神の肌は理解不能だ。固い、というよりも何かに阻まれている。見えない何かに包まれ、それが衝撃を何処かへと逃がしている。オルドやベルドランドが口にしていた通りの気持ち悪さだ。


 クロノスの顔から、歓喜の色が消え、明らかに苛立ちを籠めた視線がリザを射抜く。


「……正気? レイの顔に傷を付けるつもりなの」


「こうすれば、貴女は避けないと踏んだうえでの一撃ですよ」


「……そう。やっぱり、虫は虫ね。彼を困らせ、苦しめ、傷つける害虫。早く駆除して、解放してあげなくちゃ」


 美しいはずの青色の瞳が濁っていく。まともな会話なんて望めない。はたして、彼女を正常に戻す方法なんてあるのか、リザは疑問に思う。


 精霊剣を防ぐ手の甲がゆっくりと動く。刃が滑り、レイに傷一つ付けないような慎重な動作で、手首が返される。狙いは直ぐに分かった。クロノスの持つ、無機物の時間を進ませる権能だ。


 リザが刃を引こうとするよりも前に、二人の間に割って入る者がいた。


「主殿から離れて貰うでござる!」


 ヨシツネが首に巻いている布がひとりでに動く。《天ノ羽衣》によって動く布がクロノスの体を絡め取り、そして一気に放り投げた。


 階段から突き落とされるクロノスに向けて、もう一人が動いた。


「『超短文ショートカット上級ハイ反射盾リフレクションシールド』!」


 レティが発動した輝く盾がクロノスの落下するポイントに狙いすまして展開される。神の体は《反射盾リフレクションシールド》によって、トランポリンよろしく大きく弾き飛ばされた。


「よしっ! 思った通りだわ!」


 この結末を観察に徹していたシアラは拳を握って喜ぶ。語気を強めるのは不安の裏返しだ。


 クロノスが攻撃を無効化しているのは、オルド達の体験した結果から疑う余地はない。重要なのは攻撃だけを無効化するのか、接触を無効化するのか。


 前者と後者は似ているようで意味合いが全く違う。


 例えば、クロノスに殴りかかっても衝撃は届かない。しかし、彼女に抱きつくことは攻撃の範囲に入るのかどうか。これは入らないだろうとシアラは予測していた。


 文殿でクロノス自体の記述はほとんど見つからなかったが、神々に歯向かった人間が、どんな攻撃も通じなかったという一方で、神に触れ、その手に縋ったという記述はあった。攻撃以外の接触なら、クロノスに通じると予測していた。そして、触れるならやりようはいくらでもある。


 オルド曰く、クロノスの能力値アビリティは一般人と同程度か、それ以下。ヨシツネの長布に絡まれ、あんなに簡単に放り投げられたのがその証明だ。


 何より、攻撃魔法では無い、レティの防御魔法が正常に働いたというのも収穫だ。


 仮説が検証され、正しい事が実証された。クロノス捕獲への大きな一歩となるが、同時に代償を払う事になった。


「これが、神と相対するということ、ですかっ」


 血を吐くような声に振り返れば、リザが精霊剣を階段に突き刺して杖のように寄りかかっている。ヨシツネも、壁に手を付き倒れるのを拒み、レティは完全に尻餅をついていた。


 神の放つ圧に、精神が削られている。観察していたシアラでさえ、やすりで心を削られるような感覚に囚われていた。直接対峙した三人は更に強烈に感じただろう。


 となると、捕まっていたレイはどれほどの圧を浴びたのか。思考がそこまで進んだ時、エトネの悲鳴に近い声が耳に飛び込んだ。


「おにいちゃん、おにいちゃん! へんじをしてよ、おにいちゃん!」


 見れば、ダガーを持ったまま階段から逆さまに落ちそうになっているレイをエトネが押さえつけている。幼い相貌を真っ青にさせて、エトネはシアラを見上げた。


「どうしよう、おにいちゃん、いきしてない!」


「……はぁ!? 嘘でしょ、ちょ、どういう事よ!」


 シアラが駆け寄ると、レイは天井を真っ直ぐに見つめたまま微動だにしていない。口元に手を当て、続いて胸の音と脈拍を取る。本職ヒーラーでなくとも、生死の判定はシアラにも出来る。


「……何よ、これ。息も、心臓も動いてないわ」


 結果、レイは呼吸をせず、心臓も止まり、脈も感じられなかった。


「……死んだ、レイ様は死んだという事ですか!?」


「それは変だよ。だって、あたしたちの契約が発動してない。お兄ちゃんが死んだら、あたしたちも死ぬはずだよ」


 レティの言う通りだ。レイと戦奴隷(リザとレティとシアラ)の間には、契約が結ばれている。レイが死ねば、三人は死んでしまう。これまで、レイが死んだ瞬間に《トライ&エラー》が発動していたため、実証はされていなかったが、レイが死んだとするならそうなるべきだ。


 なのに、契約が発動していないという事は、レイは死んでいないという結論になる。生命活動をしていないのに死んでいない。この謎を解くべく、シアラはレイの全身に視線を向けて、ある事実に気づき戦慄した。


 自殺するために振るわれたダガーの角度や、服の皺、そして黒に白が混じる頭髪。本来なら、逆さまの状態でエトネに押さえられているため、どれもこれも重力に従うはずだ。


 だというのに、どれも固定されたように動かない。まるで―――。


「―――時を止められた」


 口にしてから、その恐るべき真実が、こうも容易く行われたという事実に背筋を震わした。レイは死んだのではなく、時を止められていた。


「『その通りよ』」


 声が響く。耳朶を震わし、脳髄に焼き付く。二重になって届く声に全員が苦痛に喘いだ。


「『その通りよ。レイの時間を止めたわ。これで逃げられることは無いでしょ。その間に、ゆっくりと害虫を捻り潰せる。ああ、苛々するわ。あの人を、苦しめて、困らせて、傷つけて、それでのうのうと生きているなんて。なんて浅ましいの、なんて傲慢なの、なんて―――醜いの』」


 言葉という形に注がれた思念は、怨念の領域をはるかに超えていた。浴びているだけで寿命が縮みそうだ。


 ひたひたと、足音が近づいて来る。リザはシアラにどうするべきかと尋ねた。


「このまま戦いますか。それともどちらかが死んで《トライ&エラー》を発動させますか」


「駄目よ。クロノス様も言っていたでしょ。主様の《トライ&エラー》は使えなくしたって。死んだところで戻れる確証はないわよ」


 確かめるにはレイが時間停止から戻ってくる必要がある。


 この数日の間で、クロノスの力は確実に強くなっている。あるいは、戻っていると表現するべきか。いまも道を塞いでいる歯車の数や強度、能力スキルを停止させたり、人の時間を止めたりと使える権能が増えている。それらを計算に組み込み、シアラはどうするべきか判断を決めた。


「なら、やはり」


「ええ、決まってるでしょ。戦うだけよ。幸か不幸か、時間停止を浴びているのは主様よ。正直な所、主様の離脱は捕獲計画においてそこまでの痛手じゃないわ」


 辛辣な物言いだが、リザは咎めるような事はしない。シアラの言う通りなのだ。レイの役割はクロノスを釣るための囮であり餌。止めの一撃はシアラであり、キーパーソンはエトネだ。


「主様が必要な一番目と二番目の計画は忘れて。三番目の計画を主軸にしつつ、相手の権能が増えている、あるいは強化されていると想定して動いて。ワタシは詠唱に入るから、全体の指揮はリザ、アナタが執ってちょうだい」


「了承しました」


「全員、精神抵抗のポーションを服用。一番槍はエトネ、アンタよ。……出来るわね?」


 問いかけにエトネは力強く頷いた。シアラは残り二人にも視線を向けると、彼らも同じように返事をした。


「なら始めましょう。主様に付き纏う失礼な女神様に、一発お見舞いするわよ」


読んでくださって、ありがとうございます。

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