10-41 最終確認
「点呼!」
「いーち!」
「にぃ」
「え? さ、三」
「ワタシも? 四ィ」
「五、でござる」
不意打ちの呼びかけに各々が返事をする。
奇襲だったから、返事の仕方に全員の性格がよく現れていた。
「……急にどうしたのよ。いきなり点呼なんて、した事ないじゃない。リーダーぶりたくなったの」
「緊張をときほぐす為だよ。みんな、顔が強張ってたよ。……まあ、僕も人の事は言えないけどね」
不安を誤魔化す為におどけてみせるが、腹の底に沈殿するざらついた不安は、ちょっとの衝撃で心を埋め尽くす。学術都市中央にある迷宮の入り口が、そのまま地獄の入り口のようにしか思えない。
時の神クロノス。
これからレイ達が捕まえに行く相手の名前だ。
エルドラドに住まう人間なら、誰もが知っている13神の一柱。しかし、その人物像や権能は謎が多い。
文殿で一日かけて調べた結果、クロノスは滅多に人前に姿を見せず、時を操れるという事しか判明していない。文殿にあった古びた本には、彼女が地上に降り立った唯一の奇跡が記されていた。
曰く、暴走する精霊の時を巻き戻し、大地に還した。
それがどれだけ異常な事なのか、知識の無いレイには理解できなかったが、シアラに言わせればゆでた卵を生の卵に戻すのと同じ、不可能を可能にしてしまった。
文字通り、クロノスは時を自在に操る神だ。
それが地上に落ち、地の底で自分を呼んでいるという事実にレイは深い悲しみを覚えていた。間違いなく、彼女は記憶を失い、人格も壊されている。そんな非人道的な行為をする存在に心当たりがあった。
本来の、エルドラドの神々に紛れ込んだ13番目の神、『黒幕』。
クロノスの人格や記憶に手を加えたというやり方は、レイに『本物の御厨玲』の記憶を植えつけ、真実に気づかないように暗示を掛けたのと似ている。おそらくクロノスも『黒幕』によって記憶を奪われて、暗示を掛けられ、精神が崩壊した状態で地上に落とされたのだ。
心が砕け散ると言う恐怖を、レイは覚えていた。
何も感じなくなるのだ。怒りも悲しみも、限界を超えると失われて行く。指先からゆっくりと腐り落ち、自分という存在の領域だけが消えていく。なにも望まず、ただ消える事を受け入れてしまう。
コウエンが居なければ、あのまま消えていただろう。
クロノスはそんな苦しみを一人で味わったのだ。自分という人格が崩れる恐怖を。そして、狂ってしまい、地下で彷徨ってしまっている。
「最後の確認をしよう。ここから先は、いつ目標と接触するか分からない。レティ、地図を出してくれ」
「はーい。ちょっと待ってね、と」
レティが抱える鞄にはポーションの他に迷宮内で必要な最低限の装備が詰まっている。彼女はそれを掻き分けて、羊皮紙の束を取り出した。
レイは何枚か受け取ると、番号が若いのから順に広げていく。ここは迷宮入り口に繋がる広間、冒険者たちにとって死地への境界線だ。そのため、ここで打ち合わせをしたり、話し込むのはよくある光景だったため、レイ達は気にせずに車座になった。
中央に広がる地図は、『紅蓮の旅団』が作成、回収した迷宮内の地図だ。
『紅蓮の旅団』は今回の案件から手を引いている。相手が13神だった事と、現状の戦力では勝ち目が無い事から無駄死や損耗を避けるためだ。その代りに、レイ達に全面的な支援を申し出た。
自分たちが作成した地図だけでなく、食料や消耗品、そして装備品などを提供してもらった。レイたちが首から下げたり、耳に吊るしているアクセサリーは、精神汚染への抵抗力を上げる装備品だ。
「迷宮の変成が起きるまであと一日ぐらい猶予はある。それまでの間は、この地図が僕らの道しるべになる。そして、クロノスが出現した場所はここだ」
「九階層、地底湖のある場所ですね。……ですが、目標がここに現れる保証はありませんね。エスラ様との戦いでどこか別の場所に転移しています。レイ様の時のように層を跨いだという可能性は少ないでしょうが……何しろここは大迷宮ですから」
「全くやんなるわよね。三つの迷宮が一つになっているなんて、どんだけ広いって訳よ。この地下は」
シアラが愚痴るのも無理はない。
大迷宮ラビリンス。その全貌は誰も知らない。ただひたすらにデカい、ということだけが判明している。レイ達がいる入り口は学術都市の中央部分にあたり、北と南にも別の入り口がある。
入り口が三つあっても、迷宮は一つだろうと考えていたレイだったが、直後に違うと分かった。三つの入り口はそれぞれ独立した迷宮の入り口で、ボスを倒して開く中層部の入り口で他の迷宮と繋がっているという。厄介な事に、三つの迷宮で待ち構えるボスを倒さない限り中層部への入り口は開かないという仕様らしい。
ついでに言うと、中層部から先は五つの迷宮に枝分かれして、五体のボスを倒さないと下層部に到達しないという仕掛けだ。そして下層部よりも先に到達した者は、まだ誰もいない。
「少なくとも、目標は移動している可能性があります。それに転移した先が北か南のどちらか、という可能性も念頭に入れないといけません」
「でも、それに関しては限りなく零に近いって、昨日の打ち合わせでも結論出たわよね」
「ええ、ギルドの方では『姿なき存在の呼び声』の被害報告は、北と南では確認されていません。ですが、中央でも無くなったというのが気になります。オルド様達が接触してから数日。新たな報告は届いていません」
「リザ殿の仰る通りでござる。これまで、レイ殿を探していた目標の行動に変化が生じているのは間違いありませぬ。これが果たして良い徴となるのかどうかでござるな」
二人の懸念はレイにもあった。
オーギュスター統括長は『姿なき存在の呼び声』の存在を一般冒険者に秘密にしていた。13神が迷宮に居ると言う事実だけでなく、精神力を削り意識を失わせる危険な存在が居ると言う事すら伏せたのだ。
迷宮内で異変は起きていないという態を装い、魔石回収を滞らせないためと言っていたがそれは建前だ。本音は冒険者たちを生贄にするために、あえて秘密にした。
意識不明者、あるいは声を聞いたという報告が上がって来ればクロノスの大体の位置が分かると言う理由から冒険者たちに危険を知らせようとしなかった。
冒険者を使い捨ての道具のように扱っているが、多少なりとも成果は出ている。北と南の迷宮にクロノスが転移した可能性は、限りなく低いと考えていいはずだ。
つい先ほどもギルドに確認しに行ったが、クロノスの声を聞いたという報告は無かった。
「てんいしたさきが、ちじょうってことはないのかな?」
「流石にそれはあり得ない……と言いたいけど現実にあり得ない存在が落ちてくるって言う、あり得ない事が起きちゃってるものね。でも、そんな事を考えだしたらキリが無いわよ。まずは地底湖に行き、目標が居るかどうかの確認。不在だったら、おちびが空間内に残っている残滓を頼りに探索に移るわよ」
「おちびいうな」
ジト目を向けるエトネにレティが仕方ないなと笑みを浮かべる。釣られて、皆も口元をほころばせた。ほんの一瞬だが、空気が柔らかい物へと変化していた。
「それじゃ、次に目標と接触した場合の確認よ。理想なのはこちらが奇襲を仕掛けて一気に無力化する事だけど、正直それが出来るとは思えないわ。何しろ、相手は時を止めるんだもの」
「目標の確認されている力は六種類。同じ空間に居るだけで精神が摩耗していく神気。物理、魔法問わずに無効化。接触する事で対象のレベルを下げる。接触する事で無機物の時間を加速させて崩壊させる。何もない空間から歯車を呼び出し、自在に操る。そして、人の時間を止める」
リザが淡々と語る内容に全員が改めて信じられないとばかりに嘆息した。
オルド達がその身を投げ出して手に入れた情報は黄金よりも重い。これらを知らないままクロノスと接触していたら間違い無く全滅だ。何より彼らは、権能の種類だけでなく弱点も浮き彫りにしてくれた。
「ロータス様やオルド様の証言から推測するに、レベルを下げる、無機物の崩壊、時間停止の三つは併用できない可能性が高いです」
「オルド様が吹き飛ばされる直前、クロノス様が気づいたら歯車と斧との間に立っていたって話していた。それってきっと時間停止だよね。その時に斧を破壊してレベルも下げればいいのに。そうしなかったのは、そうできなかった、としたら考えられるのは、時に関する権能は一度に一種類しか発動できない」
「その通りよ。ここで重要なのは、一番厄介な時間停止はレベルを下げる、あるいは無機物の崩壊を発動中は発動できないという仮説です」
「そこが狙い目……というか、そこしか狙えないわよね」
「ああ。クロノスと遭遇したら、誰かがレベルダウンの権能を浴びて時間停止を封じる。つまり、この中の誰かが囮になるのが、基本戦略だ。時間停止が発動できない間に、彼女を拘束する。誰が囮になるかはその時次第だけど、忘れちゃいけないのは一つ」
レイの視線が仲間の顔を順番に撫でていく。皆がそれを受けて別の人を見る。視線は最後に一点へと集中した。
シアラだ。
「最後を決めるのは君だ」
「……重圧を掛けるわね。しくじったら、ごめんなさいね。ワタシを恨まないでよね」
「軽く言わないでください。真面目なところ、成功率はどれほどですか。いえ、そもそも魔法は発動するのですか?」
「……正直な所、五分五分よ。成功するにしても失敗するにしても十分は時間を稼いでほしいわね」
「そいつは中々豪胆でござる。至高の存在相手に勝ちの目が五分もあるとは。その上、時を司る存在に時間を稼いでほしいとわ」
どこか茶化すような物言いだが、ヨシツネの表情は至極真面目だ。言葉通り、本気で思っているのだろう。不安を拭いきれないシアラに、レイは安心してもらうために言う。
「安心して。もしも失敗して、どうにもならない時は自殺してでも戻る」
「駄目よ。それじゃ、技能が使えなくなるでしょ」
「構わないさ。全滅するより、ずっとマシだ。だから、失敗する時は言い訳の余地も無いくらい派手に失敗してくれ。下手に、ああすれば良かったなんて心残りがあると次に繋げられない」
レイの言葉はシアラの中にある、自分がやらなければならないというプレッシャーを幾らか軽くしてくれた。同時に神々を相手取ると言う現実に対して勇気が湧いた。
金色黒色の瞳に強い光を宿して、シアラは頷いた。
「自殺が出来ない場合の対処も用意した。レティ、あれをくれ」
「りょーかい。えっと、あれは……うん、ここにあった」
鞄をひっくり返して取り出したのは小さな丸薬だ。レイはそれを掌で転がしながら尋ねた。
「効果のほどは?」
「理論上は、飲んでから三十分後に死に至るよ。でも、人体実験も動物実験もやれなかったから、時間に関しては正直微妙だよ。三十分以上かかって死ぬかもしれないし、それより前に死ぬかもしれないもの」
レティが制作したのは、数種類の薬草を混ぜる事で発生する遅滞性の猛毒だ。エトネと共同で作ったこれは、服用してから三十分前後で人を死に至らしめる。
《トライ&エラー》が死をトリガーにして発動するため、レイが自発的に戻るには自殺をするしかない。だが、それをすると技能が『使用不可』に陥る危険性もあるし、自殺をしようとして防がれる可能性もある。
クロノスはレイを殺そうとするよりも、監禁する方に意識が向いているため、死に戻りが上手く発動するかどうか不明だった。
そこで作戦開始と同時に毒を服用して、失敗した場合は毒の作用で死に戻る、タイマー式の保険を用意した。エトネが一緒に作る事で、奴隷紋の縛りを掻い潜り、毒を用いる事でもしかしたら自殺判定にならないかもしれない。そんな期待を込めた毒薬は完成した。
貰った毒薬をポーチに入れるとレイは次の指示を出した。
「よし、それじゃ荷物の点検をして、問題が無いなら出発しよう」
レイの言葉に全員がそれぞれ持っている鞄を検めた。
長旅でほつれたり汚れたりしたものは下取りに出して、新しい鞄を全員分用意した。前衛を担うレイ、リザ、ヨシツネの三人は比較的身軽だ。体の動きを阻害しないようにポーチを腰に吊るし、中にはポーションや水筒、携帯食料が入っている。ポーションの中身は一本を除き、全て精神汚染対策の抵抗力を上げるポーションだ。
オルド達から渡された支援品の中に入っていた。同じ精神抵抗を上げるネックレスや指輪なども装備している。クロノス相手にどこまで通じるのか不明だが、無いよりかはずっとマシだ。
大きな鞄を背負うのはレティだ。彼女は迷宮内で直ぐに取り出す必要のある物資を一つの鞄に纏めて持ち歩いている。地図もその一つだ。
次いで、シアラがたすき掛けの鞄を持っている。彼女の鞄にはポーションの予備が入っていた。
ここに、真面な知識を持つ冒険者が居たら、ある物の不在に疑問を投げかけたはずだ。
それは食糧だ。
レイ達が持っている携帯食料は二日程度しか無く、それも量を抑えている。このまま突入すれば二日後ぐらいには空腹で動きが悪くなっている。
だが、レイ達とて迷宮の経験はある。その辺りは抜かりなかった。
「それにしても面白い事思いついたよね、お兄ちゃん。まさか、雛馬車を食糧庫として持ち込むなんて」
レティが鞄からつまみ上げたのはミニチュアな馬車だ。精巧に作りこまれているように見えるそれは、エルフの技で作られたサイズを変えられる馬車だ。
レイ達は食料をこの中に詰めるだけ詰めて、馬車を縮ませたのだ。こうする事で長い期間集中して探索が出来る。
「三週間以上の食料を用意した。もちろん、ヨシツネを二人分として計算してある。それでも食料が底を突くようなら、モンスターを調理する事で減少を抑えよう」
その声に承諾の意が返る。
最初からモンスターを食料として扱わないのは、可食範囲が個体によって違う場合があるのだ。毒を持っているモンスターは倒し方を間違えれば全身に毒素が回る恐れもある。加えてラビリンスは色々なモンスターが出現する。獣の形をしたモンスターなら、食べるのに問題ないが、スライムやらゴーレムばかりだと食べられるのか甚だ疑問だ。
そうやって荷物の点検をしていると、レイはある事に気づいた。
自分と同じ前衛のエトネが、どういう訳かたすき掛けにした鞄を提げていた。
「……エトネ、それって何だい?」
「どきん。……な、なんのことかな」
「いや、口でどきんって言っただろ。それに声も上擦ってるし、もしかしてそれで誤魔化しているつもりか」
萌黄色の瞳が激しく揺れている。レイはエトネの鞄を掴むと、彼女の了解を取らずに口を開けた。
「やっぱり、そうか」
中に入っていたのはモンスターの卵だった。
「持ってきちゃったか」
「ごめんなさい。キュイをあずけるとき、ひとつきぐらいかかるかもって、きいたから」
屋敷に小屋を作ったキュイは、『紅蓮の旅団』メンバーに面倒を見てもらっている。流石に長期間同じ藁で食事も野ざらしで放置は可哀そうだ。
「まあ、仕方ないんじゃない。ワタシ達が迷宮に潜っている間に孵化されたら、屋敷で暴れられちゃうかもしれないじゃない」
「そうですね。こればかりは預けるのも難しいですし」
二人の説得にレイは仕方ないと頷いた。
「うん、わかった。持ってきたのなら、仕方ない。ちゃんと大事に持っているんだよ」
「ありがとう、レイおにいちゃん!」
満面の笑みを浮かべるエトネ。彼女は嬉しそうに卵を撫でると、内側から押す力を感じた。
孵化するまであと僅かな、そんな気配がした。
「さあ、準備も出来たし……行こうか」
強い言葉ではない。だが、そこに込められた覚悟は痛いほど伝わった。
全員が無言でうなずき、地下へと続く階段を進むレイの後に続いた。
《ミクリヤ》がラビリンスの地下へと降りていく。それを遠目で監視していた存在がそっと、人ごみに紛れて、同じ方向へと進んでいく。
迷宮一階層への階段は螺旋階段だった。巨人すら通れるような幅広の階段は、冒険者たちがすれ違うのに十分な広さだった。
その中を固まって降りる《ミクリヤ》だが、最後尾のヨシツネが何かに気づいたように顔を上げた。そして、エトネに一言二言尋ねると、そのままレイの方へと囁いた。
「主殿。蒸気船内でレティ殿を誘拐した小娘が付いて来ているでござる」
「キョウコツが? なんで? 間違いないの?」
予想していない人物の登場にレイは困惑してしまう。
「間違いありませぬ。エトネ殿の鼻を躱す為に別の香料を纏っているでござるが、殺気までは消せませぬ。同じ殺気が入り口からずっと付いてくるのでござる」
「殺気の種類から持ち主が誰なのか分かるのか。凄いな、ヨシツネ」
「いえ。それで、如何致しますか。拙者だけここで離れて、小娘を排除いたしましょうか」
剣呑な雰囲気を出すヨシツネに、レイは手のひらを振った。
「ほっときなよ。多分、カタリナさんが命じたんだろう。彼女と対立するのは避けたい。僕らの邪魔をしないのなら、無視しよう。でも邪魔をしたなら、その時は頼む」
「出過ぎた真似をしました。その時は承知いたしました」
ヨシツネが下がるのと、階段の終わりは同時だった。レイ達は螺旋階段を降りて、ラビリンスの始まりの広間を見渡そうとして―――気づいた。
気づいていしまった。
気づかなければよかった。
冒険者たちが探索の為に散っていくはずの最初の広間が、倒れている彼らで埋まっているのを。
虐殺めいた現場に佇む現実感の無い女性の姿を。
足元まで届く髪は青に染まり、虚ろな空洞を宿した瞳もまた青い。
呼吸すら忘れる美貌に、布を巻きつけただけのような頼りない衣服の隙間から見える肌は屍蝋めいた色になっている。
存在するのに、存在しないかのような矛盾の塊が、どこまでも嬉しげに、弾むような声を上げた。
「『見つけた』」
読んでくださって、ありがとうございます。
更新再開となります。当面は一日置きのペースで投稿していきます。




